サンフランシスコの夏が涼しいのが少し気になって
例年になく涼しいところもある、それが地球の現実なのだろう。決められたシナリオで報道したがるのがマスコミだ、マスコミに煽られないクールな生き方が肝要なような気がしている。
例年になく涼しいところもある、それが地球の現実なのだろう。決められたシナリオで報道したがるのがマスコミだ、マスコミに煽られないクールな生き方が肝要なような気がしている。
壱岐へのツアー2日目、天気は結局大丈夫そうだ。石田町の宿から起き掛けに浜まで散歩する。ウグイスがこれでもかというくらい鳴いている、姿を見せたままのも結構いて、中には換羽前なのかボロボロの羽で鳴い ているのもいる。浜ではミサゴがゆったり飛んだり鴨が忙しく行き来したりもしている、マガモではなさそうだが種類はよくわからない。いい浜だ。
今日は原の辻遺跡から回る。NPO法人のガイドが非常によく知っていて、テキパキと次々に説明していく。ツアーならではだ。遺跡は一支国博物館の下に広がる平野にあり弥生時代の遺物が多く出土している。発掘調査後遺跡は埋め戻されてその上に復元建造物が色々建てられている。階段や木組みの一部も当 時のものが出土していて復元は現在得られる情報を最大限に利用しているようだ、根拠のある復元ということができる。まだ発掘は20%くらいという。魏志倭人伝時代の2000年前頃に王都が拡がっていたこの平野(長崎県で2番目に大きい平野という)の多くの地点が発掘対象となっているようだ。入江が多く漁業に適した島だが水田も広く農業も盛んで豊かな国のイメージが湧く。一方で後世の2度の元寇の時には島の大半が殺戮破壊されてしまったようで、 国境の島の厳しさも感じる。
次は松永安左エ門記念館だ。何?という感じがなくもないが壱岐出身の電力界の大物で福岡市立博物館にも氏が寄贈したコレクションの展示ルームが設けられている。館長が詳しく説明してくれる。松永は思っていたよりずっと広範に電力及び電気輸送事業分野の中枢で活躍しており、福岡市の路面電車事業を皮切りに、雨後の竹の子状態だった九州の電力事業をまとめていき、戦後には全国の電力を主導する立場にもなっている。西鉄が天神をターミナルとして大牟田まで伸びたのも松永の執念だったようだ。松永に付けられた電力の鬼という呼び名は、戦後国内の電力インフラが貧弱な状態にあった際設備投資資金を得るため全国電力料金の70%値上げを敢行して付けられた鬼のように値上げするという形容詞だったというがいつの間にか鬼神のようなイメージに変わっていった気もする。こ んなに大 きな役割を果たした人とは知らなかった。
次はお土産屋を経て月読神社にいく。全国の月読神社の本宮(もとみや)という。日本書紀にも関連した記述のある非常に古くからある神社のようだが現在の社殿は少々貧相なものだ。漂う歴史だけを感じる。
壱岐には古墳も多く、その一つ掛木古墳(西暦600年前後のものと推定されている)を見に行く。円墳で石室周りには大きくて立派な石が使われている、恐らく島に豊富な玄武岩を使ったのだろう、石棺も残されている。豊かな豪族が支配していた時代が偲ばれる。
国民宿舎で昼食、終わるころまた次の団体が昼食に到着してくる、補助金が出るようになったこともあり壱岐旅行は人気のようだがこんな調子ではまたコロナがぶり返すかもしれない。
西の半島部の先端にある黒崎砲台跡と猿岩を見に行く。砲台は対馬海峡の守りに戦前建設されたもので現在は円形の穴があるだけだった。それでも歴史の一部となってきている戦史遺跡としてちょっと見応えがある、またいつか別の形でこんな用途ものを作らねばならなくなる時代が来るかもしれない、感じるものがある。
砲台近くに、壱岐では最も有名な景観となっている猿岩があ る。写真では大したインパクトを感じなかったが現物を見ると違う、その立体感が素晴らしく猿に似ている、眉のあたりなど自然にできたとは思えないほどだ。しかしバスで少し進んだ地点から眺めると猿はどこにも見えない、岩の重なりで丁度そのように見えるポイントがあ るだけということのようだ。誰かがそのポイントを発見したのだろうがその人がエライ。
少し南側の半島部に移動して鬼の足跡といわれる景観を見る。海食崖の一種ということになるが、それを含む広々とした海の眺めがいい。やはり壱岐は海がいいようだ。最後に壱岐最高峰(213m)の岳の辻の展望台を訪れる。 テレビアンテナや電波塔が林立しているが、島全体を見渡せる、田んぼも多く改めて自給自足で暮らしていける丁度いい大きさの島というものを感じる。
帰りはジェットフォイル「ヴィーナス2」で1時間10分で博多港へ帰りつく。フェリーの半分の時間だ。このジェットフォイルはボーイング製で、もうボーイングとしてはこの事業から手を引いているが未だに堅実に運用されている。KHIがボーイングからライセンス製造の権利を得て15隻くらい製造したようだが(壱岐航路のもう一つのジェットフォイル「ヴィーナス」はKHI製)現在は主に維持整備支援を行っているのだろう。走航中はシートベルト着用で動けないのはちょっとつらい。外の景色は窓側の席の人しか見えない、航空機でもシートベルト着用サインは巡行中は消えるがこちらはそんなことはない、ずっとだ。まあ早いから我慢するのだろう。
