2023年3月20日 (月)

今年の芥川賞を読む

今年も芥川賞が発表される季節となって、どんな作品だろうと、掲載される文藝春秋3月号を予約可能となる日の朝一番に図書館にネット予約した。予約順は1番ではなく2番だったもののすぐに順番が回ってくる、さっそく読んでみた。今回(第168回、令和4年度下半期)受賞したのは井戸川射子「この世の喜びよ」と佐藤厚志「荒地の家族」の2作品でいずれもそれほど長い小説でもなく、1週間もあれば2つとも楽に読めてしまう。
「荒地の家族」から読み始めた、3.11の震災被Arechinokazoku 害者の直面した生活を描いている。非常にリアルな感じがする、楽しい場面は殆どなくてこれでもかとつらい現実が展開され続けていくが、とても誇張と思えないリアルさだ。重い。しかし情景がよく描写されていて、文章そのものがいい。作者の力量を感じる、さすが芥川賞だ。
「この世の喜びよ」はこれとは随分違っている、読後感として最初に感じたのが物語の無さだ、これは小説というものなのか、と感じてしまう。ショッピングモールの一角にある喪服店の店員という主人公の周りに流れていく日常の描写のみではないかと思ってしまう。2人称で描かれていて主人公をあなたと呼んでいる視点で読んでいくことになるのだが、なじめない、勿論面白い試みではあるがなじめなさはどうしようもない。小説の描いている世界へ引き込まれていく感覚をどうしても抱けない。こういう小説が賞をもらう時代になったのだ、ついてこれるかな、と言われているような気さえしてくる。

小説を読んで絵空事の世界に時々身を置くという疑似体験が自分としては精神的にいいような気がしてこれまで時々小説を読んでいたが、精神の活性化に必ずしもつながらない小説が出てき始めてるような気がしてきた。そういう時代なのだろう、映画を時折見る方に切り替えた方がよくなってきたか、そんなことも考え始めている。

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2017年5月29日 (月)

ミヤマキリシマを見に

ミヤマキリシマを見に阿蘇まで出かけた。ちょっと遠いが車も新しくなったことだし新車で遠乗りの感触もいいかなということもある。

行くのはいいが熊本地震で阿蘇大橋周辺の道路が通行不能になっており阿蘇山に向かう道はどうなっているのだろうか、ネットで事前にあれこれ調べる。ミルクロードと称される県道339号線を使うのが熊本から阿蘇へ向かう現在のルートになっている ようだ。復旧の器材等がこのルートを使って運ばれているようで、国交省のページでは途中には臨時トイレが何か所も設置してあるという。そう大変な道でもなさそうだ。
阿蘇でミヤマキリシマが見られるところはロープウエー駅付近のいわゆる阿蘇山上と仙酔峡がポイントだが仙酔峡のほうは通行止めだらけで現在は全くアクセス不能だ、見られるのは阿蘇山上しかない。
阿蘇カルデラ内の道路で阿蘇山ロープウエー駅に向かう道は1本のみが昼間に限って通行可で枝道は通れないようだ。一応ルートは開いてはいる。


