2023年10月 3日 (火)

7回目のワクチンを丁度カリコさんのノーベル賞受賞発表の日に打つ

7回目のコロナワクチンの接種券が福岡市から2週間くらい前に届いて早速近くの医院を予約しておいた。もう完全にルーチンワークの感じがする。こういう繰り返しがいつまで続くことになるのだろう。予定の接種日が来て昨日打ちに行った。午後の一番乗りですぐに打ってくれる。戻ってゴロゴロしていたがこれまでの内では副反応があまりないような気がしていた、手のしびれもない。が、翌朝になるとやっぱりちょっと変だ、前回の接種同様 朝かなり早く目が覚めて睡眠のリズムが狂うようだ。熱はないので大したことではないが何となく気分がすぐれない。前回の時よりはましのような気がする。コミナティRTU筋注(1価:オミクロン株XBB.1.5)というのがワクチン名称のようで5,6回目のコミナティ(2価:BA.4/5)とは少しは違うようだ。調べると今最もはやっていて免疫を逃れうるオミクロン株の変異株XBB.1.5を有効に抑え込むワクチンということになる。流行の大半がこの型になりつつあることから1価でいい(1種類のウイルスに対応するのでいい)という判断のように見える。ファイザー/ビオンテックのものだ。
ワクチンも打ったし、と、ゴロゴロしてテレビを見ていたらニュースのテロップでノーベル賞生理学賞・医学賞にmRNAワクチンを開発したカリコさんが受賞と流れる、ハンガリーから逃れるように渡米して一途にmRNAワクチンを完成させコロナのパンデミックに間に合わせた、物語のような人生を送っている人だ。Kariko 記者会見の模様が流されていたが、(海外の)記者から副作用は問題ではないのかというどうかと思うような意地悪な質問を受けていた、だれが見ても人類を救った研究を成し遂げた人だ、的外れな非難を浴びせる権利が記者にはあるのだろうか? ジャニーズ事件での記者会見の記者質問でも同じようなことを感じる、マスコミはそんなに偉いのか、そういうあんたは今まで何をしていたのだ、そういってやりたくなる。色んな意味で民主主義の限界が見えてきているのもこの頃の雰囲気の様に思えている。我々は一体どこへ向かっているのだろうか。

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2023年5月21日 (日)

6回目のコロナワクチンを打つ

昨日6回目のワクチンを打った。接種済証には バイオテック/ファイザー製コミナティ(2価:BA.4-5)とあり、去年の11月に打った5回目とほぼ同じワクチンの様だ。
もう副反応は出ないかな、と高をくくっていたが前回とほぼ同じで睡眠サイクルが乱れ、寝付いて2時間くらいで目が覚め2度寝してまた2時間くらいで目が覚める、翌日は寝不足のようで頭がぼんやりして気分が悪い、おまけに37℃位の熱が出るという有様だ。熱が出る分前回より少しひどいという気もする。今回は接種後解熱鎮痛剤を1錠機械的に渡された、前回までは希望者だけに販売だった、そんなところを見ても今回は熱が出るのが当たり前というワクチンになっているようだ。解熱剤を飲んでも気分の悪いのは午前中いっぱい続いた、午後にはすっかり良くなったものの、おかげで今日の午前に予定していた油山での鳥見の会には不参加とせざるを得なくなってしまった、まあしょうがないか、というところではある。
外に出ればマスクを外す人が以前より多くはなったが、店の中では殆んどがまだマスク姿だ、こんな状態はいつまで続くのだろうか、ゆっくりと戻っていくのだろうか。

思えば人類はAjisai0521a 地球上の生物の頂点に立ち何でも思いのままと奢っていた、それに一撃を加えたのが新型コロナウイルスであり、ボディブローのように攻め立てているのが地球温暖化ということになるのだろう。軌を一にして攻撃が起こっているように感じるのは、これまでの人類の振る舞いが曲がり角に来ていると思わざるを得ないということなのだろう。
一方で欧州のようにこの機に乗じて狡猾にふるまい時代の曲がり角で他を蹴落とそうとする意志がうごめいているようにも感じてしまう。
もっと吞気で心を許しあえる未来を描き続ける強い心が求められているように思えてならない。

