2018年10月11日 (木)

長崎くんちを見る

台風が少しばかり足早となってキャンセルした予定が2つあったのもあって、少し時間に余裕ができた。そういえば長崎くんちはこの時期だ、九州の祭りとして有名だが良く分からない、一度見てみたい、そんな気がしていた。出し物を桟敷席で見るというのが普通の見方の様だが調べると今年の桟敷席は既にすべて売り切れている。

街中を巡って出し物の一部を披露していく庭先回りというのは誰でも観れるとあるので、とりあえずこれを日帰りで見て見るというのでもいいか、その他御輿が諏訪神社に戻るおのぼりというのも見どころのようで、とに角行けば祭りの雰囲気は味わえそうだと9日最終日に高速バスで往復することにした。
高速バスは福岡発8:10というのが早くて良さそうだったが迷っているうちに満席となってしまい次の8:35の便とした。瞬時に決めていく心がこんな時は肝心だ。
観光協会に電話して聞くと長崎くんちナビというアプリがあってこれで今出し物がどこにあるか刻々と解る、これを見ながら動き回ればいいと教えてくれる。
ネットで色々調べる。お上りの見どころは県庁前の坂を一気に上るところと諏訪神社の階段を一気に上るところとわかるがうまく見れるだろうか、そもそも庭先回りとはどんなものなのか、今ひとつ解らない、がしょうがない、まずは1日電車券をバスターミナルの上で買って諏訪神社辺りに行った後南下して昼食、くらいのアバウトな計画で当日を迎える。
日帰りだから大した荷物にもならない。高速バスはスマホ電源付き車内wifiありとスマホ利用者に随分と気を使っている、景色に倦きても確かにスマホをいじっていれば移動時間はそれほど気にならない、それに眠くもなってちょうどいい。
予定より10数分遅れで長崎駅前に着く、遅れは福岡バスセンターに来た時点で既に生じていたが最近のバスは遅れを取り戻すために高速で飛ばすということはやらないようだ、安全重視が徹底してきている、そういう世の中だ。
予定通り3番の市電に乗って諏訪神社で降りて神社の方へ向かうと早速何かの出し物が道路上を動いていて人だかりがしているのが目に入る。少し近づくと、有名なコッコデショ(樺山町の太鼓山)だ。掛け声と共ににだしを投げ上げた、さっそくだ、これはすごいと思っているとこちらへ近づいてくる。すぐ目の前に来てまた投げ上げるしぐさを始める、慌ててカメラやらビデオやらを引き出して構えるが近いとかえってうまく撮れない。着いてたちまち祭りに引き込まれた思いがする、こんな祭りだったんだ。
諏訪神社の石段を上がっていって境内で演じられている出し物を遠目で見る、船をぐ

Kunchi2s

るぐる回したりしていたがその内石段を人力で降ろしにかかる、船には子供たちのお囃子が乗ったままだ、ちょっと怖そうだ、ガタンガタンと随分な音を立てながら降りてくる。目の前まで降りてきたところで90度回して横の道へ去っていく、これから市内を回るということになる、とにかく手をかけた祭りだ。

しかし立ちつくして見ているというのは疲れる、おまけに石段の上だ、足場が悪いし混んでいて自由が利かない。脚がこわってくる。もうこれで諏訪神社の出し物は終わりというところまで見て浜町方面に電車で移動する。まずはどこかで昼食をとって県庁坂のおのぼりを、と動くが勝手が今ひとつ解らず右往左往している感じになる。チャンポン屋を探したが見つからず、ちょうどいい感じだったアビのパン築町店という店が目に入って竜馬カレーというのを食べる、なかなかいい。

Tairetsu1

13時頃がお上り@県庁坂という何年か前の情報がネットにでていて多分同じだろうちょっと遅れたがまだ坂を上ってはいまい、と食べ終わってすぐ近い県庁坂に行くと既に坂を上りきったところで隊列は休んでいる。出遅れた、ぴったり13時に行ってなければならなかったようだが、疲れていてそこまでの元気はなかった、しょうがない。そのうち浜市に向けて隊列はゆっくり下り始める、3基の黄金色に輝く神輿があって如何にも秋祭りの行列だ。坂を駆け上がるところは見逃したが行列を見るだけでも何か面白い。行列と同じようなペースで浜市アーケードを進む。観光協会の話ではハマクロス辺りで見ていると庭先回りは見やすいとあったので、ハマクロスまで行ってしばらく様子を見る。思ったより小さな十字路だ。スマホのくんちナビの情報を調べると

Hikakogawa

出し物はまだここまで到達しそうにないのでゆっくり眼鏡橋方面に向かって歩いていくことにする、どこかで出会うだろう。細い通りを前から東古川町の川船の隊列がやってくる、通れないので脇道へ入って眺める、進んでいくだけで特に演技はない。まあ秋祭りだ、屋台と見ると鹿沼の彫刻屋台の方が芸術的かなという気がする。こちらは演技で工夫しているのだろう。

Karafune1s

もう少し行くと今度は大黒町の唐人船が諏訪小学校の前で船を回しているのに遭遇する。近くで見るとこれは大変だ、これを一日中街を巡って各所で披露するのは並大抵の体力ではない、すごい。

紺屋町の本踊りというのはこの辺とくんちナビに出ているがそれらしい隊列はない。ばらけて休憩中なのだろうか。色々なのがかえって町を挙げての祭りらしい。
かなり疲れてきたので電車で諏訪神社まで戻ろうと市電の停留所に向けて市民会館のあたりに歩いて来ると人が集まっている。どうやら樺島町の太鼓山(通称コッコデショ)を待っているらしい。コッコデショは人気が高いようだ。電車通りのところまで来ると出し物が近づいてくる、確かにコッコデショだ。移動中も足を揃えてザクザク進ん

Kokodesyo1

でくる、と立ち止まって出し物を放り上げる動作に入った。今度はビデオを何とか構えて一応撮ることができた。祭りの3日間で8百回位この放り上げる所作をするらしい。1トン近くある太鼓山を片手で投げ上げ受け止めるのだから相当な体力と統率が必要だ。太鼓山は7年に一度しかみられないという、貴重といえばそうだ。
もう出し物は大体見たと諏訪神社に戻って最後の駆け上がりを見ることにする。電車を降りると石段のところ

Kokodesyo1a

に人だかりがある。神輿は石段の下に3基着いていて休憩中だ。上まで上がって見どころとなっている長坂の階段の近くまで行くには足が疲れすぎているのでここらあたりから見ることにする。2時半近くになって動き出し見る間に急な石段の上りにかかる、一気に登っていくが2つ目か3つ目の神輿は途中でちょっと乱れた、しかしややあって無事3基とも最上部まで登り切った。これで祭りの本体は終わりとなる。最後まで気の抜けない祭りだ。

Onoborifinals

とにかく足が厳しくやっとの思いでで電車に乗って長崎駅前まで戻る。バスは18時過ぎのを予約していたが1時間半くらい前の便に空きがあったので変えてもらう、簡単だ。
7時半過ぎに自宅に辿り着く、目くるめく一日が終わった。
長崎くんちは大変な祭りだ、やるほうが一番大変だが見るのもそれなりの覚悟がいる、でも面白い祭りだ。次に行くならもはや桟敷付きのツアーに限るだろう、また教訓を大分得てしまったようでもある。それもいい。

