2024年7月 3日 (水)

ポール・オースターの「ガラスの街」を読んでみる

先月の初め頃Newsweekを読んでいたら、アメリカの作家ポール・オースターががんで亡くなったという記事に遭遇した。これは読んだ方がいいかもしれないと直感的に感じた。ポール・オースターという人は全く知らなかったが、いったいどういう作家なのだろうと図書館に「ガラスの街」という作品があるとわかったので早速予約を入れて借り出した。240ページ位の文庫本なので、まあ読める。
読むと最後に私という視点が出てくるがさらにポール・オースターという名前の作家が登場し主人公であるクインはポール・オースターという名前をかたって依頼人の依頼を受けるといGarasunomachi う不思議ないれこ構造になっている、作家本人の名前が物語のキーにもなっているというところが面白くて、何なんだこれはと思ってしまう。ニューヨークの街で繰り広げられる解決されない、されることに意味がないミステリーという仕立てだが、枝葉のように書き込まれているニューヨークの街角の連なり、締まりのない会話全体が経験したことのない読後感をもたらす。確かにこれは特別だ、読まないとわからない。知らない世界を少しでも開きたい、そんな気持ちに図らずも答えてくれる作家のような気もしている。ニューヨーク三部作の一つがこのガラスの街だが他の2つも読んでみようという気になっている。

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2024年7月 1日 (月)

今年も1年ぶりの東京へ行ってみる

梅雨末期の豪雨のような雨の日 1年ぶりに1泊2日で東京を訪れた、6月28日のことだ。卒業50数年後の同期会が2つあってそれに出るためだが、そのほかにも福岡からでかけるのもあって、せっかくだから見ておきたい、というのが幾つかあった、都知事選の様子とデ・キリコ展、それに勿論東京の変わSinjyuku っていく様も知りたい。
羽田に到着後一つ目の同期会の会場目指して京急経由山手線新宿駅に向かった。渋谷の変貌も気になったが電車から眺める限りではパッと見た目工事中という雰囲気は感じられず変貌も一段落のような感じが感じられる。新宿に着いて地下通路を西口のほうに来ると工事中の白い板張りばかりが目立ち地下通路も迷路化している印象がある。地上出口を探して地上に出るがひどい雨で出口からほのかに眺めるほかない、西口広場全体が工事中で姿を変えようとしているしスバルビルが消えて見慣れないビルの姿が見えたりで昔の西口の印象から随分変わってきている気がする。そうか新宿も変貌中なのか、とまた地下に戻って小田急で会場へ向かう。建物のような入れ物は変わり続けるようだが、大勢の人が東へ西へ南へと縦横 に動き回るさまは何だか変わりない。
Senkyo 都知事選の方は翌日上野あたりでポスター掲示板を探したが見つからずやっと東大正門前まできてお目にかかった。第一印象はひどい選挙だ、というものだ、真面目に都知事を目指しているのは3-4人位しかいないのではないか、掲示板の必要がどこにあるのだろうか。民主主義の制度・やり方をすべからく見直すべきフェーズに入ったとこの掲示板が示してくれるように感じてしまう、そうなのだろう。掲示板以外に選挙の雰囲気はどこにもない、これは現職有利かな、とりあえずそんな風に感じる、期待したほどの見ものではなかった。
宿は銀座から築地エリアに寄ったところにあるロボットホテルを予約していた。気楽で朝食が付いたりするのがいいのだが、それがいいのか中国人の客が多い、だからといってどうということもない、同じようなものだ。円が安めに安定してもっとたくさんの中国人がこんな風に訪れてくれば国民間の変な誤解が薄らぎ安全な世界に近づけるのではないか、そんな期待が頭をかすめた。
東京都美術館のデ・キリコ展は事前に予約で切符を買っておいたのもあってスムーズに入れたが、量が多くてちょっと疲れた。いわゆる形而上的(Metaphysical)絵画が中心となる、事前に思っていたほどには現物に接すると違和感がない。面Chirico 白いというより人間の本質にはこんなところがあるということを感じたそれをそのまま素直に絵にしただけかな、と思ってしまう。個人的には最初の自画像、Metaphysical Muses あたりが気に入っているが、とにかくこれくらいまとめて見ると堪能したと言いたくなる。
同期会の方はいずれもそろそろ年限に近づいている感がにじんでいて、もうほとんど参加することに意味がある状態に達しているように思える、いつまでもはもう出れない。
 