目まぐるしい壱岐の旅を終え博多港の駐車場からクルマを出して夕食に向かう。壱岐は思いのほか多相な歴史を抱えているようでもあった、学ぶことだらけだ。こんな旅もたまにはいい、しかしちょっと疲れた。
写真は順に、朝の大浜、原の辻遺跡、松永安左エ門記念館の自筆掛け軸、月読神社、掛木古墳、黒崎砲台跡、猿岩、鬼の足跡、岳の辻の展望台
連休の大授搦は混んでそうで行きそびれて潮位の高い時期を逸してしまったが、やはり気になって2日前の満潮に合わせて見に行った。12時半ごろが満潮で潮位は4.3m位ある見込みだ、通常5m位で丁度柵のあたりまで満ちてくるのでこれで は70cmも低い、海岸線は相当に後退していることを覚悟しなくてはならない。でも大授搦だ、行けば何かは居るだろう、そんな期待があった。
満潮時刻が遅いのでゆっくり10時位に出かける、土曜で道は混んでいるものの何とか12時頃にたどり着く。海岸線が遥か彼方で解らないくらいの一面の干潟だが(写真右)少し遠くにシギが何かいる。左手のほうがちょっといいようで、普段とは逆の空港よりのほうで見る。パラパラいるのはスコープでみるとチュウシャクシギ(写真最後)のようだ。ハマシギの様な群れの飛行も遠くにあるが眺めているうちにどこかへ行ってしまった。チュウシャクシギ主体というのはこの時期ならではのようだ。見ていくとオオソリハシシギもいる、あとはムナグロ(ダイゼンかと思ったが羽が僅かに茶色を帯びているのでムナグロ)(写真左下)、ダイサギ、アオサギくらいだ。チュウシャクシギもオオソリハシシギも赤道付近から北極圏に至る長大な春、秋の渡りの途中にこ の辺りに寄るようだ。干潟は広いし食べ物はあるし安全だし、いい中継地なのだろう。暫く見ているともういいか、という気分になってビジターセンターでコーヒー飲んで帰る。鳥は多くはないがまずまずだ、とにかく海の眺めは気分がいい。しかしあまり歩いてはいないのだけれども何だか疲れた。弱まっている体力を紫外線の強い日差しがたやすく奪ってしまうのだろうか。
できる時にやれることをやっておかねば、そればかりを思う日々が続く。
コロナはちょっと落ち着いてきた感があって、博多どんたくも今年は再開された、3年振りだ。しかし、やっぱり人ごみになりそうでどんたくを見るのは止めにすることにした。そのかわりにと図ったわけでもないが、JR九州のクイーンビートルを用いた博多湾サンセットクルーズに乗ってみた。そもそもは、このクルーズに300人が当たる無料招待募集が市政だよりにあったのでそれに応募してみていたが、外れました、しかし外れでも半額で乗れるというはがきが帰ってきて、これに乗ってみることに したという次第だ。クイーンビートルという船はJR九州が釜山との連絡船として2020年に導入した新鋭の高速船だったがコロナで当座の活躍の場を失ってこんな使い方で凌いでいるということのようだ。知床事故の遊覧船とは比べ物にならない立派な船だ。港まではバスが楽なので家の近くから博多港国際ターミナルに向かう直行のバスに乗って出かけた。福岡市中心街を通っていくがどんたくで矢張り人出が多いのが車窓から見える。
16時15分乗船開始17時出航でバスを降りて手続きをしすぐ乗船する。サ ンセットディナークルーズと称していたように記憶していて食事が出るものと思っていたら、カウンターで無料ビールが一杯あるだけで食べ物はおつまみの様な軽食を買うようになっているだけだった。しょうがない。とにかく混んでないので適当に座る。揚げ物やサンドイッチでそれなりに腹ごしらえしながら窓から海の景色を見るが甲板へ出れないような雰囲気だ。試しに近くにいた船の人に聞いてみると後部甲板には出られる、という。聞いてみるものだ。教えられた後部のスロープを上がり階段で1階分上がるとそれらしいところに出る。椅子が並んだ小ぶりの船室の先が甲板に出る出入り口になっている。風が強いところでは後部甲板だけだが緩くなると横の甲板にも出れる。晴れていて基本的に風は弱く、気持ちがよくてここばかりにいることにする。船は博多湾を出て糸島沖を通って芥屋の大門で折り返す。玄海島、机島のあたりにはカンムリウミスズメが生息しているはずで見れるかもしれないとほのかに期待して目を凝らし ていたがそんなものはどこにも見えない。難しい。糸島の二見ヶ浦を海側から眺めたりしていると海鳥が群れている、少し遠いがどうやらオオミズナギドリのようだ。なんとなくオオミズナギドリは東の方の鳥のように思っていたが、飛翔力もありここらにいても何の不思議もない。出航後1時間くらいで芥屋の大門海域にくる、以前遊覧船で見たように記憶していたが、この少し沖のルートで見ると印象が違う、奇妙な岩礁のように思えてしまう。それ程の感動もなくてUターンして同じコースを戻っていく。またオオミズナギドリの群れを見たり島々の様を見たりしていると時はするすると過ぎて行く。日没はこの日は19時3分でほぼ着岸時だが、戻るにつれ沈みつつある夕日が博多湾の先に見えてなかなか綺麗だ。家族連れだったり女性二人組だったり、壮年や熟年夫婦だったり 色々な人が密にもならずぼんやり眺めている光景がいい。
予定通り19時頃着岸してまたバスで戻るがせっかくだからと福岡市ではここだけに走っている2連バスに乗って天神まで行く。ちょっと食べ足りない分を地下街のラーメンで補ってまたバスでのんびり家路に向かう。
