山鹿灯篭千人踊りを見る、ゆっくりしたテンポがみやび


まだ全国旅行支援がつくというのもあって写真などでしか見たことのない日田祇園の山鉾を見る日帰りバスツアーに申し込んでいた、ツアーは7月16日で博多祇園山笠の舁き山が街を駆け抜ける日の翌日だ。15日は放送大学の試験初日でもあってこちらを優先して今年の山笠は見ずじまいだった、この時期祭りが多くて付き合い切れない思いもある。博多の祭りも見ずに日田まで出かけるというのも少し引っかかったがまあしょうがない、そんなこともある。 16日当日は12時過ぎに博多駅集合・出発となる。日田の祭りは午後6時頃から日田駅前に山鉾が集まってくるので、それまで天ケ瀬の慈恩の滝を見たり湯布院で早めの夕食を食べて散歩したりと、優雅に時を過ごす段取りになっている、これもなかかいい、いずれも行きそびれていたところで初めてだ。慈恩の滝は2段の豪快な滝で思った以上だったが湯布院の温泉街散歩はこんなところとは思わなかった。昔からの落ち着いた温泉街と思いきや若い人がずいぶん遊びに来ていてそのあたりを狙った今風の店構えが目につく、こんな意外性も面白い、旅らしい。メインの日田祇園は午後6時頃には予定通りJR日田駅前に8-9基の山鉾が集まって「集団顔見世」となる、これを眺めるというのが本日の目玉だ。
提灯に明かりが入った写真をいくつか見たことがあり、一度は見たいと思っていた。ユネスコの世界遺産だ。博多の舁き山の様な張り詰めた空気はなくて、和やかな集団が山鉾を動かしてくる。
大変な人出だ。駅前広場に高さ10m位の全基が終結し7時半に明かりがともる。見所はほぼそれにつきる、揺らしたりはするが秋田の竿灯の様な曲芸はない。それでも十分見応えがある。
8時半にバスのとこるに集 合して博多に戻る。秋田の竿灯を見に行った時も思ったが散り散りになったツアー参加者がよくも全員時間通り暗い中を解りにくい集合場所に戻ってくるものだと思う。魔法の様だ。1時間と少しで元の博多駅前に帰着する、近い。
日田は今度の豪雨で 被害を出していて大分道もツアーの前日まで通行止めだった。豪雨被 害の跡があちこちに残っているかと思えばそんなことは全くなく、平然とスムーズに旅は終わった。こちらもなんだか魔法の様だ。
短くてもこれが旅の面白いところなのだろう。
もう一つの同期会が翌日本郷であるので一泊したが、東京でも全国旅行支援が使えて2割引きと2000円のクーポンが付く。クーポンの使える店はどこでもというわけではないが、コンビニで使えるのが有難い、これを使ってセブンで朝食を調達する。11:30開始の会合まではややあって時間を上野の東京都美術館でつぶす。マチス展が評判の様だ、事前に予約してあるので気楽に向かう。銀座線で溜池山王から上野まで行ってJR上野駅を入場券で抜けて公園口に出る、東京での移動はなるべくエスカレータやエレベータを利用しないと体がもたない。展示は予約制なので混むというほどではないが、前日見たルオー展よりは人が多い。マティスはルオーの2歳年上でほぼ同時代、同じくモローに師事していたとあるのでモローの兄弟弟子といえるのだろうが、作品から何 らかのつながりを感じることはできない。まるで違う。マティスの印象はシンプルさにあると思う、絵に使われている色数は10-12色に限られ、それを意識して描いているように感じる。素描はためらいの無い一本の線描だ。改めてそうだったのかと感じていく。なかなかの展示だ。
都美術館から本郷の会 場までは2km少しで遠くもないが歩くのはきつくタクシーを使う。道がストレートでなくタクシードライバーもミスコースしてしまう、しょうがない。こちらの同期会の方は3-4年ぶりか、半数位が出席と出席率はいいが、顔と名前がなかなか一致しない。病気や手術の話があちこちで語られる、そういう年頃だ。全体の同窓会に合流して講演会まで付き合って、あとはひたすら福岡へ戻る。上空で見る雲海の夕暮れが美しい。ちょっと疲れた、でもこんなことは時々必要だ、非日常が心地いい。
暫く泊の旅行に行っていないのでそろそろ阿蘇あたりにでも出かけるかと、南阿蘇の休暇村を電話予約してみた。阿蘇山が見えない部屋で良ければ空きがある、それにまだ全国旅行支援が使えるという、大盤振る舞いだ。一度始めるとなかなかやめられないものの様だ、それほど効果があったということでもあるのだろう。
