2018年5月18日 (金)

福翁自伝から話が広がって

ひと月位前に福翁自伝というのを読んだ。面白い本だ。福沢諭吉が64歳の時に書いた自伝という、口述筆記させて後から随分手直ししたらしい、講談本のようだ。明

Fukuoojiden

治30年の作ということになる。日清戦争と日露戦争の間という維新が結実して強国になっていく時代だ、威勢のいい空気が背景にある。
読むと幕末から明治へ移行する時期のリアルな活写となっているところがとりわけ興味を引く。福沢諭吉は幕府召し抱えではあるが勤皇でも佐幕でもなく超然とした翻訳者の立場に立っていたようだ。諭吉は積極的開国論者であったが、幕府の言う開国も結局は攘夷をしたいが止む無く開国というようで諭吉には気に入らなかったともある。幕末から明治にかけては何より暗殺が最も恐れていた事態だったという。夜は出歩かないと心していたとある。そうだろう。

幕末ドキュメンタリとも読めてなかなか面白いと思っていたところ思いがけず先月の法事の席で福翁自伝に話が及んだ。
親戚繋がりの方から出てきた話だ。福翁自伝の緒方洪庵・適塾時代のくだりに松下元芳という久留米出身の医者と諭吉が夜店に入って暴れた話が出てくるがこの松下元芳とその方は5代くらい前で系図がつながっているという。ということは系図の線をたどっていけば自分と松下元芳をつなぐ線が現れるということになる。何だか人類皆兄弟と思えてくる。


自分の両親の家系はどちらもずっと九州のはずだ、一度できる範囲で辿ってみるのも面白いかもしれない。そう思い始める。

単純計算では5代辿れれば100年、50代辿れれば1000年前まで行ける。勿論役所の書類では3-4代前くらいしかわかるまい。その先はお寺や神社やどこかの記録に残っているかということになる。

できはしないが500代で10000年と縄文初期までトレースを追えれば遡れるはずで、もっと前にも勿論つながっているのは間違いない。突然生命は生まれるはずもなく今ある命のもとは数十億年前の生命の誕生まで必ずつながっていなければならない。考えてみれば途方もないことだ。今生き残っている全ての命は46億年の地球の歴史の中でおこった数回に及ぶ地球生命大絶滅の大波をかろうじて潜り抜けてきた奇跡のような生き残りばかりだ。恐ろしいばかりに貴重な命だ。

自分はどこからきたのか。多細胞生物が始まる10億年位前までに至るDNAの分岐を遡ってルーツを追っていく、これをだれもが行える技術として いつかは人類の手に入るのだろうか。このまま人類が絶滅することなく永らえれば1億年位は人類の時代が続くだろう、きっとその内にそのくらいのことはできそうな気がする。そんな技術があってこそ人類は助け合わねばならないことをリアルに感じることができるのではなかろうか。たかが数千年をたどれる位の約束の地などは殆ど意味のない約束だと知るだろう。

とんでもないところで線が交差し枝分かれして延々と続いていく、それが個人という生き物で構成される世界の成り立ちであり行く末なのだろう。

考えていくと僅か100年足らずの寿命であるのが残念になる、しかし1億年先までの未来を連綿とつながる自分のDNAは見続けていってくれるだろう、それがあってこその寿命と思い切ることもできる。
命の連鎖は面白い。福沢諭吉から一気に考えが拡がるのもまた面白い。世界は面白いことで満ちている。




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2018年5月13日 (日)

カズオイシグロの「わたしたちが孤児だったころ」を読む


Watasitachigakoa

このところカズオイシグロの作品を読むことが多くなった。
この「わたしたちが孤児だったころ」(原題:When We were Orphans)は「充たされざる者」の次に発表された長編で丁度うまく図書館から「充たされざる者」の次に順番が回ってきた。こういう風に読むと違和感があまりないが、「日の名残り」の次に読むと、何だこれは、という印象が出てくるのではとも思う。素直に読むべき小説ではない。

