2017年10月 8日 (日)

カズオイシグロのノーベル賞

そういえば今日はノーベル賞の文学賞発表の日だったと、見ていたipadをアベマTV

Kishiguro

に合わせるとliveが入ってくる。スェーデンからの中継で背の高い女性がイシグロと言っている。ムラカミではないが日本人のようだ、しかし聞いたことがない名だ、同時通訳がないので本当に受賞者の名前を言ったんではないのではないか、とも思ってしまう。でも雰囲気からはどうもイシグロという人がやっぱり受賞したようだ、すぐにテレビに速報テロップが出る。

カズオ・イシグロという日系イギリス人が受賞したとのニュースだ。日系ということなら国際結婚の子息だろうかどうして英語名が混じらないのだろうかとまだよくわからない。

ネットのニュースや情報をつぶさに見ていって漸く解ってきた。両親共日本人で英国に帰化したという。誰が入れたのかwikipediaのカズオイシグロのところはもう2017ノーベル賞受賞としっかり入っている。日本出身の人がとにかく受賞したということになる。目出度いというべきだろう。村上春樹はちょっと無理かなと騎士団長殺しを読んで思っていた。
不勉強だがカズオ・イシグロという人はイギリスではかなり有名な作家となっているらしい。

翌日になってこれは矢張り読んでみなくてはと思い始めてamazonで著作を探るが全て売り切れで古書には早速法外の値がついている。勿論市立図書館の蔵書もネットで当たったが予想通りあっという間に待ち行列ができており暫くはどの本も借りだせない、とにかく片っ端から予約だけは入れておく。

こんなことかと落胆したが、落ち着いてamazonの画面を見直すと電子書籍になったのがありこれは勿論すぐに買える。これしかないかとkindleで1冊購入してさっそく読もうとするがインストール済みのkindleアプリではエラーが出て開けない。電子本は600円ほどの価格だが払っても読めないのでは少々頭にくる。ネットで調べて色々やってみるが効果なく万策尽きてamazonのカスタマーサービスに電話する。正確にはamazonのサービスで電話を選択して自分の番号を入力するとすぐさま電話が鳴り受付順番待ちとなる。混んでるようだ。やっとつながったところで症状を話すとアプリを消去して再ダウンロードしてください、とくる。電話口でそのとおりにやって開きなおすとめでたく読めるようになった。理由は解らない。

とにかく読み始める。「日の名残り」(The remains of the day)という作品だ。イギリスで賞をもらっているようなので代表作の一つだろうくらいの考えで選んだ本だ。
英国のとある執事がご主人様の貴族が亡くなって邸が新たな米国人の所有者に売却され執事もその新たな所有者に仕え始めた、その時期に過去を思い出しながら一人で初めてのドライブ旅行に出かけるという設定だ。執事の独白から成り立つ私小説のような小説になっている。
シーンの多くが歴史的事象を背景にした追想であり、しみじみとした語り口だが、しみじみしすぎている感は否めない。いかにもイギリスらしいというべきなのだろう。設定といい何だかイギリスローカルの小説のように思えて仕方がない、川端康成の日本文学が受賞したようにノーベル文学賞はグローバルというよりむしろローカルな心情の掘り下げを書き込んだ作品が受賞しやすいのかもしれない、そんなことも思ってしまった。

でも昨年のボブディランよりは遥かに文学賞らしい。ボブディラン受賞の方が刺激的だったが今回のも別の次元での刺激がある。世界の広がりを思い知らされる。

個人的には電子ブックの有難さを初めて感じたところもあり、様々な意味で刺激を世界中に与えるところがノーベル賞の素晴らしさ面白さなのだろう。それにしても文学賞はどういう基準でどうやって選ばれているのだろうか、やはり知りたくなる、調べてみなくては。

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2017年8月15日 (火)

大ピラミッド展

エジプトにもいつかは行かねばと思っていたところへ、早稲田隊の吉村作治さんが企画・監修した大ピラミッド展という展示会が福岡に巡回してきた。2年位国内のあちこちを巡回

Entry

してきたらしい。これとは別だが昔宇都宮で、やはり吉村さんがセットした古代エジプトの展示会を見たのを覚えている。発掘資金集めの一環かな、観に行けば支援にもなってそれもいいか、とついふらふらと見にいってしまった。