福岡から南阿蘇に行くだけなら3時間も走れば着く、この時期は草千里から阿蘇山上と呼ばれるエリアのミヤマキリシマが見ごろのはずだ、ここらをゆっくり見るかと出かけた。高速はクルマが多目かなというくらいで阿蘇エリアに入るとクルマも少なく、こんなものかと草千里まで来ると、ちょっと驚く。駐車場はほぼ満車で空いているスペースをやっと見つけて一安心という有様だ、ここまで来て初めてずいぶんの混みようだ。昼食をとりながら見まわすとアジア系外国人が多いようだ、ツアーバスも次々に到着する。コロナ解禁円安バブルというのを目の当たりに見る思いがする。草千里を少し歩いてみた後阿蘇山上駐車場へ向かう、ミヤマキリシマは山上駐車場からが見やすかった記憶がある。以前よく利用していたロープウエー駅下の山上駐車場に着くと無料開放されていて何となくさびれている、とにかく車を置いてミヤマキリシマの群落に入ってみる、綺麗に咲いているが火山ガスのせいか花付きがよくない株が結構あって以前に見た圧倒的な光景でもない。それにしても上から下りてくる車が次々に来るのはどういうことだろうとみると、火口に向かって道が開かれていてさらに登っていく車ばかりだ、どうやら更に上に駐車場ができているようでせっかくだからと行ってみることにした。ゲートがあって料金の支払いかと思えば火山ガスが出ていて疾患のある人 はこれ以上登らないようにと注意があり引き返す道が用意してある。大丈夫ですとさらに登ると料金所があり800円払って火口部の駐車場まで上がる。火口からは盛んにガスが出ているが風向きが良くてこちら側には来ない。歩くとす
ぐに火口のへりに出る。ここまで上がったのは前回は60年位前のことだったように思う、それ以来何度か訪れたがロープウエーが動いていなかったり立ち入り禁止になっていたりでここまでこれなかった。ロープウエーは完全に撤去されていてその代わりにこの駐車場が
整備されたように見える。とにかく行きやすくなっているのは事実だ。でもちょっとした驚きだ、簡単に火口の縁まで行け過ぎる。
久し振りに見る火口は昔 より横長に広がっている印象がある、活発にガスを出している様は昔よりやや危なくなってい る印象もある。爆発したらトーチカに逃げ込めばいいというものでもないだろう。
こんな活火山の火口をまじかで見れるスポットは世界的にも珍しい所の様な気がする、こんな活況は当分続きそうだ。そういえば魏志倭人伝にも阿蘇の記述があったような記憶がよみがえる、少なくも2000年前から東アジアの有名な火山であり続けたようだ。この日は山を下りた後白川水源を巡ったりして、それでも早目に宿に入った。何度も訪れたところへののんびりした旅と思っていたが来てみる と以前とは違った光景に次々に出くわす。旅はだから面白いのだろう。
コロナの旅行支援があるのでせっかくだからと、1泊2日の旅行社ツアーで姫路城/鳥取砂丘/足立美術館/出雲大社を巡る旅に参加してみた。山陰は自分で旅程を組むにはちょっと面倒なところがあって、丁度いいかという感じがあった。ルートを調べるとこの3月に姫路から中国道までの高速道が開通し姫路城を見た後鳥取砂丘に回 るコースが1日で回れるようになっ て実現したツアーのように思える。
8時10分の集合時刻に合わせて博多駅に行くと40人くらいいる、結構多い、女性が多い感じもする。集合場所で新幹線の切符が渡されるかと思いきや指定座席のシート番号が書かれたメモ紙が渡され入場は改札口の横の仕切りを開けてもらって団体で一斉に入る形となる 、普通の改札はな い。切符もないこんなんで大丈夫かと思うがいつもこうのようだ。2時間半くらいで姫路到着だから遠いというほどではない。観光バスで11時30分ころ姫路城につく、懸念した通り昼食が問題だった。昼食は付いておらず2時間の城内観光の時間内で各々昼食をとる必要があるが城内は食事禁止でひとまわりした後お堀の外に並ぶ土産物兼食事の店まで戻って食べるほかない、結構混んでいて、バス出発時間が際どい。しょうがないので店の前で売っているおでんを買って近くのベンチを探してここで昼食を済ませる。バスの中もコロナ対策で食事は禁止となっている。コロナ時代の旅はやはり少々面倒だ。