とにかく出かける。福岡から九州道を熊本インターで降り、阿蘇に向かう57号線を途Asosannjyoua 中の大津でミルクロードに折れて不通個所を迂回して阿蘇までたどり着く。天気は予想通りの低い雲で時折弱い雨がぱらつく。
一先ず草千里はやり過ごしてロープウエー駅に向かう。勿論ロープウエーは動いていない、架線も外されているが駅の売店や食堂・トイレは開いていて観光客を受け
入れている。いずれにせよ火口に向かう遊歩道も閉鎖されている、ここまでだ
歩ける場所はないものかと探すと山上有料駐車場から火口と反対側にに向かって出ている遊歩道が見つかりこれを少し歩く。ミヤマキリシマ群落の中を歩く遊歩道だ。
花はないわけではないが白く枯れた枝が目立つ。火山
Asomapの噴煙でやられたようだ。
生き残った枝は必死の思いで花をつけている。地中からわずかに伸びた小さな枝にも花をつけている。遠くの方を見ると枯れた白い枝と僅かな緑と花の赤が微妙にまじりあってむしろ上品な花の景観が見渡す限り広がっている。めいっぱいの満開もいいがこの光景も別の顔を見るようで味わい深いものを感じる。訴えかけるものが多い。
事前に阿
蘇市の観光課に開花状況を問い合わせると阿蘇山上は一分咲きとあり、草千里のレストハウスに問い合わせると草千里は3分咲きといういずれも申し訳なさそうな答えが返ってきMiyamakirsim2ていた。満開を毎年見慣れた目には不甲斐ない情けない花の状況と映ってしまうのだろう。しかしこの景色もいい、花は盛りのみをや、との徒然草の一節が浮かぶ、むしろこの景観のほうがやまと心の趣があるといってもいいような感じさえする。
山上の有料駐車場には僅か2台のクルマしか止まっていなかった、ロープエー沿いの散策路は閉鎖されていてこちらの遊歩道に気が付かないで引き返すだけなのだろう。遊歩道の存在を示す案内板もない、勿体ない。

Miyamakirsim草千里のレストハウスでゆっくり昼食をとってくじゅうに向かう。ほとんど止んでいた雨が降り出した。レストハウスには観光バスが何台も来ており草千里の遊歩道を雨具を付けて歩く姿も散見できる。小雨にけぶる眺めも落ち着いていい感じだ。
阿蘇一宮町から県道11号「やまなみハイウェイ」でくじゅうへと走る。この道も途中片側通行などがあって被災からまだ完全には戻っていない。クルマも少ない。
1時間半くらいで長者原に着く。まだ雨だ。ビジターセンターの下の階から傘をさして歩きだす。風はなくて雨も大したことはない。湿原ではサワオグルマの黄色い花が見ごろでサクラソウもまだ咲いたりする。雨はほぼ上がってきて セッカが飛び回ったりホオジロ、ホオアカ、カッコウ、モズなどが姿を見せたり声を聞かせてくれたりする、何時来てもいい湿原だ。

帰りは片側通行だらけだがとにかく通行できるようになった九酔渓を経由して九重ICから大分道に乗って戻る。新しい車の自動追従モードをできるだけ使って走ると散策した後の長いドライブも足がつるようなこともなくて安全に楽に走れる。

いい時代になった、体がしだいに衰えていくのを技術の進歩がカバーしてくれる。どちらが早いか、いいとこ勝負かな、まだまだ遊べるかな、そんなこと思いながらもう夏のように明るい夕べの博多の街へと車を走らせた。

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2016年8月21日 (日)

くじゅうに旅する

ふっこう割というのが始まったので すかさずクーポンを得てくじゅうへ出かけた。
こう暑いと高原に逃れるほかない。
宿泊は2人で7千円引きだから少しは安いものの前に同様の割引きのあった時は2人で1万円引きだったのでそれよりは割引率は低い。すぐにクーポン枠が一杯になるかもしれないというので少々慌てていたこともあり九重の宝泉寺温泉というよく知らない温泉の宿を予約した。檀一雄が時々訪れていたらしいのでそれなりなのだろうということもある。
特にここを見たいということでもない。どこを回ろうか、そういえば大吊橋というのは評判らしいのではここに行こう、ついでに振動の滝という日本百滝の一つがあるのでこれを見よう。雨になれば小さな美術館や博物館を回ればよいか、雨にならなければ男池周辺がいかにも涼しそうだ、あとはタデ湿原でも散策することにしよう、そのくらいの心積もりで出かけた。天気の見通しでは一応雷雨はなさそうではあるが油断はできない。

