2023年4月30日 (日)

雨の連休初日はサクソフォーンのコンサートで

連休が始まったがあまり浮き浮きした気分にはもうなれない。予想通り雨となったのもある。そうはいっても、29日にある九響とサキソフォンの須川展也が共演するというコンサートがちょっと気になってチケットを買っておいたのでとにかく街へ出かけた、天神のFFGホールだ。須川展也の名はどこかで聞いたような位だったKyukyosax230429a が前回の九響コンサートでもらったビラで日本のクラッシク界ではナンバー1のサキソフォンプレーヤーとあったのが引っかかった、自分自身昔福岡にいた頃ブラスバンドでテナーサックスを吹いていたということもある。雨だからクルマにしたいところだが連休初日の雨とあってめぼしい駐車場はどれもネットで満表示が次々に出てくる。公演が終わるのは17時頃でその頃が雨のピークと予想していたがどうしようもない、あきらめてバスにする。天神で降りて直ぐ近くの地下街入り口から地下に入る。雨に風も加わってバス待ちや地下に入るまでの少しの間にも小ぶりの折りたたみ傘では結構濡れてしまう。しるしい。
地下街を抜けるがFFGホールには地下街からそのままは行けない。一旦地上へ出てまた傘をさして地下へ降りる。
開演40分前位に着いたがもう人が続々来ている。席は前のブロックの最後列で悪くはない、傾斜もあって舞台に近い感じでよく見える。壁が面白い。
オーケストラは40数人で小ぶりだ。ビラに室内オーケストラと書いてあったのはこういうことか。第2バイオリンが少ないかなとの感じがする。ラベルのクープランの墓から始まる。こんな曲だったっけとの思いで聴くが綺麗な曲だ。サキソフォンの須川 展也の登場は次の真島俊夫の曲「シーガル」からだ。白っぽいシャツに赤い還暦記念アルトサックス(ヤマハ)を携えて現れ、演奏。歌うように柔らかな音、クラシックともいえないような雰囲気だが豊かな音楽がある。この後指揮者太田 弦と須川 展也による解説トークを挟む、須川 先生!との間柄と弦。 次は挾間美帆のサクソフォン・ソナタ 第1番「秘色(ひそく)の王国」。今回の管弦楽版は[世界初演]!でこれが今日の目玉の様だ。これも須川 の委嘱で作られた曲という。始まりは、何だ現代音楽か、という調子だがすぐにジャズっぽくなっていい感じとなる、いい曲だ。特に3楽章がダイナミックだ。オーケストラとサキソフォーンのせめぎあいが白熱する。切れ味がいい。アンコールにはアルルの女よりサクソフォンソロ。やわらかい、優しい、豊か、いかにもクラシックのサキソフォンだ。休憩後はビゼーの交響曲 ハ長調、(サキソフォンは無し)。ビゼー17歳の作品との説明がある。曲を聴く。若い、それに尽きる。若さの勢い、単純さ、未来へ向かう、そんなものが端々に感じられる。しかし面白い曲だ。
知らない曲ばかりを聴いた、しかし今日のような曲が九響には向いているのではないか、響きがいい、歯切れがいい、そんなことをふと思ってしまった。
帰りは予想通り厳しい雨となる。隣のビル地下の食堂街で夕食しバス停のある大丸前まで地下街を歩く、人出が多い、この街らしい若さがある。バス待ちは長くはないが激しい雨で屋根はあってもまた濡れる。

こんな風にして連休初日は過ぎて行った。こんな日々が続くならそれも面白い。

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2023年4月19日 (水)

