2017年11月21日 (火)

寒くなってガスに切り替えた

2017112403gsm

日本列島を寒冷前線が次々に通過して冬がそこまでやってきた。週末に向かってまた寒波が北から降りてきそうだ。(添付は11月24日03jstの850hp(約1500m)の気温予想図)。アジアでは日本狙い撃ちの寒波だ。

今年は室内の暖房を都市ガスに切り替えたので灯油の心配は無くて気軽に暖房が使える。もともとガス配管はあるので工事は要らずガス管口につける変換ソケット(ガスタッチ)とガスファンヒータ、ガスコードを2セットネットで取り寄せるだけだ。
暖房を灯油に頼る生活は思い返せばここまでの生涯すべてであったような気がする。勿論エアコンは使うが寒くなるとそれだけでは足りなくなる。補給をいつも考えなければならないし灯油屋が売りに来なければガソリンスタンドまで買いに行かなくてはならない、買ってきても家まで持ち上げるのもちょっとした力仕事だった。歳を重ねてくると10年先でもできる生活に徐々に切りかえて行かねばと思い始める。
思い切ってガスに切り替えて随分気楽になった。多分暖房コストは少々上がるだろう。しかし楽な生活に代えがたいものがある。

Tachiaraie

絵をまた描いている。昨年初夏に訪れて見た旧大刀洗飛行場跡に広がるポピーの赤が戦争の血なまぐささと平和の両方を象徴しているようで心に残っていて、それを形にとどめるためにポピーの風景を描いている。人に伝わるかどうか他人に感銘を与えるかどうかそれはどうでもいいことのように思っている。結局はそんな絵を描いていきたいのかもしれない。
暖かい日だまりの中で絵を描きながらゆっくりとした時間を過ごす、そんなことに幸せな時間があるように思えている。

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2017年9月29日 (金)

タカ見と棚田と

9月は駆け足で過ぎていく。もう2週間位前のことになる、福岡に近づきそうに見えた台風18号は微妙に南にずれ福岡への影響は弱まった。
それでもそれなりに台風の影響は出たが、台風が来るといいこともあった。タカの渡りへの効果だ、台風明けに一気にタカが渡る。
こんな日は鷹見のポイントへとにかく立たねば損とばかり台風の翌日 近くの油山の片江展望台に出かけた。3連休でもあり懸念したが駐車スペースはまだ残りがあった。

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見始めたのが11時20分頃で、すぐにタカ柱が確認できた。見ていると次々に来る、積雲が心地よさげにぷかぷか浮いている。いい日だ。
肉眼で見えるくらいに近づくこともあって写真に撮ったりスコープで追ったり忙しい。一般の観光に訪れた人も肉眼で見えるのに感激している。これは多い。
横でカウント集計しているのを見ると1時間ほどで4-500羽出ていることになる。

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そのうちぱったりと来なくなって食事時でもあるのでさっさと引き上げる。十分堪能した。

気をよくしたこともあって翌日は気になっていたアカハラダカの渡りを佐世保の烏帽子岳まで見に行く。朝早目に出かけていくと伊万里の先の国見峠で雲海がちょっと出ている。そういえばこの辺りでは棚田に雲海の風景が良いといわれていたのをかすかに思い出す。しかし写真はな

Tanadaa

かなか難しい。何枚か撮ってみる、インスタグラム用に使えるかもしれない。
烏帽子岳の上りはナビに従って細い取り付け道路から入る。登山道路入り口が見落としやすかったのも思い出す。久しぶりだ。
6時半過ぎに自宅を出て9時前にほぼ予定通り目的地に着く。2時間と少しだ。懸念した駐車場は十分空いていて、関西ナンバーの車もちらほらある。

20170919akaharadaka

観察場所にはおがさわら丸でおなじみとなった大望遠レンズを付けたカメラがずらりと並んでいる。確かにアカハラダカを対馬に渡らずに見るにはこのポイントが一番いいのだろう。少しして遠くのほうに出始めるが双眼鏡ではほぼ見えないしスコープで探すのも視野が狭くて難しい。と思う間に割合と近くにタカ柱ができる。100羽位はいるかなりの規模だ。スコープで見たり写真を撮ったり忙しい。油山のハチクマのようにはそばに飛んでくるアカハラダカはいなくて大きく一羽を映像に収めることはできないがしようがない、もともとが小ぶりのタカだ。
しばらく眺めているがその内ぱったり途絶える。ここでのアカハラダカは塊でくるという来方をすると思い出す、来なくなるとぱったり来ない。10時半頃になっても次が来る様子はなく仲間内の喋り声ばかりが声高になったのもあり、引き上げることにする。でもまずまずだ。