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2022年11月23日 (水)

コロナの旅行支援で姫路/山陰をめぐる

コロナの旅行支援があるのでせっかくだからと、1泊2日の旅行社ツアーで姫路城/鳥取砂丘/足立美術館/出雲大社を巡る旅に参加してみた。山陰は自分で旅程を組むにはちょっと面倒なところがあって、丁度いいかという感じがあった。ルートを調べるとこの3月に姫路から中国道までの高速道が開通し姫路城を見た後鳥取砂丘に回Kippu1 るコースが1日で回れるようになっ て実現したツアーのように思える。
8時10分の集合時刻に合わせて博多駅に行くと40人くらいいる、結構多い、女性が多い感じもする。集合場所で新幹線の切符が渡されるかと思いきや指定座席のシート番号が書かれたメモ紙が渡され入場は改札口の横の仕切りを開けてもらって団体で一斉に入る形となるHimejijyo 、普通の改札はな い。切符もないこんなんで大丈夫かと思うがいつもこうのようだ。2時間半くらいで姫路到着だから遠いというほどではない。観光バスで11時30分ころ姫路城につく、懸念した通り昼食が問題だった。昼食は付いておらず2時間の城内観光の時間内で各々昼食をとる必要があるが城内は食事禁止でひとまわりした後お堀の外に並ぶ土産物兼食事の店まで戻って食べるほかない、結構混んでいて、バス出発時間が際どい。しょうがないので店の前で売っているおでんを買って近くのベンチを探してここで昼食を済ませる。バスの中もコロナ対策で食事は禁止となっている。コロナ時代の旅はやはり少々面倒だ。
2時間半ほどバスに揺られて鳥取砂丘に4時前に着く。日没は4時55分ころだ。砂山の肩のところまで歩いて登って海を眺める。風は弱く砂が靴に入ることもない。Sakyu このくらいの砂丘なら日本の各所にありそうな気もしてくる、大抵は松を植えたりして砂をコントロールしているがここはそれをあきらめたに過ぎないような気がする。福岡の海の中道も剥ぎとれば大砂丘なのだろう。でも夕日の景色はいい、夕日の頃にここにつくように設定されたプランはさすがと思わせる。ここにきたら砂の美術館も行くべきところのように思えてくるが時間がきついお仕着せのツアー故今回は行けない、そこまでは無理だ、しょうがない。
大山のふもとの宿に一泊する。大きな建物でツアー客が多い。コロナ真っ盛りの時はどうしのいだのだろう、やっと一息つけた雰囲気がひしひし伝わる。もらった一人3000円のクーポン券は鳥取県内でしか使えない、このホテルで半分と次の日の朝一番で行く土産物屋で残り半分を使う。とにかくこの地の経済を回すことにお役に立てた心地がして悪くない。
Teien 続いて安来の足立美術館に寄る。足立といっても足立区とは何の関係もない。足立全康という名の安来出身の事業家・蒐集家が1970年に創設した大きなスケールの美術館で横山大観の豊富なコレクションと広い日本庭園が(国際的にも)立派として知られる。団体客を多く受け入れるだけのキャパシティーがあり、この日も平日ながら結構な混みようだ。すこぶる個人的な印象としてはフーンという感じで、感動というほどのものは感じない、でもこういう施設は個人が作ったものにせよ島根にとってはかけがえのないものとなっていることをどうしても感じる。こんな美術館はここにしかない、よくぞ創った。
出雲大社に行く。このツアーの訪問地としてはここが最後だ。本殿に向かって参ったが本殿はよく見えない、見るということにはあまり向いていない建造物のようだ。また昼にかかるがオプションの昼膳を頼んでIzumotaisya いたのでランチは何とかなった。食べ終わって歴史博物館へ急ぐ。圧巻は荒神谷から出土した銅剣365本だった、全てをこれでもかと展示してある。加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸もすぐそばに展示してある。何故これほどの量がここにとどうしても思ってしまう。古代史における出雲の位置づけがまだまだ不十分なのを感じる。
あわただしく駆け抜けてバスは広島に向かう。途中の休憩は三次ワイナリーDouken だったがインターのそばのトイレ休憩に向く施設として存在しているのも面白い、次々に観光バスがやってくる。勿論ワインも大サービスの試飲が効いて次々に売れていく、巧みなビジネスだ。
余裕で広島駅に到着、やや持て余した時間をスタバで過ごす。夕食は予約していた駅弁となるが勿論新幹線内は食事可能でのんびりとくつろぐ。
あわただしい旅ではあったが、この時代の旅行を取り巻くビジネスの有様があちこちで面白くも見られたのが印象的だった。コロナが8波でやってきてもこれは何としても凌がねばならない、そんなことを思っていた。

