2016年2月10日 (水)

真冬だというのにスズメバチに刺される

数日前の日曜日、予想通り朝からみぞれとなって少し厚めのフリースを羽織っていたら左ひじに激痛が走った、何かいる、何かがフリースの中に潜んでいて腕を刺している、驚いてフリースの上からつまむと蜂のようだ。大きい。とにかくフリースを脱いで蜂を捕まえる。スズメバチのようだが見かけない赤っぽい姿をしている。
急いでipadで処置法を調べる。
水でよく洗って毒液をできるだけつまみ出せとある。そのようにして虫刺され軟膏やアロエを塗り付けてみるが次第に腫れてくるし痛みが増してくる。これはまずいと、まずは何の蜂だろうとざっと調べるとツマアカスズメバチというのがよく似ている、中国韓国で増えていて北九州に侵入しようとしている所のようだ。なんでこんな蜂がフリースの袖の中に潜んでいたのか訳が分からないが、ネットで調べてもとにかく医者の診察を受けよとある、日曜だしと思うが日赤に電話で相談するとすぐ来てくださいと言ってくれる。
クルマで行くのはちょっと危ないのでタクシーを呼ぶ。慌てふためいてとにかく駆けつけるとタクシーの中で携帯メール着信が鳴る。何かと思えば北朝鮮ミサイル発射の緊急情報だ、なんという日だろうか。
腕の痛みはつらさを増してくる、相当の毒のようだ。
スズメバチに刺されてショック状態なるというのを時々聞くが,アナフィラキシーショックという文字がipadに出ていた。これは初めて刺された時は問題ないとあったので今回は大丈夫そうだが、2回目になると抗体の作用で30分以内に血圧低下をはじめとするショック状態が引き起こされることがあり、死に至ることもあるというから物騒だ。
待合場所ですぐに看護婦さんから状況の聴取と血圧・体温の計測がある。特にショック状態は認められない160207suzumebachi2ので緊急性はないとの判断か医師の診察までのんびり待ち塗り薬と飲み薬をもらって帰宅する。大したことにはならなくて対症療法で済むということのようだ。痛みも次 第に和らいできた。

しかしなんでフリースの中にスズメバチがいたのか。秋の終わりに洗濯して屋外に干していた時に潜り込んだとしか考えようがない。スズメバチで越冬するものは冬眠に近い状態で寝ているようで、いわばフリースを冬眠場所として潜り込んだということなのだろう。
それにしても変な蜂だ、赤っぽいのでツマアカスズメバチかとも思ったが写160207suzumebachi4真に撮って細かくネット情報と照合してみると足の色が違うようで、これではないようだ。キイロスズメバチの女王蜂かもしれないと今では思っている。
区役所や保険所は電話しても蜂そのものにはあまり興味が無いようでこれ以上調べるのが難しい。

刺された跡は腫れが引くとあとかたもなく元に戻りその時の驚きと不安の記憶もあっさりと薄れていく。

また平穏な日常が流れていく。北朝鮮のミサイル騒ぎと何だか似ていると思えてくる。もう一度刺される時が危ない、危機160207suzumebachi6 が平常の中に内包されている雰囲気がどこか不気味だ。

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2015年3月17日 (火)

救命救助講習を受ける

3月のはじめ、ヨットハーバーで救命救助講習会というのがあり受けてきた。以前から受けたかったものの一つでいざという時にどうすればよいのかAEDはどう使うのか気になっていた。
消防の人とボランティアの人合わせて5-6人が来て10人前後のグループに分かれ人形を使って練習する。
人工呼吸は経口で行うが未知の人に行う場合感染症の危険があり救急用マスクは必須という。マスクがなければ心臓マッサージのみとすべきとも説明を受ける。
あれっと思う、今はこうなのかと認識を新たにする、後で調べてみるとまれにだが感染のケースが実際に起こっているようだ。複雑な世の中になってきている。
人工呼吸中に嘔吐したりすることは結構あるらしく知っている人相手でも注意したほうがいいと説明される。そうはいっても救急用マスクをいつも持っているというのも難しい。とにかく心Qq 臓マッサージして脳に血を回すことがまずは大事ということのようだ。
AEDを取ってきてもらいながら心臓マッサージを続け、AED装着・作動の時だけ手を休めるということになる、結構疲れる。練習では100回のマッサージをシナリオを変えて3回行った。これくらいやればとっさのときでも手が動こうというものだろうが疲れる。
AEDの操作そのものは仕組まれた声によるガイドに従っていけばいいので慌てず行えば難しいことはない。意識の無いこと、呼吸が殆ど無いことを確認して直ぐにパッドを貼り付けて動作させればいい。

