2023年1月29日 (日)

ネパールの旅客機墜落事故が気になっていて

2023年1月15日ネパールのポカラで旅客機墜落事故が発生してもう2週間経つが依然事故原因については明らかになってこず気になっている。ここらで現在得られる情報を整理してみる。
事故機はネパールの国内線でイエティ航空691便、機体はフランス/イタリア共同のATR社製72人乗りコミューター旅客機ATR72-500(エンジンはP&WカナダのPW127Fターボプロップ双発)、事故時の搭乗は乗員4名乗客68名で全員死亡。機齢は15年6か月で普通の感じだ。事故機は現地時間1月15日10時33分(4:48UTC、現地時間はグリニッチ時であるUTCに+5:45))カトマンズ国際空港を離陸し、ポカラ空港に向かっていたところポカラ空港北西の滑走路延長上の川の土手に墜落した。事故発生は11時過ぎとみられる。管制への異常連絡は無かった。ポカラ空港の滑走路は12-30(進入が120度又は300度の方向の滑走路)で、ポカラの管制は東南(30)からの進入を伝えていたがパイロットが直前に北西側(12)からの進入Map1_20230129224101 に変更した。多くの機体は30側から進入しておりILS機器も30側に設置してある。当日の気象はポカラの6:00utcのsynopデータでは180°(南)の風5ktだから、若干の背風となる30側の進入を嫌ったとも思える。客室からの映像がFacebookのストリーミングに残されているが墜落寸前までは普通の飛行にみえる。地上から撮られた墜落寸前のビデオからはファイナルターンをしているところでバンクが増えてそのまま地上に突っ込んだように見える。
フライトレコーダとボイスレコーダは回収され間もなくシンガポールで解析されると伝えられている。当初はフランスに送られると伝えられていたがシンガポールで解析と決着したようだ。機体製造国の解析では中立性に疑問を抱いたのかもしれない。
機器の不具合については明らかではないが機上の飛行データを地上にリアルタイムで送るADS-Bの飛行高度速度データが異常で、送信も飛行途中で終わっており、少なくもこのシスTuirakumae テムには不具合があったことは明らかなようだ。このため事故があるとすぐに公表されるFlightdata24によるデータが今回は得られていない。フライトレコーダの読み取り結果公表まではこれ以上のことは解らないというのが現状だ。
機器の故障としてファイナルターン中の事故ということで、例えばファイナルターン中にフラップを下ろそうとしたが片側がうまく下りず片フラップになって操縦輪では負けてしまった、とかが考えられるがそこまでの故障がありうるのか、分からない。地上からのビデオ映像では失速-スピンというのでもないように見える。
副操縦士はこのフライトがうまくいけばこの後機長に昇格となることになっていたと伝えられており、事故機の機長はその最終判定役として振舞っていて操縦の修正が遅れたとも考えられなくもないが、安全優先は機長も勿論熟知しておりその線は薄いように思える。

どんな教訓をこの事故はもたらしてくれるだろうか、フライトレコーダとボイスレコーダ情報で多くの疑問が解かれると期待され、解析が待たれる。

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2023年1月 5日 (木)

見上げれば正月の空港に米海軍の737が飛来

年が明けた。初詣には近くの御子神社に歩いて行ったが参拝の列が長く横参りで済ませた、一応誓いの言葉も浮かんで久し振りに初詣らしい。近くの大学の和太鼓サークルによる演奏があっていてなかなかの迫力だ,途中の挨拶ではコロナ下で発表の場が少なく貴重な機会という、いつもの年よりずいぶんと沢山演奏している。終わりまで待たずに引き上げた。
神社に到着前にそばの河原でカワラヒワが数羽姿を見せる、今年の初鳥見はカワラヒワということになる、これもまずまずだ。
1月3日になって少しは出かけるかと車で20分ほどの池に出向くことにした。老司池、野多目池とめぐる。キンクロハジロの300羽以上の集団がとどまっていてちょっとした見ものだ。ハジロカイツブリも少しの群れでいたりもする。
上空を福岡空港へ着陸する機体が次々に通過していくがC40aa1 そのうち少し雰囲気の違う737がやってくる。何だろうと思いつつ写真に撮って戻って調べる。福岡空港の発着スケジュール表はネット上で見ることが出きるがそれらしい機体は出てこない。しょうがないので写真検索をすると似た写真がヒットした、米海軍仕様の737でC-40Aという機体とわかる。過密な正月の民間空港に割り込んで飛来してきているようだ。米軍は相変わらず傍若無人に治外法権の日本を飛び回っているようで何だか植民地の様な気がしてくる。何時になったら本当の意味で独立できるのだろうか。あるいはそこまでして独立しなくてもいいというのがもしかしたらマジョリティなのかもしれない、何しろ民主主義の国だ、多数がそう思えばどうにでもなれる。