少し早いのでここらには名の知れた棚田があったはずとその様子を見ていくことにする。うろ覚えでナビに行き先を入れて走り出す。確か伊万里の北の、橋でつながっている島だったと、エイッと入れて少しは近づくと土谷棚田までxxキロという標識が現れるようになる、当たっていた。有名なところなので駐車場所はあるはず、と期待する。棚田を見るのは路上駐車しかないところが多く、落ち着いて眺める場所を見つけるのが厄介なことがあるがここはそんなことはあるまい。
近くにまで来ると放棄された棚田が目に付いてくる、やはり過疎化してくると無理が生じるようだ。それらしいところに小型バスが止まっているのが見える、どうやらここらしい。駐車場がある。

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写真でよく見る棚田風景が現れるがカメラ画角から外れた左右のところは少々荒れている。観光用の棚田になってしまっているようだ。しかしこれでも維持が大変そうに見える。火祭り用とみられるライティングの仕掛けが棚田上にあり近くの看板にはそれが台風で延期されたとある。台風の影響がいろんなところで出るのはしようがない。
元気があれば島をもっと巡ってみたいし玄海原発近くの玄海の棚田も見てみたいがちょっと疲れたので真っすぐ帰宅する。ともかくこんな時新しいクルマの自動追従機能は本当に楽だ。殆どブレーキもアクセルも踏まずに走れる。

そういえばタカの渡り見物と棚田見物は似たような場所にあるような気がする。人里のある平地からすぐに立ち上がった山の斜面は人の生活に近いだけに棚田が作られやすく、一方では斜面風も使えて上昇風ができやすくタカの渡りルートになりやすいし、また観察しやすい展望所や道が得やすくタカの渡りの観察地となりがちなのだろう。
生物が利用しやすい地形は生物の種類によらず似通ってくるということかもしれない。そう考えるとタカと人類がつながっているようで面白い。

それにしても忙しい9月だ。あっという間に終わりを迎える。さらさらと流れていく時が惜しくもあるし心地よくもある。

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2016年11月24日 (木)

アメリカズカップ観戦

アメリカズカップのワールドシリーズが福岡であってPh43日間続けて海上からあるいは浜からそれを見ていた。
もう死ぬまでこんな光景は見られないかもしれない、と思っていたが、実際にレースを見て振り返るとどこか感動が残らない。
海からの観戦にはとりわけそんな感触があった、多分レースを戦っている人の姿が遠すぎて人の努力が伝わってきにくいということがあるのだろう。音も殆ど伝わ
Amercasc1ってこないしレースの推移もいまひとつ解りにくい。
これに比べ浜の有料の観覧場所で見るほうは、距離が近くてやっていることが分かりまだ伝わってくることが多い。日本艇がレースに勝ったりすると浜全体が盛り上がってスポーツ観戦らしくなる。浜でヨットレースを観るなんて、と始めはいぶかしく思っていたがそうではなかった、十分に支払った見返りがあった。
海上観戦ではレースそのものよりレースを観る雰囲気
20161119mult11が面白い。普段は見かけない巨大な帆船や不気味な船などが狭い場所にひしめく。そんな非日常の風景が今となっては頭に残る。
ヨットレースはローカルな内輪のレースであってもやはり自分でやるほうがまだ面白い、そんな感覚ばかりが今となっては結局は心にあるような気がする、こんなこともアメリカズカップを見てみないとわからないことだったのかもしれない。

アメリカズカップとは何か、解説すると以下のようになる。
20161118mult1851年に第1回が開かれた国際ヨットレースで今回のシリーズは第35回になる。国際スポーツレースとしては 近代オリンピックより古い歴史がある。
現在は、来年6月に英領バミューダで行われる本戦の前哨戦としてとして、米国も入れた、日、仏、英、ニュ-ジーランド、スエーデンの計6か国で世界を転戦しながらワールドシリーズというレースをここまでに計8回行った、第9回目の福岡のレースがこのシリーズ最後のレースとなる。
ワールドシリーズで上位の艇には来年5月にバミューダで開かれる予選(ル イ・
Amercasc4_2ヴィトン・アメリカズカップ・クオリファイヤーズ)で有利なポイントが最初から加点される。予選の勝者が引き続き行われる本戦で前回優勝のカップ保持者である米国オラクル艇と戦い勝者を決める、という段取りになっている。
日本からはソフトバンク艇が出場しておりソフトバンクと
縁の深い福岡が今回の会場に選定されたということのようだ。
現在アメリカズカップ全体のスポンサーはルイヴィトンと
Amercasc3Amercasc2_2 なっていて今回のレースは正式にはルイヴィトン・アメリカズカップ・ワールドシリーズ福岡と呼ぶようではある。

