2022年6月17日 (金)

パソコンG570のファンを交換

パソコンLenovoG570の不調が続いていた、ビープ音が起動時になり続く、時々キーボードエラーが起こる、キーボードを換えてもまただ。キーボード交換の時によく見ると冷却ファンが回っていないように見える、そういえばだいぶ前からファンは異音を発しこのところは動作音もしなくなっていた、直ぐに発注するがまた中国からの配送で2週間はかかりそうだ。届くまではダイソー調達の小型扇風機で風をパソコンに当て続けて動かす。やっと到着して早速交換する。発送元は香港で10日足らずで到着している、中国本土からよりは少しは早いようだ。久しぶりの静かなファンだ。まともになった、と思っていたら、起動でまたビープ音が鳴る。色々やってみるとCtrlとAltキーを交互に押したり同時に押したりしていG570kyboad0617a じっているとビープ音がそのうち止まるようだと気づく。そうとわかればあまり気にすることもなくなってきた。でもやはり気にはなる。ビープ音が鳴るのはメモリーの接触が悪いかもとも思い直し、そういえば以前「メモリーがReadになりませんでした」エラーの時「Windows メモリ診断」を実行するとよくなったことを思い出して以前のブログを読み直しながらこれをやってみた。
結果的にこれが効いたようでこれ以降起動時のビープ音はしなくなった、何故かキーボードエラーも無くなった。何でハードのトラブルが診断だけで解決するのかいまだに疑問だがとにかく直ればいい。ファン交換で静かに心地よく動いていてひとまず今回のトラブルは終了だ、まだまだこのパソコンを使っていこうという気になっている。

トラブルを思い返していくと結局はファンが壊れたまま暫く使っていたことが引き金で色々なことが起こってきたような気がしている。ファンが変な音を出し始めたらすぐに部品調達をかけるのが賢明のようだ。壊れたものは修理すればいい、またそういう時代になってきたような気がしている。

少しは知恵が増えた。トラブルも解決すればいい思い出となる。

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2022年5月17日 (火)

「三行で撃つ」を読む

ブログを書いているとどうしても文章が気になる。一時は色々小説家の文を読んでみたが、このところ集中力が衰えてきたせいか、あまり読まなくなった。雑誌の広告で三行で撃つという、今様の文章の書き方の本があるようなのを知って、買おうかと思ったが、安くもないのでまずは図書館に予約を入れた。福岡市全部の図書館の蔵書が計2冊しかなく待ち行列が10名以上あってこれは気長に待っているほかないかとひたすら待っていた。10日ほど前にようやく順番が回ってきて借り出して読み始Sancyou めた。
期待したほどの内容でもなく、およそ当たり前のことが出ていてちょっとがっかりだったが、幾つかはそうかと思うようなこともあった。例えば語彙の増やし方だ。パソコン上で動くデジタル辞書を幾つか持つべきだというのだ。言い回しの発想をそこから得ていくというのが主な使い方のようだ。お勧めは日本語シソーラス 類語検索辞典というのだが、調べると1.3万円くらいする、これは高い。考え方だけもらって自分に合った方法を考えればいいか、そんなことを思っている。
どうも考えている文章が著者の想定しているものとは大分ずれているような気がしてきて、最後まで読み終える気力がなくなって途中で止めてしまった。全部付き合って読破する、そんな本でもない。

文章を書くという世界は、当然ながら一筋縄ではいかない、でも工夫はし続けるべきだ、今はそう感じている。

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2020年6月25日 (木)

冷蔵庫の水漏れが

 

Gr40gb もう買って14年位経つ冷蔵庫だが、しばらく前から野菜室の裏が凍りついて霜取りの水が流れて行かず溜まってしばしば水浸しになり手を焼いていた。東芝GR-40GBという冷蔵庫だ。
例によってネットの書き込みを調べると似たような例が幾つか見つかる、水が出るというと野菜室の裏と決まっているようだ。修理を頼んだ人の話として、やってきた修理の人が、氷を徹底して取り除くとともに内蔵されているマイコンのソフトバグだといってバグを修正して帰っていった、といった内容の書き込みがあって気になった。ソフトバグが絡むのであれば修理を頼むしかないかとネットからサービスに修理依頼をすると暫くたって訪問修理を担当するところから電話がある。申し訳なさそうな口調で、断熱材の経年劣化と思われ霜取りして出た水が野菜室の裏のあたりで凍り始めると出口をふさいで水が出るようになる、氷をとることはやるが根本修理はできない、自分で氷をとるのとさほど違わないが訪問すると費用を請求せざるを得なくなる、やりますか?というのだ。マイコンのバグという話では無いともいう。直らないのじゃしょうがないとキャンセルすることにするが、使い続ける方法は何かないかと聞くと、野菜室の下面に薄く布巾を敷いて水を吸い取らせるといいと言っているお客さんがあります、結構それでいいようです、と教えてくれる。布巾で吸いとるとはいかにもその場しのぎでちょっと落胆したが、依頼はキャンセルして、やれるだけやってみることにする。

