2022年12月 7日 (水)

サッカーのクロアチア戦も終わって

ワールドカップサッカーも日本チームがドイツ、スペインをまさかの逆転勝利で破り随分な盛り上がりを見せていたが、クロアチア戦のPK戦であっけなく敗れてしまい、あーあの感が抜けない。
クロアチア戦は午前2時頃起きだして延長後半からテレビで見た。自身の戦前の予想は延長に入りPK戦になるだろうというものだったので、2時頃目が覚めてちょうどいいかもとスマホのワンセグを寝床で見るとやはり延長だ。これは大きなテレビで見なくてはと居間の暖房を入れて見始めた。延長後半からだ。両チームともに疲れが明らかでパスミスも目立つ。これは危ないかと思いきや結構攻め入ることもあって互角で時間切れとなった。PK戦の惨憺たる状況をつぶさに見て、しょうがないな、とまた寝た。
勿論ビデオには録ってあって、昨日今日見直しているが、PKの勝敗は偶然とばかりもいえないのかも、と思ってしまう。日本チームのキッカーの球の軌道は明らかに低い、地面付近だ。これではキーパーの飛ぶ方向が当たれば殆ど失敗するのは当然のように思えてしまう。恐らくPK戦を想定した練習などは十分にはやられてないのかな、と思ってしまう。クロアチアはこれまでも何度もワールドカップでPK戦で勝ち抜いておりきちんと取り組んで対処してきたのではと思わせる。この大事な時に正面にまっすぐ蹴って成功する選手までいる、キーパーは誰でも、まっすぐ蹴られれば多分それが一番入る確率が高いと言うと聞いたことがある。本番で実践できるかということなのだろう。
ビデオでゲームの初めから見直していると審判の判断が妙に日本にきついと思ってしまう箇所が幾つも出てくる、審判団はアメリカだ。何かあるのかな、とどうしても思ってしまうが、壁を突破するときにはそんなものともどうしても戦わねばならないのだろうと思えてくる。壁の一つにそんなものもあるのだろう。戦前の国際テニスの世界にもそのようなことがあったと戦後暴露された歴史も思い起こされる。サッカーの歴史はまだまだ数百年位は続きそうな気がする、先の未来では昔はそんなこともあったのか、と歴史の一コマに落とし込まれていくのだろう。これからどう展開していくのか、サッカーの先行きが楽しみだ。

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2022年9月20日 (火)

台風14号が過ぎて秋が本番

久し振りの大型台風が通り過ぎてやっと秋らしくなった。もうすぐお彼岸だ。猛暑だ猛烈台風だと騒がしいがいつものサイクルで季節が巡る。
今度の台風は色々面白いところがあった。まずメディアの騒ぎ方だ。
目が殆ど福岡市付近を通ることは予測計算で大分前から明らかだったがその時点でも上陸の可能性があります、程度のアナウンスでぼかしていた。そんなに自信がないのかいと思ってしまう。旅行業者から圧力でもかかっているのだろうか。
近づいてくると手のひらを返したように経験したことのない大型台風が来ると危機感をあおる。誰の経験なのだろうか、予報官の人生での経験なのだろうか、言葉がクリアーでない、理性的でない、説得力がないようにも思えてしまう。九州では大量の水蒸気フラックスが宮崎のあたりにぶつかり続けて災害を引き起こしたが、こういうことをきちんと予測し表現し伝える努力をすべきのように思ってしまう。漠然とした危機感を煽るだけではアバウトすぎる。もっとも予測技術もそこまでたどり着いていないのかもしれない。
今度の台風で奇妙に思えたのは、数値予測のMSMとGSMで風速の予測が大きく違っていたことだ。(MSMはMeso Scale Modelの略で、日本付近を5kmメッシュの細かい網目で大気をモデル化し数値計算したもの、GSMは Global Spectrum Model (全球モデル)の略で20kmメッシュの網目で地球全体を計算するがここでは日本付近の解として発表されるものを指す。)
例えば福岡市ではほとんど目が通るという予測にもかかわらずMSM予測計算値は6m/s程度の風速しか事前には示しておらず、吹き返しの風予測も4m/s程度だった、一方でGSM予測値では目の通過前で約15m/s、吹き返しで15m/s弱の値を予測していた。アメダスで計測された風速は目の通過前で10m/s強、吹き返しで15m/s弱で、目の通過前では全体としてはMSMにやや近く通過後の吹き返しではGSMがいい値を予測していたことになる。ゾンデ計測データを見るとMSM計算値は1000mより上空ではまずまずではある。地形の影響で地上付近の風はきっちり弱くなるようにモデル化されているようでありMSMは陸上付近ではすべからく弱めの風を予測しているようだ。GSMでは地上付近を弱めるモデルが大して入っていないため目の来る前の風が山地を抜けて地上を伝ってくるような場合には風が強めに出るように見えてしまうが、目が通った後海上を吹き抜ける北風が吹き返しで入るようになると地形による減衰がなくおおよそ予想通りの強い風が吹いたことになったと思われる。
数値計算による風の予測が完全ではないところに台風の通過では予報はなんかあってないなと感じる元があるように思えてしまう。こんな予測技術の現状では災害予防の立場から大げさに言わざるを得ないのだろう。


