2017年9月30日 (土)

移ろいゆく時・変わりゆく景観


1週間ほど前、思い立って干潟の野鳥を見に有明海の大授搦に出かけた。

これには前段があった。その前の日久しぶりにヨット遊びで小戸のヨットハーバーを訪れた折、終わった後つ

Tounen

いでだからと隣の小戸公園のほうへ鳥見でもと見に行った。浜の水際にチドリのような小さなシギが20羽位来ているのが目に入る。家族連れが多くて小さい子供がシギを追っかけるものだからなかなか落ち着いてみたり写真に撮ったりできないが後で調べるとトウネンのようだ。もしやヘラシギでも混じってはいまいかとつぶさに見ていくがいない。最近博多湾でヘラシギが出たとテレビで流していたような記憶があってもしやここのことかと思ったりしていたがそうではなかった。しかしこんなところにこんなシギがまとまってくるとは、そんな渡りの時期になったとの感慨があった。
それにしてもトウネンを見ても即座にトウネンの名が浮かんでこなかったのが気になった。これはいけない、時々シギチドリはちゃんと見てないとすぐに忘れそうだとの一種の強迫観念があって、翌日有明海の大授搦に出向いたという次第だ。

大潮から中潮に移るあたりで11時20分頃満潮というのも行きやすくて背中を押される思いで出かけた。

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8時半頃普通に自宅を出て満潮の1時間半くらい前に到着した、鳥のいるラインは若干離れているが、これから潮が満ちるにつれ寄ってくると思うと丁度いい距離感だ。
ダイゼンが多いが夏羽が変わりつつあって模様はいろいろだ。面白い。トウネンもまばらにいる。ヘラシギはと探すが見当たらない。シロチドリやダイシャクシギ他色々いるが識別はいまだにすらすらとはいかず、進歩がないとまた思ってしまう。
でものんびり移ろい行く秋の日を干潟で過ごすのは悪くない。気持ちが緩む思いだ。
9月はおやと思うことが毎日のように起きてきた、季節ばかりでなく、色々な事象の変わり目でもあるようだ。



干潟へ行った翌々日、福岡・六本松の九大教養学部跡地の再開発で新しいビル(六本松421)がオープンしたとあって出かけた。小さいころから何度も見ていた場所が大きく変容したことに
なる、見たくなるし、初日なら何か配られているかもしれないという期待もある、まったくの野次馬だ。

Ropponmatu421

福岡市科学館が入るビルの中にあるTSUTAYAとスーパーが先に開店した、科学館本体は10月1日開館ということらしい。
駐車場がどうなっているのかネットでもよくわからなかったが、どうにかなるだろうと正面なら右折で入ることになる西のほうからアプローチした。近づくと敷地の中央にPのマークが見えて右折でも曲がりこめるようになっている。満車ではないようだ。上り下りがすれ違うようになっている駐車場でやや狭い感じがするが上がってとにかく空いたところへクルマを押し込む。とめた階は丁度TSUTAYAのフロアーと同じでそのまま店内に入る。
武雄図書館のTSUTAYAのように軽食が売られており飲食しながら本を手に取れるようになっているが混んでいてあまり落ち着かない。手

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に取れるところに色々本が置いてあるが、こんな本があったのか、という感じは武雄のほうが数倍優れている、普通では目にしないいい本がある、という印象があまりない。マスに合わせようとすると結局こうなるかと思ってしまう。それでも探していると、おや、という本もあってせっかくだからと買い込む。「シンメトリーの地図帳」という文庫本だ。かねがね自然の織り成すシンメトリーが気になっていた、自然科学の公式でも何故かシンメトリーが現れるようなところも引っかかっていた。こんな時に買う本としてちょうどいい。

1階のスーパーも覗いてみる、ちょっとおもしろそうなところはあるが驚くようなほどでもない、適当に引き上げる。

干潟の野鳥のように毎年繰り返される変化も、昔からなじんでいた都市景観の新たな変化も、変化はなんでも面白い。生きるということは結局は変化の中に身を置き続けることかもしれない、ふとそんなことも思った。変化の日々が過ぎていく。

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2017年9月29日 (金)

タカ見と棚田と

9月は駆け足で過ぎていく。もう2週間位前のことになる、福岡に近づきそうに見えた台風18号は微妙に南にずれ福岡への影響は弱まった。
それでもそれなりに台風の影響は出たが、台風が来るといいこともあった。タカの渡りへの効果だ、台風明けに一気にタカが渡る。
こんな日は鷹見のポイントへとにかく立たねば損とばかり台風の翌日 近くの油山の片江展望台に出かけた。3連休でもあり懸念したが駐車スペースはまだ残りがあった。