ドライヤーやらお湯やらで 兎に角 野菜室の後ろについた氷を溶かせるだけとかして、布巾を敷く。
しばらく様子を見てみるとこれが予想外に有効で吸い取った水が氷るだけで野菜室内の浸水といったことにはならない、十分機能した現実的な対策だった。ただ、しばらくたつとやはり野菜室裏の氷はでき始めるが、対策しないときよりずっと緩やかなペースで済むし水浸しは結構氷が大きくなっても起こらない。気が向いたら氷を解かすくらいののんびりペースで済む。色んな知恵があるものだ、日本もまだ捨てたものではない。

こんな時代だ、助け合いながら物はなるべく自分で修理するか工夫して使い続ける、そんな新しい生活様式が、言われるまでもなくあるべき生活のような気がしてきた。

 

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2020年4月23日 (木)

「アフガン・緑の大地計画」を読む

 

コロナ騒ぎで近くの市立図書館の分館も閉館になってしまって2週間前くらいたつ。手持ち無沙汰の日々が続いている。
勿論家にいてもやることはいくらでもある。時々料理を手伝ったり、家や庭の手入れをしたりが大半ではある
。 庭の松の剪定は眼も大体よくなったのでまた続けているがなかなか終えられない、伸びすぎだ、結構疲れる、合間にやはり本を読んでいる。

Afgan1 図書館から借り出してきていた本は暫く返さなくてもよくなったのでのんびり読んでいるがその中に非業の死を遂げた中村哲の「アフガン・緑の大地計画」というのがあって少々圧倒される。
市立図書館の中村哲の著作の中でもこの本は人気が高く3ヵ月くらい順番待ちしてやっと貸し出し順が周ってきた本だ。ちょうど貸し出しとなった翌日から突然のコロナ閉館となって、普通は2週間の返却期限のところが6週間も借りられることになりゆっくりと読んでいる。
読みやすい本だ。医療支援の記載は一切なくて治水工事の全容の記述に徹している。実行された事業を細かな数値や写真や表を用いて報告書として書いたもので、今後も具体的に作業を進めるにあたっての便利な手引き書として役立つように書いたとしている、実用書といってもいい。著者が土木工事の実際の専門的手順を自ら学びこれに江戸時代の治水技術の粋といってもいい筑後川山田堰の調査研究を加えて洪水と干ばつを繰り返すアフガンの河に適した治水工事を設計、施工指導している。医術ではもはやできない、水を引き大地を変えるという治療を、計画を立て図面を引き資金を集め多くの現地の人を動かし時には自らブルトーザを動かして実現している。それがリアルな写真と数表で示される。驚くべき本だ。人気が高いわけだ。
その役割がたとえ巡ってきたとしても自分にはこんなことはできなかったな、と生き方を振り返ってしまう、その馬力と頭脳に脱帽してしまう。

山田堰もこれは見てみなくてはいけない。外出自粛の折そうポンポンと見に出かけられないが折を見て訪れてみAfgan2 よう、せっかく福岡にいるのだから。

 

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2019年12月19日 (木)