探偵が主人公の私小説という設定自体が奇妙だ、リアリティが希薄だ。歪んだ眼鏡を通して物語を追っていく気分になる。戦前の上海という舞台設定もこの世ではない世界のようにも思ってしまう。上海で現れる日本軍人はぎこちないし再会した幼い頃の親友だった日本人の像も揺らいでいるように思える。
実体験のない世界を奇妙にひずませることによってそれを見ている読者を巧みに構成されたイシグロの世界にリアルに引き込んでいるような気がする。面白いつくりの小説だ、スピード感がある。異様な展開も時空を超えて予想されたような結末となって普通に話は終わる。変な読後感は残らない。「充たされざる者」に比べればはるかに読みやすい。


それにしても上海の租界というところはは随分と異様な世界だったようだ。今も残る建物群が1か月ほど前訪れた北京とは相当に違う雰囲気を現在でも与えているようだ。また格安プランででも行ってみようか、それもいいか、との気がしてきている。

心象風景を現実に見る、ゆらぎながらこれを行う、こんな遊びが面白いように思えている。カズオイシグロに影響されはじめたのかもしれない。

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2018年3月21日 (水)

カズオ・イシグロの「女たちの遠い夏」

カズオ・イシグロがノーベル賞を受賞したと聞いてすぐさま市の図書館の著書数冊に予約を入れていたのがやっと貸し出しの順番が回ってき始めた。まずは「女たちの遠い夏」だ。1982年著者が28歳の時に刊行された作品で事実上のデビュー作といえる。

Kazuobook2

欧米各紙の高い評価が得られて作家人生の良いスタートとなったようだ。
日本では1984年暮れに小野寺健(今年1月1日に86歳で亡くなった)の訳により筑摩書房から出版されている。貸し出しを受けたのはこの初版本だ。もう紙が日焼けしてきており30年以上の年月を物理的に感じてしまう。
私小説の形ではある。わたしというのは大きな二人の娘のいる母親で長崎からイギリスへ渡ってきてイギリスで暮らしている、長女が自殺した後の日常の中で長崎にいた頃の様々な出来事を回想しているという舞台立てだ。ほとんどが戦後期の朝鮮戦争が起こっているころの日本の話でイギリス文学というより日本文学のように思えてしまう。登場人物名は漢字表記となっているが勿論原文に漢字はない。訳者の小野寺健ははじめ総てカタカナがきにしようかと思っていたがイシグロから出版社に登場人物の名前表記で避けるべき漢字をわざわざ指定してきたことを知り著者は当然漢字表記されること思っていると解り名前に訳者の思う漢字を当てていったという。悦子であり二郎であり佐知子であり万里子という漢字の人物が訳本でイメージを現したことにもなる。こんなこともあり日本の小説としてどうしても読んでしまう、もとがenglishだとの感じはとんとしてこない。

それにしても彼が経験したはずのない戦争直後の敗戦を越えて生きる日本の日常の有様がリアルに描かれている、それも女性の主人公の目で微妙な心情がそれらしく語られている、非凡な文才としか言いようがない。

世の中にはすごい人がいる、自分は何をしてきたのだろうか、そんなことをつらつら思ってしまう。今更取り戻すことはできない、ともかく過ぎていく世をしっかり見つめたい、それでも十分ではなかろうか、そんな風にも思っている


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2018年1月28日 (日)

古事記と万葉集を学ぶ

古事記と万葉集という講義を放送大学で受講している、というかもう試験も終わったので受講していたというべきなのだろう。ラジオで聴取する形で、教科書とラジオ録音がすべてだ。15回の講義で1回あたり800円弱の受講料を前もって払っておく必要がある。高いといえば高い。資格を取るといった明確な目標を抱いて学ぶ人には妥当なのだろうが面白そうだから学ぶというには費用が少々大きい。まあしかしこんなものだろう。