所詮未来予測だ、きっちりはなかなか予測はできないのは当然だ。まだまだ人類の科学技術など幼稚な段階にあるのだろう。

100年後には気象も地震もぴたりと予測できるようになるだろうか、もっと先までかかるだろうか、いずれにせよ少しずつ前へ進んでいけばいつかはそこまでたどり着けそうな気がする。そんな未来が見れなくて、残念ではあるが自分のDNAの一部がそこまでたどり着けばそれでいいような気もしている。

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(添付図 上左:MSM福岡計算/計測比較 上右:GSM福岡計算/計測比較 いずれも台風14号通過前後  下:MSMによる地上風推定図9/18 22:00JSTの図、台風中心は川内市付近、九州内陸部は殆ど薄い青:5-10m/s、海は大半が薄い緑:15-20m/s以上と予測している )

 

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2022年8月30日 (火)

インスタへのアップをクロームからエッジに変えたりライブメールのサインイン要求を消したり

コロナで外出を抑えているせいか、いまだに毎日結構な時間をパソコンに使っている。それなりにおやと思うことがパソコンには時々起こる。今月のおやはインスタのアップとライブメールに関するものだった。

インスタへの投稿は殆んどパソコンでアップしているがこれまで愛用してきたグーグルクロームからアップしようとすると10日くらい前から「何らかのエラーが発生しました」とでてなぜかアップできなくなった。Error 最近はエッジからでもアップできるようになっていてこれを試すとこちらは問題ない。ファイヤフォックスでもアップできる、勿論スマホからはアップできる。クロームだけがおかしい。何でこんなことが起こるのかよくわからない、クロームというブラウザの問題のように見えるが何のアナウンスも見つからない。とにかく今はエッジからアップしているが理由が分からないおやは嫌になる。

メールソフトにはサポート終了とはいえ使い慣れたライブメールを未だ使っているがこのところサインインしてくださいというメッセージが毎回出てこれに悩まされていた。無視してメッセージを消せば普通に動くが要求されたサインインを行おうとしても何故かうまくいかなくてこの警告メッセージを消すことができずにいた。実害がないのでしばらく放置していたが矢張り煩わしい。、
とにかく対処法をネットで探すとそれらしいのが出てくる。要するにライブメールからOneDriveに自動的にアクセスするような状態になってOneDriveを開くためにこのような要求画面が現れるということらしい。OneDriveへの接続をしないという設定にすれば解決するというのでライブメールの ファイル ー> オプション ー> メール として 接続 タブをクリック、Windows Live サービスへの接続 の サービスの中止 ボタン押す 更に出てくるメッセージに サインインの中止 ー> OK としてライブメールをいったん閉じて再開するともうサインイン要求メッセージは出なくなった。とにかく解決した。

大したことではないが、疲れる。勿論例えば気象データの取り込みや処理には毎日のように不規則な処理をせざるを得なくなったりする事態が発生するので、これくらいは、とも思うがGAFAやMicrosoftという独占企業体がこの有様なのは何となく未来が思いやられる。
あらゆる意思決定プロセスの透明化を監視し続けねばと思う、それが未来へ向かう我々に課せられているようだ。

