2017年7月17日 (月)

感性工学の講義が

放送大学で感性工学というオンライン講座を取ってみた。感性というキーワードが引っかかっていた。自分の関心がある部分と重なるところが多々ありそうに思えていた。オンライン講座はテレビ・ラジオ

Kansei

講座のようには公開されていないので内容を知るにはきちんと学生になってサイトにアクセスするしかない。オンラインである分時間に制約がないので毎回講義のほかに1時間に及ぶインタビューが主任講師によって行われているあたりが特色でもある。インタビュー対象は感性工学に関わる有力な方々で感性工学のそもそもの提唱者である長町三生広島大名誉教授も含まれる。インタビューが中核の講座のようにも思える。

講師から最初にある通り感性は何かというところで定まっていない、定まっていないままで教えようとしているところが面白いといえば面白い。インタビューでは感性とは何だと思うかという問いが毎回投げかけられる。

 心の働きにおいて、理屈で理解する部分が理性、感覚で感じる部分が感性という至極普通の分け方、カントの著書純正理性批判でもそのような記述になっている様に思うが、これで何がまずいのだろうか、それが解らない。カントの使っている感性で別に構わないのではないか、どこが不満で新たな定義を持ち込む羽目になったのか、その説明はどのインタビューからも感じ取れない。

感性とは何かという言葉の定義がそれほど気になるのは結局は感性の商業利用の方向を強く考え始めたところからではないのかと思ってしまう。長町の感性工学はマツダのクルマの開発に長町が関わったところから始まっているという、そういうことなのだろう。

感性という言葉の受け取り方そのものの変化がすこぶる興味深い奥行きを持っているようにも思える。
恐らく感性というものと感性工学というものは全く違うものなのだろう。長町のインタビューからも感じられることだが感性工学はユーザー目線でプロダクトをつくるという至極当たり前のことを追求しているに過ぎない。ユーザーの感じている求めていることをユーザーアンケート等に基づいて設計パラメータにどうやって落としていくか、そのプロセスがキーのような学問に思える。具体的にはユーザーアンケートの因子分析を行う、その結果に基づきユーザーの求めるプロダクトの設計パラメータ(アイテム・カテゴリー)を数量化理論1類を使って求める、というのが骨子の様だ。
講義では手法の詳細が細かく説明されるかと思えばそうでもない。具体的解析は、それぞれのソフトを使って求めればいいということだろうか。確かに検索すれば因子分析のフリーソフトは探せるし数量化理論1類の具体的な手法も出てくる。

勿論手法さえ身に付ければ直ぐに展開できるものではない。ユーザーの求めるいい感じのもの、という感じを理解するにはカワイイも
び寂びもきちんと受け止められなくてはならない、広範な美術的音楽的なバックグラウンドも必要となるだろう、感性工学が泳いでいる世界はそんな世界なんだということがなんとなくわかってくる。
しかし「アートと設計の接点は殆ど無いといっていいでしょう」 という耳を疑うような説明を公言するような講義だ、未だに中途半端な技術と中途半端な考え方しか頭にない人達の学問なのだろう、そんな風にも思ってしまう。講義を振り返ってみると、ここに未来はない、ブレークスルーは無い、そういう確信が湧いてくるようでもあった。なかなか整理のつけられない講義だ。

グルグルととりとめもなく考えが巡る。こんなことを改めて考えさせてくれただけで十分すぎるほどの価値がこの講座にはあったようにも思う。放送大学はやはり面白い。

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2017年6月 6日 (火)

タイ特別展を見る

心に引っかかって気になっていた展示会がついに最終日になったというのでとにかく見に行った。近頃はPoster日程をコントロールする力が弱まっていて、きっちり予定をくんでおかないと何もできなくなるような恐ろしさが自分の周りに漂っている。ここで終わりという日には何をさておいても動くしかない。
観に行ったのは 日タイ修好130周年記念 特別展 「タイ-- 仏の国の輝き--」という九州国立博物館の出し物だ。東南アジアには訪れたことがなく知らなすぎるという引け目とどのくらいの文化だったのだろうかという純粋な好奇心のないまぜがたわいもなく心に引っ掛かりを作っていた。
 九州国立博物館は放送大学で学んでいると半額で入場できるということもある、行かねば損との気にもさせていた。