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見始めたのが11時20分頃で、すぐにタカ柱が確認できた。見ていると次々に来る、積雲が心地よさげにぷかぷか浮いている。いい日だ。
肉眼で見えるくらいに近づくこともあって写真に撮ったりスコープで追ったり忙しい。一般の観光に訪れた人も肉眼で見えるのに感激している。これは多い。
横でカウント集計しているのを見ると1時間ほどで4-500羽出ていることになる。

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そのうちぱったりと来なくなって食事時でもあるのでさっさと引き上げる。十分堪能した。

気をよくしたこともあって翌日は気になっていたアカハラダカの渡りを佐世保の烏帽子岳まで見に行く。朝早目に出かけていくと伊万里の先の国見峠で雲海がちょっと出ている。そういえばこの辺りでは棚田に雲海の風景が良いといわれていたのをかすかに思い出す。しかし写真はな

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かなか難しい。何枚か撮ってみる、インスタグラム用に使えるかもしれない。
烏帽子岳の上りはナビに従って細い取り付け道路から入る。登山道路入り口が見落としやすかったのも思い出す。久しぶりだ。
6時半過ぎに自宅を出て9時前にほぼ予定通り目的地に着く。2時間と少しだ。懸念した駐車場は十分空いていて、関西ナンバーの車もちらほらある。

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観察場所にはおがさわら丸でおなじみとなった大望遠レンズを付けたカメラがずらりと並んでいる。確かにアカハラダカを対馬に渡らずに見るにはこのポイントが一番いいのだろう。少しして遠くのほうに出始めるが双眼鏡ではほぼ見えないしスコープで探すのも視野が狭くて難しい。と思う間に割合と近くにタカ柱ができる。100羽位はいるかなりの規模だ。スコープで見たり写真を撮ったり忙しい。油山のハチクマのようにはそばに飛んでくるアカハラダカはいなくて大きく一羽を映像に収めることはできないがしようがない、もともとが小ぶりのタカだ。
しばらく眺めているがその内ぱったり途絶える。ここでのアカハラダカは塊でくるという来方をすると思い出す、来なくなるとぱったり来ない。10時半頃になっても次が来る様子はなく仲間内の喋り声ばかりが声高になったのもあり、引き上げることにする。でもまずまずだ。

少し早いのでここらには名の知れた棚田があったはずとその様子を見ていくことにする。うろ覚えでナビに行き先を入れて走り出す。確か伊万里の北の、橋でつながっている島だったと、エイッと入れて少しは近づくと土谷棚田までxxキロという標識が現れるようになる、当たっていた。有名なところなので駐車場所はあるはず、と期待する。棚田を見るのは路上駐車しかないところが多く、落ち着いて眺める場所を見つけるのが厄介なことがあるがここはそんなことはあるまい。
近くにまで来ると放棄された棚田が目に付いてくる、やはり過疎化してくると無理が生じるようだ。それらしいところに小型バスが止まっているのが見える、どうやらここらしい。駐車場がある。

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写真でよく見る棚田風景が現れるがカメラ画角から外れた左右のところは少々荒れている。観光用の棚田になってしまっているようだ。しかしこれでも維持が大変そうに見える。火祭り用とみられるライティングの仕掛けが棚田上にあり近くの看板にはそれが台風で延期されたとある。台風の影響がいろんなところで出るのはしようがない。
元気があれば島をもっと巡ってみたいし玄海原発近くの玄海の棚田も見てみたいがちょっと疲れたので真っすぐ帰宅する。ともかくこんな時新しいクルマの自動追従機能は本当に楽だ。殆どブレーキもアクセルも踏まずに走れる。

そういえばタカの渡り見物と棚田見物は似たような場所にあるような気がする。人里のある平地からすぐに立ち上がった山の斜面は人の生活に近いだけに棚田が作られやすく、一方では斜面風も使えて上昇風ができやすくタカの渡りルートになりやすいし、また観察しやすい展望所や道が得やすくタカの渡りの観察地となりがちなのだろう。
生物が利用しやすい地形は生物の種類によらず似通ってくるということかもしれない。そう考えるとタカと人類がつながっているようで面白い。

それにしても忙しい9月だ。あっという間に終わりを迎える。さらさらと流れていく時が惜しくもあるし心地よくもある。

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2015年12月 7日 (月)

流れる時が紅葉の中に埋もれているようで

京都の紅葉は遥か昔関西にいた時に1-2回見た記憶があるだけで、もう一度見てみたいとの気持ちがいつもどこかにあった、が、なにせ混んでいるという、そこまでして行くか、とも思ってしまっていた。