あの中村哲の著作を読んでみる

少し前のことになるが郵便局にちょっとした用事があって窓口処理を待っている間に据え付けのテレビを見ていたらアフガニスタンで中村哲さんが銃撃された、命には別条ない模様という速報が流れている。ペシャワール会のあの中村さんが、とは思うが弾は当たったものの命は大丈夫そうなら大したことはないのだろう、危ないところだから色々あるだろう、と思っていた。 
夜になると突然亡くなったという報になる。戦闘用の銃で撃たれてはやはりただでは済まない。いたましい。テレビでは中村さんの建設していた水路とこれによる広大な緑化の映像が繰り返し流される。
悪い水は医学では治せないので井戸を掘ったというところがストレートに入る。ウダウダいわずに行動する人だ。
とにかく著作を一冊読んでみようと何冊か図書館に予約を入れていたら「医は国境を越えて」という本がまず借りられた。とにかく読み始める。
Nakamuratetsu11219 読み始めると文章がしっかりしているのがすぐわかる。本質的に言うべき言葉をズバッと書いてくる。
報じられている灌漑事業に印象付けられていたがこの本はその始まる前の医療活動の有様を延々と描いている、こちらもかなりな話だった、驚いてしまう。
始まりはパミール高原への日本の登山隊に随行する医師という形からだ。現地に医療支援が必要なことを強く感じ次にはキリスト教の活動の一環で教区が派遣する医師としてパキスタンに赴くという形をとる。圧倒的なイスラム教の中でミッション病院という明らかなキリスト教系の医療機関が機能できるところに意外性がある。勿論布教活動は一切できないが、宗教のことは言ってられないくらいに医療が貧困な現地の状況が伝わってくる。
更に欧州からの医療支援がイギリス系とドイツ系、ベルギー系に分かれていがみ合い、またアフガン人を嫌うパキスタン人という構図もこれに加わって、戦争がなくとも穏やかではない要素に満ちた空間に中村医師は日本人としてほぼ単身で乗り込んでいくというところから始まる、並大抵ではなさがすごい。あまりのすさまじさに、このいがみあいで命を落とすかもしれないと述解しているところがある(p282)、これが書かれた1999年末の段階でそうだったのだから今回の様な悲劇的事件はいずれは起こるものと覚悟していた様に思われる。
読みやすい本ではない、思いがほとばしっているようでクールな本ではない。映像で伝えられるより遥かに激しい気性の人のようにも思える、そうでなければこんな場に30年以上も居続け驚くような結果を残すことなどできないだろう。
人間の歴史そのものを見るような気がしている、印象的な著作だった。こんな著作をもう何冊も書き上げている、そのエネルギーにも感心してしまう。
もうすこし彼の本を読んでみよう。

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2019年8月26日 (月)

アムンゼンの南極点征服を読む

 

厳しい暑さが続いたかと思えば雨ばかりの日々となってこの2か月余り出かけることがめっきり減った。更にはこのところ左ひざを痛めたのもあっていや増しに動きが鈍っている。こちらは医者に見せると変形性膝関節症ではないかという、そうかなあ、と疑ってみるが所詮痛み止めをAmunzen 貼るだけだ、自然治癒を待つ他ないようだ。
とにかく家に居てばかりの日が続く。暇つぶしに本でもとここ数日はアムンゼンの南極点征服の手記を読んでいた。1911年12月14日に人類初の南極点到達を成し遂げたその時の記録だ。
南極は行ってみたいところの一つだが費用も時間もかかってエイッと出かける踏ん切りもつかない。なんとなく時が過ぎてしまっている内に体が次第に動かなくなってきて近頃はもう南極はとても無理かなとの気がしている。100年以上前によくぞ南極点まで到達できたものだとの想いがあって読み始めた。
読むと相当の冒険だったのがよくわかるが計画や装備が寒さやエスキモーの知恵をよく吸収していたノルエーのチームだったからこそできたという実態が伝わってくる。リアリティがある。同時期に南極点に向かった英国のスコットとは随分と心構えが違うようだ、あちらは軍人で国の威信を背負っていたようだがこちらの方が随分ナチュラルだ。
アムンゼン隊の極点に向けての移動手段は犬ぞりとスキーがそのすべてだ。スコット隊は馬を使っていたが極地で馬が耐えられるはずがなく装備もちぐはぐで誤算続きだったようだ。
スキーはノルディックスキーという言葉があるくらいでノルエー人にとっては幼い頃から慣れ親しんだお手の物の移動手段でこれに100匹を越えるエスキモー犬を準備して南極に向かっているのはこの時代としてはベストの組み合わせと思える。防寒用装備もエスキモーの知恵に従っている。
それでも大変な行程だったようだ。まずは果てしなく続くクレバスに何度も落ちながらかろうじて切り抜けている、よくぞ神経が持ったと思う。スコット隊は1908年に英国のシャクルトン隊が南極点まで180kmのところまで迫ったときに使ったルートを使用していたがノルウエー隊は直線距離で短い新しいルートを使っていた、それだけに未知の困難も多かったようだ。
そもそも両隊とも当然のように南極で越冬した後に極点に向けて出発しているところからすごい。十分な準備の荷物と探検隊を降ろした後、船は南極をいったん離れている。後戻りできない冒険だったようだ。極点近くは標高3500m近い高地になっていて立派な山もある大陸という景観だということもちょっとした驚きだ、もっとだらーとした陸地かと思っていたが起伏に満ちているようだ。よくもこんな所をと思ってしまう。緯度測定は基本的に太陽の高度を図る天測航法だ、これで往復で95日かけて直線で計2500kmの距離を移動しえたということになる、驚くべき探検行だ。
途中でエスキモー犬をいくらか食べながらも進んだことが普通に書かれている、それも計画のうちだったようだ。そういうギリギリの探検行を平然とやれる精神がこんな旅には必要なのかもしれない。現代ではむしろもうできない旅なのだろう。

