2025年3月19日 (水)

SDカードが壊れて

毎日撮った写真をインスタにアップしている、もう数年こんなことを続けている、ほぼ日記代わりだ。最近ちょっと悩まされていたことの一つに、日々の写真撮影に多用しているコンパクトデジカメに入れたSDカードがある日突然認識されなくなったということがあった。パソコンに入れても認識しない、読みだせなくなってしまった。ほとんどの映像はすでにパソコンに移してあるので実害は大したことではないが、やはり突然こんなことが起こると不愉快だ。落ち着いて件のSDカードをながめていじったりしているとロックのつまみがポロリと取れてしまった、あれっという感じで、つまみの周りをよく見るとつまみのある辺の上のヘリのプラスチックも取れている、どうもつくりの良くない製品だったようだ。名のあるメーカーの製品だけれども、もともとネットで信じられないくらい安い価格(64GBで数百円、送料無料)で売られていたものだけに、そんなこともあるのかもしれないと思ってしまう。何とか回復する方法はないかとネットで探ると、ロックつまみが取れた場合はその部分にセロテープを貼ってやると認識することがあるとある。ロック解除の位置が何かで埋まっていればいいということらしい。分解した写真もあってロック機構はSDカードの電気的部分とは独立しているようだ。すぐにやってみると別のカメラでは認識し始めたがそもそものコンデジカメラやパソコンでは認識しない。テープでだめならエポキシで埋めてしまうという例も紹介されていたのでこれも早速プラモ用エポキシ接着剤をネットで取り寄せて試みる。成形ができるので欠損が見られたロックの上のヘリの部分もそれらしくナイフも使いながら作ってみる。完ぺきではないが細かい作業なのでやれるだけやってみて、コンデジカメラに入れてみるがやはり認識しない、しかしパソコンでは認識し始めた。修理部分のせいでパソコンのSDカード挿入部が詰まってしまうと嫌Sdcard0319a21a3a なので念のためUSB接続のSDカードリーダーも手配しておいた、こちらでもすんなり認識できる。とにかく今までの記録は読み出せ、コンデジには新しいカードを用いれば今後の撮影記録には問題はない、一応めでたしだ。それにしてもSDカードのプラスチックの脆さでデジカメ記録が一瞬で失われかねないというのは怖い、こんなことはそこここにありそうだ、なんというか、そもそもこの世がうまく動いているのはこまごまとした脆い物たちがうまく機能しているためで、そんなものはいつ潰えるかもしれないと思い知るべきだ、と学んだ気がする。年とともにその傾向は強くなっているような気もする、少しは賢くなった。春の嵐の一日が過ぎていく。(添付は補修したSD,左端上半分に欠損ありエポキシ埋めとテープはり、この状態ではパソコンで読める)

| | コメント (0)

2024年12月30日 (月)

わからないまま終わってしまった放送大学の量子物理学演習

放送大学で今期とっていたオンライン講座の量子力学演習はつい数日前レポートも出し終えすべての講義ごとの小テストも終えて、ひとまずお終いとなったがどうにもわかったという気がしてこない。これは無理だったかなという所へちょうどNHKスペシャル「量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」というのが放送されるとあり見た方がいいような気がして録画してみてみた。最も印象的なのはノーベル賞受賞の量子物理学者がわからないという言葉を次々に発しているところだ。なRyousiんでこうなの、これはなんなの というような意味合いで量子力学は飲み込むしかないことで満ちているというのだ。そもそもこの番組の説明でも量子もつれとはなんなのかがわかるようにはとても作られていない気がする。(説明に使われる、だるまさんがころんだ、という遊びが少なくとも九州では子供のころそういう呼び名では全くなかった、これは関東地方が世界の中心にいるような番組だ、と引っかかって受け入れにくいつくりになっているように感じたのもあるにはあるが)。
放送大学の講義も特に後半の講師の淡々とした、これはこうなります、という形で押される講義がとてもついて行けず、教え方もあるのかなと思っていたらノーベル章学者からも量子物理はわからないと似たような言葉が出てきてあれっと思う反面どちらかというとちょっと安心した気もした。そういう世界全体が量子物理の核となっているのかなとも思ってしまう。量子力学で説明されてきたことがある日突然そうではなかったと言われるような日が来るかもしれない、そんな気さえしてしまう。

まだしばらく余韻を楽しめそうだ、ここらが量子力学の面白いところなのだろう。

| | コメント (0)

2024年11月26日 (火)

