2024年3月21日 (木)

今年の芥川賞、九段理江の「東京都同情塔」を読んでみた

1月17日に第170回芥川賞は九段理江さんの「東京都同情塔」が授賞作に決まりましたと発表があり、その日のうちに掲載誌の「新潮」/2023年12月号を図書館に予約した。すでに数人の予約が入っている、2か月近く待ってやっと順番が回ってきて3月16日に借り出して読み始めた。「新潮」で66ページほどの作品なのですぐにも読めるだろうと読み始めたがなかなか進めない、会話の部分が少なくびっしり字でページが埋まっているせいもあるようだ。ザハ案の新国立競技場がZaha0 キャンセルされずに姿を現している2026-2030年の東京が舞台のパラレルワールド物といってもいい。設定が面白い。ザハさんが2016年3月に亡くなったその8か月前の2015年7月に安倍首相によりザハ案はキャンセルとなっている、今から見てもザハ案(添付図)は未来的で魅力的だ、確かにこれが予定通り作られた世界というものを想像したくなる。東京都同情塔とはザハ案の新国立競技場と対をなすようにオリンピック後に新宿御苑に建てられた未来的ないわゆる刑務所のことだ。ザハ・ハディッド・アーキテクツと対をなすようなサラ・マキナ・アーキテクツを率いる建築家牧名沙羅によって設計される、それにまつわる物語の形だが勿論人物伝では全くない、新しい時空間を描き出しToukyotodojyo ている、確かにこれは未来に向かった小説のようだ、新しい、芥川賞にふさわしい。
いい本を久しぶりに読んだ、そんな気持ちを抱かせる小説だった、勿論きわめて個人的な感想だが。

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2024年1月 5日 (金)

オーウェルの「1984」を読んでみる

メディア論という放送大学の科目を受講しているがその中でオーウェルの小説「1984」の紹介があって、まだ読んではいなかったこともあり、この機会にと図書館から借りだして読んでみた(1984 ジョージ・オーウェル著 / 田内志文 訳  KADOKAWA文庫)。
文庫本とはいえ字がびっしりで450ページ位ある本なので読破にはそれなりの努力がいる、頭の方を読んでしばらく棚上げにしていたら予約が入って貸し出し延長がで き1984 なくなりそれではと気合を入れて2日がかりで読み終えた。なかなか面白い本だ。 予想していたより恋愛小説的なところが大分あっておやという感じを抱いたが、読み進むといかにも完全監視の管理社会らしいタッチの場面が色濃くなる。監視の主役はテレスクリーンという双方向テレビでそれがメディア論でこの本が紹介される理由の一つになっている。この1984が書かれた1948年にはテレビ放送という形態は世界でやっと始まってきた時期だったがその個人生活に入り込む危険性をオーウエルは感じていたのだろう。この小説の描く世界はスターリンの独裁が一つのモデルだったといわれているようだ。当時ソ連に現実化しつつあった状況ともいえるのだろう。また小説の中では1950年代の核兵器を使った戦争の後世界は オセアニア(アメリカとイギリス)、ユーラシア(ロシア主導の欧州)、イースタシア(中国、日本他の東アジア)の3つの国に分割されそれぞれが似たような独裁体制となり互いに戦争状態を続ける、という設定でこれは現在のイギリスのEU離脱/米英豪のオーカス、米中対立、ロシアの西進/ウクライナ戦争、などの図式を予見しているともいえる気がしてくる。どちらかというと1984の世界に向かって現実の世界が動いていっている気さえする。中国の政府による監視カメラだらけの世界が現実になっているのを伝え聞くと完全監視社会というのはすでに現実味を帯びているようにも思える。AIの進化がそれを加速する近未来というものがすぐそこにあるような気がしている。
1984は各種陰謀論の源流にあるのかもしれないが、どうやったらこの不吉な予測から逃れられるのだろうか、考え続けなければならないようだ。

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2023年11月26日 (日)