Tuukoudome 九重インターで高速を降りて大吊橋に向かうととたんに土砂崩れによる道路閉鎖にでくわす。6月22-23日の大雨で幅広く土砂崩れがあり2か月近くたってもまだ復旧しないようだ。地震の間接的な影響もあるのかもしれない。
四季彩ロードに迂回してくださいとの現場の誘導員の指示に従って大回りして大吊橋に到達するがこちらは道はしっかりしている。

大吊橋見物は近ごろのくじゅう観光のポイントになっているようだから見るだけでも見ておくか、くらいの気持ちだ。2015年には開場以来9年目で累計900万人の来場者数を数えており、確かにくじゅう観光の目玉になっているのは間違いない。

クルマを降りると風もあって確かに少しは涼しい。標高は800m弱だから当たり前だが平地の気温が35℃近くあるためか驚くほどは涼しくない。韓国や中国からの観光客も来ていて平日だがにぎわっている。地震やその後の大雨 災害を乗り越えてよく頑張っている感じがする
Turibashi
つり橋の途中から振
動の滝の雄滝と雌滝が見える。滝壺への道は危険なため閉ざされていて少し遠いがここから見るほかない。勿論振動は伝わってこないが堂々たる滝だ。滝があるから眺めも面白い、そうでなければただの長い橋だ。でも一見の価値は確かにある。
長大で細い吊橋は横風でねじれを伴う共振振動が発生して航空機でいうフラッターが起こりやすく悪くすると破壊に至ることがある。米国ワシントン州のタコマ橋がフラッターで1940年に破壊し完成後僅か4か月で落ちてしまったというTacomabridg1 事故が有名で、設計にはそれなりの配慮が必要になる。調べると この夢大吊橋を担当した川田工業という会社ではねじれ剛性を上げるとともにフラッター抑制に床板の中央に格子を設けて空気抜きする他、床板構造の両側にフェアリン
グをつけることが有効と風洞試験で確認しこれを適用しているようだ、結構知恵を絞っている。吊橋は2006年に建造以来問題なく現在まで運用されておりフラッター対策はうまく機能しているようだ。渡ってみても振動に対する不安感は殆どなTuribashi1a1い。
構造については後でインターネットで調べた後知恵だが調べると結構面白い、橋そのものの工学的解説がより詳細に現地でされていればもっとこの橋の魅力は増すようにも思える。現代はダムにもダムマニアがいる、そういう時代なのだから。


次は黒岳山腹の男池に回る。次は男池と言っている家族連れの声が聞こえてもきて大吊橋から男池というのは定番コースのようだ。
こちらは標高850m位のところにある原生林の川沿いの遊歩道歩きがメインで今回は遊歩道の下流側にある名水の滝と呼ばれる滝を往復してみた。日本の滝百選には入ってOikemichi おらず、大した滝でもなかろうと遊歩道を歩いて行く、少しの登りの後急に下って滝壺に至る、なかなかの滝だ。滝壺のすぐ下流を滝を見ながら川を横断できるように飛び石が配置してあり間近で滝の迫力を感じられる。涼しい風が滝から吹き寄せこの時期これ以上に気持ちの良い散策は無いと思えるほどだ。
滝付近の上り下り以外は平坦でどこか奥日光戦場ヶ原の湯川に沿った遊歩道を思い起こさせる。野鳥はあまり姿を見せないがカケスやカラ類それにオオアカゲラらしい声など が聞こえてまずまずだ。この日の鳥で面白かったのはタデ湿原を啼きながら飛び回るセッカの姿だった。ヒッヒと啼いて上昇しビョンビョンと啼き方を変えて低高度を忙しく飛び回っている。初めは何だろうと思っていたがとまるところをやっと見つけてセッカと確信した。
セッカというとヒッヒという啼き方しか知らなかったがまた一つ知識が増えた。タデ湿原はサワギキョウ
20160816sekka4やトンボソウなどこの時期でも多くの花が咲いていてこちらも面白い。
雨にも会わず散策を楽しんだ後法泉寺温泉まで戻ってのんびりする。
万年山(はねやま)の近
くで、有名な、ついこの間動いたらしい別府万年山断層がこのあたりには何本も走っていそうだが、温泉の出るというところは所詮どこでも長い目で見れば危ないところだとあきらめる。

