2017年12月 7日 (木)

いい年の瀬だ

年末といえば第九のコンサートを聞きたいものだと思っていたら今年は気が付いた時には九響の切符はもう売り切れになっていた。どうやら9月頃から狙わないと駄目なようだ。第九は取れなかったが12月の九州交響楽団の定期演奏会は予約ができてとにかく聞くことにしてもう一つと11月30日にあるランチタイムコンサートをアクロスに聞きに行った。

Wakabayasisuzuki

若林顕 & 鈴木理恵子 デュオコンサートなのだが、クラシックの演奏家は不勉強でよく知らない名前ではあった、切符をとる前に少し調べるとかなりうまい人のようで知る人ぞ知るというポジションの様だ、夫婦のデュオだという。
1時間半の演奏会で1000円は安い。昼からだし気楽に聴けるところもいい。
始まると休憩は無くて2-3曲位ごとに舞台を下がってまた現れる。出ずっぱりでは吹っ切れないのだろう。しかしピアノもバイオリンも確かにうまい、情感があってリズミックなところがある。曲目は
クライスラー 愛の悲しみ
加古隆 アダイ・アダイ
ここからピアノソロ3曲
 リスト 愛の夢
 ショパン 幻想即興曲嬰ハ短調
 リスト ハンガリー狂詩曲第2番
武満徹 悲歌
フランク ヴァイオリンソナタ イ短調
アンコール4曲(最後はモンティのチャルダッシュ)  と、かなりだ。
特にピアノはソロピアノを挟んで引きっぱなしだ。リスト、ショパン、リストと続けて弾いていくには頭の切り替えが大変だろうとみていても思う。エネルギッシュさがある。
デュオ演奏はこれでもか、これでもかと迫ってくる風さえあって特にアンコールは4曲もありその押し出しに次第に聴衆が圧倒されてくる。まるで「拍手が小さいっ」と言われているように次々にアンコール曲が繰り出されてくる。
これだけ立てつづけに聞けば満足したとしか言いようがない。

忘年会だ餅つきだと催しが立て込んでくるといや増しに年末らしくなる。今年も無事に終わるかな、呑気にそんなことを考えて年が暮れていく。いい年の瀬だ。

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2017年11月20日 (月)

ランメルモールのルチア

オペラをこの秋もアクロス福岡に観に行った。何だかだんだんせわしない感じがしてきて家でもゆっくりオペラのDVDを見るのに時間を当てなくなったような気がする。オペラを生で観るということにも福岡に引っ越した直ぐの頃の新鮮な響きは無くなってきた。贅沢になったのかもしれない。謙虚な気持ちが少なくなったのかもしれない。
今年のオペラはハンガリー国立歌劇場によるドニゼッティの「ランメルモールのルチ

Lammermoor

ア」だ、アンドレア・ロストというハンガリーのソプラノの歌い手が華のようだ。ベルカントオペラといわれる。ベルカント唱法のオペラで気が狂ってしまった主役のルチアが歌う、「狂乱の場」のアリアが有名だ。
舞台は17世紀のスコットランド、対立する家の妹ルチアと敵方の騎士エドガルドが恋に落ちるがルチアの兄はいやがる妹に裕福な貴族との結婚を迫り、結婚式の日ルチアは結婚相手の貴族を刺殺して気が狂って死んでしまう。エドガルドはこれを聞いて自殺してしまう、というのが大体の筋で、あまり楽しい話ではない。
登場する歌い手それぞれに歌は勿論うまいが見ていて気になるのが体型だ。皆かなり太目で兎に角体格が立派過ぎる。ルチアも結婚相手の貴族も樽の様だ。中東欧は20才を過ぎるとやたらに太ってくるという話は昔から聞くが本当にそうだ。
そんなこともあってこの悲劇にはどうしても気持ちがのってこない。オペラは演劇の視覚的要素も強いのでそういうことになるのかと思ってしまう。個人的には何だか申し訳ないとさえ思う。

オペラもいくつか観てくると無邪気に楽しめなくなる、何かを失って何かを得ているようでもある。こんなことを繰り返しながら生きていくのかな、そんな風にも思い返しながらふけいく夜の街を家へとクルマを走らせる
もう冬がそこまで来ているようだ。

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ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」

