2024年7月 3日 (水)

ポール・オースターの「ガラスの街」を読んでみる

先月の初め頃Newsweekを読んでいたら、アメリカの作家ポール・オースターががんで亡くなったという記事に遭遇した。これは読んだ方がいいかもしれないと直感的に感じた。ポール・オースターという人は全く知らなかったが、いったいどういう作家なのだろうと図書館に「ガラスの街」という作品があるとわかったので早速予約を入れて借り出した。240ページ位の文庫本なので、まあ読める。
読むと最後に私という視点が出てくるがさらにポール・オースターという名前の作家が登場し主人公であるクインはポール・オースターという名前をかたって依頼人の依頼を受けるといGarasunomachi う不思議ないれこ構造になっている、作家本人の名前が物語のキーにもなっているというところが面白くて、何なんだこれはと思ってしまう。ニューヨークの街で繰り広げられる解決されない、されることに意味がないミステリーという仕立てだが、枝葉のように書き込まれているニューヨークの街角の連なり、締まりのない会話全体が経験したことのない読後感をもたらす。確かにこれは特別だ、読まないとわからない。知らない世界を少しでも開きたい、そんな気持ちに図らずも答えてくれる作家のような気もしている。ニューヨーク三部作の一つがこのガラスの街だが他の2つも読んでみようという気になっている。

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2024年4月12日 (金)

マイケルグリーンの「アメリカのアジア戦略史・上」を読んでみたが

マイケル・グリーンのアメリカのアジア戦略史 上 建国期から21世紀まで という本を借りてこのところ読んでいたが2週間の貸し出し制限がきつくやっと読み終えてそのまま返却した。アメリカという国は太平洋を越えた西にあるアジアとどう向き合ってきたかという視点からの書物で、こういう見方から書かれた本Photo_20240412103601 は初めてで新鮮な思いがした。誰がどう政策決定に関わってきたかを人名を中心に細かく書き記している。屈折しながらジグザグと進んできたアメリカの状況がそれなりに分かる気がする。書かれていることは多分本当なのだろうが、読み終えて感じることは幾つか肝心のところが書かれていない、意図的にか逃げているように感じるところがあるのが気になる。狂信的な愛国者からのトラブルを避けるためアメリカにまずいことは書かないようにしているのかもしれないと感じてしまう。一つはハワイ王国滅亡に対するアメリカ政府のかかわりのところだ。植民地化-併合のプロセスでは手を汚していないかのような書き方に終始しているというかきちんと書いていない。第2次大戦後の植民地の民族自決をアメリカがリードしたというところはきっちり書いているのに自らはハワイ王国を簒奪し併合している(住民の7割が反対したといわれる)という歴史的事実に向き合っていない、キレイキレイに書いている、そういうことなら他にもそんなところがあるかもしれないと内容が疑わしく思えてくる。日本との開戦に至るいきさつもたとえばハルノートのような動きはまるで書かれていない、というより開戦直前直後の米政府内部の動きについては一切書かれていない。何かまずいことがあるのかもしれないと思う、真珠湾はだまし討ちだというローズベルトの主張は米国の失態を覆い隠し利用するプロパガンダだったのかもしれないと思ってしまう。

色々あるが米国が建国以来太平洋を西へ西へと押し続けているという歴史・現状は事実に即して素直な目で眺め続けなければならないのだろう。思った以上に米中対立は簡単には終わりそうにもない、そうも感じる。

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2024年3月16日 (土)

