2021年7月23日 (金)

和歌を学んでみようと

放送大学で半年に1つずつ学んでいるが今期は和歌としてみた。「日本文学と和歌」という講義だ。NHK和歌に半月に1回投稿して入選したこともあるが最近は惰性で作っていて、一度和歌とは何かというところをきちんと学んだ方がいいのではないか、と思っていた、そのあたりがこの講義をとった動機といえるのだろう。数日前に試験答案も送り出して終わったところだが、さて何だったのだろうと振り返ってみる。
万葉から江戸期までの和歌がどの様に詠まれてきたか、という短歌の歴史的経緯を学ぶのが中心となる。
学び終わって振り返ると、武家が支配する時代は天皇・公家は和歌の編纂にばかり力が入っていたようにみえる。そこに存在の価値を込めていたのだろうか。新古今和歌集の後の南北朝から江戸に至る時期の和歌など注目したことが無かったが、形式に堕せず現代的な率直な歌が幾つも見られて少し驚かされる。例えば14世紀に登場した京極派の中心人物と目される光厳院のともしびのうたに、
ともしびに我も向かわず灯も我に向かわずおのがまにまに
とあったりする。
古歌にUta とらわれず表現が直接的で現代に響いてくるようにも感じられる。
古い歌を踏まえた歌というのが歌道の基本にあったと思っていたが、そんな時ばかりではなかったようだ。古歌を学ぶにしても、うたの言い回しというよりその古歌をを読むに至った作者の心の動きを学ぶべきだ、との教えが尊重されたりもしたようだ(和歌嫡流の二条家・二条為世の弟子であった和歌四天王の一人、頓阿による教え)。
和歌の歴史そのものが生き生きしているように見えてくる。
学んでいくとどうしてもこの和歌という形がどうやって成立していったのか、万葉仮名で音を写し取って万葉集が成立したように、文字伝来以前、語る言葉のみを用いて和歌が成立していたのは明らかだ。それは何処から来たのか、とどうしても疑問になる。この講座の範囲ではカバーされておらず、講師に質問すると、<うた>起源考 藤井 貞和/著 という本を紹介されて図書館から借りだして読んでいる。
読むと、外から来たとすると南インドのタミル語のサンガム詩に強い類似性が見られるという説が紹介される。大野晋によるもので日本語そのものとタミル語の類似性の指摘とともに語られているようだ。著者も無視できない説としており、共通の祖先を持つのかもしれない。南回りに言語文化が波及したという見方は10万年前のホモ・サピエンスの出アフリカから東進して来た人類の歴史を示しているようにも思えてくる。

またいろいろのことを学んだ気がする。学び続けることが生きるということかもしれない。

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2019年10月31日 (木)

10月も

  

10月もあと少しでもう終わり


足元には古の暮らしがいつまでも居座り


その記憶を叫び続けている


1000年前も10000年前も同じように繰り返されて


記憶は叫び続ける


そんなことを教えてくれた


10月ももう終わりSoseki1

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2018年1月28日 (日)

古事記と万葉集を学ぶ

古事記と万葉集という講義を放送大学で受講している、というかもう試験も終わったので受講していたというべきなのだろう。ラジオで聴取する形で、教科書とラジオ録音がすべてだ。15回の講義で1回あたり800円弱の受講料を前もって払っておく必要がある。高いといえば高い。資格を取るといった明確な目標を抱いて学ぶ人には妥当なのだろうが面白そうだから学ぶというには費用が少々大きい。まあしかしこんなものだろう。

古事記から入る。古事記は713年に完成し天皇に献上されたとされている。
古事記は漢文体の日本書紀に対比させられる音訓交用表記であり、中の歌謡は一音一字の音読みの所謂万葉仮名表記,神の名前は殆どが訓読み表記となって文体に苦心の

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跡がうかがえる。
中国文化を日本文化に取り込み咀嚼した漢字かな交じり文の原型が作られたのが古事記ということになるのだろう。
太安万侶の序文は表記の苦心を述べているがこの序文自体は漢文であり、公式文書はやはり漢文という当時の感覚も感じる。

古事記はともかく伝えられている国の歴史を物語と歌謡としてそのまま内向けの言葉で書き下すところに力点が置かれたと感じられる。

万葉集の巻一巻二は古事記とほぼ同時代に編纂され、古事記の続き すなわち舒明天皇以降の歴史書としての側面を課せられていたように考えられるという。
古事記では雄略天皇までが事績の記述が書き込まれていてその後の推古までは系譜のみとなるが日本書紀は持統までの事跡が淡々と記されていて対外的な歴史書の体裁をとっているようだ。
古事記+万葉集が所謂人間史、日本書紀が正史とういうことになるように思える。

古事記以降の人間的な歴史の記述を担わされたのが万葉集の一側面ということになるものの、万葉にあげられている古い時代の歌はその後の時代に造られた歌がそのように言い伝えられて残ったともみられるところがあり(即ちまつわる物語が創られていて)、混乱があるところがかえって生々しい。

