新型コロナがなかなか収まらない。ワクチン接種が進めば少しずつ改善されてくるのだろうが、大江千里や朝日の報道特派員などの海外在住日本人が接種した2回目の接種の体験談を読むと、2回目では結構きつい副反応が起こるのは現地では当たり前のようで大江千里(ニューヨークで接種)気絶、朝日の特派員(イスラエルで接種)は高熱と激しい。接種が広く行われるのには少なからず抵抗がありそうに思えてしまう。まだまだコロナ騒ぎは続きそうだ。
学びの場もリモートが当たり前のようになってきていて国内の大学の授業は殆どがズームだという。そういう訳でもないがedxというハーバードとMITが始めたネットを用いた通信教育は、資格証明をとるのでなければ、試験も含め無料で受けられるので幾つか受けてきた。今年になって隈研吾の建築家シリーズFour Facets of Contemporary Japanese Architecture の第3回目が始まったのでしばらく見ていた。今 回は有料コースとして選択しないとテストも受けられないので、無料では講義をとっているとはいえず聴講している形だ、でも刺激があって面白い。終わった後にアーカイブとして講義が後々まで繰り返し見れるというサービスも今回は受けられない。ちょっと残念だがしょうがない、感じたことを忘れないうちに書き残しておく。
アーカイブは無いものの毎回の講義のイントロダクションの4分位の映像だけは残されているのでこれを見ながら思い出してみる、もっとも最後の隈研吾のまとめは見れる形では残されていない。
第2世代(1920-30年代生まれ)、第3世代(1940年代生まれ)、第4世代(1950年代生まれ)、ポスト4世代(1960年以降生まれ)の建築家の都市に対する取り組み方がとりあげられる、丹下の後 何を考え都市建築はなされてきたかを俯瞰する事になる。
(このシリーズ全体では (カッコ内は生年)
第1世代:丹下健三(1913)
第2世代:槇文彦(1928) 磯崎新(1931) 原 広司(1936) 香山 壽夫(1937)
第3世代:安藤 忠雄(1941)長谷川 逸子(1941)伊東 豊雄(1941)石山 修武(1944)山本 理顕(1945)藤森 照信(1946)難波 和彦(1947)大野 秀敏(1949)
第4世代:隈研吾(1954)妹島 和世(1956)青木淳(1956)坂 茂(1957)篠原 聡子(1958)
ポスト4世代:千葉 学(1960)塚本由晴(1965)貝島 桃代(1969)小渕 祐介(1969)藤本 壮介(1971)
といった建築家達がとりあげられている。)
第1世代の丹下らは明るい未来を目指していたものが、バブル崩壊があり、東日本大震災があり、そして今コロナだ。未来が変容している。
見ていくと隈に指摘されまでもなく公共建築とドメスティックな建築の切り分けが弱くなってきている今を感じる。確かに丹下の都庁に代表される建築は上から目線の権力を体現していた。
小渕祐介の各建築家へのインタビューの形で進められていくが、いずれの建築家の話でもストレートな話し方をしない、悪く言えば話しているのを聞いていても何を主張しているのかわかりにくい、という一種やさしさがない話し方を感じる。ある意味上から目線で、これは未だに修正されていないのかもしれない。
それでもポスト第4世代である塚本・貝島らの話には、それまでの世代の建築家が示していなかった、ユーザーのやりたいことを第一においてそれをよりはっきり押し出せる建築というものを強く意識しているように見える。目線が下がっている。隈のいう 建築家は社会に責任がある、大きな存在であるべきという意識から寄り添う意識への変化を感じることができる。
第2-4世代の建築家群も、第2世代の槇が作り続けているヒルサイドテラスが変化を継続的に続けているように世代にとらわれることなく変わり続けていて、今となっては同じ方向を向いているようにも感じられる。
バブル崩壊以後コロナに至る価値観の変遷は、以前までの時代とは変わらなければ存在が続かない、立ち位置を失ってしまう世界になっていることを示しているようだ。大会社ほど脆くなっているのかもしれない。みずほが考えられないシステムダウンを起こす。考えてみれば東電の原発事故もその一環かもしれない。未来が見えない。輝く未来の嘘くささ、それを動いていく時代とともに感じ取る必要があるようだ。
我々はどこへ向かっているのだろう、またこの問いに戻ってきてしまう。