今回のアメリカズカップ・ワールドシリーズ福岡では 11月18日が公式練習
Amercasc6日で19,20日で3レースずつ計6レースが行われた。レースはヤフオクドーム裏の地行浜沖で行われ地行浜には有料の観戦スペースが設けられた。浜からの有料観戦という形態は国内では初 めてと思われる。
コースは風に
よって変わるが基本的に浜からの観戦を重視して浜寄りに設定されとりわけゴールは浜近くになるように設けられていた。
各国レース艇の基地は小
戸の福岡市ヨットハーバーに設置され、いつも利用しているヨットハーバーの有様がAmercasc7一変したのも面白い。

競技艇はAC45Fという統一規格艇となっている。艇の長さ13.45mのカタマラン(双胴船)で、これに高さ21.5mの航空機の翼のようなソリッドなセイルをつけていて、人力で上下する水中翼も装備している。風が5m/s以上くらいでは水中翼を利用して浮き上がることができ、この時の速度は普通のヨットの4-5倍くらいになってとにかく速い。恐るべき艇だ。浮き上がるほどの風がない時Amercasc5でも傾ければ片方の艇体だけで抵抗を少なく走れるが安定して片足走行を続けるのは難しそうだ、操船にはかなりの技術が要求されるようにみえる。
搭乗員は5名+ゲスト(操船に関与しない)1名となって
いる。スキッパーは操舵・全体指示に、クルーはセイル・フラップ操作調整、ジブおよびジェネカーの展開・収納、重心移動、水中翼の上下 等かなり忙しく俊敏性とともに相当の腕力・体力を必要とするという。

日本チームは結局シリーズ総合で5位となったが、来年
5月の予選で這い上がれるかどうか。やはり気になる。

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2016年10月19日 (水)

感動を失いつつある日々と

福岡マラソンというのが11月13日にあってこれに5.2kmのファンランで参加することにした。5kmならこれは走れるだろう、街中を走るのは面白いかもしれない、そもそも市民マラソンの雰囲気とはどんなものだろうか等々が興味の焦点だが、とにかくやれるうちにやれることはやってみよう、くらいの感じだ。
次第に日が近づいてくると本当に走れるだろうかと気になりだしてトレーニングとして近くの公園を周回して5kmを走っている。基本的に心拍数をモニターしながら走るのが自分のやり方なので当面心拍数130となるように走っている。
Running 走ってみると大体分速100m位となって50分くらいで走れる。ゲートが閉まるギリギリのスピードだがとにかく走れるので一安心だ。ラップを見ると自分では気が付かないがラップを重ねるごとにゆっくり速度が落ちてくる。運動不足なのだろう、まったく体が鍛えられてない感じがする。

当日はどんな感じになるだろうか。気象庁の1か月数値予報では高気圧が張り出し始めて一応晴れそうだが、どうなるか。雨なら棄権かとも。弱気なところはなかなか去ってくれない。


10日ほど前、新福岡古典音楽祭の催しの一つストラディヴァリア・ナント・バロック・アConcert2 ンサンブル のコンサートを聴きに行った。
福岡で毎年開かれている音楽祭だが、ヨーロッパの古典音楽は端正でちょっと面白い気がしている。
今年はフランスバロックがテーマのようだ。
ストラディヴァリアの名前からストラディヴァリウスを並べるのかとも思ったが楽器の説明など一切ない、いい音色だがストラディヴァリウスかどうかはよくわからない。ネットで調べても判然としない。想像にお任せしますといった風情がフランスらしいといえばそうでもある。
いかにも宮廷音楽の響きがある、眠くなる。ジャン=フェリ・ルベルのバレエ音楽「四大元素」が演目にあり、不協和音で始まることで知られているようだがこれも心地よく聞けてしまう、こういう雰囲気だったのだフランス革命前のフランスはと思う。モーツアルトがフィガロの結婚を書くほんの10年位前の曲だ、こんな世界は長くはもたない、そんな気もする、虚飾に満ちたとまではいかないまでもどこか空々しいきらめきがある。音楽は正直だ。