この間みたラスコーの洞窟壁画は2万年前、こちらは5千年前だから、この間の変化が人類文明の進歩というとになるが、この1万5千年の間にピラミッドような超大工事を正確にやれるようになっていた、ということに尽きるようだ。

Miira

文字を使い、王国を築き、数々の工芸品を残すに至った姿からは一気に前に進んだ勢いを感じることができる。

しかし考えてみれば、縄文の始まりから現代までがおよそ1万年5千年だから1万5千年でこれ位の進歩というのはそう不思議でもない。進歩というのは所謂クオンタムリープ(量子的飛躍)の繰り返しだから、飛躍の度合いをきめる天才がどれくらい優れているかどの位いるかで進歩の速度は決まってしまうような気がする、古代エジプトでは天才の数が限られていたのだろう、まだ人類の総数が少なかったということかもしれない。氷河期でそれどころではない時代が続いていたということかもしれない。

展示品で感じるのはその色の華やかさだ、3000年前の木製のミイラカバーは鮮やかな色彩の細かい絵で埋め尽くされている。ミイラを作る技術とともに物を保存する技術も磨かれたのだろう。勿論乾燥した地域の地下で厳重に封印され続けてきたということもある。

Menk

日本のたった1500年前位の古墳から出土する木製品はこんな姿では到底ない。

展示品にはカイロ博物館の重要な収蔵品が多く含まれていて国内でこれほどの古代エジプトの出土品がカイロ博物館から出展されるのは初めてではないかと思われる。メンカウラー王のトリアード(添付写真)は思いのほか小さいが顔の細工も細やかでリアリティがある。これは。。と思わせる迫力がある。

日用品ではエジプト・アラバスターと呼ばれる半透明の石を加工してつくられていた水差しの巧みな技が印象的だった。今使ってもおかしくない、美しい。
目玉となっているアメンエムオペト王の黄金のマスクも立派だが金だけに古びたところがなくてそれがかえってこんなものかと、感慨がどこか薄い。

しかし並べられている展示品はほぼすべてが墳墓から出土したものだ、言わば墓荒らしの成果をみているようでどこかうしろめたさがある。そうはいっても大規模な建造物を除けば墓しか残っていない。ピラミッドもギザにある3つのピラミッド以降は総てがかなり崩れているようだ。
戦乱や大規模な自然災害を潜り抜けては洞窟か墓か或いは余程の大建造物しか残らない、結局そういうことだろうか。今後も5千年や1万年のスケールでは大震災だって核戦争だってあるだろう、これからでもそういうことかもしれない。ちょっと空しくなる。

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2017年7月17日 (月)

感性工学の講義が

放送大学で感性工学というオンライン講座を取ってみた。感性というキーワードが引っかかっていた。自分の関心がある部分と重なるところが多々ありそうに思えていた。オンライン講座はテレビ・ラジオ

Kansei

講座のようには公開されていないので内容を知るにはきちんと学生になってサイトにアクセスするしかない。オンラインである分時間に制約がないので毎回講義のほかに1時間に及ぶインタビューが主任講師によって行われているあたりが特色でもある。インタビュー対象は感性工学に関わる有力な方々で感性工学のそもそもの提唱者である長町三生広島大名誉教授も含まれる。インタビューが中核の講座のようにも思える。

講師から最初にある通り感性は何かというところで定まっていない、定まっていないままで教えようとしているところが面白いといえば面白い。インタビューでは感性とは何だと思うかという問いが毎回投げかけられる。

 心の働きにおいて、理屈で理解する部分が理性、感覚で感じる部分が感性という至極普通の分け方、カントの著書純正理性批判でもそのような記述になっている様に思うが、これで何がまずいのだろうか、それが解らない。カントの使っている感性で別に構わないのではないか、どこが不満で新たな定義を持ち込む羽目になったのか、その説明はどのインタビューからも感じ取れない。

感性とは何かという言葉の定義がそれほど気になるのは結局は感性の商業利用の方向を強く考え始めたところからではないのかと思ってしまう。長町の感性工学はマツダのクルマの開発に長町が関わったところから始まっているという、そういうことなのだろう。