 

3時間かけた期待通りの講習だった。このところこんな風にみっちり何かを体で学ぶということが無かったようにも思う。何にせよ学ぶことは気持ちがいい。

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2014年10月20日 (月)

足に肉離れが起こって

9月末に水泳をしていて痛めた足がまだ治りきらない、もう3週間になる。

いつものようにプールで最後の25mを全力で平泳ぎしている最中に膝近くの腱のどこかが切れたように右足が動かせなくなった。なんとか左足だけの平泳ぎでプールの縁まで辿り着いて水から上がりクルマで家に戻るがアクセルを踏むのも痛い。
自宅でエアサロンパスや湿布を試みたが右足は殆ど動かせない状態は続く。歩くのもままならずとてもクルマの運転はできない有様となって 翌朝近くの整形外科に家人にクルマで運んでもらう。情けない姿だ。
肉離れのようなものだとの診断で湿布と痛み止めをくれて3週間くらいは治るのにかかる、とある。自然治癒に頼るほか無いようだ。
医者ではくれないのでキネシオテープをネットで買ってテーピングも施してみているがこれがなかなかいい。

暫くは家の中で過ごすしかないと飲み会の予定や予報士会の会合出席を次々にキャンセルする。山歩きやヨットなどはここ当分出来そうにない。
退屈なので伸びきった松の剪定をしたり久し振りにギターを取り出して弾いたりしているとこれもやり過ぎになったのか右手が少しおかしくなってしまう、歳を取るとはこういうことかと今更ながら思わせられる。

10月の一つ目の台風が過ぎて短い散歩くらいなら動けるようになったこともありすぐ近くの中公園まで出かけてみる、最近またカワセミが現れるようになっていた。
ゆっくり林の中を歩いているとジョウビタキのようだがジョウビタキより大分綺麗な小鳥がひらひらと現れる。ムギマキのようだ、台風がもたらしてくれたのだろうか。この間強い西風の吹いた日にはカササギが2羽散歩コースに現れた、ここらでは初めてだ。強い風が吹いたあとの鳥は面白い。
そのうちカワセミも姿を見せる。どうもこの池の近くの斜面にでもネグラがあるようだ、夕方のほうがよく見かける。

10日くらい経ってクルマの運転も短い距離なら出来そうになってきて切符を買ってあったオペラ“ポッペーアの戴冠”をクルマで観にいく。恐る恐るだが少しずつ行動半径が広まるのがうれしい。
Daisyakusg 2日前は今津に鳥を見に行った。ダイシャクシギを見たりアオアシシギの声や姿を楽しんだりだいぶ動けるようになってきた、しかし山歩きはまだまだ無理な感触だ。今年の紅葉見物は耶馬溪のあたりを歩き回ってみたかったが近場の庭園くらいが関の山のようだ、残念だ。

もうずいぶん前から起こったことは何でも全て受け入れることにしている。足の肉離れも時間がゆっくり過ぎるようになって見えなかったものがほんの少し見えるようになったようにも思う、それはそれでいいこともなくはない。人間は緩急緩を繰り返すように仕向けられているのではないか、そうも思える、受け入れるべきことなのだろう。

朝は冷え込みが気になるようになり秋は深まりを見せている。この秋は思索の秋となりそうだ

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2014年2月 3日 (月)

ジョンハンター

ジョンハンターという人の生涯を記した本をなんとはなしに図書館から借りてきて読み始めたが、次第にひきこまれていく、『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』という本だ。18世紀イギリスの解剖外科医の話だが、西欧の医学もこんなものだったかと改めて認識させる。日本では杉田玄白らが刑場の腑分けに立ち会ってオランダ医学書ターフェルアナトミアの翻訳を始め日本の蘭学をスタートしたまさにその時期にあたる。
当時英国では(恐らく西欧の一般的状況として)解剖に基ずく理解はあったものの内科医の治療は古代ギリシアから殆ど進んでおらず瀉血と怪しげな投薬を柱とする治療で実効は疑われる時代にあった。外科医は床屋と同列で内科医の一段下で瀉血の実施や足の切断等を担当しており科学的医療とは遠い世界にあった。ただ人体の仕組みを追求する努力は進められており、墓を掘り返して盗んででも死体を集め解剖が盛んに行われていた。そんな時代に、人体解剖に異様なほどに深くのめり込み人体の仕組みに従う外科的治療法を科学的に確立して行ったのがジョンハンターだった。彼は動物の解剖も広く行いダーウィンの進化論以前に生物が進化するという概念を解剖学的に掴んだとも言われる。時代の先を走る人は常に異端として排斥される。彼も執拗な攻撃に晒されたようだ。
明治維新は西欧の産業革命や科学技術の進歩がこのままでは世界において行かれてしまうと日本人に危機的に思わせるほどにまでなった時に引き起こされたと見るべきかもしれない、そんな意味ではこのジョンハンターも明治維新に至る長い長い導火線に火をつけた一人ともいうことができよう。
時代をジャンプさせるのはまさにピッタリのタイミングで出現し異常とも言える力を発揮する個人でしかない、こんな例を見る度に思わされる。
フランス大革命の四年後、ジョンハンターは65歳の生涯を閉じる。時代は動乱の時代に突入していた。

