2023年5月21日 (日)

6回目のコロナワクチンを打つ

昨日6回目のワクチンを打った。接種済証には バイオテック/ファイザー製コミナティ(2価:BA.4-5)とあり、去年の11月に打った5回目とほぼ同じワクチンの様だ。
もう副反応は出ないかな、と高をくくっていたが前回とほぼ同じで睡眠サイクルが乱れ、寝付いて2時間くらいで目が覚め2度寝してまた2時間くらいで目が覚める、翌日は寝不足のようで頭がぼんやりして気分が悪い、おまけに37℃位の熱が出るという有様だ。熱が出る分前回より少しひどいという気もする。今回は接種後解熱鎮痛剤を1錠機械的に渡された、前回までは希望者だけに販売だった、そんなところを見ても今回は熱が出るのが当たり前というワクチンになっているようだ。解熱剤を飲んでも気分の悪いのは午前中いっぱい続いた、午後にはすっかり良くなったものの、おかげで今日の午前に予定していた油山での鳥見の会には不参加とせざるを得なくなってしまった、まあしょうがないか、というところではある。
外に出ればマスクを外す人が以前より多くはなったが、店の中では殆んどがまだマスク姿だ、こんな状態はいつまで続くのだろうか、ゆっくりと戻っていくのだろうか。

思えば人類はAjisai0521a 地球上の生物の頂点に立ち何でも思いのままと奢っていた、それに一撃を加えたのが新型コロナウイルスであり、ボディブローのように攻め立てているのが地球温暖化ということになるのだろう。軌を一にして攻撃が起こっているように感じるのは、これまでの人類の振る舞いが曲がり角に来ていると思わざるを得ないということなのだろう。
一方で欧州のようにこの機に乗じて狡猾にふるまい時代の曲がり角で他を蹴落とそうとする意志がうごめいているようにも感じてしまう。
もっと吞気で心を許しあえる未来を描き続ける強い心が求められているように思えてならない。

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2023年2月26日 (日)

鳥インフルとバードウオッチング

コロナがパンデミックになったあたりから世の中が少し捻じれてきたような感覚に陥っている。まさかと思うことが次々に起こってくる。ロシアのこんなことが人類の歴史でまた起こるのかと思う血にまみれた侵略戦争、外国旅行の急激な縮退、国内でも旅行にかかわる事業の急激な縮退と収入を失う人々の急増、給付金不正受給が高級官僚まで手を染める、闇バイトと称した素人強盗の急増、etc,etc. うんざりしてくる。
そして思わぬ広がりを見せているのが鳥インフルエンザだ、それによる世界的タマゴ価格の上昇も目についてきた。コロナのパンデミックとどこかでつながっているような気がするが、そこらあたりの解説が見つからないことからなぜ今こんなに蔓延し始めているのかまだ解明が進んでいないように感じられる。
鳥インフルエンザは渡り鳥が運んでくるとされる。運んでくる元はどこなのだろうか、そこは鳥インフルだらけの土地なのだろうか、俄かに納得はできない、コロナと同じように鳥類の間で  流行が繰り返されているというだけなのだろう、人間がそうしたように移動を止めないとうつしあいは拡散してしまうというだけのことな のだろう。
一体鳥インフルで 死んでいる野鳥は何が多Birdflue
いのだろうか、と調べてみる。環境省のホームページとそれを引用する形で農水省のページにもデータがある。この冬期のデータを2月半ば時点まで調べて図にしてみると最も多いのがナベヅルで28%、次がハシブトガラス19%と分かる。スズメは感染死の報告がないが普通に街中を飛び回っているハシブトガラスが随分多い。ハシブトガラスが渡り鳥を襲っているのかもしれないが渡り鳥だけが原因ではないようで留鳥にも保菌鳥が居続けてるのではないかと思えてくる。こんな風に蔓延してくると鳥の糞を踏む恐れのあるバードウオッチングは控えましょう、というおふれが出てもおかしくなくなるような気もしてくる。
 