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2022年11月10日 (木)

5回目のコロナワクチンを接種

5回目のワクチンを打つ。ファイザーだ。説明書によれば従来型+オミクロン対応2価ワクチンという。2種類の抗体が生成されるということのようだ。

ファイザーだから副反応は殆どないのかと思えばそうでもない、睡眠サイクルにでてきたようだ。打ったその日は夜寝付いてから1時間後に目覚めた、こんなことは今までなかった。2度寝してもまた2時間で目覚める。また寝るのもすぐにはできずそのまま起きていた。朝食後に眠いからと寝る。起きても何かだるい。どこまでがワクチンのせいか判らないが、今までとは違う体の反応だ。不気味といえばそうだが、脳がワクチンのmRNAをウイルスと思って寝てる場合じゃないぞと慌て

Jyugatsuzkr1110a11 ている様を思い浮かべると面白くなる、そんなことなのだろう。
5回目があるということは6回目も半年後くらいにきそうだ。いつまで続くのだろうか、これまで言われていたのは、スペイン風邪がそうだったように軽症なウイルスに変わっていってついには普通の風邪の一種になるというものだったがまだそんな状況の雰囲気ではない。スペイン風邪の時とは違うようだ。

いずれにせよ天寿を全うしたとしてもそれほど長い命ではない。
だから大事に生きなくては、目一杯生きなくては、という考えには抵抗を感じる。だからどう生きようと気にすることではないと思っている。やり残したことだらけだ。見なかったことだらけだ。すべてを見、すべてを行うことは不可能だ。生きるとはそういうことだと思っている。水のように生きていければそれで十分なのだろう。

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2022年2月 6日 (日)

パルスオキシメーターが

コロナ騒ぎがまだ続いている。ワクチン3回目も打ったし人混みは避けるようにしているので、逃げきれそうな気がしているが、万一ということもある。テレビ報道などで見ていると症状の重さの判断はパルスオキシメーターで測った血中酸素濃度によっている様なので、これを買って体温計の様に使ってみたいものだとネットで探してみる。価格が大きくバラついているのに驚く、数万円から千円くらいとなんなんだというくらいの巾がある。パルスオキシメーターは日本人技術者が発明して、コロナで瞬く間に世界的に使われるようになったようだ。原理的には指先の血液の色から酸素濃度を測っていることになりある程度の感度があれば絶対値の精度はそれほどでなくとも値の変化する様が見れて使えるだろうと中国製の最低価格帯のものを発注した。程なく郵便の封筒に入って送られ てくる、送料無料で苦心しているようだ。単四電池2本を入れスイッチを入れると動き出す、指は入りやすければどの指でもいいらしいので、左手の薬指で測ることにする。96位の値でそれらしい、息を少しとめて様子を見ると一旦少し上がった後93くらいまで下がってすぐ戻る、ネットなどPulsoxmeter で出回っている反応と大体同じで何かしら測れている様だ。少しでも調子が変だと感じたらすぐ測ることにしている、体温よりも測りやすい。
北京五輪が閉幕する頃には終息が見えてくるだろう、もう少し頑張れば逃げきれそうな予感がしている。それにしても何故かオリンピック開催と感染ピークが再び同期しているように見えてしまうのはどうしてだろう、又だ。地球の上に生きているとやはり簡単にはわからないことが多い。