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2018年10月 1日 (月)

五島の旅その2-ハチクマの渡り

五島の旅の続き 2日目はメインイベントのハチクマの渡り観察だ。日本での最終ポイントであるこの地から一気に東シナ海を渡る、その決意の飛行を見たい。

事前の予想通り風が強くて、一晩中目が覚めては風の音を聴いていた。民宿の泊り客

Hachikmose4

6名は全てハチクマ観察だという。全員の朝食はおにぎり弁当で朝5時には民宿の玄関に並べておくとのことだった。5時過ぎには出たいという声があるのだろう。
日の出時刻は6時16分のはずなので5時過ぎに起き出せば十分とゆっくり準備して5時40分頃出かける。勿論他の泊り客は出払った後だ。明け始めていて薄明るい。

事前にネットで調べておいた大瀬山直下の駐車場に一路向かう。10分位で到着するがもうクルマで駐車場所はほぼ一杯だ。かろうじて停められるスペースにクルマを置いて、大瀬山への階段を上る。10分もかからずに山頂に着く。ずいぶんと人が多い。クルマの台数以上の人がいる感じだ。様子を見ていると団体ツアーが入っているようだ、後で聞くとワイバードだという、10名ちょっといるらしい。
東よりの風が強く持参のセーターを上っ張りの下に着る、風速を計測してみると7m位ある、まずは予想通りだ。

Hachikmose3

ハチクマの姿がパラパラ見えだしてきたところで太陽が頭を出してくる。なかなかの景観だ。するするとハチクマの数が増えだして60羽位のタカ柱が次々にできては風に乗って西へと旅立っていく、すごい数だ。
大瀬山の斜面風を使ってそのあとも上空の雲の上昇風でつなげていくのだろう。風が強いだけに最初の上りがよくハチクマはみるみる上がってしまって写真に入れ込んでいる人たちにはちょっと不満もあるようではある。
ワイバードのガイドの人が説明してくれるので観察は楽だ。日本中のハチクマがここ

Hachikmose1

に集まるだけにすごい。時々アカハラダカやチゴハヤブサも混じる、サシバの姿もあったりする。
スマホの方位磁石アプリで見るとキッチリ西に向いて飛行していく。沈みかけた満月に向けてハチクマが飛ぶ姿は美しい。海の上には遠くに積雲の帯も見えて渡りに絶好の日よりとなっているようだ。
翼端の黒い幼鳥もたくさん飛んでいく。頑張れと声援を送る、こんな日に渡れなければもう渡れないという位いい日だ。

Hachikmose2

7時半くらいには出発すべきは凡そ皆旅立って行って静かになってくる、自分で見ただけでも600-700羽がこの短い時間の間に渡っていった。当たりの日だ。
8時を過ぎたころワイバードを始めとする観察者は帰り始める、午後に九州本土から渡ってくるハチクマが現れるまで暫くお休みとなる。
一応これも予想の内で、この間に玉之浦周辺の見どころを観光する計画だ。ゆっくり時間があるので向かいの島山島に

Tondomr

行ってみたり、近くの井持浦教会を見て見たり、ここにはルルドという聖水の湧き出しがある、対岸の荒川温泉の足湯につかってみたり、南の島に来たような頓泊海水浴場の美しさに触れて見たり、アコウの巨木を見たり、あちこち走り回る。見るべきところはまだまだある感触で今度は海の遊びに来るのがいいかとも思ってしまう。いい島だ。
NEWパンドラというレストランで昼食をとった後また大瀬山に戻ってハチクマ観察を続ける。九州本土から来るハチクマは思ったほど多くはなく、男女群島の方から飛んできたりする、コース取りを間違えたか北風に流されて今日は無理となって帰ってきたのか、それとも、数は多くないが四国から宮崎・熊本を結ぶルートの先にある男女群島にまずは渡ってこちらへ来たということかもしれない、よく解らない。総じて思うほどには多く飛来せず、もう渡りのピークは過ぎたのかなとも思う。
4時頃撤収して後は宿で休養する。兎に角朝早くから活動していると疲れる。

3日目は帰る日で10時10分福江港発博多行のフェリーを予約してある。ハチクマ

Oose

の渡りは朝が勝負なのでこの日も前日と同じような光景を期待して早朝から山に上がる。前日よりも車の数が多くて少し先の駐車場所に停めざるを得なくなるが大したことでもない。
この日はよく晴れていて風も前日よりは弱い。斜面風を利用するほどには風が吹いていないためか上空のハチクマの数が少ない。場所を変えながら見ていると、カウントをしている方が2連スコープを海面の方に向けながらカウンターをカチカチ入れているのに気付く、その方向をよく見ると、海上の低い高度を羽ばたきながら渡っていく数多くのハチクマの姿が遠目に見えてくる。ハチクマの渡りでは見たことの無い光景だ、小型の鳥は大抵が羽ばたいて渡りをするのだからハチクマが羽ばたいてもそれもありかなとも思えるがいかにも必死だ。天気がいいうちに渡ってしまいたいのだろう。力尽きて海に落ちることの無いよう祈るばかりだ。やはり渡りは命懸けだ。
こんな姿を見ようとは思わなかった。この地に来て見なければ解らない渡りの実態がある。
予定の7時半ぴったりに山を降りる。間近でハチクマを見る事は出来なかったが、色々と感じることがあった。来ている人も様々で面白かった。

Fune

予定よりやや早くレンタカー屋に辿り着いて返却した後港まで送ってもらう。10時10分の出航だが乗船は10時少し前から始まる、ギリギリの感じだが乗客が可成り少ないのでこれでも全く問題ない。1日船に乗って博多へ着くという移動は敬遠する人が多いのだろうか、大瀬山やツアーで話していても大概は長崎までのジェットフォイルや航空機利用だった。
往きの夜行では見られなかった五島列島と平戸・生月島の島の連なりの感じや松浦半島の姿を海から見てみたいと思っていた。福江から

Umi

一気に長崎に渡るのでは勿体ないように思う。金印伝来の昔からこの海を多くの古代人が渡って大陸と行き来していたその現場だ。
島々の間を進んでいく、思った以上に島だらけの海だった。半島経由にせよ中国から直接にせよこれだけ島があればどこかにはたどり着く、そんな感じがする。海の中に島が集まって国の形を成している、と見えるだろう。
魏志倭人伝の書き出しの 倭人在帶方東南大海之中 依山島為國邑 という感じがそのままのように思えてくる。

男女群島から松浦半島までの切れ目のない島々、入江があったればこそ古代人の船でも日本に向けて外洋を思い切って渡ることができ古くから大陸の文化がもたらされてきたのだろうと納得する。
この感じは見てみなければわからない。

いい旅だった。見たいものを見、感じるべきものを感じたという気がする。こんな旅がいつまで続けられるだろうか。



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2018年9月30日 (日)

