2024年1月28日 (日)

新年早々レンジフードが壊れて

年末年始の時期は何かと気ぜわしくあれよあれよと時が過ぎ去った。思い返すとそういえばなぜかうまくいったこともあったりする。その一つが電子レンジ調理器具「レンジメートプロ」を何の気なしに購入したことだ。2か月くらい前に面白そうなものがあるとネットで見つけて、何だか高いなあと価格をいくつかのサイトで見ていたらYahooのサイトに他より1000Renjmate 円安い価格で出ていておまけに既に取得していた 1500円のクーポンも使え随分割安に買えることが解りつい衝動買いしてしまった。12月はじめに到着して、高い買い物だったかもとも思いながら魚を焼いたりベーコンエッグを作ってみたりとぼちぼち使っていた。12月も末の押し詰まった頃台所のレンジフード(換気扇)のスイッチが突然うまく入らなくなった、ずいぶん古いレンジフードだ、しょうがないなあと正月期間はだましだまし何とか使っていたが、もう買い替えるほかないかと正月明け直ぐに業者に来てもらって見積・発注した、プロペラ式の換気扇ではなく今はシロッコファンを用いたスマートなのが主流で部品が揃うまで暫くかかるという。しょうがない、何とか耐えるほかないと思ったが翌日にはスイッチが全く壊れて換気が完全にできなくなってしまい、要するにガスでの調理は極力避けざるを得なくなった、これは困る。ここで俄然電子レンジだけで焼いたり煮たりできるくだんの「レンジメートプロ」が朝昼晩大活躍となった。ガスなしでもベーコンエッグや鍋焼きうどん、魚・肉焼き、肉じゃがなどかなり調理できる。偶然とはいえよくぞ買っておいた、という事態だ。結局換装工事ができたのが1月半ば過ぎでその間の12日間はチャチにさえ見えるこれが煮たり焼いたりする調理の主力となった。
こんなこともある。何とかなるものだが、いつ何が起こるかわからない。生きていくための冗長系がそこここに必要なのが現代社会で生きるということなのかもしれない。新年早々また一つ学んだ気がする。今年もいい年でありますように。

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2021年9月15日 (水)

トイレタンクの水漏れをやっと直す

引っ越して以来2つあるうちの一つのトイレが、止めた状態でも微妙に水が流れる症状に悩まされていた。ネットで調べると、たいていはボールの浮きで止める仕掛けが締まりが悪くなってきたため起こる現象で、浮きによるの閉め力を増すように下向けにボールのアームを曲げれば解決するとある。これを信じて 漏れが気になったときはボールのアームを少し下に曲げていた。多少改善はされた気がするが止まりきらないままに何度も曲げを繰り返しついにはボールのアームをへし折るまでに至ってしまった。これではしょうがないのでボール式から上下にレールに沿って浮きが動く方式のしかけを発注してこれに変えた。少し良くなった気がしたがこのところまた漏れが気になってきた。これまでは井戸水だったものを隣家の新築で水脈に泥が混じるようになってこれを期に水道に変えていた、今度は漏れは直接水道料金に出てくる。近頃はゴム栓が全く止まらないようなことも時々ありどうも様子が変なので、底のゴム栓の劣化かもしれないとゴム栓が蓋された状態で止水栓を止めてみた。懸念が当たり漏れはゴム栓が犯人だったことが判明した、数時間でタンクは空になったのだ。ネットで調べると替えのゴム栓は500円ちょっとで売られていて大抵のタンクには適合するとある。タンクの型式は不明だが500円ならだめでもあきらめがつくと発注した。カクダイの4643ロータンクゴムフロート という品物だ。取り寄せになって暫く待ったがついに届いて直ぐつけてみる。50年は経っているTOTOのトイレだったが問題なく適合した。取り換えに特段の工具もいらず簡単に替えられ、試運転するとぴったり止まって漏れはない。なーんだ、ずっと前からここが問題だったのだと悟る。最初のネット情報を信じた早合点がここまで尾を引いたことになる。
困ったことは何でもネットでそれらしい答えが出てくる、便利な時代になった。それだからこそ自分の目の前に展開する現実とネットの示す解決策が本当にマッチしているか疑ってかかる必要のある時代になっていることも、今回ならず思い知らされている。
これはいい兆候かもしれない、多くの人が似たような経験を積んでいけば、ネットの浅薄さを乗り越えた新しい未来が先には展開していくことになるかもしれない。未来も捨てたものではない。