なんとはなしに感動がない。

Cyoujyuu 先週、鳥獣戯画展が国立博物館で開かれているというので見に行った。
平日だが人が多い。
列が長くじりじりと進んでいく有様なのですいているところから飛ばしてみて、列が動かないところは2列目からとやや離れてみる。
国宝だが有名なウサギのところはふーんというくらいで全く感動がない。確かに漫画的に生き生きしているがこれ位なら絵師なら描いて当然くらいに思ってしまう。絵の内容そのものに大した興味がわかないということもあるのだろう。
坊主が修行しているさまを茶化したように書いているあたりは人間的で面白い。新聞に使われる政治漫画そのもののような気がする、人のやることは大して進化していない、そういう意味ではすごいというべきなのだろう。

それにしても近頃は感動するということが少なくなったように思う。先月の現代俳句の選句では1000句くらいある投句に1句も感じるものはなく選句できなかったということがあった、なんだか感じなくなってきている。


以前のように知らず
らずのうちにまた時間追われている生活なってきたからではないか、手で物を作ることをしなくなったためではないか、やはり歳のせいだろうか、いろいろ考える。暫く中断していた梅の絵を仕上げることから始めてみよう、そんなことを思っているが、どうなるか。

福岡マラソンですこしでも感動があればよいのだが。そんな風にも期待して時々走っている。

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2016年6月22日 (水)

イタリヤオペラを観る

福岡にも年2回くらいは海外からのオペラ公演があって、なるべく観るように心がけているが、少々値が張るのでいつも迷う。今回はイタリアの歌劇団によるプッチーニのラ・ボエームで、これはよかろうと出かけた。ローマ・イタリア歌劇団というスポレート歌劇場を中心に臨時編成された歌劇団で若い人が多いらしい。「ラ・ボエーム」は19世紀半ばのパリで青春を過ごすボヘミアンを描いたシンプルなプッチーニらしいストーリーで、特にイタリアでは人気の演目という、若い人が多いというのが丁度いいように思える。

例によって事前にビデオで予習する。今回はwowowで放送されたメトロポリタン・オペラ(MET)のライブビューの録画が手元にあったのでこれを見ておく。見たことのある簡単なストーリーなのLaboemで直ぐに頭に入るがMETのはカフェシーンでは2階建ての建物を舞台に造っておりエキストラのような登場人物も随分いる、大掛かりだ。これをどうやって海外巡業の舞台に現出させるのだろうかとちょっと気になった。
主役のミミ役は福岡公演ではキアラ・イゾットン(31)という近年頭角を現してきたソプラノ歌手が務め、他の都市での公演ではカルメラ・レミージョ(43)という少しは名の通ったベテランがミミを務めるところもある。無論自分にとってどちらも初めて聞く名前でしっかりした歌い手ならどちらでもいいが、演目から若さのあるミミ役に期待していた。

当日、席は結構埋まっている、仕事帰りの姿もみられる。幕が開くと出だしから歌声が良く通り迫力がある。去年見たハンガリーの歌劇団のフィガロより一回り声量が豊かなように感じる、やはりイタリアだ。
ミミ役のキアラ・イゾットンも声を低めるところでも雰囲気を保ちながらよく声が出ていてさすがと思わせる 。いい歌い手だ。ムゼッタを演じるサブリナ・コルテーゼも印象的だ、全体に若さがみなぎっていて感じいい。

気になっていた2幕のカフェのシーンでは地元のNHK福岡児童合唱団が20人くらいの集団で子役として出演して衣装も19世紀のパリらしく歌い演じている、違和感なく上手だ。

勿論、イタリア歌劇団の大人の合唱団も10数人出ていて合わせてにぎやかな雰囲気をうまく醸し出している。こういう演出もあるのか、と思ってしまう。それにしても子供たちの練習はどうしたのだろうか、連日のように移動する巡業公演だから福岡での合同の舞台稽古は1回できたかどうかということだろうが、スムーズにオペラに溶け込んでいる。調べると巡る各都市で同じようにそれぞれの地元の児童合唱団が参加して演じることになっている。ちょっと驚く。

さすがに2階建ての舞台までは作れず段をつけて階上を表現しているが、地元の子供たちの出演でにぎやかさはMETの向こうを張っているような気さえする。舞台装置もミラノスカラ座の美術監督をしていたソルマーニの制作によるものでちょっといい。全体にオペラらしい舞台が巧みにできあがっているようだ、さすが本場イタリアというべきか。