今朝庭に出てみると、なにかトビムシの様なものが植木のところに飛んでいるように見えた、何だろうとみていると、分かった、雪だ。風花だ。見上げると黒雲が迫っている。
立春を過ぎても地球は簡単には季節を進ませてくれない。やすやすとは手の内を見せない、そういう地球がどこか愛しい。

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2022年1月23日 (日)

ワクチン接種3回目も終了して

2回目までのワクチンでは時が経つとともに効き目の弱体化が顕著でオミクロンの感染者にはワクチン2回の人が大勢いるらしいと伝わってとにかく3回目と思っていたところに接種券がやっと送られて来た。2回目接種が7月5日だったから6ヶ月半で接種券が送られたことになる。2回目接種後8ヶ月だ7ヶ月だと色々政治的発言があっていたが福岡市は6ヶ月でほぼ統一されたようだ。指定のコールセンターにすぐに電話を入れると、前回接種の近所の医院では当分できないようで、いくつかの集団接種会場を示さVaccin3rd れたが、場所がわかりやすい博多駅のkitteビルなら2日後にも取れるというのでそこを予約することにした。ワクチンはモデルナだ、これまで2回はファイザーだからちょっと引っかかるが、ファイザーは数ヶ月待たねばならないような説明とともにモデルナでも大丈夫ですとの予想通りの答えが電話から返ってくる、信じてもいいのだろう。
当日は1月には珍しいしっかりとした雨だ、クルマで行くことにする。日曜なので上手く駐められるか不安はあるが博多駅近くには色々駐車場はあるのでなんとかなるだろうと向かった。少し早めに出て博多駅に着くとkitteの向かいの駐車ビルに空きありの表示がある、入ると随分ぎっしり駐まっていて、空きを探しながらグルグル上っていく、6階まで行ってやっととめられる、混んでいる、でもなんとかなった。
予定の接種会場には40分くらい前について待機場所で待つ。次々に人が来て手続きをして待っている。と、程なく順番が回って来て予定時刻頃にちょうど接種となる。なんということもなく終わって15分の待機で様子を確認したあと全て終了となる、少し寝不足なのとクルマで来て副反応が出たら帰れなくなることを恐れていたがそんなことは杞憂だった。家に帰って暫くたって注射した方の腕が少し痺れるような感じがでてくるが大したことでもない。年寄りには副反応が出るほどのエネルギーが細胞に残っていないのかもしれない。

とにかく3回目が終わった、コロナからもうまく逃げ切れるかもしれない。兎も角風邪薬だけはしっかりキープしておこう、旧型コロナ(要するに普通の風邪)に一定の効果があるものなら新型に万一かかっても症状を抑制すること位はあるだろう、その辺りどこからも説明が無いのがかえって怪しい。この山を越えればコロナも終息かもしれない。

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2021年12月27日 (月)

接種証明のアプリに落胆

つい数日前、接種証明アプリで簡便に接種証明ができるようになりましたというニュースが流れて、それではと手持ちのスマホ(F-05j)にアプリをダウンロードしようとデジタル庁のページを見ながら進めてみた。ダウンロードをクリックするとこのスマホは不適合との表示が出る。えっと思いながらアプリの動作環境のところを見るとNFC Type B 対応端末の必要があUnnamed2 る、とあり、何だこれはと少し調べる。NFCとはNear Field Communication近距離無線通信技術の国際標準規格でこの内日本ではスイカなどで使われる国産のfelicaが主流だがtype-Bは米国モトローラの開発した方式で国内ではマイナンバーカードなどの公共カードでしか使われていないようだ。もう少し調べるとマイナンバーカード適合のスマホ一覧にF-05jは入っている、不適合はNFCではないようだ。も一つの要件にOSのバージョンがandroid8以上というのがあり、調べると手持ちスマホは7.1.1で該当しない、これのようだ。OSをアップグレード出来ないかと色々調べるが、何故かこの機種はandroid8へのバージョンアップできないようだと次第に解ってくる。2018年に買ったものでそんなに古くもないがハード的に対応できない部分があるのだろう。 めんどくさい世の中になっている。
しょうがないので接種券についている接種記録をスキャナーで撮ってスマホに取り込んでいる、証明の提示を求められればこれを示すのでいいはずだ。これでいいとデジタル庁で流してくれればいいのだが、それはデジタル庁の仕事ではないのだろう、一抹の不安は消えない。
接触確認アプリCOCOAもうまく機能していないようで、デジタル技術で感染に立ち向かうというところは日本ではあまり期待できない現状なのだろう。