2時間半ほどバスに揺られて鳥取砂丘に4時前に着く。日没は4時55分ころだ。砂山の肩のところまで歩いて登って海を眺める。風は弱く砂が靴に入ることもない。 このくらいの砂丘なら日本の各所にありそうな気もしてくる、大抵は松を植えたりして砂をコントロールしているがここはそれをあきらめたに過ぎないような気がする。福岡の海の中道も剥ぎとれば大砂丘なのだろう。でも夕日の景色はいい、夕日の頃にここにつくように設定されたプランはさすがと思わせる。ここにきたら砂の美術館も行くべきところのように思えてくるが時間がきついお仕着せのツアー故今回は行けない、そこまでは無理だ、しょうがない。
大山のふもとの宿に一泊する。大きな建物でツアー客が多い。コロナ真っ盛りの時はどうしのいだのだろう、やっと一息つけた雰囲気がひしひし伝わる。もらった一人3000円のクーポン券は鳥取県内でしか使えない、このホテルで半分と次の日の朝一番で行く土産物屋で残り半分を使う。とにかくこの地の経済を回すことにお役に立てた心地がして悪くない。 続いて安来の足立美術館に寄る。足立といっても足立区とは何の関係もない。足立全康という名の安来出身の事業家・蒐集家が1970年に創設した大きなスケールの美術館で横山大観の豊富なコレクションと広い日本庭園が(国際的にも)立派として知られる。団体客を多く受け入れるだけのキャパシティーがあり、この日も平日ながら結構な混みようだ。すこぶる個人的な印象としてはフーンという感じで、感動というほどのものは感じない、でもこういう施設は個人が作ったものにせよ島根にとってはかけがえのないものとなっていることをどうしても感じる。こんな美術館はここにしかない、よくぞ創った。
出雲大社に行く。このツアーの訪問地としてはここが最後だ。本殿に向かって参ったが本殿はよく見えない、見るということにはあまり向いていない建造物のようだ。また昼にかかるがオプションの昼膳を頼んで いたのでランチは何とかなった。食べ終わって歴史博物館へ急ぐ。圧巻は荒神谷から出土した銅剣365本だった、全てをこれでもかと展示してある。加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸もすぐそばに展示してある。何故これほどの量がここにとどうしても思ってしまう。古代史における出雲の位置づけがまだまだ不十分なのを感じる。
あわただしく駆け抜けてバスは広島に向かう。途中の休憩は三次ワイナリー だったがインターのそばのトイレ休憩に向く施設として存在しているのも面白い、次々に観光バスがやってくる。勿論ワインも大サービスの試飲が効いて次々に売れていく、巧みなビジネスだ。
余裕で広島駅に到着、やや持て余した時間をスタバで過ごす。夕食は予約していた駅弁となるが勿論新幹線内は食事可能でのんびりとくつろぐ。
あわただしい旅ではあったが、この時代の旅行を取り巻くビジネスの有様があちこちで面白くも見られたのが印象的だった。コロナが8波でやってきてもこれは何としても凌がねばならない、そんなことを思っていた。
壱岐へのツアー2日目、天気は結局大丈夫そうだ。石田町の宿から起き掛けに浜まで散歩する。ウグイスがこれでもかというくらい鳴いている、姿を見せたままのも結構いて、中には換羽前なのかボロボロの羽で鳴い ているのもいる。浜ではミサゴがゆったり飛んだり鴨が忙しく行き来したりもしている、マガモではなさそうだが種類はよくわからない。いい浜だ。
今日は原の辻遺跡から回る。NPO法人のガイドが非常によく知っていて、テキパキと次々に説明していく。ツアーならではだ。遺跡は一支国博物館の下に広がる平野にあり弥生時代の遺物が多く出土している。発掘調査後遺跡は埋め戻されてその上に復元建造物が色々建てられている。階段や木組みの一部も当 時のものが出土していて復元は現在得られる情報を最大限に利用しているようだ、根拠のある復元ということができる。まだ発掘は20%くらいという。魏志倭人伝時代の2000年前頃に王都が拡がっていたこの平野(長崎県で2番目に大きい平野という)の多くの地点が発掘対象となっているようだ。入江が多く漁業に適した島だが水田も広く農業も盛んで豊かな国のイメージが湧く。一方で後世の2度の元寇の時には島の大半が殺戮破壊されてしまったようで、
国境の島の厳しさも感じる。