何が起きてももう次第に驚かなくなってきている。野鳥を見る趣味もどこかでおしまいにしなければならなくなるかもしれない、何でも受け入れて生き延びていくのがこれからの生き方になっていくのだろう。

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2022年12月20日 (火)

日本の知、どこへ を読んでみたが

少し前に共同通信の「日本の知、どこへ どうすれば大学と科学研究の凋落を止められるか?」という本を図書館から借りて読んだが、読後感がよくない。
2000年ころまでは日本は世界の未来だったように思う。Nihonnochi それが今では輝きを失ったかに見える。何故なのか。引っかかっているところへこの本がどこかで宣伝されているのを見てとにかく図書館の順番待ちに並んだ。
ざっと読んで、何かが抜けている感じがする。あのつくば博が開かれ前へ前へと進んでいたものがこうも急に先が見えなくなったのは何故か、それには答えてくれない。文部官僚が予算の犠牲になったというシナリオを追いかけるだけだ。そうなのだろうか。違う、取材の仕方が根本的に違うのではないか。
2001年の省庁再編でそれまで大臣を抱き科学技術行政の中心的働きをしていた科学技術庁が内閣府と文部科学省に吸収されて、外から見て科学技術に力を入れていた日本政府の姿がぼやけてきたように映った。言い方はいくらでもあるだろうが科学技術庁の名が消えてどうしてもそう見えてしまう。この時期を分岐点とするかのようにずるずると後退していく日本の姿が現出していったと思えてしまう。そこをつく分析が実は必要の様な気がしてしまう。何でこんな科学技術庁をバラバラにするようなことになってしまったのかそこに突っ込むレポートが必要の様な気がしている。
文部官僚があるいは文部族議員が日本の科学技術を高めることができるのだろうか。そこだと思う。

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2021年12月30日 (木)

車検が近づいてバッテリーを換える

5年目の車検が近づいてきたので車のメンテをちゃんとやらねばと車検の見積もりを取ったりしてみているが予想通りディーラーからは20数万というとんでもない数字が出てきた。近くのよく行くガススタンドでも見積もると10万位と妥当だがこれでも結構な出費だ。何とか抑えたい。
部品で額として大きいのはバッテリーで、アイドリングストップ用のバッテリー交換はディーラー見積りでは4.5万円位と高い。自分でやればいいのだが、バッテリー交換は昔の車のように簡単に外して取り換えると今のクルマではナビなどのメモリー設定が失われてしまい、厄介な事態が起こるようだ。これを回避するため、バックアップ電源に繋いで作業を行う必要がある。この辺りがやや心もとないが、と、ネットを調べて行くとJAF会員なら作業をJAFに頼むことが出来、特別の支払いはいらない、との記述に行き当たって、これがいいかと思っていた。
大雪のニュースが流れてそろそろ交換してみるかと、ネットで適合バッテリーを調達すべく調べるとパナソニック製で今ついているのよりグレードの高いもの(Q-100)がアマゾン直売で2.1万である、すぐに発注すると2日後の夕方に到着した、思いの外早い。翌日朝一でJAFに連絡すると20分後に行きます、とくる、素早い。予告通り自宅にJAFが現れバックアップ電源の接続から始まってテキパキと作業を進め1時間もしないうちに完了して次の現場へと去っていった。あっけないほどだ。
あとできることは、発煙筒が期限切れ交換となるので代替品として認められているLED非常灯をネットで発注するくらいだが、これも直ぐに届く。
オイル交換はスバルカードで年1回オイル代無料で交換できるのでこれを利用するとする、これくらいやれば後の出費はしょうがないかと思っている。