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2022年6月17日 (金)

パソコンG570のファンを交換

パソコンLenovoG570の不調が続いていた、ビープ音が起動時になり続く、時々キーボードエラーが起こる、キーボードを換えてもまただ。キーボード交換の時によく見ると冷却ファンが回っていないように見える、そういえばだいぶ前からファンは異音を発しこのところは動作音もしなくなっていた、直ぐに発注するがまた中国からの配送で2週間はかかりそうだ。届くまではダイソー調達の小型扇風機で風をパソコンに当て続けて動かす。やっと到着して早速交換する。発送元は香港で10日足らずで到着している、中国本土からよりは少しは早いようだ。久しぶりの静かなファンだ。まともになった、と思っていたら、起動でまたビープ音が鳴る。色々やってみるとCtrlとAltキーを交互に押したり同時に押したりしていG570kyboad0617a じっているとビープ音がそのうち止まるようだと気づく。そうとわかればあまり気にすることもなくなってきた。でもやはり気にはなる。ビープ音が鳴るのはメモリーの接触が悪いかもとも思い直し、そういえば以前「メモリーがReadになりませんでした」エラーの時「Windows メモリ診断」を実行するとよくなったことを思い出して以前のブログを読み直しながらこれをやってみた。
結果的にこれが効いたようでこれ以降起動時のビープ音はしなくなった、何故かキーボードエラーも無くなった。何でハードのトラブルが診断だけで解決するのかいまだに疑問だがとにかく直ればいい。ファン交換で静かに心地よく動いていてひとまず今回のトラブルは終了だ、まだまだこのパソコンを使っていこうという気になっている。

トラブルを思い返していくと結局はファンが壊れたまま暫く使っていたことが引き金で色々なことが起こってきたような気がしている。ファンが変な音を出し始めたらすぐに部品調達をかけるのが賢明のようだ。壊れたものは修理すればいい、またそういう時代になってきたような気がしている。

少しは知恵が増えた。トラブルも解決すればいい思い出となる。

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2021年12月30日 (木)

車検が近づいてバッテリーを換える

5年目の車検が近づいてきたので車のメンテをちゃんとやらねばと車検の見積もりを取ったりしてみているが予想通りディーラーからは20数万というとんでもない数字が出てきた。近くのよく行くガススタンドでも見積もると10万位と妥当だがこれでも結構な出費だ。何とか抑えたい。
部品で額として大きいのはバッテリーで、アイドリングストップ用のバッテリー交換はディーラー見積りでは4.5万円位と高い。自分でやればいいのだが、バッテリー交換は昔の車のように簡単に外して取り換えると今のクルマではナビなどのメモリー設定が失われてしまい、厄介な事態が起こるようだ。これを回避するため、バックアップ電源に繋いで作業を行う必要がある。この辺りがやや心もとないが、と、ネットを調べて行くとJAF会員なら作業をJAFに頼むことが出来、特別の支払いはいらない、との記述に行き当たって、これがいいかと思っていた。
大雪のニュースが流れてそろそろ交換してみるかと、ネットで適合バッテリーを調達すべく調べるとパナソニック製で今ついているのよりグレードの高いもの(Q-100)がアマゾン直売で2.1万である、すぐに発注すると2日後の夕方に到着した、思いの外早い。翌日朝一でJAFに連絡すると20分後に行きます、とくる、素早い。予告通り自宅にJAFが現れバックアップ電源の接続から始まってテキパキと作業を進め1時間もしないうちに完了して次の現場へと去っていった。あっけないほどだ。
あとできることは、発煙筒が期限切れ交換となるので代替品として認められているLED非常灯をネットで発注するくらいだが、これも直ぐに届く。
オイル交換はスバルカードで年1回オイル代無料で交換できるのでこれを利用するとする、これくらいやれば後の出費はしょうがないかと思っている。