The 4 Players Tokyoのランチタイムコンサートが良くて

このところ続けてクラシックのコンサートに出かけている。今度はアクロスのランチタイムコンサートだ。12時から1時間と少し位のコンサートで1000円と随分行きやすいチケットなので結構利用している、メンバーは実力のある奏者が登場して、決しておまけのコンサートではない、おそらく県の補助なんかが出ているのだろうと想像している。今回は The 4 Players Tokyo という弦楽四重奏団だ。 弦楽四重奏そのもののコンサートも生では初めて聴く。
曲はヤナーチェクの弦楽四重奏曲1番、和田薫の弦楽四重奏のための3つの断章、プロコフィエフの弦楽四重奏曲2番 の3曲で 初めにこのグループをプロデュースする指揮者の藤岡幸夫からグループや演奏曲の解説があって入りやすい。BSテレ東土曜朝8時半の番組エンターザミュージックから生まれたグループのようだ。Lanchtime0418a
はじめてお目にかかる曲ばかりで、特に2曲目はアクロスが作曲者に委嘱して今日ここが初演となる作品という、作曲者も来ていて客席で聞いている、すぐ近くの席だ。初演に立ち会うというのも初めての経験だ。
ランチタイムコンサートいうので気楽に出かけてきたがこれはちょっとした聴き物の様だ。
最初の曲は副題が「クロイツェルソナタ」でトルストイの短編「クロイツェルソナタ」に沿って作られているという、ストーリーのある曲の展開だ。チェロとバイオリンの掛け合いがあって会話のようだったり、鋭い展開があって終りがドラマチックになるかと思えばふんわりと終結になる、とか、つくりが面白い感じの曲だ。演奏は、一つ一つの楽器の重みが弦楽合奏よりも遥かに重く、ソロの4重の重なりという感じで一音一音が鮮やかに響く、聴き入ってしまう。こういうことだったのか弦楽四重奏とはと思いを新たにした。これは機会があればなるべく生を聞くようにした方がよいようだ。
次のこれが初演という弦楽四重奏曲は、説明にもあった通り和を思わせる音で、聴いていると琴の六段をどこか思い出してしまう。幼いころ住んでいたのは藤井凡大さんのご両親の家の隣で琴の音や三味線の音が日常に漂っていた、それを思い出していた。音楽を聴くというのは頗る個人的なことかもしれない。
最後のプロコフィエフの2番は、今から思い返すと、激しい曲想が続き体力的によく演奏できるな、さすがプロだと感心しながら聴いていたのは覚えているがさてどんな曲だったかと思ってしまった。こんな時にはyoutubeで探せばこの曲の演奏がどこかにあるのではと、Sergei Prokofiev - String Quartet No. 2 で検索してみる、いくつかヒットするが“Kabardinian”という副題のついたPavel Haas Quartet(チェコ)の演奏のを見てみて驚いた。映像は曲に合わせて楽譜が次々に送られていくのだが、その楽譜を見て実際の生きた音を奏でることがこんなことなのかと思ってしまった、とてもできないというかそんな風に楽譜から読めない、本当にプロの世界だ。
今回の演奏はCD化されないのだろうか、印象深い他では聞けない曲の素晴らしい演奏で、このまま無限の空間に音が飛び去ってしまうだけというのはいかにも惜しい。
それにしても、このThe 4 Players Tokyoというグループはいい、力量というより音楽そのものがいい、素直にそう思う。次はいつその演奏に触れられるだろうか。

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2023年4月16日 (日)