2017年11月15日 アクロス福岡
指揮 バラージュ・コチャール
演出 マーテー・サボー
ハンガリー国立歌劇場管弦楽団・合唱団

ルチア   :アンドレア・ロスト
エドガルド :イシュトヴァーン・ホルヴァート
エンリーコ :ミハーイ・カールマーンディ
アルトゥーロ:ティボル・サッパノシュ
ライモンド:クリスティアーン・チェル
アリーサ:エーヴァ・ヴァールヘイ
ノルマンノ:ゲルゲイ・ウーイヴァーリ

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2017年10月27日 (金)

古楽が

福岡では何故か秋になると毎年福岡古楽音楽祭というのが開かれている。古楽というのはバロック時代及びそれ以前の音楽を当時と同等の楽器と奏法で演奏する、と

Kogaku

いうことのようだ。音律も平均律をベースとした奏法でない、自然の倍音に従ったゆるい肉声になじむ演奏と思っているが平均律かそうでないかは聴いてもすぐには解らない。

18日にはバッハの無伴奏バイオリン・パルティータから第3と第2が演奏された、第2の最後はシャコンヌだ。演奏しているのはシギスヴァルド・クイケンで、たまたま2000年頃当人が録音した同じ曲のCDを持っていてコンサートン前に聞いて予習をしていたが17年後の本人の演奏はさすがに老いが感じられCDの時のようには輝いていない、しかしこれはこれで心に入ってくる演奏だ。古楽らしいともいえる。
3日後に今度はクイケンが主宰するプティトバンドの演奏でハイドンのオペラブッフェ「歌姫」(ラ・カンテリーナ)を聴いた。宮廷音楽だ。そもそもハイドンのオペラはすべからく宮廷の中にしつらえた舞台で演じられていたというから簡単な舞台装置と当時の衣装で演じるオペラは当時もこのような風に演じられたのだろうと思わせるところがある。話は金のない歌姫親子がパトロンとなっている男たちからまんまと金品をまきあげる筋立てとなっていて喜歌劇だ、しかし笑いどころが今ひとつ解らない、笑いからしてフランス革命前の貴族の邸宅に向けた笑いなのだろう、現代の庶民の笑いとはどうにも違うようだ。
古楽はそこのところからの理解をも求めているのかもしれない。少々難しい。

ロビーでは古楽に用いられる楽器が販売用として広げられているが、お客は勿論古楽の演奏家達で一般の人は相手にしていない風情だ。何だか古楽愛好演奏家の世界的サークルの内輪のコンサートのようにも見えてくる。音楽そのものに感動するというより古楽という文化を嗜好する人たちが支えているようだ。ベルギー政府からの支援が絶たれて寄付を募っていたが、そんな位置づけなのだろう。
福岡という街は音楽そのものよりそんな筋書きのある音楽を好んでしまう街なのかもしれない、そんなことも思った。中身よりかぶっている衣が好きなのかもしれない。
そんなことも感じてしまった。
コンサート一つからでも色々学ぶことが多い、そこが面白い。

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2017年8月25日 (金)

暑い夏はオペラと星で

暑いのであまり出かける気にもならない。海にさえ行く気がしない。

こんな時はブルーレイに録画して貯めておいたオペラを見るにはちょうどいい気がする。オペラは長いのが多くて放映時その時に合わせて根を詰めて見るのはかなりきつい。
2日ほど前は今年のバイロイト音楽祭の幕開けの出し物、ニュルンベルクのマイスタージンガー がNHKBSでほぼ5時間にわたって深夜に放映されていたものを録画で見ていた。ワーグナーだ。ワーグナーはジークフリートの出てくる神話ものがどうにも肌に合わなくて敬遠気味だった。このニュルンベルクのマイスタージンガー も神話ものかという思い込みがあって1-2年前METの公演がWOWOWで放送されていたのも見ずじまいになっていた。とにかく長い。
あらためて見てみると話は神話でなく中世のニュルンベルグが舞台となっている。今度の祭りでマイスターの歌比べをやる、優勝者には金物細工のマイスターが全財産を与え一人娘と結婚させると言い出して、話が回り始める。結局この娘と恋仲になった騎士が祭りで素晴らしい歌を披露してマイスターとして認められて優勝、ハッピーエンドになる、というのが物語の超あらあらだが、5時間もの舞台だ、色々枝葉が付く。ともかくワーグナーにしては随分柔らかなオペラだ。そうはいっても、これまでの世俗的権威(マイスター)の持つ堅苦しいしきたりの無意味さ、それにしがみつこうとする人の愚かさに対する批判が全編を通じて流れている。さすがワーグナーだ。初演は1868年だから明治元年ということになる、世界が激しく動いていたころだ。その時代