五島に旅するーその1

以前から五島が気になっていた。カクレキリシタンの歴史が世界遺産となったこともあるがハチクマの秋の渡りの唯一の出口が五島であることが気になっている最大かもしれない。更には古事記に記載の国産み伝説の中でイザナギ・イザナミによって2回目に作られた6つの島の中に五島列島とその南にある男女群島の2つの島が入っていて古代の海の交通の要衝だったことを古事記は図らずも伝えている、どんなところなのだろうか、そんな興味も大分あった。

ハチクマの渡り時期に合わせて9月の2つ目の連休の終わった次のあたりが平日で

Gotomap

行きやすいかとハチクマの観察場所である大瀬埼に近い玉之浦の民宿を2泊予約し、往復は博多港から福江港に向かうフェリー船とした。海の感じが欲しかった。海を眺めながら感じたかった。島内移動にはレンタカーを予約、また着いた日はキリシタン遺跡・島巡りのツアーが五島の観光協会で企画されていたのでこれも事前予約した。ハチクマの渡りのピークは日の出から数時間の間で観察は2日目にならざるを得ない、初日は観光とした。

肝心なのは天気だ。今年は船旅が悪天候に見舞われるのを3度経験している、うち2度はツアーキャンセルを余儀なくされた、今回警戒すべきは台風だ。祈るような気持ちで2週間くらい前から細かく天気をチェックしていくとどうやら嵐は予定の旅行の後になりそうだ、それでも北に秋の高気圧があり南側が低気圧となって旅行予定の辺りは晴れてもかなり風が強くなりそうではある。7-10m位の風になりそうだ。東風だからタカの渡りには好都合でタカにはいいのだが観察にはつらくなるかもしれない、また島めぐりの船は小さそうだから欠航となるかもしれない、フェリーのほうは風速20mまでは運航するというからこれは動きそうで行くことはできそうだ、その他にも色々気をめぐらしたがともかく風が最大の懸念事項だった。

往きのフェリーは23時45分博多港出航の野母商船の太古という新しい船でグリーン寝台というのを予約した。向かいが仕切り壁になっている上下2段ベッドを専用使用す

Gbed

る形だ、昨年小笠原航路で乗ったおがさわら丸の特2ベッドに近いがセミ個室というほどの独立性はない、しかし1個1個がカプセルホテルのようになっていて安心感がある。テレビもあって十分な感じだ。船内の施設は(使わなかったが)シャワーもあり、トイレも立派で綺麗だが、食堂がないのが残念な気がした。8時10分に福江着なので朝食は船内でとることになるがカップ麺に冷凍おにぎり・チキンを自販機で買ってカウンターで食べるほかない。もう少し何とか、と思ってしまう、ちょっとおしい。


Sunrise

上五島には4時頃着いて後は五島列島の島の間を縫うように進むことになっている、6時頃に起きだして日の出を見る、これがいい。風は厳しくもなく甲板で過ぎゆく島々を眺める、とにかく島だらけだ。乗客は寄港地ごとに次々と降りて静かになっていくが、最後の寄港地の奈留では通勤の風情の乗客が大勢乗ってくる。大事な島の足になっているようだ。

福江港に着くと早速レンタカー屋が待っていて事務所まで運ばれる。カースタというレンタカーチェーンでガソリン

Douzaki

スタンドが兼業でやっている。足掛け三日48時間のレンタルでマーチがほぼ1万円と安い。十分な感じだ。
島めぐりキリシタン遺跡ツアーの方は集合が11時45分ということもあって午前中は福江島の東側を少し走る。まずはキリスト教解禁後五島で初めて建てられたという堂崎天主堂へ向かう。県道162号から脇道へそれて天主堂への道を進むと途中で車両はここまでとの表示が出て少し手前の駐車場にクルマを置いて、歩いて到達する。立派な教会で五島のキリスト教の歴史の展示館にもなっていて潜伏キリシタンの貴重な展示もある。内部の撮影はできない。建築建築には有名な鉄川与助も施工者として参画しているという。世界遺産の構成要素ではないが五島のカトリック教会としては権威があった教会のようだ。福江島の教会を代表する堂々たる建築物だ。

Ishidaj

後は石田城跡と武家屋敷通り景観を巡る。駐車場探しに苦労したが探せば何とかなる。城は石垣と堀だけが残り本丸跡には高校がすっぽり入っている。離島での教育の重要さは島のあちこちで遭遇する小学校の廃校跡でも感じてしまうが、昔から未来につながる教育が島の最大の関心事だったのだろう。

島めぐりキリシタン遺跡ツアーは昼前に予定通り始まってまずは隣の久賀島(ひさかじま)に向かう。船は海上タクシーで狭苦しいが速い。心配した波は島に囲まれているためだろう、大したことはない。しかし窓も綺麗でなく景色がよく見えなくて船の楽しみは全くといっていいほどない。残念だ。
久賀島は江戸時代に潜伏キリシタンが九州本土から開拓民として移住して住み着いたとされる。島全体が世界遺産の対象になっているという。ここではタクシーで移動し

Gotokzr

て旧五輪教会が元々建っていた場所にある浜脇教会を見る。更にタクシーで移動して古民家を改修したところで昼食になる、結構忙しい。食事の後はまたタクシーで移動して牢屋の窄殉教記念教会という明治初期の解禁前の弾圧(五島崩れ)の地を見た後 旧五輪教会にむかう。五島の世界遺産のパンフレットには必ず出てくる教会だ。タクシーは離合不能の片側が崖の砂利道をしばらく走るが自分ではとても走る気がしない道だ、離合はバックしかないという。
それでも到着した降車場所からは坂を下って海辺までの未舗装路を500m位歩く必要があり、特に天気が悪いと
旧五輪教会は陸路からアプローチするのは難しい場所にある。潜伏キリシタンだけのことはある。

Gorin

やっとの思いで着いた旧五輪教会は木造のこじんまりとした教会だが内部は所謂蝙蝠天井になっていて美しい。明治14年に建てられたがその後この五輪の地に移築されている。五輪(ごりん)の名は集落の名前でこの集落には五輪(いつわ)姓が多く、歌手の五輪真弓の父方もここの出という。野球選手の野茂英雄も五島の奈留島にルーツがあるという話もあり、思いもよらず五島をルーツにして羽ばたいている人が多いのに気づかされる。乗っ

Gorin2

てきた野母商船の野母の名前もずーと辿れば五島に行きつくのかもしれない。
旧五輪教会の近くの船着場からまた海上タクシーに乗り奈留島に渡る。個人では組むのが難しいツアーだ。
奈留島では江上天主堂とその集落が世界遺産の対象になっていて江上天主堂を見る。ここも潜伏キリシタンの集落だったが明治になってカトリックの洗礼を受けている。小さくてきれいな建物だ。湿気除けに高床になっていたり

Egami

ステンドグラスが手書きだったり細やかな配慮がある。木造の柱の木目は特殊な技法で描いたものだという、美しいがとても描いたとは思えない。竣工は大正7年で設計施工はやはり鉄川与助だ。

これでツアーは終わりまた海上タクシーに乗って福江港へ戻る。やはりよく見えないガラス越しにしか外は見えない。寝不足なうえに窮屈な船に揺られることもあって何だか疲れた。海の景色が楽しめればなあとまた思う。
それにしてもツアー参加者11名は北は秋田から全国各地の来訪者となっているのに少し驚く。全国区だ。その内外国人も混じるようになるのかもしれない。こんな見せ方はまだ始まったばかりで暫くは色々と試行錯誤が続くのだろう。見るところが多い島のように感じる。