こんな人がいたとは全く知らなかった。未だに知らないことに毎日のように行き当たる。世界はどこまで広がっているのかと追いかけながら時間は尽きて行くのだろうか。知らないことで満ちていることそのものがエネルギーかもしれない。空虚の中に膨大なエネルギーがあるというのが宇宙の始まりと同じようで 考えを遊ばせて行くと こんな風に宇宙と一体の自分を感じてしまうのも面白い。

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2013年9月18日 (水)

福岡で秋のタカの渡りを見る

白内障の手術は左目も終わりとりあえずのメガネも作って世の中が何十年か振りにはっきり見えるようになった。車を運転していると随分遠くの看板が分かる、何か分かりすぎて刺激が多すぎるようにも思える。目が良く見えるということは善し悪しのような気もする。
Hachikumax1 秋のタカの渡りが始まって近くの油山の片江展望台に出かけた。昨日は良く晴れて天気が安定してきたこともある。ここはサシバは殆どなくて主にハチクマだ。白樺峠や伊良湖岬を抜けていくサシバの大群はこことは違うルートを通るようだ。少し調べてみると四国から宮崎-鹿児Sasibax1 島-南西諸島へと抜けていくらしい、サシバはここを通るルートは全くといって使っていないようで不思議だ。福岡辺りにも夏を過ごすサシバは少しはいるはずだからこれはどういう風に渡っているのだろうか、やはり鹿児島へ向って南下するのだろうか。
それにしてもサシバとハチクマのルートがこうもはっきり分かれてしまうのは何故だろう、ハチクマはなるだけ好物のハチがいる陸地上空を長く飛びたいということだろうか、サシバは飛翔力から島伝いしか渡れないということだろうか、良くわからない。
ともかく昨日片江展望台でみているとまばらにハチクマが現れる。2時間ぐらい居て5羽しか見れなかった、午後3時前に引き上げたがそこまででこの日の集計はハチクマ36羽だった、どうもここは秋は数がまとまらないようだ。ハチクマだから土台そんなものなのだろう。

手術して鳥も良く見えるようになった。遠いとカラスとタカが見分けにくいように感じていたのがすぐに区別できる。鳥を見るには随分と気持ちよくなった。
Inuwasi 後で渡り鳥のコースを調べていたら今年1月に環境庁から出された「鳥類等に関する風力発電施設適正化のための手引き」という文書がいいデータを提供していることが分かった。ハチクマ、サシバの春、秋の渡りルート実測やイヌワシ、クマタカの生息分布の図も出ている。イヌワシは九州にはくじゅう山系にいるようだ。小鳥の渡りの調査もある、気象庁のウィンドプロファイラーのレーダーで捕まえられていて夜間に渡りが集中していることも示されている。

それにしても 脚光を浴びる代替エネルギーの風力発電にかこつけて細かい渡りのデータ取得にそれなりのやや手厚い予算が出ていること自体が面白い。こういうことでもないと鳥の調査には大した予算は出ないのだろう。予算投入の効果が金銭的に勘定できる活動に関わらない限り予算は厳しく査定されるようだ。それがいいことなのかどうかわからない。こんなこと全体が何かのバロメータになっている気がする、時代の切り口そのものだ、面白い。

油山でタカの渡りを見ていると時々オオタカやミサゴも現れる。よく晴れ渡った秋の日に見晴らしの良い高台で時間を過ごすことそのものが心地よい、タカが出ても出なくても秋の鳥見はタカ見に限る。

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2013年9月 8日 (日)