9月の初めにたまたま申し込んだ宮内庁の12月1日分参観申し込みの仙洞御所に当たりが出て踏ん切りがついた。これを機会に秋の京都を訪れてみることにした。

幾つか紅葉で名のあるところを回ろうと回り方を考えていた。紅葉の具合を想定しながら、バス、地下鉄、嵐電、JR、京阪を組み合わせてうまく回るルートを決めるていくのは結構悩ましい。仙道御所に行く日は紅葉ランキングの上位にある東福寺に朝一番で行って京阪で仙洞御所に向かうのが都合良さそうなので、ここら辺はそうすることにしてみた。
勉強不足で東福寺の名前は初めて聞くが紅葉風景が京都の宣伝ポスターにも使われたりもしていて、一見の価値があるらしい。平日でも日中はかなり混むので行くなら朝一番がいいとの解説をネットのあちこちで見かけたりもする。
さて当日は、予定通り京都駅前にとった宿を出てJRでひと駅乗って東福寺へ向かう。Yahooで調べた道順のプリントアウトを手にして歩くが東福寺を目指す人が沢山駅で降りるので道に迷うということはない。
東福寺の看楓特別公開は8時半開始で少し前に到着すると既に拝観券を求める列ができている、が大したことはない。拝観が始まるとそのままぞろぞろともみじポイントの通天橋に向かう。確かに溢れるばかりのもみじだ。庭園でこんな光景は見たことがない。黄色い葉もあるが殆どが赤いイロハモミジのようだ。ここは通天モミジと呼ばれるトウカエデの歴史があると知るが、
後で撮ってきた写真を細かく見ても散った枝に僅かに黄色になったトウカエデの葉を見つける位で、圧倒的もみじの様は開祖の円爾が宋から持ち帰ったトウカエデではなくイロハモミジで形作られているようだ。ボリュームを増し迫力を出すためにイロハモミジが多数植えられていったかもしれない。いつごろからこういう景観になったのだろうか。
東福寺を開山した円爾といえば聖一国師のことで宋から帰国してまず博多に上陸し承天寺をひらき博多祇園山笠の原型をも作ったといわれる、博多に縁が深い。
中国から
円爾が持ち帰ったトウカエデが東福寺の自慢の紅葉のもとになったが、そういえば福岡の公園や街路樹にトウカエデが多いように思える。
トウカエデは博多の承天寺にも伝わっていたのではないか、その後の戦乱で殆どが焼失してしまったが、それがいつの日か街路樹として復活していったのではないか、そんな歴史も考えてしまう。
流れる時が紅葉の中に埋もれているようで思いが広がっていく。

圧倒される紅葉を見て回った後まだ仙洞御所に回るにはちと早いので東福寺の方丈も見て回った。
こちらの八相の庭と呼ばれる庭園は昭和14年に日本の造園研究で名高い重森三玲がその知識と情熱を注いで造ったものだ。伝統的な石庭とモダンな造形の組み合わせが面白い。石庭は翌日見る龍安寺の石庭にはやはり及ばないと感じてしまうが、4つの庭の組み合わせ全体がえも言われず心地よい。
重森三玲は太宰府・光明禅寺の仏光石庭も造っているようでこちらも機会を見つけて行きたくなる。光明禅寺は円爾の弟子が開山したと言われていて東福寺とも縁があるようだ。
栄西はお茶の種を持ち帰り福岡と佐賀の県境の背振山でこれを撒いて育て、その後宇治に種が伝わり宇治茶のもとになった、九州と京都のつながりというものを考えてしまう。

時代をさかのぼっていくほどに福岡と京都の関係は強くなるように思える。その行き着く先が邪馬台国であり神武の東征なのだろうか。

仙洞御所の紅葉は素晴らしかった。今回みた、平等院、東寺ライトアップ、東福寺、仙洞御所、京都御所・御苑、嵐山、天龍寺、宝嚴院ライトアップ、北野天満宮、金閣寺、竜安寺、等持院 の紅葉はどれもそれぞれに良さがあるが、仙洞御所と北野天満宮が特に
心に残った
北関東や東北の山で見られる全山紅葉とはまた違って、京都のしつらえられた紅葉はいかにも細工が好きな日本の伝統を見るようだ。幾つ見ても飽きない、流れている歴史を時間を感じてしまう。

かなり疲れた紅葉見物だった、途中でもう足が動けなくなるのではないかと思った程だ、やたらに歩く。福岡に戻っても暫く足にこわばった感じが残った。もうこんな無理な紅葉見物はできないかもしれない、そう思いながら回っていた。時間を食いつぶすように生きているのだろう。暫く余韻が後びいていて年が暮れていくのを忘れそうな気もしてくる。

写真は順に、東福寺・通天橋のもみじ、東福寺の黄色いトウカエデ、福岡市の公園のトウカエデ、北野天満宮のもみじ、平等院のもみじ、東福寺八相の庭、仙洞御所のもみじ、御所のもみじ、東寺ライトアップ、嵐山風景、天龍寺のもみじ、宝嚴院ライトアップ、金閣寺のもみじ、竜安寺のもみじ、等持院のもみじ。

Toufukuji Toukaede Toukaedef



Kitanotenman Byoudouin
Toufujiteien Sentou Gosyo Toujilu Arasiyama Tenryuji Hougonjilu Kinkaku Ryouanji Jitouin