港の駐車場に置いておいたレンタカーで、玉之浦の民宿まで走る。島の道には不安があったりするものだがここは問題なく走れる道でクルマも少なく走り安い。1時間ほどで宿に到着する、18時過ぎになってしまう、明日は5時半出発目標で忙しい。


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2018年8月31日 (金)

くじゅうの夏

暑い日が続く。昼から雷雲という日も多くなりなかなか高原に出かけるのがためらわれる日もまた続いたが、もうこれで今年の夏最後のチャンスかという日、日帰りでくじゅうまで出かけた。2日前のことだ。
9時過ぎに福岡の自宅を出発して11時過ぎに長者原に到着する。学校の夏休みも終わり静かなたたずまいだ。鳥はとビジターセンターで聞くと野鳥の動きはあまりないらしい、暑さ

Kujyuu

のせいか、そんなものだろう。
ともかく地上よりは6℃位は涼しい、花でも見るかとのんびり
タデ湿原を歩きだした、何かをせねばならない何かを見たいということが全くない、ただ来ることが目的の様な散策だ。
歩き始めるとやはり直射日光下では暑い。少ない木陰で休み休みして歩く。名物のヒゴダイはそれなりに咲いている、マツムシソウも去年よりは多い感じだ。しかし何しろ暑いので花も気合が入らない風情だ。サワ

Higodai

ギキョウも咲いているが暑さ負けかちょっとよれている。後めぼしいのはシムラニンジン位でユリは一つもない、カンゾウ類も全て終わっている、少し寂しい。
ゆっくり歩いていると、10数人の外人(白人)のツアー客を日本人ガイドが案内している一行ともつれながら歩く羽目になる、ここでこんなツアーに出会ったのは初めてだ。こういう魅力を海外にどれほどアピールしたか或いは英語をしゃべるネイチャーガイドをどれほど確保していたか、と感じる。nature tourは日本は結構魅力的なはずだ、観光協会などでは対応しきれないのではないかとも思ってしまう、スポーツとしての登山客よりもネイチャーツアーとして知的好奇心を満たしながら見て回るだけというのは観光業から見れば射程に入っていないのかもしれない。自分も鳥見に各地を訪れると何が良くてわざわざ遠くから来るのだろうかという現地の人の声を一度ならず聞いたことがある。普通にあるもの普通にいる生き物、日常的光景の価値を現地に住んでいる人はなかなか実感できないという現象にあちこちで遭遇した記憶がある。
日本の自然の価値は、欧州や米国に住む人にとっては珍しい生き物の宝庫となっているはず、という視点で見ないととても理解できないような気がしている。ヒヨドリはほぼ日本固有種だしトビもこんな風には見れないという声も聞いた、スズメも欧米のイエスズメとは違う、植物、昆虫もまたしかりであらゆる生き物が珍しいはずだ。外国人の立場でしっかり説明してくれる人や図鑑に近いパンフレットがあればと思う。

鳥は僅かにセッカが草原の上を低く短く飛ぶばかりだ、ほとんどいないという雰囲気

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だ。男池にも回りたくて適当に引き上げようとしたところで、川のそばの木の茂みの中でしきりに動いている鳥に気が付く、セッカのようでもあるが羽の模様がヒバリのようだ、とりあえず遠めの写真を撮って自宅で見てみるがボケていて苦労する。色々な角度のぼけた写真から総合するとヒバリのようだ。木の茂みにいるヒバリなぞ見たことがなかったが暑いとこんなこともあるのだろう。
男池ではまずはクルマで名水の滝までいく、確か駐車場があるはずと思ってたどり着くと向かい側の路肩が少し広くなっていてようやく2台停められるくらいのスペースがある。無いわけではないというくらいの駐車スペースだ、今日は誰もいなくて問題なく駐車する。滝のほぼ真横で遊歩道を滝を見ながら下っていくと1-2分で滝壺の横に出る。涼しい。風、しぶき、振動、と滝を目一杯感じながら色々な角度から
写真を撮ったりする、

Meisui

下流へ流れ出す景観もなかなかいい。景色を独り占めして暫く時を過ごした後、男池水源に移動して奥日光の湯川沿いの様な景観を散策する。どこか懐かしさを覚える。鳥はヤマガラが数羽くらいでこちらも少ない。時間を見ながら引き上げる。
帰りは四季彩ロード経由天ヶ瀬インターで高速に乗るルートをナビが候補として示してくれてこれはいいかもしれないと走ってみる。計算上時間が15-20分余計にかかるとなっているが最短の九酔渓経由九重インターに向かうルートよりはるかに走りやすいし高速代も600円くらい安い。走った感じでは実時間は同じくらいだ。

暑い時期には高原に限るが高原も暑い、でも何回も訪れた場所ではあるが面白い、毎回違うことを感じ別の景色を見る。何だか生きていくことの本質を感じさせてもくれる。いい生活のような気がしている。

とにもかくにもやっと暑い8月は終わって明日からは9月へと時は転がっていく、生きていく時間の流れは続く。

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2018年7月20日 (金)

クルーズ船で日本海を巡る-その3

コスタクルーズで日本海を巡る旅、の続き、その3。

金沢を出港した後 船は浜田、釜山、博多港と巡る。豪雨も収まってきたが、まだ雨模様だ。


浜田では寄港地ツアーを利用したがコスタ側の手違いがあって石見銀山だけの観光

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となってしまった。まあしようがない。とにかくゆっくり歩きまわることにした。
久し振りに雨は止んでいる。大森地区の保存されている街並みを一渉り歩いた後まだ少し時間があってせっかくだからと電動自転車を借りて公開されている坑道までも行って見た。
古い街並みの集落を抜けて緑に包まれた抗口に進むとオオルリの声がする。久しぶりに濃い鳥の雰囲気を感じる。こういう所だったのだ。つわものどもの夢の跡、と言ってみたくもなる。

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足尾の公害に痛められた禿山とは随分違う。明治の産業革命の前となる江戸時代にその役割がほとんど終わりになったために大規模自然破壊につながらなかったということだろうか。博物館の坑道の立体図では江戸時代に存分に掘り尽くされていたさまが伝わってくる。保存されている昔の街並みと古い時代の働きの証しそしてこの維持されていた自然の有様が何か忘れていたものを感じさせてくれるような気がしてなかなかいい。こんな景観がセットになっている場所は確かに今やほとんど見つけることができない。世界遺産らしい。

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この日の夜はホテルマネジャー主催の有料のスペシャルディナーでくつろぐ。着飾ったおばさん達のはしゃぎっぷりが目立って如何にもクルーズ船の旅の雰囲気がある。そろそろ旅も終わりが近づいてきた。
浜田港を19時に出航し翌日は釜山港に8時に到着する、初めての韓国だ。
出国手続きは船内で済ませており簡単な入国手続きを港で行って半日のバスツアーに乗る。ウオンへの交換は勝手がわからず下船寸前に船のフロントで軽食・おみやげ代相当分を少しだけ両替した。釜山港での持ち時間でもすぐ近くに交換窓口がありまたバスガイドもバスの中で少しなら両替してくれるようで慌てて両替するほどでもないようだ。
釜山については旅行に出発する前に韓国第2の都市で人口は福岡市の倍以上と知ってちょっと驚いたくらいでほとんど知らない。車窓から眺めると高層ビルが多い、