こんな過ごし方がこの年になると5月の連休としては一番いいような気がしている。いつまでこんなふうな時間が使えるだろうか、先のことは考えずに今の瞬間を楽しむほかないのだろう,そうまた思ってしまう。
オリンピックが始まって、テレビばかり見る日々が続く。世界屈指のアスリート達の本気の勝負は大抵の番組より遥かに面白い。
しかし、時には少し外さないときつい気がする。そんなのもあって、開会式の2日前の21日から競技が始まって6日目の27日にアクロスのランチタイムコンサートに出かけた。ダニエル・ゲーデというバイオリン奏者の演奏会だ。ダニエル・ゲーデという名は全く知らないままに、良さそうな予感がして出かけたのだが、予想通りというか、かなり良かった。
曲は
C.ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 op.78「雨の歌」
C.フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
J.マスネ:タイスの瞑想曲
F.クライスラー:
美しきロスマリン op.55-4
愛の悲しみ
ウィーン小行進曲
アンコール曲 : A.S.アレンスキー:セレナード ト長調 op.30-2
伴奏ピアノは大須賀恵里だ。
コンサートの出だしでは伴奏ピアノの音が大きい気がしたが暫く聞くとそのピアノの中から細く鋭くもクリアーな音が突き抜けてくる様がよく思えてくる。ゲーデの希望で伴奏が大きいのかもしれない。音のバランスといい音色と言い、えもいわれず素晴らしく、音楽そのものがよく響いてくるとしかいいようがない。近年になくいいコンサートだった。フランクのバイオリンソナタが特に心に残った。
戻って改めて経歴を見ると1966年ハンブルグ生まれ、若くしてウイーンフィルのコンサートマスターを暫くつとめたりもして世界的に活動している。相当な経歴だ、何やら合点がいく。日本語の自身のホームページも持っていてかなりの親日家のようでもある。神戸や東日本大震災に際しては来日してチャリティコンサートを何度も開いていたようだ。
コロナとオリンピックで閉じこもってばかりの生活からふうーと息が抜けた。
しかしこのオリンピックはやっぱりやって良かったと感じている。日々新しい驚きに出会う。感慨もある。昨夜はセーリング競技の有様をやっと見れるサイトに行きついた。470級女子の第3レースを全部見てみたがまるでアメリカズカップ中継のようにヘリも飛ばして今どの艇がどの順番に走っているか分かるように映像で追ってくれる、素晴らしい、ヨットレースは海岸から眺めたのではとても解らない。日本チームがトップを走るレグもあ ったりして世界のトップクラスのセーラーと互角の勝負を戦っている模様が伝わってくる。TVで放送されないのが残念だ。見ていると数年前にやめてしまったヨットクラブでのレースを思い返してしまう。スタート前の場所取りなどやっていることはレベルが違えど同じように思える。やっぱり海は好きだ。
寝不足の日々が続いていく。オリンピックが終わったら何をしようか。
奄美の旅 2日目
この日は滞在する4日間のうちで最も雨が降りにくい日と予想していたので、前回行けなかった湯湾岳周辺の昼間の野鳥を見てみようということ にした。
朝は食事が8時からなので、昨日遅かったとはいえ6時頃には目が覚めてしまって宿の前にある浜辺をぶらぶらする。山の方からアカショウビンの声が盛んにしてくるし、宿に居付いているイソヒヨドも元気に声を出している。鳥がにぎやかだ。宿の山側の方 へ少し歩いてみるが、道があまりよくないしハブでも出てきたらと気になって集落の中を歩き回ってみる。
ガイドブックにフクギの並木というのが出ていてどこだ ろうと見ると集落のあちこちにフクギで守られた路地がある、このことらしい。敷地境界を示し 火災延焼防止用にに植えられたフクギが今は目にも優しい並木となっている。ヒルギが大きな木になったような植物で如何にも南国らしい雰囲気がある。集落の中を散歩するのも楽しい。
朝食後一休みして湯湾岳へ出かける。昨晩のナイトツアーで大体の道の感じは解るが夜と昼ではまた違う。緊迫感がないが気楽だ。ヒカゲヘゴが目に付き だしたあたりでクルマを止めて赤ひげのコーラスやアカショウビンの鳴 き交わしを録音する。
路上には兎の糞がごっそりある、クロウサギのものだろう。そのうちアカショウビンが音もなく道路を横切る。いいところだ。
マテリヤの滝の場所まで行って昨夜はよく見れなかった滝を見に行く。遊歩道は板張りでハブは大丈夫そうだ。カワトンボのようなトンボがひらひら飛んでくる。後で調べるとリュウキュウハグロトンボのようだ。これも琉球列島の固有種だ。生き物すべてが珍しい気がする。 ここで一眼レフ のSDカードが一杯となっているのに気づく、残り枚数をチェックするのを怠って出てきてしまって、おまけに予備カードは宿に忘れてきてしまっている、あとはコンパクトカメラに頼るしかない。まあしようがない。一応映像は何かしら残せる。それにしても起こってほしくないことは嫌な時に起こりがちだ、旅らしい。