「新しい戦前」を読んでみて別のことを想った

「新しい戦前」」という本が話題らしいので図書館の予約の列に並んで借りてみた。どうも著者の内田という人は全共闘時代の生き残りのような感じで当時の活動の残滓を引きづっているように感 じる。もう一人の著者の白井という人はよく解らないが新しい全共闘時代という感じがしないでもない、古い言葉だが新左翼という言葉をどこか思い浮かべてしまAtarasiisenzn う、勿論今や全く左翼ではないが。両者の対話が内容のすべてだが、対話という形が、堅苦しく独善的になりがちな内容をそうさせないでいるせいか読みやすい。米軍の占領が今も続いているとみるべき対米追従に対する指摘など全くそう思っていたと共感するところは多々あるが、読み終えると、それで、と思ってしまう。対談の中に出てくる破壊はたやすいが作り出すことは簡単ではないという言葉のとおりで、破壊的な主張がこの本の内容の多くをカバーしており、それでどうする、というところが見えにくい。まあそれでもこんな視点を打ち出すことは大事なことだとは思う。
つらつら考えるに、反共、というコンセプトで戦後はずっと進んできてソ連崩壊とともに、形が見えにくくなったが、考えてみれば東アジアに限ってみれば、中国、北朝鮮と、いまだに頑張り続けている共産主義体制が健在でそこに過度の対米追従の必要性があったとも思われてくる。ここへきてロシアが独裁制を確立しそうで、それが中国、北朝鮮の旧態依然の共産党独裁の落としどころになると両国が気づき始めているような気がしている。反共ではなく反独裁の塊のリーダーとしての米国に追従すべき存在価値があるということが今の形態を引きずっている大きなドライブになっているのかもしれない。ところがトランプの登場で米国にも独裁的振る舞いのリーダーを求める勢力が多数となりつつある時代になってきて、さあ日本はどうする、というのが今の時代と見ることできるのではないか。民主主義が行き詰まり国連主義が行き詰っているのがこの世の姿でそれに対する回答が得られないままに進んでいってしまっているというのが今のこの世なのではあるまいか。
日本に残る強さは天皇制というところに最後行き着くのかもしれないという気がしている。独裁ではないが完全な民主主義でもない形態の可能性がそこに残されているというのが日本の強さなのではなかろうか。

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2024年2月27日 (火)

ベンジャミン・カーター・ヘットの「ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか」を読む

近現代の世界の歴史で前から引っかかっていたのがナチズムは暴力革命ではなく当時最も民主的と思われるワイマール共和国で選挙で第一党となって政権を担当することになった、すなわち当時のドイツ国民のマジョリティーがヒトラーを選択したというところにあった。そんなこともあり、誰かの書評でこの「ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか」という本が紹介されていたのを見てこの本を図書館から借りだして読み始めたというのが直接のきっかけではある。著者はベンジャミン・カータHitler ー・ヘットというカナダ育ちのアメリカ人で、弁護士からスタートしたが4年でやめ大学の歴史学の博士課程を学びなおし歴史学者となったという経歴を持つ、と本人の名を冠したホームページに書かれている。ドイツの近現代史を法律家の視点で眺めながら研究して2004年から著書を次々に世 に出すようになって現在はニューヨーク市立のハンターカレッジで歴史学の教授を務めているという。この本は2018年に出版されたがここまでもナチス政権成立直後の国会議事堂燃上事件の詳細な調査を行い何があったのか再構築し原因を可能な限り明らかにしようとした本も出しているようで、この時期のドイツの政治社会情勢について広範な資料を調査研究していていることがうかがえる。
読んでいくと、ナチスの登場のキーワードはワイマール共和国の体制が国民に概して不人気であった、特に当時ソ連から逃れてきた大量のユダヤ人移民やこれとは別に共産主義勢力及び米英がとるグローバル資本主義が吹き荒れており、これを是認し象徴するのがワイマール共和国の体制だったと思われていたようでそこにナショナリストが大きな勢力となりうる原因があったということのように思えてくる。1932年7月の選挙でナチ党は37.3%の得票を得、第2党の社会民主党21.5%を大きく引き離す第1党となった。大統領ヒンデンブルグはヒトラーを首相に任命したくなく大統領アドバイザーのシュライヒャーを首相としてナチ党の一部も引き入れた連合政権としようとしたがうまくいかず、1933年1月やむなくヒトラーを首相に指名した。より直接的には1933年1月15日のリッペ州の州選挙でもナチは43%の高得票率を得たという結果がとどめとなったということらしい。確かに民主的な選挙結果によってヒトラー/ナチというドイツ国民による選択を示されたことになる。英米主導のグロバリゼーションと殺到する難民という図式はまさに現代の様相であり、これに火をつける政治家が現れればヒトラー/ナチズムの形を変えた再来は当然に考えられる気がする、確かに米国や欧州各地で極右勢力/政党が伸びているようでもある。しかし現代の有利なポジションはこのようなことが起こったということを歴史に学んでいることなのだろう。
なかなかの本だった。世界はどうなっていくだろう、理解し眺め続けることもそれはそれで面白い気もしている。