緩み切った生活を送っているとこんな記録には刺激を受ける。今からその10000分の1でもできることがあるのだろうか、そうも思ってしまう。

ありのままに生きていくしかない、そうなのだろう。また夏が終わっていく。

 

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2019年1月19日 (土)

腕時計の電池交換その2

腕時計の電池交換が思いのほか簡単に低費用で自分でできたことに味をしめて、片っ端から動かなくなった時計を見つけては電池交換している。

中には裏蓋が開きにくいのがあって、どこかでもらったAIRBUSの宣伝用の時計に手こずってしまった。裏蓋全体がネジになっている形式でスクリュー方式と呼ばれているらしい。本来は専用工具を使うのだろうが、とにかく回せばいいだけなのでドライバー2本でやってみたり、ネットに出ていたカラーボールを押し当てる方法も試してみたりす

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るが固くて歯が立たない。ネットで探していくと腕時計用のcase openerという腕時計用のまさにこのための工具がたったの199円送料込みで売っている。
書き込みでは十分役に立ったと幾つもあるので半信半疑で発注する。到着まで10日くらい掛かることになっているので見るとchina postで送られてくることになっている。中国本土から直接くるようだ、それにしても送料は数十円位しかしないことになるのだろう、すざましい世の中になった。結局ほぼ予定通り11日後に配達された。袋の伝票を見ると出荷は大連市となっている。国際郵便でそのまま送られている。
ともかくこれを使って裏蓋開けにかかる。時計本体の固定は左手を使って水道レンチで鷲掴みにしておいて、右手でcase openerを2箇所の溝に当てて思いっきり回すと

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あっけなく開いた。見るからにチャチな道具だったがちゃんと役に立つ、書き込みの通りだ。
中の電池はRENATA397とある。こんな名前のつけ方は見たことがない。調べるとスイス製らしい、互換品があってSR726SWとなっている、すぐにヨドバシに発注すると翌日には届くようだ。200円もしないし送料無料だ。
翌日届いた電池を入れると無事動き出した。ベルトもボロボロになっていたのでダイソーの100円の替えベルトを取り付ける。たちまち生きた時計が蘇る。本当に安く仕上がるのには驚くばかりだ、デフレというべきか。

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次は婦人用のOPEXの腕時計の電池交換にはいる。簡単に裏蓋が開いて電池はと見るとSR626SWだ、この前替えた紳士用の大きめの時計と同じだ。どうも婦人用の機械部分を紳士用でも流用して使っているようだ。そんなこともあってブランド風の時計はどうやらこの電池が主流のようだ。
それにしても探せば動かなくなった時計が身近にボロボロ見つかる。こんなことから現代という不思議な時代を感じるのが面白い。

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2017年12月21日 (木)

寒気到来とモーターショーと

寒さが続いている。寒さの直接的な原因は北極振動の指数がマイナス側に振れやすくなっている、すなわち北極回りの寒気を閉じ込めておく極渦が弱まって北極が高気

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圧的になり北極の寒気が流れ出しやすくなって、これが波状的に北半球の各地を襲っているという図式だ。(1番目の図、高度約1500mの気温分布(12月26日の予測値)、日本と北米に寒気が降りてきている)。

北極振動の原因は地球温暖化モデルと関わりない大気の波動として解析されているようだが数値的には十分には長期予測されるまでに至っていないようで、短期的な予測しか頼りになるものは無い。今のところ正月に向かってまた北極振動がマイナス側に振れそうで日本ローカルは別として世界的には寒い年越しになりそうだ。(上から2番目の図、右端の赤い線が予測)。

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これまでの長期的世界の気温変動と北極振動指数(AO指数)の推移はよく対応しておりよく見ると北極振動の動きが気温の動きにやや先行しているように見える。(上から3番目の図)。本当に人為的な活動が主因で地球が温暖化しているのかどうかここらあたりからも議論がありそうだ。温暖化論争は更に混迷してきた感じがする。

