2025年2月 2日 (日)

村上春樹が

図書館に1週間に一度は行って本を借りてくる生活をここ10年くらいは送っている。宇都宮にいたころも似たようなサイクルでもあったので図書館とはずいぶん長い付き合いではあるようだ。1月の初めころ図書館でたまたま見つけた村上春樹の「意味がなければスイングはない」という文庫本を読んでいて、さすが、とImiga 思ってしまった。ジャズ評論と言っていい書きものなのだがジャズ評論家としても一流のよく掘り下げた、よく書き込んだ文だ、ここまで書くには相当にのめり込まないとできない。見直してしまった。そもそもどういう経歴だったっけとwikipediaで村上春樹のところを見てみて、ちょっと驚いた。まずは、同学年だった、村上春樹はいわゆる早生まれで自分より8か月くらい遅れて生まれているが同学年だ。まさかそうとは思っていなかった。西宮市で育ち高校は神戸高校に通っていたという。ニアミスだ。自分は中学の終わりころに父の関西転勤が突然決まり急遽関西の高校を受験することになった、まずは神戸市東灘にある私立の難関校を受けここに落ちたら神戸高校を受けるという手はずだった。幸運にも、と当時思っていたが、難関校のほうにパスしたので神戸高校には行かなかったがそうなっていたかもしれない自分がいた。西宮市の山の手に住み時々ジャズコンサートを聴きに行ったこともある、ジョンコルトレーンが神戸国際会館で来日公演した演奏会はよく覚えている、どこかですれ違っていたかもしれない。嵐のように大学闘争が吹き荒れる時代を東京で過ごした、ここも同じだ。最初に読んだのは「羊をめぐる冒険」だった、高校のころはSFが好きだったのもあり何か通ずるところがあって、そのあと新作が出るたびに読み続けた。フーンそうだったのか、と何かが解けた思いがする。Wikiに載っていたイスラエルでの授賞式とその講演の話はよく覚えていないこともあり、スピーチ全文が掲載されているという文芸春秋2009年4月号を図書館から借りだして読んでみた。2009年あたりでもイスラエルはガザ地区住民に対して集団殺人を行っていた、何度でもやるようだ、狂っている。そんなイスラエルに出かけて大統領も含む聴衆の前で何を言ったのだろう。小説家らしい言葉で、我々は国籍や人種や宗教を超えて一人一人の人間として、脆い殻をもった卵として、高く硬く冷ややかなシステムという壁に立ち向かっている、我々に勝ち目があるとすればそれはお互いの温かみを寄せ合うことから生じてくるものだ、私は常に卵の側に立つ、と語っている。当然のように共感を覚える。我々の世代にまだできることは残されているのだろうか。

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2025年1月15日 (水)

ロスの山火事は人災のような雰囲気がして

ロスアンジェルスの広範な領域で山火事が発生して燃え続けている、強い風がこれほどまでの大火に至った要因と報じられて、どんな風なのだろう、海から吹き込んだ風なのだろうかと少し調べてみた。
アメリカの風であればhttps://earth.nulKaze2025010718utca lschool.net/の解析が見やすかろうと1月7日頃からのロス付近の風の流れを見てみると、1/7の18UTC頃(現地時間午前10時頃)から北からの強い風がふき始めている。北というとネバダの砂漠からということになる、確かにこれは乾いた高温の風のようだ。なんでこんな強風が、と思うが、これはこのころ低気圧がロスアンジェルスの南側付近を通過したことによるようだ。この気象条件が問題ということならばこれはいかにもしばしば起こりそうな風だ。要するにロスの南を低気圧が通過すれば起こる。異常気象のせいにしたがるのは政治がさぼっているからだろう。なんでも異常気象のせいだ2025010800tenkiz 温暖化のせいだと言っていれば政治家は責を免れる、と思っているのだろう。トランプが支持を受けるわけだ。
気象の計測データとしてはロス空港(LAX)のSynopデータが得られるのでこれを見てみると風のピークは1/8の03UTCで北北東25kt(13m/s)で確かに強いが極端に強いというほどでもない。この時の湿度は28%でこれも確かに低い、がこれくらいのことは起きそうだ。
やはりどうにも危険が予測できていたのに対策が不足していたのではないか、一種の人災ではないかとの気がしてくる。

