2023年5月 6日 (土)

手元にあった牧野富太郎の野外植物図譜を見たり

牧野富太郎の生涯が朝ドラ化されて毎朝のように見ているが、そういえば牧野富太郎著の植物図鑑があったはずと本棚を探したら出てきた。原色野外植物図譜 学生版 と表紙に書かれた古い本だ。50数年前に東京のどこかの古本屋で買った覚えがある。昭和10年11月30日発行 昭和16年6月15日再版発行 定価弐圓弐拾銭 と後ろにあり、牧野の著者印も無論ある。戦前の出版だ。野草の名前を書いた図鑑を古本屋で探したらスミレ16種から始まるこの本に出会って丁度いい本として買ったような気がする。戦前の本にしてはカラー版が豊富で、フーンと思った、戦前のカラー印刷というと着色した絵葉書くらいしか当時見たことがなく、色に誇張の無いきちんとしたカラー写真だったことに少し驚いた。700種位の身近にありそうな植物を小さい本で紹介している、今見ても役に立ちそうに思える。

自宅玄関の前に花の鉢をいくつか並べているが、結構雑草が出てくる。雑草という名の草はない、というのは牧野の言葉だが、昭和天皇もたびたび口にしていたようで、昭和天皇の言葉としても伝えられる、しかしこの地では雑草は厄介だ、雑草は雑草だと抜いては捨てていた。中に小さな花をつけたものがあり、抜かずに写真に撮ってネットで調べてみるとすぐ名前がわかった、最近は写真検索で結構よく当たる、ハキダメギクという植物だ。 説明はWikipediaに出ていてこれを読むと日本での発見者は牧野富太郎で世田谷の掃きだめで発見してハキダメギクと名付けたとある。ちょっとあんまりな名だ。英名はshaggy soldier(毛むくじゃらの兵士)といってこれもあまりいい名ではないがハキダメよりははるかにましだ。ハキダメでは如何にも雑草ですと言っているようでもある。
気になって牧野の野外植物図譜を調べてみるが載ってはいない、1920年代には発見していたはずだからこの本の出版時には間に合っている、雑草のような植物と小ばかにしていたのだろうか。牧野の姿がリアルに感じられて面白い。

それにしても牧野富太郎はマニアックな人だ。戦前という時代はこだわりの塊の人たちで動いていたのかもしれない、今はどんな時代なのだろうか。

添付写真は手元にある 原色野外植物図譜学生版 と 自宅の鉢で花をつけるハキダメギク。

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2023年1月20日 (金)

量子物理学を放送大学でとってみたが

半年に1つずつ放送大学の科目を受講して学ぶというのをもう10年近くやっているが、面白い。

今回は量子物理学を学んでみた。たまたま図書館で朝永振一郎の文庫本「量子力学と私」をみつけて読んでみると結構生々しくて面白く、機会あれば量子物理を学んでみたいとほのかに思ったのが直接のきっかけということになるが、量子の存在が世界の根源に位置するような気がしてずいぶん昔から頭の片隅に引っかかっていて気になっていたような気もする。放送大学で半年学んだとてとても理解できるものではなさそうな気がしていたが、試験も終わって振り返ってみても、わかったという感情を持つにいたるには相当にまだ道が遠い気がしている。何が故にそう思ってしまうのか、と思い返すと色々言い訳の様な言葉が浮かんでくる。とにかくひっかかるのが、言葉だ。量子物理で当たり前のように用いられる記号や言葉、いちいち、いったい何なのだろうと思ってしまう。本当の始まりからそんな有様で、ついていけなさ感が募ってくる。例えば、ブラとケットだ。1930年に出版された量子力学の初めてのといってもいい教科書、ディラックの「量子力学」に登場してくる表記法で、状態ベクトルであるケットに演算子で演算するという行為を表すのに便利なように考案されたようだが、放送大学の講義の説明ではケットに対応するブラの方は一体何なのか、わかりにくい。状態ベクトルであるのは同じだがケットと何が違うのかと思ってしまう。放送大学の教科書では双対ベクトル空間の元である、とあるだけで、それで?、と思ってしまう。ディラックの教科書にある <A は A>の共役虚という言い方のほうがまだ解った気がする。ディラックはa²+b²=(a+ib*(a-ib) の因数分解の形が好きなのではないかとも思ってしまう、所々でこのやり方が顔を出す。このほかにも数学者には普通なのかもしれないが∂μはxμによる偏微分とか、∫dxLは∫Ldxと同じだとか、面食らうことが多い。あげだせばきりがない気がしてくる、記号表や言葉の定義表がつねに傍らにあればという場面が多いがそれはない、解りにくい、ということになる。慣れればそんなものという別世界の様だ。