所々で止まって録音したりしながらフォレストポリスのキャンプ場を経由して湯湾岳の登りにか かる。突然頭上すぐそばでサンコウチョウの声が響き慌てて車を止めるがもうどこかへ飛び去っている。どこへ行ってもなかなかサンコウチョウの姿は見るのは難しい。西表島でも見れなかった覚えがある。
途中道は舗装はあるものの細くて荒れていてその上所々で路肩が崩れている。
白い棒とロープで危険箇所がわかるようにしてはあるが、止まってよく見ると舗装の下までえぐれが広がっているところがあり、これはとにかく道の真ん中を走らないと危ないと分かる。対向車は来なかったが来れば確実に安全なところまで下がって離合するほかない。アカヒゲ等の野鳥の声はうるさいほどでいいとろではある。頂上下の駐車場に着くと雨がパラパラ降ってくる。あまり長居もできなくてフォレストポリスまでまた戻って管理棟で昼食をとる。鶏飯はできないがカレーなら出来るという、贅沢は言えない。雨は山頂付近だけのようで直ぐに止んだ。下りは別の道も試してみようと北西に子音に向けて山を降りて行く道を選んでみる。こちら側の道は野鳥の声はほとんど聞こえず期待外れだったが、まあしようがない。
しばらく降りて行くと突然砂利道になった、土砂崩れをやっと開通させたという感じの道でハンドルを取られそうになるくらい砂利が深い、おまけにガードレールも無く左は崖だ。これは危ない道だと緊張したが程なく舗装道路に戻ってことなきを得た。一応通じてはいるという感じで二度と通りたくない道だ。やっとの思いで海岸沿いの道に出る、ここはいい道だ、これをもう少し西の方へ走ってみる。今里というところまできて、海をのんびり眺めて引き返す。トンネルも立派で結構お金のかかっている道路だ、離島振興で予算が色々つくのだろうか。海岸線をドライブして宿まで帰る、途中で眺めのよさそうな遊歩道も見えて、時間があればまた来てもいいと思う,奄美は無計画に遊んでもいくらでも時が過ごせる感じがする。
宿で一休みして今度は近くの宮古岬の遊歩道を歩いてみることにする。昨年の大河ドラマ西郷どんの冒頭シーンで使われた景観のあるコースだ。岬の根元の駐車場にクルマを置いて歩き始める。最初は木が多く森のはずれのような雰囲気があるが道がしっかりしているのでハブは問題なさそうだ。アカショウビンの声がしたり鳥の声がいい。蝶も多くイシガケチョウがやたらと目に付 く。久米島で先月初めて見て印象深かったが奄美ではそこら中にいる感じだ。
岬までの距離は1.5km位あるようで20分で行くという説明がネットやガイドブックにあったが上り下りもあり20分では相当きつい感じがした。程なく草原になり西郷どんのシーンの地点に来る。眺めは確かにいい、とにかく行けるだけと先へ進む。ここまでか、というところまできて写真を撮ったりタイタニックポーズをとってみたりして遊ぶ。珍しい生物がいるわけではないが旅らしくていい。同じ道を引き返してくると往きには見えなかったものも見えてくる。道は往復歩くべきだ、そんな風にいつも思う。木々の間からキツツキの声がして特徴的な丸い頭が見える。オーストンオオアカゲラだ。アマミコゲラもいる。自生バナナの木もあって小さい実をつけている。
宿に帰るとオカヤドカリがあちこちから顔を出す。どうしようもなく豊かな自然を 感じてしまう。
次の日は事前の予想に反し結構天気が持ちそうなのもあって龍郷の奄美自然の森に行ってみる。前回も来たがその時は雨が降ったり止んだりだったこともあり鳥の姿は殆ど見られなかった。前の日に訪れた人の話ではルリカケスやアカヒゲの写真が撮れたとあり鳥の姿に期待する。
自然の森 の中では同行者と離れてあちこち鳥を探す、しかし鳴き声はすれど姿は見えない。前回と同じだ。そのうち同行者と合流するとルリカケスやサンコウチョウの姿が良く見えたという、難しい。リュウキュウアカショウビンの姿は見れたが他は見損なった。どうもこの森とは相性が良くない気がして引き上げる。
宿に早めに帰りついたがシュノーケルをやってみるには日差しも弱いしちょっと疲れている。のんびりしていると宿のカヤックを漕いでみないかと促されて身支度をして少しやってみる。シーカヤックは10年以上前にハワイでやって以来だが直ぐに思い出す。
穏かで風も弱く如何にも海で遊んで居る風でいい。楽しめる海だ。
翌日は戻る日だ。早朝5時から、近くの舗装された山道を歩いて登っていき鳥を見たり蝶を見たり植物を見たり興味のままに散策す る。ルリカケスの姿も何度か見るが写真には撮れない。アカショウビンやアカヒゲの声は始終している。奇妙なナメクジ(アシヒダナメクジと後で判明)を見たりシリケンイモリの泳ぎ回る姿を見たりズアカアオバト、オーストンアカゲラの姿も見たりキオビエダシャクやアサギマダラやミナミキチョウを見たりゲットウやノボタンの花を見たり、ナイトツアーの明るい版のような散策だ、興味が尽きない。
食事後清算をしてのんびりと買い物などしながら北の空港近くのエリアに行く。田中一村美術館に立ち寄ってみるが前回来た時と少し出し物が違う。オオトラツグミの絵があったはずだが見当たらない。メインの絵で切符にも刷られている絵も見当たらない。色々巡回しているのだろう。喜ぶべきことだけれどもちょっと残念でもある。
