2021年の2020東京オリパラが終わって20日くらいたった。未だに分からない感じがあるのは開催反対の声が7-80%くらいあったという事前の世論調査だ。誘導的な設問があったにせよ、きわめて大きな数字だ。どうせ直接は見れない地方にいる自分の周りではそのような強い声はあまり聞かなかったように思う、恐らく東京の話でしかない、ということだろうか。あるいはそのような声を先導している者がいたということだろうか。楽天の三木谷の様な知名人が反対したというのもあるのだろうか。しかし三木谷のそんな発言を読んだ時はこんなこというのはどうかと思った、J1リーグにもプロ野球にも自分のチームをかかえながらJ1、プロ野球の中止という声は発せずに頑なにオリンピックにだけ反対するというのは何か別の損得勘定があってのことなのだろうか、そのようにしか見えなかった。オリンピックでJ1やプロ野球が注目されなくなるのがいやだということだろうか。或いは朝日新聞は社説でオリンピック開催反対を主張していたが、朝日主催の高校野球を取りやめようとはしない。オリンピック開催で高校野球の影が薄くなるのが実は反対の根っこにあるのだろうか、勘ぐってしまう。利害関係者が中立のような顔をして意見を述べそれが世論を誘導するというのは見ていて胸糞が悪くなる。兎に角変な声があちこちにあった、こんな変な声が多くの人のぼんやりとした疑問を明確な反対へ後押ししたのではなかろうか。結果的には懸念されたオリンピック関係者から広がる感染爆発(主に海外メディアの懸念だった)は起こらなかった。
一方で実行サイドの対応にも、あれ、というところがある。徹底したPCR検査を選手・関係者に対し毎日のように行なっていたというあたりだ。これまではPCR検査を予防的に広く行うというやり方は全くというほど政府の行動としては排除されていたように思う。恐らく厚生労働省サイドを主導する医療関係者のPCR検査に対する不信感(6-7割位しか信頼性が無いという)がそうさせていたように見える(例えばチームの中心にいた押谷氏の発言@newsweekインタビュー)。ところがオリンピックでは手のひらを返したような検査密度だ、国際的感覚がここにあって、これをIOC側から指摘されたということだろうか、解らない、なーんだできるんじゃないか、そう思ってしまった。
普通に思えばオリンピックは選手のための大会だ、4年に一度しかない大会のメダルは選手寿命の中で大きな比重を占めているだろう、何とかやってあげたいという気持ちがあるのが当たり前のように思う。しかし、これが表に出にくかったマスコミの状況が大会前にあった、少し異常だったように思う。戦前の軍国主義が大手を振っていた時代もこんなのと同じではないのか、マスコミがあおった軍国主義と同じように、操られるようにしてオリンピック反対の世論がヒステリックに形成されていった、この過程は落ち着いて検証さるべき事態のような気がしてならない。また別の形で繰り返されるのではなかろうか。
コロナの時代は非日常の連続の様な気がしている。その意味では眺めているだけできわめて興味深い時代というほかないようにも思っている。
それにしてもこのオリンピックは最初福岡へ誘致するという話があった、もしそれが実現していたら、どんな展開になっていただろうか。未来はとても見通せないことで満たされている、つくづくそうも思ってしまう。