暑い時期はすべてを受け入れる緩くけだるいこんな旅がふさわしい。

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2016年4月21日 (木)

地震から離れようと

昔、昭和37年か38年頃か、西露町に居た頃夜中に床上浸水する事態に見舞われたことがあった。数日間は水が引かず離れの2階の一部屋で家族が過ごした。その頃、西鉄急行電車はまだ高架になっておらず、土手のように地域を分けて走っていたのだが、その土手の向こう側には全く浸水がなく傘をさしてのんびり歩く人の姿が2階から見えた。ほんのすぐそばでも災害にあわねば深刻なことは一つもない、災害のその不思議をその時感じていた。災害にあってもできることならその場を少しの間離れてしまえば平穏な時間を過ごせる、そう思ってきた。
Kumamoto1 熊本の引き続く地震は福岡でも毎回確かな振動を感じていて熊本の不安が伝わってきていた。熊本にクルマで支援に行った後、思い直して以前から計画していた京都旅行にやはり出かけることにした。やれることはやったし少し離れて地震に負けないように日常を続けるのもいいのではないかとの気がしていた。 一度は見なくてはと思っていた修学院離宮と桂離宮の見学許可がうまく取れていたのもある。

2泊3日の予定で京都へ遊びに行った3日目、16時前の新幹線の出発まで市内で適宜観光することにしていて、まずは大徳寺が春の特別拝観Daitokuji で見どころが色々あるようなのでそれを見ることにして、あと時間が余れば適当に、と思っていた。
一通り大徳寺を見た午後1時ころ北大路ターミナルで食事を済ませ思いついたように京都国立博物館の常設展示でも見ようと206番のバスで南に向かった。
少々距離があるとは思っていたが40分位走るうちに観光客が次々に乗り込みバスはすし詰め状態になってきた。目的地の七條でかき分けるようにして降りようとすると携帯が出てこない。携帯のモバイルスイカでバス・電車にはすべて乗っていたのでこれはまずい、座席に座っていた間にポケットから滑り出たに違いないと思うがすし詰めで後へ戻れない。声をかけてさっきまで座っていた座席辺りを見てもらうが無いという。困っているとスマホを差し出してくれる人がいてこれで電話しろという、好意に感謝しつつ自分の携帯に電話するとややあって近くで呼び出し音がする。気が付けば胸のポケットだ。結構な時間バスを止めていた。どっと冷や汗が出るやら申し訳ないやらで礼もそこそこに慌てて携帯のモバイルスイカをピッとタッチしてバスを降りる。バスに長く乗りすぎて忘れてしまっていたようだ、地震の疲れがここまで残っていたのかもしれない。
なんという迷惑をあんなに大勢の人にかけてしまったのだろうか、と落ち込みながら博物館のゲートに差し掛かる。特別展の切符売り場しか見えないので通常展示の切符は、と尋ねると今は特別展のみしかやっておらず通常展はないとの返事が返ってくる。何ということだ。そもそも国立博物館に来ようとしたのが間違っていたのだ。
更に落ち込んで、もうどこへも行かずに京都駅の待合室で時を過ごそうとすごすごと引き上げる。
思えば通常展で展示している美術品をこの期間各寺社に戻しそれで各寺社の春の特別公開が成り立っているのだと気が付く。京都を見せるルールがきっちり出来ていてそれに乗せられて観光客は京都へ集まる、そうだったのかと思う。
50年前は関西に住んでいても今や全くのよそ者となってしまったなと、どこか疎外感がしてきて、どこへ行ってもよそ者かもしれないという気もしてくる。
ここまでは結構面白かったし刺激を受けた京都旅行も、グレーな気持ちになって九州へ引き上げる。これももしかしたら地震のなせる業なのだろうか、地球から見えない圧力を受けているのだろうか。そうかもしれない、簡単には見逃してくれない。そういう気にもなってくる。
こんなこともある。