昼食後少し時間があるので大島紬村に行ってみる。ガイドブックには必ず出てるし庭が広く鳥も色々いるらしい、ルリカケスはいつもいるとどこかで前読んだ気がしていた。まずは大島紬の製造過程をつぶさに見る。設計図に従って生糸を一本一本染め分けてこれを織って大島紬を仕上げている。こんな手間のかかる織物は高くて当然だが、泥染めのために暗い図柄でいまひとつ魅かれない。今の技術では同じものが簡単にできそうな気がするがそれはできないのか、そこら辺が良く伝わってこない。狭い世界でしか価値が解らないような気がしてならない。
ルリカケスは庭を飛び回っているので待てば現れると思いますとのことでお茶を飲みながら待ってみるが一向に現れない、そんなものなのだろう、いる時は居る、めぐりあわせの悪い時はいない、そんなものだ。
まだ時間が少しあるので大瀬海岸を見てみようと走り出して間もなく右明神岬展望台という看板が目にとまってこれもよさそうだからと入り込んでみる。細い舗装路をしばらく走ると駐車場があってここから歩いて上るようだ。舗装してある歩道でハブの恐れはなさそうだが見ると急な坂だ。とにかく少し上ってみるがどこまで登れば展望台につくか解らない。いい加減なところまでいって先が解らず引き返す。あと5分なのか15分なのかもう少し道標があればとも思ってしまう。熱意のある人のみに開かれている、そんな奄美の雰囲気が感じられる。そんな島だ。
大瀬海岸に向かう。行くべき場所が正確には解らずナビでとにかく進むと駐車場に行き当たり、近くには櫓のような展望所もみえる。風が強くなっていて、鳥は居る雰囲気ではないがと見渡すと河口付近にクロサギが3羽見える、1羽はいわゆる白いクロサギのようだ。初めて見た。しばらく眺めて立ち去るが条件が悪くても熱意があれば応えてくれる、最後まで奄美らしい。
いい加減な時間になってレンタカーを返却し奄美空港から帰途に就く。
疲れたが面白い島だった。また行ってもいい、今度はシュノーケルも、と思ってしまう、それにしてもいつまでこんな旅ができるだろうか。
にっぽん丸での南大東・久米島クルーズから帰って2週間ばかり経つ。初めてのことなのでいくつかメモを残しておきたい。
まず思い返すのが乗客だ。
他の乗客と話をする機会がほとんどなかったが、リピーターが多いような雰囲気がある。去年利用したコスタクルーズでは夕食の席配置はいつも同じで隣の人と自然に話すようになるが、それがない。クルーズ船ではないが小笠原の航海では野鳥を追いかける人が多く野鳥の話題で話す機会があった。ここにはそれがない、そういう船のようだ。
専属楽団がいい。
アフタヌーンティーでラウンジ「海」の席でぼんやりしていると女性歌手の歌うsadeの聴きなれた曲smooth operatorが流れてきた。一緒に口ずさんでしまう。30年位前の曲だ。上手だ。これとは別に専属楽団でjazzを演奏する時があったがこのアルトサックスがいい。 その他のボーカルや演奏者も総じて上手だ、安心して聴ける、こんなことも船の印象をよくしている気がする。
終日航海
南大東島では上陸できず終日航海となったが、これが結構うんざりする。 天気が悪くて荒れ模様で甲板に出ても居場所がなく、それに海を見ていても鳥の影がない。小笠原航海のようにトビウオとそれを狙うカツオドリという構図がここにはない。トビウオは殆ど出現しない。ここらの海は大型魚が中心なのだろうか。
自宅の周りを散歩する方が遥かに自然の生き物に出会える。ティーを飲んだりビールを飲んだりケーキを食べたりでは体に悪い。
機械トレーニングは気が付くのが遅れてやらなかったが面白そうではあった。船上でトレーニングできる準備をしてくるべきだった。
図書室があったが結構面白そうな本が並んでいる。ここらは日本の船ならではだろう。
洗濯機・乾燥機がずらりと並んでいて洗剤もあって自分で洗濯するのも楽なようにできていた。
終日航海と突然決まるとなんだか難しいが、そういうつもりで乗り込めば終日航海が続いても楽しめるのかもしれない。
乗客は4-6日くらいの航海だが乗員は数か月ほぼ乗 りっぱなしで、仕事とはいえこれは大変と思ってしまう。
にっぽん丸のクルーズは高いと思っていたが、終わってみるとこれくらいはかかるだろう、内容から見れば決して高いとは言えない、そんな気がする。リピーターが多いのもさもあらんと思ってしまう。
その他、上陸観光はオプショナルツアーを使わず自力でレンタカーで回る計画だったが、停泊場所から港までの通船の運航については事前によく解らず直ぐに上陸できるのかあるいは順番に往復して上陸となって待つ時間が長くなるのか、帰りはどうなるのか 乗船して通船を使ってみるまで不安だった。実際には、船室で連絡があるまで待つというのではだめで、通船発航近くなったら集合場所付近に行って乗る意思をはっきり伝える必要があるようだった。そうすれば早い便の通船に乗れた。戻りは案ずるほどはなく最終の40分前くらいに港に戻ると最終の一つ前の通船に楽に乗れた。運航する側は安全面を含め色々気を使っているようでできることなら港直着けのクルーズを選択する方が安心ではあるのは勿論だ。
色々あったが、総じて旅らしい。もっと安ければまた・・というのが実感だ。
む
2年位前から小笠原や日本海や五島などの船の旅を何回かやってみて、なかなかいい印象を持っていた。