最初に出た43年前の「街とその不確かな壁」を読んでみる

村上春樹の最近出た小説「街とその不確かな壁」を読んだら著者のあとがきがあって、おやと思ったが、そこにこの小説はだいぶ以前に一度同名の小説として発表したものを大幅に書き直したものだとあった。そんなことならその元の小説も読んでみなくてはと思ったが雑誌に発表したものの単行本としては出ずじまいになってるというので兎に角最初に発表された雑誌を調べる、図書館にあるだろうから借り出して読めばいい。ネットで検索すると文学界の19Machito 80年9月号がその雑誌とわかる、便利な世の中だ。福岡市の図書館にあることを確かめて早速予約する。同じように探し出した人が他にもいるようで既に貸し出し中となっていて順番待ちの列に並ぶ。1か月くらいして順番が回って来たとの連絡が入って勇躍図書館を訪れる。借り出して見ると、確かに古い感じが漂う雑誌だ、43年前というとこんな感じだったんだそのことにまず感慨を覚えてしまう。ページの縁が弱くなってちぎれそうに見える。この間に自分の中にも流れてきた時間というものを感じてしまう。内容は壁の中の世界がほぼ全てで外の世界ははじめと最後に少し出てくるだけ、最近の書き直しとはつくりが大分違う、が、同じ設定だ。こちらの方がシンプルだ、リリックだ、それだけに確かに街から脱出したその先は?、と感じてしまう。
同時にこれはこれでよかったのではとも思う、敢えて書き直したのはやはりホルヘ・ルイス・ボルヘスの言葉ー作家は限られた数のモチーフを手を変え品を変え様々な形に書き換えていくだけだーということなのだろうか、持っているモチーフには限りがあるからなのだろうか。

作家とは難しい職業だ

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2023年10月22日 (日)

村上春樹の「街とその不確かな壁」 を読む ノーベル賞は無理かな

今年2023年の4月に久し振りの村上春樹の長編が出版されてすぐに図書館に予約を入れておいたのだが、長い待ち行列ができていてつい1週間前にやっと順番が回ってきて借り出した。6か月かかったということになる。珍しくも著者あとがきのある小説だ。めったにみない。ちょっと頭の方を見た後あとがきを読んでみる。何と「羊をめぐる1_20231022230301 冒険」」より前に書き上げた同名の中編小説(文学界1980年9月号掲載)の大幅焼き直しとある。読み始めた感じが昔懐かしい春樹スタイルだという印象を受けたのはそういうことかと合点する。架空の世界をすかすか感のある書き方で書いている。乾いている。先ほど読み終えたが、パラレルワールドものという言い方で分類したくなる小説だ、プラトンの洞窟の比喩というより、SFの世界では時々現れる形式のような気がしてしまう。今回の本は655頁の長編だが普通に読んで6日で読み終えた、すらすら読める。読了直後の印象は、読んでいて引き込まれる小説だがこれはノーベル賞には無理かな、というものだった。ノーベル文学賞はその文学がオーバーに言えば世界史的な意義があるものかという基準で授与されているような気がしているが村上春樹はもはやその段階は通り過ぎたような感じがしてしまう、特別感がしない。あとがきに引用されているホルヘ・ルイス・ボルヘスの言葉ー作家は限られた数のモチーフを手を変え品を変え様々な形に書き換えていくだけだーというのが一番生々しい記述のように感じてしまう。
色々感じるが読みやすくて面白い小説であることには違いない。秋の夜長はやはり読書に限るのだろう。

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2023年10月 7日 (土)

