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2025年7月18日 (金)

開高健のベトナム戦記を読んでたらたらと考える

図書館で見かけた開高健のベトナム戦記を懐かしい気がして暫く読んでいた。今読むと、アメリカに勝利したベトコンは仏教徒との関係を結局どう整理したのだろうかと思ってしまう。ともに反政府運動の前面に立っていたが究極は焼身自殺で人を動かした仏教徒たちは北ベトナムの共産主義を否定していた様子が描かれている、現在の統一された共産ベトナムでどのように生Kaikovetnum き延びているのだろうか。どこかで妥協がなされたのだろうか、いまだに自分としてはベトナムという国がよく理解できない。
このところ目につく太陽電池発電所の銅線が切断して盗まれているという犯罪の大半は半ば組織的とも言っていいベトナム人であったということも、どう結び付けていいのだろうかと思ってしまう。
そんなことをたらたらと考えていると、数日前、選挙戦で外国人の犯罪増を問題視する政党主張に対して、統計的にそんなことはないという反論というか誘導がオールドメディアやテレビで上から目線で一斉に流された、異様だ。肌感覚では今まで見なかったような野菜泥棒や家畜泥棒が捕まえてみれば外国人だったとか太陽光発電の銅線泥棒が捕まえてみると大半がベトナム人だった、というあたりから外国人の犯罪行為の異様さを感じているところが一般市民の感覚としてあったのではないか、と思うのだが、それは打ち消せないものだからそれを取り上げることなくマクロの数字で意図的に見え見えの誘導をしている、これは何なのか。こんなジャーナリズムが信用されると思っているのか、おかしな社会になってきているような気がしだしている。

開高健のベトナム戦記を今更のように読むと人と人が直接話し理解しようとすることがまともな世の中を作る根本なのだという気がしてくる。このところそれができにくい社会へと世界は動き続けているようだ。そう思って身構えねばならなくなってきている、いつまで続くだろうか、終わりはないのかもしれない。

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