スズメバチがまた巣をツバキの木につくる、これも温暖化か





20日ほど前のことだった、アオバズクを見に午前に那珂川の現人神社に行った後戻って庭に水まきしていると家内が出てきて安倍さんが撃たれたという。兎に角驚く。どういうことだろうかとそれからテレビにくぎ付けとなる。その日の日記メモには「 暗殺なら韓国関係かと邪推するが、どうやらガンマニアのよう。造った手製銃で人を撃ちたかったよう。たまたま自宅近くに来た安倍を襲ったよう。」と記している。
次第に事件のあらましが明らかになってきた。現場で取り押さえられた狙撃犯人は旧統一教会に家庭・人生を破壊された恨みがあった、全人生をかけてもいいと思うほどの恨みがあった、統一教会とつながる政界の頂点が安倍と思っての銃撃だったということのようだ。
その後の政界と統一教会の繋がりが次第に明らかにされつつあるのを見て、大学時代のことを思い出してきた。全共闘が学内封鎖する直前の時代、講義が終わると待っていたかのように原理研究会と称する一団が演壇にあらわれ統一原理なるものを説き始める、しつこい、ほとんどすべての学生はあほらしくて教室を後にしてもっと本質的な宇宙の原理を語ってくれればいいのだが、などとぼやいていたことを思い出す。原理研究会は反共運動である勝共連合の別動隊であり、勝共連合を60年安保で学生運動に手を焼いていた岸元首相が後押しをしていたというのはいかにもありそうな時代だったと今から振り返ると思える。
勝共連合が更に統一教会の別動隊だったとは多くの人が知らなかったように思う。冷戦の終結で反共もしぼみ統一教会が世界的に展開する宗教活動の財源確保に日本での活動の軸足が移ったのだろう。それに政界とのコネクションが利用され続けたのだろう。
ともかく安倍が射殺されるに至った元をたどると60年・70年安保闘争の時代の政治情勢に行きつくようだ。更には朝鮮戦争にまで辿れるのかもしれない。
このあたりで半世紀以上引きずってきた古臭い対立軸を基盤とする動きに終止符を打つべき時代になってきたように思える。ウクライナの戦争もそういうことかもしれない。それができないところでとんでもないことが起こるようだ。
平和な平成が終わり争いの令和に、時代はサイクルで巡っている、次は何が。
もう1か月以上も前になるが、2月の初旬に油山にハギマシコが来ているというので見に行った。モーモーランドの方だ。開門時間を1時間ほど過ぎた位にここかというところに行くともう先客が10人位いる。情報が色々廻っているようだ。高山にいる鳥と思っていたが低い山にも下りて来たと見える。いずれにしろ冬鳥だ、夏はロシアの山地で過ごし繁殖するらしい。10数羽で木が刈られた斜面を飛び回っている。珍しい鳥で見たことがなかったが目立ってキレイという感じでもない、渋い、腹がほんのり紫いろなのでああハギだと納得する、そんな感じだ。ここらでは背振山の山頂部には これまでも現れたことのある鳥のようだ。
何でも見れる時に見ておいたほうがいい、近頃そう感じることが多くなっている。
今年は依然としてとして暖冬傾向ではあるが、寒さのピークが深い冬だ、そんなことも関係しているのだろう。気候の変動や開発などの人工的変動にも鳥は強い。環境が変わったなと思えば気楽に飛んで他を探しに行ける。
油山も市によって新たな開発が計画されているようだが、開発が進めばすぐに見られなくなるだろう、むしろ環境を保護してハギマシコに安心を与え、多くの人が刺激を与えずに見れるようにし、積極的にハギマシコ渡来地として情報を広めれば魅力的な訪問地になるようにも思う、そんな視点が行政にあるかどうかというあたりだろう。オリンピックの進め方にしても電通に丸投げしてしまう政府の姿がある、安直な箱もの行政から抜け出したがらない行政は日本中に蔓延しているようにも感じてしまう。
来年も油山にハギマシコは来るだろうか、福岡市による油山の再開発はどう進むだろうか、見ものではある。
毎日その日撮った写真をインスタグラムにアップするということをこのところ続けているが、思いの他毎日新しいことを見つけることになって刺激的だ。