Img_4925

の沸き立つような雰囲気が背景にあるようにも思える。
 演出も趣向が凝らしてあって、舞台奥にニュルンベルク裁判の連合国の国旗が掲げられていたりして、ニュルンベルクという街の歴史的位置づけに思いが至るような雰囲気を与えている。連合国の権威が米英の政治の混乱で揺らいでいる今日世界を暗に揶揄っているようにも見える。
なかなかのオペラだった。

オペラを見るにせよ暑い昼間は大人しくしている他ないということもあって、最近、夜、星空の写真を撮っている。

手持ちの一眼レフ ペンタックスK-5に適合する簡易赤道儀機能の機器が大分前から売られていたのをふとしたことで知り早速入手して試している、O-GPS1という。カメラにもともとついている手ぶれ防止機能を星追随用に利用する。カメラの向き・位置

Yozora

はGPSナビゲーションの機能を持つO-GPS1が正確に把握してユーザーはカメラを3脚に固定して望む方向に向けてシャッターを切りさえすれば2-3分なら光学系が星の動きに追随して静止したように見える星の写真が撮れるというしかけだ。なかなか優れている。
自宅は福岡市の中心部・天神から直線で約4㎞のところにあり星などとても見えない気がしていたが、晴れた夜にO-GPS1を付けて2分くらい露光してみると、随分な星が写る。薄っすらと天の川も姿を現す。これは面白い。夏の大三角(デネブ、ベガ、アルタイル)をきっちり写すこともできて夏らしい(添付)。
300mmの望遠を使えば星雲が撮れたという例もネットで散見される。今度はアンドロメダ星雲にでも挑戦したいが何しろファインダーを覗いても見える星は限られている。これは狙いをつけるのが難しそうだ。

大げさな高価な機器を組み合わせなくとも手軽に天文写真が撮れるところは画期的だ、時代は進んでいる。

暑い夏も、どこへ出かけるというわけでなくともオペラを楽しんだり自宅庭から星を写したり それなりに楽しみ方があって、このくらいで済めば温暖化する地球も悪くもないか、そんなことを思っている。

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2017年7月 6日 (木)

アクロスランチタイムコンサートが良くて

アクロス福岡で平日の昼時の短めのコンサートとしてランチタイムコンサートという名の演奏会が時々ある、切符代も低く抑えられていて気楽に行けるので 時々聴いている。こん

Masudaguitar

な時間帯だから女性やリタイヤ組が圧倒的に多い。昨日も台風3号の嵐の中出かけた。今回の出し物はギターと弦楽のアンサンブルでギターは益田正洋、アンサンブルはアクロス弦楽四重奏団で技量は十分すぎるメンツだ。

益田正洋というギタリストはよく知らなかったが、いかにもクラッシックというきっちりした演奏がいい。うまい。曲は ヴィヴァルディのギター協奏曲、モンティのチャルダーシュ、パガニーニのセレナータ、ハイドンの四重奏曲、テデスコのギター五重奏曲 それにアンコール1曲(何だっかメモ忘れ)。ギターと弦楽のアンサンブルというのは初めて聞いたが、それぞれの楽器の特徴がよく出ていて面白い。ビオラの自在な音の変化をギターの正確な弦の響きが支える、ギターが表に出れば心地よい緩やかさでアンサンブルがギターを支える、これはいい。現代作家であるテデスコの五重奏曲はなじみにくいせいか今一つ聞いていて乗り切れないところがあるが他の曲目は素直に楽しめる。

いいコンサートだった。少し調べると、このコンサートはアクロス福岡と交流のある所沢ミューズでアクロスの協力により今年の4月に今回と全く同じメンバー同じ曲目でワンコインコンサートとして開かれていた。アクロスの社会活動の一つかもしれない。素晴らしい活動だ。

天気が荒れようがこんなコンサートを聴いていると、なかなかいい日々だと思う。いつまでこんな楽な日々が過ごせるだろうか、やっぱりそんなことも思ってしまう。

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2017年6月22日 (木)

何かが凝縮した街東京

東京で同期会が2つあって、おまけに気象予報士総会のシンポジウムも聞いたりして久しぶりに2泊3日を東京で過ごした。折角だからとモノレール羽田線沿いのコアジサシを途中下車でみたり、皇居東御苑のアヤメを見たり、旧古河庭園のバラを見たり東京をあちこち動き回ってもみた。