何かにつけ色々考えさせられる年となりそうだ、そんな予感を与えてくれる正月という期間は貴重でもあるように思えてくる。

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2022年6月13日 (月)

東京はもう体がもたない

久し振りに東京へ出かけた。同期会に出席するためだが、昼食会で十分帰れそうなので日帰りとした。一泊して東京の街を興味に任せてブラブラするのは疲れ切るのが見えている。航空機で日帰りというのも贅沢だが、コロナでマイルの期限延長があったようで大分マイルが残っていてこれが消えないうちに使ってしまおうとマイルで行くことにしたため金銭的な負担は考えなくてよくなってこうしてしまった、というのが正しい言い方なのだろう。
それでもせっかくだからと少し早めに行って見れるところを見てみようと、始発の次の便(7時35分福岡発)で東京へ向かった。3年ぶりということもあって空港の勝手にも思わぬことがあるかもしれないと余裕を見て6時にタクシーを予約しておいた。思ったよりも早く30分位で空港に着いてしまい少々時間を持て余し気味だったが遅れるよりは何倍もいい。機体はエアバスA350-900だ、初めて乗る。主翼から少し離れた後部の窓際の席としていたが可成りうるさい。エンジンの後流がこの辺りの胴体にかすっているのだろうか。イヤホンをしても音声が聞き取りにくい、こんな経験は初めてだ。そうはいっても新しい機体だ、モニター画面には尾翼につけられた機体カメラの映像が見れたりして面白い、音楽はまともに聴けないのでこればかり見ていた。A3509000610a
予定通り9時10分ごろ羽田に着く。予定はしていなかったが昭和島の水処理センター屋上のコアジサシがもう来ているころだろうとモノレールの昭和島の駅で降りてみる。東口の通路を出て見上げるがツバメが飛んでいるくらいでコアジサシはさっぱりだ、昭和橋のところまで行ってみるが同じでむなしく引き上げる。ここにはもう来なくなったのだろうか。時期が僅かにずれているのかもしれない。
浜松町のそばにある芝離宮公園もまだ見たことがなくて訪れてみたいが時間が少ない、眺めるだけでもと思う。展望所があるはずと駅の案内の人に聞くがよくわからず北口から出て直ぐ右の建物の3階から眺めてみる。どうということもない。無駄な時間をいくつも使ってしまったようだが如何にも旅らしい。当初の予定に従って京橋にあるアーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)に向かう。
東京駅地下から八重洲の地下街を通るが随分久しぶりでこんなに店が多かったのか、ととまどう。以前東京駅で感じていた洪水のような人の流れではないが矢張り人は多い。人に尋ねたりしながら思っていたよりも大分歩いてやっとたどり着く。ここで写真と絵画の響きあう展示が開催されているというのをネットで見つけて見てみたいと思ったのがそもそもの訪問動機だ。久留米の石橋文化センターから移された収蔵品もどうなっているのだろうと気になったのもある。
事前予約で放送大学の学生として予約しておいた、学生は無料だ、予約コードと学生証を見せて問題なく入館する。6階までまず上がるという順路になっていて、「写真と絵画ーセザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」という見たかった展示の部屋に入る。それ程人は多くはない、丁度見Artizon0610a やすいくらいだ。絵画的つくりの写真だ。静物画の様な写真でなく水の流れや森の奥行や、それが絵画のように示される。撮れそうで撮れない写真のように感じる。絵を描くために撮った写真というものとは明らかに違う、そのものがある。作品の撮影は基本的に自由なので気に入ったものを持ってきたコンデジで撮っていく。こんな美術館も日本では珍しい。思った通り見るべき展示だった。
5階ではTransformation 越境から生まれるアートという絵画中心の展示ですらすらと見ていくがザオ・ウーキーの現代アートがいい。ザオ・ウーキーの名は知らなかった、1920年中國北京生まれ、9年前に93歳でスイスで亡くなっている。フランスに移住して活動していたが米国のジャクソンポロックなどの抽象画家の影響も大きいようだ。この美術館は彼の作品を数多く所蔵しているらしい。確かにいい絵を描く画家だ。
その他所蔵絵画の展示が4階に展開していてこれも見るがさすがに疲れてきて適当になる。
東京をめぐるのは今や体力勝負になってしまったようだ、たった3時間でもう足に異変を感じるほどだ。ともかく新橋の同期会会場に向かう。久しぶりの雑談をしこたま交わして4時ころまた羽田へ向かう、計算よりやや早めについて予約の便よりひと便前のに変えてもらって乗り込む。またA350-900だ。結構乗っている。機内で空弁を食べた後トイレに行くと、あまり居心地の良いトイレでもない、とにかく狭いし787のようなウオッシュレットでもない。少しでもたくさんの客を乗せエアラインの利益の上がる機体にすることに徹しているような造りだ。こうなっていくのがこの時代なのかもしれない。