Aokion

更には未来が一筋縄では見通せなくなった時代に政治がついていけなくなったような印象がある。




12月は2年に一度のモーターショーが福岡にも回ってきた。

 

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福岡では技術展示は殆どないのでコンセプトカーを眺めたり各社の最新型のクルマに座ってみるくらいでやや手持ちぶたさとなる。住宅展示場の雰囲気がある。こんなショーなら入場料をとるのはいかがかとも思われる。

 


ともかく試乗でもするかと、空きがあったトヨタのPHV(プラグインハイブリッド車)に試乗して会場付近の公道を走ってみた。PHVだから市街地走行では電気自動車だ。デモカーというのに自動化は遅れている印象で今乗っている車の様な速度ゼロからの追従モードやサイドブレーキの自動リリースなどは無く、あまり新しいというインパクトはない。これからのクルマは見ただけでは解らない乗ってみなくては解らないというところが随分大きなウエートになってきたと感じる。クルマを売るのも買うのも難しい時代になってきたようだ。
電気自動車の未来が語られるが電気自動車では本当に寒冷地で暖房も含めて実用性は大丈夫なのだろうか、吹雪で渋滞するとバッテリーが持たないということは無いのだろうか、その不安はいつまでも消えてくれない。寒くなってくると特にそう感じる。指し示す未来が未だに良く見えない。
温暖化も、クルマの技術も簡単に見通せなくなってきた、これが時代の雰囲気というものだろう。情けない雰囲気ではあるが。

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2017年7月26日 (水)

治水は人類の進歩とともにあり続ける

建築中の五ケ山ダムを見に行った。背振山の東にあって博多湾にそそぐ那珂川の上流部の水系に建設されているダムだ。福岡平野から山越えで吉野ケ里に行く時に通る場所にある。栄西が宋から持ち帰った茶の木を初めて植えたと伝えられるあたりということにもなる。古くからの歴史を抱えている場所だ。建設も終盤で貯水を始めているらしい。

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2004年頃取り付け道路の工事が始まり2012年にダム本体工事が始まった。自宅から佐賀に抜けるには便利なルートでしばしば使っていたがダム工事の進展に伴ってみるみる道がよくなっていくのが印象的でどんなダムができるのだろうと気になっていた。

 

今回は野鳥の繋がりで見学会があるというのででかけた。ビオトープも新たに作られているというあたりが野鳥とかかわりがあるということだろうか。
福岡平野は年間降水量は平均的には少なくはない

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が、年間降水量に占める梅雨時期の降水量の割合がほかの地域より大きい傾向があって空梅雨ではその影響を受けやすい、そのためだろう、やたらと溜池があるし大きな水不足に何回も襲われている。今は筑後川から水を送っていたり博多湾の海水から水道水を作ったりもして水には随分と苦労している。こんな状態を少しでも解消しようという多目的水利用のためのダムとして五ケ山ダムは作られているようだ、発電もあるがはダム自体が使う電気を賄う程度の極めて小規模のものだという。エネルギーをダムに求める時代は終わっているようだ。
勿論大雨が降った時はそれをある程度吸収できるように通常の水位には余裕を持たせ洪水防止にも機能するようになっているという。

今回のような北部九州豪雨でも筑後川水系のダムは例えば寺内ダムのようにギリギリまで大雨を溜め込んで水位調整に役立っておりその状況を見ると一時期叫ばれていたダム不要論は行き過ぎていたのかと思わせる。民主党政権下で見直された小石原ダムが間に合っておれば、という声もあるようだ。治水のかなめは矢張りダムが強力だ。中小河川を地道に抑え込む治水が大事の様だ。考えてみるまでもなく治水は人類の進歩とともにあり続けた。

それにしても巨大な工事による大規模自然改変であることは間違いない。生態系の維持を考えたビオトープの設置が最近のダムでは常識の様で、環境アセスメントの結果でそうなっているというような説明が見学時の質問に答えてあった。生物多様性基本法が実効的に動き出し、少しでもそんな多元的な思考が行われるようになったというのは時代の進歩といえるだろう。政治の世界も失敗もあるがいいこともしている、そう感じさせる。色々学び考えさせられる、こんな見学は面白い。

行き過ぎては戻す、この繰り返しで少しづつ前に進む、それが人類の当たり前の姿なのだろう。どこまで行けるだろうか、一億年後はどうなっているだろうか、見られないのが悔しい、また思ってしまった。