最近ではウスバキトンボというトンボに少し驚いている。この一ヶ月くらいあちこちの公園で黄色いトンボをたくさん見かけるようになった。最初 はアキアカネの羽化したてのトンボかと思っていたが、インスタグラムに上げようと写真に撮ってよく調べるとウスバキトンボというトンボでアキアカネではないと解る。更に世界的に多い種で海を渡って北上して来たトンボとも解る。もちろん1世代では長い渡りはできない、途中で世代を引き継いでの北上となっているらしい。不思議なのは冬を越せない位寒いところまで北上して戻りがない片道切符の渡りとなっているいうところだ。一体何のための北上なのだろうか、明快な説明はなされていないようだ、謎とされているようにいえる。
面白いので少し考えてみる。北上するという習性は多くのウスバキトンボに共有されているようで、経験が引き継がれたのではないことが明らかな以上何らかの形でDNAに書き込まれた行為としか思えない。
種の多くの個体を存在せしめ続けるのがDNAの目的ならば南方で過剰なほどに孵った個体は、無駄な縄張り争いをするより何割かは北上して居場所を増やしてくれた方が都合がいいということだろうか。その子孫が死滅しても毎年北に送り込めれば地球上の広い地域をカバーして夏場の地球全体の個体数を数多く維持できる、夏場だけでも目的は達成されるということだろうか。
結果的にはそうでも何だか変だ。これは、現在よりはるかに温暖な時代があってその時代の行動様式を未だに保ち続けている、それができている、ということではないかて思ってしまう。今も続く氷河期のサイクルが始まってまだ3百万年くらいしか経っていない、トンボという種はそのはるか昔から地球上に存在していてその頃はずっと暖かく北に行っても冬を越せない程の低温になることなどなかったということは十分考えられる。温暖化はトンボにとっては氷河期という環境破壊がやっと終わりかけてくれるという事なのではなかろうか。ウスバキトンボにとってはこの日のために渡りの習性を温存できたという事ではなかろうか。
温暖化による環境破壊だと己の生き残りのことばかり叫びたがる人類はもっと謙虚になるべきなのではなかろうか、そんなことも思ってしまう。
ウスバキトンボ一つでも奥が深い、この世は面白くも興味深いことで満ちている、生きて感じることすべてが貴重だ。
半月ほど前のことになるが、以前から見に行かねばと思っていてなかなか行けなかった遺跡に、エイッと訪れてきた。前畑遺跡といって大宰府を巡る水城、基山、大野城という古代城の繋がり(羅城と呼ぶらしい)の南側の輪が見つかったそれが前畑遺跡だという。テレビでも何回か取り上げられた。
殆ど破壊されようとしているという悲痛な訴えをネットのあちこちで見つける。まずは役所に当たってみようと筑紫野市の文化財担当のところへ電話して今どうなっているのか聞いてみる。全く何もない、以前の説明会の時に出されていた映像はもうすっかり変わっている、山に分け入れば土塁の痕跡はないわけではないが現状では道もなく見られる状態に無い、と情けない返事がある。ともかく前畑遺跡とネットで打つと出てくる住所(福岡県筑紫野市若江217)をナビに入れてそこへ向かってみることにした。
ついでに最近特別史跡に加わった水城の父子嶋(ててこじま)という遺跡が新聞に出ていてこれにも寄ってみようと家を出る。
更には九州博物館の先日行った醍醐寺展の半券で常設展に無料で入れるというのがあって、それも帰りに行ってみようという算段だ。歴史ショートトリップだ。
道順からは先ずは父子嶋(ててこじま)だ。ここら辺らしいというポイントをナビに地図入力して進むとJR水城駅前付近に導かれる、駅前の駐 車場にクルマを置けた記憶があったがびっしり止まっていてクルマが置けない。