次は松永安左エ門記念館だ。何?という感じがなくもないが壱岐出身の電力界の大物で福岡市立博物館にも氏が寄贈したコレクションの展示ルームが設けられている。館長が詳しく説明してくれる。松永は思っていたよりずっと広範に電力及び電気輸送事業分野の中枢で活躍しており、福岡市の路面電車事業を皮切りに、雨後の竹の子状態だった九州の電力事業をまとめていき、戦後には全国の電力を主導する立場にもなっている。西鉄が天神をターミナルとして大牟田まで伸びたのも松永の執念だったようだ。松永に付けられた電力の鬼という呼び名は、戦後国内の電力インフラが貧弱な状態にあった際設備投資資金を得るため全国電力料金の70%値上げを敢行して付けられた鬼のように値上げするという形容詞だったというがいつの間にか鬼神のようなイメージに変わっていった気もする。こ んなに大 きな役割を果たした人とは知らなかった。
次はお土産屋を経て月読神社にいく。全国の月読神社の本宮(もとみや)という。日本書紀にも関連した記述のある非常に古くからある神社のようだが現在の社殿は少々貧相なものだ。漂う歴史だけを感じる。
壱岐には古墳も多く、その一つ掛木古墳(西暦600年前後のものと推定されている)を見に行く。円墳で石室周りには大きくて立派な石が使われている、恐らく島に豊富な玄武岩を使ったのだろう、石棺も残されている。豊かな豪族が支配していた時代が偲ばれる。
国民宿舎で昼食、終わるころまた次の団体が昼食に到着してくる、補助金が出るようになったこともあり壱岐旅行は人気のようだがこんな調子ではまたコロナがぶり返すかもしれない。
西の半島部の先端にある黒崎砲台跡と猿岩を見に行く。砲台は対馬海峡の守りに戦前建設されたもので現在は円形の穴があるだけだった。それでも歴史の一部となってきている戦史遺跡としてちょっと見応えがある、またいつか別の形でこんな用途ものを作らねばならなくなる時代が来るかもしれない、感じるものがある。
砲台近くに、壱岐では最も有名な景観となっている猿岩があ る。写真では大したインパクトを感じなかったが現物を見ると違う、その立体感が素晴らしく猿に似ている、眉のあたりなど自然にできたとは思えないほどだ。しかしバスで少し進んだ地点から眺めると猿はどこにも見えない、岩の重なりで丁度そのように見えるポイントがあ るだけということのようだ。誰かがそのポイントを発見したのだろうがその人がエライ。
少し南側の半島部に移動して鬼の足跡といわれる景観を見る。海食崖の一種ということになるが、それを含む広々とした海の眺めがいい。やはり壱岐は海がいいようだ。最後に壱岐最高峰(213m)の岳の辻の展望台を訪れる。 テレビアンテナや電波塔が林立しているが、島全体を見渡せる、田んぼも多く改めて自給自足で暮らしていける丁度いい大きさの島というものを感じる。
帰りはジェットフォイル「ヴィーナス2」で1時間10分で博多港へ帰りつく。フェリーの半分の時間だ。このジェットフォイルはボーイング製で、もうボーイングとしてはこの事業から手を引いているが未だに堅実に運用されている。KHIがボーイングからライセンス製造の権利を得て15隻くらい製造したようだが(壱岐航路のもう一つのジェットフォイル「ヴィーナス」はKHI製)現在は主に維持整備支援を行っているのだろう。走航中はシートベルト着用で動けないのはちょっとつらい。外の景色は窓側の席の人しか見えない、航空機でもシートベルト着用サインは巡行中は消えるがこちらはそんなことはない、ずっとだ。まあ早いから我慢するのだろう。
目まぐるしい壱岐の旅を終え博多港の駐車場からクルマを出して夕食に向かう。壱岐は思いのほか多相な歴史を抱えているようでもあった、学ぶことだらけだ。こんな旅もたまにはいい、しかしちょっと疲れた。
写真は順に、朝の大浜、原の辻遺跡、松永安左エ門記念館の自筆掛け軸、月読神社、掛木古墳、黒崎砲台跡、猿岩、鬼の足跡、岳の辻の展望台
