2016年8月 6日 (土)

都会の野生とアナログと

このところこれという鳥に会わないような気がしている。
Araht 余りに日差しがきつく出かけないせいもある。しかし今年はアオバズクは見ずじまいにこの季節が過ぎていく。那珂川町の神社に7月下旬ころ出かけたがもう姿がない。巣立って間をおかず飛び去ったのだろうか。こう暑くてはこの地にとどまる理由などないのかもしれない。
去年外れだった有明海三池島のベニアジサシを今年こそと出かけたがこちらも姿なくまたしても外れとなった、7月13日の大雨で巣が水没し卵が腐ってしまってこちらもここにいる 理由がなくなったということのようだ。来年来てくれるだろうか。以前鬼怒川中流に毎年できていたコアジサシのコロニーが洪水で流された
Miikejim1時は翌年からもうコアジサシは来なくなってしまったのが思い起こされる。
野生の生き物は見れて有難いと思うべ
きなのだろう、いつでも出会えるものではとてもない、そうだから見つける楽しみがあるというものでもある。

毎朝近くの三つの池を一めぐりしているが、トンボが気になる。真っ赤な小ぶりのトンボがいつもいてナツアカネかなと思うが羽の付け根部が黄色くなっていてショウジョウトンボの特徴もある。ショウジョウトンボはもう少し大きいとあるSyoujyoutmb から困ってしまう。解らないので毎日のように一応写真を撮っている。とにかく今のところ居るのはショウジョウトンボかなと思っている。他にはチョウトンボ、シオカラトンボ、コシアキトンボがいるのが解る、ギンヤンマもいそうではあるがまだ確信できない。

一巡りしながら勿論鳥もみている。カワセミがいつも出る池(市楽池)もこのところの日照りで水が汚く少なくなってからは姿を見ない。樋井川あたりに出かけているのだろうか。
小さいアオサギや小さいチュウダイサギなどが出Sagisi てくるとああどこかで巣立ったなと思う。バンのヒナが1羽親鳥について現れるようになると旨く育つだろうかと気になる。ネコかカラスにやられそうだ。昨日は散歩中にサギがやられてカラスにむしられているのを見た。木の上で襲われて落下したのだろうか、現場はサギが現れる場所でもない。街中でも野生を見る。いいというべきなのだろうか。
このあたりで巣立ったらしいマガモの3羽家族が暑さにうたれて池のほとりでぼんやりしていたりもする。
大通りに面した空き店舗の軒先でツバメが2回目の巣立ちを無事果たしたと思ったら10羽位になったツバメ家族は1日で姿を消した。新たなねぐらとなる河原にでも移ったのだろう。ヒナが巣立てば街中に居る理由もない。

暑い市街地でも野生が駆け抜ける。毎日のように見ているとそれがなじむ気がしている。


市の美術館に思いついて出かけた。こう暑くては家に閉じこもることが多くてそれもつまらない。
Gozra ゴジラ展をやっている。夏休みのこども向けかと思えば、見ているのは殆どがいい歳の大人だ、確かに説明書きも大人向けだ、ゴジラに親しんだ世代を来場者の中心と想定するとそういうことになるのだろう。
ゴジラ関係者に福岡出身の人が多いようだ、そういう訳もあって福岡でゴジラ展を開いたようにも思える。
ラドンが福岡市市街地を襲い岩田屋や体育館を壊すシーンを覚えている。当時の撮影用ミニチュアを撮った写真と当時の実際の風景が比較されて展示されているが、よく細部まで再現している(後に美術監督となる井上泰幸の手による。この人も福岡出身)。それにしても昔の福岡市中心部の3次元的な画像が幾つも残されているのに興味を惹かれる。西鉄電車と岩田屋の関Tokyost1 係はそういえばこんなだった、まだ1階に駅がつながっていた、昔なじんでいた風景が立体的に結び合わさって、リアルに思い出される。なんだかデジタルな映像では感じられない心地よさがある。

ローカルの催しだが撮影に使ったゴジラの着ぐるみや絵コンテなどあれやこれやよく集めたと感じ入る。ゴジラに壊された東京駅の模型も展示してある。よくできている。CG以前の特撮が関わる人を中心に特殊な世界を形作っていたことが伝わる。アナログの世界だ。ほっとするアナログの世界だ。


都会の野生とアナログ、個人の思いと世界とはこんな風につながっているのだ、ふとそう思った。暑い夏は続く。

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2016年4月12日 (火)

テレビはつまらないと思っていたが

テレビはつまらない番組ばかりが目立って放送大学を始めてみた。大学院の一科目のみ履修という形だ。
テレビで授業が流されてくるのを見て送られてきたテキストを併用して勉強するのだが、1科目のみではどう考えても高い、入学料+1単位授業料で25000円もする。そもそも大学院なのだから研究テーマを決めて研究するのが本筋で授業のみ受けるというのはちょっと変なのだがどうしようもない。学部向けの放送よりはちょっと講師の偏見の色がついた掘り下げた内容になるのが面白いと言えばそうだ。