九響の定期公演でオネゲルの3番とベートーベンの3番を聴く

春本番でどこかへ出かけたくなるが、何か疲れていたり寝不足の様な感じがあったりでこのところ遠出はしないままに過ごしている。
3日前に、以前買っておいた九州交響楽団の定期公演の切符があってアクロスまで聴きに行った。このくらいが出かけるにはちょうどいい感じだ。夜の公演で早めの食事を街でとる。クルマがすいていて思いのほか早く着いたので食事してもまだ時間余りぶらぶらとあたりを歩いて時間をつぶす、まだ明るい。天神をぶらぶらするのもこんなKyuukyou3ban0416a 時くらいだ。
19時開演、よく入っている。最初はオネゲルの交響曲3番だ、聞いたことがない曲だ、第2次大戦直後に発表された比較的新しい曲だという。渦を巻くような弦の響きがあり、いかにも新しい。ストーリーが展開していくような曲のつくりを感じる、ただ、戦争の影響だろうか、楽しいという曲想が流れるところはどこにもない、心は休まらない、そんな曲だ、しかしトータルの印象はネガティブというようでもない、なかなかの曲だ。演奏もいい。
次のベートーベン英雄は有名な曲だがフレーズを思い出さないなと思っていて、始まるとああこれだったかとすぐに思い出す。きちんとしたつくりだ。ベートーベンらしく次々とメロディを繰り出してくる。若いころはベートーヴェンというと、手あかのついたような漠然とした印象を持ったこともあったが、歳を経てくるとさすがベートーヴェンと思う場面がやたらとある、よく描いている。聴いているとナポレオンが直にいた時代のその空気が乗って伝わってくるような気がしてくる、音楽の力というべきか。
なかなかのコンサートだった。
途中の休憩のところで去年の10月ここで演じられたマーラーの「復活」をCD化したものが売られていてこれこれと買っておいた、こういうサービスはもっとやるべきだ。帰って聞くとあの長いがするすると過ぎて行ったその時の雰囲気がよみがえってくる。惜しむらくは会場の拍手などは全て切られていて臨場感は伝わってこない、スタジオ録音のように思ってしまう。これも追って改められていくだろう、とにかく先へ進んでほしい。

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2023年3月21日 (火)

コロナ明けの九響のコンサートでショスタコーヴィチを聴く

去年の夏ころに予約していた九響の定期演奏会がコロナの蔓延で流れてやっとこの3月の半ばに公演がおこなわれたので兎に角聴きに行ってみた。もうマスク着用義務は解かれたはずなのに街を歩いても殆どがマスクだ。チケットを切るところもコロナ前の様な手順に戻って半券を切って渡してくれる、マスク無でも何の注意もない。ホールの中もマスク着用義務はないので外していたが、そんな人は皆無に等しい。
始まって暫くするとどうにも気になることが出てきた、周りの口臭といううか加齢臭というかそんなにおいが漂ってくる、そういえば座っているあたりはお年寄りが多い。このところ何回か九響9kyousyosta のコンサートに行っていたがそんなことには気づかなかった。これまではマスクをしていたのが多分にあるのだろう、その方がにおいが気にならない感じがする。休憩後の後半はマスクを着けてみると気にならなくなる、マスクを着け慣れると周りのにおいから逃れられていた自分というものを感じてしまう。パンデミックは色々なことを教えてくれるようだ。
演奏の方はショスタコービッチ特集で、ロシアとキルギスの主題による序曲/ジャズ組曲 第1番/交響曲 第12番 ニ短調「1917年」 の3曲だがいずれも初めて聴く。ショスタコービッチというと打楽器の使い方が派手な印象を持っていたが、最初の曲は打楽器の影が薄くとらえどころのない感じ。次はJazzというより軽音楽でむしろ打楽器によるメリハリがなさすぎる(というか打楽器パートが全くない)締まりのない骨董品の様な曲だった、ちょっと期待外れだ。最後の曲はシンバルが鋭く響き続けショスタコービッチらしい、これは聴きごたえがある。始まる前に指揮者井上道義による解説があるが、説明に出てきたスターリンのテーマとする3連音がうまく聞き取れず、物語のような曲だがストーリーが見えず、よくわからない、という印象が残る。オケの音はよく演奏自体は素晴らしいのだが、曲そのものに難があるように思えてしまう。難しい。

音楽を聴くことは面白い、しかし頗る個人的な体験なのだ、また思ってしまった。

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2023年2月27日 (月)