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トランプのビルもあるらしい、高層ビルの景観では福岡は全くかなわない。
眺めのいい龍宮寺やAPEC開催のあった冬柏公園を巡った後国際市場を散策して屋台の軽食(チヂミ)を食べたりちょっとしたお土産を買ったりと過ごした。思ったより気楽なところがある。でも外国だ、駆け上がろうという意気込みというか思いを感じるとともに、そればかりではない独特の歴史を抱えた雰囲気を感じたりもする、興味深い街だ。バスガイドは日本語を話す現地の人だがこのところ空港経由の日本人観光客が激減していて商売が楽でなくなっていると今の状況も語っていた。色々あるが行き来が細ってくるのはいいことではない。

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荷造りをして一晩明けると博多港だ。釜山の高層ビル群の景観と全く違う眺めの街が近づく、平穏な穏かな感じがにじみ出る、結構濃い旅だった。

クルーズ船の旅はフィーリングが今一つ合わない気もするが、動けなくなってきたらこれもいいように思う。今思い返せばなかなかの旅だったような気がして、またそのうちとの思いがない訳でもない。

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後どのくらいこんな調子で過ごしていけるだろうか、ふとそんなことも思ってしまった、人生の旅は続く。

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2018年7月14日 (土)

日本海周遊クルーズその2

コスタクルーズによる日本海周遊の旅は天気が今ひとつだったもののクルーズ船の旅は初めてで色々思うことがあって、もう少し書き残しておきたい。

Maizuru1

最初の寄港地舞鶴に船が近づくと突然海の色が茶色の領域に突入した、大雨で河川が運んだ濁流の先端がこんな形で海に及んでいるということのようだ。普通では見られないものを見た思いだがちょっと複雑だ。
豪雨のため船が提供する寄港地ツアーはすべて中止とのアナウンスが着港前にあった。舞鶴港では寄港地ツアーは利用せずクルーズセンター近くのレンタカーを予約していたが着岸の少し前に電話で様子を聞くと 天橋立方面は道路状況が難しい、港の周りなら動けるという話だった。豪雨の被害が広がっていて舞鶴にも豪雨の帯が及んでいるようだ。港に設けられた舞鶴の歓迎コーナーでオリックスレンターの窓口はと聞くとすぐ出たところだとある、外に出るとすでに数人が手続きをしている、ツアーがキャンセルになって慌ててレンタカー調達に走っているようだ。ともかく営業店まで送ってもらってレンタカーを受け取る。ここは港でレンタカーを直ぐ借りられるところがいい。金沢や浜田はその辺りができていないように見える。
走り出してすぐ近くのコンビニでまずは傘を買う。船にコンビニがあればと思ってしまう。そういう時代だ。
雨はそこそこの強さではあるが豪雨という降り方でもない、着岸した西舞鶴港から峠

Maizuru2

を越えて東舞鶴港地域にある赤レンガ倉庫を見に行く。駐車場で降りると港の自衛艦艇群がどうしても目に付く。護衛艦なのだろうか現代的な船の上で何かのセレモニーが行われている風にも見える。(後で調べると DDH-181 ヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」だった、いわゆるヘリ空母だ)。他にも所狭しと自衛艦がいて軍事用の艦艇を置いておくには入り組んでいい港になっているようだ。舞鶴は戦前から海軍の街として存立していた

Maizuru3

街のようでもある。今は重要文化財となって観光に公開されている赤レンガ倉庫群も全て旧海軍の建物という。土産物も海軍カレーなどが目を引く、そうはいっても展示には軍事色は殆どない、妙に気を使っているようでもある。
赤レンガパーク用とされた駐車場からは結構歩く、こんな雨の日はすぐそばの市役所の駐車場に置けばいいようでもある、多分一度でも来た人はそうするだろう。そのあたりに観光客には来てほしいが日常生活は害されたくないという心情がにじんでいて微妙でちょっと面白い。
一通り博物館も見て少し先の引揚記念館に向かうところで雨が強くなってくる。記念館は5km位離れているようでこのまま強い雨が降り続くと往復している間に小さい川が氾濫しそうだ。橋が一つでも通行止めになると帰れなくなる、これはまずいと途中で引き返す。この短い時間の間でも川の水かさは着々と増しており赤レンガ倉庫近くの松島橋あたりでは氾濫までもう余裕がいくらもないのが見てとれる。緊張しながら急いでレンタカー屋に戻り船まで送ってもらう、なんとか戻れて一安心だ。この後夜10時出航予定だったものが翌朝6時半まで出航延期とするとのアナウンスがある、後で聞くと港

Kanazawa1

湾当局の安全上の指示だったという。確かに洪水となれば川から何が流れ込んでくるやもしれず嵐の暗闇での出航はリスクが大きい。
翌日は金沢だが着岸は5時間半遅れとなって素早い観光が必要になる、ここは寄港地ツアーを利用することにして急遽申し込む。何もなければ路線バスと徒歩でゆっくり回る積りだった。未曽有の豪雨でどうしようもないが選択肢が残されているだけましだ。
7-8年前に年末宇都宮から福岡へクルマで移動するときに金沢周りで計画したが出発寸前で豪雪で高速が閉鎖されそうとわかり急遽奈良経由に変更し金沢に行けなかった思い出がある、金沢は鬼

Kanazawa3

門だ。船だから行けるだけでも有難いと思わねばならない気がしている。
13時半に着岸してツアーバスでひがし茶屋と兼六園を巡る、雨は降っているが大したことはない。武家屋敷も見たかったが、2箇所だけになって却ってゆっくり歩けていい感じともいえる。後で調べるとこの日は1万
2千歩くらい歩いており十分過ぎる散策だ。
ひがし茶屋はいわゆる廓の街並みなのだが殆どが芸妓だったことからポジティブに観光地として生き残ったようだ。建物内部を公開しているところがあり入って見るが写真は撮れない。綺麗にこじんまりと纏まっているところが日本の伝統のコアを伝え残しているようではある。

Kanazawa4

兼六園は雨で濡れて美しい。雨でもまたそれなりの美しさをみせてくれるところが素晴らしい。いい庭だ。瓢池のほとりにある夕顔亭で抹茶を頂く。静かな午後の時間が流れる。
船に戻って予定通り18時頃出航し暫くすると船長主催のカクテルパーティーが始まる。ドレスコードはフォーマルの夜で、ネクタイ・ジャッケットとするがスーツの人も結構いる。いかにもクルーズ船らしい。そのままディナーに移ってこの日は終わる。

随分いろんなことが立て続けに起こってくる。のんびりするはずのクルーズの旅でもこうだ、旅らしい、これがいい。次は浜田港だ、旅は続く。

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2018年7月12日 (木)