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2015年10月23日 (金)

秋のくじゅうを巡る

晴れが続くと、どこかへ出かけねばという一種の強迫観念が知らず知らずに圧力をかけてくるように思う。
日曜のヨットが少々疲れを引いていて翌日はごろごろしていたが2日ものんびりしていると、こんなに晴れている秋の日は出かけない手はないという衝動がふつふつと湧いてくる。
とりわけこの時期は紅葉を見逃したくない。
九州の紅葉は大体が11月中後半だが1000mくらいの山の上ではそろそろ始まる。2時間で行けるくじゅうに出かけることにして、ネットなどでいくらか調べていくと、どうやらくじゅう山群黒岳上り口の男池の原生林がよさそうだと思い始めて、とりあえずここを目指すことにした。
紅葉の見ごろ時期推定は関東地方での推算式(関東地方の紅葉見ごろ推算式(10月1日からの通算日数:y=4.62×T-47.69、Tは9月の平均気温 ))が気象庁のHPに公表されているが、九州でも当てはまるのではないかと来たばかりの新聞に出ていた”雲仙妙見岳の紅葉今が見ごろ”で計算してみる。アメダス雲仙(標高678m)と妙見岳(標高1330m)の標高補正をして推算すると10月24日が見ごろと出る。新聞記事は10月20日なのでやや早いことになるがまずまずの推定のようだ。
今年は晴れが続いて放射冷却で冷え込む日が続いたせいで少し早いのかもしれない。くじゅうの1000m付近はどうかとみると10月27日が見ごろと出てまだやや早いが牧ノ戸峠(1333m)では10月19日と出るからクルマで登れる範囲で紅葉はもういけることになる。
起き掛けにこんな計算をして少々意気込む。 外を見れば晴れてはいるがどよんとしている、pm2.5だ、ちょっとがっかりだ。秋のクリアな日差しが紅葉には一番なのだが。
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普通よりちょっと早いくらいの感じで出発する。くじゅう長者原まではほぼ2時間のはずだ、福岡からそんなに遠くない。 最初の目的地男池の駐車場は思ったより混んでいない、平日はこんなものだろう。平治岳に日があたって紅葉が美しそうだが何しろpm2.5だ、ぼやけて感動がない。
男池というのは湧き水の小さな池でキレイな水がこんこんと湧いている、水が汲めるようにひしゃくも置いてある。 とにかく遊歩道を巡る。
ソウシチョウの声が目立つが、アオゲラ、ヤマガラ、エナガなどの姿や鳴き声、ドラミングOike7 がほのかに響く。いい森だ。原生林というだけあって面白い形の木も目を引く。
黒岳へ向かう平坦な道をゆっくり歩きながらところどころ黄葉している木々を楽しむ。時々ブナもあるが大きなブナはない。大きい木はカエデ系の木であったりよく知らない木であったり、やはり関東の森とは違う、クスノキの多い福岡周辺の森とも違う。落ち着ける森だ。
もう今日はこれで十分かと思ったがせっかく来たのだか
らと一回りすることにする。
「ぐるっとくじゅう周遊道
Oike1路」というのがネットのパンフレットにあったのを持ってきていたのでこれを巡ってみるかと走り始める、1時間くらいで回れるかと右回りで走り始めるが、随分と走りでがある。
途中でやめるわけにもいかず景色を楽しみながら回り続けるが長くてちょっと飽きてくる、半分くらい回ったところでロードパークという有料道路に入ってみる、途中で駐車できるようなところが多くあって紅葉も望めてなかなかいい道だ、ただ遠景がかすんでいるのが残念だ。不気味な廃屋とKujiu なっている展望レストラン跡などもあって面白い。
やまなみハイウエイに入って牧ノ戸峠に行ってみると、観光やらくじゅう登山の人やらで 駐車場が満杯に近い。予想通りつつじ系の灌木が赤く染まり紅葉は最盛期だ。この時期はここに人が集中しているようだ。
長者原の「たではら湿原」にもちょっと寄ってみる、ここも人がやや多いが、すすき一面の様がいい。
思ったほど花もなく時間も次第に遅くなってきたこともあり早々に引き上げる。

帰り道にも渋滞もMakinoto1なく5時少し前に帰り着く。福岡からくじゅうは東京から奥日光への感じかと思っていたがそれより大分近い印象だ。高原歩きを楽しめて紅葉も結構いい。

強迫観念が下敷きにあったとはいえよく晴れた秋の日はやはり野山で過ごすのが楽しい。九州の北半分ではくじゅうが今のところいいように思っているが、まだ英彦山を十分には見ていない、まだまだ見るべきものは沢山ある気がしている。当分は緩やかな切迫感から逃れられないのかもしれない。こうやって歳をとっていくのだろう。