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2016年12月14日 (水)

遭難漂流記を読む

風邪をひくが治りが悪い。血痰が出る。感じ悪い。近くの医院から国立病院に回されて、胸輪切りのCTスキャン、レントゲン、血液検査、インフルエンザ、マイコプラズマと検査をいくつもされた、診察や投薬と合わせて2万円近い。結局大した問題はなさそうだがはっきりはわからなくて費用対効果がすこぶる悪い。
こんな医者かかりは仕事を離れた身ではやってはいけないことなのだろう。しかし、もろくなった体にどう付き合うべきか未だに分からない。


病でごろごろしているため本を読む時間も十分とれる。今は

Taka1 ヨットの遭難漂流の手記を2つ読んでいる。一つは佐野三治著「たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い」、もう一つはスティーヴ・キャラハン著「大西洋漂流76日間漂流」だ。


どこか似通っている。キャラハンは1982年2月の遭難、佐野三治は1991年末で10年近く開きがあるが同じような形の救命イカダ(ライフラフト)、同じようなイーパブ (EPIRB-緊急位置指示無線標識)を積んでいる。いずれの場合も結局EPIRBは役に立たなかった(たか号はバッテリーを持たせるために保護されていて電源がすぐに入らず、結局乗員が気が付かないうちにEPIRBを流してしまった)、役に立っていればこんなに苦しい漂流にはならなかったともいえる。
救命いかだはキャラハンは2名の使用を考えて6名
乗りを準備した。一度4名乗りに2名で乗って流されたことがあって非常に窮屈だったので6名用を準備したという。たか号Calahan では8名用ではじめ6名で流された。窮屈この上なかったようだ。キャラハンはチンしてまだ浮いているヨットからできるだけ必要なものをイカダに移すことに成功した。特にモリとなった水中銃は食料調達に有効だった。釣りではうまくいかないようだ。鳥を手づかみで捕まえることには2つのケースとも成功している。

真水の調達にはキャラハンは太陽熱利用の真水製造機を予備も含め2個用意していた、これが極めて有効だった。たか号では結局雨のほかは自分の尿を飲んでしのいだことになる。緊急事態に対する備えではキャラハンのほうがはるかに用意周到だった。キャラハンは外洋ヨットを設計製造していたため遭難・漂流に際してもあらゆるものを使ってそれなりに対処できイカダの修理や真水製造機の修理や水中銃の修理もうまくできたように思われる。たか号の準備はレース参加が間際で決まったこともあって手抜かりがありまた沈没時に救命いかだに備わった食料や水機材の多くを誤って流してしまったということもあった。
こんなこともあってたか号は最初の17日で6人中5人が亡くなった。キャラハンは最初から一人だった。食料も水もたか号は遥かに厳しい状況ににあったといえるだろう。読んでいくとサバイバルには結局水が大問題であるように思える。青い砂漠と表現している。

キャラハンの救命いかだに装備されていた太陽熱利用の真水製造機は現在でも


51c2lvlaeul Aquamate Solar Stillという商品名でamazon(米国)で250$くらいで販売されている。キャラハンの使ったものよりやや改良されているようではあるが基本同じだ。ライフラフトには今や必需品ではないかと思う。
EPIRBも輸入品ならGPS付きで5-6万円くらいで売られている、NOAAに住所氏名をnetから登録しておけば実運用上はいいようだ。キャラハンの時は航空機や船舶に通達する形式だったものが今は衛星で受信される形式で48時間くらい発信続ければほとんど必ず伝わることになっているようだ。これがあればこんな長い漂流は今はないと思っていいのだろう。国産品で国内登録・維持するにはかなりやっかいで数倍以上の金がかかるというから不思議だ、安全で金儲けする仕組みはいかがなものかと思う。TPPではないが厄介な仕組みはすっきりさせて米国等と同等の負担で個人が使えるようにするのがスジだろう。

2つの遭難記を読むとたか号の沈没は悪天候だがキャラハンはクジラに衝突したのではないかとしている、遭難というと荒れた海と思うがそうばかりではない、思いがけないことで死に直面するようだ。外洋に出ると何が起こってもおかしくない、よくヨットでの単独横断などと出かけるものだと思ってしまうがここまで考えが至ると、歳をとったなとも思ってしまう、そうなのだろう。もう心が老けてきたし体ももろくなっている、もはや出来ないことが次々に目の前にあらわになってくる、そんな
になってしまったと思い知らされる日々が過ぎていく。

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