三重から始まって北陸・九州・関西・中部・北陸・関東と巡って11公演を16日でこなすという強行日程だ。よくやれる。
それぞれの各地の都市にこれを支えうるオペラ人口があるということになる、何のかんの言っても日本もいい国になった、素直にそう思う。最近はこんな風に思うことが幾つも出てくるようになった気がしている。このままこの雰囲気が未来に向かって伸びて行き続ければいいのだが。どうなるだろうか。

ともかく梅雨は本番を迎え今朝は朝から雷だ。こんな季節は室内で音楽を楽しみながらゆったりと過ごす時間がいい。

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2015年12月23日 (水)

俳句とモーターショーと

俳句をだらだらと作っている。

一応現代俳句協会のインターネット会員だ。毎月20日までに5句を投句、集まった作者名は伏せられた会員の投句千句位が送り返されてきてこれから5句を選句して再び送り返す、これが集計されてその月の結果として発表されるという繰り返しを行っている。

投句は31文字よりは少なければ受け付ける、季語は問わない、という自由なスタイルだ。

毎月1票くらいは自分の句どれかに票が入る。

例えば先月は 

旅の終わり疾走する闇の深さ 

に1票入った。

千句のうちからこれと思って選んでくれる人が一人いるだけでうれしくなる。誰かの心には確かに届いたという証拠が力を与えてくれる。

17文字ではとても足りないといつも思うが時々17文字さえ埋まらない広すぎる世界を感じることがある。少ない文字に広い世界を内包するというところに日本文化の形があるのだろう。


選句していると嫌になる時がある、その匂いが臭くてもう読みたくないと思う時がある、詠んでいる人のしたり顔を想像してしまう。でもルールだ、と続ける。多様な俳句があり多様な人がいることは受け入れなければならない、それが人の世を生きるということだと思っている。それが面白い世の中をつくっているのだと思っている、


半旬程前にモーターショーに出かけた、といっても福岡で開かれた”巡業”だ。本場所の東京モーターショーに比べると随分簡素だ、展示されている車の数が少ないし技術展示がほとんどない。その分魅力が少ないためか空いていてゆっくり見れるのがいいと言えばいい。

展示してある車には順番待ちしなくても大抵運転席にすぐ座れる。昔より少し広くなった運転席は各社確かに新しい。メーターが機械式でなくディスプレイMotorshow15b 式のも結構ある。家電に近づいているような気がする。

奇妙なのはサイドブレーキだ。サイドに位置するハンドブレーキという形を守っているのは外車くらいで、ボタン式のが目に付く。説明員に聞いてもその場所が明確にわからない車もある、サイドブレーキがである。驚いてしまう。

座席の調整は会社によって方式が違い未だに解りにくい、これくらいは何とか統一することができないものかと思う。

踏み間違い防止ということだろうかブレーキペダルとアクセルペダルを思いっきり離したクルマもあるし、操縦性重視のためかかなり近いクルマもある。

基本部分の仕様は統一する、あるいは統一したクラスを作る方向が必要なようにも感じられるが、当面はこんなばらつきは多様性として受けいるねばならないのだろう。好みの問題と安全の問題とをうまく折り合わせねばならない。


それにしても技術展示がない。自動運転は?とトヨタのところで聞くとニッサンのところに映像があるようです、と言ってくれたりする、”地方巡業”では技術展示してもしょうがないということだろうか
Motorshow15、あきれるばかりだ。

外国車は目を引く女性コンパニオンを各社起用していて華やかさがある、いかにもモーターショーという雰囲気がある。

ランボルギーニの派手なクルマがあってお値段は?と聞くと色々入れてざっと6000万円という答えが返ってきてMotorshow15a 耳を疑う。九州でも結構売れているというからさらに驚きだ。

確かに福岡の街中はヨーロッパの外車が目に付く。福岡人は見栄っ張りが多いのだろう。

それにしても展示された外車はすべて右ハンドルだった、当たり前に売り込んできている。国産車よりも外国メーカー各社に力が入っている印象が強い。

国産車は海外市場を考えてじりじりサイズを大きくしていっているようで、本当の国内向けは軽自動車位しか残らないのかもしれないとも思わせる。


国産車の国内市場を見る目のトーンダウン、海外各社の日本への売り込みの強まり、モーターショーはグローバル化していく経済を目の当たりに見るようで面白い。

俳句も外国人で作る人が結構いるようになって、国内・外国の敷居が低くなってきているのを感じる。俳句に流れる小さくまとめる中に広がりを持たせるという日本文化のコアの部分が自動車にも流れていて世界の多様な人がいつかは小ぶりの日本国内向けのようなクルマに価値を見出すようになるのかもしれない。