クルーズ船で日本海を周遊

博多港はクルーズ船の寄港が多くこのところ毎年国内最多を続けていると何かで読んだ。受け入れるばかりでなくのんびりした船旅に出かけるというのにちょっと引かれるところを感じていたが、そんなところへ博多港発着日本海周遊5泊6日のクルーズ船の旅が値下げ!との新聞広告が目に留まりこれこれと早速申し込んだ。安直ではある。最も安い内側船室プランで食事込み5万円を切るというからこれで十分とした、おがさわら丸による南硫黄島を巡る旅に昨秋乗ってみた感じでは昼はデッキにいて船室は夜寝るだけだから窓が無くても不都合なことはあまりないという感触だった。JTB募集ツアーだが船はコスタ・ネオ・ロマンチカというクルーズ船で実態はイタリアのコスタ社が旅のすべてを取り仕切る。乗員には日本語の解る・話せるスタッフもいる、というから乗れば国内航路であれ基本的に外国だ、船内の通貨は全てドルとなるようだ。
舞鶴・浜田・金沢・プサンが寄港地で寄港地ツアーも別料金でいくつか用意される。この他に港湾施設利用料金1.8万円、チップ計67.5ドル、さらに飲み物代があって あれこれあわせると結局一人10万円位はかかることになるようだ。まあそれでもクルーズ船の旅としては十分安い。
出航の日が近くなり天気をチェックすると思わしくない。台風7号は北に去るものの南から暖湿な空気が押し寄せ西日本は内陸部がかなりの大雨になりそうだ、山稜の北側にある寄港地の港は運がよければ曇りで済むという見通しだったが日が迫ってく

Cruise

るにつけどんどん悲観的になってきて、全日程雨という可能性が見えてくる。今更どうしようもできない。
いよいよ乗船当日を迎えると福岡も雨だ。タクシーで博多港クルーズセンターまで向かうがクルーズセンターは車寄せまで屋根があって気が付かずにタクシーに傘を置き忘れてしまった。暫くして最も必要なものを忘れてしまったと落ち込んでしまうが、寄港地ですぐにコンビニ傘を買えばいいと思い直す、山用レインウェアは持参してあるので最悪傘なしでも何とかなるだろう。スーツケースは乗船前にクルーズセンターで預けて部屋まで運んでもらえる。ここらはホテルの感じだ。
船内の支払いは部屋のカードキーに自分のカードを紐付けして全てがカード払いとなる。船で現金を使うということはない。船旅といえば海鳥を見たくなるが屋根付きのところはガラス張りになっていて海面の鳥は見にくい、ランニングデッキでは外の景色が直接見れるが海面から距離もあり鳥見にいい場所でもない、といった塩梅で海鳥を見るにはクルーズ船は適していないようだ。今回はほとんど雨だからのんびりしている時にガラス越しに鳥の姿を追ってみたが全くと言っていいほど見つけることができなかった。
のんびりした時間を過ごす場所を求めて船内を探索してみるとフロア8のグランドバーの窓側のボックス席がゆったりできていいと解りここを愛用する。スケッチをしてみたり海を見ながら船旅らしさを味わう。プールもあるが雨続きで使う気にならない、この航海中泳いでいる人はついに一人も見かけなかった、こんなこともある。

あれと思うことがいくつかある。まずは売店がないことだ。ブランドショップはあっても飲み物やちょっとした日用品や土産物を買える店が船内にはない。自動販売機もない。水はレストランでボトルで買うほかない、勿論サービス料を取られて安くもない。フロア10のブッフェレストランに自由に飲める水があって持参のボトルに入れることはできなくはないが(一度やってみた)、少々抵抗がある。また、共用エリアでトイレが見つかりにくい、基本は部屋のトイレを使うことになっているようで少々不便だ。その他、出航や着岸の時間はキッチリ決まっていてディナーも決められた開始時間に合わせる必要があったり安全訓練があったり何かと時間に縛られる。仕事を離れて緩い時間の生活に慣れていると時間を他人に決められるところが少々嫌だがしょうがない。
一方で乗っているとどうしても世の中の情勢に疎くなる。
船室にテレビはあるが日本語放送はBSアサヒだけで日本語のニュース放送は見ることができない、ニュースとしては英語のユーロニュースを見る他ない。世界のニュースは一応とれるが国内ニュースは非力だ、といっても西日本豪雨のニュースはユーロニュースの2番目(1番目はタイ洞窟少年達)に報じられるようになり世界的大災害の雰囲気が良く伝わってきた。寄港地に近づくとスマホが圏内になってネットのニュースがとれるのでこれで福岡の居住地の被害の有無や国内のことはおよそ知ることになる。今回は勿論豪雨の状況が気になったがその他にもオウム事件死刑囚の死刑執行など驚きのニュースもあった。天気の予測も寄港時にネットで色々調べて翌日のツアーに身構えたりもした。航行中は船内でwifiがお金を払えば使えるが衛星経由で結構高くつくし何故かlineは使えないと、あまり利用する気にならず今回は使わなかった。

娯楽として昼間からちょっとした催し物がずっと用意されていて夜になるとショーやカジノなども賑わうがイタリア船ということもあってバタ臭さがあり遊び方を押してくるところがどうにも合わない気がする。一方で他の客と話したりしているとリピーターが多いのに気付く。こういう雰囲気にはまってしまう人も結構いてそういう人にはいいのだろう。

全体に日本人の乗客の目線から色々なことをしつらえていく ということが行われていないように感じる。しかしネットで見るとこの船はいいほうで他の外国船クルーズではもっととまどうようだ。
クルーズ船で楽しむには船に合わせて外国人の目線で眺める必要があるような気がしている。

乗っていればトラブルもある。寄港地ツアーに3つ出かけたがインターネットで事前予約しておいた浜田港からの世界遺産銀山ツアーがひどかった。インターネットの説明文では出雲大社と石見銀山に行くことになっていたがバスに乗るとガイドはこのツアーは石見銀山だけだ、コスタからはそう言われている、という。ここで言われてもとも思うが何かの間違いが起こったようだ、定員が決まっているはずのツアーなのに補助席を全部使ってやっと乗り切れるほどに満員なのも少々変だ、オーバーブッキングのようでもある。ともかくツアーを終えて戻って船のツアー担当にインターネットの説明文コピーを見せて問いただすとこの説明文は見ていない、申し訳なかったと謝罪が入る。実際のツアーの催行とインターネット募集を別の組織(支社)でやっているようで連絡がうまくいっていなかったようだ。多分ビジネスマネジメント上の問題なのだろう。清算でなにがしかの割引となったがこういう組織で働く人も可哀そうになる。

色々ある。不満も色々あるしそもそも今回は天気が最悪だ、でもいいところも沢山ある。大雨位では一応予定のコースは周れた、もし同じコースを地上で旅していたら道はズタズタ鉄道は不通と苦難の旅となっていただろう、それを思えばこれ位の事は大したことでもない、むしろ船ならではの良さが出た旅だったとも思えてくる、これがクルーズ船なんだ。

博多港に戻れば海霧の向こうから梅雨明けの蒸し暑さが押し寄せている。
とにかく戻った、さて暑い夏をどうやって過ごそうか、今からはそれが問題だ。

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2018年5月12日 (土)