しかし、バッテリーの交換も自分ではままならなくなってしまった、クルマは昔のように自分でいじったりすることがとてもできないようになってきている。何かの楽しみを奪われていくようにどうしても感じてしまう。初めてのマイカーだった中古のスバル360は手がかかり非力だったものの手をかけてやっていると、いとおしくなってきていた。時代は進んだというか変わった、そして何かが失われた。
しかし、もっともっと進めば失ったもののない昔のポイントに結局は戻るのではなかろうか、今の技術などはまだまだ幼稚の極みなのだろう。もっと人の心に寄り添った機械と人間の関係に至る遠い未来に思いを馳せている。

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2021年9月20日 (月)

Lenovo G570パソコンのヒンジ修理が

メインに使っているノートパソコンlenovoG570の左ヒンジ部が少し変形してヒンジが外れたみたいになっている、隙間ができファンの音もどこかに当たっているのか、やけにうるさくなってこれは修理せねばという状態になった。特にファンのノイズと振動が日増しにひどくなる気がしていた。ネットで症状について、g570ヒンジ 修理、といったワードでいろいろ検索してみると、この型式のパソコンでは結構起こっている現象のようで、中古屋にヒンジが壊れたままのが出ていたりすることもあるという。修理の手順や動画など色々ネットに上げられていて、できそうではあるがほとんどパソコンをバラバラにしなくてはならないようで、本当にやるかどうか暫く迷っていた。症状は次第に悪化の兆候があり、数日前意を決して修理に取り掛かった。ヒンジ部分にたどり着くためには裏ブタ全体を外す必要があり、そのためにはバッテリーの下にあるネジ、キーボードの下にある隠しネジ、光学ドライブの下にあるネジ、ハードディスクの下にあるネジを外さなければならない、Paso1 ヒンジのそばにあるファンも外さねばならない。ネット情報に従って順に機器を外していくがキーボードがちょっと厄介だった。裏側の留めネジ3本を外してもきっちりはまっていて外れない。ネットでG570キーボード着脱として検索すると有益な情報が得られる、裏から押せるところがあってここを指で押すと左上隅が外れそこに薄いものを差し込んで横へ動かしていくとパチパチと止めが外れて上側が持ち上げられるようになり下の止めが外せるようになる。こんなことは現物とだけにらめっこしていても分からない。フィルムコネクターの大きいのを外すとキーボードが取れる。シールで隠された隠しネジを外し、そのほかの外すべきものを皆外してやっと裏ブタ全体が取れる。ヒンジ部にたどりついてヒンジを動かしてみるとかなりきつくなっていて固着に近い状態にある。この状態でパソコンの蓋を開け閉めすれば簡単にヒンジ取り付け部が破壊するということらしい。ヒンジ部のナットを緩めても界面活性剤をふりかけても状況はあまり改善されない。兎に角少しはもつだろうとネットで紹介されていたタッピングスクリューで強引にヒンジ金具を底枠の部分にねじ止めしてしまうというやり方を試す。根本的な解決ではなくあまりやりたくはないが他の幾つかの修理例もこの強引方式をとっていて、他のやり方は見つからない、しょうがない。兎に角裏ネジ2本でヒンジを再固定して組み立てに入る。元の姿に見た目戻ったところで電源スイッチを押すと全く反応がなく起動しない。これはまずい。
4時間以上かけた結果がこれでは頭Paso3 を抱えてしまう。おまけに肝心のヒンジ金具は電池取り付けのためにヒンジを180度近く開いたところでネジがすっぽ抜けたようでまたヒンジ部が変形している、元の木阿弥だ。何の成果もないばかりかパソコンそのものを壊してしまった状態だ。落胆甚だしい。
再分解しての調査は明日にして小パソコンで気象データ処理がどれくらいできるかやってみる。エクセル処理は外付けHDにあり使えるがこれに供給するデータを作るGMTの自作プログラムは本体側にあって使えない。5年位前のバージョンは小パソコンにも残されているが古くて今のMSMやGSMの仕様と殆どあっていない、バックアップを外付けディスクにこまめに残す必要があったのにそれをやってなかった、悔やまれPaso2 る。わずかに動くGSMの84時間後までの処理データで予測図を書いててみるがここまでだ。本当に頭を抱える。
翌日気合を入れなおして再分解しての調査に入る。つらつら考えるにフィルムコネクターあたりが怪しく思えていた。再分解は昨日の今日だからすらすら出来て直ぐにキーボード外しまでいく。大きめのフィルムコネクターを外してキーボードが外れるとべつの小ぶりのフィルムコネクターが一つ外れているのが見えてくる。これだ!昨日裏ブタ全部を外した時に気が付かないうちに外れたようだ。また壊れてしまっているヒンジを何とかしたいが、まずは再起動、と再組み立てに入り、電源を入れる。電源ランプはつかないものの、反応あり起動してくる。動作も問題ない。ファン音は掃除したせいかだいぶ静かになって我慢できる、ともかくこれでもう少し使ってバックアップもとって対策が思いつければまたやればいい。固着状態のヒンジそのものをばらすか切り離すか、といったことが必要になろう、頭を冷やして策を立てる必要がある。