感性という言葉の受け取り方そのものの変化がすこぶる興味深い奥行きを持っているようにも思える。
恐らく感性というものと感性工学というものは全く違うものなのだろう。長町のインタビューからも感じられることだが感性工学はユーザー目線でプロダクトをつくるという至極当たり前のことを追求しているに過ぎない。ユーザーの感じている求めていることをユーザーアンケート等に基づいて設計パラメータにどうやって落としていくか、そのプロセスがキーのような学問に思える。具体的にはユーザーアンケートの因子分析を行う、その結果に基づきユーザーの求めるプロダクトの設計パラメータ(アイテム・カテゴリー)を数量化理論1類を使って求める、というのが骨子の様だ。
講義では手法の詳細が細かく説明されるかと思えばそうでもない。具体的解析は、それぞれのソフトを使って求めればいいということだろうか。確かに検索すれば因子分析のフリーソフトは探せるし数量化理論1類の具体的な手法も出てくる。

勿論手法さえ身に付ければ直ぐに展開できるものではない。ユーザーの求めるいい感じのもの、という感じを理解するにはカワイイも
び寂びもきちんと受け止められなくてはならない、広範な美術的音楽的なバックグラウンドも必要となるだろう、感性工学が泳いでいる世界はそんな世界なんだということがなんとなくわかってくる。
しかし「アートと設計の接点は殆ど無いといっていいでしょう」 という耳を疑うような説明を公言するような講義だ、未だに中途半端な技術と中途半端な考え方しか頭にない人達の学問なのだろう、そんな風にも思ってしまう。講義を振り返ってみると、ここに未来はない、ブレークスルーは無い、そういう確信が湧いてくるようでもあった。なかなか整理のつけられない講義だ。

グルグルととりとめもなく考えが巡る。こんなことを改めて考えさせてくれただけで十分すぎるほどの価値がこの講座にはあったようにも思う。放送大学はやはり面白い。

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2017年7月 6日 (木)

アクロスランチタイムコンサートが良くて

アクロス福岡で平日の昼時の短めのコンサートとしてランチタイムコンサートという名の演奏会が時々ある、切符代も低く抑えられていて気楽に行けるので 時々聴いている。こん

Masudaguitar

な時間帯だから女性やリタイヤ組が圧倒的に多い。昨日も台風3号の嵐の中出かけた。今回の出し物はギターと弦楽のアンサンブルでギターは益田正洋、アンサンブルはアクロス弦楽四重奏団で技量は十分すぎるメンツだ。

益田正洋というギタリストはよく知らなかったが、いかにもクラッシックというきっちりした演奏がいい。うまい。曲は ヴィヴァルディのギター協奏曲、モンティのチャルダーシュ、パガニーニのセレナータ、ハイドンの四重奏曲、テデスコのギター五重奏曲 それにアンコール1曲(何だっかメモ忘れ)。ギターと弦楽のアンサンブルというのは初めて聞いたが、それぞれの楽器の特徴がよく出ていて面白い。ビオラの自在な音の変化をギターの正確な弦の響きが支える、ギターが表に出れば心地よい緩やかさでアンサンブルがギターを支える、これはいい。現代作家であるテデスコの五重奏曲はなじみにくいせいか今一つ聞いていて乗り切れないところがあるが他の曲目は素直に楽しめる。

いいコンサートだった。少し調べると、このコンサートはアクロス福岡と交流のある所沢ミューズでアクロスの協力により今年の4月に今回と全く同じメンバー同じ曲目でワンコインコンサートとして開かれていた。アクロスの社会活動の一つかもしれない。素晴らしい活動だ。

天気が荒れようがこんなコンサートを聴いていると、なかなかいい日々だと思う。いつまでこんな楽な日々が過ごせるだろうか、やっぱりそんなことも思ってしまう。

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2017年6月22日 (木)

何かが凝縮した街東京

東京で同期会が2つあって、おまけに気象予報士総会のシンポジウムも聞いたりして久しぶりに2泊3日を東京で過ごした。折角だからとモノレール羽田線沿いのコアジサシを途中下車でみたり、皇居東御苑のアヤメを見たり、旧古河庭園のバラを見たり東京をあちこち動き回ってもみた。

何とか時間を作って東京駅近くで開かれるダビンチ・ミケランジェロ展もみようと計画したが結局疲れて力尽きて辿り着けず旧古河邸での歌曲のミニコンサートを心安らかに聴いていた。歌の翼がバラ園の中空に拡がっているようでゆるく流れる時のうねりが心地よかった。
東京はストレートな生き方がし易いかもしれない、そんなことを思っていた。