放送大学の量子物理演習をとってみたが

放送大学の講義は今期は量子力学演習を取ってみた。数年前に量子力学を取ってみた時、やりたらなさ感が残っていてどうも演習問題をいろいろやらないと学んだことにならないのではないか、と感じていたことがベースにある。しかし演習の文字がちょっとためらいを覚えていた、遥か彼方に過ぎた大学時代のRyousiensyuu 印象では、演習というときついイメージがある、いい加減な対応では済まされないという印象だった。今となってはその学びの懐かしさがあって、いいかもしれないととってみることにした。今では少しばかりの後悔が心に漂っている。とにかくとっつきにくい、まずはオンライン講座で教科書がない。テレビやラジオのように録画録音が容易ではない、というか録画アプリが錆びてしまった現状ではほぼできない。講義資料はPdfで提供されるが字が小さくて判読が難しいほどだ。講義画面から画像コピーを作っていたが、これが結構手間で時間を消費してしまう。
始めてみるととにかく内容がハードで理解するのに一苦労だ。基本的に以前学んだ量子力学なのだけれど改めて例題を見始めるとこれはどこから考えればいいんだっけの連続だ。
学んでいくと以前感じたもどかしさがさらに増幅される気がしてくる。ひたすら強引でも解き方の手順を発見するということにつきて、量子力学の本質が手順に結びついているような気がしてくる。
来年の1月8日までに全15回の小テストを受け2つのレポートを提出しなくてはならないというのが重くのしかかる。10月上旬スタートでこれはきつい。小テストは記述でなくて答えを選択する方式なので、問題の答えとしておかしくなさそうなものを絞るようにすれば正解を得ることはそう難しくもないと途中で気づいて解きやすくなった。真っ向から考えると時間ばかりかかる割に正解を外してばかりいた。テクニックで解くというのがどこか量子物理の問題解法に本来的に通ずるところを感じて面白い。奇妙な学問という気がしてきた。モノの存在そのものを解明するという学問のはずなのだがどこか違う。

近頃気になっているのは平均余命がもう11年しかないということなのだが、全てのことを納得できるまで理解するにはもはやあまりに時間がない。流れるように時を過ごしていくほかないのだろう。

| | コメント (0)

2024年7月16日 (火)

放送大学で家族と法を学んでみる

放送大学の今期は「人生100年時代の家族と法」というやや長い名前の講座をとってみた。要するに家族と法だ。家族の関わる法律ということから民法が中心となるが、どちらKazokuhou かというと家庭裁判所が取り扱う案件と思った方がいいようだ。その意味では今の朝ドラ「虎に翼」とラップするような気がしてタイムリーな感じがしている。一昨日試験も無事終わって、一段落だがなんとなく暫くはこの課題との付き合いが続いて行くような気がしている、朝ドラというのではなく、そろそろ終活か、と思い始めているからなのだろう。
それにしてもちょうど改正されつつある民法を対象としているだけに2023年上期から始まったこの講座でもまだ2022年12月改正が国会を通過しきれない時期に講義資料がつくられ講義の放送がビデオ撮りされていて、たぶん成立するはずという見込みで説明されている部分もある、本当はどうなったのだろうと最新のポケット六法を通販で取り寄せたりもした(改正は予定通りだった)。女性の再婚禁止期間の廃止や嫡出推定の見直し・認知制度の見直し等がこれにかかる、個人的にはそんなことが身近で起こる時期は過ぎてしまっていてそうかいという感じだが社会に与えるインパクトはそれなりにありそうだ。講義は社会保障制度、介護、高齢者・障碍者、住居・施設、相続、事業継承、ワークライフバランス、などこれは切実に知っておくべき知識と思われたり日々のニュースでの話題に直結した問題等々で満ちており、泥臭いようではあるが、これまで放送大学の講義で学んできたものとは異質な生活そのものに直結している点がかえって新鮮な気がしてくる。誰しも学ぶべき内容のように思えてもくる。相続などは両親の死亡時に大分実地に学んだがそれももう少し変わってきている、民法の動きというものを感じる。スタティックな学びでなく動いているフローの勉強だ、100年後は随分と変わることだろう、学んでいく中で社会の変わりゆく速さも感じてしまうのが面白い。いろいろ面白くて、学び続けること、これは止められそうにない。

| | コメント (0)

2024年5月11日 (土)