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2014年11月29日 (土)

耶馬溪を訪れる

耶馬溪の紅葉が見たくてやっと11月の最終週に出かけた。中旬が見頃との情報がネットのあちこちに書き込まれており遅いのは承知の上だ。春の桜もそうだが秋の紅葉は盛りに目掛けて動くことは容易くは無い。晴れていることも条件の上位にあり都合をつけて動くには相当の努力が必要だ。体調もある。ベストの時期から多少ずれるのはしょうがない。
予定通り自宅から1時間40分くらいで高速の玖珠インターを下りて国道387号線で北上しようとする目の前を何と74式戦車が横切る。公道を走る戦車を見るのは初めてだ。右手に信号待ちしていSennsya1 るもう1台の74式戦車Sennsya2も見える。驚きだ。考えてみれば陸上自衛隊の日出生台演習場が右手のほうにあるはずだから、ここではこんな風景も異常ではないのだろう。恐らく左手にある玖珠駐屯地に移動中と見られる。しかし異様な光景だ。見ていても現実に国内で戦闘となる風景がどうしてもリアリティーを持って思い浮かばない、こんなのが撃ち合うような事態は最後の最後になるのだろうかSennsya3

少し複雑な思いで20分くらい走ると最初の目的地、深耶馬溪の一目八景に到着する。広い駐車場周辺は紅葉もいい頃合だが連なる岩山は葉も半分以上は落ちており1週間は 遅かったようだ。
一目八景展望所というのはきっと小山の上にあるのだろうと思っていたが何のことはない国道横の建造物だった。見やすいが観光用に整備された場所だけにこんなものかと思ってしまう。感動がない。しかし搭状の岩山が四方にあって垂直の白い岩肌と紅葉の取り合わせYabakei2 がいい、紅葉の名所には違いない。観光バスも何台も来ている、自分で回っても名所めぐりツアーは疲れる思いがするがとにもかくにも景色を堪能した後次のポイント羅漢寺に向かう。

走っている両側も奇岩が多く面白い風景だ、あきない。羅漢寺はトンネルの手前の駐車場にクルマを置いて 古(ふる)羅漢から回り始める。傾斜のきつい岩階段を登っていくと前から修道院のシスターの一行が下りてくる。結構な年の人もいてよく歩いていると思うほどだが教えは違っても宗教的な遺物には興味をそそられるのかも知れない。歩道が整備されているので何とか登れるが修行の僧はこの岸壁を攀じるように巡って行ったのだろう、気が緩むと即墜ちそうだ。Yabakei4
岩盤に横穴が開いている形の不思議な場所に至る、南北朝(14 世紀)時代の物と見られる観音像があって流れていった時を感じる。その先は鎖場になっていて気軽にはいけない、ここで撤退する。阿蘇山の溶岩が作り出した削りやすい岩山が信仰と結びついたのだろう、国東半島や臼杵の磨崖仏と同じ線上にある永い時を経て伝わってくる何か無言の意志のようなものを感じる。

羅漢寺の五百羅漢を見る。リフトがあって容易に登れるためか混んでいる。一体一体の表情が異なり面白い、兵馬俑の影響が伝わっていたのではないかとも感じる。1Yabakei3人の僧が1年で全てを彫り上げたというから驚く。(五百羅漢の写真は羅漢寺HPからの転載、現地は撮影禁止)。
更に数キロ先の青の洞門、競秀峰を見る、本耶馬溪と呼ばれる景観だ。山国川に沿った絶壁を形成し切り立った岩山の連なりを見せる。見上げると絶壁の途中にトラバースする道をかすかに認める、あんなところを飛び歩くとは恐ろしい修行だ。 僧禅海が掘ったとされる手彫りのトンネルも一部残されているが丁寧なノミの跡に執念が見えるようだ。五百羅漢もそうだが一人で作り上げるというところがキーのように感じる。どちらも一人だからこそ出来たのだろう。時代を進めているのは結局は一人の力によるのだろうか。
ここでも修道院のシスター連とすれ違う、これが誰が考えても定番のコースのようだ。
Yabakei5 この後は九州に残る最古の民家といわれる神尾家住宅や天然記念物の猿飛の甌穴群などを見て宿の日田に向かう。少々疲れる。

耶馬溪とはどんなとこなんだろう、一応解った気がする。奇岩の続く景観の紅葉は見ごたえがあるがそれにしても観光地だ、コースにはめられているようなところに疲労感を感じる。何回か来ないといい見方に辿り着かないのかもしれない。

死ぬまでに見たい物はすべて見てしまうということは土台無理なのだからもっとのんびりした旅をといつも思うのだけれどYabakei6 も、そうはいかない。ずっとこんな旅を続けることになるのだろう、それでも構わないとも思っている。

それにしても平和な時が流れていく。

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2014年11月18日 (火)