最も驚くべきことはこの難解とも言える手法でしか表現できない事物が万物そのものだというところにある、光も電気も金属もなんでも、がだ。コンピュータもスマホもLED照明も超電導も新しそうな技術はなんでも量子の働きを理解してそれをうまく活用しようとしているところから生まれあるいは改良されてきているようだ。この奇怪な量子の世界と人類は未来永劫付き合い続けなければならないというのも考えてみれば驚くべきことのようにも思えてくる。

とにかく試験も終えて一区切りだが、生きている限り学ぶことは止められないようだ。

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2023年1月 5日 (木)

見上げれば正月の空港に米海軍の737が飛来

年が明けた。初詣には近くの御子神社に歩いて行ったが参拝の列が長く横参りで済ませた、一応誓いの言葉も浮かんで久し振りに初詣らしい。近くの大学の和太鼓サークルによる演奏があっていてなかなかの迫力だ,途中の挨拶ではコロナ下で発表の場が少なく貴重な機会という、いつもの年よりずいぶんと沢山演奏している。終わりまで待たずに引き上げた。
神社に到着前にそばの河原でカワラヒワが数羽姿を見せる、今年の初鳥見はカワラヒワということになる、これもまずまずだ。
1月3日になって少しは出かけるかと車で20分ほどの池に出向くことにした。老司池、野多目池とめぐる。キンクロハジロの300羽以上の集団がとどまっていてちょっとした見ものだ。ハジロカイツブリも少しの群れでいたりもする。
上空を福岡空港へ着陸する機体が次々に通過していくがC40aa1 そのうち少し雰囲気の違う737がやってくる。何だろうと思いつつ写真に撮って戻って調べる。福岡空港の発着スケジュール表はネット上で見ることが出きるがそれらしい機体は出てこない。しょうがないので写真検索をすると似た写真がヒットした、米海軍仕様の737でC-40Aという機体とわかる。過密な正月の民間空港に割り込んで飛来してきているようだ。米軍は相変わらず傍若無人に治外法権の日本を飛び回っているようで何だか植民地の様な気がしてくる。何時になったら本当の意味で独立できるのだろうか。あるいはそこまでして独立しなくてもいいというのがもしかしたらマジョリティなのかもしれない、何しろ民主主義の国だ、多数がそう思えばどうにでもなれる。

何かにつけ色々考えさせられる年となりそうだ、そんな予感を与えてくれる正月という期間は貴重でもあるように思えてくる。

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2022年12月15日 (木)

量子物理学を放送大学で学んでいるが

冬至は12月22日だが日の入りの最も早い日は12月6日でもうじりじりと日の入りは遅れ始めている。
日の出の最も遅い日はこの冬は1月8日だから冬至をはさんだ一月ほどが地球の運航からはもっとも冬らしい日々ということになるのだろう。
日も短いしコロナも収まりきらないと本を読んだりテレビを見たりが多くなるが、この冬は放送大学で量子物理学をとっていてこの理解にこのところ暫く四苦八苦している。教科書とテレビ講義だけではどうにもついていけない。一体何が困ってこんなことを言い出したのだろうか、その時多くの学者はついていけたのだろうかという疑問がわいてくる。何かいい本はないかと、ディラックの教科書量子力学を図書館から借り出してきて眺めて見たり買うのもいいかと価格の安い古本を取り寄せて見たり、朝永の量子力学と私を読み返してみたりしていたが丁度そこへ山本義孝、あの全共闘議長の彼が書いたという量子力学の歴史のよRyousiyamamotoうな本が新聞で紹介されているのを見てさっそく図書館に購入依頼を出した。検討中の表示が暫く表示されていたがついに購入され貸し出し可能となってさっそく読んでいる(「ボーアとアインシュタインに量子を読む」)。厚い本で貸出期間の2週間では読み切るということがほぼ不可能だ。とにかく読む。
読んでいくと歴史的には1900年のプランクによるプランク定数の発見に続くアインシュタインによる光量子仮説の提唱のあたりから欧州の物理学会で量子の概念が飛び交いだしたように思える。光量子仮説は光が波の性質と粒子の性質の両方を備え持っているという考え方だ。熱輻射に関する定式化がその根底にある。しかし1909年ころの欧州の物理学会の世界では光量子の考えを支持する人が殆どなかったとある。やっぱりそうかと思う。そんなこともあってアインシュタインは量子への熱意を失っていったようだ(1912年頃)。
その後量子物理の考え方で水素のスペクトルがうまく説明できたりその他の実測結果をうまく説明できることが分かってきて支持されるようになってきたのだが、アインシュタインはその後ボーア等の確立した量子力学は不完全だといい始め亡くなるまでその論争は続いた。「神はサイコロを振らない」とアインシュタインが言ったと伝えられたことから彼が素粒子の確率的存在の仕方というそのものに疑義を抱いているように思っていたが、この本に書かれている論争の具体的中身を見ると、現在言われている「量子もつれ」のようなことが起こることになるがそんなことはあるはずがない、というのがアインシュタインの最後まで抱き続けた疑問であり主張のようだ。現在の主流は「量子もつれ」は起こるということのようだから、歴史的にはアインシュタインの論点は否定されているが、このような指摘があったればこそ「量子もつれ」を利用しようという方向が生まれたとも思える。