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2021年3月21日 (日)

隈研吾のedX講座で日本の現代建築の流れを学ぶ

新型コロナがなかなか収まらない。ワクチン接種が進めば少しずつ改善されてくるのだろうが、大江千里や朝日の報道特派員などの海外在住日本人が接種した2回目の接種の体験談を読むと、2回目では結構きつい副反応が起こるのは現地では当たり前のようで大江千里(ニューヨークで接種)気絶、朝日の特派員(イスラエルで接種)は高熱と激しい。接種が広く行われるのには少なからず抵抗がありそうに思えてしまう。まだまだコロナ騒ぎは続きそうだ。
学びの場もリモートが当たり前のようになってきていて国内の大学の授業は殆どがズームだという。そういう訳でもないがedxというハーバードとMITが始めたネットを用いた通信教育は、資格証明をとるのでなければ、試験も含め無料で受けられるので幾つか受けてきた。今年になって隈研吾の建築家シリーズFour Facets of Contemporary Japanese Architecture の第3回目が始まったのでしばらく見ていた。今Kumakng 回は有料コースとして選択しないとテストも受けられないので、無料では講義をとっているとはいえず聴講している形だ、でも刺激があって面白い。終わった後にアーカイブとして講義が後々まで繰り返し見れるというサービスも今回は受けられない。ちょっと残念だがしょうがない、感じたことを忘れないうちに書き残しておく。

アーカイブは無いものの毎回の講義のイントロダクションの4分位の映像だけは残されているのでこれを見ながら思い出してみる、もっとも最後の隈研吾のまとめは見れる形では残されていない。

第2世代(1920-30年代生まれ)、第3世代(1940年代生まれ)、第4世代(1950年代生まれ)、ポスト4世代(1960年以降生まれ)の建築家の都市に対する取り組み方がとりあげられる、丹下の後 何を考え都市建築はなされてきたかを俯瞰する事になる。

(このシリーズ全体では (カッコ内は生年)
第1世代:丹下健三(1913)
第2世代:槇文彦(1928) 磯崎新(1931) 原 広司(1936) 香山 壽夫(1937) 
第3世代:安藤 忠雄(1941)長谷川 逸子(1941)伊東 豊雄(1941)石山 修武(1944)山本 理顕(1945)藤森 照信(1946)難波 和彦(1947)大野 秀敏(1949)
第4世代:隈研吾(1954)妹島 和世(1956)青木淳(1956)坂 茂(1957)篠原 聡子(1958)
ポスト4世代:千葉 学(1960)塚本由晴(1965)貝島 桃代(1969)小渕 祐介(1969)藤本 壮介(1971)
といった建築家達がとりあげられている。)

第1世代の丹下らは明るい未来を目指していたものが、バブル崩壊があり、東日本大震災があり、そして今コロナだ。未来が変容している。

見ていくと隈に指摘されまでもなく公共建築とドメスティックな建築の切り分けが弱くなってきている今を感じる。確かに丹下の都庁に代表される建築は上から目線の権力を体現していた。
小渕祐介の各建築家へのインタビューの形で進められていくが、いずれの建築家の話でもストレートな話し方をしない、悪く言えば話しているのを聞いていても何を主張しているのかわかりにくい、という一種やさしさがない話し方を感じる。ある意味上から目線で、これは未だに修正されていないのかもしれない。
それでもポスト第4世代である塚本・貝島らの話には、それまでの世代の建築家が示していなかった、ユーザーのやりたいことを第一においてそれをよりはっきり押し出せる建築というものを強く意識しているように見える。目線が下がっている。隈のいう 建築家は社会に責任がある、大きな存在であるべきという意識から寄り添う意識への変化を感じることができる。
第2-4世代の建築家群も、第2世代の槇が作り続けているヒルサイドテラスが変化を継続的に続けているように世代にとらわれることなく変わり続けていて、今となっては同じ方向を向いているようにも感じられる。