しかし、バッテリーの交換も自分ではままならなくなってしまった、クルマは昔のように自分でいじったりすることがとてもできないようになってきている。何かの楽しみを奪われていくようにどうしても感じてしまう。初めてのマイカーだった中古のスバル360は手がかかり非力だったものの手をかけてやっていると、いとおしくなってきていた。時代は進んだというか変わった、そして何かが失われた。
しかし、もっともっと進めば失ったもののない昔のポイントに結局は戻るのではなかろうか、今の技術などはまだまだ幼稚の極みなのだろう。もっと人の心に寄り添った機械と人間の関係に至る遠い未来に思いを馳せている。

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2021年9月24日 (金)

オリパラが終わってもう20日

2021年の2020東京オリパラが終わって20日くらいたった。未だに分からない感じがあるのは開催反対の声が7-80%くらいあったという事前の世論調査だ。誘導的な設問があったにせよ、きわめて大きな数字だ。どうせ直接は見れない地方にいる自分の周りではそのような強い声はあまり聞かなかったように思う、恐らく東京の話でしかない、ということだろうか。あるいはそのような声を先導している者がいたということだろうか。楽天の三木谷の様な知名人が反対したというのもあるのだろうか。しかし三木谷のそんな発言を読んだ時はこんなこというのはどうかと思った、J1リーグにもプロ野球にも自分のチームをかかえながらJ1、プロ野球の中止という声は発せずに頑なにオリンピックにだけ反対するというのは何か別の損得勘定があってのことなのだろうか、そのようにしか見えなかった。オリンピックでJ1やプロ野球が注目されなくなるのがいやだということだろうか。或いは朝日新聞は社説でオリンピック開催反対を主張していたが、朝日主催の高校野球を取りやめようとはしない。オリンピック開催で高校野球の影が薄くなるのが実は反対の根っこにあるのだろうか、勘ぐってしまう。利害関係者が中立のような顔をして意見を述べそれが世論を誘導するというのは見ていて胸糞が悪くなる。兎に角変な声があちこちにあった、こんな変な声が多くの人のぼんやりとした疑問を明確な反対へ後押ししたのではなかろうか。結果的には懸念されたオリンピック関係者から広がる感染爆発(主に海外メディアの懸念だった)は起こらなかった。

一方で実行サイドの対応にも、あれ、というところがある。徹底したPCR検査を選手・関係者に対し毎日のように行なっていたというあたりだ。これまではPCR検査を予防的に広く行うというやり方は全くというほど政府の行動としては排除されていたように思う。恐らく厚生労働省サイドを主導する医療関係者のPCR検査に対する不信感(6-7割位しか信頼性が無いという)がそうさせていたように見える(例えばチームの中心にいた押谷氏の発言@newsweekインタビュー)。ところがオリンピックでは手のひらを返したような検査密度だ、国際的感覚がここにあって、これをIOC側から指摘されたということだろうか、解らない、なーんだできるんじゃないか、そう思ってしまった。

普通に思えばオリンピックは選手のための大会だ、4年に一度しかない大会のメダルは選手寿命の中で大きな比重を占めているだろう、何とかやってあげたいという気持ちがあるのが当たり前のように思う。しかし、これが表に出にくかったマスコミの状況が大会前にあった、少し異常だったように思う。戦前の軍国主義が大手を振っていた時代もこんなのと同じではないのか、マスコミがあおった軍国主義と同じように、操られるようにしてオリンピック反対の世論がヒステリックに形成されていった、この過程は落ち着いて検証さるべき事態のような気がしてならない。また別の形で繰り返されるのではなかろうか。

コロナの時代は非日常の連続の様な気がしている。その意味では眺めているだけできわめて興味深い時代というほかないようにも思っている。

それにしてもこのオリンピックは最初福岡へ誘致するという話があった、もしそれが実現していたら、どんな展開になっていただろうか。未来はとても見通せないことで満たされている、つくづくそうも思ってしまう。

 

 

 

 

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2021年6月20日 (日)