何故火災災害を防げなかったのか、今後の議論の推移に注目していきたい。

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2024年10月28日 (月)

衆院選挙も終わって

衆院選挙も終わってマスコミは選挙結果という提供されたネタに大賑わいだが、自分なりに振り返ってみると幾つか面白く感じる選挙だった気もしている。一つ目は解散だ。2012年野田政権は解散すれば議席を減らすとだれの目にもわかる解散を行きがかりで実行してしまった、結果は大敗だった。今回はその意趣返Kokkai しかのようにはからずも不利と予想される解散を石破はあえて実施して大敗を喫した。同じパターンだ。野田はしてやったりなのだろうが、なにかゲームっぽくて真面目でない。こんなことに付き合わされるのはうんざりだがそれも世の中のリアルであり一断面なのだろう。
もう一つちょっと驚いたのはローカルな話だが熊本県の全4つの選挙区すべてで自民が圧勝している異様さだ、2位に対する1位自民当選者の得票数の倍率は、熊本1区で1.7倍、2区で4.0倍、3区で2.9倍、4区で2.4倍、接戦のないこんな圧勝は3つ以上選挙区のある全国の都道府県ではどこにも見られない。一時は保守王国ともいわれた九州だが今では熊本以外の県ではそもそも自民独占ということがない。なんでこうなのと思うが県民性というものもあるのだろう、人の滞留ということがあるのかもしれない。注目される半導体製造拠点TSMCの熊本進出の結果、外からの人の流入が強まればこんな状態はこれが最後となる可能性もある。

それにしても今回は政見放送に一回も出くわさなかった、もしかしてやってなかったのではと疑ったが今になってNHKの過去番組で検索すると、確かにテレビでは午前6:25-7:55の時間帯、午後は16時台、23時台に何度も放送されたようだ。自分のテレビを見るサイクルとからきし合わなかった、そういう生活を送るようになっていたのだと気づかされた。


選挙は社会のそして個人のその時点の断面をきちんと見せてくれる、選挙が実際に行われてああそういうことだったのかと思うこともある。とにかく面白い。

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2024年7月 1日 (月)

今年も1年ぶりの東京へ行ってみる

梅雨末期の豪雨のような雨の日 1年ぶりに1泊2日で東京を訪れた、6月28日のことだ。卒業50数年後の同期会が2つあってそれに出るためだが、そのほかにも福岡からでかけるのもあって、せっかくだから見ておきたい、というのが幾つかあった、都知事選の様子とデ・キリコ展、それに勿論東京の変わSinjyuku っていく様も知りたい。
羽田に到着後一つ目の同期会の会場目指して京急経由山手線新宿駅に向かった。渋谷の変貌も気になったが電車から眺める限りではパッと見た目工事中という雰囲気は感じられず変貌も一段落のような感じが感じられる。新宿に着いて地下通路を西口のほうに来ると工事中の白い板張りばかりが目立ち地下通路も迷路化している印象がある。地上出口を探して地上に出るがひどい雨で出口からほのかに眺めるほかない、西口広場全体が工事中で姿を変えようとしているしスバルビルが消えて見慣れないビルの姿が見えたりで昔の西口の印象から随分変わってきている気がする。そうか新宿も変貌中なのか、とまた地下に戻って小田急で会場へ向かう。建物のような入れ物は変わり続けるようだが、大勢の人が東へ西へ南へと縦横 に動き回るさまは何だか変わりない。
Senkyo 都知事選の方は翌日上野あたりでポスター掲示板を探したが見つからずやっと東大正門前まできてお目にかかった。第一印象はひどい選挙だ、というものだ、真面目に都知事を目指しているのは3-4人位しかいないのではないか、掲示板の必要がどこにあるのだろうか。民主主義の制度・やり方をすべからく見直すべきフェーズに入ったとこの掲示板が示してくれるように感じてしまう、そうなのだろう。掲示板以外に選挙の雰囲気はどこにもない、これは現職有利かな、とりあえずそんな風に感じる、期待したほどの見ものではなかった。
宿は銀座から築地エリアに寄ったところにあるロボットホテルを予約していた。気楽で朝食が付いたりするのがいいのだが、それがいいのか中国人の客が多い、だからといってどうということもない、同じようなものだ。円が安めに安定してもっとたくさんの中国人がこんな風に訪れてくれば国民間の変な誤解が薄らぎ安全な世界に近づけるのではないか、そんな期待が頭をかすめた。
東京都美術館のデ・キリコ展は事前に予約で切符を買っておいたのもあってスムーズに入れたが、量が多くてちょっと疲れた。いわゆる形而上的(Metaphysical)絵画が中心となる、事前に思っていたほどには現物に接すると違和感がない。面Chirico 白いというより人間の本質にはこんなところがあるということを感じたそれをそのまま素直に絵にしただけかな、と思ってしまう。個人的には最初の自画像、Metaphysical Muses あたりが気に入っているが、とにかくこれくらいまとめて見ると堪能したと言いたくなる。
同期会の方はいずれもそろそろ年限に近づいている感がにじんでいて、もうほとんど参加することに意味がある状態に達しているように思える、いつまでもはもう出れない。
 
