2016年12月31日 (土)

本もメディアも捨てて

もう今年も終わりとなっても、風邪が治りきらない。ほったらかしにしておいたことを順番に片づけている。

時間はいくらあっても持て余すということがない。

昨日は滞っていたホームページの更新をやっと果たした。半年以上たっている。もう20年近く維持しているホームページだが、最も簡単に写真だけ入れ増していけばいいというスタイルだったので今まで続いているような気がする。facebookやinsragramの原型のようなホームページでいまや両者と被っていて更新の動機が薄れてきているはどうしようもない。しかし出会った野鳥や生き物のの写真の時系列は維持できるのでそれなりに役割は果たしている。音楽のメディアがカセットやMDから移ろい映像もレーザーディスクやビデオカセットからDVDやBDに移ろってきたように個人の発信もホームページからブログやfacebook,twitter,instagram に移ろっていてこれもそう遠くない未来に消えてしまうだろうと思っている、結局は本が一番強いのだろうか。手つくりの本の作り方を調べてみたほうがいいような気がし始めている。

1週間ほど前、年末の第九コンサートというのに初めて行った。クルマで移動してマスクして座っているだけだから風邪がつらくても何とか聴ける。九州交響楽団と九響合唱団他で指揮は若い人だ。例によって放送大学の学割だから十分安い。11月に切符を取ろうとしたときはもう殆ど余席がなくて3階の最後部の席となった。当日は完売の張り紙が出ていた。暮れの楽しみとしては丁度いい感があるのだろう。観客もいつもの九響の定期演奏会より若干若いような感じもする、しかしやはり年寄りが多い。驚いたことに出演する合唱団にも年寄りの方がぱらぱらいて目立ってしまう。昔取った杵柄なのだろうか、年功序列ででてきているのだろうか、のどかな演奏会だ。

Dai9 3階の最後部ではな、と思っていたが座ってみると座席の頂上にいて全体を見下ろす感じとなり、オーケストラの全員の動きやソリスト・合唱団全員の有様がよく見れる、大人数のコンサートではなかなかの席に思える。音もよく聞こえる。(写真は3階最後部の座席から見た演奏前の風景。合唱団はオーケストラの背後に並ぶ)。
第九をコンサートで聞いたのはほとんど初めてのような気がする、まず感じたのがティンパニーが大活躍の曲だということだ。ほかに大太鼓とトライアングルもいるがこちらの出番はほんの僅かだ。ティンパニーが全体を制していてそのマレットから音階さえ聞こえる気がしてくる。
歌唱が入る最終楽章では、ソリストよりも厚みのある合唱が特に迫力があり、曲の重厚感が何とも言えない。放送やレコード・
CDでは幼いころから何回となく聞いてきた曲だがやはり生がいい、3階の奥でも生がいい。

発せられた響き・言葉はそのまま空中に消えるそれが自然で、美しい。
書いたものを本に残そうと努力する、メディアに乗せようとする、それよりも、瞬間瞬間を思いのままに生きる、それが基本なのだろう、そんな思いを抱きながら年の終わりを迎えている。

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2011年6月12日 (日)

この大震災の意味は

テレビでは、3ヶ月目の震災をあれやこれやと伝えている。政治家は、とりわけ自民党は、震災を政局に利用するのが使命のように立ち振舞っている、マスコミは伝えたいことだけストーリーにあわせて伝えてくる。本当の姿は未だに解らない、響いてこない。福島原発はまずは現場のライブカメラを幾つもネット上に公開しなければいけないはずが、一向にそのそぶりも見せない、ぼろぼろと1-2ヶ月遅れの言い訳を出してくる。東京電力は本当に一回潰れるべきなのだろう、JALがそうであったように、外から見て耐え難い体質がにじみ出てくる、政府はうまく東電をつぶすべきなのだろう、そうでもしなければこれは繰り返される。電力会社はどれも独占権力を握ってしまっているようだ。関西電力の有無を言わさない電力規制、あの計画停電の感覚と全く同じではないか、自分の無計画の結末を経済全体に押し付けて知らん顔をしている。こんな電力会社ばかりでは日本は潰れる。独占に胡坐をかいた人たちを面倒見る筋合いは無いのではないか。