古事記から入る。古事記は713年に完成し天皇に献上されたとされている。
古事記は漢文体の日本書紀に対比させられる音訓交用表記であり、中の歌謡は一音一字の音読みの所謂万葉仮名表記,神の名前は殆どが訓読み表記となって文体に苦心の

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跡がうかがえる。
中国文化を日本文化に取り込み咀嚼した漢字かな交じり文の原型が作られたのが古事記ということになるのだろう。
太安万侶の序文は表記の苦心を述べているがこの序文自体は漢文であり、公式文書はやはり漢文という当時の感覚も感じる。

古事記はともかく伝えられている国の歴史を物語と歌謡としてそのまま内向けの言葉で書き下すところに力点が置かれたと感じられる。

万葉集の巻一巻二は古事記とほぼ同時代に編纂され、古事記の続き すなわち舒明天皇以降の歴史書としての側面を課せられていたように考えられるという。
古事記では雄略天皇までが事績の記述が書き込まれていてその後の推古までは系譜のみとなるが日本書紀は持統までの事跡が淡々と記されていて対外的な歴史書の体裁をとっているようだ。
古事記+万葉集が所謂人間史、日本書紀が正史とういうことになるように思える。

古事記以降の人間的な歴史の記述を担わされたのが万葉集の一側面ということになるものの、万葉にあげられている古い時代の歌はその後の時代に造られた歌がそのように言い伝えられて残ったともみられるところがあり(即ちまつわる物語が創られていて)、混乱があるところがかえって生々しい。

例えば16代仁徳天皇皇后の磐姫が作ったとされる短歌四首が万葉集に載せられているが(巻二)、古事記の記述では19代允恭天皇の軽太子のところに出てくる衣通王(そとほしのおほきみ)の歌がこの四首のうちの一つとほぼ同一で、どちらが創ったとするのが正しいのか、どちらも怪しいのかわからない。巻二は古事記の編纂された十年位後の720年代にはほとんど出来上がっていたと思われているようだ。

古事記の軽太子のところに出てくる長歌は万葉集巻十三相聞歌に出てくる軽太子にまつわる長歌とほぼ等しいものの、この万葉仮名表記は古事記の方では1字1音を守っているが万葉集では漢字万葉仮名混じり文のように万葉仮名を使っていて明らかに万葉集編纂者は古事記を見ながら編纂し、編纂時の世間で語られていたことに引きずられて漢字万葉仮名混じり文にしているといると感じられる。
*)注。
先にあげた古事記で衣通王の歌とある短歌については古事記が時代的に先だけに衣通王の作とするのが正しそうに見えるが、一方で万葉集で磐姫の歌とされる四首は第四十一代持統天皇(在位690-697年)(藤原不比等の時代)のころに連作としてまとめられたようだという見方もあり、やや奇々怪々の印象を受ける。

藤原氏の勢力がゆるぎないものとなったのは当時の慣例を破り皇統でない藤原氏出身の光明皇后を仁徳天皇の皇后として立后(729年)したところにあるとの見方が有り、この立后の僅かな前例が同じく皇統でなかった皇后磐姫だったというところに磐姫を巡る記述の危うさがあるようでもある。古事記での磐姫の記述は極めて嫉妬深い女性として描かれ印象が今一つよくないところを改めるべく、磐姫を立派な歌を詠んだ姫とのいい印象を与える後付け証拠としてよくできた4首が集められこれが磐姫の連作のように万葉集に載せられたのではないのか、藤原氏の強い意向が入っているのではないか、どうにもそのように思えてしかたがない。

この衣通王は、柿本人麻呂・山部赤人とともに和歌三神と呼ばれるほどに和歌に優れた才能を示したとされているようだ。もっとも和歌三神としては幾つかの挙げ方が古来よりあり、玉津島明神と住吉明神、柿本人麻呂を挙げるのがむしろ普通ではあるようだが玉津島明神とは衣通王のことを指しているとされるため、いずれにせよ衣通王は古来より和歌三神の一柱だったということのようだ。それにしては残された歌が僅かしかない。衣通王の伝説が先にあって紀の国に伝えられておりそれをひきずったのが古事記の記述であるのかもしれない、古に優れた女性歌人がいた、そこが伝説の始まりかもしれない、そんなことも思ってしまう。すべてが架空のものがたりであり、歌だけが残ってきたという気がしてくる。

