2023年1月26日 (木)

免許更新で認知機能検査を体験

年も明けて免許更新は今年の半ばだな、と思っていたところへ早々に免許更新のお知らせのハガキが届いた。見ると今回は認知機能検査を受けたあと高齢者講習を受けてはじめて免許の更新ができるとある。いよいよこんな歳になってしまったか、と思いながら文面に従って認知機能検査の予約を電話で行おうとするが、つながらない、該当者にハガキが同じタイミングで着いて一斉に電話しているようだ。何度もかけなおしてやっとつながる、放送大学の試験期間が終わった後あたりを適当に選んで予約する、予約そのものは思った日が問題なくとれる。
当日が近づいてくると少しは予習をしておかねばとネットで検索すると色々引っかかる、いくつか読むと警視庁のサイトにある認知機能検査の説明の所に問題が出ているというので見てみると試験の実施要領から問題、結果の評価式や判定法まですべてが公開されている。驚くばかりだ。問題を覚えて当日それを書けるなら認知機能は充分といっていいのだろう、そういう検査の様だ。まあこれならできるかと当日を迎える。福岡の検査方法は少しは違うかもと思っていたが警視庁のとほとんど同じだった。これも驚くばかりだ。見せられる16枚の絵は4つのパターンの内一つを選んで出題されたが絵そのものが警視庁のページのものと全く同じだ。16枚の絵を見せられて、別の作業をはさんだ後、何の絵だったかを覚えている限り書くというのが要求されるが、実際にやってみるととても覚えきれるものではない、切れ切れの記憶を絞って書いていくが、思ったほどには書けない、そんなもののようだ。30分ほどして検査の結果を各自知らされる、とにかく問題なしでパスできた。一安心だが、今後は軽微な違反があると毎回この検査を受けねばならないという。
前回の更新の時だったか、高齢者の事故率は20代30代の事故率よりも低く、交通事故全体に占める割合は小さいというのが現実だ、と聞かされた。マスコミ等で高齢者の事故は大きく取り上げられるというのがこんな高齢者対策を生んだようだ、マスコミは人が驚くような話を好んで取り上げる、犬が人をかむのはニュースにはならないが人が犬をかめばニュースになるとはよく言われた話だ。そういう世の中なのだろう。ちょっと。。。と思うがこんな検査で認知症に未だかかっていないとわかればかえって安心というものだ、前向きに受け止めるべきなのだろう。
また一つ知らない世界を見た思いでこれもまた面白い。

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2017年5月 6日 (土)

インスタグラムと著作権侵害

インスタグラムに写真を投稿していると時々不愉快な事態に遭遇する。自分の出したInstag 写真とタグをほぼそのままコピーして別の人がその人のハンドル名でインスタグラムにアップしているというちょっと信じられないような事態だ。

発見はふとしたことからだった。
アップした時に殆どの人が使っていないハッシュタグを書き込んでしまって、しばらくした後少し後悔しながらタグのページを開くと自分のと同じ写真が2枚アップされている。あれっと自分のミスかと思ったりもしたが写真をクリックすると知らない人のページに行く。こちらにも いいね を打っている人もいる。
何なんだこれはと思うがロシア語であったりヘブライ文字が出てくるぺージであったりしてこんなことをしている本人に注意するのも厄介そうだ、どうしたものかと暫くほっておいた。ほぼ忘れかけていたが、つい4-5日前にSNSの著作権侵害に関するニュースが流れているのをテレビで見て思い出した。
せっかくだから著作権侵害の申し立てをインスタグラムに送る方法はないかと探してみると すぐに見つかった。やはり問題のところなのだろう。

Instagramヘルプセンター - プライバシーと安全 - 報告する と辿ると報告する手順が始められる。にっくきコピーページのurlをメモし、自分の対応ページもメモして手順を進めると最後まで行きつく。最後のところに電子署名の要求があり、電子署名?といぶかるがそのまま自分の名前を書き込む。これでOKのようだ。
送信して2-3日もしないうちに 削除しました との英文のメールがinstagram team から送られてきた。確認すると問題のページは削除されている、めでたしだ。まだあったと思い出してその後も申し立てを何回かやっているが慣れるとすぐにできるようになる。ネットで手続きが面倒だとの書き込みをいくつか見かけるがやってみるとそんなことはない。勿論日本語でOKだ。