例えば16代仁徳天皇皇后の磐姫が作ったとされる短歌四首が万葉集に載せられているが(巻二)、古事記の記述では19代允恭天皇の軽太子のところに出てくる衣通王(そとほしのおほきみ)の歌がこの四首のうちの一つとほぼ同一で、どちらが創ったとするのが正しいのか、どちらも怪しいのかわからない。巻二は古事記の編纂された十年位後の720年代にはほとんど出来上がっていたと思われているようだ。

古事記の軽太子のところに出てくる長歌は万葉集巻十三相聞歌に出てくる軽太子にまつわる長歌とほぼ等しいものの、この万葉仮名表記は古事記の方では1字1音を守っているが万葉集では漢字万葉仮名混じり文のように万葉仮名を使っていて明らかに万葉集編纂者は古事記を見ながら編纂し、編纂時の世間で語られていたことに引きずられて漢字万葉仮名混じり文にしているといると感じられる。
*)注。
先にあげた古事記で衣通王の歌とある短歌については古事記が時代的に先だけに衣通王の作とするのが正しそうに見えるが、一方で万葉集で磐姫の歌とされる四首は第四十一代持統天皇(在位690-697年)(藤原不比等の時代)のころに連作としてまとめられたようだという見方もあり、やや奇々怪々の印象を受ける。

藤原氏の勢力がゆるぎないものとなったのは当時の慣例を破り皇統でない藤原氏出身の光明皇后を仁徳天皇の皇后として立后(729年)したところにあるとの見方が有り、この立后の僅かな前例が同じく皇統でなかった皇后磐姫だったというところに磐姫を巡る記述の危うさがあるようでもある。古事記での磐姫の記述は極めて嫉妬深い女性として描かれ印象が今一つよくないところを改めるべく、磐姫を立派な歌を詠んだ姫とのいい印象を与える後付け証拠としてよくできた4首が集められこれが磐姫の連作のように万葉集に載せられたのではないのか、藤原氏の強い意向が入っているのではないか、どうにもそのように思えてしかたがない。

この衣通王は、柿本人麻呂・山部赤人とともに和歌三神と呼ばれるほどに和歌に優れた才能を示したとされているようだ。もっとも和歌三神としては幾つかの挙げ方が古来よりあり、玉津島明神と住吉明神、柿本人麻呂を挙げるのがむしろ普通ではあるようだが玉津島明神とは衣通王のことを指しているとされるため、いずれにせよ衣通王は古来より和歌三神の一柱だったということのようだ。それにしては残された歌が僅かしかない。衣通王の伝説が先にあって紀の国に伝えられておりそれをひきずったのが古事記の記述であるのかもしれない、古に優れた女性歌人がいた、そこが伝説の始まりかもしれない、そんなことも思ってしまう。すべてが架空のものがたりであり、歌だけが残ってきたという気がしてくる。

古事記と万葉集を見て行くと漠とした上代の雰囲気が感じられてくるばかりで、不確定性原理のようなその漠とした存在の仕方が日本の文化の原点そのものであるように思えてくる。そんなことを感じるようになっただけでも改めて学んだ価値があったように思う。学ぶことはやはり楽しい。
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*)例えば
隠(こも)り国(く)の 泊瀬(はつせ)の河の 上つ瀬に 斎杭(いくひ)を打ち
という長歌の始めの方の表記を比較すると

古事記允恭天皇90:
許母理久能 波都勢能賀波能 加美都勢爾 伊久比袁宇知

万葉集巻十三3263:
己母理久乃 泊瀬之河之 上瀬尓 伊杭乎打

と万葉仮名表記でも随分違う、万葉集は漢字で纏められるところは纏めている。

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2016年8月31日 (水)

8月も終わりで


8月も終わりで
暑いのも終わりで
何だかもうおわりかい
ここで終わるとはもったいない


8月も終わりで
俳句が作れなくて
絵が一枚も書けなくて
泳ぐのさえつらく
やっと終わる8月
でももったいない


8月も終わりで
熱中症警報も終わりで
冷房も終わりで
気楽でいいけれど
何だかなくしてしまったような


8月も終わり

Karasu

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2014年10月15日 (水)

闇に入り込む月

闇に入り込む月

月はボールのようなその真の姿を
中空の朧な闇の中に
疑いようもなく晒してくる

宇宙を旅する地球という宇宙船を
その時我らは明瞭に感じることになる

薄い空気層の外の
永遠に向けてただただ広がる宇宙の只中に
確かに我らは浮かんでいるのだ

三千世界に本当に仏がいればどんなにか楽しかろう
50億のほか見渡す限りの宇宙には孤独が満ちている

それを見せてくれる
闇に入り込む月が美しい

Gessyoku

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