兎に角父子嶋の横まで行くが細い道で交通量もその割にはあってとても車が止められない。近くの空き地の道路側が離合用と思われる分だけ道に提供してあるところに悪いと思いながら家内を見張りに残したまま車を止めて徒歩で走り回る。とても落ち着いては見れない。あわただしく水城西門付近と父子嶋をコンデジで写して急ぎ足で立ち去る。見れただけでもいいかという感じだ。
それにしても道が細いしアクセスがすこぶる悪い。これは考えてみれば防御用の施設である水城の周りという本質なのかもしれないと思い始める。すらすらと便利に事が運んでは防衛として困るというのが水城本来の役目なのだろう。今の時代になっても交通の阻害要因になっているようだ。しかたがない。
父子嶋そのものは平たい土盛で見ても感動とは縁遠が、阿蘇山大噴火時の火砕流堆積物でできた自然地形を水城の防衛ラインに取り込んだものではないかとされて、流れる歴史を感じるところが面白い。
水城廻りのごちゃごちゃした小道を抜けて前畑遺跡に向かう。
ナビでたどり着いた場所はまさに造成中の住宅団地の眺めだった。2016年12月にあった現地説明会資料がネットに残されていて現状と見 比べることはできる。2016年段階でもかなり造成は進んでいてその後造成の中に残された遺構が削り取られたようだ。痛々しいがここまで開発した土地を遺跡公園として残すという決断はできなかったのだろう、しようがない、それも人間の歴史なのだろう。それにしても父子嶋よりは明らかに歴史的価値が高いように思える、史跡指定の動きはなかったのだろうか。造成された宅地には住宅が建ち幸せな市民生活が送られるようになるのかもしれない、自然破壊と時の流れの遺跡の破壊の上の幸せにはどこか侘しいものを感じてしまう。
大宰府を巡るように羅城が作られていたのはどうも間違いなさそうだ。大変な建造物だ。少し気になるのはそこまでしてこの太宰府という場所を新羅・唐の連合軍から何としても守ろうとしたのは何故なのだろう、というところだ。太宰府には奈良時代には条坊制が施かれていたようで古くから都市としての体裁があったようだ、攻め込まれてもここなら組織的抵抗が持続可能という判断があったのだろう。それにしても、西の都市を死守したいというのには大和朝廷の源が九州にあったという日本書紀や古事記の記述がまさに形作られた時代のその生々しさをどうしても感じてしまう。
見上げると頭上にツバメの群れが舞っていた、この春初めて見るツバメだ。とんでもない昔からツバメはひたすら春になるとこの地に渡ってきていたのだろう。人の歴史はたかが知れている。
太宰府周りにはまだまだ遺跡が眠っているのではないか、もしかしたらここまで公になる前に沢山の遺跡が壊され続けているのではないか、そんな気がしてしまっている。
建築中の五ケ山ダムを見に行った。背振山の東にあって博多湾にそそぐ那珂川の上流部の水系に建設されているダムだ。福岡平野から山越えで吉野ケ里に行く時に通る場所にある。栄西が宋から持ち帰った茶の木を初めて植えたと伝えられるあたりということにもなる。古くからの歴史を抱えている場所だ。建設も終盤で貯水を始めているらしい。
2004年頃取り付け道路の工事が始まり2012年にダム本体工事が始まった。自宅から佐賀に抜けるには便利なルートでしばしば使っていたがダム工事の進展に伴ってみるみる道がよくなっていくのが印象的でどんなダムができるのだろうと気になっていた。
福岡平野は年間降水量は平均的には少なくはないが、年間降水量に占める梅雨時期の降水量の割合がほかの地域より大きい傾向があって空梅雨ではその影響を受けやすい、そのためだろう、やたらと溜池があるし大きな水不足に何回も襲われている。今は筑後川から水を送っていたり博多湾の海水から水道水を作ったりもして水には随分と苦労している。こんな状態を少しでも解消しようという多目的水利用のためのダムとして五ケ山ダムは作られているようだ、発電もあるがはダム自体が使う電気を賄う程度の極めて小規模のものだという。エネルギーをダムに求める時代は終わっているようだ。
勿論大雨が降った時はそれをある程度吸収できるように通常の水位には余裕を持たせ洪水防止にも機能するようになっているという。