放送大学で「家族と法」を学び始める,知らなかった世界に入っていく感じが面白い

半年に一つだけ放送大学の講義をとるということを始めてもう十年くらいたつような気がする、まだ続けている。いくつになっても学ぶことが楽しいからだろう。2024年上期は「人生100年時代の家族と法」という講座をとっている。終活という文字が少し気になり始めたこともある、民法も大幅改Kazokuhoou 正されたようなこともある、ここらで一度学んでおくべきか、という現実的な部分がその動機の大半だ。
退職してからは遊びで法を学んで試験を受けたりもしていたが、この講座を学び始めてそうだったのか、ということにいくつも出くわす。まずは裁判に関する統計資料だ。全国の裁判所に申し立てられた事件数を民事・行政、刑事、少年、家事の4つに分類すると、2000年から2020年で家事が倍増し他はいずれも急減、いまや家事裁判数は刑事、少年をしのぎ民事・行政に迫る件数で、総件数の1/3になっている、という現実を見せられる。離婚や相続などの家庭を舞台にした裁判が急増しているということになる、マスコミではこんなことが報じられたことは一度もない、マスコミは要するにセンセーショナリズムだということをまた思い知らされる。講義はまだ全体の半分までは進んでいないが他にもアレということがいくつもある。例えば前回講義の国際的な婚姻にまつわる法律だ。婚姻できる年齢は日本では男女とも18歳以上で、これも改正民法でこうなり以前は男18歳女16歳だった。もし中国人と日本人が日本で結婚する場合、中国法では結婚年齢は男22歳女20歳となっているため中国国籍の人がこの年齢未満であれば日本でも婚姻は受理されない、という。中国の法が日本国内の法的手続きに効力を及ぼしている、こういうものらしい。アレっと思うのは結婚年齢が中国では高いところだ。中国での一人っ子政策の名残りかな、と思ってしまうが今では中国も急速な出生数の低下に直面しており、すぐにはパッパッと法を変えられないのかもしれないとも思ってしまう。
もっとも、結婚可能な年齢と出生数の関係よりも実結婚年齢の高齢化晩婚化が世界の出生数低下の主要な要因であるようで、調べていくと、ことはそう単純ではないようだが。
 
こんな風に今まであまり向き合ったことのない世界に入っていく感じが、世界はどうなっているか、我々はどこへ向かっているのかを学ぶことにつながるような気がして、なかなか面白い。 やはり学ぶことはいくつになっても楽しい。

| | コメント (0)

2024年4月12日 (金)

マイケルグリーンの「アメリカのアジア戦略史・上」を読んでみたが

マイケル・グリーンのアメリカのアジア戦略史 上 建国期から21世紀まで という本を借りてこのところ読んでいたが2週間の貸し出し制限がきつくやっと読み終えてそのまま返却した。アメリカという国は太平洋を越えた西にあるアジアとどう向き合ってきたかという視点からの書物で、こういう見方から書かれた本Photo_20240412103601 は初めてで新鮮な思いがした。誰がどう政策決定に関わってきたかを人名を中心に細かく書き記している。屈折しながらジグザグと進んできたアメリカの状況がそれなりに分かる気がする。書かれていることは多分本当なのだろうが、読み終えて感じることは幾つか肝心のところが書かれていない、意図的にか逃げているように感じるところがあるのが気になる。狂信的な愛国者からのトラブルを避けるためアメリカにまずいことは書かないようにしているのかもしれないと感じてしまう。一つはハワイ王国滅亡に対するアメリカ政府のかかわりのところだ。植民地化-併合のプロセスでは手を汚していないかのような書き方に終始しているというかきちんと書いていない。第2次大戦後の植民地の民族自決をアメリカがリードしたというところはきっちり書いているのに自らはハワイ王国を簒奪し併合している(住民の7割が反対したといわれる)という歴史的事実に向き合っていない、キレイキレイに書いている、そういうことなら他にもそんなところがあるかもしれないと内容が疑わしく思えてくる。日本との開戦に至るいきさつもたとえばハルノートのような動きはまるで書かれていない、というより開戦直前直後の米政府内部の動きについては一切書かれていない。何かまずいことがあるのかもしれないと思う、真珠湾はだまし討ちだというローズベルトの主張は米国の失態を覆い隠し利用するプロパガンダだったのかもしれないと思ってしまう。

色々あるが米国が建国以来太平洋を西へ西へと押し続けているという歴史・現状は事実に即して素直な目で眺め続けなければならないのだろう。思った以上に米中対立は簡単には終わりそうにもない、そうも感じる。

| | コメント (0)

2024年3月14日 (木)