とにかくパソコンはまた使えるようになった、そしてまただいぶ学んだ。G570の分解組み立てはためらいなくできるようになった。これくらい学べば今回は良しとするのだろう。それにしても疲れた。

(写真は上から、底板小を外した状態、右上のファンの上が問題のヒンジ、次はキーボードを外すところ、裏から推して左上から外していく、その次は問題のヒンジ(白いアルミプレート)回転させて下の枠に取り付けなおす必要 )

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2021年6月29日 (火)

気象を眺めて過ごすのも楽ではない

10数年前に気象予報士の資格を取って以来毎朝MSM,GSM,高層気象データ等の各種気象データをネットで取得して,処理して眺めて、自分なりに現状の気象の理解と先の予測を行っているが、このところ気象データの出方が優しくなくなって時間がかかってきている。

気象庁によるMSMやGSMの数値データは変わらず京大のサイトから取得できているが、計測データである高層21062815k5x1 気象データやアメダスデータ、世界各地のsynopデータなどはサイトの都合でデータの取得が容易でなくなったり、便利なサイトが消滅したのもあって、以前より随分手間がかかるようになってしまった。

今年3月からアメダスはエクセルから直接サイトデータを取得できなくなった。今はパソコンにデータを取り込み使うには一旦手作業で各地のデータのページをhtmlで保存してこれにエクセルから アクセスするように手順を変えている、GMSやMSMの答え合わせとして用いる位の範囲ならそう大したことでもない。アメダスで局地天気図(例えば右図)を書いてみるのが福岡というこの地方の気象の理解には大変有効と思って使っていたのだがこれに使う約40地点のデータを手作業で保存していくのは相当に手間で、まだ困っている。UWSCというソフトを使えば取りあえずの自動化はできそうで試しに数点の取り込みをやらせてみたが相当に遅く並行作業もできないのでまだ全面適用には至っていない。力技の日々が続く。

暫く手こずっていたのが高層気象データの中国からのデータだ。世界中の高層気象データ(気象ゾンデのデータ)をまとめて見やすいデジタルで出している米国wyoming大のサイトからは中国のデータが2020年の1月から全て除かれて、別のogimetというサイトから生データである暗号の様なTEMPデータを読み込んで処理していた。今月に入って中国のこのデータが、公開されている仕様とは少し違った表記を含むようになって、うまくグラフ(例えば下左図の様な、気温、風速風向、相当温位の高度変化)が書けない日々が続いた。地上付近のデータを含まなくなったり、TTAAと称されるデータ群では決められた気圧高度のデータだけで構成する約束のはずがそうBeijin0627 でないデータも時々含むようになったり、という調子だ。地上のデータは別途synopデータを読み込むようにしたり、中間的な気圧高度データはそれなりに使うような手順を挿入したりしてなんとか動くようになった。しかし何しろエクセル処理でやっているので出来ることには限りがある、ここらが限界だ。
世界各地の地上データについてはこれまで処理済みの見やすいデータが英国のweathercastのサイトにあってこれをエクセルで直接読み出して使っていたが、数か月前にサイトごと無くなってしまい、今は地上データも暗号のようなsynopデータをogimetのサイトから一々読み出し物理量に変換する手順でエクセル取得している。手間の増加はかなりだ。