旧古河庭園にバラの時期かと見に行ったのは、東京には旧華族や財閥の邸宅がいくつか残されていてそれが東京ならではの見どころのように思っていることがあった。
旧古河財閥の迎賓館であった旧古河庭園は北区にあり京浜東北線の田端の次の駅上中里で降りて10分足らずで到着する。泊まっていたホテルは人形町駅の近くだから日比谷線で上野まで出てJRに乗り換えればいいという塩梅で複雑な地下鉄乗換もなくて気軽にアプローチできる。

日曜だからなるべく早めでないとと人出が気になって9時の開館直後に入る。洋館の見学は10時半からだが当日申し込みは少し早めに行って並ぶ必要があるらしいというのもあった。
Furukawagarden
バラは殆どの木にはまだたくさん蕾をつけていて1番花は過ぎているものの2番花が十分に楽しめる時期だった。2番花などという言い方はここのホームページで初めて知ったが言って見るといかにも詳しそうな雰囲気になって面白い。丁寧に手入れされていて、見ている間もずっと手入れの人が手を動かし続けている。話しかけたくなって、バラのムシ対策は?と聞いてみる、基本的に1週間に1回の薬剤散布でムシは防げているという。ふーんそんなもんでいいんだという感じだ、話すことが面白い。

洋式庭園の作庭は邸宅の設計者ジョサイア・コンドルによるものという。いかにもヨーロッパの庭園だ。
連日の飲み会で疲れていたのもあって日本庭園につながるところの木陰のベンチで鳥の声を聴きながらスケ
Baraen_2ッチを始めた。描くべきものがたくさんある景観だから十分に時間が使えて気兼ねなく休憩できる。
鳥の声は大抵がヒ
ヨドリで時々コゲラの声がするそれくらいだ、しかし何故か品がいいヒヨドリでいやみがない。ゆったりした時の流れに身を任せる。
いくら何でも洋館見学時間が迫ってきたので切り上げて急ぎ日本庭園を見て回る。茶室が点在しこのままのんびりしようとすれば幾らでも居られる雰囲気の庭だ。いいところだ。

Furukawagarden2 洋館に辿り着くと当日見学の列ができ始めているが十分定員内だ、ほどなく見学が始まる。写真撮影は禁止という。写真を撮ることにしか興味のない人はご遠慮願いたいという管理者側の気持ちが伝わってくる気がする。

建物は進駐軍に接収された後暫くは放置されてお化け屋敷状態にあったというが今は綺麗に維持されている。こういう風に整備され始めたのが戦後の終わりを示しているともいえるだろう。

2階の洋式ホールのドアの裏側に襖があって和室が作られていたりする、和室の床の間や違い棚も含めて全てジョサイア・コンドルの設計という所がまた面白い。明治期の招聘外国技術者で鹿鳴館等を設計した人だ。東大で辰野金吾他多くの建築家を育て、個人的にも日本画や日本舞踊まで習い日本舞踊で知り合った日本人の妻をめとって67歳で日本で没している。ロンドン生まれの英国人だ。デレーケ等も含めて明治初期の日本には人生を日本に捧げた優れた外国人が来てくれているのには感謝を覚えるばかりだ。
一回りした後、1階ホールで3人の女性声楽家によるミニコンサートがあるというのでもう東京で回るところは終わりにしようとコーヒーとケーキを味わいながらその歌声を楽しむ。菩提樹にからんで訳詞の近藤朔風を少し調べたところだったので同じ訳詞家の手になる野ばらの歌唱になにか因縁を感じる、歌の翼がバラ園の空に響くさまは何とも言えない安らぎがある。
東京という街もさすがに素晴らしい、そう思えてくる。何かが凝縮している。

上中里駅から浜松町経由で雨が降り始めた羽田に出て午後の便で福岡へ戻る。博多駅前でバスを待っていても人の多さの圧力を感じない、やはり東京の人の厚みは疲れるかな、歳をとるとすかすかしている福岡位の街が丁度いいかな、そんな風にあれこれ思いながら家路についた。この街らしい乾いた風が吹き抜けていた。

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2017年6月15日 (木)