突然インスタグラムのアカウントにアクセスできなくなる

コロナの勢いは少しは減ってきてはいて緊急事態宣言も終わりになるが、イギリスの例を見てもワクチンを50%打っても次の波は抑えられないようで、じきにまた増えだすのは避けられないだろう、ワクチンを打っても遠出しにくい日々がまだしばらく続きそうな予感がある。

そんなこともあってパソコンへ向かいあう時間が増えているようだ、それもあまり心地のいいものでもない。エッということも時々起こる。
近頃エッと思わさせられたのはインスタグラムの停止だ。インスタへほぼ毎日投稿しているが、多くをパソコンから行っていて、インスタの状況チェックも自分のページをパソコンから見ることが多い。
2週間くらい前、インスタをパソコンで開こうとしたら突然画面に 「アプリ上で情報を確認してからアカウントに戻ってください。アカウントに不審なアクティビティがありました。アカウントに再びアクセスするには、Instagramアプリから本人確認を行ってください。」との文字が表示されインスタにアクセスできなくなった。どういうことか分からないがインスタの使用がストップさせられたということのようだ。これは困る。
書いてある意味がしばらくは飲み込めなかったが、これはスマホからアクセスして表示に従えということか、と手元のスマホのアプリでインスタにアクセスする。すると本人確認をするので顔のカメラ映像を表示された丸に入れろ、と指示される。そのようにするとゆっくり顔を左に回せと次の指示が出る、うまく確認できないのかなかなか次のステップに移らないので何度も左へ顔を回す、5回くらい色々やるとやっと次は右へ顔をゆっくり回せとくる、何だか事件の犯人のような扱いだ、不愉快になるがしょうがない。今度は1回で決まったのか確認終了となり、めでたくインスタへのアクセスが再開できるようになった。誰かが自分のIDに不正アクセスをしようとした、ということのように思われるが、そんな説明は一切ない。数日後にまた同じようなことが起こった。またかと今度はあきらめて同じことを繰り返してとにかく再開されたが釈然としない。その横暴さがどうにも不愉快だ。

インスタグラムやツイッター等は世界共通の自己表現ツールとなってきているが、それをコントロールしているのは得体のしれない外国企業だ、ここに民主主義はない。一方的な指示があるだけだ、好きなように仕様も変えられる。今年になってトランプがツイッター社により永久停止処分となった、フェイスブックも無期限停止としたがこちらは暫くして何故か2年停止に緩和された、という一連の事態がおこり、これは記憶に新しい。永久停止は大統領就任式を前にしたトランプの投稿が行き過ぎたものだったからだということのようだが、読んでもそこまでのことは感じられないし、これは検閲そのものではないか、誰がどんな判断でそれを行っているのか、釈然としない。世界的な独裁的言論統制が1企業の手でこんな風に行えてしまうというのは如何なものかとどうしても思ってしまう。これが今日現在の社会ということのようだ。最初は納得されやすい統制から始まってとんでもないところまで独裁的統制は行きついてしまうというのが歴史の示すところだ。
こんな世界共通インフラを握った私企業の独裁にどうやって立ち向かえばいいのだろうか。直ぐにはわからない。でも、考えねば。

コロナで日々退屈な時間は流れていくが、考えねば、と思うことに幾つも突き当たる。ボロボロとこぼれ落ちていく時間が空しくもある。

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2021年5月28日 (金)