今年も感じることが多々あった東京行だった、眺め続けることは、面白いことだとつくずく感じる、それがいい、また来年も。

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2024年5月11日 (土)

放送大学で「家族と法」を学び始める,知らなかった世界に入っていく感じが面白い

半年に一つだけ放送大学の講義をとるということを始めてもう十年くらいたつような気がする、まだ続けている。いくつになっても学ぶことが楽しいからだろう。2024年上期は「人生100年時代の家族と法」という講座をとっている。終活という文字が少し気になり始めたこともある、民法も大幅改Kazokuhoou 正されたようなこともある、ここらで一度学んでおくべきか、という現実的な部分がその動機の大半だ。
退職してからは遊びで法を学んで試験を受けたりもしていたが、この講座を学び始めてそうだったのか、ということにいくつも出くわす。まずは裁判に関する統計資料だ。全国の裁判所に申し立てられた事件数を民事・行政、刑事、少年、家事の4つに分類すると、2000年から2020年で家事が倍増し他はいずれも急減、いまや家事裁判数は刑事、少年をしのぎ民事・行政に迫る件数で、総件数の1/3になっている、という現実を見せられる。離婚や相続などの家庭を舞台にした裁判が急増しているということになる、マスコミではこんなことが報じられたことは一度もない、マスコミは要するにセンセーショナリズムだということをまた思い知らされる。講義はまだ全体の半分までは進んでいないが他にもアレということがいくつもある。例えば前回講義の国際的な婚姻にまつわる法律だ。婚姻できる年齢は日本では男女とも18歳以上で、これも改正民法でこうなり以前は男18歳女16歳だった。もし中国人と日本人が日本で結婚する場合、中国法では結婚年齢は男22歳女20歳となっているため中国国籍の人がこの年齢未満であれば日本でも婚姻は受理されない、という。中国の法が日本国内の法的手続きに効力を及ぼしている、こういうものらしい。アレっと思うのは結婚年齢が中国では高いところだ。中国での一人っ子政策の名残りかな、と思ってしまうが今では中国も急速な出生数の低下に直面しており、すぐにはパッパッと法を変えられないのかもしれないとも思ってしまう。
もっとも、結婚可能な年齢と出生数の関係よりも実結婚年齢の高齢化晩婚化が世界の出生数低下の主要な要因であるようで、調べていくと、ことはそう単純ではないようだが。
 
こんな風に今まであまり向き合ったことのない世界に入っていく感じが、世界はどうなっているか、我々はどこへ向かっているのかを学ぶことにつながるような気がして、なかなか面白い。 やはり学ぶことはいくつになっても楽しい。

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2024年4月12日 (金)