菩提樹、言葉と事物

いつものようにテレビをぼんやり見ていたら菩提樹の花が満開ですとにこやかに笑うアナウンサーの姿が出てくる。フーンと思いながらも見にいくのもいいかもしれないと思う。理屈をつけて出かけるようにしないと特に梅雨場は動きが鈍くなる、精神に良く無い。
恵光院という寺だという、調べて見ると筥崎宮のすぐ側だ、一応駐車場はある事になっている、特に問題もないようなので直ぐに出かけることにする。例によってナビはそうかなあという街中突破の道順を指し示す、面倒なのでナビにとりあえずは従ってみる。走り出すと案の定渋滞ありリルートしますが次々に出てその度にリルートに従うと細い道をうねうね走らされる。後悔しながら筥崎宮までたどり着くと恵光院の駐車場が分からずぐるぐるまわることになって、諦めて筥崎宮の門前のコインパークに入れる。参道を歩いて行くと確かに恵光院の駐車場はあるが筥崎宮の参道から曲がりこむところが進入禁止になっていて普通に考えると駐車出来ない。しかし既に1台駐車している、どこから、と思っていると次の一台が現れた、参道の歩道部分を少し走って進入禁止の立て札の裏側から曲がり込んでいる。知っている人はこうするらしい。

Bodaijyu 門をくぐってやや進むと目当ての菩提樹が現れる。なんとも言えない香りを漂わせて小さな黄色い花が鈴なりに垂れている。本堂には涅槃図のご開帳もある。仏門の信者ではないが形ばかりのお参りをして、花の写真をあれこれ撮る。置いてあったベンチに腰掛けてのんびり眺めたりもする。確かに心が和らぐ木だ。
釈迦が悟りをひらいたのも菩提樹の下とされる。一方で菩提樹といえばリンデンバウムだ、シューベルトの冬の旅の中の有名な歌曲でもある。
眺めているとシューベルトと釈迦は本当に菩提樹でつなBodaijyu1 がっているのだろうかと思えてくる、何だかピッとこない、歌詞を思い起こすと同じ木だとは思えない。
戻ってネットであれこれ調べると、フーンという話が色々出てくる。
まずは釈迦が修行した菩提樹はインドボダイジュと現在呼ばれている木で、クワ科イチジク属の木であり、恵光院の菩提樹は和名ボダイジュでシナノキ科シナノキ属で全く違う木とわかる。シューベルトのリンデンバウムのほうもまた違うセイヨウシナノキと呼ばれる木だがこちらはシナノキ科シナノキ属でボダイジュとは近しい関係にはある。

なんでインドボダイジュでないボダイジュがお寺にあるのかというと、もとは約800年前に中国から伝わったものであのお茶を伝えた栄西が中国に渡った際にこれも持ち帰ったという。正確には頼んで日本に送ってもらったという事らしい。送り先は博多で香椎宮のそばにまずは植えられたという。その後日本に戻った栄西の手によって株分けされたボダイジュが全国の寺院に配られて日本に根を下ろしたという事らしい。東大寺の菩提樹にはその経緯が残されており栄西が伝えた木の子孫であることが明記されているようだ。香椎宮の元の木は戦国時代に焼失しその場所には今は東大寺から株分けした木が植えられているという。恵光院の菩提樹は樹齢200年とされるばかりで由来の説明がないがたどれば栄西の木にたどりつくのだろう。
栄西の伝えた菩提樹が日本国内で大事にされてきたのはその木の出す雰囲気があったからだろうが、そもそも何で中国でインドボダイジュが菩提樹とされずシナノキの仲間が菩提樹とよばれるようになったかについてはインドボダイジュが熱帯性の木で温帯には適合できないため近しい木として今のボダイジュが選ばれたとの説明があるようだ。しかし本当にそうなのかどうか、解らない。現在通販でもインドボダイジュは売られており日本国内で育てている人も多数いるようではある。おおらかなところが大乗仏教らしいといえばそうだ。
シューベルトの菩提樹の歌だが歌詞はドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーのドイツ語で勿論菩提樹の言葉は訳者が選んだ言葉だ。訳詞は明治の終わりから大正の初めに活躍した近藤朔風の手によるもので、同じシューベルトの野ばらもこの人が訳出したものだった。重ぐるしい歌曲冬の旅の中でほっとする気持ちを与える名曲だ、菩提樹という和名は名前はまさにそのような効果を曲とともにもたらしているように感じる。原文のリンデンバウムは植物学的には、セイヨウシナノキというべきなのだろうがそれでは歌にならない、近い種類のボダイジュを当てたのは正しいと思える。
調べると色々な思いが菩提樹ボダイジュという言葉からにじみ出てくる。
言葉と事物の繋がりの保証が容易く崩れ、崩れたとしてもまた新たな時空を生み出していく深みのある関係に思いが至る。
こういうう風にして世界は成り立っているのだ、また思ってしまった。