6月の上旬頃に新聞広告に壱岐の一泊ツアー、補助金付き、というのがあったのを思い出して、いいかもしれないとネットで探したがうまく見つけられず、しょうがないとしまい込んでいた件の新聞をひっくり返して見つけ出し、電話で申し込んだ。壱岐は歴史的に面白い位置にあり色々巡ってみたいと前から思っていた。書類が送られて来て郵貯口座に代金を振り込む。宿は出発の数日前にやっと来たハガキで壱岐空港近くの民宿とわかる。やや不安があったが今更どうしようもない。福岡ー壱岐間の航空便はとうの昔になくなっており、行きはフェリー便帰りはジェットフォイル便という船の旅だ。船では気象が気になる。毎日気をもみながらGSMデータからの気象予測を図にしてみていたが、予測が安定しない、風は行きが収まってはくるもののやや強い南風で帰りは更に少しは弱まるというあたりで落ち着いてきて、まあ行けそうか、という感じになった。出発の1日前は予想通り台風並みの強風でここに予定があたれば行けなかったかもしれない、うまくできてる。兎に角当日朝8時半過ぎに家を車で出て博多港の駐車場に入れる、もともと市営の駐車場だったものがこの4月から民間に運営が移ったところだ、1泊料金が大幅に引き下げられ1泊800円となっていたので気安くとめられる。船は1800トン、乗客定員678名のきずなというフェリーだ、最終目的地は対馬厳原まで行く。10時出航に合わせ9時半までに乗り場のあたりに集合となっていて、行くと予定表などとともに切符を渡される、帰りの切符はまたその時に渡すという。添乗員にお任せスタイルの旅行だが参加者も30名位と結構多く、ちゃんとやってくれるか気を張っていなければとも思う。
ボーディングデッキが取りつく3階入り口か ら乗り込み船室は2階となっている、家内の重い荷物を下の階に下すには階段がきつい、困っていたら船員が助けてくれた。何とかなるものだ。航行中はおおむね3階のデッキにいて海風に当たりながら外の景色を見ていた。つい2か月くらい前に乗ったクイーンズビートルと似たように暫くは進むので見慣れた光景ではある。と、前方からジェットフォイルが来る。如何にも軽快で速い。帰りも楽しめそうだ。鳥を探すが全く目にすることができない、でもただ海を見ているだけで
なんだか楽しい。
2時間+の船旅で壱岐郷ノ浦港に着く。港地域の食堂貸切での昼食となる、そう大きくもない食堂でのバイキングランチで人の動きがゴチャゴチャするが、しようがない、島だ。それに してもバイキングというのはいつも思うのだが、何を食べたかわからないがお腹一杯になる。壱岐という土地の説明を聞きながら最初に訪れたのは壱岐焼酎の蔵元の一つだ、壱岐の蔵酒造という。壱岐は麦焼酎の発祥の地という、島には蔵元がいくつかある。春一番という言葉も壱岐の漁師言葉に起源があるとい
う、大陸に近いという位置を抜きにしても日本最初が幾つかあるのにはちょっ
と驚く。それにしても古事記に出て くる最初に生まれた八つの島、大八嶋のひとつに壱岐が数えられて
いて、古代から重要な島であったことは間違いない。(大八嶋: 生成順に 淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐、対馬、佐渡島、本州、の八つ)。試飲は潤沢で結構酔ってしまう。確かにおいしい酒だ。
次は島の東端にある左京鼻という景勝地だ。郷ノ浦港からは島を横断しての移動だが、低い山、ゆるい棚田によるこまめな耕作、の似たような景色が続く。山が低くて(最高峰でも213m)使える土地が多い印象を
受ける。左京鼻は広々とした眺めがよく、また直ぐ近くに見える玄武岩柱状節理の
小島もいい。(「観音柱」と呼ばれるらしい
)。島全体に玄武岩が多く、島は溶岩台地のようだ。
山の生き物海の生き物の供養の昔話が伝わる「はらほげ地蔵」を見て一支国博物館を訪れる。壱岐の自給自足は山や海の哺乳類を捕獲し食べて成り立っていた、命を奪わざるをえな いことへの供養の気持ちがあって共存できてきたのだろう。
一支国博物館は原の辻遺跡の出土品が多数展示されているものと思っていたが、そうでもなくカラカミ遺跡の遺物が多いような気もした。原の辻遺跡の出土品を集中して見せる部屋があってもいいのではないかと思える。それ程見せられるものが実はないのかもしれない。
宿は海水浴客を想定したような民宿で、ツアーの宿泊にはちときつい。食事で頑張るということか目いっぱいの夕食が出たがとても食べきれなかった。
宿から歩いて10分以内で大浜海岸に出れる、ここは一級の砂浜だ。いいところだ。夕方の風が心地いい。
長くなるので翌日分は別に書く。
写真は上から、フェリー絆、ジェットフォイル、壱岐焼酎、壱岐は平べったい、左京鼻、はらほげ地蔵、一支国博物館