薩摩を旅する

離島の旅行を2つ立て続けに失敗して、これならばという天気をしっかり読み休暇村指宿に空きを見つけて鹿児島に小旅行した。大河ドラマの影響がもちろんあるが、指宿の温泉に行けるうちクルマでに行っておきたいというところに心が動いた。長崎ランタンフェスティバルもインフルエンザで行けなかったし自力で行けるところがだんだん狭くなってきていると最近感じ始めていた。
5時間近く走って鹿児島を巡った翌日知覧へ行ってみた。武家屋敷と特攻で知られる。ここの記念館で40年位前に宇都宮で眺めていた4式戦「疾風」その機体そのものに突然再会した。一体どういう経緯でここに至ったのか。(写真は1973年に撮影したもの)。
1973年の入間航空ショーでフライトしその後宇都宮飛行場へ飛来してこの地に暫く止まった。宇都宮上空を飛行している姿を見上げるように街中から眺めたこともある。旧中島飛行機関係者のプロフェショナルな手で丁寧にメンテナンスされていたが、オーナー

Hayate1973a2a

の後閑氏が亡くなった後宇都宮を離れ、関西を転々とした挙句知覧町の手に渡りここに落ち着いたという事のようだ。多分もう飛べないだろう。残念だがしょうがない。
貴重な機体の写真を撮りたかったが撮影禁止という事で撮れない。なぜ禁止なのかはよく解らない、なにを気にしているのだろうか。

Hayate1973b


仕方なく写真が載っているパンフレットを購入する。少しでも稼ぎたいということかもしれない。情けない。
展示を見ていく。特攻は一定の戦術的効果を米軍に与えたといわれる。そのまさに必死の抵抗が日本上陸侵攻後にも続けられれば米軍は多大な損害をさらに受けると恐れ、それがためらいのない原爆投下に繋がったというのはあなかち牽強付会と言うわけでもないような気がしてくる。何でこんな悲惨な戦争を邁進したのか、誰が責を負うべきなのか、それを解明しようとする或いは糾弾する説明文はどこにも見られない、日本国民として戦争責任を追求する行いがほとんど行われずに今日に至ったのが腹立たしくてしょうがなくなる。死んで行った幾多の命に申し訳ない気がしてくる。知覧の展示はその意味で全く情けない、同情を買い客寄せのためにやっているのかと言いたくなる。永遠にゼロだ。

鹿児島の街はとんでもなく走りにくかった。世界遺産の寺山炭窯跡から仙巌園に向かおうとナビに目的地を入れると一筋縄では読めない道順が出てくる。ループでシラ

Navi

ス台地から降りて南下したあとUターンして北上せよとの指示だ(写真)。どういう道だろうと走っていくとまさにそうしないとたどり着けない。ループを降りては左折して北上することができない道になっている。普通の道ではない。解ってない人、地元ではない人には走りにくい道になっている。ほかでも感じる、よそ者のことは親身に考えていない構造を。

世界遺産の構成資産である関吉の疎水溝と寺山炭窯跡はいずれも良いところだった、しかし、行きにくい。
福岡を朝クルマで出ると丁度ランチ時が最初の訪問地ということになる。

Touonkan

関吉の疎水溝の近くの稲音館(とうおんかん)という所をランチ場所と決めてナビに住所を入れて出発する。予定通り12時頃に現地に着いたのだが最後はとんでもなく細い道を指示してくる。どういうことだろうと恐る恐る進むと確かにこの道しかないと解る。関吉の疎水溝の駐車場は5台くらいのスペースで稲音館にクルマを置いても行けるのだがこちらも5台くらいだ。勿論バスは入れない。人はほとんど来ないと決めてかかっているようだ。稲音館のランチは美味しくテラスで風に吹かれていい気持だったが数組しか入れない、

Sekimuzu

この時はついに他のお客は現れなかった。県道沿いには看板も気が付かない程でナビか知ってる人以外来ようがないところだ。関吉の疎水溝のほうは興味深い遺構が残っていて疎水のはるか仙巌園に向かって流れ行くさまも見れて特に夏場は心地よいところに思えた。しかし行きにくい。次は寺山炭窯跡に向かう。こちらはネットで調べてみても駐車場は少し離れた公園を示してあったりでよく分からなかったがとにかく現地にまず到達してみようと走っていった。やや細い県道220号線を、ここらあたりか、というところまで来ると駐車場入口の表示が見える、やっぱり近

Sumiyaki

くにあったんだとクルマを入れるが1台も止まっておらず不気味なところがある。どっちへ向かえばいいのか道案内もなくて看板を探したりと少し手間取るが解って歩き始める。100m位で近い。森の中でリュウキュウサンショウクイやシジュウカラの声などが響いて気持ち良い散策となる、いいところだ。炭窯跡の遺構はいかにも近代遺産という感じで普通の炭焼き跡とはずいぶん違う。ここが仙巌園の反射炉のエネルギー源であり、辺り一面の落葉樹が切られていったのだろうが今はいい森だ。落ち着ける。
いずれも自然散策にいいところだがよそ者にはなかなか近づけない雰囲気のする場所だった。世界遺産で何とか整備しようとしているところは感じるが元々が人の近づきにくいところに作られていて本来的に行きにくい。
そのあと今回巡ったいくつかのポイントでもよそ者にとってのわかりにくさを感じた。そういうう風土なのだろう薩摩というところは、簡単には抜け去らないのだろう。

2日で720kmくらい走って、随分歩きもした、疲れた。殆どアクセルもブレーキも踏まずに済む車だから走れた気がする。こんな旅行はいつまでできるだろうか、それでも旅は面白い。

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2018年4月17日 (火)

北京ツアー3日目及び帰国

この日は万里の長城が混雑しているという情報からホテル出発が7時15分にセットされる。早いがホテルの朝食は6時半からなので問題なく食べることはできる。
万里の長城へ直ぐ向かうかと思えばまずは寝具店に寄るという、ここらがショッピングツアーの面目躍如の感ありだ。例によって1時間くらい店の中で時を過ごす。latexという天然ゴム素材の寝具が売りで、枕を買う人が多いが布団を買う人も6-7人もいる、枕だけでも1万円位する、結構いい商売だ、布団は真空引きで圧縮して専用のスーツケースに入れて渡されている。ちょっとした荷物だ。
やっと万里の長城・八達嶺に向かうと道路は渋滞が始まっている、何しろ春の連休だ。ガイド(中国人)はあちこちに電話して混雑情報を探り空いた入り口を求めて文

Banri

字通りバスは東奔西走する。八達嶺の東側から上がって一番近い許可車のみの駐車場にうまく滑り込んでなんとか八達嶺の入り口に到達する。一時は今日はもう着けないのではないかと思うほどに厳しい渋滞だった、中国人ガイドの大活躍で何とかなったというところだろう。懸念した天候は風がやや強いが歩くのには支障ない、寒さは標高800m位あるものの前日と同じくらいでまあ耐えられる。残雪もみられるが予想の範囲内ではある。
兎に角人が多い。集合場所と時間だけ決めて各自歩く。とても団体行動などはとれない。大昔からあったものの明時代に現存する形が造られたというから、新しそうに見えても随分な歴史がある。それにしてもこんな山奥に延々とよくぞ造ったと半ばあきれる、トランプがメキシコ国境に造りたい壁はとてもこんな風にはできまい。日本に残る神籠石と呼ばれる古代城もこんなイメージがもとになったのではとも思わせる、