久し振りに関東を

久し振りに関東を訪れた。サイトの交流会の翌朝、千代田線より乗り換えて北千住から東武特急で日光へ走った。前の日は羽田からスカイツリーや六義園を地下鉄を何度も乗り換えて回っていた。東京のKitananto2地下鉄は久し振りに乗ったが前にも増して路線が入り組み込み入っていて疲れる。アナウンスもか細くてわかり難く おーもーてーなーし の東京とはとても思えない。東武に乗ってもう乗り換えしなくともよいとなるとやっとほっとする。
鹿沼の辺りから心に響く鮮烈な北関東の秋の光景がパノラマのように過ぎ去っていく。無性に懐かしい。澄み渡った朝の光がいい。第2のふるさとという言葉が衒いもなく初めて実感をもって湧いてくる、こういうことなのか。何かを得て何かをKitakanto3失う、どうしようもないことだ。
懐かしい顔と次々に会う。大谷川の茫茫とした風景にベニマシコやシメやカワラヒワが飛び交 う。いい景色だ。黄色く色付いた背の高い落葉樹の林、九州には 無い景色だ。一つ一つが心に沁みる。
中禅寺湖畔を落ち葉を踏みしめながら歩く。秋の冷えた空気が却って気持ちがいい。
こうやって過ぎていく空気と時間の流れに永遠を見るようにも思えてくる。
センチメンタルジャーニーかもしれない、でもこんな旅は秋に似つかKitaknto1わしい。

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2014年11月 5日 (水)

脊振山の紅葉を見る

Momiji2 朝の冷え込みが一段と進んできた。昨日今日は6-7度の最低気温となって紅葉の進み具 合が気になる。

常緑樹が多い九州では紅葉は迫力に欠ける。

そうはいっても標高がおよそ1000mでブナの林がある脊振山山頂付近ならそれなりではなかろうかと出かけてみた、 からりとした青空が続くせいもある。

西側から佐賀県に抜けて脊振山の南山麓より山頂へ向かう。山頂付近になってかなりいい雰囲気の色付いた木々が見えてくる、悪くはない。 山頂駐車場にクルマを置いて散策する。稜Momiji5線に沿った山道が歩きやすくブナの黄葉やコハウチワカエデの紅がなかなかいい。時折シジュウカラやヤマガラが高い声を響かせ、枯れていく秋の繊細な時間が流れていく、久し振りだ。

それにしても那須・日光や南会津の山々を包む紅葉の景色がなつかしい。カエデの種類も九州は少ない、例えばハウチワカエデやオオイタヤメイゲツ等は九州にはなく紅葉見物といえばイロハモミジばかりのような印象さえ受ける。九州の紅葉は久住付近が良さそうだが少々遠いし結構山歩きが必要となる。 地道に探していくほかないようだが脊振山がまずまずであることは解った。

どうあれ Momiji6タイミングを計る意思と天候と体調 とがうまくマッチしなければ思った程の紅葉は見られない。この秋は久住あたりに行けるだろうか、肉離れを起こした右足も少しは歩けるようになったが長距離の車の運転はまだどこか不安がある、晴れはいつまで続くだろうか、タイミングを次第に逃しつつあるような気がしている。

山のモミジを見る、簡単に思えていたことがそうでもなくなってくる。何かを得れば何かを失う、そういうものだろうと素直に受け入れる。そんな風景がいかにも秋らしMomiji4い。

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2014年10月29日 (水)

柳川に遊ぶ

晩秋らしく晴れて乾いた陽気が日々を支配している。3日前の朝、シロハラが自宅の玄関先で死んでいた、渡ってきたところで勝手がわからず軒先にでも激突したのだろうか、チェーホフのカモメを思い出す。何かを象徴的に表しているような気がしてくる。ノゴマが公園に現れたとの報すらあり鳥の動きも日を増して忙しくなる。
人も動きたくなるようにできているのかどこかと柳川の地へでも訪れてみたくなった。
柳川は幼い時に父に連れられて何度か訪れたことがある、その遠い記憶がどこかに刻み込まれているのだろうか。もう55年位前のことになる。
Yanagw1 お花という料亭のような所に行って仕切られた間で食事をする、それだけのことであったが随分と混んでいたようにも覚えている。
お花とは何であったのか、柳川とはどんな所であったのか、川下りがよく知られているようでこれもどんなものか、空いている平日に行けばのんびり出来るかもしれないとの気分もあった。
お花に川下りとウナギせいろ蒸しの予約をして出かける。お花とは柳川藩城主であった立花氏の別邸で明治時代の建物だ、明治には伯爵の地位にあって庭は国指定名勝となっている。この前筑豊で見た石炭王伊藤伝右衛門邸と比較してしまうがどうみてもこちらの方が立派に見える。伊藤伝右衛門はそれなりに優れた人物であったようだがやはり成金の影は消しがたいようにも思える。Tachibanake 戦前の世界、江戸時代の殿様がまだ幅を効かせていた時代のことを思ってしまう。