久し振りに東京へ出かけた。同期会に出席するためだが、昼食会で十分帰れそうなので日帰りとした。一泊して東京の街を興味に任せてブラブラするのは疲れ切るのが見えている。航空機で日帰りというのも贅沢だが、コロナでマイルの期限延長があったようで大分マイルが残っていてこれが消えないうちに使ってしまおうとマイルで行くことにしたため金銭的な負担は考えなくてよくなってこうしてしまった、というのが正しい言い方なのだろう。
それでもせっかくだからと少し早めに行って見れるところを見てみようと、始発の次の便(7時35分福岡発)で東京へ向かった。3年ぶりということもあって空港の勝手にも思わぬことがあるかもしれないと余裕を見て6時にタクシーを予約しておいた。思ったよりも早く30分位で空港に着いてしまい少々時間を持て余し気味だったが遅れるよりは何倍もいい。機体はエアバスA350-900だ、初めて乗る。主翼から少し離れた後部の窓際の席としていたが可成りうるさい。エンジンの後流がこの辺りの胴体にかすっているのだろうか。イヤホンをしても音声が聞き取りにくい、こんな経験は初めてだ。そうはいっても新しい機体だ、モニター画面には尾翼につけられた機体カメラの映像が見れたりして面白い、音楽はまともに聴けないのでこればかり見ていた。
予定通り9時10分ごろ羽田に着く。予定はしていなかったが昭和島の水処理センター屋上のコアジサシがもう来ているころだろうとモノレールの昭和島の駅で降りてみる。東口の通路を出て見上げるがツバメが飛んでいるくらいでコアジサシはさっぱりだ、昭和橋のところまで行ってみるが同じでむなしく引き上げる。ここにはもう来なくなったのだろうか。時期が僅かにずれているのかもしれない。
浜松町のそばにある芝離宮公園もまだ見たことがなくて訪れてみたいが時間が少ない、眺めるだけでもと思う。展望所があるはずと駅の案内の人に聞くがよくわからず北口から出て直ぐ右の建物の3階から眺めてみる。どうということもない。無駄な時間をいくつも使ってしまったようだが如何にも旅らしい。当初の予定に従って京橋にあるアーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)に向かう。
東京駅地下から八重洲の地下街を通るが随分久しぶりでこんなに店が多かったのか、ととまどう。以前東京駅で感じていた洪水のような人の流れではないが矢張り人は多い。人に尋ねたりしながら思っていたよりも大分歩いてやっとたどり着く。ここで写真と絵画の響きあう展示が開催されているというのをネットで見つけて見てみたいと思ったのがそもそもの訪問動機だ。久留米の石橋文化センターから移された収蔵品もどうなっているのだろうと気になったのもある。
事前予約で放送大学の学生として予約しておいた、学生は無料だ、予約コードと学生証を見せて問題なく入館する。6階までまず上がるという順路になっていて、「写真と絵画ーセザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」という見たかった展示の部屋に入る。それ程人は多くはない、丁度見 やすいくらいだ。絵画的つくりの写真だ。静物画の様な写真でなく水の流れや森の奥行や、それが絵画のように示される。撮れそうで撮れない写真のように感じる。絵を描くために撮った写真というものとは明らかに違う、そのものがある。作品の撮影は基本的に自由なので気に入ったものを持ってきたコンデジで撮っていく。こんな美術館も日本では珍しい。思った通り見るべき展示だった。
5階ではTransformation 越境から生まれるアートという絵画中心の展示ですらすらと見ていくがザオ・ウーキーの現代アートがいい。ザオ・ウーキーの名は知らなかった、1920年中國北京生まれ、9年前に93歳でスイスで亡くなっている。フランスに移住して活動していたが米国のジャクソンポロックなどの抽象画家の影響も大きいようだ。この美術館は彼の作品を数多く所蔵しているらしい。確かにいい絵を描く画家だ。
その他所蔵絵画の展示が4階に展開していてこれも見るがさすがに疲れてきて適当になる。
東京をめぐるのは今や体力勝負になってしまったようだ、たった3時間でもう足に異変を感じるほどだ。ともかく新橋の同期会会場に向かう。久しぶりの雑談をしこたま交わして4時ころまた羽田へ向かう、計算よりやや早めについて予約の便よりひと便前のに変えてもらって乗り込む。またA350-900だ。結構乗っている。機内で空弁を食べた後トイレに行くと、あまり居心地の良いトイレでもない、とにかく狭いし787のようなウオッシュレットでもない。少しでもたくさんの客を乗せエアラインの利益の上がる機体にすることに徹しているような造りだ。こうなっていくのがこの時代なのかもしれない。