バブル崩壊以後コロナに至る価値観の変遷は、以前までの時代とは変わらなければ存在が続かない、立ち位置を失ってしまう世界になっていることを示しているようだ。大会社ほど脆くなっているのかもしれない。みずほが考えられないシステムダウンを起こす。考えてみれば東電の原発事故もその一環かもしれない。未来が見えない。輝く未来の嘘くささ、それを動いていく時代とともに感じ取る必要があるようだ。

我々はどこへ向かっているのだろう、またこの問いに戻ってきてしまう。

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2020年12月14日 (月)

井戸が出なくなったり、プリンターが紙送りしなくなったり

隣の敷地に家が建つようで工事が始まった。まずはくい打ちからとなったが、杭打機がでかい。そんな高さの建物なのだろうか。
井戸の上流あたりのくい打ちに移ったら途端に井戸水から泥水が出始めてその内井戸ポンプが異音を出し始めて熱くなってきた、うまく吸えなくなった様に見えたのでポンプのコンセントを抜いた。井戸水は庭の水まきとトイレに使っている。使えなくなるのは困る、隣の工事業者(ヘーベルハウス)に電話を入れるが時間外で伝言メモに入れるばかりだ。こんな時何か回復できる手があるかもと24時間対応の水周りトラブルのサービス業者にも電話を入れるが、受付の電話番ではどうしようもなく明日午前に専門のものが電話するという。自力でできることはとポンプのマニュアルをネットで探すが見つからない、似たような機種を見ると止まった後の起動に差し水(呼び水)が必要とある、明日の朝差し水をしてみようとともかくトイレにバケツを置いて寝ることにする。工事業者が伝言メモを見つけて明日朝訪問すると電話があるがどうなるにせよ厄介だ。
翌朝、YouTubeを参考にしながらポンプに何度も差し水をするが水は出ない、あきらめかけた頃に工事業者がきてとにかく状況を、と、改めてポンプのコンセントを差し込み蛇口をひねる、水は出ないが出そうな反応がある、差し水が奏功したのだろうかその内水が出始める。差し水分の後に泥水が出始める。地下水の水位は戻ったようだが泥水だ。トイレを流してみるが同じで差し水分の後は泥水がドット出る。工事業者の話ではこの辺りの地盤は2mくらい下に水の層がある、杭は4mで水の層に明らかにぶつかる。くい打ちの周りはコンクリで固めるので固まったら泥は収まるとみている、くい打ちは今週にはほぼ終わる。ということで様子を見ることにした。サービス業者とも電話で話したがとりあえずは様子見ということにしていったん依頼はキャンセルする。濁っていても水が出ればトイレは使えなくもない。でもフィルターがすぐ詰まり日に何度もフィルター掃除したりする、頭が痛い。
そのうち小便器もおかしくなって水が止まらなくなり、ポンプのコンセントを抜いて小便器のノブのところを開けてみる。メカニカルな仕掛けで、どういう動作でボタンを押したらそれなりの時間だけ水が流れるのかよくわからないがともかくフィルターが汚れていてあちこちに泥がついているのでこれを綺麗にして付けるとうまく作動し始めた。メカニカルな故障はまだ対処可能だ、でも気が休まらない。
こんな時にパソコンのプリンターMG3530も不調になり紙送りしなくなった。これでは年賀状が刷れない。クリーニングシートを使ってみても改善されない。色々調べたりトライしたりしてるうちに紙送りローラーが乾いていて滑っているだけではないかと思い始め、紙を入れる前方から奥の方に見える紙送りローラーを箸の先に濡れたティシュをつけて何度もこすって湿り気を与えると紙送りを始めた。やはり乾燥で紙が滑ってつかめなかったようだ。ソフトも古いのが気になっていて、ゆうちょの提供する年賀状作成ソフトも試しに動かしてみたが自由にレイアウトが出来ず使いにくい。旧来のジャストホームをやはり使うことにする。一時はどうなることかと思えたが兎に角年賀状は刷り終えることができた。何とかなるものだ。トイレの方もまだ何とか使えている。
色んなことが毎日起こって、落ち着かない、これが師走というものだろう、コロナが襲ってきても人の生活リズムは結局大して変わらないのかもしれない、そんなことを思っている。兎に角もう今年も幾らもない。