失われた何十年かの間に日本はこんな国になってしまったと感じる日々が過ぎて行く。

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2021年12月 3日 (金)

オミクロン株に安心する

コロナウイルスの理解に随分助けとなった本に「ウイルスは生きている」(中屋敷均著)という本がある。5年位前の出版だがウイルスの本質をよく教えてくれる。オミクロン株の登場にも参考になる記述がある、ここで紹介されているスペイン風邪の終息の話が興味深い。多くの人が感染し抗体が多くの人の体内に造られたというのもあるが、ウイルス自身も致死性を弱めるように変異していったというのだ。ウイルスは変異が進むと致死性は下がってくるが流行はしやすくなる、というのが一般的傾向のようで、結局普通のインフルエンザになっていくということらしい。宿主無しではウイルスは生きていけない、宿主を殺してしまっては元も子もない、従って合理的にそうなっていくというのだ。今度のオミクロン株はそんな変異である可能性が匂っている。感染力は確かに強いが、南アからもたらされる症状に対する医師の見解は相当にマイルドな症状というものだ。だんだんただの風邪のコロナウイルスになっていくのだろう。ウイルスとしては感染力が強いのでデルタ株などを駆逐していきオミクロン株だけとなるが、心配するには及ばないということになりそうだ。そんな近未来が見えてくる。オミクロン株の登場は収束段階に入ったということになるのだろう、いい風邪薬があれば済む話になっていくのだろう。
各国政府がピリピリしているのは、コロナでつまずくと即退場を強いられる政治の世界が世界中で現出しているためなのだろう、外れるととんでもないことになる。

分ってくると少し心が楽になった。自粛明けにどこへ行こうか。

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2021年11月23日 (火)

コロナ自粛からそう直ぐには抜けられない

このところ出不精になっていて本を読んだりテレビを見たりする時間が長くなっている。コロナ自粛からそう直ぐには抜けられないということだろうがこんな生活でいいのだろうかと思ったりもする。

堀文子の自伝を読んでいた話は前に書いたが、自伝の最後の方でクラゲの寿命は1億年以上というところがあったのが引っかかっていて、少し調べた。2007年に書かれた本だが、今までそんな話は聞いたことがない、と、Umi0609 ネットで少し調べると、今でも結構話題になっているようだ。ベニクラゲという1cm位の小さなクラゲが不老不死だというのは明らかな事実のようだ。クラゲとしての生殖行為を行った後親クラゲは水底に沈んで殆ど死んだような状態(肉団子状態)になる、肉団子状態になった後普通のクラゲなら水に溶けてしまうところをこのベニクラゲは溶けずに膜で体が覆われるようになり何かに付着した状態で幼生時代に戻ってポリプとなりここから蘇ってしまうというのだ。人間なら胎児にまた戻るということなのだろう。フーンという感じだ。
つい昨日クルマで走りながらラジオを聴いていると、子供電話相談室の公開版があっている中でこのベニクラゲの再生について質問した子供がいたのにはちょっと驚かされた。その場にいた他の子供たちは誰もそんな話は知らないという、そうだろう、それにしても、ベニクラゲの不老不死は結構知られた話になっているようだ。
確かにこれは不老不死だろう、しかしクラゲに記憶があるかは知らないがもしあったとしても幼生にまた戻ってしまってはそんなものは消し飛んでしまうだろう、DNAに残された記憶はまた再生するがそれは(生殖、子孫誕生-親の死)を繰り返す他の生物でもDNAは伝わっていくのだから、これが不老不死なら大抵の生物も不老不死と同等ということになるように思える。DNAの伝搬の研究も近頃思いもよらない結果をもたらしたりもしているようだ(帯刀益夫著「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」、この本も面白い)。中央アジア在住の人のDNAを調べたところこの地域の男性のうち1600万人はジンギスカンの末裔なのだそうだ。調査対象の8%のY染色体DNAに同じパターンが認められこれを手繰ると約1000年前の一人の男性にたどり着く、これはその時代に多くの子孫を残せたジンギスカンということになる、というのだ。1600万の中にジンギスカンの遺伝子がリアルに伝わっていて今後も伝わり続けていくというのならこういう不老不死もあるといってもいいのかもしれない。
たらたらと読書をしていくと思わぬものに当たり続ける。テレビで放映される最近の映画を見ることも多くなったがここでも知らなかった世界やそうだったのかと思うことに出くわす(例えば今年のアカデミー賞映画「ノマドランド」や韓国の朴大統領暗殺の内幕を描いた「KCIA 南山の部長たち」など)。本の中でも映画の中でも新しいことに出会い続ける、こんな風に時間を過ごしていくというのも悪くないと思い始めている。