今という時代はどうなのだろうか、成金だらけになってしまったのだろうか。解り難い時代だ。ジャパニーズドリームの輪郭すら今やぼやけきっているようにも見える。
金があればそれでいいという訳でもない、権力があればそれでいいというわけでもない、価値観の多様化それが当然の時代になっている。最近亡くなった赤瀬川原平のような生き方がうらやましく見えてしまうそんな時代になっている。犯罪者でもない限りどのような人の生き方もネガティブに評することは出来ない時代になっているようにも思える。どこに流れ着くのだろうか、この時代は。
そんなことを考えて立花氏の資料館を見ていたら、江戸初期に当時の当主立花宗茂は東北の棚倉から移封されたとの説明が目に入る。棚倉といえば福島県だ、いわきと白河の中間くらいにある、そんな所と繋がっていたとはとやや驚いた。戻ってネットでもう少し調べていく。
立花宗茂はもともとは柳川の地にいた小大名であった。戰に長けており秀吉から西の立花Tachibn 宗茂か東の本多忠勝かといわれたという。更には本多忠勝よりもはるかに優れたこの国随一の武将とも言われたようだ(図はwikipediaより)。秀吉の評価が高く恩義になったこともあり関が原では西軍に組したため一時浪人となっていたが家康に認められ棚倉の地に3万石の大名として遇された。その後大阪冬の陣夏の陣で幕府側の参謀役として戦いその功績もあって旧領の柳川藩に移封された。戦国の世で誰もが認める実力の人だったようだ。そういう歴史を柳川という地は抱いていたのかと思う。
このような形で戦国の世は地方が流動し知恵が全国に広まって行ったのかと思いを致す。確かに奥州上杉藩を立て直したのは九州の小藩高鍋秋月藩藩主の次男松三郎―後の上杉鷹山であった、東北と九州の距離は今思うほど遠くは無かったようだ、実力の世には人の流動を時代が求めるのだろう。

Yanagw2 堀を巡る船遊びもベニスには比すべくも無いが船頭の歌がそれらしく、名物のウナギのせいろ蒸しも美味で、庭を見たり白秋の生家を巡ったり、面白くも疲れた。干潟もあるはずと有明海に向かうが柳川の南は堤防で囲まれて廃棄物処理場があるばかり、干潟を眺めることはかなわない。人の手があまねく入っている九州の自然をここでも感じる。そういうところなのだこの地は。

秋の日は麗らかに過ぎてまた少し解ったことが増えた。柳川というところは人の魅力だったようだ。たゆたう時間が面白い。九州は奥が深い。

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2014年10月20日 (月)

足に肉離れが起こって

9月末に水泳をしていて痛めた足がまだ治りきらない、もう3週間になる。

いつものようにプールで最後の25mを全力で平泳ぎしている最中に膝近くの腱のどこかが切れたように右足が動かせなくなった。なんとか左足だけの平泳ぎでプールの縁まで辿り着いて水から上がりクルマで家に戻るがアクセルを踏むのも痛い。
自宅でエアサロンパスや湿布を試みたが右足は殆ど動かせない状態は続く。歩くのもままならずとてもクルマの運転はできない有様となって 翌朝近くの整形外科に家人にクルマで運んでもらう。情けない姿だ。
肉離れのようなものだとの診断で湿布と痛み止めをくれて3週間くらいは治るのにかかる、とある。自然治癒に頼るほか無いようだ。
医者ではくれないのでキネシオテープをネットで買ってテーピングも施してみているがこれがなかなかいい。

暫くは家の中で過ごすしかないと飲み会の予定や予報士会の会合出席を次々にキャンセルする。山歩きやヨットなどはここ当分出来そうにない。
退屈なので伸びきった松の剪定をしたり久し振りにギターを取り出して弾いたりしているとこれもやり過ぎになったのか右手が少しおかしくなってしまう、歳を取るとはこういうことかと今更ながら思わせられる。

10月の一つ目の台風が過ぎて短い散歩くらいなら動けるようになったこともありすぐ近くの中公園まで出かけてみる、最近またカワセミが現れるようになっていた。
ゆっくり林の中を歩いているとジョウビタキのようだがジョウビタキより大分綺麗な小鳥がひらひらと現れる。ムギマキのようだ、台風がもたらしてくれたのだろうか。この間強い西風の吹いた日にはカササギが2羽散歩コースに現れた、ここらでは初めてだ。強い風が吹いたあとの鳥は面白い。
そのうちカワセミも姿を見せる。どうもこの池の近くの斜面にでもネグラがあるようだ、夕方のほうがよく見かける。