ポリャンスキー指揮の九響をまた聴く

ポリャンスキーという少しは名の知れたロシアの指揮者が九響を指揮する、それに小山実稚恵というこれも少しは名の知れているらしいベテラン(もしくは熟達した)ピアニストがベートーヴェンの皇帝を奏でるというので、ダブルに面白そうだとばかりアクロスに見に行った。日曜の午後2時開演というお気軽コンサートだ。昼食は天神でとも思ったが如何にも混みそうな時間帯で自宅で簡単に済ませて出かける。2階のサイドの席だ、表情などはよく見える。皇帝か20230226a ら始まる。ポリャンスキーは3年位前にここに来ていてその時も見に行ったが、床をどんどんと足で打ったりバイオリン演奏者に近過ぎと思うほどに顔を近づけたりと見ていて面白いコンサートだった、今回はそれに比べればおとなしいものだった。足で床を打つのは次のシエラザードの前半部で少しだけというくらいで、やはり歳をとったかとも思ってしまう、まもなく74歳だ。。
ピアノの小山実稚恵(62歳)の演奏は クリアーで迫力のある音だが流麗でもあり細部も細やかでこれぞ皇帝の決定版と思いたくなる演奏だった、つい合わせて口ずさみたくなってしまう。オーケストラはホルンがちょっとと思ったりすることもあったがそんなことは問題ならない響きでピアノと掛け合っている、いい演奏だった。
休憩後はシエラザードだ、有名な曲だが皇帝の後に聞くとさすがベートーヴェンと思ってしまうほど曲としての皇帝のつくりがよいのに気が付き、こちらはしつこい重い曲に聞こえてしまう。思ったより長い、疲れる。演奏自体は素晴らしいのだが。
万雷の拍手の後のアンコールは3年前と同じチャイコフスキーの「四季」10月「秋の歌」(管弦楽版)だった、美しい曲でこちらの方がいいやとも思ってしまう。
 
ちょっと聴き疲れたが、いいコンサートだった。外に出ると日が伸びてまだ明るく、早春の太陽がまぶしい。もう春の始まりの様だ。

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2023年2月19日 (日)

久石譲のコンサートが楽しくて

数か月前九響(九州交響楽団)のコンサートに行った時抽選を引いたらこのコンサートの割引き券が当たったこともあって久石譲の指揮する九響/日本センチュリー響合同のオーケストラの演奏会に出かけた。ホールは例によってアクロス福岡だ。この頃小さな幸運でくじが当たることが幾つかあっている、ボロボロと籤運を使い果たしつつあるようでうれしいか微妙なところではある。
ほぼ満席だ。いつもの、女性とリタイヤ組中心の観客とは少し違って、男性の勤め人風の人も結構多い。
ステージ上に並ぶ椅子の数が多い、2つのオーケストラの合同だけに120は超えているように見える、始まると響きに迫力がある。最初の曲は久石が最近作曲した交響曲で彼とHisaisi しては3番目の交響曲(交響曲第3番)になっている曲だ。聴きなれない現代音楽の曲で、集中できなくて眠くなる。確かに音が多く、動く。それにしても久石譲とはこんな作曲家とは思ってもみなかった。気付かぬうちに転寝して終わり頃にハッと起きる、情けない。次はストラビンスキーの春の祭典で、これは気持ちがいい、大人数のオーケストラならではの迫力がある。弦は通常の九響のコンサートのようには揃わないがそんなもの何ということもない。最後はメキシコの作曲家によるダンソン(ダンスソングのことか)でこれも調子がよくて初めて聞く曲だがいい響きだ。いい雰囲気で終わりアンコールはお待ちかねとばかり、トトロだ、最初の現代音楽との落差が激しいが、楽しい。久石譲の多彩さを見せつけてくれた。
面白いコンサートだった。それに尽きる。


やっぱり生の演奏はいい、ついつい10日後のポリャンスキー指揮のコンサートも予約してしまった。気ままに生きていけるのが何より楽しい。

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2023年1月22日 (日)