今回のような北部九州豪雨でも筑後川水系のダムは例えば寺内ダムのようにギリギリまで大雨を溜め込んで水位調整に役立っておりその状況を見ると一時期叫ばれていたダム不要論は行き過ぎていたのかと思わせる。民主党政権下で見直された小石原ダムが間に合っておれば、という声もあるようだ。治水のかなめは矢張りダムが強力だ。中小河川を地道に抑え込む治水が大事の様だ。考えてみるまでもなく治水は人類の進歩とともにあり続けた。
それにしても巨大な工事による大規模自然改変であることは間違いない。生態系の維持を考えたビオトープの設置が最近のダムでは常識の様で、環境アセスメントの結果でそうなっているというような説明が見学時の質問に答えてあった。生物多様性基本法が実効的に動き出し、少しでもそんな多元的な思考が行われるようになったというのは時代の進歩といえるだろう。政治の世界も失敗もあるがいいこともしている、そう感じさせる。色々学び考えさせられる、こんな見学は面白い。
行き過ぎては戻す、この繰り返しで少しづつ前に進む、それが人類の当たり前の姿なのだろう。どこまで行けるだろうか、一億年後はどうなっているだろうか、見られないのが悔しい、また思ってしまった。
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日食の日は法事があって熊本に居た、金環食は見たかったが見ることが出来なかった。かなり欠けた部分食なら見えるはずだったのだけれども、雲が厚くて太陽は姿を見せない。それでもピークの時間帯に差し掛かるとさらに厚い雲でもかぶったように空の明るさが
一段と減じてうす暗くなり太陽の力が弱まっているのがはっきりと感じられた、見えようが見えまいがそんなことにはお構いなくきっちりと宇宙を動く天体の定めが伝わってくる。雲があっても日食の発するえもいわれない雰囲気をともかく受け止めることは出来た。日食は格別だ。
次の金環食は来年5月10日のオーストラリア北部だが殆ど同じ地域でそれより前の今年の11月14日に皆既食が見られる。カネとやる気があれば日食を見るチャンスは次々にやってくるようだ。しかし3年前の皆既食にしろ今度の金環食にしろ結局見れないのはどうにも相性が良くないように思えている。多分熱意が不足しているのだろう。子供の頃に初めて体験した日食は 起こると決まっていることが起こっただけでなーんだというほどの印象しか与えなかった そんなことがずっと尾を引いているのかもしれない。
調べてみるといつ日食が起こるかは古代メソポタミアから何がしかの予測がされており紀元前2世紀頃のギリシアでは現代の予測に近いほどまでの予測法が完成していたといわれている。簡便にはサロス周期と呼ばれる18年10日の周期で地球上でほぼ同じ食が経度120度ずれて発生する周期を使えば厄介な計算をしなくとも凡その推測はできる。今回の金環食は2030年6月1日にギリシアから北海道までの広い範囲の金環食となってふたたび現れる。赤子が大人になるサイクルだ、およそ世代に相当するサイクルが何か人間に影響を与えているようにも思える。更には54年と1ヶ月でまたもとの地域で起こることになり、普通に生きていればおよそ生涯で1回は皆既にしろ金環にしろ遭遇できることになる。こんなことを調べたり考えたりしていると、人の力を超えたサイクルの存在が人にとっての
日食の重さの真髄かもしれないと思えてくる。
それにしても自分とって次はいつだろうか、権利を使い果たしてもう見られないかもしれない、羽田から栃木へ向かうバスの窓から開業を翌日に控えたスカイツリーを見ながらそんなことを考えていた。日食などもう過去に飛び去らせたかのように目まぐるしくも人の作る時は動いていた。