そんなこともあって、以前に何かの拍子で買った商船三井の株が少しだけ手元にあり「にっぽん丸」のクルーズが割引される株主優待券というのが毎年二回送ってくるのも、ちょっと気になっていた。少し高めのクルーズでためらっていたが株主優待券の有効活用も悪くなかろうとこの春の3泊4日の南大東島・久米島クルーズにエイッと申し込んでみた。
那覇港発着で沖縄までは自分で行かねばならないがマイルを使った”おともでマイル”でこれも安く行ける。
出発の日が近づいたところで気になるのはやはり天気だ。波というのが正しいかもしれない。去年のゴールデンウイークは波が高くて船が出そうになくなって2つばかり旅行をキャンセルした思い出がある。3年前も沖縄で波が高くて渡嘉敷島に行けなかったこともある。波は船の旅には影響が大きい。
今回はいずれの島もにっぽん丸が着岸できる岸壁は無くて上陸には通船(テンダーボート)と呼ばれる本船に搭載されている小舟に乗り換えて接岸する必要がある、通船の運航基準の波高は1.5mとなっているらしい、1.5mはちょっと荒れるとすぐに越える。
波の予測はネットのwindy(欧州気象局の予測)が見やすくてもっぱらこれに頼り 気象庁のMSM波浪予測も日が近づいてくれば見ることにしていた。
出発4-5日前の予測では 南大東島付近では波高が1.5m前後で通船が出せるギリギリだ。島なら風向きで風に対する島影が出来てどこかに波の弱まる海域ができるはずだ、なんとかなるのではないかと思っていた。久米島の方にはその翌日訪れるのだがこちらは夜のうちに前線が通り天気は良くなっていくがものの風は強く波は2m越えが予想されていた。南大東島は何とかなっても久米島は駄目だろうと半ばあきらめの気持ちがあった。
福岡出発当日になってもその予測は変わらず、どうなることかと沖縄行きのJAL便に乗り込んだ。福岡は涼しいが沖縄は半そで位の気温で着るも のも難しく荷物がどうしても大きくなる。
那覇空港から専用の連絡バスが出てクルーズ埠頭に行く。埠頭での受付の後は荷物は部屋まで運んでくれる、そこは楽だ。乗客は定員500人弱 の船で前に乗ったコスタクルーズよりはやや小ぶりだ。
出航して程なく夕食となる、立派だった。フルコースの本格的な食事でこれがにっぽん丸の最大の売りのように思われる。日本船だが東南アジア系の船員が多くサービスは片言の日本語が飛び交う、しかしサービスそのものはよく教育されていて丁寧だ。風呂は泡の出る大浴場があって部屋のシャワーは使わなかった、多くの乗客がそうだろう。ここらもいい感じだ。
船は少しは揺れるがよく眠れて、翌朝洋上の日の出を見る、6時少し前が日の出だ。予想通り雲が多く天気はいまいちだ。7時からの朝食を直ぐに食べてテンダーボート降ろしを眺める。慎重に下げていくが海面まで降ろせない。船内放送があってうなりが大きく通船を出せるか検討中という。島の周りをまわりながらいい場所を探ったりして、その後、今のところやはり出せないとの放送がある。南大東島から出てきた漁船のような船と連絡している風でもある、結局南大東島の港近くでも波が高く通船の運航を断念するとの放送がある。予想外だ。ちょっと見た目では波はそんなに高いようにも見えないし白波も殆ど立っていない。
南大東島側も受け入れ準備を色々してマグロの解体ショーのような催しも計画されていて軽い決 断では無かったようだが今一つピンとこないところがあった。
旅から戻って南大東島のことを詳しく書いた本(「南大東島の人と自然」)を読んでいくと島の近くでは沖から来た波が増幅され大きなエネルギー与えられ防波堤の内側に停めても波の力でたたきつけられる危険がある、このため漁船は一々クレーンで釣り上げて引き上げてきたとある。普通の港とは全く違うようで今回上陸予定だった漁港は岩盤をくりぬいて出来ていて普通は船吊り上げの必要はないものの漁港に入るのにうねりが強いとされているようだ。思った以上に少しの波でも船の運航には困難性が伴うように思える。調べると2015年からこのにっぽん丸による南大東島クルーズは行われているが上陸できなかったのは2015年と今年で後の3回は上陸できている。思のほか率がいいが今までは少し無理でも上陸を敢行したものの今冬にっぽん丸船長がグアムで船を岸壁にぶつけた事件があって今回はより慎重な判断になっているのかもしれないと思ってしまう。
南大東島島民が漁船で乗り込んできて踊りや太鼓、マグロ解体ショーを見せてくれ特産品の販売もあり少しは島の雰囲気を感じられたが、残念さは否めない。
翌日の久米島はこれではほとんど無理かと思っていたら翌日朝日を見に甲板に出ると通船を降ろす作業に取り掛かっている。前の日よりやる気があるようだ、しかし海は昨日より波が高いように見える。そのうち船は久米島の南側に入り島影に入ったためか北からの風も収まり波も低くなって通船を海面に降ろして試験走行を始めた。見ていると今日は行けそうだ。
何でこんなことになるか後で考えると久米島にはそれなりの山が島を横断してあり北からの風を防いでくれるが南大東島は海岸の崖の他には山はなく風を防ぐ衝立はないというのが理由としてありそうに思える。
単純な波浪計算では出てこない離島特有の条件を考えて運航の予測をする必要があるというのが海の世界のようだ。実感した。
予定通り通船が出て大して揺れもなく九時半過ぎに上陸する。(動画参照)。埠頭に歓迎のテントが並ぶが、とにかく予約していたレンタカー屋へ歩いていく。港から徒歩数分のはずだ。