ここへきて世界各サイトで変更等が重なったのは多分サイトのセキュリティ上の問題があったのだろう。シンプルな時代は終わりつつあるようだ。個人でオープンに情報を取得・処理するのはもう時代が許さなくなっているのかもしれない。
しかし更にこれを突き抜けた先には個人がすべてにアクセス出来て存分に楽しめる時代があるよう思えてならない。まだまだ人類の技術は幼稚な段階なのだろう、1000年先が見てみたい、そればかりだ。

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2021年3月21日 (日)

隈研吾のedX講座で日本の現代建築の流れを学ぶ

新型コロナがなかなか収まらない。ワクチン接種が進めば少しずつ改善されてくるのだろうが、大江千里や朝日の報道特派員などの海外在住日本人が接種した2回目の接種の体験談を読むと、2回目では結構きつい副反応が起こるのは現地では当たり前のようで大江千里(ニューヨークで接種)気絶、朝日の特派員(イスラエルで接種)は高熱と激しい。接種が広く行われるのには少なからず抵抗がありそうに思えてしまう。まだまだコロナ騒ぎは続きそうだ。
学びの場もリモートが当たり前のようになってきていて国内の大学の授業は殆どがズームだという。そういう訳でもないがedxというハーバードとMITが始めたネットを用いた通信教育は、資格証明をとるのでなければ、試験も含め無料で受けられるので幾つか受けてきた。今年になって隈研吾の建築家シリーズFour Facets of Contemporary Japanese Architecture の第3回目が始まったのでしばらく見ていた。今Kumakng 回は有料コースとして選択しないとテストも受けられないので、無料では講義をとっているとはいえず聴講している形だ、でも刺激があって面白い。終わった後にアーカイブとして講義が後々まで繰り返し見れるというサービスも今回は受けられない。ちょっと残念だがしょうがない、感じたことを忘れないうちに書き残しておく。

アーカイブは無いものの毎回の講義のイントロダクションの4分位の映像だけは残されているのでこれを見ながら思い出してみる、もっとも最後の隈研吾のまとめは見れる形では残されていない。

第2世代(1920-30年代生まれ)、第3世代(1940年代生まれ)、第4世代(1950年代生まれ)、ポスト4世代(1960年以降生まれ)の建築家の都市に対する取り組み方がとりあげられる、丹下の後 何を考え都市建築はなされてきたかを俯瞰する事になる。

(このシリーズ全体では (カッコ内は生年)
第1世代:丹下健三(1913)
第2世代:槇文彦(1928) 磯崎新(1931) 原 広司(1936) 香山 壽夫(1937) 
第3世代:安藤 忠雄(1941)長谷川 逸子(1941)伊東 豊雄(1941)石山 修武(1944)山本 理顕(1945)藤森 照信(1946)難波 和彦(1947)大野 秀敏(1949)
第4世代:隈研吾(1954)妹島 和世(1956)青木淳(1956)坂 茂(1957)篠原 聡子(1958)
ポスト4世代:千葉 学(1960)塚本由晴(1965)貝島 桃代(1969)小渕 祐介(1969)藤本 壮介(1971)
といった建築家達がとりあげられている。)

第1世代の丹下らは明るい未来を目指していたものが、バブル崩壊があり、東日本大震災があり、そして今コロナだ。未来が変容している。

見ていくと隈に指摘されまでもなく公共建築とドメスティックな建築の切り分けが弱くなってきている今を感じる。確かに丹下の都庁に代表される建築は上から目線の権力を体現していた。
小渕祐介の各建築家へのインタビューの形で進められていくが、いずれの建築家の話でもストレートな話し方をしない、悪く言えば話しているのを聞いていても何を主張しているのかわかりにくい、という一種やさしさがない話し方を感じる。ある意味上から目線で、これは未だに修正されていないのかもしれない。
それでもポスト第4世代である塚本・貝島らの話には、それまでの世代の建築家が示していなかった、ユーザーのやりたいことを第一においてそれをよりはっきり押し出せる建築というものを強く意識しているように見える。目線が下がっている。隈のいう 建築家は社会に責任がある、大きな存在であるべきという意識から寄り添う意識への変化を感じることができる。
第2-4世代の建築家群も、第2世代の槇が作り続けているヒルサイドテラスが変化を継続的に続けているように世代にとらわれることなく変わり続けていて、今となっては同じ方向を向いているようにも感じられる。