今年も感じることが多々あった東京行だった、眺め続けることは、面白いことだとつくずく感じる、それがいい、また来年も。

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2024年6月 9日 (日)

九響の定期演奏会で廣津留すみれに驚く

6/7の九響の定期演奏会にまた聴きに行ったのだが、あまり真面目に出演者や演目を見ていなかった、廣津留すみれという女性ヴァイオリニストの演奏が目玉の一つだったが、まったくどういう人か知らずフーンという位だった。聞いてみてちょっと驚いた。オケの音と響きあうというより溶け込むように受け渡しして音楽を作っている。音自体もオケに負けない大きさで楽器を鳴らしている。ヴァイオリン協奏曲というとどちらかというと凄みのあるオケがヴァイ0607kyukyo オリンに襲い掛かるイメージがあるのだが、これはそうでは全くない、対等で鳥が鳴きかわすように響きあっている。自分自身にこんなもんだよなーといって聞かせても自分自身が納得しない、これは聞いたことがないんじゃないか?、そう返してしまう。独奏ヴァイオリンは楽譜を見ないで演奏するというのは当たり前のことのようだが、それを普通以上に意識してしまう、音楽にはまって音楽の中に漂いながら演奏する、それが、またみんなこんなだったっけ、と思うほどにはまっている。
戻って廣津留すみれという人のことをネットで調べる、とんでもない人のようだ。でも、なんだかわかる、押していけば新しい世界が開ける、若さとはそういうものだった、自分自身のそのころの感触を思い返す。
会場で売られていたCDを買えばサインがもらえたのに、と今さらのように残念に思う。聴けただけでも良かったそう思うべきなのだろう。
この日の演目は
1.リスト/交響詩「レ・プレリュード」
2.ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26
3.フランク/交響曲 ニ短調
九州交響楽団 指揮 キンボー・イシイ
独奏ヴァイオリン(ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲) 廣津留 すみれ
アクロス福岡・シンフォニーホール

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2024年5月30日 (木)

またアクロスに行って平和を想う

今月は連休が月始めにあるせいか、普通の行事が月後半に集まっているような気がする。そんなわけか、月後半にまたアクロスのコンサートに出かけた。今回はランチタイムコンサートで12時から始まって休憩なしで1時間か1時間半くらいだ。例によってクルマで出かける。天気は雨模様で福岡では降るか降Acros0528 らないかという位だが東へ行くほどこれから荒れ方が激しくなる予想だ、台風と前線の相互作用という梅雨期の豪雨のパターンのようにも見える、南からの強い湿気が太平洋側ほどはいりやすい。ともかく出かける、今日は二胡と弦楽四重奏団、ピアノとの共演というスタイルでちょっと珍しい。客席は結構埋まっていて2階席となった。二胡は楽器として音が小さいのかアンプを通した増幅した音が会場に流れる、クラシックのコンサートというよりポップコンサートに近い感じがする。奏者のウェイウェイ・ウーは上海生まれの中国人で33年位前に来日、以後日本と上海を拠点に演奏活動をしているようだ、妹のaminも1年遅れて来日し同様に日中でシンガーソングライターとして活動していたが3年前病気て死亡する。今回は数曲aminの残された音源を使った時空を超えた共演を果たしている。aminの歌声がいい。aminは8年前にここアクロスのランチタイムコンサートに出演していた、残念ながら聴いてはいなかったが。そんな思い出話を織り込みながらコンサートは進む。二胡の演奏は自分にはそれほど心を揺さぶるというほどのものではなかったが、姉妹による日中の懸け橋となろうとする思いがaminとユーミンとの共演による活動や中国コンサートなど民レベルで数々の足跡となりそのものとして心に残る、冷たい風を感じる今の日中の時代にはこれが要る、そう思ってしまった。国は違えど人々が互いに尊敬しあい認め合って平和な暮らしを保つ、それが今世界のどこにでも必要とされる時代になってきている、ウクライナであろうとガザであろうと台湾であろうと日中であろうと。単純なことなのだけれど。

