壱岐へのツアー その2
壱岐へのツアー2日目、天気は結局大丈夫そうだ。石田町の宿から起き掛けに浜まで散歩する。ウグイスがこれでもかというくらい鳴いている、姿を見せたままのも結構いて、中には換羽前なのかボロボロの羽で鳴い ているのもいる。浜ではミサゴがゆったり飛んだり鴨が忙しく行き来したりもしている、マガモではなさそうだが種類はよくわからない。いい浜だ。
今日は原の辻遺跡から回る。NPO法人のガイドが非常によく知っていて、テキパキと次々に説明していく。ツアーならではだ。遺跡は一支国博物館の下に広がる平野にあり弥生時代の遺物が多く出土している。発掘調査後遺跡は埋め戻されてその上に復元建造物が色々建てられている。階段や木組みの一部も当 時のものが出土していて復元は現在得られる情報を最大限に利用しているようだ、根拠のある復元ということができる。まだ発掘は20%くらいという。魏志倭人伝時代の2000年前頃に王都が拡がっていたこの平野(長崎県で2番目に大きい平野という)の多くの地点が発掘対象となっているようだ。入江が多く漁業に適した島だが水田も広く農業も盛んで豊かな国のイメージが湧く。一方で後世の2度の元寇の時には島の大半が殺戮破壊されてしまったようで、
国境の島の厳しさも感じる。
次は松永安左エ門記念館だ。何?という感じがなくもないが壱岐出身の電力界の大物で福岡市立博物館にも氏が寄贈したコレクションの展示ルームが設けられている。館長が詳しく説明してくれる。松永は思っていたよりずっと広範に電力及び電気輸送事業分野の中枢で活躍しており、福岡市の路面電車事業を皮切りに、雨後の竹の子状態だった九州の電力事業をまとめていき、戦後には全国の電力を主導する立場にもなっている。西鉄が天神をターミナルとして大牟田まで伸びたのも松永の執念だったようだ。松永に付けられた電力の鬼という呼び名は、戦後国内の電力インフラが貧弱な状態にあった際設備投資資金を得るため全国電力料金の70%値上げを敢行して付けられた鬼のように値上げするという形容詞だったというがいつの間にか鬼神のようなイメージに変わっていった気もする。こ んなに大 きな役割を果たした人とは知らなかった。
次はお土産屋を経て月読神社にいく。全国の月読神社の本宮(もとみや)という。日本書紀にも関連した記述のある非常に古くからある神社のようだが現在の社殿は少々貧相なものだ。漂う歴史だけを感じる。
壱岐には古墳も多く、その一つ掛木古墳(西暦600年前後のものと推定されている)を見に行く。円墳で石室周りには大きくて立派な石が使われている、恐らく島に豊富な玄武岩を使ったのだろう、石棺も残されている。豊かな豪族が支配していた時代が偲ばれる。
国民宿舎で昼食、終わるころまた次の団体が昼食に到着してくる、補助金が出るようになったこともあり壱岐旅行は人気のようだがこんな調子ではまたコロナがぶり返すかもしれない。
西の半島部の先端にある黒崎砲台跡と猿岩を見に行く。砲台は対馬海峡の守りに戦前建設されたもので現在は円形の穴があるだけだった。それでも歴史の一部となってきている戦史遺跡としてちょっと見応えがある、またいつか別の形でこんな用途ものを作らねばならなくなる時代が来るかもしれない、感じるものがある。
砲台近くに、壱岐では最も有名な景観となっている猿岩があ る。写真では大したインパクトを感じなかったが現物を見ると違う、その立体感が素晴らしく猿に似ている、眉のあたりなど自然にできたとは思えないほどだ。しかしバスで少し進んだ地点から眺めると猿はどこにも見えない、岩の重なりで丁度そのように見えるポイントがあ るだけということのようだ。誰かがそのポイントを発見したのだろうがその人がエライ。
少し南側の半島部に移動して鬼の足跡といわれる景観を見る。海食崖の一種ということになるが、それを含む広々とした海の眺めがいい。やはり壱岐は海がいいようだ。最後に壱岐最高峰(213m)の岳の辻の展望台を訪れる。 テレビアンテナや電波塔が林立しているが、島全体を見渡せる、田んぼも多く改めて自給自足で暮らしていける丁度いい大きさの島というものを感じる。
帰りはジェットフォイル「ヴィーナス2」で1時間10分で博多港へ帰りつく。フェリーの半分の時間だ。このジェットフォイルはボーイング製で、もうボーイングとしてはこの事業から手を引いているが未だに堅実に運用されている。KHIがボーイングからライセンス製造の権利を得て15隻くらい製造したようだが(壱岐航路のもう一つのジェットフォイル「ヴィーナス」はKHI製)現在は主に維持整備支援を行っているのだろう。走航中はシートベルト着用で動けないのはちょっとつらい。外の景色は窓側の席の人しか見えない、航空機でもシートベルト着用サインは巡行中は消えるがこちらはそんなことはない、ずっとだ。まあ早いから我慢するのだろう。
目まぐるしい壱岐の旅を終え博多港の駐車場からクルマを出して夕食に向かう。壱岐は思いのほか多相な歴史を抱えているようでもあった、学ぶことだらけだ。こんな旅もたまにはいい、しかしちょっと疲れた。
写真は順に、朝の大浜、原の辻遺跡、松永安左エ門記念館の自筆掛け軸、月読神社、掛木古墳、黒崎砲台跡、猿岩、鬼の足跡、岳の辻の展望台