この先どうなっていくのだろうか、そんなことを考えさせてくれるだけでモーターショーも
俳句も面白い。

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2015年9月 7日 (月)

WBGTの近似式

やっと涼しくなった。
今年の夏は8月の平均気温は西日本では低くその他の地方は平年並みとの気象庁のKion201508 発表があった、何だか感覚が違う。
福岡の8月の気温を平年値と較べてみると上旬の最高気温が高いのが目立つが中下旬は殆どが平年以下で晴れた日でも平年程度だ。たしかに発表の通りだ。

下旬でも暑かった印象が残っているのは、”暑さ指数(WBGT)"に基づく熱中症警戒メールが市のサービスで毎日のように携帯に送られてきたことが関係しているかもしれないと思っている。
その日の熱中症危険を示す暑さ指数は12時から(
WBGTで)28度 厳重警戒、15時から31度 危険といった形で示されたりする。これが毎日のように来ると、注意しなくては今年はとりわけ暑い夏だ と暗示がかけられた気がする。

WBGTとはWet-bulb Globe Temperature(湿球黒球温度)のことだ。要するに熱中症などの暑さの人体に及ぼす影響を気温、湿度、太陽輻射の3要素から指数化して、猛暑に対処しようということのようだ。温度・湿度は乾球温度、湿球温度から、輻射は黒球温度から求まるとして、指数化にあたっては直接それぞれの温度にファクターを掛けて合計している。
具体的には
屋外の場合            0.7×湿球温度+0.2×黒球温度+0.1×乾球温度
屋内及び日照していない場合 0.7×湿球温度+0.3×黒球温度
となるとしている。式の導出がどのようにして行われたかは調べても辿り着けないがアメリカ軍辺りが発生源のようではある。
黒球温度はあまり測られたデータが公表されていないのでWBGTの値を直接計算しにくいが、気温と湿度から近似的に求める表が日本生気象学会から示されていてこれは参考になる(http://www.med.shimane-u.ac.jp/assoc-jpnbiomet/pdf/shishinVer3.pdf)。室内を仮定し黒球温度=乾
球温度として求めたもので屋外適用では高温でやや低めの値を示すが室内では十分使えるという。 無いよりはましとこの表を更に数式で近似して手元の気象予測計算エクセルに入れてみる。

ここでの近似式は
 WBGT=(situdo-20)*((kion-40)^2*(-0.00025)+0.185)+11/15*(kion-25)+17.8
とすると先の表と較べて所々で切り上げ切り下げの関係で1の位が1大き目に出ることはあるが小数点以下は使わないようにすれば概ねいい近似のように見える。2次元の表の近似は探りながらやるしかないがうまく出来ると気持ちがいい。

もう涼しくなってこんなことをはじめるのは遅すぎるが、昨日なども雨模様なのに15時から厳重警戒などとのメールが市から送られてきて、まさかと思うが心の支えが欲しくなる、何か自分で計算できないかと調べた結果がこれだ。今からでも少しは役に立つだろう。

暑さも心の問題が大きいように思っている、地球温暖化には暑い暑いとばかり言わないで過剰とも思える警報には涼しい顔をして、こんなもんですよ、と言ってみる、まず心から慣らしていくことが肝要かもしれない。
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2015年6月29日 (月)

週末が忙しい

仕事を全て離れて自由な生活に入って感じることの一つに土日が忙しいということがある。「世の中」と漠然と表現してしまうのもアバウトだが、とにかく世の中は金曜夕刻から土日に行事を提供したがる、土日に遊ぶのが便利なように出来ていると感じる。平日に働く者中心の設定になるのはしかたがないといえばそうだが働かなくなってもこれ程週末に引きずられるとは思いの外だ。

 

コンサートや公共のイベントは大抵が金曜夕刻から土日だ、所属している趣味や遊びのグループの活動予定もヨットにしろ野鳥にしろ土日に設定されるし、少しまじめな気象に関わる会合も土日で、その他同窓会なども土日設定だ。旅行するにも高速道路は土日が割引があって安い、平日であれば少しは宿代が安くなるが道路代の割引はこれと同じかむしろ多いくらいで、結局平日の旅行は宿が取りやすい位が取り得ということになる。勢い土日は予定が重なりやすく悩ましいし忙しい思いをして、平日はのんびりするということになる、何だかアンバランスだ。
土日が稼ぎ時の 販売や遊戯施設で働く人はこんな思いをずっとしてきたのかとも思う。どこかいびつだ。昔初めて欧州に行った時に日曜は安息日だからデパートや多くの店は休みだといわれて唖然としたことがあったが、そういう感覚もおかしくもないと今は思えるようになった。同じ様に気付かずに人に無理を強いていることが沢山あるのかもしれない。