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2020年2月27日 (木)

乾燥機を変える

 

福岡の冬は重い雲が頭上を覆う日が多い、雨も結構降る。衣類乾燥機が洗濯には重宝するようで親から引き継いだ乾燥機(DE-SJ31)を暫く使っていたがもう20年近い代物となってこのところ音が大きいばかりでよく乾かない状態に陥っていた。いくら何でも修理の選択肢は無かろうと、買い替えするかとネットで調べるが今まで使っていた容量3kg仕様のものはもうどこも作っていなくて4kgにするか2.5kgの一人用とするかいずれしかない。ここは4kgを選択するのが妥当だろうとして今までのスタンド(DES-k1)も使えそうな日立製(DE-N40WX)に決めてヨドバシに発注した。回収や設置も込みで4.3万円台の価格となるがしょうがない。
ややあってヨドバシから電話が入って在庫がないので取り寄せになるがメーカーから入手できるのは1.5か月先になるという、あまりに遅い。日Kansoki 立の家電は国内生産のはずだがもしかしたら中国の部品も使っていて新型コロナウイルスの影響で中国から入らない部品があるのかもしれない、色々気をめぐらしてしまう。価格ドットコムの人気ランキングでは2位であり需要は十分なはずで生産を止めておく理由はそれくらいしか思いつかない。新型ウイルスの影響はこれから思わぬところに色々出てきそうだ。
しょうがないので在庫のあるショップを探すとノジマにあるようだ、しかしこちらは製品の設置や回収はやってくれないという。通販専門の感じだ。25kgと少々重いが自分でやってできなくはなさそうなので設置と現用品のリサイクル回収は自分でやることにしてノジマに発注しなおした。価格も少し安い。
到着までにまずは家内と2人がかりで現用品をスタンドから外してリサイクル回収にクルマで持っていく。今や家電は簡単には捨てられない。リサイクル費用も別途払わなくてはならない。しようがない。
スタンドも新しい乾燥機に合わせて奥行きや高さを調整しなおしておく。スタンドの取説が手元になく古いためかネット上にも無いので後継機種DES-75の取説をネット上に見つけてこれを使う、不安はあったがあまり問題はなかった、なんとかなるものだ。
3日足らずで新しい乾燥機が玄関に届く。開梱してまた2人がかりでスタンドに載せ取付金具を調整して適当に固定する、ちょっとした力仕事だ。しっかり固定出来て試運転する、振動も特にはない、随分静かになったし直ぐ乾く。十分だ。

何でもネットで買う時代になった。思い直せば大したことでもなかったが、細々したところに新しい体験が幾つもあって、面白い。なんでも面白がる時代でもあるのだろう

 

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2019年7月29日 (月)

マーラーの交響曲3番を聞く

 

台所の水栓及び水漏れトラブルは一応終息したが、床がたわんでフワフワしてしまうのはまだ悩ましかった。自分でやる応急手当も限界になってリフォームを依頼する他ないとネットから適当かと思われる所を探し出しつい3日前にやっと工事も終わった。台所の床の張り替えになるので食事が家では作れず毎日昼と夜は買ってくるか食べに行くかという生活が3日も続いた。少々疲れる。2日で終わる予定が古い造りということもあって色々厄介で3日目午前までかかってしまいその日午後の九州交響楽団コンサートの後の夕食も外で、ということになった。しようがない。