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もう殆ど秋のようだ。秋といえば栃木のタカの渡りが気になって、一体渡る前のサシバはどうしているのだろうと1週間ほど前サシバの密度が高いといわれる市貝のあたりに出かけてみた。梅林のある観音山あたりか、とおよその見当を付けて見に行く。 里山と丘陵の境目の緩やかに田が谷間に入り込む谷津田(やつだ)とか谷戸(やと)とか呼ばれる地形でいかにもサシバがでそうな雰囲気のところだ。しかしこの日は、かなりの暑さで上空もあったまっていて上昇気流には適当でない、上昇気流を利用するタカは出そうにない気象だ。途中1羽タカらしい鳥が遠くの茂みにおりるのをクルマから見たくらいだ。梅林の上の駐車場付近で暫く待ってみるが一向にタカの気配が無い。やはり天気の調子が良くないようだ。市貝では10数年前まではカラスよりサシバが多いとまで言われていたらしい、もう渡り始めて数が減っているのかもしれない。
手持ちぶたさなのでそばにある永徳寺というお寺の境内に上がってみる。観音堂の伽藍は江戸時代のもので、本尊の仏像は鎌倉時代らしいが60年に一度しか御開帳が無いとの事でとても見ることは出来ない。伽藍の彫り物には象もあったりしてなかなか面白い。もとは益子一族の村上氏の山城だったらしく遺構も残っている。説明板では更にその昔 1187年に平宗清が守って源頼朝軍に落とされた城だというから歴史は古い、しかし宗清は1159年の平治の乱で頼朝を捕縛後助命嘆願した当事者であったはずがその後ここに居て討たれたとはちょっとおかしいような気もする、面白く脚色された話が伝わっているに過ぎないのかもしれない。ともかく古くからここらの地形は利用されていたのだろう、もしかしたら縄文まで遡るやもしれない。栃木はそこら中縄文遺跡だ、と以前宇都宮の河岸段丘で縄文遺跡発掘中の方に教わったことがある。道路建設が計画通りに行ってない所は大体が遺跡に当たっているようだ。市貝のあたりは低山と川が里山らしい風景をそこここに生み出している、昔から人が住むのに適した場所のように感じる。自然と一体化した暮らしを送っていた時代には大変住み良いところだったに違いない、田畑と山に適当に手が入って小さな生物が数多く生息できそれらの上位に君臨するタカにとっても住みやすい環境だったのだろう、しかし今は過疎化の波が押し寄せ廃棄物の捨て場に狙われやすいようであちこちにゴミの不法投棄禁止の看板が目に付く、東隣のツインリンクもてぎのあたりも一時は廃棄物処理場にしてはどうかという話があったらしい、少々自然破壊ではあるがツインリンクのほうが何十倍もましだ、里山は気を抜くと簡単に破壊される、何の役にも立たないと見られてしまうようだ。多種類の生態系が維持できる環境が人にとりわけ大事な時代に入っているというのに、タカのことを少しだけ調べたところでひたひたと迫りくる嫌な流れを感じる。人は自らが滅び行く道を選びたがるところが何故かあるようだ。
観音山から北に上がって同じ市貝の琴平山に向かう、途中ずっと里山の雰囲気だ、どこにでもサシバがいそうに思える、でもこの日は全くでない。追って出てくるものでもない、しかしタカがどうであれ人がどうであれ秋は確かにそこまで来ている。
このところ航空輸送に対するCO2問題の風当たりが急速に厳しくなってきて、どうなることかと気になっている。市民運動レベルで欧州で特に厳しくなっているのは、航空機での長距離移動の出すCO2の乗客一人当たりの量が簡単に航空会社のサイトで計算でき(例えばBritish Airwaysのサイト)これが個人が年間普通に排出するCO2に較べてダントツに多い、個人レベルでCO2削減を課せられると、航空機を使わないというほかない、という事実に起因しているように思える。例えば英国―成田往復便を1回使うと1人当たり2.17tonで自家用車1年分(約2トン)以上のCO2を排出する。CO2以外の温暖化ガスの効果を入れるとこの3倍位に相当するという計算もあるようだ。こんなのを突きつけられると、ちまちまと紙を節約しても桁が違う、ハイブリッド車にしても電気自動車にしても追いつかない。日本でも日本語の航空会社のサイトで簡単に計算できるようになったらためらう人が出てきそうだ。