年の初めはコンサートから

去年の反省から今年は見れるものは見、行けるところは行く、というのを考えている。あと延ばししてはろくなことはない。
1月はコンサートに2つ出かけた、大体多くても月一つというのがこれまでのペースだった。
いずれもアクロス福岡で、1つ目は1月8日の九響ニューイヤーコンサートだ。
行く前はマンネリぽい印象だったが聴いてみると思った以上に楽しく新鮮でNewyear2023 すらあった。幕開けは ウォルトンの「スピットファイア」前奏曲&フーガだ。ウオルトンの没後40年ということでこの曲が選ばれた、と指揮者下野竜也の説明がある、今日の選曲は生誕または没後何十年といえる人を軸に選んでいるともある。とにかく聞いたことのないイギリスの曲だがもしやと思って戻って調べると、やはりあの戦闘機スピットファイアのことだった、設計者の苦難の物語を描いた映画「スピットファイア」の映画音楽として作られた曲がこの曲だという。あのナチスが引き起こした英国への空爆に対する空の戦いバトル・オブ・ブリテンが起こって2年後の1942年に映画は作られ公開されている、大戦中の映画ということになる、イケイケどんどんの曲想がなくもない、名曲というにはきつい。しかし今現在の時代の雰囲気にどこか響く、令和のウサギ年は戦いが似合う時代なのかもしれない。
休憩後の後半からは歌が入る、これがまたいい。特に2曲目の「夜の女王のアリア」のソプラノがすごい。人の声とは思えないほどの高音を自在に操って聴かせる。ソプラノは鈴木玲奈という人だ、知らなかったがこの歌声には驚いてしまう、相当の実力の人だ。
最後の定番「美しく青きドナウ」は合唱が入ってこれも本当に美しい。合唱あっての曲だと改めて認識させられる。年の暮れが第九の合唱なら、年の初めも合唱がいい、年の初めこそとも思う。

この日の曲目は
ウォルトン/「スピットファイア」前奏曲&フーガ
パッヘルベル/カノン
ブラームス/ハンガリー舞曲第1番
ヴェルディ/「ナブッコ」序曲
ワーグナー/「ローエングリーン」3幕前奏曲
(休憩)
モーツアルト/「魔笛」序曲
      /「魔笛」より「夜の女王のアリア」
ドヴォルザーク/スラヴ舞曲第一番
       /「ルサスカ」より「月に寄せる歌」
J.シュトラウスⅡ/喜歌劇「こうもり」より「侯爵様、あなたの様な方は」
        /ワルツ「美しく青きドナウ」
アンコール曲
グノー/歌劇「ロミオとジュリエット」より「私は夢に生きたい」
オッフェンバック/喜歌劇「天国と地獄」より カンカン
(ウォルトン没後40年、パッヘルベル生誕370年 、ブラームス生誕190年、ヴェルディ生誕210年、ワーグナー生誕210年)
なかなかのニューイヤーコンサートだったのもあり、続けてアクロスの切符を買ってしまう。
2つ目のコンサートは1月16日 東京6人組によるランチタイムコンサートだ。弦のないアンサンブルだ。
12時開演、聴き始めて改めて音が綺麗なのに感心する。初めのプロコフTokyo6ィエフのロミオとジュリエトを聴いていると気持ち良くてうつらうつらしてしまう。続くハイドンもハイドンらしい上下運動の様な響きがあってもアンサンブルの綺麗さは失われない。フルート、オーボエ、ファゴット、ホルン、クラリネット、ピアノというそれぞれ音の出し方が違う楽器の組み合わせというのがいいのかもしれない。ランチタイムということもあってアンコール一曲で終了。
こんな風にいい演奏を聴きひたすらのんびりと時を過ごしていくのがこの危なくなってきている時代には必要なことかな、そう思ってしまう。今年が兎に角いい年でありますように。

この日の曲目は
プロコフィエフ/松下倫士 編:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」(ハイライト)
ブラームス/夏田昌和 編:ハイドンの主題による変奏曲 op.56a
アンコール;ハチャトゥリアン:「ガイーヌ」よりレズギンカ

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2022年12月25日 (日)