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2017年6月 6日 (火)

タイ特別展を見る

心に引っかかって気になっていた展示会がついに最終日になったというのでとにかく見に行った。近頃はPoster日程をコントロールする力が弱まっていて、きっちり予定をくんでおかないと何もできなくなるような恐ろしさが自分の周りに漂っている。ここで終わりという日には何をさておいても動くしかない。
観に行ったのは 日タイ修好130周年記念 特別展 「タイ-- 仏の国の輝き--」という九州国立博物館の出し物だ。東南アジアには訪れたことがなく知らなすぎるという引け目とどのくらいの文化だったのだろうかという純粋な好奇心のないまぜがたわいもなく心に引っ掛かりを作っていた。
 九州国立博物館は放送大学で学んでいると半額で入場できるということもある、行かねば損との気にもさせていた。

午前の早めに入場したが最終日の日曜日ということもあり混んでいる。駐車場も既に大分埋まっている。いつもは平日に訪れているせいか子供の姿が多く思える。
見始める。時代順に日本では法隆寺の時代に当たる頃の仏像から始まる。不思議P03 な形の仏像が並ぶ、ともかく顔の形が日本でみる仏像と全く違う、唇が随分厚いし口 が大きい。人種的には近いはずだが文化が違うとこうなるかとの印象を受ける。最初にどう作られたかで違ってきたのだろうか。勿論ここにも特有の美しさがある、力がある。
タイ語の文字も並んでいる。漢字文化とは全く違う。戻って調べると、インドの文化圏のようで、タイ文字はアショカ王時代にも使われたインドのブラーフミー文字というのがその源流にあるようだ。梵字などとも近しい文字らしい。タイに仏教が根強く生きているのもそんなことが関係してもいるのだろう。
文字がしっかりしていると文化も古くからしっかりと開花していく、メナム川(チャオプラヤー川)下流に栄えたドヴァーラヴァティー王国の7-8世紀の仏像や工芸品も並べられているがいずれも素晴らしい美術品だし精巧な細工だ。インド文化圏とも称せられる文化圏と中国を中心とする漢字文化圏の2つの有力な文化圏が厳然とアジアに存在し続けていたことを改めて知らされる。ちなみにベトナムは中国漢字文化圏の南端、タイはインド文化圏のヘリで 挟まるカンボジアは微妙な位置に昔からあったということになる、現代史が透けて見えるようでもある。学ぶことが多い。

15-6世紀の日本の戦国時代には多くの日本人がシャム(タイ)に進出していた。当然それなりの航海術が発達していて、立派な海図が残されている。これもここで見ることができる。むろん世界地図もあるが、特にロシア北岸の海岸線が良く描かれていることに改めて驚く。当時既に北極近くまでの地理的知識が世界的には蓄積されていたようだ。世界は広がっていた、鎖国がなければ全く違うアジアでの日本の広がりというものがあったに違いない、鎖国で安全は保てたが失ったものも相当に大きかったように思える。

予想していた通り気になっていた通りタイには日本と明らかに異なる優れた文明があった、リスペクトする心、それは知ることから始まるのだろうな、当たり前のことをまた教えられた気がする

まだまだ学ばねばならないことは果てしない。

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2017年5月10日 (水)

博多どんたくに出る

5月の連休の催しで人が集まる筆頭は博多どんたくとされて久しい。今年も主催者発表で200万人を超える人出があったことになるがいつもほんとうかい、と思ってしまう。各所のステージの観客、ドンタクパレード観客・出場者の総計ではそういうことになるらしい。延べだからパレードの分は1日当たりの倍だしステージは前夜祭も入れれば2.5倍くらいになるのだろう。それにしても多いカウントだ。
見て回るといってもステージではどこで何をやるか直前までわからない、適当に見るしかない。パレードも立ち尽くして見続けるのは少々つらくなる。どう楽しむのがいいのだろうか、毎年何かずれを感じていた。

