古代エジプト美術館展を見てエジプトの謎を感じる
古代エジプト美術館展というのが福岡アジア美術館で開かれていてもう終わりそうなので一週間前位に見に行った。美術展ではなく美術館展というとおり渋谷の古代エジプト美術館の収蔵品の展示という形だ。ほんとなら今頃はエジプト・トルコツアーに出ていたはずだが、随分高いのもあって申し込んだものの何もこんな円安の時にと思い直してキャンセルした、その記憶がまだ新しく、エジプトとあると見ておきたくなる。
クルマをリバレインの地下駐車場に入れる、ちょっと厄介な駐車場だ、久し振りだ。エレベータで7階まで上がって入場券を買うのだがここはキャッシュレスにとスマホで掲示されたページへアクセスして進めていた、しかし入力に要求される項目が多く小さいスマホからの入力が押し間違いばかりとなって遂にあきらめてキャッシュを払って入場した、カード払いもできない。勿論放送大学の割引が効いて学生料金で割安なのだが、何で 現金のみ?、何だかなあと感じてしまう、頭の固い人がやっている美術館の気がしてくる。
展示は小さなものがいろいろ並べてあり紀元前35世紀位のもの(添付左)からあるが、大半は紀元前10世紀位の様だ、見ていくとどうも出土年代表示がきっちりしない感じがする。時代を追った展示にもなっていないのでちょっと見にくい。出土状態から年代を読むことができにくく、同位炭素で測れるような木製も少なくて、デザインにも大きな違いないため年代決定が難しいのか と想像してしまう。展示の中で引っかかるのはハヤブサだ(添付右及び左下)。鳥の中でもハヤブサに特別の意味を込めていたのが伝わってくる。もっと大きな猛禽ではなく何故ハヤブサなのか、いくら考えても分からない。チャットGPに聞いてみても「他の大型の猛禽には同じような特別な地位が与えられなかった理由は、具体的にははっきりしていません。」とあっさりで、解らない。
象形文字も非常に長い間同じ様な表記で引き継がれているようだ、何だか進歩が意図的に止められていた社会のような気もしてくる。それは何故なのか。
やはりエジプトは謎だ。円安も終わったころにでも元気が残っていればやはり行くべきところの様な 気がしてきている。この世のすべてを見ることは不可能とはわかっていても。