難解な量子力学の世界は一筋縄では納得できない、どう理解したらいいのだろうということで満ちているがそれがこの世のすべてのものの存在の根源にあるという自然の仕組みのどうしようもない不思議さに圧倒される日々だ。

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2022年8月20日 (土)

「量子力学と私」を読んでいる

朝永振一郎の量子力学と私を読んでいる。1997年に出た文庫本だ。25年前の出版だが入れられている分の最も新しいものでも1978年発表で日記などは1938年に遡る。日本の量子力学研究の歴史を俯瞰する思いがある。何気なく図書館で見つけて読みだしたのだが、朝永がノーベル賞をもらった繰り込み理論というものがまったくわかっていなかったRyousitomong ので何なんだろう、少しはわかりたいという気持ちがあったのが本当のところだ。
読み進むと、くりこみ理論の意図するところがやっとなんとなくわかった。量子物理と相対論をつなごうとすると無限大発散が出て先へ進めなくなる、これを回避する手立てとして実験値が得られる形のところで実験値を代入すれば計算を進めることができるという手法と読める。発散そのものは打ち消しあう負の発散があって消されるようだが数式をうまく入れ子にできない様だ。読んだだけではそれがノーベル賞に値するとはどうしても理解できない。逆にはこんな姑息ともいえる手段を取らないと量子力学全体の世界が見えてこないということが自然によって仕組まれているようで、それだけ直観では理解不能なことに満ちている世界のようだと感じる。こんなことが物質の根源である素粒子の世界を支配している、言い換えればこの世の根源を支配している、それにやっと近づけたということなのだろう。この本を読んだだけではそれくらいのことしか分からない。
それにしても戦争前夜のドイツ日記が生々しい。研究に取り組むが、解からない、もどかしさ、無力感、リアル。走り書きの日記そのものだ。こんな日記も公開してしまう人間的太さを感じてしまう、普通なら恥ずかしくて出せない。
こんな研究を1940-50年の戦前戦中戦後を通してやりぬいているところが驚きであり面白い、戦後の研究再開は1946年の焼け野が原の東京の一角でもう始められて論文を世界に発表し続けている。巻末の解説を読むとその有様は海外からも驚きの目で見られたようだ。

こんなのを読んでいると量子物理学をとりあえず学んでみるのもいいかと思えてくる。放送大学にも量子物理の講座があってこれを取ってみようかとも思っている。理解できないかもしれないのだが、この不思議な世界を理解し不確定性理論のリアルを理解することは世界の理解に重要の様な気がしている。

知りたいことには限りがない。

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2022年8月 8日 (月)