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2024年5月26日 (日)

九州交響楽団第421回定期演奏会を聴きに行ったら

3日ほど前、九州交響楽団第421回定期演奏会を聴きにアクロスまで出向いた。帰りは9時を過ぎることだし駐車場は5時以降定額1000円だしとクルマでいつも行っている。始まる前にアクロス地下などで食事する都合上5時少し過ぎたくらいに着くのが丁度いい。なぜかこの日はいつになく車の流れがスムースで信号待ちも引っかかるということなくすいすい抜ける、これはもしや5時前に着くかと気にしたがどうしようもない、ゆっくりと公道を走ることはかえって難しい。恐れた通り4時59分に駐車場入り口の発券場に着いてしまった、ここで1分粘るのはきつい。そのまま入る、結局出るときには1200円払う羽目になった、クールに見れば大した額でもないが数十秒で200円余分に取られたことがくやしくて、しばらくそのことが頭から離れなかった。
そんなことで早めについたのもあってめずらしく待たずにひらおの天ぷらのカウンターで夕食を取る、すべてが前倒しだ。食事を終わってもまだたっぷり時間がある。気になっていた進学祝いの贈答品をちょうどいいかと品選びして買ったり、時間があればそれなりにやることが進む。
いい時間になってゆったり入場するが中で次の定期演奏会の切符を売っているのでこれも買ってしまう、予定より早く動き出すととにかくお金が出て行ってしまうように出来ているのか、この世は、と思ったりする、そうかもしれない。
演奏会は指揮者がNKyukyo421b 響の下野竜也だ。ヘンデルの「王宮の花火の音楽」、シェーンベルクの弦楽四重奏のための協奏曲、(休憩)、ドヴォルザークの交響曲 第7番 というプログラムで、2曲目ではウェールズ弦楽四重奏団(2006年結成の国内の弦楽四重奏団)が加わる。
それぞれにKyukyo421 ヘンデルらしい端正さや、現代音楽というのに違和感のない聴き安さ、それに、陰に陽に流れるボヘミアのリズムの面白さを感じて楽しいコンサートだったが、演奏は楽器の配置も少々変わって音が今まで以上にクリアでかっちりしていて、九響ってこんなだったっけ、と思ってしまうほどだった。太田弦とはまた違う音が楽しめた気がする。
 
生きていくといいこともあるしアレっと思うこともある、それが楽しくて日々を送っているだよな、と改めて思ってしまったような気がしている。

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2024年5月20日 (月)

紫式部日記を読んでいるが,面白い

しばらく前にも源氏物語を通読したことがあって、よくぞこんな破綻のない長編を1000年も前に書き上げたものだと思っていた、作者紫式部に焦点を合わせた大河ドラマは

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興味深く毎回見ている。勿論ドラマ故歴史的事実とは言えない脚色が色々あってどこまでが本当らしいことなのか、自分でも確かめたくな る、そういえば紫式部日記があったな、と家にあった日本古典文学大系から引っ張り出して読んでいる。原文ではあるものの注釈はたっぷりあって一応読めるのだが、儀式的な記述が多くてちょっとついていけなくなって、最近出た古川日出男の「紫式部本人による現代語訳「紫式部日記」」を図書館から借りて読んでみた。面白い本だ。紫式部本人が1000年後の現代の読者に現代語を使って分かりやすく端折るところは端折って内容を説明してくれる、という語り口になっている、こんな形態の本は読んだことがない、でも確かにこういわれるとよく解る、わかった気がする。