「大シルクロード展」を見る

3月中に見ておかねばと思っていた2つ目の展示Posuta は、「大シルクロード展」というシルクロードの文物、資料の展示だ、現在中洲の福岡アジア美術館で開かれている。主催は中国文物交流中心( 中国の国家文物管理局直轄の機関)他各地美術館、各新聞社などで外務省も後援しており本格的なシルクロードの展示ということができるようだ。東京、福岡、宮城、愛媛、岡山、京都 と来年2025年2月まで国内各地を巡回していくという。
例によって放送大学の学割で入場する、放送大学の学費はこんなことで大方取り戻せるような気がしている。出展品リストの配布もないがとにかく見ては写真に撮るFelt1 を繰り返しながら見ていく。平日のためか年配者が多い。初めの方にウイグルから出土した紀元前8-前3世紀のフェルトの背の高い帽子があってちょっと驚く、あまりに保存がいい、砂漠地帯のためだろうか。最初の方に古いものが多く置いてあるようでもあるが展示順の筋がよく理解できないままに進んでいく。パッと見た目 正倉院御物のようなものが目に付く。江西省博物館から出品の和同開珎まであったりする、日本との交流の明確な証拠だ。6世紀ころの経文がいくつか展示されているが、漢字が今と同じというところに妙に感じたりして、アジアのベースになり続けた中国文化の深さに改めて感じWadokaiho 入る。展示物は興味深いものが多々あるが、これがシルクロードに点在して遺跡として現代まで残されているということそのものにインパクトを感じる。
出口手前で動画放映があり、その中に出てくる敦煌 月牙泉の映像に驚く。広い砂漠の中にここだけがげ現実離れした不思議な風景を作っている。シルクロード見てみたくなる、行けるものなら行ってみたくなるKyoumon
もう無理かな、でも、と、そんなことを想いながら会場を後にした。

添付写真は順に ポスター、フェルト帽子、和同開珎、経文断片、敦煌 月牙泉の映像Tonkou1

| | コメント (0)

2024年1月30日 (火)

メディア論を放送大学で学んでみたが

放送大学は今期はメディア論というのを取っていて、もう試験も終わって一段落だが、振り返ってみて何だか物足りない感が残っている。メディアの現在進行形が教える方にも学ぶ方にも同時に響いてくるという状況が、改めて学ぶという感覚を損ねているのかもしれない。メディアについての意見は人それぞれで未だに確固たTuki0117c る論が形成されているというほどでもないグニャグニャした状況ということなのかもしれない。せっかくだからいくつか本を読むかとマクルーハンの「メディア論」、「グーテンベルグの銀河系」「グローバルヴィレッジ」を図書館から借りてきて適当に読み始めたが、ちょっとがっかりしている。難解なような思わせぶりな鎧を着た空疎な内容のように感じられて、読み進むのはいい加減なところで止めている。これは今や骨董品だ、ここから真面目に学ぼうとするのは時間の無駄だ。現代のメディアの存在は明らかにこれらとは随分と違ったところを走っている。
なぜこうも無責任にメディアは人を導こうとするのか、昔から言われていたことだが自分のすぐそばで起こった事件が世間に報道されていくのを見た経験がある人はほとんど報道は間違っている、あんなもの信じてはまずい、という感想を抱くということらしい。なんでそのような存在でメディアはあり続けるのか、メディア論を学んでも全くというほど解らない。言葉そのものの持つ何かがあるような気がしている。
和歌もメディアであるという。和歌を時々作ったり読んだりしているが、本当の気持ちがのりやすい形式のように感じている。家族が歌人で構成されている場合、手紙よりなにより和歌が生の気持ちを最もよく伝えるとある有名な歌人が書いていた。そう思う。何かその辺りに信頼されるメディアの形のヒントがあるような気がしている。

| | コメント (0)

2023年12月31日 (日)