久しぶりの東京は、ともかく疲れた。今現在の自分と世の中の関係を見せられたような気がしてしまう、体力的にもうついていけないかな、そう思ってしまう。たまにはこんな旅も必要なのだろう。

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2022年4月17日 (日)

中国東方航空MU5735の墜落が

先月中国で巡航中突然墜落した737の事故の原因がまだ明らかにされなくて気になっている。
2022年3月21日、中国・雲南省昆明市の昆明長水国際空港を広東省広州市の広州白雲国際空港に向けて05:15 UTC に離陸した中国東方航空のBoeing737-800、MU5735便は06:20UTC頃通常通り29100ftの巡航高度から降下を始めたが06:22 UTC頃広西チワン族自治区藤県付近の山中に墜落した。正確な墜落地点の情報はないが、比較的低い山の連なる山地で標高500-1000m程度とグーグルマップからは推測される。乗員9名乗客123名は全員死亡。墜落現場は大きな穴が開き部品の散乱範囲は狭い。翼端のウイングレットだけは10km位離れた地点で発見されている、高速の降下で最初にここがちぎれたのかもしれない。近くの鉱山の監視カメラが撮ったとされる映像や目撃者談ではかなりの急角度で高速で墜落激突したように思える。フライトレコーダ、ボイスレコーダは回収され米国に送られ解析中らしい。米国の事故調であるNTSBが依頼により協力している。1か月以内に調査結果のあらましが中国側から発表されるという。
現在公表されているデータはリアルタイムで送られてきていたADS-Mu5735final150secondsaltitudespeedverticBデータだけではある。
これを見ると、高度約30000ftで巡航飛行後着陸に備えエンジンを絞って降下しているようだが降下開始タイミングそのものは通常通りのようだ、しかしその後は急な降下となって急加速しており明らかに操縦がおかしい、部分的に上昇したりもしている。運動エネルギーと位置エネルギーの和を計算してみると平均のグライドパスは滑空比5-6程度で降下しておりエネルギー的には落ち着いていて、エンジンを絞ったままの状態でEnergyhight エレベータ操舵で減速上昇・加速降下を行っているように見える。データは高度およそ3000ft(1500m)で終わっていてグラフから読み取って計算するとこの時の降下角は36度位で異常に急な降下には違いないが垂直降下ではない。監視カメラといわれる映像が垂直降下に見えるのは見ているカメラの向きが関係しているのかもしれない。
これだけでは原因は分からない、エレベータ操舵系統の故障・破損かもしれないし、パイロットの意図的操舵ということも考えられないわけではない。エンジンパワーの操作はどうだったのか、色々考えてしまう。フライトレコーダのデータが読めていれば原因は相当のところまで絞られているとみられるが発表がまだないのはどういうことだろうか、政治的な考慮があるのかもしれない。
ともかく発表が待たれる。

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2021年12月20日 (月)