 

数日前の金曜の晩、アクロス福岡にオペラ見物に出かけた。DVDやWOWOWのメトロポリタン・ライブビューイングで色々見てはいるが、普通のオペラを舞台で見るのは初めてだ。昨Figaro 秋、コンサート形式のオペラ”ポッペアの戴冠”を観たが衣装は普段着でオペラ用の大道具は使われておらず、通常思うオペラとかなり趣が違っていた。
今回は”フィガロの結婚”でハンガリー国立歌劇場の来日公演だ。
遠い席で顔の表情は双眼鏡に頼らざらるを得ないが声はしっかり聞こえる、よくできたホールだ。有名な演目なのでDVDでも2回くらい観た覚えがあるが、目の前に生の芝居が展開されるとこんな動きをするんだと新鮮に思えるところが幾つもある、何よりオペラ歌手が舞台役者といっていいほどに表情や身振り豊かに芝居をする、その上どんな姿勢でもしっかりと歌声は響かせるのは一種の驚きだ。
伯爵夫人役のソプラノのアンドレア・ロストが看板となっているが他の面々も十分に達者で面白い。スザンナ役のシャーファールや伯爵役のハヤなどのうまさが心に残る。
しかし長い。3時間に及ぶ上演は集中が切れてくる、疲れてくる。3時間はオペラとしては普通なのだが観ると現実には体に来る。ポンテ作のこの芝居はストーリーの遊び多くてクライマックスがぼけてしまうようなところがあるのも疲れさせる一因だろうか。
フィガロの結婚の上演がフランス革命の引き金の一つとなったといわれるが、改めて生でみてみると本当だろうかと思ってしまう。貴族のこきおろしかたなど、当時の大衆の心に響くところが幾つも埋め込まれているのだろうがこの現代では響きが鈍くなってしまうようだ。メトロポリタンオペラでは時折時代設定を近代や現代に置き換えたオペラの上演が行われるが、そういう試みもしたくなるオペラの一つかもしれない。

 

時々生のオペラに触れるのは確かに刺激的だ。それにしても今回この出し物は東北関東を廻った後6月24日からは広島を皮切りに5日間毎日都市を変えて鹿児島から大阪までの西日本を廻っている、勿論大道具など一切合財が連日動き回ることになる、そんなことができるのはインフラのしっかりした日本だからなのだろう。いいビジネスかもしれないがここでも誰かに人知れず無理を強いているような気がしてどこかいびつな世の中なのかなとも思う。でもそんなものなのだろう、仕事を離れてのんびりに浸っているいる自分が緩くなってしまっているのだろう。

 

ともかく忙しい週末を受け入れてこれを楽しみながら過ごすことにももう大分なれてきたようだ。

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2015年2月 5日 (木)

気候の転変と野鳥と

このところ野鳥を見に出かけることが増えている。3日前は今津干潟の葦の茂みにツリスガラを見に行った。まだ見たことのない鳥だ。
今津では冬に見られる鳥の一つだが日本では九州を中心に出現する鳥で関東ではTurisugara 見れない。
正月の日本野鳥の会の今津観察会では出現せず参加しなかった2月はじめの観察会ではよく見られたとの情報があって、改めて今津に出かけてみた。
池の周りの茂みを丁寧に見ていったが見つからず少々落胆してしょうがないから帰ろうとクルマで走り始めた時に左手の葦の茂みにオオジュリンらしい鳥が見える。オオジュリンとツリスガラは同時に出現することが多いとあるのでこれは、との思いでクルマを停めて暫く見る。よく見ても見えていた鳥は矢張りオオジュリンだったがその内小ぶりで目の周りに黒い帯がある鳥が見えてくる、ツリスガラだ。葦原の少し奥で飛びかっているので写真に撮るのは難しい。人の気配を感じたのか一斉に飛び立つがまた舞い戻る、10羽くらいの集団のようだ。
吊巣を作るカラ類の鳥という意味でツリスガラと名づけられたと聞く。
ユーラシア大陸に広く分布しており日本では冬に渡ってくる鳥とされるが分布が九州中心に偏っており対馬経由のルートで渡って来ると思われる。
2013年2月に鹿児島の出水で足環をつけられた個体が翌年の5月にロシア・ウラジオストック直ぐ南のザルビノ港近くの繁殖地の巣で発見されており、沿海州辺りで繁殖するツリスガラが九州に渡ってきていることが明らかにされている(山階研究所の調査結果による)。
距離的には国内移動クラスの渡りだがよくまあこの小さい鳥がとの感慨がある。以前は迷鳥として珍しがられたが数が増えてきて今では普通の冬鳥に近い扱いになっているらしい。

