今年の芥川賞「ゲーテはすべてを言った」を読んで、これが芥川賞?と感じる
今年も芥川賞が発表される季節となり、1月15日に芥川賞及び直木賞の受賞作が発表された。何とか読んでみたいと受賞作の掲載誌や出版された本の予約を図書館に入れてみるが、入れたのが少し遅かったからか、もうびっしりと予約が入っている。安堂ホセの「DTOPIA」の載っている文藝 2024年秋号 は数人待ちで ひと月くらい待てば読めそうだが鈴木結生の「ゲーテはすべてを言った」掲載の小説トリッパー2024年秋季号は数か月は優に待ちそうで、直木賞の「藍を継ぐ海 」に至っては数年単位の待ち行列だ。これは買うしかないかと後の2つについてはネットで発注した。まあしょうがない。それにしても小説トリッパーなる雑誌は聞いたことがないなと思 っていたら朝日新聞の小説誌で週刊朝日別冊として1995年創刊とある、知らなかっただけのようだ。認知度が低いせいか福岡市の図書館には本館分館すべてを合わせても1冊しかなく待ち行列も長くなるわけだと思ってしまう。
先に来た小説トリッパー2024年秋季号「ゲーテはすべてを言った」から見始める。80数ページでこれはすぐにも読めそうだと読み始めるが、少々手ごわい。まずは登場人物の名前がよみづらい。博把(ひろば)だの、芸亭(うんてい)だの、然(しかり)といった名字や綴喜(つづき)、徳歌(のりか),義子(あきこ)といった名前はルビなしではとても読めない。統一(とういち)という主人公の名前もなじみにくい、統一教会か ?などとも思ってしまう。読みだしてすぐにファウストの一節の引用で乾杯する場面があるがここではドイツ語のまま表記されていて訳文はない、(Trauben trägt Weinstock!/Hörner der Ziegenbock/......といった塩梅)エッと思ってしまう。紅茶のタグに書かれたミルトンの言葉も英文のまま翻訳なしで挿入される、英文ならば分からなくはないがあってるだろうかと思ってしまう。なんという小説なのだろうか、これくらいは俺の読者ならわかるはずだ、と浴びせかけられているような気になっていい気持がしない。一方では、ゲーテという現実の文豪のゲーテ全集の「西東詩集」の巻は全編登場人物の芸亭學が訳したことになっている、現実にももちろんゲーテ全集の翻訳版は出版されていて「西東詩集」の巻を担当した翻訳者が現実にいるわけだがそれを超越してこの小説を進めている。こんなことしていいのだろうか、と疑問になってしまう。小説としての筋立ては比較的単純でそこには特に感動もないのだがそれを取り巻く小宇宙のような記述の海がこの作品の特徴のようだ、そこの出来栄えが新しい時代を開く小説として受賞したのだろうが、その小宇宙は作者の知識のひけらかしのようでなんだかなあという感じもする、読後感が良くない。ほかにいい作品が候補になかったのだろうか、文学の不作の時代に入りつつあるのだろうか、いろいろ考えてしまう。「DTOPIA」の方はどうなんだろうか。