放送大学で人体の機能と構造を学ぶ

放送大学の講座、今年度上期は人体の構造と機能という講座を取ってみた。仕事も終えてぶらぶらしているとやはり健康は気になる、特にコロナ騒ぎの真っ最中で自分の体のつくりは一体どうなっているのだろうかと改めて興味がわいたこともある。
講義が始まってまず思ったことは、人体は本当によくできている、Jintaikouzou 誰がこんなものこしらえたのだろうという素朴な疑問だ。勿論神が作ったという答えはあり得ないが、進化論がその役割を果たしたとしても造物主という概念が捨てきれず湧き出てくる。更には人類というよりここまでたどり着いた地球生物というものの宇宙的特異さにどうしても思いがいってしまう。これはどういうことなのだろうか。答えはない。
全体に豊富極まる内容だが、個別には色々感じるところがある。血液で驚きを覚えるのは赤血球の数の多さだ。1mm3中に少なくも450万個の赤血球があるという、血液の容積のそのおよそ半分が赤血球の容積となる、これではちょっとしたことで血栓が起こりやすくなるのも当然だ。細胞数からいけば全身の細胞数60兆個の1/3位が赤血球ということになる。とんでもない数だ。全身の酸素使用量の20%が脳で使用される、脳を含め全ての細胞に酸素を供給し続ける赤血球という仕組みが成り立つように人体の大きさが決まっているような気もしてくる。
体の状態を一定に保つ、ホメオタシスな機能が人体に備わっていることは当然のように思っていたがその仕組みを知ると驚くべきことだった。
まずは尿のコントロールというのが重要な役割を果たしている。腎臓の機能として血液の多くをいったん取り込みそれをまた戻し入れている、その戻し量が取り入れた量の99%に当たるというから驚きだ。1日あたり160リットルを血液からいったん取り込みこの殆どを戻し入れて最終的には一日あたり1.5リットルの尿が排出される。浸透圧の差で再吸収が行われるのだが’ここを少しいじれば血液の量を容易にコントロールできる。血液の量が増えることは血圧の上昇であり、腎臓からの酵素による血管の収縮とともに血圧は腎臓でほとんどがコントロールされていることになる。知らなかった。
体温の調整もよくコンマ以下の体温までコントロールできるものだと驚くが、基本的には熱が上がるというのは脳の指令で目標体温が引き上げられたことによるという。病原菌などの活動を脳が感知した時にこの活動を抑え込むために目標体温が上げられることになる。脳の指令で目標体温が上がると皮膚血管の収縮などの熱放散の減少や震えなどの動作が起こり熱が上がってくる。逆に体温を下げるには皮膚血管を広げ表皮付近に血流をより多く回すとともに汗を出して表皮の温度を下げることによるが、外部からの熱の流入がこの機能を上まわれば体温は歯止めなく上昇を続ける、この危険な状態が熱中症ということになる。確かにウイルスより危ないかもしれない。
その他、そうかと思うことは沢山ある、取ってよかったと思える講義だがミスで通信指導を送りそこない、試験が受けられなかった、来期もう一度受験のチャンスが与えられているので今度はミスしないようにと今から思っている。

学ぶことに終わりはないようだ。

 

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2022年6月17日 (金)

パソコンG570のファンを交換

パソコンLenovoG570の不調が続いていた、ビープ音が起動時になり続く、時々キーボードエラーが起こる、キーボードを換えてもまただ。キーボード交換の時によく見ると冷却ファンが回っていないように見える、そういえばだいぶ前からファンは異音を発しこのところは動作音もしなくなっていた、直ぐに発注するがまた中国からの配送で2週間はかかりそうだ。届くまではダイソー調達の小型扇風機で風をパソコンに当て続けて動かす。やっと到着して早速交換する。発送元は香港で10日足らずで到着している、中国本土からよりは少しは早いようだ。久しぶりの静かなファンだ。まともになった、と思っていたら、起動でまたビープ音が鳴る。色々やってみるとCtrlとAltキーを交互に押したり同時に押したりしていG570kyboad0617a じっているとビープ音がそのうち止まるようだと気づく。そうとわかればあまり気にすることもなくなってきた。でもやはり気にはなる。ビープ音が鳴るのはメモリーの接触が悪いかもとも思い直し、そういえば以前「メモリーがReadになりませんでした」エラーの時「Windows メモリ診断」を実行するとよくなったことを思い出して以前のブログを読み直しながらこれをやってみた。
結果的にこれが効いたようでこれ以降起動時のビープ音はしなくなった、何故かキーボードエラーも無くなった。何でハードのトラブルが診断だけで解決するのかいまだに疑問だがとにかく直ればいい。ファン交換で静かに心地よく動いていてひとまず今回のトラブルは終了だ、まだまだこのパソコンを使っていこうという気になっている。

トラブルを思い返していくと結局はファンが壊れたまま暫く使っていたことが引き金で色々なことが起こってきたような気がしている。ファンが変な音を出し始めたらすぐに部品調達をかけるのが賢明のようだ。壊れたものは修理すればいい、またそういう時代になってきたような気がしている。

少しは知恵が増えた。トラブルも解決すればいい思い出となる。

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2022年5月30日 (月)