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2024年2月13日 (火)

笠置シズ子の砂古口による評伝がなかなかで

朝ドラで笠置シズ子が演じられていてなかなか興味深い、ドラマではいろいろ脚色もあるだろう、本当はどんな人だったのだろうと図書館に笠置シズ子の評伝を2つばかり予約してみた。すぐ来たのが「昭和の日本を彩った「ブギの女王」一代記」 というのだったが、それほど印象深い気もせずに内容も忘れたころ次の「ブギの女王・笠置シヅ子 : 心ズキズキワクワクああしんど 」が回ってきた、こちらは予約がだいぶ入っていて2か月以上待った感じだ。砂古口 早苗(さこぐちさなえ)という女性ノンフィクションライターが丹念な資料調査や現存する関係者インタビューに基づいて書いた本で、かなり細かい。おそらく笠置シKasagisizuko ズ子の最も確からしい評伝と思われる。ドラマは勿論創作は多々あるが凡そ事実に従って進んでいるとわかる。
笠置シズ子の名は子供のころには知ってはいたが淡谷のり子の方がテレビで時には歌っていたこともありまだ頭に残っている。淡谷のり子はおばあさん歌手でどこがブルースの女王か、と当時いぶかしげに思っていた。この本を読むと笠置シズ子はマネージャーの大金持ち逃げ事件があったり美空ひばりが入れ替わるように出てきたこともあったのか絶頂期を少し過ぎたあたりで早く歌手を引退したという、それがためにその印象がその後の世代にあまり伝わらなかったのかなとも思ってしまう。これとは別に美空ひばりと山口組田岡会長との深いつながりやひばり母の君臨など戦後の芸能界の良く知らなかった裏事情が細かく書いてあるのに興味を惹かれる。笠置は闇社会とのつながりを拒絶し通して生きてきたという、こんなところもマスコミのひばり母や闇社会への忖度で笠置のポジティブブな印象がその後の世代に伝わりにくかったということに影響しているような気がしてくる。だんだん分かった来るような気持ちになる、なかなかの本だ。

実際はどう歌っていたのだろうか、もう少し笠置の音源や映像を探してみねば、そんなことばかり湧き上がってくる。

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2024年1月 5日 (金)

オーウェルの「1984」を読んでみる

メディア論という放送大学の科目を受講しているがその中でオーウェルの小説「1984」の紹介があって、まだ読んではいなかったこともあり、この機会にと図書館から借りだして読んでみた(1984 ジョージ・オーウェル著 / 田内志文 訳  KADOKAWA文庫)。
文庫本とはいえ字がびっしりで450ページ位ある本なので読破にはそれなりの努力がいる、頭の方を読んでしばらく棚上げにしていたら予約が入って貸し出し延長がで き1984 なくなりそれではと気合を入れて2日がかりで読み終えた。なかなか面白い本だ。 予想していたより恋愛小説的なところが大分あっておやという感じを抱いたが、読み進むといかにも完全監視の管理社会らしいタッチの場面が色濃くなる。監視の主役はテレスクリーンという双方向テレビでそれがメディア論でこの本が紹介される理由の一つになっている。この1984が書かれた1948年にはテレビ放送という形態は世界でやっと始まってきた時期だったがその個人生活に入り込む危険性をオーウエルは感じていたのだろう。この小説の描く世界はスターリンの独裁が一つのモデルだったといわれているようだ。当時ソ連に現実化しつつあった状況ともいえるのだろう。また小説の中では1950年代の核兵器を使った戦争の後世界は オセアニア(アメリカとイギリス)、ユーラシア(ロシア主導の欧州)、イースタシア(中国、日本他の東アジア)の3つの国に分割されそれぞれが似たような独裁体制となり互いに戦争状態を続ける、という設定でこれは現在のイギリスのEU離脱/米英豪のオーカス、米中対立、ロシアの西進/ウクライナ戦争、などの図式を予見しているともいえる気がしてくる。どちらかというと1984の世界に向かって現実の世界が動いていっている気さえする。中国の政府による監視カメラだらけの世界が現実になっているのを伝え聞くと完全監視社会というのはすでに現実味を帯びているようにも思える。AIの進化がそれを加速する近未来というものがすぐそこにあるような気がしている。
1984は各種陰謀論の源流にあるのかもしれないが、どうやったらこの不吉な予測から逃れられるのだろうか、考え続けなければならないようだ。