「推し、燃ゆ」が

今年の芥川賞は何だったんだろうと、ちょっと気になって掲載されている文芸春秋三月号を図書館で予約、順番待ちしたが程なく借り出すことがでOshimoyu きた。返却日の前に福岡に緊急事態宣言が出て図書館は5月31日まで閉館となり、返却期限も自動的に1か月ほど延びた。これで気が緩んで暫く読み出さなかったが、そういつまでも、と思い直して読み始めた。
受賞作は「推し、燃ゆ」という、昔で言う追っかけ少女の物語だ。作者は 宇佐美りん、21歳の現役女子大生という。新人のみが受賞の権利のある芥川賞の本領発揮という感が強いような気がしてくる。
とにかく読みにかかるが、自分の生きてきた或いは生きている世界とはあまりに違う世界でちょっと読み続けるのが苦しい。しかし読みながら思う、共感できないが組み立てと言い場面の雰囲気のディテールといい良く書けている、文学的表現に満ちている、こんな文はたやすくは書けない。読み進むと渦巻に吸い込まれるような感覚に陥る。
結局、どうしても共感できないまま読み終えてしまう。何が書いてあったか、とても人には説明困難だ、不思議な感触だけが残る。こんな経験も初めてだ。

何か新しいものがここには確かにある。まだまだ小説も捨てたものではない、芥川賞もなかなかやる、素直にそう思った。

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2021年3月21日 (日)

隈研吾のedX講座で日本の現代建築の流れを学ぶ

新型コロナがなかなか収まらない。ワクチン接種が進めば少しずつ改善されてくるのだろうが、大江千里や朝日の報道特派員などの海外在住日本人が接種した2回目の接種の体験談を読むと、2回目では結構きつい副反応が起こるのは現地では当たり前のようで大江千里(ニューヨークで接種)気絶、朝日の特派員(イスラエルで接種)は高熱と激しい。接種が広く行われるのには少なからず抵抗がありそうに思えてしまう。まだまだコロナ騒ぎは続きそうだ。
学びの場もリモートが当たり前のようになってきていて国内の大学の授業は殆どがズームだという。そういう訳でもないがedxというハーバードとMITが始めたネットを用いた通信教育は、資格証明をとるのでなければ、試験も含め無料で受けられるので幾つか受けてきた。今年になって隈研吾の建築家シリーズFour Facets of Contemporary Japanese Architecture の第3回目が始まったのでしばらく見ていた。今Kumakng 回は有料コースとして選択しないとテストも受けられないので、無料では講義をとっているとはいえず聴講している形だ、でも刺激があって面白い。終わった後にアーカイブとして講義が後々まで繰り返し見れるというサービスも今回は受けられない。ちょっと残念だがしょうがない、感じたことを忘れないうちに書き残しておく。

アーカイブは無いものの毎回の講義のイントロダクションの4分位の映像だけは残されているのでこれを見ながら思い出してみる、もっとも最後の隈研吾のまとめは見れる形では残されていない。

第2世代(1920-30年代生まれ)、第3世代(1940年代生まれ)、第4世代(1950年代生まれ)、ポスト4世代(1960年以降生まれ)の建築家の都市に対する取り組み方がとりあげられる、丹下の後 何を考え都市建築はなされてきたかを俯瞰する事になる。

(このシリーズ全体では (カッコ内は生年)
第1世代:丹下健三(1913)
第2世代:槇文彦(1928) 磯崎新(1931) 原 広司(1936) 香山 壽夫(1937) 
第3世代:安藤 忠雄(1941)長谷川 逸子(1941)伊東 豊雄(1941)石山 修武(1944)山本 理顕(1945)藤森 照信(1946)難波 和彦(1947)大野 秀敏(1949)
第4世代:隈研吾(1954)妹島 和世(1956)青木淳(1956)坂 茂(1957)篠原 聡子(1958)
ポスト4世代:千葉 学(1960)塚本由晴(1965)貝島 桃代(1969)小渕 祐介(1969)藤本 壮介(1971)
といった建築家達がとりあげられている。)