今回の九響コンサートは定期公演で令和になっての初回という。出し物はマーラーの交響曲第3番だ。途中休憩なしで100分の演奏となる。最長の交響Malar 曲としてギネスにも載せられていたというしろものだ。席は買うのが遅くなったのもあって前から2列目右手と見上げる位置で全体が良く見えない。オーケストラ+合唱+独唱で舞台が目いっぱい使われるためか最前列の第二バイオリンは舞台のへり近くになってすぐそこに見える。迫力は随分とある。
客席は満席だ、とにかく始まる。第一楽章はマーラーらしい金管の響きがあるが何しろゆったりだ、疲れもあって直ぐに眠くなる、どうしようもないことだ。そのうちどうしたんだろうという位ハチャメチャな旋律が出てきたりして目が覚めるがまた眠くなる。長い第一楽章がやっと終わるとやはりゆったりした第2楽章に入る、これも眠い。工事で不規則な生活リズムとなった疲れがあるようだ。音の海を漂うように聴いている。3楽章も半ばくらいからどこからかラッパの響きが加わってくる、舞台裏から鳴らしているようだ、趣向が面白い。しかし とりとめのない曲のようにも思えてくる。音楽は所詮とりとめもないようなものなのだろう、プロパガンダに堕さないまともな音楽は結局そういうものかもしれない。
第4楽章から歌が加わる。メゾソプラノ独唱でツアラトウストラはかく語りきの一節が歌われる。ツアラトウストラとはゾロアスターのことだと今読んでいる「サピエンス」の中で知った。何だそうだったのかと思う。西洋哲学はキリスト教のくびきから逃れるのが大テーマになっているように思える、そうですか、という風にしか思えない神が死んだといわれても。ニーチェもゾロアスターを持ち出さないと出来なかったということのようだ。
しかし少なくとも目は覚めてくる。
マーラーの響きは身近には「ゴッドファーザー」のようであったり「ベニスに死す」であったりする。「ベニスに死す」は現地の舞台となったホテルに宿泊したということもあって、マーラーというとベニス・リド島の風景が頭を巡る。映画に使われたのは第5番だが響きは同じだ。浸るように流れるマーラーに身を任せて頭の中に巡りくる景色がえも言われない。いつまで続いてもこれはいい。と思っていると終わりが来る。終わったところで指揮者も演奏家も余韻に思いを込めている時に遮るようなブラボーの声があって一気に興ざめする。間髪を入れずブラボーと言いたいばかりにここまで聞いてきたんじゃないかと言いたくなる、情けなくなる。
いい演奏だった。万雷の拍手だがアンコール演奏は無論ない。
音楽を聴くのはすこぶる個人的な体験なのだなあとまた思ってしまう。それぞれの想いのマーラーがある。それだけかもしれないがそれがいい。

 

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2019年7月26日 (金)

梅雨も明けたが古いキッチンに頭を悩ませる

 

梅雨もやっと明けて暑苦しい夏が訪れている。今年の梅雨明けはちょっと歯切れが悪いところがあってまだ雲が多い。気象図の中での梅雨明けのサインは500hp高層図の5880m等高線(588:ゴッパッパ)だと思っている。通常はこの588の張り出しが太平洋の高気圧の明瞭な張り500hptuyuake 出しを現して588に覆われるようになると梅雨明けを確信する。今年はこの張り出しが今一で覆われきれないままに梅雨明けが宣言されている。すっきりしないのはそのためなのだろう。こうなるのはエルニーニョのせいかと思えばこれは6月でほぼ終息している。よくは解らない、これ位は気象の通常のブレの範囲ということだろうか。ともかく梅雨は明けた。(添付は7月24日梅雨明けの日の500hp高層気象図)