午前の早めに入場したが最終日の日曜日ということもあり混んでいる。駐車場も既に大分埋まっている。いつもは平日に訪れているせいか子供の姿が多く思える。
見始める。時代順に日本では法隆寺の時代に当たる頃の仏像から始まる。不思議P03 な形の仏像が並ぶ、ともかく顔の形が日本でみる仏像と全く違う、唇が随分厚いし口 が大きい。人種的には近いはずだが文化が違うとこうなるかとの印象を受ける。最初にどう作られたかで違ってきたのだろうか。勿論ここにも特有の美しさがある、力がある。
タイ語の文字も並んでいる。漢字文化とは全く違う。戻って調べると、インドの文化圏のようで、タイ文字はアショカ王時代にも使われたインドのブラーフミー文字というのがその源流にあるようだ。梵字などとも近しい文字らしい。タイに仏教が根強く生きているのもそんなことが関係してもいるのだろう。
文字がしっかりしていると文化も古くからしっかりと開花していく、メナム川(チャオプラヤー川)下流に栄えたドヴァーラヴァティー王国の7-8世紀の仏像や工芸品も並べられているがいずれも素晴らしい美術品だし精巧な細工だ。インド文化圏とも称せられる文化圏と中国を中心とする漢字文化圏の2つの有力な文化圏が厳然とアジアに存在し続けていたことを改めて知らされる。ちなみにベトナムは中国漢字文化圏の南端、タイはインド文化圏のヘリで 挟まるカンボジアは微妙な位置に昔からあったということになる、現代史が透けて見えるようでもある。学ぶことが多い。

15-6世紀の日本の戦国時代には多くの日本人がシャム(タイ)に進出していた。当然それなりの航海術が発達していて、立派な海図が残されている。これもここで見ることができる。むろん世界地図もあるが、特にロシア北岸の海岸線が良く描かれていることに改めて驚く。当時既に北極近くまでの地理的知識が世界的には蓄積されていたようだ。世界は広がっていた、鎖国がなければ全く違うアジアでの日本の広がりというものがあったに違いない、鎖国で安全は保てたが失ったものも相当に大きかったように思える。

予想していた通り気になっていた通りタイには日本と明らかに異なる優れた文明があった、リスペクトする心、それは知ることから始まるのだろうな、当たり前のことをまた教えられた気がする

まだまだ学ばねばならないことは果てしない。

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2016年11月17日 (木)

ネットでJazzを学ぶ

隈研吾の現代日本建築家の系譜についてのネットの講義がなかなかよかったので、ほかにも出来そうなものをedXのサイトで探してみた。
たまたま目に入った「Introduction To Music Theory」というバークレー音楽院が提供しているコースがよさそうなのでこれをとることにした。バークレーといえば一昔前渡辺貞夫が留学してモダンジャズの理論を学びそれを日本で拡散したと記憶にある、そんなところが提供するネット講座なら多分有益に違いない。
9月終わり頃申し込んで暫くほかのことにかまけてほっておいたら、講座は進んでますよというレスポンスの催促メールが数回来る。そろそろできるかと思って10月中ころに着手した。英語だがもちろん無料だ。
講座は6回からなり、コードの組み立てと進行形、improvisation(いわゆるアドリブ演奏)のEdx 手ほどき等からなる。
講義の動画には英語字幕とそのテキスト版がつくので聞き漏らした単語は映像を止めて落ち着いて調べることができる。英語の勉強にもなる。
動画で講師が説明した後簡単なテストがあって先へ進む。講師は意のままに音を操る雰囲気のあるミュージシャンのようだ、信頼感がある。
メイジャーコード、ドミナントコード、などの説明に続いてマイナーペンタトニックスケールの説明がある。
ブルースコード進行の基本がドミナントセブンであるとはきっちりは認識していなかった、とかマイナーペンタトニックスケールなるものがインプロビゼーションの基本であると初めて知ったとか、今までぼんやりとしていたジャズのアドリブ奏法の基本をここへきてやっと教わった気がする。確かに有益だ。Jazzを聞く分にもこれ位はきちんと学んでおくべきだったと思う、しかし国内でこんなことを教えてくれる講座などありはしなかったように思う、時代は進んでいる。
この講座の最後が面白い、提供されたバックミュージックに乗せてブルースのアドリブを受講習生が演奏しYoutube等を利用してアップして講習を受けている任意の他の5人がこれを採点するという仕掛けだ。
こんなやり方をよく思いついたと思うが実際にやってみると、まず提供されたバックに合わせて演奏することそのものがちょっと難しい。ipadでバックの演奏を流しながら電子ピアノでこれに合わせて弾いてみて,これ全体を野鳥の録音に使っているデジタルレコーダーで録音するというやり方でやってみた。

何回かやっているうちに何とか録音できたものをYoutubeにアップロードするが録音だけのアップロードはできないのでYoutubeのガイドに従って適当な写真を演奏時間だけビデオ化してこれに演奏をくっつけるという操作をして出来上がる。可成りつたない演奏だがしょうがない。
とにかくYoutubeにアップしたそのurlを記入してedXに送ると数日の間に5人の評価が送られてくる。何とexcellent評価が3人で、総合評価はexcellentとなった。甘々の感じだが中に的確に不満足なところを指摘する書き込みもあってなかなかだ。勿論自分も評価側に回って別の知らない5人の演奏を評価して送る。国を超えて年齢を超えてこんなことができるのが面白い。