ネットに出した写真は無断コピーは避けられない、ある程度の著作権侵害は防ぐのが難しいというのが実情と思うが、防ぐ手立てはとにかく講じてみるのが大事のようだ。すこしづつルールを固めていけばこれはひどいという事態は抑制されてくるだろう、ネットを便利に使っている現在の様な生活は少なくとも維持したい、これは知恵が出せればできるだろう、拡大しても行けるだろう。

とにかくこれから続いていく未来は言葉通り広く果てしないのだから。

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2014年6月22日 (日)

小型船舶操縦免許を取る

前から海で遊ぶなら最低限の免許くらいは取るべきと思っていた。ヨットも始めたことだし最低Umi 限の法規や約束事を理解しておくべきだ。
調べると小型船舶操縦免許2級が入り口となるようだ、20ton未満が小型で2級は沿岸水域に限られるが対馬に渡ったりするのでなければこの免許で国内は大概のところには行ける。
問題は試験だ、学科は自習するにしても実技はどこかで講習を受けねばならない。安いところはないかとネットで探してみると福岡市内に平日で実技試験免除のコースを7万円で開いているところを見つける、7万円は安くはないが学科実技免除では10数万円というのが世間相場のようなのでしょうがない、そこに行くことにした。
早速申し込んで出かけると直ぐに実技が始まる。海に出て説明を受けながら一回お手本を見せてもらってその後自分でやる、というやり方で次々に試験項目を進めていくのだが、大抵は1回やると「はいOKです」となる。難しくない。人命救助と着岸、離岸は少しは講習の雰囲気があるが教えられたとおりやると難しくも無い、2度もやるとOKです、となる。
乗船前の船の点検要領やロープの結び方の講習があって実技は終わり実技合格、学科は解説書と問題集を渡されて試験頑張ってくださいといわれて全てが半日で終わる。何だという感じだ。
身体検査は近くの医者を紹介されて行くと要領よく視力、色紳、聴力、全般検査をしてくれる。3000円と普通の料金だ。もっとも身体検査は学科試験の前に試験場でも受けることが出来て見ているとこちらのほうがずっと簡便で実質的で本当は試験場で受ければよいようだが、コースで免許取得を請け負っている立場としては身体検査で落ちるような人を受験させる訳には行かないということなのだろう。
学科試験の受験は申請手続きや合格後の免許申請も含めて手続きは全てやってくれて、こちらは受験会場に行ってとにかく受けるだけでいい。渡された問題集を10日位繰り返しやっておくと殆ど全問正解できる。これは易しい試験だ。
7万円は結構いい商売のように思える。実技も含めて全部自習して受けると受験料や何やかやで1回3万円くらいかかる、1回落ちるとこちらもそれほど安くは無い。それに実際の海での命は自分自身で守るほか無いのだから短い講習でも一応教えるので後は自分でやって下さいという立場は無責任というわけでもない。むしろそうしたものだ、自分で学ぶほか無い世界だ。いいところを突いているビジネスだ。

試験の2日後に学科合格をネットで知って10日程して免許証が送付されてきた。なんだこんな試験と思っていたが免許証を見るとちょっと気分がいい。
確かに年を取るとことさら資格を取るという行為そのものが得やすい達成感を与えてくれるようだ。まだ何かができることの確かな証明を得たいという心の底のほうの思いが満たされるからなのだろう。次は1級も受けてみるか、試験に使われる練習用海図をセブンネットで取り敢えず購入して眺めている。

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2013年1月29日 (火)