レンタカー屋はすぐに見つかってスムーズに借り出すが、人手は少ないようで返す時は誰も店にいないかもしれないから何もなければガソリン満で置いといてくれればそれでいいという。離島ならではだ。
ともかく久米島をレンタカーで走り回った。
渡りの季節なので鳥も面白いかもしれないと久米島ホタル館によって野鳥の情報を教えてもらう。ホタル館横の沼もよさそうに見えたがここはハブが出る可能性があり館の人がガイドしないとまずい今日は館が休みで対応できないとある。やはりハブは気にすべきのようだ。ここならと教わった近くの場所である「だるま山公園」にまずは行ってみる。駐車場に止めると見たこともない不思議な蝶がいる。後で調べるとイシガケチョウという蝶だ。これは面白いところだと少し歩くが鳥の雰囲気はあまりない。やはり朝夕でないと出てこないのかなと思えてきて野鳥は見れたら位の感じで観光名所めぐり中心とする。
重要文化財の上江州家(うえずけ)住宅、天然記念物の五枝(ごえ)の松、と巡るが出会うのは「にっぽん 丸」乗客ばかりだ。昼になるのでやん小~(やんぐわ~)という久米島そばやに行くがここも混んでいて更に15名のにっぽん丸予約が入っていると店はあせっている。ともかく暫く待って肉もやしソバを食べだす、なかなかいい。まだ予約の15名は到達せずになんとかしのげた。
時間がだんだん無くなってきて、次は奥武島(おうじま)の畳石を見に行く。時間があれば入ろうかと思っていた海洋深層水の温浴施設バーデンハウスの裏にあたる、バーデンハウスにはとても入れない、ともかく畳石を見る、いかにも溶岩が節理で固まった景 観だ、面白い。海もきれいだ。すぐそばにウミガメ館というのがあってここも覗いてみる。色々なウミガメが間近で見られる、かわいい顔だが如何にも水槽から出たがっている風でちょっと可 哀そうだ。
後は宇江城城跡を見れればいいかと、途中ホタル館で教わった海辺の水路に野鳥がいないかと寄ってみるが何もいない、どうも時間の巡り合わせが良くないようだ。
比屋定バンタで景色を展望して宇江城に向かう。島の最高地点にある。細い急な登り道をやっと上って到着する、軽ではちょっと苦しい感じもする。さすがにここは誰もいない。歩道を登りつめると久米島全体が見渡せる、港沖に泊まっているにっぽん丸も見える。確かに絶景ポイントだがよくぞここに城を作ったという気がする。14世紀ごろの築城らしい、天空の城だ。軍事的には優れたところで今も近くに航空自衛隊のレーダー基地がある。時代を経ても変わらぬ役割を担っている場所のようだ。
山を降り島を横切って港に戻る。途中、リュキュウツバメの群れが道一杯に飛びまわったり、イソヒヨドリがあちこちで姿を見せたりリュウキュウメジロが飛んだりするがエッと思うような渡 り鳥には出会わない。時期的にもう遅いのだろうか。
港からは15時30分の通船で戻る。少々疲れた。でも上陸できてよかった。
船ではまたまたこれでもかというような立派な食事が出て、のんびり過ごしてこの日は終わる。
翌日は九時頃に那覇港に降り立って飛行機で12時過ぎには福岡に辿り着く。時間距離は近いところだ、その気になればすぐに行ける場所ではある、しかしなかなか行けない。
帰って資料を改めて読み直すとやはり南大東島に上陸し損ねたのが残念に思えてくる。鍾乳洞がすごいという記述にいくつか行き当たる、できたらやはり行ってみたい。ここは飛行機で行くしか確実な方法はない、そんな気がしている、またトライできるだろうか。
3日目は帰る日で10時10分福江港発博多行のフェリーを予約してある。ハチクマ
の渡りは朝が勝負なのでこの日も前日と同じような光景を期待して早朝から山に上がる。前日よりも車の数が多くて少し先の駐車場所に停めざるを得なくなるが大したことでもない。
この日はよく晴れていて風も前日よりは弱い。斜面風を利用するほどには風が吹いていないためか上空のハチクマの数が少ない。場所を変えながら見ていると、カウントをしている方が2連スコープを海面の方に向けながらカウンターをカチカチ入れているのに気付く、その方向をよく見ると、海上の低い高度を羽ばたきながら渡っていく数多くのハチクマの姿が遠目に見えてくる。ハチクマの渡りでは見たことの無い光景だ、小型の鳥は大抵が羽ばたいて渡りをするのだからハチクマが羽ばたいてもそれもありかなとも思えるがいかにも必死だ。天気がいいうちに渡ってしまいたいのだろう。力尽きて海に落ちることの無いよう祈るばかりだ。やはり渡りは命懸けだ。
こんな姿を見ようとは思わなかった。この地に来て見なければ解らない渡りの実態がある。
予定の7時半ぴったりに山を降りる。間近でハチクマを見る事は出来なかったが、色々と感じることがあった。来ている人も様々で面白かった。
予定よりやや早くレンタカー屋に辿り着いて返却した後港まで送ってもらう。10時10分の出航だが乗船は10時少し前から始まる、ギリギリの感じだが乗客が可成り少ないのでこれでも全く問題ない。1日船に乗って博多へ着くという移動は敬遠する人が多いのだろうか、大瀬山やツアーで話していても大概は長崎までのジェットフォイルや航空機利用だった。
往きの夜行では見られなかった五島列島と平戸・生月島の島の連なりの感じや松浦半島の姿を海から見てみたいと思っていた。福江から