福岡に移ってきて6年以上たつ、家は親が使っていたものを引き継いだのだがさすがにあちこち傷みが現れてくる。去年は敷地内のガス管配管の腐食によるガス漏れが見つかったりもしてちょっとした工事を強いられた。これとは別にトイレや風呂釜や水道配管にもトラブルが出て更新を行った。まあしょうがない。
今はキッチン廻りで少し手を焼いている。
一つは水栓だ。レバー式の水栓だが古いものだけに今とは開閉が逆で 下げると出 上げると止 になっている、この方式は阪神大震災以降は非常時に止まりやすい下げで止まる方式に統一されていて今はもう旧い。これは慣れればどうということもないが水栓自体が次第に劣化してきていて ついには先端の樹脂製のキャップが外れるようになってしまった。樹脂製の引っ掛かりが磨滅したか折れたようだ。困るのでとりあえずテープ止めで使っていたがお湯も出るのでテープも長持ちしない。旧式なこともありこれは水栓を取り換えた方がいいかとネットで良さそうなのを見繕って発注した。勿論工事付きだが工事にやってきた人は取り付けを見るなり工事できないといって帰っていった、カードに引き落とされていた代金は戻ったががっかりだ。要するに流し台の裏にある水道配管にアクセスする点検口が流し台についていないため取り換え工事ができないということのようだ。出来るところはないかと色々探してみるとその内流し台を動かして工事できるというところが見つかって見積もりを取るがこれがかなり高い、最初のところの3倍位する。どうしたものかと悩ましい。
水栓のキャップの部品についても並行して探してみていた。まずは水栓の正確な型番が解る必要があるが取説などは無論残っておらず型番を示すプラカードも見当たらない。僅かにTOTOの文字が水栓に刻印されているだけだ。取りあえずTOTOのホームページを色々見ていると型番が解らないときの探し方というページに行き当たる、TOTOもなかなか行き届いたサービスがあると思って形から調べてみるが当たりが出ない。写真を送って問い合わせる方法はないかと探していくとTOTOはそういうページも用意してあって早速ここから問い合わせする。ややあってメールで回答が送られてくる、水栓の型番はシングルレバー混合栓/TK631 で 先端のキャップは THY614-1R #54R と解る。いい対応だ。ただキャップはもう製造中止で供給できないともある、古いものだけにしょうがない。
とにかくこのTHY614-1R #54R でネットで検索をかけてみる。すると送料込みで3600円台から6000円近い価格までするがいくつかのネットショップで販売されているのが引っかかってくる、互換品ではなくて純正部品だ。全国の工務店などが抱えていた製造中止の部品を買い集めてプレミア付きで販売するビジネスがあるようだ。もとの値段は1250円のようなので3-5倍のプレミアのようだが、売っているだけありがたい思いがする。
Amazonが最も安くAmazonのショップに発注するがAmazonは送料込みで3620円に出店各店が統一した価格設定となっていた、あまりに大きいプレミアを設定してはならないという内部ルールがAmazonにはあるのかもしれない、独禁法?との思いもなくはないがここではAmazonは消費者にやさしいようだ。数日で送られてきた部品は勿論ピッタリ装着できて問題なく機能している。
流し台のほうも流し下に水漏れがでるといった問題があって水栓と流し台をこの際だから換えてしまおうとも思ってこの案も追及していた。使っている流し台は間口が135cmだが、現在売られているキッチンセットでは間口が120cmか150cmのものしかなく、丁度合う仕様のものが見つからない。関東では135cmのものを製造販売しているメーカーもあるようだが九州では取り扱うところがないし仕様にもちょっと不満がある。120㎝の流しに15cmの隙間家具を押し込むことも考えたが水対策が難しくいい案に辿り着かない。105cmの流しと30㎝の調理台を組み合わせる案もあるがこれではシンクが随分小さくなってしまう。どうしても、というと特注のようになっていって随分とかかることにもなりそうだ。そこまでは、という気分になる。
当面、流し下の水漏れは水漏れ修理用のパテとテープをホームセンターで買ってきてこれで修理して何とかなっている。悩ましいことは幾つもあるがここはとりあえず修理しながら今あるものを使えるだけ使っていくのが賢明のように思えてくる。そういう家のようだ。


普段と少し違う梅雨が明けても、思うに任せない家の造りが傷んできても、すべてのことは受け入れる他ない。あるがままを受け入れて水のように生きる、それが一番なのだろう。

 

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2016年7月19日 (火)

梅雨が明けてソファの修理に取り掛かる

梅雨が18日にあけたとの宣言が西日本で出された。やっぱりこうきたか、と思う。一般には500hpでの5880m高度線が被るようになってくると夏が来たとの実感を得る。この日は確かにそうだが数Tuyuake 日でまた5880m高度線は南に下がりそうで梅雨の続きのような天気がぶり返す恐れがある、梅雨明けを出すなら17か18日か、ここで出なければ難しくなると思っていた。安定した暑い晴が数日でも続くようになれば梅雨明けとするのが正しいのだろう。

一気に暑くなってきたが、雨でこれまで延ばしてきた植木の手入れや家の手入れを始めようかとの気になる。
朝から伸び放題のモチノキを高枝バサミで切り始める。
日が高くなり始めるともうできない、まあ少しは良くなったかというところで今日は終わりとして、一休みしてソファの修理にかかる。