アレクサンダー・ハミルトンに行き当たる

米国の財政の崖は議会でもめた末結局高額所得者への減税取り止めと歳出自動削減開始期限の3ヶ月延長で問題が先へ延ばされた。米国債発行上限問題も同様に3ヶ月先へ延ばされ当面の危機的状況は回避されたが 議会もどの道歳出を削減しなければならないことそのものは避けがたいとの認識は共有しているように見えて、何処かに着地点があるのは明らかの様だ。債務上限問題でも、上限を定めることそのものが憲法修正14条の4項に抵触しているとの指摘が議会の民主党に根強くあるようでどうも憲法論からいけば解はありそうにみえる。オバマが政策として憲法論議はしないとしているだけで、いかようにでも処置可能な問題にみえてしまう。オバマによるタクティクスとしての危機の創出との雰囲気がなくもない、政治の世界だ。
アメリカのこんな財政のごたごたの記事をいくつか読んでいくと時折ハミルトンの名が出てくる、独立戦争時代のアレクサンダー・ハミルトンだ。ネットや図書館から本を借りてきて少し調べてみる。硬い話にはネットはやや頼りない。
調べ直してみるとこの人は天才としか言いようが無い、合衆国憲法の多くはこの人の手になっている。独立戦争でも勝利を決めたヨークタウンの戦いを指揮して軍人としても優秀だったようだが、財務大臣として破綻状態にあった各州の負債の全てを連邦政府が肩代わりし連邦債を発行して独立戦争の戦費の重い負担から経済を開放した、また連邦銀行の創出、違憲立法審査権による法の支配を確立、そのほかその後の世界の自由主義国家の運営の基礎となった手法を次々と編み出している。革命をプラクティカルな社会の仕組みに落とし込むのにことのほか才能があったようだ。

最近でもギリシア危機にともなうユーロ債の発行に当たってハミルトンが独立戦争後に州政府の赤字債権を全て肩代わりして連邦債を発行した手法が良い手本として見直されるに至っており現代にもその知恵を及ぼしている。現代に至るアメリカの具体的な仕組みを作り出した人と言ってもいいようだ。先の憲法修正14条4項もハミルトンが “政府はその仕事としてゆだねられた目的を達成するためには、公共善と国民感情以外のいかなる制約からも自由でなければならない” と(「フェデラリスト」に)述べた、その精神を具現化したもののように思える。

ハミルトンは没落したイギリス移民の子で10代の初めに両親をなくしたものの偶然のようにしてその才能を発揮しうる機会を次々に得て人生を送った、そして最後は決闘で命を失った。時代は必要なタイミングで必要な資質の人物に光を当てて活躍の場を与える、不思議なばかりだ。こんなのを見ていくと結局人類の歴史は個人の才能をつないだものでしかないと思えてくる。
ハミルトンは基本的には殆どの人間には徳などないと語っており、所謂性悪説でアメリカの民主主義社会の仕組みを作り出しているようだ。確固たる民主主義の社会はそうでなければ持ちこたえることができないのだろう。今起こっている、アラブの春の連鎖が思わぬ挫折に至りそうなのもハミルトンのようなプラクティカルな見方が革命のような時には特に重要ということを示しているようにみえる。また、アメリカの銃社会も元を辿れば 人は何も信用できない自分の身は自分で守るしかない、という性悪の考え方に行き着くような気がしてくる。
そろそろ終りが来てもいいはずのアメリカの時代がしぶとく続いているのも、こんな風に仕組まれた民主社会に勝る仕組みをまだ人類は考え出すに至っていないからなのだろうか。
新たな天才を必要とするそこまで歪がたまってはいないというのが今のこの世界なのだろうか。幸せでもあり物足りなくもあるということだろうか。危機が演出される今の状況では まだステップが進むまでは大分かかりそうだ。

こんな風に考えを廻らせて遊んでいると、外では暖かい日差しが心地よくなってきて、そろそろ寒い冬もおわりのようだ。季節には何の演出も無い。

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2007年6月25日 (月)