G570パソコンのキーボード交換

G570パソコンのキーボードを5月9日に発注して翌日には中国から発送した、およそ20日かかるというメールが入ってきて、早くつけばいいがと待ち焦がれていたがきっちり20日後の今日予定通り配達された。不思議なばかりに計算通りだ。早速交換にかかる。このパソコンは以前ヒンジ修理でかなりバラしたことがあったので一応わかっていたつもりだったが結構手間取った。
裏ブタを外し、バッテリーも外し、キーボードを止めている3本のネジを外してキーボードを取り出そうとするが、引っかかっているようで取れない。以前書いたブログやネット情報をいくつか見るが、こんなはずではない、と思ってしまう。ブログに残したメモでファンの後ろを押せばいいというのがあって、ファンも外して押してみるがまだ引っかかっている。どうしようもないので力ずくで抉ると取り付け部がもげて外れた。よく見るとファンの裏側にあるネジで止まっていたとわかる。どうも前回ばらPasokonneji1 して組み立てたときここにねじを入れて締めたのではないかと思われる。とにかく取れない時はファンを外してこのネジを確かめるべきのようだ(写真のネジ)。折れ残った取り付け部をねじを緩めて外し、フラットケーブルを外してキーボードも取り出す。新しいキーボードをケーブル接続して取り付けねじを締めて、裏ブタをつけ、バッテリーをつけて終了。恐る恐る電源をつないでパワーオンすると無事立ち上がる。パスコード入力も問題ない。
ただキーボードがUSレイアウトなので、windowsの設定->時刻と言語->言語 として追加する言語 日本語をクリックして出てくるオプションを更にクリックしてハードウエアキーボード レイアウトの変更で出てくる画面の日本語キーボード(106/109キー)を英語キーボード(101/102キー)に変更する、これで再立ち上げして終了となる。日本語入力はタスクバーに出てくる A、あ を選択するか Alt+~,キーを使ってこれを変更すればローマ字入力としてこれまで通りできる。
とにかく新しいキーボードでやっと気持ちよくこの文を打っている。パソコンとしてはもう古さが否めないがまだまだ使えそうな気がしている、念のためとったCディスクなどのバックアップが心強くはある。また色々学んだ、きついこともあるが矢張り学ぶことは楽しい。

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2022年1月20日 (木)

人類の歴史を学んでいる

昨年の暮れに図書館の特集コーナーに「われら以外の人類」という本が置いてあってちょっと気になったので借りてきて読んでいた。一体我々は何処から来たのかという問いがずっと気になっていたということなんだろうと思っている。
Wareraigai 本の名前はちゃんと書くと「われら以外の人類 猿人からネアンデルタール人まで」という、内村直之著2005年刊で17年前の本だ、その後に明らかになったネアンデルタールのDNAが現生人類に一部引き継がれていることやデニソワ人の発見などは無論カバーされていないが、ホモサピエンスの出アフリカ説が主流となったその時点の考え方をトレースできる点で十分よく書かれていると思える。
2足歩行を始めたヒトの始まりはケニアで出土した約700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスと考えられており、約200万年前のホモ・ハビリスあたりから急速に脳が大きくなり、(200-180万年前の)ホモ・エレクトス/エルガスタルあたりでアフリカから各地に拡散し始めたようだ(北京原人やジャワ原人などもこの時の拡散に含まれる)。その後(60万年前頃)ホモ・ハイデルベルゲンシスの出現に至りこれからホモ・サピエンスとネアンデルタールが分岐した(15-20万年前)、そして最後にアフリKodaijinn カで生まれたホモ・サピエンスが10万年前頃から再び世界各地に拡散、ネアンデルタールやエレクトスの子孫に置き換わって現在の人類に至ったという流れが数々のエピソードを交えて語られる。
しかし今読むとこの本の刊行以後の発見が色々とあることも少し調べらばわかってくるし、いまだ眠っている化石が沢山あって、人類の歴史シナリオはまだまだ固まっていないのではとも思えてくる。特に近年アジアで次々に発見されてくる原人をどう考えればいいのだろうかという気がしている。
まずはデニソワ人だ。そのDNAがなぜかメラネシア人、すなわち太平洋の島々の人に色濃く伝わっていると解ってきているようだ、どういうことだろうか。数十万年前から既に太洋を渡るすべを体得していたのだろうか。
ピテカントロプス・エレクトスは今はホモ・エレクトスエレクトス(ジャワ原人)と呼ばれているが遺骨の発見された近くから全く違う小型の原人、フロレンシアが発見されている(これはこの本にも書かれている)他、フィリピンのマニラではまた違う種の原人、マニラ原人が今から2年前に発見されており、7年ほど前に台湾の海底で見つかった澎湖原人もまた別種の原人のようだ。出アフリカのシナリオも一筋縄ではなさそうだ。一方でDNAの追跡からは、アボリジニにはデニソワの遺伝子が多く伝わっており直接的子孫かもしれないと言っている人もいるようでもある。デニソワ人はアフリカから来たホモ・サピエンスと交雑しながらアジアオセアニアに今なお存在感を示しているように見えてしまう。