ことしも第九を聴く時期になってしまった

寒い寒いとこぼしていたら北米の方がもっと寒く中西部に北極のKionchikyuu122314 寒気が深々と下りてきてゆっくり東へ動いていった。ニューヨークに到達するころになってNHKをはじめとする日本のマスコミもやっと騒ぎ始めた。どう見ても今回の寒波は北米への進出が極東をはるかに上回っている。北極をめぐる渦流(極渦)の強さはゆっくりしたサイクルで振動していて北極振動と呼ばれるが、このところ強さが弱まり北極に閉じ込められていた寒気が各地へ流れ出している、そんな訳で世界のあちこちで寒い寒いと声が上がりそれらしい映像が世界をめぐっている。そろそろ極渦も強くなりだしているようで今回の寒さは一まずの区切りとなりそうだ。

そういうこともあるのか今日は昼から日が差して暖かく風も弱まり、散歩すると汗ばむほどだ。近くの池ではウグイスが元気に飛び回っている。今日は年末恒例の第9交響曲をアクロスまで聴きに行った。まだまだと思っていたらたちまDaipanf9202212 ちこの日となった。のんびりした日々を送っているような気がしているが時はのんびりとは進んでくれない。
のんびりした気分で自宅を車で出発したがさすが師走の日曜日の午後だ、渋滞があちこちで起こる。余裕があるはずだったが席に落ちつけたのは開演5分前となって肝を冷やした。3階まで満席だ。滅多に見ない混雑ぶりだ。
第一楽章、聴きなれたフレーズが流れ始める、暫くすると中央やや左のティンパニーがずっとたたき続けている、そうだったっけ、こんなに長く連打し続ける曲だったっけと新鮮な気分になる。1階後ろめの席で全体がよく見えるということもあるのだろう。今日は演奏のDai91225aa1 細かいところがよく見える気がする。するすると進んで4楽章の合唱部分に入る。合唱はきちんとして旨いのだが男声に凄味というか圧倒する何かが弱い、そんなことを感じる。もっとバラエティのある型破りの声も加えた方がスケール感が上がるのではないか、そんな風にもつい思ってしまう。勝手なものだ。
あっという間にフィナーレになって拍手喝采で終わる。まだまだと思っていたのがもう今年は6日しか残っていない、もう終わるのか、という感慨がオーバーラップする。

いつもの様だがまた新しい年の終わりを迎える。確実に過ぎて行く時が何だか頼もしい。

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2022年11月15日 (火)

アクロス福岡で 新イタリア合奏団 & 村治奏一 を聴く

もう半月も前のコンサートが少し引っかかっていて、忘れないうちにとにかく書き記しておくことにする。
2022.10.31 19時よりアクロス福岡で開かれた、新イタリア合奏団 & 村治奏一 と銘打ったコンサートだ。新イタリア合奏団 も ギターの村治奏一 もどちらもよく知らなかったが、ギターと合奏でビバルディの四季を演奏するというのが面白そうで聴きに行った。
ギターの村治奏一のお姉さんが村治佳織でこちらのほうはどこかで聞いSinitariamuraji た名前だ、弟も同じ道に進んでおり、経歴を見るとそれなりに華々しく海外で活躍しているようだ。
新イタリア合奏団のほうは I Solisti Filarmonici Italianiといって、2001年に結成されたイタリアの名手を集めたアンサンブルのようだ。
2020年9月に福岡で村治佳織と新イタリア合奏団が共演するコンサートが予定されていたがコロナ騒ぎでキャンセルされてしまった、今年再度計画されたが今度は村治佳織が病にたおれ代わりに弟の村治奏一が共演することでコンサートが実現したとの経緯があるようだ。
コンサートは2部構成で後半の2部でギターがソリストとして加わる四季が披露される。
1部では モーツァルト、ロッシーニ、モリコーネ、メンデルスゾーン という硬軟取り混ぜた曲が披露されたが合奏もギターも音が綺麗でうまい。さすがだ。
2部の四季は合奏団のテオルボ(リュートの一種)奏者であるディエゴ・カンタルーピの手になる編曲という。ギター版だ。四季を通しての演奏だから結構長い。聴いていると合奏とギターのバランスがどうしても合奏が強くギターが埋もれかけるように感じてしまう。更にビバルディのリズムを刻むような響きがギターのソロになるとスペイン風の自由なリズムに切り替わるところも今一つアレッと思ってしまう、ちょっとしっくりしない印象を持ってしまう。勿論弾手の技術は優れているのはよくわかるのだが。
もっと舞台に近い席にすれば良かったのかもしれない、聴いた席は真ん中の、やや後ろ目の席だった。あれこれ思ってしまう。
総じては面白い試みだった、色々あるのが生のコンサートだ。様々に思いを巡らすのがリアルに生きている空間を実感しているようで、これもいい。