そもそもどんたくの始まりは平安末期の平家の時代とされているようだが現存する記録として残っているのは小早川秀秋が名島城城主となった1695年、博多の町人が松Kobayakawa 囃子を仕立て年賀挨拶として行ったことがもっとも古いものとされている。小早川秀秋といえば秀吉の親戚でありながらこの5年後関が原で家康側に寝返って勝敗の行方を決めたその人ということになる、どこか軽さがあったのだろう、町人も気楽に挨拶に行けたのだろう。歴史はこんなところが面白い。

江戸時代になって黒田の殿様に年賀挨拶する行事として定着し、松囃子の後ろに趣向を凝らした出し物が続いた、これが現在のどんたくパレードの原型とされる。博多側から福岡側にパレードが繰り出すというのはその時の形が残ったのだろう。今も残るお祝いの掛け声「いをーたー」というのが古いどんたくの雰囲気を一番よく伝えているような気がする、要するに無礼講のお祝い行列が主体ということだろう。

確かに面白い歴史があるが、パレードに参加するというのが元来の楽しみ方というものだろう。そう思って、今年は公募の博多町屋ふるさと館隊に応募してパレード参加した。
Zontag
パレード参加すると見物人としてパレードを眺めるわけにはいかない、楽しみ方が随分変わる。とにかく「ぼんちかわいや」ともう一曲、振りを直前に教わってパレードを踊りながら進む。すぐに慣れてそれらしく形ができて、群衆の視線を浴びるのが心地よい。
曲の切れ目で「いをーたー」の掛け声を掛けたりするとつい愉快になる。
呉服町から天神の市役所前まで1kmほどのパレードだが、ゆっくりと景観が流れていき十分に楽しめる。
確かに参加するとこんな祭りが盛大に数百年もの間毎年続くのもなんとなく解る。

前日の突然の雷雨はこの日は免れた。予期せぬことが起こる非日常の祭りというところが本物の祭りらしくていい。

解散後、まだ祭りのざわめきが満ちている街中をゆっくりそぞろ歩いた。春もそろそろ終わりなのだろうか。

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2017年4月30日 (日)

たらたらと歴史を想う

4月も終わりとなった。なんだかちょっと疲れた。

晴れた日が多くて、クルマも新しくなって出かけたくなる日が続いたためかもしれない。
なるべく食事会飲み会には出ないようにしているが何故か4月5月6月とその機会が増える。気象だ野鳥だとどうしても所属するグループの輪の飲み会・食事会には年度初めということもあり付き合うことになり、法事もあったりすると、そうでなくとも体調が今一つで足が遠のいているヨット遊びには出れなくなる。花見にも行かねば、興味のある歴史探索にも出かけねばと思えばとにかく忙しい。
本当はやらねばならないことなど何一つないのだから全部をうっちゃってぼーとしてればいいのだがそうもいかない。春は気ぜわしい。

最近行った歴史探索では装飾古墳の竹原古墳が心に残る。6世紀後半ころのものというから水城や基肄城や大野城といった、白村江の敗戦後に造られた対唐新羅防衛建造物などと同じころの古墳ということになる。よく残ったと思う。現地に常時駐在して管理している方の話によれば高松塚などの明日香の装飾古墳は漆喰の上に描かれたため脆くて傷みが出ているようだがここは岩にじかに描かれているため比較的傷みにくいということらしい。
Takehara 同じく筑豊にある特別史跡の王塚古墳のはかない壁画に比べてもくっきりとして見事だ。勿論ガラス越しで見ることになるがよく見える。
きちんと管理して何時でも誰でも見れるという強さが古墳の管理には重要なのかもしれない。絵が傷みそうなら誰の目にもすぐそれが解るという状態が直ちに対策をとれるということになって望ましいのだろう。隠さないことが強さを作るのだろう。
壁画は撮影禁止となって掲示されている説明図を撮るしかない、説明にはなるが記録にはならない。フラッシュを焚かないことを条件に撮影可と
Ponpei1した方がいいのではないか、そんなことも思ってしまう。最近福岡市に周ってきたポンペイ壁画展(日伊国交樹立150周年記念「世界遺産 ポンペイの壁画展」)は全て撮影可だった、そこには堂々とした誰に向かっても解放された人類の遺産という誇りがむしろ感じられた、そんな姿がこの古墳にも似つかわしい。