一気に長崎に渡るのでは勿体ないように思う。金印伝来の昔からこの海を多くの古代人が渡って大陸と行き来していたその現場だ。
島々の間を進んでいく、思った以上に島だらけの海だった。半島経由にせよ中国から直接にせよこれだけ島があればどこかにはたどり着く、そんな感じがする。海の中に島が集まって国の形を成している、と見えるだろう。
魏志倭人伝の書き出しの 倭人在帶方東南大海之中 依山島為國邑 という感じがそのままのように思えてくる。
男女群島から松浦半島までの切れ目のない島々、入江があったればこそ古代人の船でも日本に向けて外洋を思い切って渡ることができ古くから大陸の文化がもたらされてきたのだろうと納得する。
この感じは見てみなければわからない。
いい旅だった。見たいものを見、感じるべきものを感じたという気がする。こんな旅がいつまで続けられるだろうか。
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ヨットクラブをこの3月で止めてしまって、後悔が時折頭をかすめる。やめたのは体調が1日続かないように感じてきたためだが、ともかく海の遊びを定期的にやる場と仲間を一度に放棄してしまった様な感じだ。ヨットのことはまだ気になっていてインスタでもヨットのいい写真があるとついフォローしてしまう。
そんな時、そうだヨットといえば堀江謙一だ、あの太平洋ひとりぼっちは結局読まずじまいになっている、との思いに行き当たった。もう50年以上も前の話で、当時の報道から少々無鉄砲の人の手記とのイメージを抱いていた。しかし実際にヨットに乗ってみると最小クラスのクルーザーで単独で太平洋を横断するということのとんでもなさ、考えただけで次々と浮かんでくる困難さをどうやって乗り越えたのだろうと思わずにはいられない。少し大きめのクルーザーでも湾外に出ると緊張する、それを小舟で3か月だ。とても自分にはできない。
図書館予約ですぐ入手出来て読み始める。ひらがなが多いように思えていかにもしろうとの文章という雰囲気がする、しかしストレートに読めて引き込まれていく。ヨットを始めたきっかけがたまたま入ったクラブが関大第一高のヨット部だったというだけでそれまでは海の遊びからは縁遠かったという。それが高校卒業するころにはなんとか太平洋を横断したい、それが出来るヨットを手に入れるため進学せずに働くという道を選ぶほどになる。関大OBのクルーザーオーナーグループに加わり実技を磨きつつ渡航の実務を学ぶためもあって旅行代理店でも働く。少し資金がたまったところで小型外洋ヨットの設計者から設計図を買い関西のヨット造船所で作ってもらう。搭載する計器、機器類も慎重に買いそろえていく。艇が進水したその半年後、高校を出てから5年後になる1963年5月、西の宮をパスポートなしで出航した。どう調べてもヨットで一人で太平洋を横断する人にパスポートが発行されるとは思えない日本の出入国管理の状況だった、密出国しか方法はないと悟っての出航だった。ここまで日本の鎖国は続いていた、吉田松陰の時代と同じだったとヨットの設計者横山氏は述解している。堀江の快挙が日本の出国管理に大きな風穴を開けたという。18歳の時の信念が様々な意味で大きな結果を生んでいる。
恐るべき生き方だ。ヨットによる単独太平洋横断に対して当時やれることは全てやり尽くして出発している、ここまでとは思ってなかった。
wikipediaの記載も読むがちょっと違うところが出てくる。水20リットルを積んで出航との記載があるが堀江の記述では水は合計68リットル積んで出航している、随分な記載違いだ、wikipediaはそれらしく書いてあるが内容は違っていることが他でも気になる時がある、便利だが信頼感がないものに囲まれているというのが現代なのだろう。
もっとも出航後2週間のところで水を入れていたビニール袋に破れがあると解りこの時点で残りは18リットルにまで減っており、更にビニール袋の幾つかにカビのようなものが発生してこれも捨てている、出発時に20リットル積んだというのは利用できた水を20リットル積んだことになると読めばそう間違いでもない。
水については雨水も使っていたが途中でジョンストン島の超高空核実験に遭遇しそれ以降雨水利用も控え気味としたとある。飯はビールと海水を半々にして炊いてみたなどの記述もある。色々工夫している。
結局サンフランシスコ到着時の水の残りは10リットルだったと書いているので、雨水利用と海水利用それにビールなどの飲み物からの水分補給でほとんどの必要量がカバーできたことになる。
4度の嵐を乗り切り、台風にも遭遇、20mを超える暴風雨にも耐えチンすることもなく、サメの群の中も進み、巨大なクジラの群れにも出会い、想像される大方の困難には全て遭遇しこれを乗り切っている。
色々改善できるところを見出して自信も得たのだろう、これ以降5-10年ごとに単独大航海の海洋冒険を繰り返している。
若い時の決意、一直線にゴールに向かう姿、眩しい。
今更こんな人生は選択できない、しかし刺激的だ。まだ何かできることが残されているかも知れない、そんな事も思ってしまう。
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