古事記と万葉集を見て行くと漠とした上代の雰囲気が感じられてくるばかりで、不確定性原理のようなその漠とした存在の仕方が日本の文化の原点そのものであるように思えてくる。そんなことを感じるようになっただけでも改めて学んだ価値があったように思う。学ぶことはやはり楽しい。
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*)例えば
隠(こも)り国(く)の 泊瀬(はつせ)の河の 上つ瀬に 斎杭(いくひ)を打ち
という長歌の始めの方の表記を比較すると

古事記允恭天皇90:
許母理久能 波都勢能賀波能 加美都勢爾 伊久比袁宇知

万葉集巻十三3263:
己母理久乃 泊瀬之河之 上瀬尓 伊杭乎打

と万葉仮名表記でも随分違う、万葉集は漢字で纏められるところは纏めている。

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2018年1月21日 (日)

ダーウインの種の起源を読む

ダーウインの種の起源を読んでいる。光文社の文庫本だと何となく岩波の文庫本よりとっつきがいい。

Syunokigen

読み始めて気が付いたのが原本の出版年が思いの外遅いという事実だ、日本の歴史では殆ど明治維新寸前というあたりになる。

正確には幕末安政の大獄が引き起こされた1859年で、9年後には明治元年となる。ぼんやりと進化論発表は1830年位のイメージを持っていたがそうではなかった。アメリカでは南北戦争、欧州ではナポレオン3世がオーストリアと戦争していた頃で世界的に騒然としてきた時代のように思える。音楽ではショパンが亡くなった後のブルックナーの時代となる。
第1次大戦前の世界に向かってグローバリゼーションが展開していきつつある時代ともいえる。
読むと確かに今に通じている。今でも疑問に思うことを地道に追いかけている。世界の動植物の生きていく様をつぶさに見て考察した結果が自然淘汰による生物の進化だったということのようで非常に説得力のある本だ。膨大な観察を背後に感じさせる。
たとえば草原に何故この植物が繁茂しているかを受精に関わる昆虫ともからめて説明している。
アカクローバーを訪花するのは蜜まで口が届くマルハナバチだけでそこに生息するマルハナバチの数はその巣を荒らすノネズミの数に大きく左右されネズミの数は猫に左右される、従って
アカクローバーの花がその地域で見つかる頻度はその地域にどれだけの数のネコがいるかによって決まる可能性がある、と説く。
ダーウインの主張のキーは結局は小さな形質の差異が生存や種の生き残りに結構大きな影響を与えているというところにあるような気がする。相互に依存している生命はわずかな変化が別の連鎖の優位性を生み出すというところにあるようだ。
確かにそういうところはある、しかしそれは変化を拡大する自然の不安定な一面の強調であって変化を抑え込み安定させている保存系としての地球の面はとらえきれていないようにも思う。それがあってこそ46億年も緑の地球は続いたのだろう。そこらが自然淘汰によりかかる進化論の限界のようにも感じる。

何がこの世界を安定化するように働いているのか。「神の見えざる手」は何なのだろうか。命の寿命だろうか。環境の多様性だろうか。今なお色々考えさせられる本だ。

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2017年12月28日 (木)

個の露出への誘惑と警戒

どうもこの頃寝つきが悪く気楽に読める本をとヘミングウエイの「武器よさらば」を読

Bukiyo

んでみた。A farewell to arms というのが原題だから直訳のタイトルということになる、武器よさらば とはてっきり出版社が適当につけた和名と思っていた。
会話文が多くてすらすら読める。第一次大戦イタリアの前線での
著者の戦争体験に基づいて描いた小説といわれるだけに戦争をめぐるディテールがそれらしい。ただ戦場での恋愛の実際の結末は小説とはだいぶ違うようで恋人の死は創作だ、でもリアルな描写が多いので読者はどうしても総てが著者の体験のように思えてしまう、そういう所がうまい著者なのだろう。発表と同時にベストセラーとなったのもうなずける。