白内障を手術する

時間に余裕ができると何故か病院との付き合いが増えてくる。今度は白内障だ。

もう5-6年前から近視がまた進み始めて毎年メガネを変えねば車の運転にも差し障る状態になっていた。水晶体の歪が大きくかつ一様でなくなったためか、ついにはどこのメガネ屋も あなたの眼鏡は作れない、医者の処方箋をもらってくれば作る というまでになっていた。去 年の免許書き換えでは1週間前に独協医大で詳細に処方してもらって作ったメガネでかろう じて規定の両眼で0.7をクリアした、片眼ではそれぞれ0.6だから本当にギリギリセーフだ。医者は白内Megane障だという。次の免許更新はもう無理だろうし野鳥を目で探すにも人頼みの状態でとにかく手術が必要という時期に来ていた。視野が暗くなっているとは感じなかったが視力が衰える一方だった。

九州に引越した後も出かけたり人が来たりでざわついていたがやっと落ち着いてきたので近くの白内障手術が看板の目医者に診てもらって手術することにした。3日前の木曜にまずは右目を手術した。正味15分からせいぜい20分の手術だから大したことはないはずだが、なにせ目だ。目を見開き続けて目にメスを入れられるというのはどう考えても気持ちがよくないし、局部麻酔も完全ではないだろう。湧き上がる不安を、だれでもやっているじゃないか、と押しつぶして手術用の椅子に座る。まぶたはあけた状態で器具のようなもので固定される。水やら薬やら分からぬ液体がかけ続けられ手術用の光をSousicyou正面から当てられる、結構まぶしいが何しろ閉じられない、我慢するほか無い。目の上のほうを少し切るはずで下を向いてくださいとの声で目線を下にやり続ける。勿論顔は動かせない。このあと機械の音がして目が圧迫されるような鈍痛を感じる、不快感が募るが我慢するほか無いと言い聞かせる、水晶体を砕いて吸い出す工程を進めているようだ。気持ちの良くない痛みがある。こんな不快感と緊張を20分も続けられるだろうかと思ってしまうがどうしようもない。やっとの思いで機械は終わり眼内レンズを入れる工程に入ったようだ、突然見えがよくなる。位置を合わせているようで細かくいじっている、もう勘弁と思う頃、ハイ終わりですとの声がかかる。ホッとする。顔にかけられた覆いが外されていき大きな眼帯が貼り付けられる。手術室を手を引かれて歩いて出るが出口に次の人が待っている、流れ作業のように次々に手術を行っている。これは手際が良くなるはずだ。休む間もなく戻った待合室で薬の説明があって病院を後にする。

当日は異物感やら何やら変な感じが残っていて何しろ片目状態だからおとなしく家のソファで穏やかなクラッシックのCDを聞き続ける、それくらいしかやれることが無い。寝る前に痛み止めを飲んで翌朝目が覚めると前日の異物感は消えて大丈夫そうな気がしてくる。9時の開院にあわせるように診察に出かけたがもう患者が何人もいる。暫く待っていると看護婦さんが待合室で眼帯を外してくれる、あっさりだ。

右目を開くと何か明るい。手術をまだしていない左目と較べて色も白っぽい。やや慣れてくると左目が何か緑がかったように暗くなっていたのだと分かる。気がつかなかったがやはり白内障は普通に進んでいたと納得する。弱い近視となる眼内レンズを入れたので遠くがくっきり見えるということは無いが明らかに視力が良くなっている。近くを見るのも不都合ない。

検査するとこれでメガネで補正すれば1.2近くなるようだ。まずはメデタシだがまだ左目の手術がある、これを終えてメガネを作り直してやっと運転ができる。まだしばらくはどこへ行くにも不自由だ。今の眼鏡の右だけを弱い度数のレンズに変えれば今の状態でも運転は可能かもしれないと近くの眼鏡屋に出かけて仮の組み合わせを作ってもらって見て見るが右左の色の違いがどうしようもなくて一つの像に結像できない、眼鏡なしの方がなんぼかましだ、簡単ではない。片目だけレンズを換えた眼鏡では役に立たないと解ってあきらめる。あと2週間くらいは我慢して家でごろごろするほかないようだ。水泳や 海に落ちることが前提のヨットは水による感染症を避けるため1ヶ月は控えてほしいともあり、これは運動不足になりそうだ。我慢しなければならないことが多いがどうしようもない。

ともかく日帰り手術で随分と見え方が良くなった。人類はそのうちサイボーグのようにくたびれた部品を変えながら生き延びることになるだろうと思っていたが目についてはもはやその時代に来ているようだ。

ほんの数百年もすればサイボーグ化は体の隅々まで行き渡り飛躍的に人類の寿命は延びることになるのかもしれない。長く生きることが本当に幸せなのだろうかということになるのかもしれない。そこまではまだ程遠い単純な時代に生きていることが考えてみれば幸せなようにも思えてくる。目の前の今を十分に楽しむ、それが一番なのだろう。

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