マイケルグリーンの「アメリカのアジア戦略史・上」を読んでみたが

マイケル・グリーンのアメリカのアジア戦略史 上 建国期から21世紀まで という本を借りてこのところ読んでいたが2週間の貸し出し制限がきつくやっと読み終えてそのまま返却した。アメリカという国は太平洋を越えた西にあるアジアとどう向き合ってきたかという視点からの書物で、こういう見方から書かれた本Photo_20240412103601 は初めてで新鮮な思いがした。誰がどう政策決定に関わってきたかを人名を中心に細かく書き記している。屈折しながらジグザグと進んできたアメリカの状況がそれなりに分かる気がする。書かれていることは多分本当なのだろうが、読み終えて感じることは幾つか肝心のところが書かれていない、意図的にか逃げているように感じるところがあるのが気になる。狂信的な愛国者からのトラブルを避けるためアメリカにまずいことは書かないようにしているのかもしれないと感じてしまう。一つはハワイ王国滅亡に対するアメリカ政府のかかわりのところだ。植民地化-併合のプロセスでは手を汚していないかのような書き方に終始しているというかきちんと書いていない。第2次大戦後の植民地の民族自決をアメリカがリードしたというところはきっちり書いているのに自らはハワイ王国を簒奪し併合している(住民の7割が反対したといわれる)という歴史的事実に向き合っていない、キレイキレイに書いている、そういうことなら他にもそんなところがあるかもしれないと内容が疑わしく思えてくる。日本との開戦に至るいきさつもたとえばハルノートのような動きはまるで書かれていない、というより開戦直前直後の米政府内部の動きについては一切書かれていない。何かまずいことがあるのかもしれないと思う、真珠湾はだまし討ちだというローズベルトの主張は米国の失態を覆い隠し利用するプロパガンダだったのかもしれないと思ってしまう。

色々あるが米国が建国以来太平洋を西へ西へと押し続けているという歴史・現状は事実に即して素直な目で眺め続けなければならないのだろう。思った以上に米中対立は簡単には終わりそうにもない、そうも感じる。

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2024年3月16日 (土)

「新しい戦前」を読んでみて別のことを想った

「新しい戦前」」という本が話題らしいので図書館の予約の列に並んで借りてみた。どうも著者の内田という人は全共闘時代の生き残りのような感じで当時の活動の残滓を引きづっているように感 じる。もう一人の著者の白井という人はよく解らないが新しい全共闘時代という感じがしないでもない、古い言葉だが新左翼という言葉をどこか思い浮かべてしまAtarasiisenzn う、勿論今や全く左翼ではないが。両者の対話が内容のすべてだが、対話という形が、堅苦しく独善的になりがちな内容をそうさせないでいるせいか読みやすい。米軍の占領が今も続いているとみるべき対米追従に対する指摘など全くそう思っていたと共感するところは多々あるが、読み終えると、それで、と思ってしまう。対談の中に出てくる破壊はたやすいが作り出すことは簡単ではないという言葉のとおりで、破壊的な主張がこの本の内容の多くをカバーしており、それでどうする、というところが見えにくい。まあそれでもこんな視点を打ち出すことは大事なことだとは思う。
つらつら考えるに、反共、というコンセプトで戦後はずっと進んできてソ連崩壊とともに、形が見えにくくなったが、考えてみれば東アジアに限ってみれば、中国、北朝鮮と、いまだに頑張り続けている共産主義体制が健在でそこに過度の対米追従の必要性があったとも思われてくる。ここへきてロシアが独裁制を確立しそうで、それが中国、北朝鮮の旧態依然の共産党独裁の落としどころになると両国が気づき始めているような気がしている。反共ではなく反独裁の塊のリーダーとしての米国に追従すべき存在価値があるということが今の形態を引きずっている大きなドライブになっているのかもしれない。ところがトランプの登場で米国にも独裁的振る舞いのリーダーを求める勢力が多数となりつつある時代になってきて、さあ日本はどうする、というのが今の時代と見ることできるのではないか。民主主義が行き詰まり国連主義が行き詰っているのがこの世の姿でそれに対する回答が得られないままに進んでいってしまっているというのが今のこの世なのではあるまいか。
日本に残る強さは天皇制というところに最後行き着くのかもしれないという気がしている。独裁ではないが完全な民主主義でもない形態の可能性がそこに残されているというのが日本の強さなのではなかろうか。

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2024年2月21日 (水)