それにしても源氏物語を書いたのは紫式部ですと現存する写本に書いてあるわけでもないようで間接証拠からそのように言われ続けてきたようだが、その証拠となる表現が紫式部日記にいくつか残されているというのでそこのところを読み返したりもしている。
例えば 左衛門の督「あなかしこ、このわたりにわかむらさきやさぶらふ」と藤原公任が紫式部を呼んだりする場面を日記に書いたり、一条天皇が源氏物語を人に読ませて「この人(作者)は日本紀をこそ読み給ふべけれ」とあったのを左衛門の内侍が聞いて紫式部のことを日本紀の御局とあだ名した、と日記に書いたりもしていて、ここらを読むと紫式部が作者であることは疑いないように見える。日記は中宮出産がまじかに迫った場面から書き始められているがこの時(寛弘5年、西暦1008年)すでに源氏物語は読める形になっていて主だった人々が読んでいたようなのも興味深い。夫藤原宣孝と死別したのが1001年(長保3年)でその後に源氏物語を書き始めたと考えるのが順当のように見え、6-7年で物語の大半を完成させていたことになる、たやすくはないができなくもないか、とも思ってしまう。
気になったことがあれば原文をその都度読み返したりしている、それにしても才女だ、面白い。まだまだ暫くは楽しめそうだ。

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2024年4月13日 (土)

太田弦の九響を聴いてみる

4月から九州交響楽団の首席指揮者に太田弦(おおたげん)(30)が就任(これまでは小泉和裕が音楽総監督としてその役も果たしていたよう)初めてのコンサートというから聴いてみねばと11日に出かけた、アクロス福岡だ。
満席だ。いつもより、若い観客が目につく。何Kyuukyou240411 か全体の雰囲気も変わった気がする。
指揮者のあいさつが10分前にあってソロピアニストの亀井聖矢(22)も登場、とにかく若い。
ショスタコーヴィッチ祝典序曲と交響曲 第5番、その間にショパンピアノ協奏曲 第1番
をはさむ構成になっている。
オケの響きの第一印象は、高音クッキリ、クリアー、きらきら、といかにも今日風の風が吹く感じだった。ちょっとやりすぎで時にペラペラ感がしなくもないが、こんな音も出たんだ、とよくオケの音を出させている感じがする。とにかく新しい時代だ。ピアノの亀井のほうもすごい、音の連なりのうねりが見事でこんなショパンは聴いたことがない感じさえする、見ていても面白い。こうやって時代は変わっていくのか、と感じてしまった。

いいものを見た。これからが楽しみだとスケジュールをみると指揮者の太田はこれから国内のいくつものオケを指揮して回り九響の指揮は今年は7月だけだ、首席といっても忙しい。でも楽しみだ。

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2024年3月21日 (木)

今年の芥川賞、九段理江の「東京都同情塔」を読んでみた

1月17日に第170回芥川賞は九段理江さんの「東京都同情塔」が授賞作に決まりましたと発表があり、その日のうちに掲載誌の「新潮」/2023年12月号を図書館に予約した。すでに数人の予約が入っている、2か月近く待ってやっと順番が回ってきて3月16日に借り出して読み始めた。「新潮」で66ページほどの作品なのですぐにも読めるだろうと読み始めたがなかなか進めない、会話の部分が少なくびっしり字でページが埋まっているせいもあるようだ。ザハ案の新国立競技場がZaha0 キャンセルされずに姿を現している2026-2030年の東京が舞台のパラレルワールド物といってもいい。設定が面白い。ザハさんが2016年3月に亡くなったその8か月前の2015年7月に安倍首相によりザハ案はキャンセルとなっている、今から見てもザハ案(添付図)は未来的で魅力的だ、確かにこれが予定通り作られた世界というものを想像したくなる。東京都同情塔とはザハ案の新国立競技場と対をなすようにオリンピック後に新宿御苑に建てられた未来的ないわゆる刑務所のことだ。ザハ・ハディッド・アーキテクツと対をなすようなサラ・マキナ・アーキテクツを率いる建築家牧名沙羅によって設計される、それにまつわる物語の形だが勿論人物伝では全くない、新しい時空間を描き出しToukyotodojyo ている、確かにこれは未来に向かった小説のようだ、新しい、芥川賞にふさわしい。
いい本を久しぶりに読んだ、そんな気持ちを抱かせる小説だった、勿論きわめて個人的な感想だが。