年金騒動と公定力と

Gakua06 やっと梅雨らしくなってきた。それにしても政治の季節になってしまったようだ。

最近の年金騒動を見ていると公定力という言葉を思い出す。行政庁の行為は少しくらい違法でも取り消されるまではとりあえず有効なものと推定される、というお上に実に都合のよい行政の大原則だ、多くの行政の力はここから生じているように見える。重大で明白な違法性があれば例外的に公定力は認められない。しかし重大ともいえない違法な場合は、法定期間を過ぎると国民の側からは行政の処分の取り消し請求すらできなくなる。これを不可争力と呼ぶ言葉があるくらいで、固まった概念のようだ。もっとも、法律に“公定力”が明記されているわけではなくて、行政事件訴訟法14条,行政不服審査法14条 から間接的に法的根拠を得ているといわれる、そもそも官にとって当たり前の力であったということのようだ。今回の場合も、行政機関は常に正しいことをする、という原則で年金が処理され続けている、それが時効期間を過ぎると当然のように追及の無効を宣言している。こんな公定力だの不可争力だのという高飛車に国民をあしらう言葉はもうおしまいにしなくてはならない時代になったのではないか。時代にあわない。官の仕事を民へまかせるように、という流れなら官も民と同列に立つべきだ。政治は、こんな騒動になった本当の原因を追い詰めるべきなのに いたずらに目先の選挙対策に追われている。
言葉だけ上滑りした信頼感の乏しい危ない感じのする首相はいい加減引っ込まなければ辻褄が合わないような感じがする。

梅雨が終わる頃に選挙になる。参議院選は今ひとつ緊迫感がないが今度ばかりは面白い。結果が楽しみだ。

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2007年6月12日 (火)

バースデー

Omizngdr1 誕生日が近づいて自動車免許の書き換えのお知らせのはがきが来た。忘れるところだった。ともかく書き換えに運転試験場に行って型どおりの講習を受けたところ最後に普通免許でなくて限定つき中型免許と書かれた新しい免許を受け取った。法律が変わったためグレードアップしたことになる。誕生日をハッピーバースデーなどと祝う日はいつのことだったか、と思うが中型免許だって言いようによってはささやかなバースデープレゼントのように見える。

村上春樹が訳した短編を集めた バースデイ・ストーリーズ というのが目にとまって、読んでみた。最近は小説に面白いものが少なくなったように思う、現実のほうが小説より面白くなってきたためか。バースデイ・ストーリーズだが、誕生日にまつわる13の短編の一つ一つに村上春樹の紹介文がついていて、翻訳といっても個性的な構成になっている。いずれも現代のアメリカ小説らしく乾いている、身の回りの流れていく現実とは別の世界になっている。誕生日はだれにでもくるというただその1点だけにつながりを感じてたぐっていくようなところがある。
村上春樹も1篇書いている、20歳の誕生日を迎えた女の子が思わぬ贈り物を受ける話だ、これは乾いたタッチではない。村上春樹は翻訳することであの文体を作っていったと思っていたがこうして読むと、ちょっと違う、湿り気のある日本の風だ。

20歳の誕生日はどんな日だったのか、全く思い出さない。騒然としたなかの空白の日々だったような気もする。どちらかというと乾いた日々だったような気がする。

何かずいぶん遠くまで来てしまった、でも今からでも何でもやれるさ、そう思っている。

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2006年5月26日 (金)

民法、とにかく決め

法律を読むの続き、Hamu 民法。

歴史的いきさつに満ちている。条文に書いてあっても、その地方の慣習がそうならそちらが優先される、というのさえある。

動産の所有権や立木の所有権のように公的登記がないものの所有権をどう正当化するか(立木には看板つければそれでよい)、土地を20年平穏に占有すると自分のものになる、とか、(勿論土地の所有権はなんであれ長い地球の歴史から見れば勝手に取得した一時的なものだが)、給与受け取りの時効は1年しかないのに弁護料の時効は2年とか、売買の危険負担は買い手とする とか、権限のない代理人でも誰が見てももっともらしい外見条件があれば契約は成立してしまう、とか、とにかく決めが必要なんでこう決めた、てな感じのものがやたら目に付く。

社会を転がすために必死にルールを決めている。頑張っているんですよ民法さんは。何もそこまでやらなくても、と思ってしまう。

しかし、人間くさい。進駐軍の押しつけに起源がある憲法は嫌になれば全面改定できても、民法全体の全面改訂はちょっと考えられない。無法状態のイラクはどうなっているのだろう、きっとフセイン時代のというよりハムラビ法典時代の法が生き残っているに違いない。

法律は味気ないものうんざりするものと思っていたが、読めばなかなか。

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