何とか時間を作って東京駅近くで開かれるダビンチ・ミケランジェロ展もみようと計画したが結局疲れて力尽きて辿り着けず旧古河邸での歌曲のミニコンサートを心安らかに聴いていた。歌の翼がバラ園の中空に拡がっているようでゆるく流れる時のうねりが心地よかった。
東京はストレートな生き方がし易いかもしれない、そんなことを思っていた。


旧古河庭園にバラの時期かと見に行ったのは、東京には旧華族や財閥の邸宅がいくつか残されていてそれが東京ならではの見どころのように思っていることがあった。
旧古河財閥の迎賓館であった旧古河庭園は北区にあり京浜東北線の田端の次の駅上中里で降りて10分足らずで到着する。泊まっていたホテルは人形町駅の近くだから日比谷線で上野まで出てJRに乗り換えればいいという塩梅で複雑な地下鉄乗換もなくて気軽にアプローチできる。

日曜だからなるべく早めでないとと人出が気になって9時の開館直後に入る。洋館の見学は10時半からだが当日申し込みは少し早めに行って並ぶ必要があるらしいというのもあった。
Furukawagarden
バラは殆どの木にはまだたくさん蕾をつけていて1番花は過ぎているものの2番花が十分に楽しめる時期だった。2番花などという言い方はここのホームページで初めて知ったが言って見るといかにも詳しそうな雰囲気になって面白い。丁寧に手入れされていて、見ている間もずっと手入れの人が手を動かし続けている。話しかけたくなって、バラのムシ対策は?と聞いてみる、基本的に1週間に1回の薬剤散布でムシは防げているという。ふーんそんなもんでいいんだという感じだ、話すことが面白い。

洋式庭園の作庭は邸宅の設計者ジョサイア・コンドルによるものという。いかにもヨーロッパの庭園だ。
連日の飲み会で疲れていたのもあって日本庭園につながるところの木陰のベンチで鳥の声を聴きながらスケ
Baraen_2ッチを始めた。描くべきものがたくさんある景観だから十分に時間が使えて気兼ねなく休憩できる。
鳥の声は大抵がヒ
ヨドリで時々コゲラの声がするそれくらいだ、しかし何故か品がいいヒヨドリでいやみがない。ゆったりした時の流れに身を任せる。
いくら何でも洋館見学時間が迫ってきたので切り上げて急ぎ日本庭園を見て回る。茶室が点在しこのままのんびりしようとすれば幾らでも居られる雰囲気の庭だ。いいところだ。

Furukawagarden2 洋館に辿り着くと当日見学の列ができ始めているが十分定員内だ、ほどなく見学が始まる。写真撮影は禁止という。写真を撮ることにしか興味のない人はご遠慮願いたいという管理者側の気持ちが伝わってくる気がする。

建物は進駐軍に接収された後暫くは放置されてお化け屋敷状態にあったというが今は綺麗に維持されている。こういう風に整備され始めたのが戦後の終わりを示しているともいえるだろう。

2階の洋式ホールのドアの裏側に襖があって和室が作られていたりする、和室の床の間や違い棚も含めて全てジョサイア・コンドルの設計という所がまた面白い。明治期の招聘外国技術者で鹿鳴館等を設計した人だ。東大で辰野金吾他多くの建築家を育て、個人的にも日本画や日本舞踊まで習い日本舞踊で知り合った日本人の妻をめとって67歳で日本で没している。ロンドン生まれの英国人だ。デレーケ等も含めて明治初期の日本には人生を日本に捧げた優れた外国人が来てくれているのには感謝を覚えるばかりだ。
一回りした後、1階ホールで3人の女性声楽家によるミニコンサートがあるというのでもう東京で回るところは終わりにしようとコーヒーとケーキを味わいながらその歌声を楽しむ。菩提樹にからんで訳詞の近藤朔風を少し調べたところだったので同じ訳詞家の手になる野ばらの歌唱になにか因縁を感じる、歌の翼がバラ園の空に響くさまは何とも言えない安らぎがある。
東京という街もさすがに素晴らしい、そう思えてくる。何かが凝縮している。