もう数十年使っているソファの一つが座面が落っこちたようになっていて、クッションでごまかしてきたがいい加減何とかせねばと修理を試みることにした。
例によってネットで先達者の投稿をしらべると結構厄介そうだ。
どうも座面を支えるウエービングテープが劣化して切れているようで、とにかく工作用ホッチキス/タッカーをダイソーで調達することにする。
ウエービングテープは幾つかホームセンターに問い合わせてみるが置いている店が見つからずネットで調達することにする、ネットのお店は札幌の家具工房だ、そんな遠くからと思うが、適当なサイズはここしかない、あまり入手性は良くない品物のようだ。
タッカーの方は近くのダイソーにあって難なく入手する。弾が飛び出すものだからちょっと危険なようで防護メガネ着用のこととある。とりあえずは普通の眼鏡で代用してできる範囲で作業に取り掛かる。
ソファーをひっくり返して裏布を外す。タッカーで止めてあってタマを一々ドライバーでほSofa じって外していたが布も劣化していて、外さずとも布がそこだけ裂けたりして、大分横着をしてとにかく外す。
見ると見事にウエービングテープが切れている。ウエービングテープが到着するまでは数日かかるがそれまでに少しでも進めておこうとソファーの上張りの布も外しにかかる、矢張りタッカーで木枠に打ち付けてある。これを少しづつタマを外したり布を切ったりして外していくが結構疲れる。
1辺だけ外したところでひとまずお休みとして、兎に角この状態で一応使えるようにと裏側から座布団やクッションを押し込んでこれを木枠下側から荷造り用布テープで押えてタッカー止めし当座の使用には堪えるようにしておく。座ってみるととにかく随分改善している。ウエービングテープが来てゆっくり本格修理をやればよいかと吞気に構える。
ソファの構造などこんなものかと思うくらいあっさりしていて、吞気にやるくらいがちょうどよい感じだ。

ソファーの修理でも結構遊べる、何でも遊べるように世の中はできていると思い始めている。そう思うと何でも楽しい。

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2016年4月25日 (月)

桂離宮を見る

紅葉の桂離宮見学は抽選で負けて果たせなかったのもあり、空いてくる桜の季節の直後を狙って、修学院離宮と同日に両方を見学できる空きのある日を探して、やっとの思いで見学許可を取得した。色んなことがあって3カ月が過ぎその日がやってきて京都に出かけた。
1日に両方を見るのは効率いいと思っていたもののやはり疲れる。
修学院離宮見学の後、中間の四条の祇園辺りでランチを食べ多少散策して14時30分Katsurarky8 からの桂離宮の見学に向かった。
阪急の桂駅から歩くほかないのかとバス道に沿って歩き始めたところ目の前のバス停にバスがちょうど来て桂離宮口にもいくという。ほっとしてバスを利用する。Yahooの経路検索ではバス利用が出てこなかったので歩くほかないと思い込んでいた。広い無料駐車場があるのでクルマでこれればそれが一番のようだ。
4月から桂離宮の案内となったばかりという宮内庁の案内担当の方から説明を受けながら回る。とにかく忙しい。見るべきものがたくさんある、建物も石組も庭も歩を進めるごとに意匠が移ろっていく。見落とすまいと写真を撮っていると遅れて説明も聞けなくなる。客へKatsurarky3 の庭の見せ方がいちいち凝っている。例えば目隠しとなる生垣が上手く配置され視界を遮る松が植えられたりもして、開けてところに出た時の驚きを印象づけるようにしつらえてある。敷石が美しかったり、ツツジの配置が心地良かったりもする。

松琴亭というところに行く。デザイン的に目を引く襖、開け放てば柱だけのようにもなるスケスケの構造、はかなくも脆い。桂川のたび重なる氾濫にも耐えてよくここまで生き残ったと思う。
日光東照宮が作られたちょうど同じ時期に造られた、というがその粋さというか東照宮とは対局の軽妙さ、遊びがいちいち目を引く。
Katsurarky6 賞花亭という東屋ではすけている下地窓の棧の影が畳に落ちる様も面白い。ここまで仕組んだわけではないのかもしれないが、ほかではこんな様は見られない。
八条宮が細かく指示してこの離宮は造営されたと言われる。相当に思い入れがあったようだ。簡素なようで細部には異様ともいえる手のかけようがみられる。ひ弱な建築物だがいとおしさがある、壊してはならないという空気が取り巻いている。天皇家の雰囲気がある。