久しぶりの東京は、ともかく疲れた。今現在の自分と世の中の関係を見せられたような気がしてしまう、体力的にもうついていけないかな、そう思ってしまう。たまにはこんな旅も必要なのだろう。
久し振りの阿蘇への一泊旅行の余韻がまだあとびいていて、幾つか書き留めておく。
初日の夜は天気が良ければ星がいいかと思っていたらあいにくの曇り空で、代わりにフロントで貸し出していた家庭用プラネタリウムを借り受けて部屋で投影してみた。凸凹の天井に投影するのでは無理がある、しかしミラーボールと思えば立派ではある。見てるとすぐに眠くなる、タイマーがついているのもうなずける。少しの間面白いが、感動はない、しょうがない。
翌日は朝から晴れている、朝食前にあたりを散歩する。宿の後背は林のある斜面で野鳥観察に向いているようだ。 宿の玄関を出ると前には阿蘇山が間近に見える、右のほうからホオジロの声がしてぶらぶら右のほうへ行くと広場の先の背の高い木の上の方に丸っこい鳥が15羽くらいいる、もしやレンジャク?、と双眼鏡で見るとヒレンジャクだ。やっと今年もレンジャクが見れた。だだし木の枝
に囲まれていて写真はうまくは撮れない、アングルも真下から見上げる感じで証拠写真の域を出ない写真が数枚位だ。でも無いより何倍もいい。
裏手の林に入って暫く進むとキビタキの声が響いてくる、近くを飛び回っているようだ。これも今シーズン初めてだ。姿はチラリと見れたくらいで写真には撮れないが、いい声だ、これも囀りを聞けただけで十分という気がしてくる、そういうものだろう。
朝食後、もらったクーポンでお土産を買ったりしてのんびり出発する、一人2000円分のクーポンが宿泊料の県民割りとは別にもらえる、随分とお得だ。
この日は、熊本地震で損傷を受けた阿蘇神社がどこまで修復されたのだろうかと見てみたい、その後は小国の鍋ヶ滝という滝が評判のようなのでそこを見て戻ろうと思っていた。根子岳の東側を北上する。開けたところで間近に見える阿蘇山の全容がなかなかいい。中腹にパゴダが見えたりする。釈迦の遺物が何かしら入っているというから驚くばかりだ。
程なく阿蘇神社につく、倒壊した楼門(重要文化財)はまだ工事中だ、大きなイラストのある囲いの前でバイク一人旅の様な女性がバイクを入れて自撮りしている。この阿蘇の旅ではバイクがやたら目に付く、宿にも大型バイク3台で乗り付けたおじさん3人組が泊っていたりした。この時期バイク旅はこの広大な景観の中でいかにも心地よさそうだ。
楼門以外はほぼ修理完了しているようで、参拝する。
ここから外輪山をうねうねと登って小国に向かうのだが外輪山の景観の名所、大観峰の近くを通るのでここにも寄る。ここでもバイク旅が目に付く。いつ来ても眺めがいい、随分前まだ九州にいた頃ここでカルデラの朝霧の中に浮かぶ阿蘇を見たことがあった、景観としてはそれが自分の記憶の中ではNo1だ、そんなことも思い出す。
鍋ケ滝へ向かう、ひたすら北上だが暫くは阿蘇外輪山のうねる草地が続く、牛や馬を放牧している近くも通り過ぎる。確かにバイク向きの景観だ。
10年位前に訪れたことのある坂本善三美術館の前を過ぎて狭い道を進むとやっと鍋ケ滝の駐車場に着く。鍋ケ滝を見るには事前のネット予約が必要で予約なしでは入れないと案内のページに書かれていて、本当にそうかと電話で問い合わせもしてみたがそのような説明だ、但し直前に駐車場でスマホでの予約でもいいと教えられてその気で来たのだが着いてみるとネット予約のない人は現金で入場料を払えばいいとなっている、そうだろうな、と思ってしまった。ネット予約必須というのは細い道の渋滞を何とかして回避しようとする行政の苦肉の策のように思える、混んでない時はこんなことでもいいのだろう。 駐車場から滝への道を下っていくと、何とオオルリの声が響いている、今年初めて聞く、どこだろうと探すが木も多く姿は見つからない、でもいい雰囲気だ。肝心の滝は滝の裏に天然の大きくえぐれた道がついていて裏側からシートのように落ちる滝を眺めることができる、きれいな滝だ。それにこんなに近くに寄れる滝もめったにない。もういいかというまで色々写真を撮って引き上げる。帰りもまたオオルリが響く。矢張り野鳥がいい。