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2022年10月23日 (日)

キャナルシティの森山良子コンサートで色々感じる

劇団四季の常打ち劇場だったキャナルシティ劇場から劇団四季が今年5月に撤退してこの劇場で色々な催しが行われるようになってきた、今回森山良子コンサートが開かれると何かの宣伝で見て、行ってみるかと予約してみた。B席でいいやとネットで予約する、シーティングは切符をコンビニで受け取る時にはじめてわかるのだが、2階の最後列だった。予約した時が遅かったからなのだろうが席を選んで買えないのは何となく気分が悪い。売り手優位のビジネスのようだ。九響などの 切符を電話又はプレイガイドでシーティングしながら買うというような買い方に慣れていると、何だかなあ、と思ってしまう。技術的な問題なら誰かがいいやり方を考案すれば解決しそうだがその誰かがいないということなのだろう。何だか情けない。
舞台での歌い手のいるあたりとの距離は実長で30m位のようでそれほど遠いというわけでもなさそうでまあいいか、となるがちょっと引っかかる。
17時開演で食事が問題だが、終わってからにするほかない、近くのうなぎ屋に予約を入れておく、終演予定がわからないので2時間位だろうと見込む。終演が何時になるかくらいは事前にわかるようにしてほしいが劇場に来て初めて2時間半の公演とわかる。慌てて食事予約時間を遅らせてもらう。キャナルシティへの行き方はクルマでないとちょっと面倒で天神で乗り換えてバスかタクシーとなるが今回は市が発行している高齢者タクシー乗車券(1回500円補助)を利用してみた、まあ丁度いい使いでではある。
17時から開演。開演前でも場内の写真撮影は禁止との注意がある、あまり聞かない注意だ、どうも舞台装置もアートなので撮られるのが嫌なのかなと思ってしまうが、何故ダメなのかの説明がないのは不親切だ、独裁国家のようだ。森山良子がそんな人とは思わなかった。そんなこんなで始まる前からちょっとネガティブな気分になる。Moriyamar
歌が始まる、バンドはこの前の橋幸夫の様なカラオケではなくちゃんと演奏者がいる。声は現役バリバリだ、磨きがかかっているというべきか。前座というものはない独り舞台だ、15分の休憩が途中にあるとはいえよく体力的に持つものだと感心する、終わり頃でもきちんと高い声も綺麗に出ている。見ていると歌う時の口の開け方が独特だ、テレビで見ているとあまり感じなかったが何か独自の発声のやり方があるのだろう。まだまだ引退という文字はないようだ。でもわからない、聴いといてよかったという事態がいつ訪れぬとも限らない。それが今の世なんだろう。

終演後予定通り食事して、バスはもうほとんど無い時間帯になっていたのでまたタクシーを拾って天神まで戻って帰る。タクシー乗り場というものがないというのも奇妙な感じがする場所だ。キャナルシティという街の設計にそれはなかった、歩けというのだろうか。来年3月待望の地下鉄が通る、これで街としてやっと一人前ということだろうか。ここまでのキャナルシティの高飛車をどうしても感じてしまう。劇団四季が撤退したのもそんなこともあったのかもしれない。

コンサートに行くといろいろなことを感じ考えてしまう、それが面白い気もしている

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