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2023年11月26日 (日)

最初に出た43年前の「街とその不確かな壁」を読んでみる

村上春樹の最近出た小説「街とその不確かな壁」を読んだら著者のあとがきがあって、おやと思ったが、そこにこの小説はだいぶ以前に一度同名の小説として発表したものを大幅に書き直したものだとあった。そんなことならその元の小説も読んでみなくてはと思ったが雑誌に発表したものの単行本としては出ずじまいになってるというので兎に角最初に発表された雑誌を調べる、図書館にあるだろうから借り出して読めばいい。ネットで検索すると文学界の19Machito 80年9月号がその雑誌とわかる、便利な世の中だ。福岡市の図書館にあることを確かめて早速予約する。同じように探し出した人が他にもいるようで既に貸し出し中となっていて順番待ちの列に並ぶ。1か月くらいして順番が回って来たとの連絡が入って勇躍図書館を訪れる。借り出して見ると、確かに古い感じが漂う雑誌だ、43年前というとこんな感じだったんだそのことにまず感慨を覚えてしまう。ページの縁が弱くなってちぎれそうに見える。この間に自分の中にも流れてきた時間というものを感じてしまう。内容は壁の中の世界がほぼ全てで外の世界ははじめと最後に少し出てくるだけ、最近の書き直しとはつくりが大分違う、が、同じ設定だ。こちらの方がシンプルだ、リリックだ、それだけに確かに街から脱出したその先は?、と感じてしまう。
同時にこれはこれでよかったのではとも思う、敢えて書き直したのはやはりホルヘ・ルイス・ボルヘスの言葉ー作家は限られた数のモチーフを手を変え品を変え様々な形に書き換えていくだけだーということなのだろうか、持っているモチーフには限りがあるからなのだろうか。

作家とは難しい職業だ

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2023年11月 4日 (土)

マニアックな子供向けの本が次々に現れて

秋は夜がひたひたと迫ってくるのを感じるせいか、本を読む時間が多くなる。本をめぐる最近の雰囲気に変わったところがいくつか出てきているような気がしている、その一つが子供向けの本だ。
そんなことを考えるようになったきっかけは野鳥に関するいい本が出ているという、参加しているLineグループかメーリングリストか何かへのネTorikun ットの書き込みを見たことだ(どこでみたかはもうわからないが)。鳥くんの出している鳥伝説の本(「やばすご! 鳥伝説 鳥たちのビックリ生活」)は、ページを開くごとにへーそうだったのかという話が現れるというのだ、そんな本なら買ってみるかと、ネット通販で取り寄せた。数日後届いてみてちょっと驚いた、ルビだらけの明らかに子供向けという感じの本だった。しかし読み始めてみると確かにこれは知らなかったという事柄が次々に出てくる、マニアックな内容の本ということもできる。フーンと思っていたら似たような感じの本に気象の世界でも出会った。こちらは雲の本だ。気象の世界では少しは名の知れた荒木健太郎という人の雲の超図鑑(「すごすぎる天気の図鑑 雲の超図鑑」)という本でこのところよく売れているようだ、まずは図書館で予約し大分待った後順番が廻ってきて借り出して眺めてみた。これも驚くことにルビだらけの本だった。どうみても子供向けの体裁だ、でも中身は他ではなかなかお目にかからないマニアックな内容で気象予報士向けの本以上に細かく雲を分類して写真入りでその特徴や見分け方などを説明している、一般向けの本とはとても思えない。手元に置くべき本とこれもネット通販で取り寄せたのだが、なんだかこんな世の中になってきたのKumonohon か、と感じてしまった。しかし自分の幼いころを振り返ってみると子供はマニアックな知識にあこがれているというのは同じかもしれないとも思ってしまう。 人間とはそういう生物なのだろう、そうやって無駄とも思える知識を大量に吸収することで生き延びてきた生物なのだろう。
振り返って今のわが身を見ると読みかけの本ばかりをため込んでいて、その圧力を感じるほどだ。子供の知識欲をあてにした本が次々に出てくる時代に、やっぱり人間はこんなものなんだとあきらめて少しは気楽になるような気もしている。