ノーベル文学賞受賞者ヨン・フォッセの「だれか、来る」を読んでみる

ノーベル賞の季節だ。2日前テレビをぼんやり見ていたら文学賞の発表が速報で流されて今年の受賞者はヨン・フォッセと報じる。全く聞いたことのない人だ。どうも劇作家らしい、とにかく何か読んでみたいものだと市立図書館を検索する、1件だけ引っかかったが、もうすでに予約が入っていて3番目だすぐには来ない、それにインタビュー記事のようで作品でもないようだ。それではと代表作の一つとしてwikiなどに出てくる「だれか、来る」の載っている雑誌はないものかとグーグル検索してみると、見つかった。舞台芸術 という京都造形芸術大学舞台芸術研究センターが出している雑誌の05号に全文が掲載されていることがわかる。これこれとこの雑誌を市立図書館の蔵書で探すと、この05号が1冊だけ見つかった、すぐに予約する、待ちはない。1日置いて今朝Butaigeijyutu 一番でネットで調べると近くの図書館に届いているとわかる、便利な世の中になった。午前中に借り出してさっそく読んでみる。
詩のような短い言葉のやりとりだけで構成されていて37ページくらいなのでそれほど時間をかけずに読んでしまえる。「小説は言葉が多くなる。言葉の向こうにある世界を書きたかった」というヨン・フォッセの言葉がこの雑誌の主宰者である太田省吾によって紹介されているが、まさにそのような、通常の戯曲からコアの部分だけを取り出したような作品だ。登場人物は3人、彼、彼女、男 と書かれ名前はない、場面も海辺の家の外と内でほぼ同じ、それでいて直接的リアリティがある。要約することが難しい。1996年オスロで初演だから最新の、とは言えないが、新しい。
でも、これがノーベル賞!、というのが偽らざる最初の印象だ。舞台を観なければとも思う。日本初演は太田省吾によって2004年になされており、今後も注意していれば観る機会を見つけることもあるだろう。
ボブディランやこのヨン・フォッセが受賞する時代だ、村上春樹はなかなかかな、そんなことも感じてしまった。面白い時代だ。

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2023年9月27日 (水)

図書館から本を借りて読んでいると

本を読むのは図書館から借りて読むに限る、と思っていた。借り出し期限内に読み終えなければならないという観念が付きまとって無理しても時間を作って読むことになる、これがいい。ところがこのところ借り出せる本の上限10冊までを抱えて、期限が来れば貸し出し延長を申請するという状態がしばらく続いた。これではいけないと思いながらもまだ読み終えていない本を返すに忍びない、読み終えないうちにこれは面白い本かもしれないと別の本に予約を入れる、これを繰り返して上限に達していた。しかし10冊は多すぎる。今週予約していた本が3冊来て身動き取れなくなって、エイッと6冊ほど返した。
ちなみに借りていたのは
 目で見る美しい量子力学 外村 彰/著 サイエンス社
 糸島モデルコース25 2023-2024 ぐる~り糸島別冊 聞平堂
 天野先生の「青色LEDの世界」 光る原理から最先端応用技術まで ブルーバックス 天野 浩/著 講談社
 Newsweek(ニューズウィーク) 日本版 2023年9月12日号 CCCメディアハウス 20230912
 私の1960年代 山本 義隆/著 金曜日
 食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書 エリザベス・ギルバート/著 ランダムハウス講談社
 古代の世界現代の省察 ギリシアおよび中国の科学・文化への哲学的視座 G.E.R.ロイド/[著] 岩波書店
 ソフィストとは誰か? 納富 信留/著 人文書院
 プラトン 哲学者とは何か  納富 信留/著 日本放送出版協会
 BOOKMARK 2 翻訳者による海外文学ブックガイド 金原 瑞人/編 CCCメディアハウス
の10冊で、このうち2番目、4番目、7,8,9,10番目を返した。2番目(糸島)と10番目(BOOKMARK)は読んでみると手元に置くガイドブックとして有用そうなので別途買うことにした。7(古代の),8(ソフィスト),9(プラトン)は放送大学でギリシア哲学をとっていたのでその関連で読んでいたものだから、講義も終わって返すのは普通なのだが、まだ理解できていないところが多々あって抱えていた。頭に入りきれない、でもこれ以上はプラトン全集を読む方に移るべきかとも思えて返すことにした。
1番目と3番目は量子力学関連で見ているが、これもまだ理解できていない、もう少し、と延ばしている。もう無理かもしれない、時々そう思う。特に1番目の量子力学は写真をHon0927a 見るのはいいが書いてあることは理解しやすいようには書かれていない、そういう世界なのだろう。新たに予約して借りたのはリーマン予想の本で(素数に憑かれた人たち リーマン予想への挑戦 ジョン・ダービーシャー/著 日経BP社)こちらも少々難しそうだ。また抱えそうだ、でも知らない世界に入り込んでいく感覚が面白くてこんなことを続けている。
どうせ死すべき運命からは逃れられないのだから気ままに生きていくか、そんなことばかり念じながら時が過ぎて行く。