日本人のルーツについても、縄文人のDNAを調べてそれがどこからきているのかどこに伝わっているのかようやくわかり始めているようだ。アイヌと沖縄人に色濃く縄文人のDNAは伝わっているという。
斎藤成也(国立遺伝学研究所集団遺伝研究室)が縄文人のDNAがどう拡散しているのかをYoutube講演で述べているのが見つかって見てみるが結構面白い。しかしこのYoutubeの提供が弘益財団という韓国の財団であることがちょっと引っかかる、研究資金が出ているのだろうか。こんな研究はすぐに政治的な活動や民族主義者に利用されるだろう、研究の独立性が保てるのか、結果の中立性が保てるのか、不安になってしまう。

生物としての人類の歴史の解明は、これから我々はどうなっていくのか長い先行きを見据えるのに重要度が高い研究のように思える、まだまだ解りにくいが注視し続けたいと思っている。

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2021年12月20日 (月)

椅子クラフツという放送大学の講座が

放送大学で半期に1つの講座を受講している。今年の下半期は「椅子クラフツ文化の社会経済学」というのが少し気になってとってみることにした。
放送大学には工学系の講座が殆どないところへ作ることを感じさせるタイトルがそんな気を起させたのかもしれない。放送ではなくオンライン授業だ。但し放送と同じようにその場で質問はできず視聴するだけだ。社会経済学の講義の一環で何故椅子を作る手工業(クラフツ)が現代まで生き残っているか、という視点の講座としているが、ほとんどが椅子制作の歴史的変遷や、どんな椅子があるかに終始する。何の授業だろうかと何度も思ってしまう。椅子をどうやってうまく作るかというハウツーものでも全くない。8回の講義を聞いてレポートを出し終えた今でもまだわからない。レポートはいくつか示されたテーマの中で人生で印象に残った椅子をあげて説明する、というのがあってこれを選んだ。椅子としてパイロットシートが印象深い、幾つかパイロットシートの思い出はあるが、800字以内という制限があって大して書けない、興味で行くと戦闘機パイロット用のシートというのが気になっていたので、直接関係したことはないがこれについて書くことにした。シビアな使い方の椅子としてはほぼ頂点にあるように思える。手持ちの資料にも少しはあるだろうと航空宇宙工学便覧を開いてみたがほとんど記述がない。自分としても装備品の資料はあまり集めてはいない。しかたなくネットで手繰っていく。パイロット座席は椅Pilotseat 子としての特徴は幾つかあるが緊急時に射出できることが最も重要な機能に思える。歴史的にはジェット戦闘機の登場とともに考案されており、最初のジェット機が作られた国の一つである英国で戦後すぐにマーチンベイカー社(英)によって形つくられた形態がその後の主流となっている。以来射出座席の分野ではマーチンベイカーが圧倒的シェアを保っていて最近自衛隊が採用したロッキードF35の座席も勿論そうだ。椅子の歴史ではイギリスで各種その後の手本となる椅子(例えばウインザーチェアやサセックスチェア)が創出されており、何故か一般的に言っても椅子の分野ではすべからくイギリスが強いようだ。第二次世界大戦中量産された世界最初の実用ジェット戦闘機はナチスのMe262であったがこれには射出座席は取り付けられてはいなかった、当時射出座席はナチスドイツでは既に開発されていたのだがこれを量産できる段階ではなかったのだろう。随分とノウハウが入り組んで必要な製品のようだ。クラフツ的な側面がやはりあるのだろう。調べて行くと結構面白い。
たらたらと書いてみるがとても椅子クラフツの講義のレポートとして相応しいようにも思えない、しかし椅子という切り口は多相な世界への入口を提供してくれているようでもあり、興味深いアナザーワールドに遭遇したような気分にもなった。学び続けることはやはり楽しい。

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