第1世代の丹下らは明るい未来を目指していたものが、バブル崩壊があり、東日本大震災があり、そして今コロナだ。未来が変容している。

見ていくと隈に指摘されまでもなく公共建築とドメスティックな建築の切り分けが弱くなってきている今を感じる。確かに丹下の都庁に代表される建築は上から目線の権力を体現していた。
小渕祐介の各建築家へのインタビューの形で進められていくが、いずれの建築家の話でもストレートな話し方をしない、悪く言えば話しているのを聞いていても何を主張しているのかわかりにくい、という一種やさしさがない話し方を感じる。ある意味上から目線で、これは未だに修正されていないのかもしれない。
それでもポスト第4世代である塚本・貝島らの話には、それまでの世代の建築家が示していなかった、ユーザーのやりたいことを第一においてそれをよりはっきり押し出せる建築というものを強く意識しているように見える。目線が下がっている。隈のいう 建築家は社会に責任がある、大きな存在であるべきという意識から寄り添う意識への変化を感じることができる。
第2-4世代の建築家群も、第2世代の槇が作り続けているヒルサイドテラスが変化を継続的に続けているように世代にとらわれることなく変わり続けていて、今となっては同じ方向を向いているようにも感じられる。

バブル崩壊以後コロナに至る価値観の変遷は、以前までの時代とは変わらなければ存在が続かない、立ち位置を失ってしまう世界になっていることを示しているようだ。大会社ほど脆くなっているのかもしれない。みずほが考えられないシステムダウンを起こす。考えてみれば東電の原発事故もその一環かもしれない。未来が見えない。輝く未来の嘘くささ、それを動いていく時代とともに感じ取る必要があるようだ。

我々はどこへ向かっているのだろう、またこの問いに戻ってきてしまう。

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2021年2月13日 (土)

win10のエクスプローラーが突然消えて

2月8日のことだ、朝からメインに使っているノートパソコンが異常となった。サインイン画面にPINを入れて暫く待っても画面が暗いままでアイコン画面にならない。何度やっても同じだ。これは困った、こんなことは初めてだ。持ち出し用の別の小型のノートパソコンを開いてこんな時の対処法を調べる。タスクマネジャーが出せれば状況はもう少しわかるようだ、いつものctrl+alt+delを押しても反応がないので別のやり方として出てきたctrl+sift+escを押してみるとタスクマネジャーが表示された。少し安心する、ハード的に壊れたわけではない様だ。

これで調べるとexplorer.exeが走っていないと判る。動かない訳だ。タスクマネジャーの「ファイル」から「新しいタスクの実行」として、ファイルの場所を入れて ファイルを開くことができること解り、フォルダを色々開けて更に調べていくと、Cのwindowsフォルダにあるべきexplorer.exeが消えていることが判明する。なんなんだろう。
気を取り直してタスクマネジャーを用いて、インターネットブラウザのホーム画面として使っているスタートファイルやエクセルファイルを開けていくと普通に動き一応パソコンの機能は使えると解ってくる。ちょっと安心する。
しかし、ファイルのコピーや移動ができないのでやっぱり困る。ネットで探していくとexplorerの代用品となりそうなアプリexplorer++が見つかりインストールしてみる、これで概ねできそうだ。大分安心して一旦シャットダウンして再立ち上げする。

と今度はディスクの修復が動いているようで見慣れぬ表示が出てしばらくかかる。「100%終了」が表示されても終わらないので暫くほっておくが変わらない、小パソコンで調べるとこんな時はちょっと怖いが結局強制終了しなくてはならないと解りエイッと強制終了する。
再立ち上げすると元に戻っている。explorer.exe もちゃんとあって動いている。何故こんなことになったかよくわからないがどうもディスクのどこかに傷があってディスクの使用量が目いっぱいに近づいたのでそこにかかって動作不良になったという気がする、それにしてもexplorerが消えるというのにはどうも結びつかない。もしかしたらwin10の更新の失敗なのだろうか。そうかもしれない。色々考えてしまう。

コロナがあってこんなことがあると一層この先何が起こるかわからない感が強くなる。目の前に流れる時間を出来るだけ楽しむ、これしかないのだろう。いつも同じところに戻ってくるのだが。

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2020年7月31日 (金)

ネオワイズ彗星とトイレの修理と

 