次第に歪みだらけとなっていた社会の本当の姿が浮き上がってくる、この大震災の意味は、ここらあたりにあるのではないか。

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2011年5月25日 (水)

庭のシャクナゲが

Syakung 庭のシャクナゲがもう満開になって、移ろい行く季節の早さに遅れてしまいそうに覚える、
原発は未だに熱い力を鎮めていない。緊張感が底に漂っている。
梅雨に入りそうだ、この週末から来週の初めには台風の影響も出てきそうだ。梅雨は長く続くのだろう。
時がするすると流れ続けていく。

すべてのことは受けTenki110528入れて生きて行きたい、咲き誇るシャクナゲをただただ眺めるように、そのままで生きて行きたい。

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2006年8月 8日 (火)

不吉な電話2

Fe06080419 日常の会話のさざめきの中に、再び不吉な電話が鳴る。

始発の羽田からのフライト、Déjà vuな事態の進行が悪夢のように繰り返された。

こんなこともあるんだ。

時の切れ目のない連続を頭上から照りつけるふるさとの日差しの中でぼんやり感じていた。

「ワシワシ」と呼ぶ蝉が湧いてくるように耳に入る。

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2006年5月11日 (木)

どうしようもなく自然の一部

Tutj306 庭に出ると花が次々に咲く。5種類くらいあるツツジがそろそろ終わりにさしかかる。コデマリがふくらむ。
庭の片隅ではスズランが次第に領地を広げ、花で主張している
エビネもまもなく、西洋シャクナゲもちらほら。ジャスミンも咲いる。

でも、本当は、この間 健康の森 の入り口から抜いてきたニセカントウタンポポらしいタンポポの花が咲くのが待ち遠しい。
造成した所に咲いていたのだけれども、他にも見慣れぬスミレなんかもあり造成で植物は拡散している。どこからの土だろうか。

人間が繁殖を助けている、人間の存在そのものがどうしようもなく自然の一部なのだから、これも自然の営みなのだろう。飛行機が飛べるのもクルマが走れるのも全てが自然の賜物といえるのだから。

逃げられない。

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2006年5月 3日 (水)

早起きは三文以上得

Dsc03639_1  夜明け頃から鳥の録音で野外に出ていると一日が長い。先日も早起きして五葉平上の三重岩あたりにいって、さんざんキビタキやオオルリの声を浴びたあと、マガンが出たという東電池に寄って(マガン不在)戦場ヶ原まで行ってアオジの声と姿をゆっくり見て、Dsc03640家に戻って昼食。一休みしてから那須の青木邸を見に行って、帰ってきて もまだまだ明るい。少々疲れはするが早起きは三文以上得する。
この時期は標高を上げていけば桜前線がまだ直ぐそこにあり、2ヶ月分位の季節の変化も手近に楽しめる。

それにしても、また行かなかった春山スキー、また登らなかった山、描かれなかった絵、読めなかった本 手にしている時間が足りない。

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2006年4月23日 (日)