椅子クラフツという放送大学の講座が

放送大学で半期に1つの講座を受講している。今年の下半期は「椅子クラフツ文化の社会経済学」というのが少し気になってとってみることにした。
放送大学には工学系の講座が殆どないところへ作ることを感じさせるタイトルがそんな気を起させたのかもしれない。放送ではなくオンライン授業だ。但し放送と同じようにその場で質問はできず視聴するだけだ。社会経済学の講義の一環で何故椅子を作る手工業(クラフツ)が現代まで生き残っているか、という視点の講座としているが、ほとんどが椅子制作の歴史的変遷や、どんな椅子があるかに終始する。何の授業だろうかと何度も思ってしまう。椅子をどうやってうまく作るかというハウツーものでも全くない。8回の講義を聞いてレポートを出し終えた今でもまだわからない。レポートはいくつか示されたテーマの中で人生で印象に残った椅子をあげて説明する、というのがあってこれを選んだ。椅子としてパイロットシートが印象深い、幾つかパイロットシートの思い出はあるが、800字以内という制限があって大して書けない、興味で行くと戦闘機パイロット用のシートというのが気になっていたので、直接関係したことはないがこれについて書くことにした。シビアな使い方の椅子としてはほぼ頂点にあるように思える。手持ちの資料にも少しはあるだろうと航空宇宙工学便覧を開いてみたがほとんど記述がない。自分としても装備品の資料はあまり集めてはいない。しかたなくネットで手繰っていく。パイロット座席は椅Pilotseat 子としての特徴は幾つかあるが緊急時に射出できることが最も重要な機能に思える。歴史的にはジェット戦闘機の登場とともに考案されており、最初のジェット機が作られた国の一つである英国で戦後すぐにマーチンベイカー社(英)によって形つくられた形態がその後の主流となっている。以来射出座席の分野ではマーチンベイカーが圧倒的シェアを保っていて最近自衛隊が採用したロッキードF35の座席も勿論そうだ。椅子の歴史ではイギリスで各種その後の手本となる椅子(例えばウインザーチェアやサセックスチェア)が創出されており、何故か一般的に言っても椅子の分野ではすべからくイギリスが強いようだ。第二次世界大戦中量産された世界最初の実用ジェット戦闘機はナチスのMe262であったがこれには射出座席は取り付けられてはいなかった、当時射出座席はナチスドイツでは既に開発されていたのだがこれを量産できる段階ではなかったのだろう。随分とノウハウが入り組んで必要な製品のようだ。クラフツ的な側面がやはりあるのだろう。調べて行くと結構面白い。
たらたらと書いてみるがとても椅子クラフツの講義のレポートとして相応しいようにも思えない、しかし椅子という切り口は多相な世界への入口を提供してくれているようでもあり、興味深いアナザーワールドに遭遇したような気分にもなった。学び続けることはやはり楽しい。

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2021年2月27日 (土)

UNITEDのBoeing777-200のエンジンが飛散して

つい数日前の2021.2.20,米国デンバーからホノルルへ向かうユナイテッド航空のボーイング777-200の右エンジンが離陸直後に分解しはじめ、地上に部品がばらまかれてエンジンから出火した。機体は急ぎ空港に戻って無事着陸できたが燃えるエンジンの映像が世界に衝撃を与えた。
直接の原因はファンブレードの破壊だった。日本でも昨年末の2020.12.4、羽田に向けて那覇を離陸した777-200の右エンジンが離陸直後United328 同じような状態になったが無事着陸できたトラブルがあったばかりだった。やはりファンブレードの破壊で引き起こされており、エンジンは2つのケースともプラットアンドホイットニー(P&W)製のPW4000-112のエンジンだった。
日本の航空局はこのユナイテッドのトラブルの報を受けて直ぐにPW4000-112のエンジンを付けた777に飛行停止の指示を出した。ユナイテッドのPW4000-112エンジン付き777-200は3年前の 2018.2.13、同じハワイ線でホノルル着陸寸前に似たようなファンブレードの破壊によるエンジン分解が起こっていた。この時は検査にミスがあって傷のあるファンブレードが検査でひっかからずに飛行に供されていたのが原因とされていた。
要するに、PW4000のファンブレードに問題がこのところしきりに起こっているということになる。
777が初めて飛び始めた時(1995年)の型式が777-200で最初の機体にはこのPW4000-112が付けられていた。このエンジンは当時最大の推力を持つファンエンジンでこれを実現するために色々な工夫が凝らされていた、その一つが今回破壊に至ったファンブレードだった。
Pwblade それまでのファンブレードはファンの途中にシュラウドまたはスナバと呼ばれる支えがぐるりとついて剛性を高めていたがそのための空力的ロスや重量増が避けられなかった。更に巨大なエンジンを実現するためにこのスナバの無い形式が検討され、幅広で中空のチタンブレードによりこれを実現した。P&Wとロールスロイスはこの方式としたがGEは全く新たに開発した複合材のファンブレードを採用してこれに対抗した。3つ巴となったエンジンメーカーの戦いは先行したP&Wが初めは有利だったが、初期トラブルを克服した最も軽いロールスのエンジンが多くの顧客を獲得するようになり、また777-200の発展型である777-200LR/-300ではGEの独占供給となりP&Wエンジンは777では少数派に転落した、という経緯があった。
今回のトラブルではチタンブレードの疲労破壊がその原因と疑われている、少なくとも前2回のトラブルではそれが明瞭になっている。金属部品の宿命でもある。ファンブレードは鳥衝突や砂吸い込み等で傷つきやすい、かなり高価な部品でもあるのでやたら交換するわけにもいかず慎重な検査を行いつつ飛行を維持するということが続けられてきた。それがこのところ破綻し始めているということのように見える。(写真下は昨年那覇でブレードが飛散した事故エンジンのブレード断面写真、事故調による事故の速報より)