Katsurarky9 神社のような直線の美しさ清々しさと工芸の巧みを見事に取り混ぜて頗る頗る日本的な建造物だ。矢張り見るべき造形だった。

忙しい見学時間がたちまち過ぎ去り、駐車場辺りに待機していると教えられた客待ちのタクシーの姿ももうなく、とぼとぼと桂駅まで歩いて戻る。少々疲れた。印象が溢れていて纏まりがつかない、何回か訪れてみねば、とも思いながら歩く。しかしともかく九州からは遠い、それに体力もいる、もう多分来れないだろうな、見れただけでも上出来だな、そんな風にも思って桂駅を後にした。

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2014年1月25日 (土)

床を張る

去年の今頃は引越し準備に明け暮れていた。
引越しして10ヶ月くらいになるがやっと家の手直しに手を付けてみようかとの気になっている。

まずは板張りの床があちこちで緩くなっていてふわふわと雲に乗っている心地を何とかしなくてはと居間からやってみることにした。
緩んだ床の対処はフロア材を上張りするのが最も効果的なようだとネットで知る。板の張り方の簡単なパンフレットをDIY店で入手して眺めていたがやるしかないと心を決めてフロア材を10畳分ほど購入した。結構な量で自宅まで運んでもらったがトータル3万円はしない、リフォームにしては安い。
居間の家具を順次移動してフロア材を張っていく。接着剤は使わずに根太と思しきあたりにフロア釘として売っているネジ付きの37mmの釘を斜めに打ち込んで固定する。
勿論根太の場所は目では見えないので床をたたいて音が変わるあたりに打ち込む。板の端が嵌めあいになっていてその部分にポンチを使って埋め込むように打ち込むので張ってしまえば釘跡は見えなくなる。打ち損なったらドライバーでネジ頭を回せば簡単に引き抜ける、ネジが切ってあるのがミソのようだ。
フロアの縁には良く見ればドアや窓枠を囲むように出っ張りや引っ込みがありフロア材をのこで削ってあたりを逃げていく。結構手間で思ったよりも時間がかかる。午前中から始めて2/3位張ったところで初日はやめとした。かなり疲れる。それに 張っていくと板が次第に部屋の縁に対して僅かに直角でなくなってくる、直そうとしても直せない、小さなな量だが最後まで行くと厄介なことになりそうだ。フロア材と部屋の形がぴったり合うわけも無く部屋の縁のそこここに溝のような張り残しができてくる。
精神的にも疲れた、想像以上に集中が必要になる作業だ、次の日1日作業を休んでの翌日に残りを張っていく。最後の1列分はDIYに持ち込んでフロアの残りのスペースのサイズに合Yuka わせてカットしてもらう。懸念したとおり最後のスペースは台形の形でいびつに残っている、しかしカットは直角にしか切ってくれない、埋めてもまたスペースが残る。しようが無いので切り残しや手持ちの木片を隙間埋めに使っていくが少々みっともない。
この他にもいくつも残った溝のような張り残しを順次フロア材の残材を切って埋めていくがこれもかなりの時間と労力を要する。なるべくぴったり埋め込もうとするものの合板にはカンナは効かず小刀でごしごしと削って調整する、楽ではない。細長い板状にフロア材をのこで切ったりもするが15mmの合板を細長く切っていくのは疲れるし切れ味良い直線は望むべくも無い。ここらあたりがプロならピシッと決めるところなのだろう。
3日くらいかけて調整してやっとここらでもういいかというところまでくる。使い始めると部屋の感じが明るくなって床のフワフワ感も無くなり古びた部屋が普通の部屋になった感じだ、なかなかいい。
少々労力を掛けたが久しぶりの達成感だ。時々こんな感触を味わうのも悪くない。リフォーム屋に頼めばできることだが自分でやったほうがいい気分だし随分安い、頼めば17-8万円位のようだ。
あと台所や壁、天井のクロスなど手を入れるべきところは多い。しかし楽しみがまだ随分残されているようでいい。
それにしても時が足りない、時間が無い、このヒリヒリした感触はいつまでたっても無くならない、そういう生き方なのだろう。

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