ネオワイズ彗星がまだ見えるかもしれないとやっと夜空が晴れた7月25日の20時過ぎから夜空を探してみた。国立Neowisecometmark2 天文台暦計算室の今日のはしぞらのページに今日の位置が出ている、おおいぬ座の足のあたりだ。自宅玄関先から双眼鏡でそこらを探していくと普通の星とは全く違うぼやけた天体が見えてきた。これだ。彗星は前に何度か見たことがあって、そのぼやけた感じが同じだ。暗い。3等星あるかないかという感じだ。野鳥用のフィールドスコープでも見てみる、こちらのほうが見やすい。気のせいか上の方に向かって尾があるようにも思える。鳥用の望遠で写真を撮ろうとしてみるが、ファインダーにはっき り見れず大体の方向を定めて何枚かシャッターを押してみる。後で見てみると写っているようにも見えるが違うようにも思えて自信がない。
4日後の29日もまた夜晴れたので探してみるが更に暗くてなかなか見つからない。暫く探しているとかみのけ座の右にやっとそれらしいぼやけたNeowisew10729a 点がスコープで見つかる。これが見納めだろう。次は0.5億年後らしい。(添付図は星図へのプロット、青が25日白丸が29日、スコープでの見え方を記憶で書いたのがその次の図)
46億年前にはこんな彗星のような星の材料が次々に集まって地球が出来大気や水がもたらされたといわれる。地球もいずれ最期を迎えた後は一部が彗星となってまた別の星の誕生に貢献し宇宙は続いていくのかもしれない。

そんなことより、地球ではコロナでどこへも行きにくい毎日がまだ続いている。日々のこまごました日常が生き続けるあかしとなっているような気さえする。


数日前のことだ。40年物の水洗トイレがちょろちょろ水をタンク内に漏れ続けて水を供給している井戸ポンプが一定間隔で作動を繰り返すので、ちょっとイヤで調整に取りかかった。タンク内でバルブで水のラインを開閉するボールタップの調整が悪いようだ。止まりが悪ければボールをつけているアームを下向きに曲げれば止まるはずなのでやっていると、誤ってボールの付いているあたりでアームを折ってしまった。継手になりうる丁度いいアルミパイプを探しては見るがそんなものは無く止む無くボールタップを交換することにした。これくらいの交換はものさえ入手できれば自分でできるだろう。

まずはメーカのTOTOをあたる。タンクの型番はS720Bの文字が消えかかってはいるがタンク表面に読めるのでTOTOのホームページで調べるとS721BはあれどS720Bの記述はない。コールセンターに電話で問い合わせるとやはりS720Bというのはないという。古くて抹消されたのだろうか。取り敢えずS721B用のボールタップの型番を教わってネット検索すると5000円台で売られているのがいくつか見つかる。適合性にいまひとつ自信が持てずそれならとどのタイプにも合うという万能型の物も探して見ると送料込み2500円くらいから見つかる。半値以下だ。少し調べてみると使えそうなのでひとまずこれでいいかと2500円のを発注する(カクダイ662-312)。翌日届くというからすごい。浮きボールをカンチレバーで作動させる今までのものと違い浮きが垂直のガイドレールに従って上下し定まった水位で水を止めるようになっている、調整も解りやすそうだ。

翌日の午後に届いて夕食後取り付けにかかる。TOTOのはネジがPJ1/2でこちらはB1/2となっていて少し気になっていたが問題なく取り付いた。僅かに違うところがあるらしいが基本的にネジは互換の様だ。それほど時間はかからず交換出来て試運転してみると問題なく機能する。めでたしだ。どのくらい長持ちするかが気になるがその時はその時だ、トイレは2か所あるのでまた壊れても大したことは起こらない。

そんなかんだでやっと7月も終わる、コロナ騒ぎの他、チャドクガに悩まされ続けたり、何故かアオバズクにも今年は出会えず、彗星を見てトイレを治せたくらいが明るい印象の月だった。

8月はどんなことになるのだろう

 

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