上中里駅から浜松町経由で雨が降り始めた羽田に出て午後の便で福岡へ戻る。博多駅前でバスを待っていても人の多さの圧力を感じない、やはり東京の人の厚みは疲れるかな、歳をとるとすかすかしている福岡位の街が丁度いいかな、そんな風にあれこれ思いながら家路についた。この街らしい乾いた風が吹き抜けていた。

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2017年6月15日 (木)

菩提樹、言葉と事物

いつものようにテレビをぼんやり見ていたら菩提樹の花が満開ですとにこやかに笑うアナウンサーの姿が出てくる。フーンと思いながらも見にいくのもいいかもしれないと思う。理屈をつけて出かけるようにしないと特に梅雨場は動きが鈍くなる、精神に良く無い。
恵光院という寺だという、調べて見ると筥崎宮のすぐ側だ、一応駐車場はある事になっている、特に問題もないようなので直ぐに出かけることにする。例によってナビはそうかなあという街中突破の道順を指し示す、面倒なのでナビにとりあえずは従ってみる。走り出すと案の定渋滞ありリルートしますが次々に出てその度にリルートに従うと細い道をうねうね走らされる。後悔しながら筥崎宮までたどり着くと恵光院の駐車場が分からずぐるぐるまわることになって、諦めて筥崎宮の門前のコインパークに入れる。参道を歩いて行くと確かに恵光院の駐車場はあるが筥崎宮の参道から曲がりこむところが進入禁止になっていて普通に考えると駐車出来ない。しかし既に1台駐車している、どこから、と思っていると次の一台が現れた、参道の歩道部分を少し走って進入禁止の立て札の裏側から曲がり込んでいる。知っている人はこうするらしい。

Bodaijyu 門をくぐってやや進むと目当ての菩提樹が現れる。なんとも言えない香りを漂わせて小さな黄色い花が鈴なりに垂れている。本堂には涅槃図のご開帳もある。仏門の信者ではないが形ばかりのお参りをして、花の写真をあれこれ撮る。置いてあったベンチに腰掛けてのんびり眺めたりもする。確かに心が和らぐ木だ。
釈迦が悟りをひらいたのも菩提樹の下とされる。一方で菩提樹といえばリンデンバウムだ、シューベルトの冬の旅の中の有名な歌曲でもある。
眺めているとシューベルトと釈迦は本当に菩提樹でつなBodaijyu1 がっているのだろうかと思えてくる、何だかピッとこない、歌詞を思い起こすと同じ木だとは思えない。
戻ってネットであれこれ調べると、フーンという話が色々出てくる。
まずは釈迦が修行した菩提樹はインドボダイジュと現在呼ばれている木で、クワ科イチジク属の木であり、恵光院の菩提樹は和名ボダイジュでシナノキ科シナノキ属で全く違う木とわかる。シューベルトのリンデンバウムのほうもまた違うセイヨウシナノキと呼ばれる木だがこちらはシナノキ科シナノキ属でボダイジュとは近しい関係にはある。

なんでインドボダイジュでないボダイジュがお寺にあるのかというと、もとは約800年前に中国から伝わったものであのお茶を伝えた栄西が中国に渡った際にこれも持ち帰ったという。正確には頼んで日本に送ってもらったという事らしい。送り先は博多で香椎宮のそばにまずは植えられたという。その後日本に戻った栄西の手によって株分けされたボダイジュが全国の寺院に配られて日本に根を下ろしたという事らしい。東大寺の菩提樹にはその経緯が残されており栄西が伝えた木の子孫であることが明記されているようだ。香椎宮の元の木は戦国時代に焼失しその場所には今は東大寺から株分けした木が植えられているという。恵光院の菩提樹は樹齢200年とされるばかりで由来の説明がないがたどれば栄西の木にたどりつくのだろう。
栄西の伝えた菩提樹が日本国内で大事にされてきたのはその木の出す雰囲気があったからだろうが、そもそも何で中国でインドボダイジュが菩提樹とされずシナノキの仲間が菩提樹とよばれるようになったか。これについてはインドボダイジュが熱帯性の木で温帯には適合できないため近しい木として今のボダイジュが選ばれたとの説明があるようだ。しかし本当にそうなのかどうか、解らない。現在通販でもインドボダイジュは売られており日本国内で育てている人も多数いるようではある。おおらかなところが大乗仏教らしいといえばそうだ。
シューベルトの菩提樹の歌だが歌詞はドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーのドイツ語で勿論菩提樹の言葉は訳者が選んだ言葉だ。訳詞は明治の終わりから大正の初めに活躍した近藤朔風の手によるもので、同じシューベルトの野ばらもこの人が訳出したものだった。「菩提樹」は重ぐるしい歌曲冬の旅の中でほっとする気持ちを与える名曲だ、菩提樹という和名は名前はまさにそのような効果を曲とともにもたらしているように感じる。原文のリンデンバウムは植物学的には、セイヨウシナノキというべきなのだろうがそれでは歌にならない、近い種類のボダイジュを当てたのは正しいと思える。
調べると色々な思いが菩提樹ボダイジュという言葉からにじみ出てくる。
言葉と事物の繋がりの保証が容易く崩れ、崩れたとしてもまた新たな時空を生み出していく深みのある関係に思いが至る。
こういうう風にして世界は成り立っているのだ、また思ってしまった。