ポンペイの壁画展には紀元前数十年頃に描かれた壁画が含まれていたが、そのころといえばシーザーがガリア戦記を記したころだ。
たまたま図書館にあった
Ponpei2ガリア戦記(新訳ガリア戦記 ユリウス・カイサル著 中倉玄喜 翻訳・解説)を読んでいるところだったので一層この時代が生々しく感じられる。ガリア戦記もポンペイの壁画も2000年前とは思えないリアルさと人間の息遣いが感じられる作品だ。
2000年もの間を人類は徒に過ごしていたのだろうか、10 年前に書かれたといわれてもそうかと思ってしまうほどだ。

そのころの日本の様子はどうだったのか。2000年前の遺跡である自宅近くの吉武高木遺跡で少しはうかがい知ることができるが、到底ローマには及ばない時代を過ごしていたようだ。それにしても吉武高木遺跡の王墓らしき墓からは前漢製の鏡が出土するなど東シナ海を越えた交易が広がっていたようでもある。邪馬台国成立以前、伊都国や奴国ができる以前の時代だ。日本でも目いっぱい生きていた
Yositaketakakiその時代の人の生きようがうっすら浮かぶ。進んでいたか遅れていたかそんなことではない人間の生活が感じられてくる。

たらたらとこんなことを思って4月も終わる。いい生き方かもしれない。時々そう思う。

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2017年4月20日 (木)

マスターズ・プレーヤーズ、ウイーンを聴きながら

春はどこか物憂い。

4月18の日にアクロス福岡にマスターズ・プレーヤーズ、ウイーン  コンサートを聞きに行った。毎年の定例だが、演奏者の技術が高く指揮なしで見事に交響曲を演じるその技Mastersplayer2017 に惹かれてできるだけ聴きに行くことにしている。今年の福岡での演目は

ベートーヴェン:「コリオラン」序曲 ハ短調 Op.62
ハイドン:チェロ協奏曲 第2番 ニ長調 Hob.Ⅶb:2(チェロ/ロベルト・ノージュ)
モーツァルト:交響曲 第35番 ニ長調 「ハフナー」 K.385
シューベルト:交響曲 第6番 ハ長調 D.589

だ。
「コリオラン」序曲と「ハフナー」の頭は聞き覚えがあるが、他の曲は初めてだ。安心して受け入れられる音の流れに身を任せるように聴いていく。

2曲目のハイドンを聴いていると、柔らかな宮廷音楽の響きがフランス革命前のアンシャンレジームの世界へ想念をいざなう。音楽から次第に心が離れて流れゆく。歴史のうねりへの思いがアメリカ独立戦争、フランス大革命、ナポレオンの栄華と没落、帝国主義戦争の時代。。。と太平洋戦争の真珠湾攻撃までたどり着くと、そうかもしれないとの思いにいきあたる。ハワイの米国併合だ、明治維新の直後日本を訪れたハワイの王妃が何とか米国の簒奪からハワイを守ることに日本が力を貸してほしいと明治天皇に直訴した、明治天皇はまだ国力がしっかりしておらずいかんともしがたい状態で無理だとやんわり断った。しかしこれが結局は日米開戦の真珠湾攻撃につながったのではないか、そこには一つの義があるという思いが攻撃を正当化したのではないか、長い間果たされなかった思いがそこにはあったのではないか。少なくとも攻撃を是とした昭和天皇の脳裏にはあったのではないか。
たかだか18世紀終わり頃から始まった欧米の近代化に日本はわずかに遅れた程度ではなかったか。瀉血ばかりの医術が横行していた時代が長く続いた、それが19世紀初頭に至るまでの西洋医学の実態ではなかったか。今にたどり着く歴史は単純ではない、一通りではない。
思いがぐるぐる回ってまた音楽に戻る。ハイドンのすぐ後を進むモーツアルトが創り出したフィガロの結婚はフランス大革命の引き金の一つともいわれる、もう時代は限界に来ていた、しかしその寸前まではこのハイドンのような柔らかな響きが宮廷を満たしていたのだろう。
チェロの響きが心地よく眠くなる、そうでなくとも春は眠い。

今の時代は何なのだろう、その思いがまた巡ってくる。何なのだろう。

曲が終わる。万雷の拍手が続く。

こんな風にコンサートで生の演奏を聴いていると、音楽そのもというより思考を解き放つそれ自体が貴重な時のように思えてくる。どこかに閉塞感があるそんな気分の時はこんな聴き方をするのがいいのだろう。

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