ちなみに第2世代の777のエンジンとなったGE90はあのつぶれてしまった日米共同プログラムYXX/7J7のエンジンとして、GEが開発を進めていた複合材プロップファンGE36がその土台となっている。ここにもYXXという消えていったプログラムの残しえた技術がその後の航空機開発に残したものを見ることができるように思える。複合材ブレードなら疲労破壊から逃れられる。

今回のトラブルは、最早古くなってしまった777-200という機体の退役を早めるだけかもしれない。ここに至る時の流れを、こんな風に眺め行くのも感慨深い。

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2021年1月13日 (水)

インドネシア・スリウィジャヤ航空SJ182便の墜落

時間が出来たので1月9日に起こったインドネシアの墜落事故の状況を調べ始める。気になっていた。
Map2 インドネシア・スリウィジャヤ航空SJ182便ジャカルタ発ポンティアナック行き737-500が現地時間9日14時35分(7:35UTC)ジャカルタ空港を離陸Flightradar24 した5分後海上に墜落した。乗員6名乗客56名全員が死亡したとみられる。フライトレコーダは12日現在未だ回収されていない。
Flightdataリアルタイムで地上に送られ残されたflightradar24の高度速度データを見てみると最後のところが見にくいのでデータを一々読み取って表にしてみる。速度と高度の減り方が何となく変だ。位置エネルギーと運動エネルギーをそれぞれ出してグラフにしてみると何となくわかる。高度が下がり始め操縦輪を引いて保持できなくなって速度もみるみる下がり最後は失速してスピンに入ったのだろうか自由落下のようになり海面に激突しているようだ。これだけ見ると両エンジンが突然同時に出力を失ったようにも思えるがそれにしても高度の落ち方が急すぎる。燃料系統の深刻なトラブルに加えて何かが起こったのだろうか。滑空して着水という手もあったのだろうが、あまりにも急でとっさの処置がうまくできなかったようにも見える。雷雲が所々にあり天候はいいとは言えないが旅客機を墜落させるほど07utc08utcame とは思えない(下図:墜落当時の雨の状況)、これくらいはこの時期ここではよくある天気と思える。また737か、というところがボーイングにはつらいだろう。泣きっ面にハチの様相だ。
ともかくフライトレコーダが回収されないと原因究明は難しいだろう、発見を期待するばかりだ。

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2020年6月15日 (月)

パキスタンでA320が墜落

 

新型コロナで航空輸送はばったり旅行客が減り何処も経営が苦しくなっているようだがここへきてパキスタンで旅客機が墜落し百名近い人命が失われた。この時期にしては結構な数の乗客が搭乗していたことになるが、パキスタンでは感染者が増加している中、経済が持たないと5月9日にロックダウンを解除した、それがそれなりの搭乗者のある運航をもたらしていたのだろう。パキスタンでは5月上旬に感染者が2万5千人位だったものが6月初めにはおよそ8万人まで急拡大している。経済と感染抑制を両立できない厳しい現実がここにはある様だ。