Jyobi

しかし長大だ。秀吉は明を攻めようとして朝鮮に侵攻し明軍の登場であっさり撃退されたが当時の明の軍事力は想像以上のものがあったに違いない、この長城を見ても秀吉の手で攻め落とせる相手とはとても思えない。
どこまでも続くので適当なところで引き返す。人波に逆流するような形なってこれも一苦労だ。
途中で鳥のさえずりを聞く、見ればジョウビタキだ、ジョウビタキのさえずりは初めて聞いたように思う。中国で見た数少ないオヤと思う鳥だった。
13時頃バスに戻り昼食場所に出発する。滞在時間は80分位だがそれなりに面白い。
前日と同じような昼食の後シルク店にてショッピングだが皆疲れて元気がなく参加者のうち一人が買うくらいだ、売り子が可哀そうにも見えてくる。
この後清朝皇帝の別荘である頤和園を見る、ここも世界遺産だ。清朝末期に西太后

Iwaenn

が住んだ場所ともされる。狭い回廊が入り組んだりしているところへ連休の人出で人の多さばかりが印象に残る。日光東照宮に描かれている模様に似たところがあり、この辺りを元に描かれたのかと思う、東アジアではつい近年まで中国文化の力が圧倒的だったと思い知る。
夕食は全聚徳という北京ダックの店だが海外からの団体観光旅行客で埋まっていて騒がしい上にいつもの中華料理に北京ダックのスライスが加わったという位でお

Kyogeki

いしいという気持ちにはなれない。しかしこんなものなのだろう。
オプションの京劇を梨園劇場で観る。いくつかの寸劇で構成されていて、体験版という風情だ。子供たちの修学旅行もいたりして観客もバラエティに富んでいる、京劇鑑賞を体験するという全体が面白い。
翌日は午前4時半ホテル発なのでホテルに戻って手早くパッキングしてとにかく寝る、忙しい旅行だ。自由時間らしいものがほとんどない、普通のおみやげもなかなか

Kaeri

買えない、旅らしさに欠けるところがあるといえばその通りだ。仕方がない。
帰りも出国手続きは青島で一度降りて行い、昼過ぎに福岡に帰り着く、早起きした分楽なスケジュールとなって悪くもない。
兎に角疲れたが、中国の人口の圧力を生に感じられただけでも十分な気がしている。こんな旅もたまにはいい。

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2018年4月12日 (木)

北京ツアー2日目


朝7時半から市内観光が始まる。北京オリンピックのスタジアム「鳥の巣」をやや遠めに眺めた後、まずは中華民族園の近くにあるショッピングセンターのヒスイ店に案内される。1日2店回ると知らされていたのでまあしょうがない。1時間近く店にいることになって、手頃な値段を設定してある商品に人だかりが出来るし、
それなりに買う人も出てくる。ショッピングツアーに観光がついていると考えた方がいいツアーなのかもしれない。

Tendan

中華民族園は見ないで市街を北から南に横切って天壇公園に至る、ここを見る。もう9時半くらいになっているがまだ気温が低い、3℃くらいの感じがする、出がけに見た北京の気温は1℃だった、予想通りの寒波だ。

とにかく園内を進む、一応世界遺産だ、人出が多い、清明節の連休が始まったところで中国の各地から出て来たという雰囲気だ。

Kasasagi

15世紀に明によって建てられた祈祷用の建物だが随分なスケールだ。地震が無いところなので石造りで一回建てるとなかなか壊れないと見える、傷んでいない。庭園を結構歩くが時折鳥が出てくる、カササギとオナガの他はスズメ位だ。食べられない鳥が残っているのかもしれない。

10時40分位に終わって今度は紫禁城内にある掛軸屋へ行くという。移動は3-40分かかる。北京という街は地図で見るより広い感じだ。ラストエンペラー
愛新覚羅溥儀の弟である愛新覚羅溥傑が人民中国となった時代にいっときこの店で働いたとの説明がある。
店に入ると清王朝崩壊の歴史の説明の後 清朝皇族の愛新覚羅一族の末裔であるという愛新覚羅恒珏(コウカク)氏の書道実演がある。

Aisinkokaku1

愛新覚羅溥傑の子息であるような説明がされるが店内に示されている系図ではどうもそうは読めない。確か溥傑には男子はいなかったのではなかったか。ちょっと大げさに脚色して言っているようだが愛新覚羅一族は多くが書画で身を立てている様で清朝の歴史の果てがここにあることはどうやら間違いなさそうだ。
恒珏氏の掛軸や色紙大の書が販売される。掛軸は表装してある書が3万円という、歴史的に重みがあるものにしては安すぎる、どこか怪しいところを感じるが観光客相手の販売が身を立てる中心になっているのかもしれない、共産中国では清帝国の末裔は肩身が狭いのだろう。1万円の色紙サイズの書を買うことにする、歴史を買うという気持ちだ。心清事達 という文字で、心清と書くからにはそれ程非道い詐称はあるまいとの思いもある。しかし中国のことだ、本当のところは解らない。

Koukaku

全てを含めて中国ならではという人に出会った気がする。
帰国した後、愛新覚羅恒珏という人についてもう少しネットで調べてみる。

書に添付されていた系図と説明書きから、清の第四代康熙帝の次男で皇后の子の胤礽(いんじょう)がその祖となっているようだ。この胤礽は皇太子として早くから認められていたが反逆のそぶりありとして結局廃嫡されている。その末裔が恒珏氏という系図になっている。添付されていた系図はネット上にで見つけた胤礽の末裔の流れと凡そあっていて帝系の流れをくむ人であるという説明は一応正しそうだ。北京中国書画協会常務理事等それなりのポジションにあるという説明書きも中国のwikipediaであるBaidu百科で調べてもそのような記述で書画家としてある程度名の通った人であるようではある、Baidu百科の写真も本人だ。
清朝の末裔がこんなところでひっそりと書画を売って生計を立てている、その物語そのものが幾ばくかのお金を払って手にするのにふさわしい中国土産のような気がしている。

Tenanmon

この日のツアーはこの後 天壇公園と天安門広場の中間にある老根山荘というレストランで中華料理のランチを食して天安広場、紫禁城の観光のコースに入った。

だだっ広くていかにも中国らしい天安門広場、門をくぐってもくぐっても次々に門が現れる複雑怪奇な紫禁城をひたすら歩き 歩き疲れてやっと夕食となる。後で調べるとこの日は15000歩くらい歩いている。オプションの雑技団のショーをツアー参加の多くの人が観る予定なのもあってショーがある朝陽劇場のすぐそばの中華レストランが夕食場所となる。

Sikinjyo

四川料理と銘打ってあるが昼の食事に多少品数が増えたかというくらいで あまり変わり映えがしない。このツアーはホテルの朝食以外は食事にはあまり期待しないほうが良いようだ。
雑技ショーも滞りなく見終わって一日が終わる。疲れた。明日は万里の長城だ。

Zatugi


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