バブル崩壊以後コロナに至る価値観の変遷は、以前までの時代とは変わらなければ存在が続かない、立ち位置を失ってしまう世界になっていることを示しているようだ。大会社ほど脆くなっているのかもしれない。みずほが考えられないシステムダウンを起こす。考えてみれば東電の原発事故もその一環かもしれない。未来が見えない。輝く未来の嘘くささ、それを動いていく時代とともに感じ取る必要があるようだ。

我々はどこへ向かっているのだろう、またこの問いに戻ってきてしまう。

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2021年2月27日 (土)

UNITEDのBoeing777-200のエンジンが飛散して

つい数日前の2021.2.20,米国デンバーからホノルルへ向かうユナイテッド航空のボーイング777-200の右エンジンが離陸直後に分解しはじめ、地上に部品がばらまかれてエンジンから出火した。機体は急ぎ空港に戻って無事着陸できたが燃えるエンジンの映像が世界に衝撃を与えた。
直接の原因はファンブレードの破壊だった。日本でも昨年末の2020.12.4、羽田に向けて那覇を離陸した777-200の右エンジンが離陸直後United328 同じような状態になったが無事着陸できたトラブルがあったばかりだった。やはりファンブレードの破壊で引き起こされており、エンジンは2つのケースともプラットアンドホイットニー(P&W)製のPW4000-112のエンジンだった。
日本の航空局はこのユナイテッドのトラブルの報を受けて直ぐにPW4000-112のエンジンを付けた777に飛行停止の指示を出した。ユナイテッドのPW4000-112エンジン付き777-200は3年前の 2018.2.13、同じハワイ線でホノルル着陸寸前に似たようなファンブレードの破壊によるエンジン分解が起こっていた。この時は検査にミスがあって傷のあるファンブレードが検査でひっかからずに飛行に供されていたのが原因とされていた。
要するに、PW4000のファンブレードに問題がこのところしきりに起こっているということになる。
777が初めて飛び始めた時(1995年)の型式が777-200で最初の機体にはこのPW4000-112が付けられていた。このエンジンは当時最大の推力を持つファンエンジンでこれを実現するために色々な工夫が凝らされていた、その一つが今回破壊に至ったファンブレードだった。
Pwblade それまでのファンブレードはファンの途中にシュラウドまたはスナバと呼ばれる支えがぐるりとついて剛性を高めていたがそのための空力的ロスや重量増が避けられなかった。更に巨大なエンジンを実現するためにこのスナバの無い形式が検討され、幅広で中空のチタンブレードによりこれを実現した。P&Wとロールスロイスはこの方式としたがGEは全く新たに開発した複合材のファンブレードを採用してこれに対抗した。3つ巴となったエンジンメーカーの戦いは先行したP&Wが初めは有利だったが、初期トラブルを克服した最も軽いロールスのエンジンが多くの顧客を獲得するようになり、また777-200の発展型である777-200LR/-300ではGEの独占供給となりP&Wエンジンは777では少数派に転落した、という経緯があった。
今回のトラブルではチタンブレードの疲労破壊がその原因と疑われている、少なくとも前2回のトラブルではそれが明瞭になっている。金属部品の宿命でもある。ファンブレードは鳥衝突や砂吸い込み等で傷つきやすい、かなり高価な部品でもあるのでやたら交換するわけにもいかず慎重な検査を行いつつ飛行を維持するということが続けられてきた。それがこのところ破綻し始めているということのように見える。(写真下は昨年那覇でブレードが飛散した事故エンジンのブレード断面写真、事故調による事故の速報より)

ちなみに第2世代の777のエンジンとなったGE90はあのつぶれてしまった日米共同プログラムYXX/7J7のエンジンとして、GEが開発を進めていた複合材プロップファンGE36がその土台となっている。ここにもYXXという消えていったプログラムの残しえた技術がその後の航空機開発に残したものを見ることができるように思える。複合材ブレードなら疲労破壊から逃れられる。