5月22日現地時間14:40頃(0940UTC)、カラチの国際空港近くにパキスタンのフラッグキャリアであるパキスタン航空の国内線エアバスA320が墜落した。フライトレコーダーやボイスレコーダーはすぐに回収され解析中だがまだ一向にそれに基づく速報が出てこない。取りあえずここまでの公開情報からわかることをまとめておくと以下の通りKarachiia になる。パイロットエラーの疑いが濃厚のようだ。機体は2004年製で機令が15年位と少し古いが3月に(定期の)検査をしたところで、特に問題は報告されてはいなかった模様だ。
機長はこの会社で最も経験豊かなパイロットだったようで(機長は54才、17000時間の飛行時間(A320の4,700時間を含む )を持つ)、気象条件も晴れで特に問題無ない状態でカラチ空港に着陸しようとしていた(カラチ空港METAR では 9:25で OPKC 220925Z 202005220g1 24011KT 7000 NSC 35/24 Q1004 NOSIGで 雲も無くほぼ正対の風が5.6m/s位で視程も7kmと良好な気象条件を示している)。
アプローチの高度が通常よりもかなり高かったため管制は注意したが問題ないと機長は応答しそのまま飛行した。高いまま着陸しょうとしたためかタッチダウンのポイントが滑走路の半ばくらいになってしまっていたが何故か脚を下ろしていなかった状態で接地した。管制に何の連絡もないため着陸装置に問題があって脚が出なかったとは考えにくい、脚の出し忘れと推定される。管制との交信の背後で警報が鳴っていたのが認められたとの記事がある。
ナセルが接地しゴーアラウンドしようとしたが跳ねて2度目の接地をおこないまたナセルを滑走路に打ち付けた後やっと上昇に転じた(生存者は3回の接地衝撃があったと証言している、左右エンジンナセルに接地の差があったのだろう)。この時地上から両エンジンからのはっきりとしたオイル漏れが確認されており、エンジン下部が両エンジンとも破損したと推定される。直後はエンジンは一応動いていたものの高度はあまり取れず小さな場周パターンを描いて再度着陸しようとするがついに両エンジンが停止し、滑走路までたどり着けずに手前の住宅密集地に墜落した。乗員乗客99名のうち生存者は乗客2名のみだった、というところが事故のあらましのようだ。
ここまでのところではこの超ベテランの機長の強引な飛行と脚下げ忘れというミスがあったことは明らかなようだ。脚下げ警報が鳴り響いていたことが管制との交信でも確認されており全く警報の言うことも聞かない飛行だったようなのも驚く。
何故機長がここまでの振る舞いをしたか、まだ解らない。
おやと思うのは公式以外の解析が思いの外素早くネットにアップされ事故の飛行をそれらしく再現して見せていることだ。Flight24等で公開されている機上から送られてくるデータや管制との交信データをもとに作成されたシミュレーション画像がYoutubeにアップされていて、それらしい、これは相当の知識がないとできない解析を行っているように見える。そんな目がある中では公的機関の事故解析もいい加減なレポートは出せなくなっている、そんな時代なのだろう。Youtubeは:
https://www.youtube.com/watch?v=76osJupy_P8/
パキスタン航空機による脚下げ忘れ着陸は、1986年2月,747でイスラマバード空港でも起こっている。同じことがまた起こったという内部の声もある様だ。
上記のそれらしいシミュレーションを見ても結局のところ分からないことが次々に出てくる、最初の脚上げで接地したのは純粋にパイロットのミス(コパイも含め)か或いは何らかの機器トラブルが発生していたのか、管制にパイロットからトラブル発生の報告は墜落寸前まで行われていないのは何故か、滅多にないと思われる旅客機の脚上げ着陸が以前にも同じパキスタン航空で起こっていたのには何かまだ改善されていない体質がこのエアラインに残っていたのか、1回目の高すぎる着陸進入でパイロットが管制の指示をまともに聴いていないようなのは何故か、等々と幾つも疑問が湧いてくる。
フライトレコーダーやボイスレコーダーで事故の詳細状況が公に明らかにされた後、解決さるべき、組織やコーディネーションや風土等の人の関わる問題がそこには横たわっているように思われてならない。こんな事故を経てエアラインは安全になっていくのだろう。

 

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2019年5月21日 (火)

久しぶりの奄美-1日目

5月14日-17日の日程で奄美に遊びに行った。奄美は2回目だ。今回は昔の鳥仲間との交流が主で、まあ前回見損なったところを見ればいいか、くらいの感じだ。
福岡から奄美はJALのおともでマイルを使うので飛行機賃は大したことではないが、往きが朝7時10分発、帰りは18時20分発のそれぞれ1便しかなく選択の余地がないというのがちょっとたじろぐ。まあしようがない。5時前に起きてドタバタと出かける。寝不足になるのは避けられない。
福岡空港は先月も沖縄出発のクルーズ船の旅で使ったばかりだが感じがどこかもう変わっている。この4月1日から民営化となって新しい風が吹き始めている。離島便はボーディングブリッジではなくてバスで移動しての搭乗となるのだかこのバスが市内を走っている西鉄バスそのものであれェと思う。確かにこれで十分だと思わせる。無駄な費用の削減はこの辺りから始まっている感じがする。
E170a
機体はブラジル製のエンブラエルE170で76人乗りのいわゆるリージョナルジェットだ、初めて乗る機種だ。前回はボンバルディアのターボプロップDash8だったのでどこか安心感がある。やっぱりプロペラ機は振動もあり速度も今ひとつでジェットの方が感じがいい。座席も革張り風で安っぽさがない。ハブ・アンド・スポークのスポークのところはエアラインにとってはターボプロップが安くていいという議論が昔あったように思うが、実際に乗るとお客はジェットを選ぶようになるのは避けられない感じがする。
YS11の後継機として考えられていたYS33計画が世界の航空界にインパクトを及ぼしてこのクラスのエンジン等の機器開発が進められたのに日本で機体開発か着手できなくて結局ブラジルに市場を制覇されてしまっているという苦い思いが頭をよぎる。MRJは先行しているエンブラエルに対しどこまで頑張れるだろうか。
とにかく奄美だ。5年半前の12月に来た前回ほどのひどい雨ではないがやはり雨だ。奄美は雨の島と思って間違いないようだ。Kisigawaiseki