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2017年5月10日 (水)

博多どんたくに出る

5月の連休の催しで人が集まる筆頭は博多どんたくとされて久しい。今年も主催者発表で200万人を超える人出があったことになるがいつもほんとうかい、と思ってしまう。各所のステージの観客、ドンタクパレード観客・出場者の総計ではそういうことになるらしい。延べだからパレードの分は1日当たりの倍だしステージは前夜祭も入れれば2.5倍くらいになるのだろう。それにしても多いカウントだ。
見て回るといってもステージではどこで何をやるか直前までわからない、適当に見るしかない。パレードも立ち尽くして見続けるのは少々つらくなる。どう楽しむのがいいのだろうか、毎年何かずれを感じていた。

そもそもどんたくの始まりは平安末期の平家の時代とされているようだが現存する記録として残っているのは小早川秀秋が名島城城主となった1695年、博多の町人が松Kobayakawa 囃子を仕立て年賀挨拶として行ったことがもっとも古いものとされている。小早川秀秋といえば秀吉の親戚でありながらこの5年後関が原で家康側に寝返って勝敗の行方を決めたその人ということになる、どこか軽さがあったのだろう、町人も気楽に挨拶に行けたのだろう。歴史はこんなところが面白い。

江戸時代になって黒田の殿様に年賀挨拶する行事として定着し、松囃子の後ろに趣向を凝らした出し物が続いた、これが現在のどんたくパレードの原型とされる。博多側から福岡側にパレードが繰り出すというのはその時の形が残ったのだろう。今も残るお祝いの掛け声「いをーたー」というのが古いどんたくの雰囲気を一番よく伝えているような気がする、要するに無礼講のお祝い行列が主体ということだろう。

確かに面白い歴史があるが、パレードに参加するというのが元来の楽しみ方というものだろう。そう思って、今年は公募の博多町屋ふるさと館隊に応募してパレード参加した。
Zontag
パレード参加すると見物人としてパレードを眺めるわけにはいかない、楽しみ方が随分変わる。とにかく「ぼんちかわいや」ともう一曲、振りを直前に教わってパレードを踊りながら進む。すぐに慣れてそれらしく形ができて、群衆の視線を浴びるのが心地よい。
曲の切れ目で「いをーたー」の掛け声を掛けたりするとつい愉快になる。
呉服町から天神の市役所前まで1kmほどのパレードだが、ゆっくりと景観が流れていき十分に楽しめる。
確かに参加するとこんな祭りが盛大に数百年もの間毎年続くのもなんとなく解る。

前日の突然の雷雨はこの日は免れた。予期せぬことが起こる非日常の祭りというところが本物の祭りらしくていい。

解散後、まだ祭りのざわめきが満ちている街中をゆっくりそぞろ歩いた。春もそろそろ終わりなのだろうか。

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2017年4月20日 (木)

マスターズ・プレーヤーズ、ウイーンを聴きながら

春はどこか物憂い。

4月18の日にアクロス福岡にマスターズ・プレーヤーズ、ウイーン  コンサートを聞きに行った。毎年の定例だが、演奏者の技術が高く指揮なしで見事に交響曲を演じるその技Mastersplayer2017 に惹かれてできるだけ聴きに行くことにしている。今年の福岡での演目は

ベートーヴェン:「コリオラン」序曲 ハ短調 Op.62
ハイドン:チェロ協奏曲 第2番 ニ長調 Hob.Ⅶb:2(チェロ/ロベルト・ノージュ)
モーツァルト:交響曲 第35番 ニ長調 「ハフナー」 K.385
シューベルト:交響曲 第6番 ハ長調 D.589