今回のトラブルは、最早古くなってしまった777-200という機体の退役を早めるだけかもしれない。ここに至る時の流れを、こんな風に眺め行くのも感慨深い。

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2021年2月18日 (木)

駕与丁(かよいちょう)公園に行ってみる

特に予定もないので思いついて10時過ぎに少し気になっていた糟屋町の駕与丁(かよいちょう)公園に行ってみる。ネットでオオノスリの記事に駕与丁公園のハッシュタグが付けられていたのが気になった一つだが、ネットの紹介記事を見る限りオオノスリがいるとは思えない公園のようだ。しかし大きな池の周りの公園のようで兎に角どんなところか行ってみようという位で出掛けた。新二又瀬橋の交差点を右に折れて東の方へ暫くいくが全体にクルマは混んでいる。少し右寄りの道を行って「かすやドーム」の先を右に折れてバラ苑のところにあるはずの駐車場に向かう。と、駐車場への道が通行止めになっている。しょうがないので周回を続けて次の"半島"のところにある駐車場にとめる。半島からバラ苑に向かう橋は土台だけが残っていて橋はない。地震で落ちたということ??,よくわからない。 昼食をとって、池の鳥を見るがユリカモメとヒドリガモばかりだ。対岸に当たるかすやドームのほうにも鳥がいるようなのでまたクルマで周回を続けドームの駐車場に入れる。ぶらぶらしていると、のんびり遊歩道を周回する人が次々に過ぎていく。鳥は先程と同じような感じだ。大体わかった。それにしても駕与丁とは何だろう、落ちた橋はどうしてなんだろう、疑問符が幾つもわいてくる場所だ。
Kayoicyouike

戻って少し調べ直す。先ずは駕与丁だ。ネットで調べると駕与丁公園にある駕輿八幡宮の由来を書いた看板に、ここに昔 駕輿丁座(かよちょうざ)があって江戸時代にこの池を作る頃まで座の人々がここに住んでいたということからこの名前が残っている、と書かれている。駕輿丁座とは何か、また調べる。もともと奈良時代以来朝廷に属した下級官吏で、天皇・皇后等の皇室の輿を担ぐことを仕事としたのが駕輿丁(かよちょう)であった。仕事がそれほどなかったのか、時代が下るとそのうち駕輿丁座として専売権を持つ商工業従事者の組合となっていったという。扱ったものは米や材木、唐物、その他多岐に渡っていたようだ。秀吉は専売権の廃止を指示したが地位が確立されていたのか座は残ったということの様でもある。関西にあるのが当然のような駕輿丁座が何故ここにあったのかはよく解らない。この地に天皇が行幸した時に輿をかつげるように配置していたのだろうか。そういう理屈で大陸との交易の場であるこの地域に取引を取り仕切る座ができたのだろうか。
全国で駕輿丁の地名が残っているのはここだけというから貴重ではある。流れ着いた歴史がある。

もう一つの橋の謎は、少し調べるとややわかった。
橋はみずとり橋といい、1997年4月に竣工、2014年12月に崩落、地震があったわけではなく突然墜ちたようだ。設計施工に問題があったと思われるが原因詳細は調べた限りでは公表されていないようだ。
吊り橋の一種だが吊り線の代わりに床板の中を通るケーブルで吊るという構造のようで 詳しくは竣工時に出ている ((「PC3径間連続吊床版橋(水鳥橋)の設計・施工 Design and Construction of Three-Span Stress Ribbon Bridge(Mizutori Bridge)」著者 : 渡辺正勝 (福岡県粕屋町役場) , 烏野清 (九州共立大) , 岡崎洋 (マエダ) , 左東有次 (富士ピー・エス).))というレポートに出ているようだが入手できていない。橋の崩落は興味深い。随分前、米国シアトル近郊のタコマ橋というのが風により一種のフラッター共振を起こし崩落した、映像は設計者が崩落時現場に居合わせていたこともあり映画として残っていて後の世の教訓となって印象的だった、この橋も大きな教訓が残されたものと思われる。公表されるべきなのだろう。

コロナで遠くに出かける訳にもいかず10km半径くらいの範囲を動いているが、それでも結構色々なことを学ぶ。学び続けるのが生きていくということかもしれない。

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