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2015年1月14日 (水)

フクシマノート

何かこのところ荒れた天気が続くような気がしている。雨は降らなくても風が強い。この日曜日(11日)は本来は冬型が緩むはずが富山沖の低気圧が発達し引き込まれるように福岡は風が強くなった。というか上層と下層の大気の流れが一致して、上層の優勢な低気圧の縁をKaze150111 巡るジェット気流の下端が地面に及んだ形と見るほうが解りやすい(添付はこの日の午前9時の東経130度線で切った大気の断面図、太い破線の等高線は風速を示すが福岡の真上辺りにジェット気流の中心がある)。昔 渡良瀬遊水地で強い風にさらされた時のような感じを思い起こす、高層の大気パターンが吹きすさぶ強風をもたらしている。

 

この日は博多湾上でセーリングを始めたが10mをやや越える西風となり早々に引き上げとなった。西風では湾外からのうねりの侵入は無く波の高さは湾内で形成されるだけのさほど高くない波で済むものの強風が突風状に吹くのがつらい。

 

荒れた天気は辿っていけば赤道付近の大気が温暖化していることに原因があることには違いないと思えるが更にその原因を全てCO2の増加に押し付けてしまおうとする説には到底納得できない思いがする。余りに単純すぎてそこには幾つもの思惑や欲望が渦巻いているように思えている。勿論原発推進も深く関わっているような気がしている。

 

ともかくハーバーからの早帰りとなって暇が出来る。このところ荒れた天気が多いせいか暇な時間が増えて本を読んだり音楽を聴いたり録りためた映像を見たりすることに多くの時間を使っている。時間の流れが更に遅くなっている気がする。

 

今はフクシマノートという本を読んでいる。著者はミカエル・フェリエという日本在住の現在47才位のフランス人だ。読んでいくとあの東北大震災の記憶がまざまざとよみがえってくる。

 

ひっFukushimanote きりなしの余震、空になったスーパーの棚、ガソリンスタンドの長蛇の列、そして原発の暴走、計画停電という名の突然の停電、信号機が消える・電車が殆ど走らない、テレビ各局は似たような番組ばかり流してコマーシャルもAC機構の暗いものだけが流れる戒厳令のような雰囲気、懐中電灯を照らしながらの暗い食事。東京を訪れても暗い東京は暫く続いていた。とても被災地に支援に行こうとの気持ちまでに切り替わらなかった日々があった、昨日の事のように思い起こされてくる。
著者のフェリエは地震1ヵ月後に被災地を小型トラックで回る。気仙沼の先の避難所まで行ってできる支援を行った後フクシマに向かう。飯館村にも行き、立ち入り禁止の20kmラインぎりぎりを巡る。全てが生々しく、的確なそれでいて文学的な表現でつづられる。東京に戻った後もフクシマ原発の現場で働く人にインタビューも行い独自に本当の姿を求めてこの時起こっていたことをリアルに立体的に文学的に記述し続ける。こんな風にあの震災と原発事故を書いた文を見たことがない。読んでいて自分も現場を見にいくべきだったと思えてくる、フクシマ原発からは100kmも離れていないところで生活していたのだから。
しかしこんなことは自分ではとても出来なかった、少しは落ち着いた震災4ヵ月後に東北を日帰りで回るのが関の山だった、フクシマの現場に近づこうという気にはなれなかった。怖かったというか近づいてはならないと思う気持ちがあった。

 

あの時の恐れは薄れはせよ消し去ることは出来ない。
川内原発は本当に再稼動するのだろうか。これほどまでのリスクに本当に見合うものなのだろうか。

 