現代資本主義のお手本

Lay ホリエモン事件はやや冷めてきたが、海の向こうではエンロン事件の裁判が進行中で、次々に事件で有名な登場人物が証言している。
ホリエモン事件とエンロン事件とは、やり口は似ているが、エンロンは遙かに深い。一時はエンロンには米国の最も優秀なMBA卒業生が毎年集まり、新たなビジネスを次々に創造していた。経済界でもその先進的な経営手法が大きく評価され、ケネス・レイ(写真)率いる経営陣は連続して賞をもらっていた。エンロンの株は有望で将来性があるとして多くの年金運用機関のような機関投資家がエンロンの株を買った。ところがエンロンは非常に巧妙に業績を粉飾していた。思うに会計手法で利益を少々変えられるというのは、引当金をどのくらいとるか、といったところから誰でも考えることだと思う。エンロンはバーチャルな取引の中で粉飾していた。
また、自社の株価を巧みに上げこれを資源とする経営手法をとっていた、ここのところはホリエモンと全く同じで、恐らくホリエモンが真似したと思われる。
バーチャルな取引に違和感を感じるのは事実だが、資本主義では利益を上げるためなら勿論バーチャルな取引手法は是認される。信用をいかに増やし、この信用をいかに現金に換えていくか、まだ値段が付けられないデリバティブのような取引にどうやって正当そうな値をつけるか(オプション価格の妥当な計算法を導いた人はノーベル経済賞をもらったし、自分でももうけている)、こういったことは価値あることとして認められている。更に、エンロンは規制緩和という一見先進的概念で政治家を動かし(或いは深く繋がり)固まっている業界を破壊しもっぱら自らの利益をはかった。エンロン事件を追っかけていくと日本での規制緩和を唱える人にも疑いの目を向けたくなる、本当は誰の利益のために唱えているのか。
バーチャルなことを利用して伸びているのが現代資本主義で、これに代わるシステムを人類は案出できないでいる。マスコミはホリエモンを叩き、お茶の間正義主義がはびこる。ルール内なら何をやっても良い、というのが基本的に自由主義経済ではないのか、たとえそれがルールの隙間をついていたにせよ。。

エンロン事件の異様さとそれが現代資本主義のお手本とされる経営から生じていることが、今日ただいまの社会の歪んだ立体構造の核心をついている。ホリエモン事件はそこにつながりを感じさせる点で、ひっかかりつづける事件のように思う。

いまだ問題が正面から捉えられていない。

再び思ってしまう、どこへ向かって流れているのか、行き着く先はどこなのだろうか。

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2006年3月31日 (金)

不吉な電話

Fe06032615_1 日光の裏山歩きから戻る途中、不吉な電話が鳴った。

父が旅立った。
駆けつけねば。

ふるさとは桜が咲き始めた頃だった。今年は桜が少し早い。

長い病床ですでに存在はないも同然だと思っていたがそうではなかった。
ともに引き込まれるような落下感。

春雷が家を揺らした。ばらばらと落ちかかる雨。

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2006年3月23日 (木)

白梅

Ume2006 庭の白梅が咲いてきた。

ハクレンも蕾がかなり膨らんでいる。今年は咲き始めるとあれもこれも一斉に開きそうだ。

なんだかけだるい春にいつのまにかつかってしまっている。

もう4月か。。。。。

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2006年3月20日 (月)

彩雲

Photo_4 彩雲を初めて見た。今日の1時前くらい、太陽を隠すような層積雲が出ていて、ここから太陽が出かかるころ、雲が緑や青や茶色っぽくなった。結構綺麗な色が出る。太陽が近いのであまり見ていると目がつぶれそうになる。(画像はうまく撮れなかったのでWikipediaより引用)

彩雲というと、これまで艦上偵察機の名前、としか意識していなくて、そういえば、これは光学現象だ、と改めて認識したのは このところ気象のMLに彩雲を見た、と情報が流されていたのがきっかけだ。そのつもりで空を見上げるようになって程なく見つけることが出来た。要するに見れていたのに、ただ見ていなかっただけにすぎない。最近こんなことが多い。

Photo_3偵察機の彩雲は排気タービン付き高速機として有名で昭和18年5月に試作機が完成して終戦までに愛知県半田で400機位作られた。空力的にも優れていたといわれる。

近頃昭和と平成を読み替えると太平洋戦争中の時間の流れを追体験できることに気がついて、昭和18年(すなわち今年、平成18年)という時が身近に感じられる。18年4月には山本五十六がブーゲンビルで戦死、20年8月までよく戦争が続いたものだ、確かに長い戦争だ。白黒の重苦しいイメージがする。

重苦しい時代に 彩雲 というあでやかなカラフルな名前を与えた感覚に、何か人間的なものを感じてしまう。

空は63年たっても同じ空だ。

昼休みの小さな発見から時空が広がっていくのも不思議な気がしてきた。

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