「ボーイング強欲の代償」という本を読んでみる
2018年から2019年に起きた、どうみてもボーイングに責任のある737MAXの連続墜落事故のその後の成り行きがなんとなく気になっていた。去年の年末に出された「ボーイング強欲の代償ー連続墜落事故の闇を追う」という本が目に留まって図書館へ借り出し予約を入れたが人気のようでやっと今月初めに貸し出し順が回ってきて読んでみた。
要するに一世を風靡した感のあったジャックウ
ェルチの経営手法を体得したGE出身の経営者達がボーイングに持ち込んだ株主資本主義の考え方が諸悪の根源にあるというのだ。
確かにGE流の経営はいびつなところがあるのだろう、でもそれが資本主義だ、資本主義社会では受け入れられる経営だ。事故をそれが原因だと非難することはそのような資本主義体制が悪いのだ社会体制を変えろというにほぼ等しい、政治的な視点だ。航空機が落ちるのはもっと技術的な理由が先にある、そこを深堀りできないこの筆者の議論はどうしても上滑りではないかと思ってしまう。
似たような経緯の事故として1960年代にTtail形態の旅客機(BAC111)の試験機が失速時にリアエンジンの後流に水平尾翼が入り安定操縦性が失われてディープストールで墜落した件が思い起こされる。その後も長年航空界はTtailを使ってきた。どうにかすれば危険は回避される、そのどうにかに知恵を絞ってきた、それが航空機の世界のように思う。手だての一つが失速に入りそうになると強制的に頭下げ操作を行うスティックプッシャーだった。今回の737MAXの墜落の原因となったMACSの失速防止でやっていることがスティックプッシャーがやっていることとほぼ同等だ。スティックプッシャーで失速を免れるそのこと自体はそれほどおかしいことではない。問題は一個の迎角センサーしか使わず単一故障でカタストロフィックな結果をもたらされないという冗長系設計の原則がこの場合なされていなかった、それが見過ごされていたというところにある。設計管理システムに過誤があった、ということになる,それがなぜチェックにかからなかったか、という点にある。もしそれが意図的にチェックにかからないようにされていたとするならこれは明らかに犯罪行為だ。それが最初に議論すべき点のように思える。そのような行為をどう防止できるかが必要な考察なのだろう。犯罪者が悪いというより株主資本主義が悪いのだとはなから言い張るようなロジックをこの本の書きっぷりに感じてしまう。読後感がどうにもよくない。こんな本もある。
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