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2023年8月 2日 (水)

今年の芥川賞、市川沙央の「ハンチバック」を読む

7月19日に芥川賞受賞の発Hanchbackx1 表のニュースを見て直ぐこれは読まねばと、図書館に掲載誌;文学界5月号を予約した。単行本もすでに出ているがこちらは予約順番が200人以上で当分回ってこない、文学界の方は数人待ちですぐにも廻って来そうだ。7月27日に近くの館に届いたとネットで表示があり早速借り出した。文学界のページ数で28ページと短いのであっという間に読めそうな気がしたが、読み始めると文体が凝っていたり知らない世界の内側の描写ということもあって思ったより読了に時間がかかる。
テレビ報道で見た本人の重度障碍者の姿からはこの濃い文体の文章を描き出していく様が容易くは浮かばない、しかし明らかにこの受賞はハンディがある下駄をはいた受賞ではない、読めばすぐわかる、新しい視点・時代を切り開いている、どう見ても受賞にふさわしい作品で力量も十分感じさせる。あらゆる文には書き手がいる、そこを仕事とするこの作品の障碍者の姿はどう見ても作者本人の姿だ。話の展開には創作が骨になっているのだろうがディテールは本人の実体験と思える、重度障碍者のリアルな視点がこんななのかと新鮮な思いに包まれる。エロ雑文書きのアルバイトをするというのも作者の実体験が入っているように思えてくる、そうでなかったとしてもそう思わせる筆致がある。不思議な世の中になった、障碍者がネットを駆使して稼ぎながら生きていける世界。重度の障碍者の視点というものが重くもあるが新鮮だ。確かにこれは芥川賞だ、自らが時代を切り開いている姿がここにある。

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2023年5月 6日 (土)

手元にあった牧野富太郎の野外植物図譜を見たり

牧野富太郎の生涯が朝ドラ化されて毎朝のように見ているが、そういえば牧野富太郎著の植物図鑑があったはずと本棚を探したら出てきた。原色野外植物図譜 学生版 と表紙に書かれた古い本だ。50数年前に東京のどこかの古本屋で買った覚えがある。昭和10年11月30日発行 昭和16年6月15日再版発行 定価弐圓弐拾銭 と後ろにあり、牧野の著者印も無論ある。戦前の出版だ。野草の名前を書いた図鑑を古本屋で探したらスミレ16種から始まるこの本に出会って丁度いい本として買ったような気がする。戦前の本にしてはカラー版が豊富で、フーンと思った、戦前のカラー印刷というと着色した絵葉書くらいしか当時見たことがなく、色に誇張の無いきちんとしたカラー写真だったことに少し驚いた。700種位の身近にありそうな植物を小さい本で紹介している、今見ても役に立ちそうに思える。

自宅玄関の前に花の鉢をいくつか並べているが、結構雑草が出てくる。雑草という名の草はない、というのは牧野の言葉だが、昭和天皇もたびたび口にしていたようで、昭和天皇の言葉としても伝えられる、しかしこの地では雑草は厄介だ、雑草は雑草だと抜いては捨てていた。中に小さな花をつけたものがあり、抜かずに写真に撮ってネットで調べてみるとすぐ名前がわかった、最近は写真検索で結構よく当たる、ハキダメギクという植物だ。 説明はWikipediaに出ていてこれを読むと日本での発見者は牧野富太郎で世田谷の掃きだめで発見してハキダメギクと名付けたとある。ちょっとあんまりな名だ。英名はshaggy soldier(毛むくじゃらの兵士)といってこれもあまりいい名ではないがハキダメよりははるかにましだ。ハキダメでは如何にも雑草ですと言っているようでもある。
気になって牧野の野外植物図譜を調べてみるが載ってはいない、1920年代には発見していたはずだからこの本の出版時には間に合っている、雑草のような植物と小ばかにしていたのだろうか。牧野の姿がリアルに感じられて面白い。