雨は予想されていたことなのでレンタカーを借りだした後予定通りまずは屋内施設を巡る。前回行かなかったあやまる岬の奄美歴史民俗資料館から始める。資料館に無論客は他には誰もいない。旧石器時代から人が住み続けていた歴史が発掘資料で明瞭に示される。これほどの重層した遺跡群のある奄美という島は日本の歴史の中でももっと注目してもいいのではないか、そう思う。旧石器時代に丸木舟で外洋を渡った人がいたはずだというだけで驚きだ。
雨はひどいが前回ついに見つけられなかった国の重文建築物、泉家住宅を続いて探してみる、今度は資料館で場所を細かく教えてもらえたのでたどり着けるだろうとの算段だ。宇宿小学校の右Izumikehouse2
手にあるとのことで小道を入り込むと確かに特徴的な高倉の倉庫が見えてくる。クルマを止めるところもなく、個人の住宅の形なので勝手に入るわけにもいかずクルマの中から写真を少しだけ写して立ち去る。こんな雨でなければ手前の土産屋の駐車場にクルマを置いて歩いていくのがいいのかな、と思う。また今度だ。これが奄美のペースなんだろう。Habux

雨もひどいので奄美パークによって展示見学と早めの昼食をとる。鶏飯を久し振りに食べてやっと落ち着いてきた。
次は名瀬の奄美博物館とハブセンターを訪れようと名瀬に向かう。4-50分位走って少し迷ってとにかくハブセンターに到着する。入ると他に客は1人で、まずはハブ生態の説明やマングースとの闘いの様子をしっかりビデオで見せてくれる。登場する説明者の目が怖い、長年ハブと付き合うとこうなるのだろうか。終わって地下で動物園のように飼育されている数種類のハブを見る。10匹くらいが絡まって止まり木の上でとぐろを巻いているのが印象的だ。逃げ出しでもしたら大変だ。5-6月が活発な時期という、気を付けねば。ともかくハブはどんなものか分かった、これは大事だ。
次は奄美博物館だ。駐車場につくと今日は休館ですよ、と駐車場に戻ってくる人に教えられる。火曜日は休みではないはずと博物館の入り口に行ってみると改装のため長期休館中との説明が貼ってある。なんだ、しようがない、こんなこともある。廻りをぶらぶらして建物の写真を撮って立ち去る。後は宿のある国直付近の施設を回るべく野生生物保護センターに向かうほかない。ゆっくりここで時間を使うのもいい。この頃には雨はほとんど上がって気楽になる。
Himeasagimadara
駐車場の植え込みでアサギマダラを見た、と声があったがまずは展示を見たり館の人から話を聞いたりする。庭も広くていいところだ。ずいぶんのんびりした後帰ろうとして駐車場所に戻ると確かにアサギマダラが低い木に集まっている、少し大き目の綺麗なのや羽が半分ムラサキのがいて、珍しい。とにかく写真にとって後で調べるとアサギマダラの他はヒメアサギマダラ(写真)とツマムラサキマダラと判明する。南西諸島ならではの蝶のようだ。気をよくして宿のさんごビーチに向かう。18時が夕食で19時からナイトツアーに出発する予定だ。
昔の鳥仲間と再会して盛り上がった後湯湾岳にむけてナイトツアーに出る。鳥の仲間の知人で地元の方が善意で案内してくれる。有難い。Yamasigi7aa

昼間の雨嵐の影響もあって山中の道には葉っぱや石ころが飛び散り少々荒れている、が一応走れる。リュウキュウコノハズクの声を聴きながら進むとアマミハナサキガエル、イシカワガエル、オットンガエルなど珍しいカエルがいろいろ出てくる。堂々としていてあまり逃げない。そのうちアマギヤマシギも現れる(写真右)、飛ばないようにクルマの中からそっと写真を撮る、昼間は出ないらしい,ともかく見るのは初めてだ。クロウサギが出ないなとフォレストポリスから湯湾Kurousagi 岳の上りに入り曲がった道を上がっていくと突然3匹が目の前に現れた。クロウサギにしては素早く逃げてしまったがやや逃げ遅れている1匹を何とか写真に撮ってみた。画像チェックしてみても暗くて撮れているかどうかよく解らない、何しろ闇夜のクロウサギだ。ISO6400まで上げていて画質はともかく何か撮れればいいという気持ちだ。後で見ると証拠写真程度には映っている。