ジェット気流の波うちと少子化と

このところ早春にしては極端に暑いが続くかと思えば少し前には極端な寒気が北半球のあちこちに記録された。記憶に新しいのは米国大統領選挙に向けたアイオワでの共和党予備選挙の日の極寒だ。1月15日北米中部は記録的な寒さに襲われ、州都デモインでは午後6時で-19.2℃、午後9時で-20.6℃(投票開始は午後7時)という気温だった。この日の最低気温は-27.2℃という恐ろしい値だ(デモイン国際空港での計測値)。
勿論こんな寒さは波打つようにして北から寒波が下りてきた結果だが、今年はどうにもこの波うち(解りやすくはジェット気流の波うちということになる)が激しいような気がする。もとはといえば地球表面の温度分布が北極と赤道では大きく異なりこれを何とか平準化しようとする(すなわちエントロピー増大させようとする)物理現象の結果ということができる。波うちが大きくなっているように感じるのは赤道付近と北極付近の気温差が歴史的に見ればじりじりと大きくなっているのDagik2024011600utc850temp だろう、これを平準化する地球の努力も次第に激しくならざるを得ないのだろう。こんな寒暖差を人為的になくそうとする努力は台風をなくそうとする努力のようなもので人間にできないということはなかろうが途方もない企てになるだろう、変化を予測してそれに耐えるよう備えるというのが政治家の務めだろう。チグリスユーフラテスの洪水に備えたのが人類文明を進化させたように地道な努力が人類を前に進める知恵を生み出すのだろう。能のない政治家あるいは活動家ほど悪いのは温暖化だといいたがる、とんでもない。
歴史的に見れば人類という生物の地球支配は過度になっているのではないか、人口が増えすぎているのではないか、そう考えるのはもっともなことではある。もし自然界がこのような一生物の暴走を防ぐように仕組まれているものならば、その歯止めの減少が自然に現れてきてもおかしくはない。そう考えると近年各国で進む少子化は実はそのように仕組まれた結果なのではあるまいか。いい生活を求めようとする基本的な欲求が出生率を次第に抑えるようになり人口が減少するに至る。減少は過ぎると他生物の増大を招きどこかでまた人類の人口増加に移るだろう、ジェット気流の波動のように地球には環境を保とうとする物理的仕掛けが幾つも仕組まれているおかげで長期にわたって安定した状態を保ち続けているのだろう。そう考えると何やら気楽になる。温暖化も少子化も当たり前のことが起こっているだけだと安心できる。のんきに日々を過ごすことが幸せというものなのだろう。

 

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2023年12月21日 (木)

荒れ模様の天気が続く

北の寒気が張り出してきて雪になった。このところ荒れ模様の天気が続く気がしている。特に今年は北海道付近を次々に低気圧が発達しながら東へ抜けていくパターンが多い、東へ向かって勢いを増していくようだ。暖流の上に到達すると対流が一層活発となって発達するのだろう。
この先この低気圧というか前線はどうなっていくかというと、おおよそそのまま東へ進んでアメリカ大陸の東岸に到達するようだ。実際に米東岸のシアトルでは冬は32日雨が降るとさえ言われてそんなせりふをプリントしたTシャツが売られているのを現地で見たことがあった。南のカルフォルニアまで来ると少しは弱まるようで雨が続くことはないようだが時々冬のまとまった雨が降ることがある。最近ではつい昨日の12月20日に時間27mmのまとまった雨がサンフランシスコで降っている。元をたどれば12月12日頃関東東北に雨を降らせた低気圧だ。こんなのを見ると地球はつながった運命共同体だとつくづく感じる。戦争を止められない、陣取り合戦の様な殺し合いを止めることのできない人類というものもつくづく情けなくなる。こんな地球の自然というか有様と調和できない様では、地球の時間軸でそう遠くない未来に滅びるべき運命が人類を待っているのかもしれない。
2023122009utc 図は2023.12.20 09:00utcの降雨レーダー衛星観測結果ーJAXA GSMaPサイトより

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2023年2月14日 (火)

フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」の後で

フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」の後で を読んでいる。
冬は本を読む時間を取りやすい。適当に何冊かを読んでいた時この本を引用していたり紹介していたりする場面に幾度か出くわしてこれは読んだ方がいいかと図書館の予約の列に並んでみた。先週やっと順番が回ってきて読んでいる。マチルデ・ファスティングというノルウェーの経済思想家の質問に答える形で進んでいく。フクヤマは何冊もの本を書いており、質問者はそれらを取り上げながら問いを発し続けていくので、フクヤマが全体として言いたいこと考えていることが直接的に語られていて手間が省けるという気がしてくる。
まずは「歴史の終わり」とは何かRekisinoowari 、これは簡単で、自由民主主義(liberal democracy)がこれからも含めた人類の歴史の中で最後の政治体制となる、ということだという。一昔前は左派のインテリは共産主義が最後の形と考えていたが今そう考えるものは誰もいない、というわけだ。なーんだという感じだ。
では、世界の色々な国が自由民主主義になかなか到達できないのは何故か、ということになる。それを何回も形を変えて質疑応答している。自由民主主義が根付くにはナショナル・アイデンティティに基づく国民国家と強固な制度を固める体制が必要で、歴史的には権威主義などの形を経て最後に到達できるもの、と答えているようだ。
ナショナル・アイデンティティという言葉が曲者で、これはフクヤマがニューヨークという街で育ったということが大きく関係しているように思える。この地ではアメリカ人とはアメリカとしての共通の理念を共有する人という考えが強く人種や出身国、宗教などの重みはほとんど感じられないという、このイメージがナショナル・アイデンティティということなのだろう。偏狭なナショナリズムとは明らかに違うものだが、かなり近いところにあるような気もする。ナショナル・アイデンティティがあってのその基盤の上での自由民主主義ということのようだ。
更に腐敗を抑え込む体制というのが重要と何度も述べているように見える。権威主義が倒されてさあ自由主義だとなると、不正が横行し体制を私物化しようとする動きが現れてくる、これを排除しなくてはうまくいかない、としている、確かにそうだ。ここでつまずく国が多いような気がするし、もう大丈夫となってもまた腐敗が頭をもたげるようにも思える。
 
自由民主主義に対する脅威としてはポピュリズムの拡散をあげている、偏狭なナショナリズムなどで多数の支持を得て権力を握ると権力を私物化し制度や司法を破壊していく、というのがその特徴としている。現代の社会の仕組みを、そうみればいいのか、と説明してくれるところが、読んでいて気持ちがいい。
EUのような各国をまとめて統合していく方向に未来があるという見方には否定的で、ナショナル・アイデンティティが曖昧な形となってうまくいかないだろう、としているようだ。EUの人々がフランス人やドイツ人でなくヨーロッパ人という意識を強く共有できるとは思えない、ということのようだが、この本はウクライナの戦争が始まる寸前に書かれており、現在ではヨーロッパ対ロシアという形が明瞭になってきて、この戦争がEUの理念を強めてきているように思えている。今フクヤマに聞けば別の答えが返ってくるかもしれない。
また、経済学という学問では経済的利益最大化で行動する個人というモデルの上で学問が組み立てられているがそれは正しくない、個人の行動の原理には、個人の価値や尊厳への承認要求を満たすという個人の魂が大きく関わっている、(これをテューモスというプラトンの表現で表している)、これを考慮に入れない規制緩和などを軸とする新自由主義経済は、富の集中・格差の増大などの社会的歪を生み、うまくいかなくなる、ともいう。
なかなか面白い本だ、フクヤマは非常に多くの本を読み込んでいると感じられ社会の仕組みや出来事のなりたちによく考えが廻る、知の巨人という言葉がふさわしい人のように感じられてくる。
それにしても最近感じる、日々の買い物に顔を出す店の小さなごまかし、政府の広報の小さなインチキ、通産官僚によるコロナ補助金不正受給、自衛隊員が闇バイトで強盗一味に加担、といった今までは目にしたことのなかった社会のほころびが、そうか、これがフクヤマのいう腐敗の始まりか、こういう風にして自由民主主義体制は崩れはじめていくのかもしれない、と頗るリアルに感じられてくる。
いい本だ。

 

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