だ。
「コリオラン」序曲と「ハフナー」の頭は聞き覚えがあるが、他の曲は初めてだ。安心して受け入れられる音の流れに身を任せるように聴いていく。

2曲目のハイドンを聴いていると、柔らかな宮廷音楽の響きがフランス革命前のアンシャンレジームの世界へ想念をいざなう。音楽から次第に心が離れて流れゆく。歴史のうねりへの思いがアメリカ独立戦争、フランス大革命、ナポレオンの栄華と没落、帝国主義戦争の時代。。。と太平洋戦争の真珠湾攻撃までたどり着くと、そうかもしれないとの思いにいきあたる。ハワイの米国併合だ、明治維新の直後日本を訪れたハワイの王妃が何とか米国の簒奪からハワイを守ることに日本が力を貸してほしいと明治天皇に直訴した、明治天皇はまだ国力がしっかりしておらずいかんともしがたい状態で無理だとやんわり断った。しかしこれが結局は日米開戦の真珠湾攻撃につながったのではないか、そこには一つの義があるという思いが攻撃を正当化したのではないか、長い間果たされなかった思いがそこにはあったのではないか。少なくとも攻撃を是とした昭和天皇の脳裏にはあったのではないか。
たかだか18世紀終わり頃から始まった欧米の近代化に日本はわずかに遅れた程度ではなかったか。瀉血ばかりの医術が横行していた時代が長く続いた、それが19世紀初頭に至るまでの西洋医学の実態ではなかったか。今にたどり着く歴史は単純ではない、一通りではない。
思いがぐるぐる回ってまた音楽に戻る。ハイドンのすぐ後を進むモーツアルトが創り出したフィガロの結婚はフランス大革命の引き金の一つともいわれる、もう時代は限界に来ていた、しかしその寸前まではこのハイドンのような柔らかな響きが宮廷を満たしていたのだろう。
チェロの響きが心地よく眠くなる、そうでなくとも春は眠い。

今の時代は何なのだろう、その思いがまた巡ってくる。何なのだろう。

曲が終わる。万雷の拍手が続く。

こんな風にコンサートで生の演奏を聴いていると、音楽そのもというより思考を解き放つそれ自体が貴重な時のように思えてくる。どこかに閉塞感があるそんな気分の時はこんな聴き方をするのがいいのだろう。

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2017年2月17日 (金)

Cool Struttinが蘇って

朝ドラを概ね毎日見ている。時々気になるシーンが出てくることがある。
少し前にもそんなことがあった。忘れないうちに書き留めておく。

Coolctrutin 朝ドラの「べっぴん」さんのジャズ喫茶生演奏シーンでいつも出てくる有名な曲の名前がどうにも思い出せなくて、ネットでちょっとあたってみたらすぐに分かった、一時期一世を風靡した感のあったソニークラークのアルバム「Cool Struttin'」の中のBlue Minor だ。Youtubeにあったので早速聞いてみると懐かしい。ジャッキーマクレーンのアルトがちょっと良かった思い出が蘇ってくる。アートファーマーのしゃれたアドリブもすぐに思い出す。
LPかCDかはたまたその複製かをどこかに持っていた気もする。探してみよう。
それにしてもテレビのシーンはほとんどコピーサウンドの響きで、どこか情けない。昔聴いていたジャズ喫茶の生演奏の雰囲気はもっと独自性があったような気がしていた。それにしてもこの時代に神戸にこんな生演奏のジャズ喫茶なんかあったかな?と思う。
ドラマのようには神戸ではジャズ喫茶で生演奏を聴くなどしたことがなかったが大学で東京に出て渋谷や新宿やあちこち聞いて回った。コーヒー一杯でよく聞かしてくれたと思う、シャープアンドフラッツなんかもリキパレスで聞いた覚えがある、慈善事業のようなコンサートだ。
改めてソニークラークをネットで調べてみると、Cool Struttinが流行ったのは日本が特別で、米国ではこのアルバムは大して注目されなかったようだ。不思議な気がする。ジャズ喫茶という穴倉のようなところで流すのにぴったりだったのだろう。

朝ドラを見ている人は近頃は僕らの世代が多いのかな、そう思う。そこへ受けそうな昔のいい話を懐かしい曲とともに繰り出しているのだろうか。乗せられてもしょうがない。でも今はどんな時代なんだろうか、時々そうも思う。

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