村上春樹が
図書館に1週間に一度は行って本を借りてくる生活をここ10年くらいは送っている。宇都宮にいたころも似たようなサイクルでもあったので図書館とはずいぶん長い付き合いではあるようだ。1月の初めころ図書館でたまたま見つけた村上春樹の「意味がなければスイングはない」という文庫本を読んでいて、さすが、と 思ってしまった。ジャズ評論と言っていい書きものなのだがジャズ評論家としても一流のよく掘り下げた、よく書き込んだ文だ、ここまで書くには相当にのめり込まないとできない。見直してしまった。そもそもどういう経歴だったっけとwikipediaで村上春樹のところを見てみて、ちょっと驚いた。まずは、同学年だった、村上春樹はいわゆる早生まれで自分より8か月くらい遅れて生まれているが同学年だ。まさかそうとは思っていなかった。西宮市で育ち高校は神戸高校に通っていたという。ニアミスだ。自分は中学の終わりころに父の関西転勤が突然決まり急遽関西の高校を受験することになった、まずは神戸市東灘にある私立の難関校を受けここに落ちたら神戸高校を受けるという手はずだった。幸運にも、と当時思っていたが、難関校のほうにパスしたので神戸高校には行かなかったがそうなっていたかもしれない自分がいた。西宮市の山の手に住み時々ジャズコンサートを聴きに行ったこともある、ジョンコルトレーンが神戸国際会館で来日公演した演奏会はよく覚えている、どこかですれ違っていたかもしれない。嵐のように大学闘争が吹き荒れる時代を東京で過ごした、ここも同じだ。最初に読んだのは「羊をめぐる冒険」だった、高校のころはSFが好きだったのもあり何か通ずるところがあって、そのあと新作が出るたびに読み続けた。フーンそうだったのか、と何かが解けた思いがする。Wikiに載っていたイスラエルでの授賞式とその講演の話はよく覚えていないこともあり、スピーチ全文が掲載されているという文芸春秋2009年4月号を図書館から借りだして読んでみた。2009年あたりでもイスラエルはガザ地区住民に対して集団殺人を行っていた、何度でもやるようだ、狂っている。そんなイスラエルに出かけて大統領も含む聴衆の前で何を言ったのだろう。小説家らしい言葉で、我々は国籍や人種や宗教を超えて一人一人の人間として、脆い殻をもった卵として、高く硬く冷ややかなシステムという壁に立ち向かっている、我々に勝ち目があるとすればそれはお互いの温かみを寄せ合うことから生じてくるものだ、私は常に卵の側に立つ、と語っている。当然のように共感を覚える。我々の世代にまだできることは残されているのだろうか。