核エネルギーの利用は核融合技術の確立まで待つべきなのではないだろうか。核エネルギーは人類が宇宙で永続的に利用できるエネルギー源として唯一のものなのだろうが現在の原発のような核分裂エネルギーの利用の仕方は稚拙な未熟な技術なのではないのだろうか,こんな形態はもう止めるべきなのではなかろうか。最近そういう風に思い始めている。

 

ゆったりとした時間の中で色々なことが少しづつ見え始めてくる感触が心地よくて 幾らでも時間に遊べるような気がしている。荒れた天気も悪くない。

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2013年9月12日 (木)

原発事故についての特別講義

目を片目ずつ手術していて困るのは暫くクルマに乗れなくなってしまったことだ。勿論予想はしていてバスに乗って出かければいいやくらいに思っていた。現実にそうなるとバスで行けるところは知れている、思い付きでは動けない、気になるところへ思いついたら直ぐに出かけるクルマのある生活に慣れきっている自分を感じる。もう40年くらいそんな生活を続けている、そう簡単には変えられない。
テレビを見る時間がどうしても長くなる、この間パソコンをいじりながら放送大学をなんとなく流していたら福島の原発事故についての特別講義が始まった。最初が報道番組風だったのでよくあるドキュメンタリーの解説くらいかと思っていたらそうではない、事故がどういう具合にTanabe5 起こってどこが壊れて行ったか、メルトダウン、水素爆発や各地の放射能の増え方はどう関連付けられるのかを実測に独自の推定や計算を交えて説明してくれる。こんなよく分かる解説は初めてだ。次第に引き込まれていく。講師は田辺という人だ、かなり詳しい。考えてみれば今まで見たテレビの原発事故の解説は公表された事実をテレビ局の責任であたりさわりなく取りまとめたものでこのようなシステム全体の進行を専門家の視点から説明者の責任において読み解かしてくれるものではなかった。放送大学では講師の考えで講義内容を自由に組み立てることができる、確かにこんな形なら思い切ったこともいえる。話は次第に核心に入る、今後どうすべきかというところだ、想定外の事態に対処できるほど原発はハード的にも運用システム的にもできていない、これではだめだ、原発はもうやめるべきだ、としている。正論だ。
原発再開の流れができかかっているところでのこのような主張が公共放送から流されるというのは新鮮なものがある。ヒステリックにあるいは情緒的に動く“反原発村”の声でないところに説得力がある。
放送大学の理事長が4代続いた文部官僚出身から3.11後に現在の元私学学長に代わったこともあるのかもしれない。放送大学は形としては国からの補助が多い私立大学となっている、大学としての自由度は制度的には維持された形となっているようだ。

録画もしていないのでネットで何か出ているかと調べたらもともと5月に放送された講義だった、講義のネット録画が http://vimeo.com/66684623 に残されていて早速ダウンロードした。ネット上では田辺氏の主張には“反原発村”からの批判もあったりして昔の新左翼の内ゲバ風のところが出てきたりもしている。そんな風景はまたかと思わせて嫌になるが、講義そのものは見直してみても立派だ。放送大学という仕組みを見直してしまった。

政治状況や感情に振り回されず事実と向き合う、これが基本なのだろう。こんな冷静な議論が尖閣や竹島や北方四島についてもなされていけば世界はもっと住みやすくなるかもしれない、そんな風にも思っている。

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2012年2月29日 (水)