「日はまた昇る」を読んだ時にも感じたがヘミングウェイという人は全くの空想では物語を書けなかった人なのではないか、自分の体験をベースに少し事実とは違うことを書き込むくらいでしかいい小説は書けなかったのではなかろうか、そう思ってしまった。それも一つの生き方だ。ヘミングウェイ自身の人生の物語が十分に面白いような気もしている。

自分自身の生きざまを露出させながら書き続ける、それで立って行っている作家の作品はこれまでにも随分ある。檀一雄のリツ子その愛その死 などはその最たるもののように思っている。

しかしそんな作家の生き方は終わりとなりつつあるのではないだろうか。

ネット社会だ。個人のプライバシーが思わぬところから暴露されて異様な人々から攻撃される、そんなことがあちこちで起こるようになってきた。こんな社会に身構える個がある、それを感じる。

思えば今回のノーベル賞作家カズオ・イシグロはヘミングウエイの対極にあるようだ。カズオ・イシグロの作品のように任意の舞台設定で真実と思うことを書き込む、そんな能力が必要であり評価される時代になってきた、そういう流れを感じる。


12月の初めに久しぶりにヨットの遊びでヨットハーバーに行った折、いくつかの雑談の中で、自分の住んでいる近くにイルミネーションがすごい家があるとの話を聞いていた。どうも高層住宅から眺めてそのあたりに見えるということらしい。クリスマスになってこれを思い出して、クリスマスを過ぎるともうやめてしまうかもしれないと、とにかく日が落ちてからどこだろうと探しに出かけた。大体の方角を見定めてジグザグに歩いていくと確かにきらびやかな電飾の住宅に行き当たる。ここらでは個人の住宅

Densyoku

のイルミネーションなど見たことがなくて可成り目立つ。ここのことらしい。
しかし誰も見に来ている人はいない。寂しいイルミネーションだ。周りの家が同調してそれぞれに飾り始めれば面白いことになろうが、そんな雰囲気はとんとない。
自分もやるかと問われればたじろぐところがある。自己主張はしてみたいが安全上自分の住居は守りたい、安全を曲げてまでは目立つことは避けようとする気持ちがある。個の露出が容易になったことへの誘惑と警戒、これが時代の雰囲気になりつつある様に思える。

警官や教師のありえない不祥事が相次ぎ、ホラー映画の様な座間大量殺人事件や、殺人してみたかったから殺したという若い女性が現れたりもして、一定の無視できない割合でこの社会には異様な人間が住み着いていることが明らかになってきたように思う、もしかしたらネットがそれを助長したのかもしれない。そういう世の中だ。異様な人間からは自分を守ることがまず必要だ、ガードを固める、縮こまる、そんな面白くない
連鎖の世の中に突き進んでいっているようで少々暗くなる。

どうやればそんな不安から解放される社会へと向かえるのだろうか。トランプのように壁を作り人の動きを制限して多様性を排除するほかないのだろうか。そうではないのだろう。
テクニカルなことで解決の糸口が見つかるかもしれない、神のごときAIが現れてネットのすべてを仕切る時代が来るのかもしれない、そんな気もするがそれで収まるのかどうか、それ以上は思いつかない。

いずれにせよ人類はこんな状況は乗り切りながら先へ先へと進むだろう。どんな世界がその先にあるのだろうか、考えていくと果てしない。

寒くなると考えをめぐらして未来を思うこんな時間が長く持てるようだ、それはそれで悪くもない。冬はまだまだ続く。

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2017年10月28日 (土)