後は道の駅小国の蕎麦屋で昼食、10割そばは止めとけばよかったと思いつつひたすら日田インターに向かい高速で帰る。
色々あったが矢張り旅は面白い、クルマで回れるのもいつまでだろうか、また出かけたい、そればかりを思っている。
久しぶりに 阿蘇を旅する、1泊2日だが旅らしい旅だった。
パンデミックが未だ息苦しくてどこかへ少しは出かけたいものだと思っていたところへ、熊本県の県民割が福岡県民にも適用という宣伝メールが届いて、これもいいかなと南阿蘇の休暇村まで出かけた。天気がまあ まあよくて用事が重ならない日取りはこの2日しかない、というところがうまく予約できたのもある。この季節は天気が変わりやすく2日続けて晴れそうだというところは僅かしかない。桜の季節は終わっているが、廻るところは6年前の熊本地震の傷跡やまだ見てないところも色々あるだろう、そのくらいの心つもりで出かけた。
熊本インターで高速を降りる、平日ではあるがそれなりに混んでいる。昼飯場所を探しながら阿蘇へ向かうが、クルマのNaviでレストランを探してもいい店は出てこない。大津の手前で目にした資さんうどんにエイッと入る。北部九州のうどんチェーンだが入ったことはない。手ごろでちょうどいい。腹ごしらえもできて、まずは最初の目的地、阿蘇大橋崩落現場あたりの展望所に向かう。立野ダム展望所を入れたつもりが、間違ってその少し先を入れてしまったようで、ナビに従って57号線を走っていくと、数鹿流(すがる)崩之碑 展望所のところまでくる、見るとここがちょうど旧阿蘇大橋が崩落した現場とわかって右側の駐車場にクルマを入れる。見たかった景観だ。ここに立つと、川の上流に向かって左側の斜面が地震で大きく土砂くずれて阿蘇大橋を押し流してしまったという崩落事故の全体がよく理解できる。地震直後阿蘇大橋崩落の第一報がニュースで流れた時の怪訝な気持ちがやっと氷解した思いだ。崩落した阿蘇大橋の一部は震災遺構として崩れ落ちたそのままの形で残 されている。ちょ
っと痛々しい。
暫く眺めていたが、時間もまだ余裕があるので、この辺りを走る豊後街道の石畳が保存されているところも見てみようと移動した。
江戸時代、熊本藩の参勤交代には阿蘇の外輪山をつたう豊後街道で久住を経て大分に出、そこから海路大阪に向かった後東海道を経て江戸に至るというルートが用いられていた。その豊後街道の阿蘇外輪山を越える二重峠(ふたえのとうげ)付近の石畳道が国史跡として保存されているという、見に行ったのはこれだ。
二重峠には駐車場もあって落ち着いて見ることができる。そう広くもない結構な坂道でここを大名行列が通過していたと は、と思ってしまう、参勤交代は地方大名にとって確かに相当の負担だ。豊肥線もこの付近でスイッチバックして外輪山を上っている、昔から交通の要衝だった、隘路だからこそ地崩れも起きやすかったのだろうとも理解する 。
戻って新しい阿蘇大橋を渡って南阿蘇に入る。まだ時間がある、この辺りには阿蘇山の湧き水がいくつかあるのでそれを回ってみようと車を走らせる。白川水源は有名だが前に訪れたことがあり、違う水源を、と廻る。ともかく水源なら野鳥もいるだろうと思ったこともある。まずは池の川水源というところに行ってみる。飲めるようにひしゃくが置いてある、飲むと味がない、ピュアないい水だ。比較的小さな水源だが湧 き出す水は相当ある感じで生活にもいろいろ用いられているようだ。ただ野鳥はいない。続けて道なりにもう一つ明神池名水公園に行ってみる。ここも相当の量が湧き出しているが、流れ出した水がちょっとした池を形成している。見るとまだ北に戻っていないコガモが30羽位いてピッピッと笛のような鳴き声を盛んにたてて泳ぎまわっている。ヒドリガモも2羽位いるようだ。冬鳥がこん
なところにまだ残っているとは、とこういう出会いが面白い。
そろそろいい時間になってきたので今日の宿へと向かう。久しぶりの旅行は、出会うものそれぞれに刺激を感じるし、愉快だ。やはり時々旅をしなくては。
のこぎ りのような根子岳を見ながら宿に入る。
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