放送大学でメディア論を学んでいる

半年に1つだけ放送大学で学ぶということをもう何年も続けている。選科履修生 という形で在学しているのでいまだに大学生ということになる。学生証もあるし学生料金が設定されている催しでは割安で入場できる。学費はかなり取り戻せる感があるのでそう高いという印象はない。今期はメディア論という科目を受講している。2つの戦争が世界で進行しプロパガンダが横行し、メディアを通じて流れてくる情報にうんざりしていて、メディア論といMediaron うタイトルに何か惹かれたというのが受講のきっかけということになる。メディア論とはそもそも何か。メディアに関する学問と大雑把に捉えている、時代とともに変化の激しい情報伝達・情報共有を成り立たせるための手段(メディア)を扱った学問全般と思っている。メディアとは腕木式信号機であり旗振りであるというところからメディア史は語り始められるが、その前の長いのろしの時代というきわめて興味深い段階は省かれている。そこまでは論じられられないということだろうか。メディアの歴史の中で興味深いのは戦争とのかかわりが多々ある点だ。マスコミュニケーション研究の源流に位置する米国のリップマンは第一次大戦で情報将校として宣伝戦を戦った、その時得られた知見がその後のマスコミュニケーション研究の出発点になって世界に広がっている、また同じく米国のラザフォードは第二次大戦期に軍の戦争宣伝と結びついてマスコミュニケーション研究を発展させたりもしている。マスコミュニケーション研究を体系化したシュラムも2次大戦中は戦時情報局で宣伝研究に従事していた。要するに戦争の遺産・軍事研究のプロたちに主導されたコミュニケーション研究というのがそもそものマスコミ研究の出発点でありメディア論のもとになっているようだ。
そう考えると民主主義社会の中心である民衆をどうやってコントロールするかそのことに専心しているプロたちがいないと自由民主主義のような政治体制は安定した発展を保たれないということのようにも思えてくる。これが悪意の手に支配されればとんでもないことも起こる。メディア所有者の意思で民主主義の根幹がコントロールされる。そう考えると現代的にとても重要な学問と思えてくる。
まだ勉強中だが来月には試験がある、正月明けからまとめに本腰を入れなければならない。
でも、学ぶことはいくつになっても楽しい。

| | コメント (0)

2023年9月27日 (水)

図書館から本を借りて読んでいると

本を読むのは図書館から借りて読むに限る、と思っていた。借り出し期限内に読み終えなければならないという観念が付きまとって無理しても時間を作って読むことになる、これがいい。ところがこのところ借り出せる本の上限10冊までを抱えて、期限が来れば貸し出し延長を申請するという状態がしばらく続いた。これではいけないと思いながらもまだ読み終えていない本を返すに忍びない、読み終えないうちにこれは面白い本かもしれないと別の本に予約を入れる、これを繰り返して上限に達していた。しかし10冊は多すぎる。今週予約していた本が3冊来て身動き取れなくなって、エイッと6冊ほど返した。
ちなみに借りていたのは
 目で見る美しい量子力学 外村 彰/著 サイエンス社
 糸島モデルコース25 2023-2024 ぐる~り糸島別冊 聞平堂
 天野先生の「青色LEDの世界」 光る原理から最先端応用技術まで ブルーバックス 天野 浩/著 講談社
 Newsweek(ニューズウィーク) 日本版 2023年9月12日号 CCCメディアハウス 20230912
 私の1960年代 山本 義隆/著 金曜日
 食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書 エリザベス・ギルバート/著 ランダムハウス講談社
 古代の世界現代の省察 ギリシアおよび中国の科学・文化への哲学的視座 G.E.R.ロイド/[著] 岩波書店
 ソフィストとは誰か? 納富 信留/著 人文書院
 プラトン 哲学者とは何か  納富 信留/著 日本放送出版協会
 BOOKMARK 2 翻訳者による海外文学ブックガイド 金原 瑞人/編 CCCメディアハウス
の10冊で、このうち2番目、4番目、7,8,9,10番目を返した。2番目(糸島)と10番目(BOOKMARK)は読んでみると手元に置くガイドブックとして有用そうなので別途買うことにした。7(古代の),8(ソフィスト),9(プラトン)は放送大学でギリシア哲学をとっていたのでその関連で読んでいたものだから、講義も終わって返すのは普通なのだが、まだ理解できていないところが多々あって抱えていた。頭に入りきれない、でもこれ以上はプラトン全集を読む方に移るべきかとも思えて返すことにした。
1番目と3番目は量子力学関連で見ているが、これもまだ理解できていない、もう少し、と延ばしている。もう無理かもしれない、時々そう思う。特に1番目の量子力学は写真をHon0927a 見るのはいいが書いてあることは理解しやすいようには書かれていない、そういう世界なのだろう。新たに予約して借りたのはリーマン予想の本で(素数に憑かれた人たち リーマン予想への挑戦 ジョン・ダービーシャー/著 日経BP社)こちらも少々難しそうだ。また抱えそうだ、でも知らない世界に入り込んでいく感覚が面白くてこんなことを続けている。
どうせ死すべき運命からは逃れられないのだから気ままに生きていくか、そんなことばかり念じながら時が過ぎて行く。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