 

無料の講座としては素晴らしいと思ってしまう。確かに時代は進んでいる。人類の知恵もこんなことができるのならまだまだ拡大していくことがありそうだ。どこまで行ってしまうのだろうか、1000年位先が見たくなる。

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2016年10月11日 (火)

今右衛門・柿右衛門展

13代今右衛門・14代柿右衛門の展覧会が福岡三越で開かれているというので見に行った。
,有田で磁器を作り始めて今年で400年ということの記念イベントの一環らしい。自分Tenjikai の中で名前だけが上滑りしている有田焼の今の姿を見定めたいという気持ちがある。この展は今年の正月に日本橋三越で開かれた後7月には広島三越で開かれていたものが福岡までやっとやってきたということのようだ、大阪はとばしているが大阪には三越が無くてこうなったのだろう、所詮百貨店の催しだといえばそうかもしれない、でもとにかく見たいという衝動があった。

結構人が多い。確かに素人目にも、これは、という作品が並んでいる。

13代今右衛門は襲名前には有田とは思えない全く現代的な焼き物も作っていたのImaemon1
が展示されていて目を引く。1975年に襲名後は伝統を引き継ぎながら、吹墨、薄墨 という技法を開発するなど新しい現代的な境地を開いていてこれまでの有田とは異なる新鮮な感じを見るものに与える。
14代柿右衛門のほうは追い求めたリアルな草花のスケッチをもとに濃淡を入れた草花模様を構築している。こちらも濁手と呼ばれる乳白色の白地の伝統の上に現代に響く有田の姿を求め
続けたようだ。それぞれにさすがと思わせる。
400年も続く伝統となればそれぞれに伝統の重圧はあろう、素直に事物と向き合い詳細なス
Kakiemon1ケッチを繰り返し、自分なりの境地を開いていく、大変な仕事だとうかがい知る、それが心に響く。

13代今右衛門は2001年75歳で心不全で亡くなり14代柿右衛門は2013年78歳で癌で亡くなっている。天寿を全うとまでは長生きしなかったようだ、背負った重荷というものがあったのかもしれない。

近頃はものに心を動かされることが減ってきたと感じている。生涯をかけた作品を見る、こんなことでもしないと心が響いてくれない、思い返せば、見たいという衝動はこれだったのかもしれない、そんな風に思っている。

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2016年10月 7日 (金)

学ぶことが刺激的で

放送大学で半年ほど地球史を学んだが、下期はこれという興味を引く講義が大学院には見当たらず、そうかといってやめてしまうのもなんだかつまらなくて学部のjavaプログラミングの講義をとってみることにした。何かの役には立つかもしれないし放送大学でのプログラミングの講義とはどの程度のものか見てみたい気もした。
9月下旬に申し込んで払い込みは9月末日となったためIDが送られてくるまで時間がKumak 少々かかる。丁度隙間ができたこともあり、8月頃から送られてきていたedXの隈研吾の建築の講義を集中的に見てみた。edXはMITが始めた無料の大学の講義でその後各国の大学も参加して世界的広がりを見せている。隈研吾の講義は日本語の映像なので、畑違いでも視聴に困難はない。英語訳が画面に出てshort testの設問も英語だが4択で難しくもない、しかし時々間違える。
Four Facets of Contemporary Japanese Architecture: Theory というのがタイトルで現代の日本の建築家の系譜を丹下健三以降の世代について解説してくれる。丹下健三を第一世代として隈研吾のいる第4世代までの建築家の考え方の変化を建築家にインタビューしながら明らかにしていくという組み立てだ。磯崎新や香山、藤森、大野、瀬島のインタビューなどもあって戦後の建築の考え方の流れがやっとわかった気がするところが面白い。

いくつも気になる言葉が出てくるが、中でも香山のインタビューで出てきた丹下健三から教わったものそれはnothingだった、というくだりが心に残る。学生の期待をよそに丹下は講義ではまともな建築の考え方は一つも教えてくれなかったというのだ。その時代がそうだったのかもしれない。丹下はリアルなプロジェクトに邁進していて教育には熱が入らなかったようだ。香山は東大を卒業後米国に留学してkahnの教えを受けた、これは日本の大学とは全く違い様式の歴史を背景にした理論で衝撃的なリアルな講義だったという。

nothingだったにもかかわらず丹下の仕事は続く世代に極めて大きな影響を与えた、それはインタビューされた建築家いずれもが認めている。教育とは結局そういうことかもしれない、事実で見せる、作品で見せる・考えさせる、nothing それはそれで意味があった、そんな風な言い方を香山もしている、そういうことなのだろう。

なかなか知的な刺激を受けるレクチャーだった。仕事という ねばならない連鎖から解き放たれた後は、やはり学び続けること、これが一番面白いのかもしれない。

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