選択した講義とは別の講義も勿論みられるし、学生のみの権利として大学院の放送は開始と同時に15回分すべてを自由にネットで見ることができる。放送をいちいち録画しなくてもあるいは放送日まで待つこともなくどれでも見られるところはいい。
地球史というのが面白そうなのでこれを履修することにしたが他では脳の働きと芸術にかOngakuno かわる講義が面白くてどんどん見ていく。
人間に快感を与える音はどのように形成されるかのところで一つカチンと引っかかった。12音音楽は人間の生理学的に快感を与えないのですたれてしまった、という下りだ。そこまで言うかと思う、講師が高く評価するガムラン音楽が何故マイナーのままなのかも説明して欲しいものだ。どうも講師は12音音楽が好みでないようだ。

音階から離れて12音音階として自由に演奏してみると頗る心地がいい。他人の演奏を聞く分には快感がないのかもしれないが音階や約束ごとに全くとらわれず自分で気ままに引く分には気持ちが自由に解き放れて幾らでも弾ける。そんな音楽もあるのだろう。

確かにずっと昔来日したコルトレーンの演奏が前衛に走りすぎ全く伝わらなくて音楽的高揚も何もあったものではないと理解しがたい気持ちに襲われていたが、演奏家にとっては陶酔できる音楽だったのかもしれない。共感というところを捨てると音楽は全く機能が違ってくるように思える。
こんな風に講師の独善的なところが教育として放送されるところがまた面白い。

地球史の方ではCO2は今後減っていき生き物は衰退する(勿論億年単位での時間スケールだが)、人類の生み出した自己増殖する人工生命体が時空を超えて宇宙へ拡散し人類の役割は終わるだろうとの未来も予測している。
地球のCO2は地球誕生以来大気中からマントルに移送され固着されて減ってきたのが地球の歴史でこれが今後も続いて植物の生育に適さないレベルにまでCO2が減ってしまう未来があるというのだ。
根拠となる考え方の提示が十分とは思えず受け入れていいものかどうか判断がつかないが公共放送の教育として流されるところが頗る面白い。近年の人類活動由来のCO2増加による地球温暖化議論など完全に吹き飛んでしまう。

誰にでも受け入れられる口当たりのいい語り口ばかりではテレビも衰退するのかなとの予感がある。カチンと来ることを主張し始めて、初めて面白いテレビが蘇るのではないか、そんな風にも思っている。

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2013年9月12日 (木)

原発事故についての特別講義

目を片目ずつ手術していて困るのは暫くクルマに乗れなくなってしまったことだ。勿論予想はしていてバスに乗って出かければいいやくらいに思っていた。現実にそうなるとバスで行けるところは知れている、思い付きでは動けない、気になるところへ思いついたら直ぐに出かけるクルマのある生活に慣れきっている自分を感じる。もう40年くらいそんな生活を続けている、そう簡単には変えられない。
テレビを見る時間がどうしても長くなる、この間パソコンをいじりながら放送大学をなんとなく流していたら福島の原発事故についての特別講義が始まった。最初が報道番組風だったのでよくあるドキュメンタリーの解説くらいかと思っていたらそうではない、事故がどういう具合にTanabe5 起こってどこが壊れて行ったか、メルトダウン、水素爆発や各地の放射能の増え方はどう関連付けられるのかを実測に独自の推定や計算を交えて説明してくれる。こんなよく分かる解説は初めてだ。次第に引き込まれていく。講師は田辺という人だ、かなり詳しい。考えてみれば今まで見たテレビの原発事故の解説は公表された事実をテレビ局の責任であたりさわりなく取りまとめたものでこのようなシステム全体の進行を専門家の視点から説明者の責任において読み解かしてくれるものではなかった。放送大学では講師の考えで講義内容を自由に組み立てることができる、確かにこんな形なら思い切ったこともいえる。話は次第に核心に入る、今後どうすべきかというところだ、想定外の事態に対処できるほど原発はハード的にも運用システム的にもできていない、これではだめだ、原発はもうやめるべきだ、としている。正論だ。
原発再開の流れができかかっているところでのこのような主張が公共放送から流されるというのは新鮮なものがある。ヒステリックにあるいは情緒的に動く“反原発村”の声でないところに説得力がある。
放送大学の理事長が4代続いた文部官僚出身から3.11後に現在の元私学学長に代わったこともあるのかもしれない。放送大学は形としては国からの補助が多い私立大学となっている、大学としての自由度は制度的には維持された形となっているようだ。

録画もしていないのでネットで何か出ているかと調べたらもともと5月に放送された講義だった、講義のネット録画が http://vimeo.com/66684623 に残されていて早速ダウンロードした。ネット上では田辺氏の主張には“反原発村”からの批判もあったりして昔の新左翼の内ゲバ風のところが出てきたりもしている。そんな風景はまたかと思わせて嫌になるが、講義そのものは見直してみても立派だ。放送大学という仕組みを見直してしまった。

政治状況や感情に振り回されず事実と向き合う、これが基本なのだろう。こんな冷静な議論が尖閣や竹島や北方四島についてもなされていけば世界はもっと住みやすくなるかもしれない、そんな風にも思っている。

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