10日くらい経ってクルマの運転も短い距離なら出来そうになってきて切符を買ってあったオペラ“ポッペーアの戴冠”をクルマで観にいく。恐る恐るだが少しずつ行動半径が広まるのがうれしい。
Daisyakusg 2日前は今津に鳥を見に行った。ダイシャクシギを見たりアオアシシギの声や姿を楽しんだりだいぶ動けるようになってきた、しかし山歩きはまだまだ無理な感触だ。今年の紅葉見物は耶馬溪のあたりを歩き回ってみたかったが近場の庭園くらいが関の山のようだ、残念だ。

もうずいぶん前から起こったことは何でも全て受け入れることにしている。足の肉離れも時間がゆっくり過ぎるようになって見えなかったものがほんの少し見えるようになったようにも思う、それはそれでいいこともなくはない。人間は緩急緩を繰り返すように仕向けられているのではないか、そうも思える、受け入れるべきことなのだろう。

朝は冷え込みが気になるようになり秋は深まりを見せている。この秋は思索の秋となりそうだ

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2014年9月29日 (月)

風師山と旧伊藤伝右衛門邸に戦前の勢いを感じながら

9月がおわろうとしている、9月はなんだか短い、夏が終わったと思っているうちに9月はもう無くなってしまう。
九月のうちにやってしまおうと思っていたことを潰しにかかる。一つは鳥の渡りのポイントとしKazashi て是非訪れてみるべきだと佐世保の烏帽子岳で出会った人に勧められていた風師山に行ってみることだ。ハチクマをはじめとする秋の渡りルートの隘路が関門海峡でありここを見るに最もいい位置にあるのが風師山だ。この金曜日、晴れると思ってはいたが思った以上によく晴れた、こんな日には家に閉じこもっていることはないと出かけた。
門司港駅あたりから山登りの道に入る、急で広くない、離合は道幅のあるところでないとできない。不安な道を上り詰めると展望台のようなところに出て車が10台くらい駐められる、空いているところに停めて後は稜線歩きだ。しばらく行くと左-風師山・直進-展望広場の道標が現れる。もう十分な標高になっているので鷹見であれば展望広場かも知れないと直進する。正解だった。数分の短い登りでピークに到達、鷹の渡りウオッチングをしている人達が見えてくる。3角点はないが、風師山の山頂の標高より2m高い標高と風頭山の名とを記した杭が立っている。双耳峰のもうひとつのピークということらしい。
大型船の行き交う関門海峡を一望に出来、眼下に巌流島をKazasi3 望む。素晴らしくも眺めのいいところだ。鷹見のポイントとしては申し分ない、鷹が来なくても景色を眺めているだけで楽しい。時々ハチクマが現れる、あれっハチクマと違うと思う時は「チゴ!」との声が飛ぶ、ピンと尖った翼を伸ばしたチゴハヤブサも登場する。のんびり鷹を見るペースが丁度いい。登山家槙有恒もマナスルに初登頂した翌年にここを訪れたとの碑が建っている、アイガーの麓で見た槙が寄贈した山小屋を思い起こしたりもする、アイガー北東山稜は槙の初登頂だ。カナディアンロッキーのマウントアルバータも槙らが初登頂したとある、カナディアンロッキーを訪れた時この山は見えなかったが勢いのある人だと思ってしまう。戦前の勢いがどこか伝わる。目の前の景色と幾つかの時の流れが交錯していい感じだ。

もういいか、という頃合で辞してもう一つの九月中に回っておきたい所へ向かう。飯塚の旧伊藤伝右衛門邸だ、9月中というのは勿論「花子とアン」が終わる前にということだが、この8月末に訪れたものの定休日で残念な思いをしたリベンジを片付けてしまいたいという気持ちもあっItouden3 た。「花子とアン」の嘉納伝助のモデルが伊藤伝右衛門だ。
八幡インターで九州自動車道をおりて無料の高速道路のような国道200号線を南下すると程なく到着する。筑豊振興を目指したインフラ整備のこれもその一つだろうか、道はいい。
ウイークデイというのに入場者がひっきりなしで団体も次々に現れる。明治44年の白蓮との婚姻を機に整備された豪邸で庭は国の名勝にも指定されている。建物は大きく立派だがそれ程凝ったものでもないし庭もよく造られているが感動を与えるほどでもない。東京から遠く離れ今でも街外れのようなところItouden2 にあるこの屋敷に白蓮が次第に耐え切れなくなったのもどこか解る気がする。
伊藤家は伝右衛門一代にして財を成したが伝右衛門の死後、石炭産業の凋落とともに勢いを失っていった。
結局は繁栄の残滓を眺めているだけだが物語がこの屋敷を巡って幾つも繰り広げられていったと思うと村岡花子のいう想像の翼が拡がっていくようで面白い。

9月はこうして10月へと転んでいく。一月一月まとめきれないような意味を抱えて過ぎ去っていく時が惜しい様でもあり楽しItouden くもある。ともかくこんな好天が続く九月も珍しい。

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