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2023年10月22日 (日)

村上春樹の「街とその不確かな壁」 を読む ノーベル賞は無理かな

今年2023年の4月に久し振りの村上春樹の長編が出版されてすぐに図書館に予約を入れておいたのだが、長い待ち行列ができていてつい1週間前にやっと順番が回ってきて借り出した。6か月かかったということになる。珍しくも著者あとがきのある小説だ。めったにみない。ちょっと頭の方を見た後あとがきを読んでみる。何と「羊をめぐる1_20231022230301 冒険」」より前に書き上げた同名の中編小説(文学界1980年9月号掲載)の大幅焼き直しとある。読み始めた感じが昔懐かしい春樹スタイルだという印象を受けたのはそういうことかと合点する。架空の世界をすかすか感のある書き方で書いている。乾いている。先ほど読み終えたが、パラレルワールドものという言い方で分類したくなる小説だ、プラトンの洞窟の比喩というより、SFの世界では時々現れる形式のような気がしてしまう。今回の本は655頁の長編だが普通に読んで6日で読み終えた、すらすら読める。読了直後の印象は、読んでいて引き込まれる小説だがこれはノーベル賞には無理かな、というものだった。ノーベル文学賞はその文学がオーバーに言えば世界史的な意義があるものかという基準で授与されているような気がしているが村上春樹はもはやその段階は通り過ぎたような感じがしてしまう、特別感がしない。あとがきに引用されているホルヘ・ルイス・ボルヘスの言葉ー作家は限られた数のモチーフを手を変え品を変え様々な形に書き換えていくだけだーというのが一番生々しい記述のように感じてしまう。
色々感じるが読みやすくて面白い小説であることには違いない。秋の夜長はやはり読書に限るのだろう。

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2023年10月 7日 (土)

ノーベル文学賞受賞者ヨン・フォッセの「だれか、来る」を読んでみる

ノーベル賞の季節だ。2日前テレビをぼんやり見ていたら文学賞の発表が速報で流されて今年の受賞者はヨン・フォッセと報じる。全く聞いたことのない人だ。どうも劇作家らしい、とにかく何か読んでみたいものだと市立図書館を検索する、1件だけ引っかかったが、もうすでに予約が入っていて3番目だすぐには来ない、それにインタビュー記事のようで作品でもないようだ。それではと代表作の一つとしてwikiなどに出てくる「だれか、来る」の載っている雑誌はないものかとグーグル検索してみると、見つかった。舞台芸術 という京都造形芸術大学舞台芸術研究センターが出している雑誌の05号に全文が掲載されていることがわかる。これこれとこの雑誌を市立図書館の蔵書で探すと、この05号が1冊だけ見つかった、すぐに予約する、待ちはない。1日置いて今朝Butaigeijyutu 一番でネットで調べると近くの図書館に届いているとわかる、便利な世の中になった。午前中に借り出してさっそく読んでみる。
詩のような短い言葉のやりとりだけで構成されていて37ページくらいなのでそれほど時間をかけずに読んでしまえる。「小説は言葉が多くなる。言葉の向こうにある世界を書きたかった」というヨン・フォッセの言葉がこの雑誌の主宰者である太田省吾によって紹介されているが、まさにそのような、通常の戯曲からコアの部分だけを取り出したような作品だ。登場人物は3人、彼、彼女、男 と書かれ名前はない、場面も海辺の家の外と内でほぼ同じ、それでいて直接的リアリティがある。要約することが難しい。1996年オスロで初演だから最新の、とは言えないが、新しい。
でも、これがノーベル賞!、というのが偽らざる最初の印象だ。舞台を観なければとも思う。日本初演は太田省吾によって2004年になされており、今後も注意していれば観る機会を見つけることもあるだろう。
ボブディランやこのヨン・フォッセが受賞する時代だ、村上春樹はなかなかかな、そんなことも感じてしまった。面白い時代だ。

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