 

今年はやたらとシロハラの姿を見る。シロハラもロシア沿海州あたりの繁殖地から渡って来Sirohara150115 るといわれる。今冬は北の地域の冬の嵐がとりわけ目立つような気がしていてこの傾向はこのところ強まっているように思えている。南の大気の温暖化は進むが北の寒気はむしろ強まっているようでさえあり境目では激しい気象となる。次第に激しさを増してくる冬の嵐が渡り鳥の動きにも変化をもたらし、九州のような大陸からの渡りの入り口の地には多様な渡り鳥が数多く現れることになっているのかもしれない。鳥インフルの増加も避けがたいのだろう。

いいこともあるし良くないこともある、変化とはそのようなものだ。

 

考えてみれば世の中が変化する様を眺めているのが面白くて生きている、そんな風に思っているが、そんな身にはこんなに転変していく日々に浸ることそのものが一種の生きがいのようにも思えている。

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2013年10月 9日 (水)

中途半端でない生き方は幻想に過ぎない

目を片目ずつ2週に渡って手術して感染防止のため水泳やヨットを禁じられたこともあって、やや運動不足だ。気晴らしに例によってやりたい事を一つずつつぶしている。今回は焼物つくりだ。
茶の湯に興味があって時々自分流にお茶をたてているが茶碗がどうにも面白くない。新たに買えばいいのだが、品物を見たりネットで見たりするとこれはというものは恐ろしく高い。こんな時は自分で作るのが一番と、上野(あがの)焼の窯元で作らせてくれるところを見つけて出かけた。
陶芸教室自体は自宅から歩いてすぐのところにもあるが費用もそれなりにかかるし毎週のように作り始めると家中焼物だらけになりそうな気がしてまずはとにかく一つでも作ってみようと気楽にしかし本格的に体験できるところとした。
八木山峠を越えて飯塚から北上し直方の近くにある福智町上野というところに向かう。上野焼は江戸時代中期の茶人小堀遠州が選んだ遠州七窯の一つで茶器では全国的に名が知Agano2 られている。
到着は予約の時刻にはやや早かったが丁度先客が終わったところでもあり直ぐに始めることができた。上野焼中村真瑞窯という。ろくろを回すのは全くの初めてだがマンツーマンで手取り足取りの風情で教えてくれる、費用の割には随分親切だ。
水を切らさないこと、手の位置を変えないこと、厚みを一定にしながら薄くして行くこと、あたりがコツといえばそのようだが何度もやって見る他ない。茶器用の茶碗はやや大きくてなかなか思うようにはいかない。何とか5つばかり作ってみて一つだけ選んで焼いてもらうこAgano とにした。釉薬がけはやってもらう事になる。窯出しは11月上旬で先のことだが楽みだ。上手くできそうならまた作ってみるかとの気もしている。焼物つくりは自分の中でどう展開していくだろうかとそれが面白くもある。
暫くはまっていた日光彫はもう一年以上やっていない、福岡で材料を求めて続けていくのは容易くないし彫っても塗りは栃木まで送るわけにもいかずここでなんとかしなくてはならない、やりたいことが他にも色々あってなかなか手が回らない。続けていくことは簡単ではないと思い知らされている。
全てが中途半端に終わるかもしれない、しかし土台中途半端でない生き方なんてそうそうあるものではない、そんな生き方は幻想に過ぎない、そう言い聞かせながらあれこれ手をだしている。
2日ほど前ウイーンフィルのコンサートマスター、シュトイデルのバイオリンコンサートを聴きに出かけた。上手すぎる。上手すぎて何処か伝わらないものがあるようにさえも思う。上手くなくても自分にだけでも伝わるものができればそれでいい、そう思って絵も描いているし俳句も作っているし写真も撮っているし日光彫もそうだった。
時が足りない、仕事を離れて十分な時間を持っているはずだが、いまだにそう思っている。ずっとそう思い続けていくのだろうか。もう秋も深まりを見せてきた。

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