それにしても牧野富太郎はマニアックな人だ。戦前という時代はこだわりの塊の人たちで動いていたのかもしれない、今はどんな時代なのだろうか。

添付写真は手元にある 原色野外植物図譜学生版 と 自宅の鉢で花をつけるハキダメギク。

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2023年3月20日 (月)

今年の芥川賞を読む

今年も芥川賞が発表される季節となって、どんな作品だろうと、掲載される文藝春秋3月号を予約可能となる日の朝一番に図書館にネット予約した。予約順は1番ではなく2番だったもののすぐに順番が回ってくる、さっそく読んでみた。今回(第168回、令和4年度下半期)受賞したのは井戸川射子「この世の喜びよ」と佐藤厚志「荒地の家族」の2作品でいずれもそれほど長い小説でもなく、1週間もあれば2つとも楽に読めてしまう。
「荒地の家族」から読み始めた、3.11の震災被Arechinokazoku 害者の直面した生活を描いている。非常にリアルな感じがする、楽しい場面は殆どなくてこれでもかとつらい現実が展開され続けていくが、とても誇張と思えないリアルさだ。重い。しかし情景がよく描写されていて、文章そのものがいい。作者の力量を感じる、さすが芥川賞だ。
「この世の喜びよ」はこれとは随分違っている、読後感として最初に感じたのが物語の無さだ、これは小説というものなのか、と感じてしまう。ショッピングモールの一角にある喪服店の店員という主人公の周りに流れていく日常の描写のみではないかと思ってしまう。2人称で描かれていて主人公をあなたと呼んでいる視点で読んでいくことになるのだが、なじめない、勿論面白い試みではあるがなじめなさはどうしようもない。小説の描いている世界へ引き込まれていく感覚をどうしても抱けない。こういう小説が賞をもらう時代になったのだ、ついてこれるかな、と言われているような気さえしてくる。

小説を読んで絵空事の世界に時々身を置くという疑似体験が自分としては精神的にいいような気がしてこれまで時々小説を読んでいたが、精神の活性化に必ずしもつながらない小説が出てき始めてるような気がしてきた。そういう時代なのだろう、映画を時折見る方に切り替えた方がよくなってきたか、そんなことも考え始めている。

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2022年10月17日 (月)

今年のノーベル文学賞アニーエルノーの「凍りついた女」も読んでみる

10日くらい前にノーベル賞の文学賞がフランスのアニーエルノーに授与されることに決まったと発表されて、いったい誰なんだろう、と思ってしまった。ネットで調べてもピンとこない、とりあえずは読んでみるかと市立図書館の蔵書を調べてエイッと3冊予約する。「凍りついた女」「ある女」「戸外の日記」の3冊だ、「ある女」「戸外の日記」はもう順番待ちの列が結構長そうだが「凍りついた女」の方は列が短く早そうだと思っていたら、1週間も待たずに借り出すことができてさっそく読み始めた。日

Koorituitaonna 本での出版は1995年でもう30年近く前の本だ。読み始めるとすぐにこれは手ごわいと思ってしまう。びっしり文字で埋められて会話が殆どない、読みづらい、とどうしても思ってしまう。読み進むのに抵抗感があったが初めの方は速読に徹するとなんとか突破できた。内容はほぼ自伝のようだが、自伝にありがちな自慢やひけらかしとは対極にあるような内 面のさらけ出しだ。少女時代から学生結婚、出産育児、教師の資格取得、教師として働く2児の母となるまでの間の、本当はどう感じどう思って生きてきたかを内面の心の動きを中心にリアルに描いている。非常にリアルといってもいい、こんなのは読んだことがない。作者の最もフェミニズム的な作品という評もあるようで、ほかの著作も読んでみないととは思うが、この本からは確かにノーベル賞に値する普遍性を感じてしまう。

Koorituitaonna2また一つ世界が開けたような読後感がある、これは小説ではないのかもしれないが、小説を読むという行為は幾つになってもやはり続けるべきと思ってしまっている。

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