気分が悪くなるマスコミ

東京電力福島第一原発の事故報告書が民間の委員会から首相に提出された。マスコミはあたかも犯人探しのような取り上げ方から抜け出せない口調であれこれ報道している。気分が悪い。報道機関は戦時中の戦争責任を反省することなく生きながらえている、またかと思わせる。マスコミは原発事故を振り返って自身の反省はないのか、批判がましくとりあげるお前はそのとき何をしていたのだ、やるべきことをやっていればもっと核心に迫れたのではないか。スピードの解析もそんなソフトがあることも勉強していなかった勉強不足に反省はないのか、それをその時取り上げるのがあなたの役目ではなかったのか、のうのうと第3者のような風情で報道する、電波の濫用ではないのか。3号機が激しい爆発を起こした映像はその時点では特定の放送局が映像を独占していた、そんなことは手柄でもなんでもない、直ぐに広く解放すべき映像ではなかったのか、まるで報道管制が引かれているようだった。そのことへの反省もどこからも一言も聞かれない。こんな反省することを知らないマスコミは全員辞めてもいいくらいだ。無責任さに気分が悪くなる。ナベツネとかいう頭のボケた老人が未だにのさばっているようではどうしようもない、とんでもない業界だ。

もっと前を向きたい、正面で捉えたい、しっかり見たい、それだけなのだけれども。

 

 

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2012年1月20日 (金)

こうやって未来は

もはや昨年の年末のことになってしまうが ツイッターを眺めていたら栃木の河川の土壌で放射線が17000ベクレルとある。ちょっとビックリだ。

ここまで来たかと思いつつも元のデータを追っていくと環境庁の計測データだ、栃木の河川敷を幾つか測っているが、所々で相当に高Yukawa い。1位の17000ベクレル/kgは湯川の湯川橋となっている、netの地図で探していくと那須殺生石のところの小さな川の橋だ、観光スポットとなる場所ですぐ下は鹿の湯だ、ちょっとまずい、立ち入りが制限されるのだろうか。

2位の12600ベクレル/kgの場所は箒川の堰場橋となっている、調べると千本松牧場のすぐ西を流れる箒川の橋だ、このあたりはたしかに以前から線度が高いと言われていた。3位の8700ベクレル/kgの場所は大谷川左岸の開進橋とあり、探すと今市のかたくりの湯の1kmくらい上流だ、こんなところが、と思う。Nasusiob

しかしこの1万ベクレルというレベルをどうみればいいのか。放射線を発す る線源の強さということになるが、法的規制で調べていくと放射線を扱う事業者や医療機関が管理区域として外部の人の立ち入りを禁止しなければならないエリアの放射線強さに行き当たる。これが4000ベクレル/m2以上と表面積あたりの数値で決められている。環境庁の計測は表土だから表土は通常5cm程度を取って行われたりするようで深さ5cmと仮定し土の比重は1-1,3位というので緩い値になるよう1として計算すると800ベクレル/kg以上は管理区域にしなければいけないとなる。17000ベクレル/kgでは基準の20倍を超える。とんでもない値だ、県や国はどうする気なのだろうか。いまのところ管理区域が設定された等の話はない、法令違反を国や県が平然と行っていることになる、その説明すらしていない。

もう少し調べると2位の地点から直ぐそばの県営那須野が原公園では那須塩原市議会の調査で最大16.8マイクロシーベルト/hが計測されている、県の施設と言うのに県の動きが非常に鈍いことに(市議会は県に計測する気がないので止むを得ず市民の要請で行った)市民から怒りがでているようだ。もちろん管理基準を大幅に超えていて、法令違反が平然と行われている。子供たちが多く訪れるエリアだけに誰のための自治体か、政府なのか、と疑りたくなる。戦時中の情報隠蔽の大本営発表がまた繰り返されているようだ。思えば日本は自身として戦争責任の追及は行わずじまいだった。戦時中の公によるしてはならない行為の数々が国民の側から追及されずじまいに終っていた、そんな体質が結局はこんな事態を生んでいるのだろうか。国民を馬鹿にしているとしか思えない行政はここから引っくり返さねばならないのだろう。
震災直後の、これを機会に日本もいい方向に転じられるかもしれないという雰囲気はどこかへ消えつつある。
こうやって未来はやってくるのだろう。

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2012年1月12日 (木)