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2024年3月14日 (木)

「大シルクロード展」を見る

3月中に見ておかねばと思っていた2つ目の展示Posuta は、「大シルクロード展」というシルクロードの文物、資料の展示だ、現在中洲の福岡アジア美術館で開かれている。主催は中国文物交流中心( 中国の国家文物管理局直轄の機関)他各地美術館、各新聞社などで外務省も後援しており本格的なシルクロードの展示ということができるようだ。東京、福岡、宮城、愛媛、岡山、京都 と来年2025年2月まで国内各地を巡回していくという。
例によって放送大学の学割で入場する、放送大学の学費はこんなことで大方取り戻せるような気がしている。出展品リストの配布もないがとにかく見ては写真に撮るFelt1 を繰り返しながら見ていく。平日のためか年配者が多い。初めの方にウイグルから出土した紀元前8-前3世紀のフェルトの背の高い帽子があってちょっと驚く、あまりに保存がいい、砂漠地帯のためだろうか。最初の方に古いものが多く置いてあるようでもあるが展示順の筋がよく理解できないままに進んでいく。パッと見た目 正倉院御物のようなものが目に付く。江西省博物館から出品の和同開珎まであったりする、日本との交流の明確な証拠だ。6世紀ころの経文がいくつか展示されているが、漢字が今と同じというところに妙に感じたりして、アジアのベースになり続けた中国文化の深さに改めて感じWadokaiho 入る。展示物は興味深いものが多々あるが、これがシルクロードに点在して遺跡として現代まで残されているということそのものにインパクトを感じる。
出口手前で動画放映があり、その中に出てくる敦煌 月牙泉の映像に驚く。広い砂漠の中にここだけがげ現実離れした不思議な風景を作っている。シルクロード見てみたくなる、行けるものなら行ってみたくなるKyoumon
もう無理かな、でも、と、そんなことを想いながら会場を後にした。

添付写真は順に ポスター、フェルト帽子、和同開珎、経文断片、敦煌 月牙泉の映像Tonkou1

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2024年3月10日 (日)

ローマ展を見る

正月から3月までの期間にはいろいろ博物館や美術館で興味深い展示があって、見なくてはと思っているうちに時がするすると過ぎ去ってしまって少々慌てている。すぐにも終わりそうな「永遠の都 ローマ展」というのをまずは見に行った、大濠公園にある福岡市美術館での開催だ。例によって放送大学の学割で入る。そんなに混んでいない。ローマのカピトリーノ美術館所蔵が中心という。よく知らなかったが世界的に最も古い美術館といってもいい歴史があるらしい。コロッセオの北Caesar西600mくらいのところにあるようで、フォロロマーノのそばでもありいかにも古い都の中心部にある美術館という趣があるようだ。
福岡展の目玉はカラヴァッジオの洗礼者ヨハネの絵画となっているようだが、展示として印象的なのは数多くの彫像やレリーフだった。20数年前にローマを訪れた時に感じた彫物芸術がローマの特徴というのを改めてここでも感じてしまう、圧倒的だ。カエサル、アウグストゥスといった支配者の像ばかりでなく女性の胸像や老女像といった生き生きとしたその時代を感じさせる像もあり像として残すということが色々なレベルで行われていたというあたりが感じられて興味深い。現代は残すといえば写真ばかりだがそのうち立体写真や像で残すということがはやり始めるかもしれないなどと思ってしまう。それとは別に美術系の教育で用いらPhoto_20240309234901 れる石膏像スケッチの原点が実はここにあったのかと思い至るのもちょっと面白い。カピトリーノのヴィーナスが東京だけの展示で福岡には来なかったのは残念だった、とか色々思うがまたローマに行ってみるのもいいかもしれないと感じさせてもくれる。

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いい展示だった、見れてよかった。添付は展示彫像で上からカエサル、アウグ

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ストゥス、トラ ヤヌス、ハドリアヌス、女性の胸像、老女像、マイナスを表す浮彫の断 片、ディオ ニソス の頭部。

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Roujyo
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