頂上下の駐車場まで行って戻る。帰りにもヒメハブが道に出たり飽きない。宿に戻りついたのは夜の11時頃だ、案内された地元の方に頭が下がるばかりだ。
後は寝るばかりとなって長い一日が終わった。
とりとめもなく書いてしまったが思い返しても奄美は2回目でも依然として驚きに満ちた島だ。

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2019年3月17日 (日)

エチオピア航空のボーイング737MAX8が墜落

またボーイング737MAX8 が墜落した。もうかなりな騒ぎになっている、ここらで状況を整理してみてみたい。

現在までに明らかになっているエチオピア航空の墜落事故の状況は次の通り:
2019年3月10日(日)現地時間午前8時38分(5:38UTC)ケニアのナイロビ-ジョモ空港に向け エチオピアのアジスアベバにあるボレ国際空港を離陸したエチオピア航空ET302便

737max

(ボーイング737MAX8)は離陸後約6分で連絡が途絶えその後墜落が確認された。乗客149名乗員8名合計157名全員が死亡した。
離陸時の気象は空港のMETARによれば 5:00UTC 向い風10kt(5m/s)視程10㎞以上 2500ftに雲量1/8~2/8 気温16℃露点10℃気圧1029hp、6:00UTC 向い風8kt(4m/s)視程10㎞以上 2500ftに雲量1/8~2/8 気温18℃露点9℃ 気圧1029hp で特に問題となる気象条件ではない。パイロットはエチオピア航空からは飛行時間8000時間以上のベテランとあり、こちらも特に問題となる情報は今のところない。機体はボーイング737MAX8、2018年10月30日にボーイングで初飛行し11月15-17日にエチオピア航空に引き渡され、17日からすぐに運航が開始された。製造番号は7243 243番目に製造された機体と見られる、機体の登録番号は ET-AVJ エンジンはCFMのLEAP-1B双発。運航開始から4か月で墜落した新鋭機ということになる。整備上も問題となる報告はなかったとエチオピ航空のCEOは述べている。

Debri

事故の目撃談がいくつか報じられている、6人位の目撃者からReuterが聴いた話では大半の人が尾部から白い煙を吐きながら頭から墜落した、墜落前には音には気づかなかったと述べている、空中での爆発はなかったようだ。2回くらい旋転しながら落ちたという話もある。地面に激突して大きな爆発を起こしたとも語っている。
事故現場では機体は細かい破片になっており墜落の激しさを物語っている。
管制との交信では離陸後3分には機長はパニックになったような声のトーンで着陸の要求を伝えてきており、管制官も機体が上下に振動するのを確認したという(14日付Newyork Times)。

Etajvflight24

事故機の飛行データはフライトレコーダとボイスレコーダーが回収されフランスに送って読み出されているが解析作業はまだ公表されていない。一方飛行中の機体からリアルタイムで地上に送られてくる高度速度データがFlight24のサイトで公表されている。これでは墜落時の急降下までは記録されていない。

Data1a

更にこのデータから得られた高度変化の比較データが報道機関によって流されている。これによれば離陸直後から振動的な挙動を見せており、この周期が前回のインドネシアでの墜落事故機のデータによく似た周期の振動となっている、事故は類似しているのではないかとの指摘がある。このデータが明らかになった後でこれを根拠の一つとしてFAA(米連邦航空局)は同型機の飛行停止命令をやっと発した。事故後3日たってのことだ。FAAは事故後ボーイングと歩調を合わせてとっていた機体の設計には何ら問題ないという姿勢をやっと撤回した形だ、ボーイングとFAAに癒着があるのではないかとの声もある。
振動するデータを見ると周期は確かに20秒くらいで1分周期くらいとなる所謂フゴイドモードや5秒以下の周期となる短周期モードという機体固有の周期とは違う周期になっていて(フライトコンピュータによる強制頭下げとパイロットが闘った)インドネシアの墜落事故と似た挙動にも見える。より詳細なフライトレコーダの情報の公表が待たれる。

今回も迎角センサーの誤信号による強制頭下げが飛行制御システムから発せられてこれが原因でインドネシア機と同様に墜落したと考えることもできるが前回の事故後強制頭下げ解除の手順はエチオピア航空のパイロットにも教育されており解除するだけの時間はあったが墜落していることを考えると更なる困難がパイロットを捉えていたのではないかとも懸念される。迎角センサーがそうたびたび誤信号を出すだろうか、そこも気になる。どこかに取り切れなかったソフトバグがまだ潜んでいるのではないか、そう思ってしまう。
ボーイングの失った信用はどこまで墜ちていくだろうか。
 

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