広島と福島

年末広島の原爆ドームを訪れた。九州への旅の途中で宮島泊としたのがきっかけだが、原発事故の放射能もありどうにも気になっていた。広島インターで山陽道を降りてナビに導かれて簡単に到着する、駐車場は近くにいくらもある有料駐車場に停める、要するに町の中心部だ。保存工事がいまも行われGenbakud ている、崩れかけた建物をそのまま保存していくことはかなり難しそうだ。どうしても東日本大震災とそれに続く原発事故と較べてしまう。当然のことだが原爆ドームはキレイだ、これからどうなってしまうのだろうと言う心が虚しくなる空気がここには最早ない、歴史の遺物があるだけだ。しかしこれは人間の故意によるものだ、悪意によるものだ、それが恐ろしい。普通に暮らしていた人間たちがここまでの悲惨な残酷な破壊をやってのける、それを正当化しさえする、それが恐ろしい。東日本大震災の瓦礫とは違う気味の悪さがここにはある、それは未だに嫌な空気を発している。
Genbakd2 平和祈念資料館まで歩いていく、展示されているものはやはり歴史のかけらのようだ、しかし全てが人間の悪意がもたらしたものであるという気味の悪さは次第に見ていくことを辛くしていく。核だから、核兵器だから、という言葉ではないようだ。これは福島とは全く違う、福島原発が広島原爆の130倍の放射能を撒き散らしても、だ。

キレイすぎる遺跡と気分の重さ、複雑な思いで宮島に向かった。広島の町には年の終わりの少しの慌しさが漂っていた。こうやってまた年が過ぎていく。

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2011年12月15日 (木)

ジョウビタキがやっと来て

2日ほど前のことになる、仕事から帰ると家人がジョウビタキ来たわよ、とある。やっと来た、やはりこの寒波のためだろう、寒さを逃れるようにしてやってきたのだろう。ロシアから日本海を一気に渡るらしい、木枯らしでも吹き出さないとなかなか渡る気になれないのだろうか。
今年は生物の異変が気になる。春は花が妙に鮮やかだったし花つきが良かった。花は放射能の影響が直ぐに現れることで知られていて原発の軽微な事故も周辺のオシロイバナの異変で直ぐに解ることはもう40年も前から原発反対の人たちによって指摘されてきた、今年の北関東の花は多かれ少なかれその影響が出ていると思わねばならない。そんなことを思っていたらTORINOにフキの花の異変を示す写真と文があるのが目に入った、藤原新也氏によるものだ。9月発行だから随分見過ごしていたことになる。丹念な取材で福島のいたるところで花の異変が起こっているとあり 捩じれた奇妙なフキの花びら写真が掲載されている、そうだったのかと合点がいく。もっと周りをよく見なくてはならないのだろう。今年の春から夏はAzukinasi あちこちの花がとにかくキレイだった、放射線による活性化ホルミシス効果が起こっていたのだろう、サルが騒がしいのもそのせいかもしれない。人間も老い行く体にはいい刺激となるはずだが細胞が次々に生まれ出てくる子供にはとてもいいとは思えない、しかし影響から逃れることは出来ない。
地球上で得られるエネルギーは風力も太陽光も勿論石油も結局は太陽起源のエネルギーで 更に もとをただせば太陽のエネルギーは核融合だ。太陽は光や熱と共に夥しい量の宇宙放射線を発散している、人間の作り出した放射線なぞかわいいものだというのが宇宙の真実なのだろう、宇宙で得られるエネルギーは結局は放射能から逃れられない、ガタガタいわずに受け入れる、それが宇宙で暮らすと言うことなのだろう。
昨日はまた寒気が一段と流れ込んで カワラヒワが会社の敷地に10羽現れた、シジュウカラもいつになく鳴き合って騒がしい初冬を迎えている。変わり行く自然の姿ー勿論そこには愚かしい仕業とともにある人間の存在も含んでいるがーをただただ眺めるだけでも時を過ごしていく価値が充分にあるように思えてくる、来年はどんな風景が流れていくだろうか。

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