つまらない生き方などどこにもないのだろう。

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2021年10月24日 (日)

アクロスの国際会議場で古楽声楽を聴く

  古楽器音楽祭というのが福岡でアクロス福岡を中心に毎年秋に開かれていたが、今年はコロナやアクロスホールの工事でどうなることかと懸念していた。結局、関係者の続けたいという努力のお陰か、赤坂門のアイレフホールなども使ってややこじんまりとではあるが何とか今年もKogaku2021 行われた。アクロスのメインホールは工事中だがアクロス4Fの国際会議場は使えるのでここを使った声楽のコンサートも開かれた。アクロスなら勝手がいいのもあって1つくらいはと、これを聴きに行くことにした。バロックの声楽は通常のクラッシックの声楽とはかなり違う美しさがあるものの聴く機会が少ないだけに、聴いてみたかったというのが勿論ある。。
国際会議場だけに椅子はホールのより立派だが、舞台という格別なものはなくちょっと段が付けてあるだけでシンプルだ。入り口で翻訳付きの歌詞コピーを渡される。随分親切なコンサートだと思うが、始まるとこれがないと何が何だかわからないと解る。バロックのコーラスというと宗教音楽が中心のようKokusaikaigijyo に思ってしまうが、歌詞の内容をを見るとラブソングなどもあり宗教歌では全くない。それでも響きは教会音楽のようなところがあって、知らないで聴くと聖歌と思ってしまいそうだ。
演奏者はラ・フォンテヴェルデという日本のグループでソプラノ、カウンターテナー、テノール、バスという女声1男声3のコーラス、楽器はリュート1本だけというシンプルなものだ。2002年に結成され16-17世紀イタリア声楽をその演目の中心としているという、もう20年近く活動していることになる。国内でこの分野では恐らくトップなのだろう。
コンサートのタイトルは「マドリガードの魅力」とあり、16世紀のイタリア歌曲でしめられている。前半はフランドルの作曲家も含めた当時のはやり歌のような歌曲10曲で後半はより詩と音楽を深めたマレンツィオ作の11曲のイタリア歌曲で構成されている。マドリガードというのはここで演じられるような歌曲のことを指すようだ。
特に説明無しで、間にリュートのソロ演奏も挟みつつも、前半、後半それぞれはぶっつづけで歌い続けられる。

曲目前半は
J.アルカデルト:白く優しい白鳥
C.D.ローレ:別れのとき
O.D.ラッソ:いとしのマトナ ほか
後半は
ルカ・マレンツィオ:
夜の雨後にも見たことはなく
輝く優しい星に告げた
西風が戻り ほか
アンコールは ルカ・マレンツィオ:見るが良い、愛の神よ

イタリア語の歌詞を目で追いながら聴いていくが、フーガの重なりが方々にあってどこを歌っているのか分からなくなったりもする、歌詞そのものが2重3重に前後して重なりそこで生み出される響きが美しさを醸し出しているようで心地いい。特異な歌唱でこんな機会でないとなかなか聞けない気がする、貴重だ。

聞き手にとっても恐らく演奏者にとっても、コロナ時代はこんなコンサートの有難味を特に感じさせてくれるようにも思う。音楽への向き合い方の認識を改めえたような効果はコロナという災害が与えてくれたポジティブな面なのだろう。何事にも全く無駄ということはないようだ。

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