欧州では2012年から、欧州以外の地域から欧州に飛来する航空機からもカーボンオフセット(CO2排出権購入代金、温暖化ガス削減資金に使われる)を徴収すると言い出している。これに怒っている国が続出、米国が怒るのは覇権を奪われた気持ちからだが、アフリカが怒るのはよく解る。先進国が散々勝手放題をしてCO2を出しすぎた結果を後から来た国にも責任を負わせるのはあんまりではないか、ということだ。この手の話は老獪な欧州や無邪気な米国の行動をみていると良く出くわす。
例えば鯨だ。石油が発見される以前の18-19世紀にはランプの油は鯨油だった、ランプの油のためにとりつくされるほど鯨はとられた。特にハワイの西は良い捕獲場所だったらしい。日本の開国も捕鯨船への補給要請がきっかけだった。ジョン万次郎も捕鯨船で米国を知った。そんな歴史はきっぱり忘れて、今は反捕鯨の大合唱だ。反省のことばや懺悔の言葉があって、その償いをやってくれれば反捕鯨もわからぬではないが、そんなそぶりは露も無い。万事がこんな調子だ。アフリカでもインドでも怒るがいい。
欧州は懺悔してCO2を回収する努力を真摯にやらねばならない。日本も本当は少しは怒っていいくらいの立場だ、とにかく米国の湯水のごときエネルギーというか石油の無駄使いは目を覆うものがある。
航空機のCO2問題は結局航空機がバイオディーゼルを使い、そのバイオディーゼルを海洋で養殖した藻類から取れるようなサイクルが出来上がるまでは、決着しないだろう。カーボンオフセットでは根本的には解決しない。
こんな事態をみていると人類はどこまで生き延びられるだろうか、ずるい欧州はずるさだけではそのうち存在がむつかしくなるのではないか、結局知恵の勝負になってくるな、と思えて面白くなる。
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早春からヒレンジャクを探してあちこち探訪してきたが、ついに出会えた。宇都宮市内の河原だった。あちこち行かずとも結局近くで遭遇できたことになる。雨が降り始めたところが良かったのではないか、勝手にそう思っている。CDで聞いていたピリピリという声はもっとにぎやかか、と思っていたが、本物にでくわすと、どちらかというと、かすかなヒリヒリという声、というのが相応しかった。やはりバーチャルなデータでは限りがある。ひたすら 群れになってレンジャクのなる木を現出して移動していくさまを夢
中で追いかける。双眼鏡で追う、とまったところをスコープでしばらくみる、写真を写す、録音する、相変わらず忙しい。時折地面に降りて何か食べている。枯れた草本の黒い実を食べているようだ。考えてみれば当然だがレンジャクはヤドリギの実だけに来るのではない、ここにはほんとに小さなヤドリギが一つあるだけだ、こんなもの目当てに集まってくるとはとても思えない、どうやらこの草の実も魅力の一つのようだ。ヒレンジャクの学名がBombycilla japonicaというのだから日本ではじめて認識された鳥なんだろうが、冬鳥だ、これからどこまで帰るのだろうか、次はいつ出会えるだろうか。
河原はいい、しかしどこかもろい。藪と潅木と柳と水路のあるちょっと見た目には荒れた河原が野鳥の 楽園となるのだが、これが次々に失われてきている。身近では日光大谷川の河原は片っ端から整備されて、無残な公園に姿を変えつつある。とても自然との調和などありはしない。こんなことに多額の税金を注ぎ込むなんてどうかしている。こういうのを見ていると、やはり勝手に振舞う人類は滅びるべく自らをそう仕向けている、そう思えてくる。勝手な振る舞いがもたらす温暖化は緩めることは出来てもとめることは出来ない。人類が滅べばまた平和な地球が保たれるのだろう、これはしょうがないな。
河原を彷徨して野鳥の姿を追う、当たり前のことのように思っていたが、出来るうちにやっておくべきことのように思えてきて こだわりたくなってくる。
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