今更のように古事記を読む

古事記を読んでみた。勿論口語訳版だ。原文は漢文に万葉仮名が混ざったとっつきにくい文章だ。しかし古代の歴史をみていくとどうしてもここに行き当たる。

通読してみるとそうかというところがいくつかある。まずはオオクニヌシの位置づけだ。ニニギノミコトが天孫降臨する前にスサノウが地上-出雲-に降りておりその孫として

Kougokojiki

オオクニヌシが広く葦原(つまり地上世界)を支配をしていた。それが気に入らないアマテラスはオオクニヌシに支配を終わらせることを同意させたうえで孫を高千穂の峰に降臨させた、という筋書きだ。
オオクニヌシの子は出雲から信濃まで逃げて諏訪神社にとどまることを条件に成敗をまぬかれた。
確かに諏訪神社にはいけにえの風習が後の世まで長く残り、他の神社とは異なる原始の荒々しさが今でも感じられる、単なる神社ではない。
出雲も何かの雰囲気が今も残っているのかもしれない、一度行ってみなくてはならない、そう思えてくる。

要するにニニギノミコトが初めて地上に降り立ったわけでも何でもない。現在の天皇家の直系がそこにあると示しているだけで、諏訪はそれ以前の支配者の流れを汲み続けていることをはっきり示しているようでもある。そういうことか。

ニニギノミコトの子が海幸彦山幸彦であり山幸彦の孫が神武天皇であって九州から瀬戸内海伝いに東征する話が書かれている。何故ニニギが天下ったのは出雲ではなかったのか。
明らかに出雲にもアマテラスのいる高天の原とつながるルートがあってスサノウは島根と鳥取の境にある斐伊川に高天の原から降りてそこでヤマタノオロチを退治することになっている。もっとも日本書紀ではこの時スサノウは新羅に天下ってそこから船で斐伊川に行ったと記述してあるから、神話だけあってぼけた話にはなっているようだ。とにかくニニギが出雲に直接天下らない訳があったように思える。

読んでいくと、やたらと「まぐあい」だの「ほとを突く」だのと現代の視点からは猥雑な表現が出てくるし、争いでは残忍に切り殺す表現がたくさん出てくる。国の正式な歴史書物にしてはどうかなと思ってしまう。

神武東征のところは思いのほかあっさりしている。日向から北上して宇佐へいき西に向かって岡田宮に1.5年、東へ向かって安芸の国タケリに7年、更に東に行き吉備の国高島に8年いて、明石から大阪湾を横切り和歌山あたりに至った。陸地からは抵抗が激しく海路で巡ったとの話になっている。要するに海路のみで東へ向かっている。
近畿に王朝が出来てからは纏向の字がたびたび出てくる、纏向遺跡が立派なのは当たり前と思える。邪馬台国論争で証拠のように纏向があげられるのはなんだかおかしい気もする。

古事記の記述がしつこく書いているのは当時の氏(豪族)の先祖がどうつながっているかのあたりだ、人名あるいは神の名前は煩雑と思えるほどだがそれが古事記の中核のようにも思えてくる、しっかり伝えている。地名のいわれもしつこい。
これらをつなげた話が長い時間を経て形造られてきて稗田阿礼の伝承となったと考えるのがそれらしい。
つまり当時いた天皇をはじめとする有力な豪族の所以・正当性を記したのが古事記ということになるのだろう。しかしすべてを創作するのは却って大変な作業になる、事実の歴史も深く織り込まれているとも考えざるを得ないように思われる。

古事記が作られた時の天皇家はどこからきたのかそれを記したのが古事記であるとするとどこらあたりまでが史実に近いのだろうか。

記述の細かさから少なくとも大和盆地には宇陀から(東から)入ったとするのは本当らしそうだ。当時の文化の流れからは明らかに西から東だから、東から大和に入ったがもとは西から来たのだ、と東征伝説でこと更に言いたかったのかもしれない。
更にそのもとはどこにいたか、紆余曲折があったとしても結局は幾つかのルートによる弥生文化の大陸からの伝来、弥生人の侵入というところに辿り着くということになるのだろう。
普通に考えてその遥かな記憶の正当化が国生み・天孫降臨神話になったのだろうしそう思って古事記の神代紀を読むとおかしくはない、どういう伝説であれそう言い方もあるかと思える。

なんとなく全体の感じは解った。古事記は歴史書としてではなく やはり最も古い日本文学として読むものなのかもしれない、そんな風に思えている。

こうして気になっていることを一つ一つ潰すようにして過ごしていく、これも悪くはない日々だ。

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2017年10月 8日 (日)

カズオイシグロのノーベル賞

そういえば今日はノーベル賞の文学賞発表の日だったと、見ていたipadをアベマTV

Kishiguro

に合わせるとliveが入ってくる。スェーデンからの中継で背の高い女性がイシグロと言っている。ムラカミではないが日本人のようだ、しかし聞いたことがない名だ、同時通訳がないので本当に受賞者の名前を言ったんではないのではないか、とも思ってしまう。でも雰囲気からはどうもイシグロという人がやっぱり受賞したようだ、すぐにテレビに速報テロップが出る。

カズオ・イシグロという日系イギリス人が受賞したとのニュースだ。日系ということなら国際結婚の子息だろうかどうして英語名が混じらないのだろうかとまだよくわからない。

ネットのニュースや情報をつぶさに見ていって漸く解ってきた。両親共日本人で英国に帰化したという。誰が入れたのかwikipediaのカズオイシグロのところはもう2017ノーベル賞受賞としっかり入っている。日本出身の人がとにかく受賞したということになる。目出度いというべきだろう。村上春樹はちょっと無理かなと騎士団長殺しを読んで思っていた。
不勉強だがカズオ・イシグロという人はイギリスではかなり有名な作家となっているらしい。

翌日になってこれは矢張り読んでみなくてはと思い始めてamazonで著作を探るが全て売り切れで古書には早速法外の値がついている。勿論市立図書館の蔵書もネットで当たったが予想通りあっという間に待ち行列ができており暫くはどの本も借りだせない、とにかく片っ端から予約だけは入れておく。

こんなことかと落胆したが、落ち着いてamazonの画面を見直すと電子書籍になったのがありこれは勿論すぐに買える。これしかないかとkindleで1冊購入してさっそく読もうとするがインストール済みのkindleアプリではエラーが出て開けない。電子本は600円ほどの価格だが払っても読めないのでは少々頭にくる。ネットで調べて色々やってみるが効果なく万策尽きてamazonのカスタマーサービスに電話する。正確にはamazonのサービスで電話を選択して自分の番号を入力するとすぐさま電話が鳴り受付順番待ちとなる。混んでるようだ。やっとつながったところで症状を話すとアプリを消去して再ダウンロードしてください、とくる。電話口でそのとおりにやって開きなおすとめでたく読めるようになった。理由は解らない。

とにかく読み始める。「日の名残り」(The remains of the day)という作品だ。イギリスで賞をもらっているようなので代表作の一つだろうくらいの考えで選んだ本だ。
英国のとある執事がご主人様の貴族が亡くなって邸が新たな米国人の所有者に売却され執事もその新たな所有者に仕え始めた、その時期に過去を思い出しながら一人で初めてのドライブ旅行に出かけるという設定だ。執事の独白から成り立つ私小説のような小説になっている。
シーンの多くが歴史的事象を背景にした追想であり、しみじみとした語り口だが、しみじみしすぎている感は否めない。いかにもイギリスらしいというべきなのだろう。設定といい何だかイギリスローカルの小説のように思えて仕方がない、川端康成の日本文学が受賞したようにノーベル文学賞はグローバルというよりむしろローカルな心情の掘り下げを書き込んだ作品が受賞しやすいのかもしれない、そんなことも思ってしまった。

でも昨年のボブディランよりは遥かに文学賞らしい。ボブディラン受賞の方が刺激的だったが今回のも別の次元での刺激がある。世界の広がりを思い知らされる。

個人的には電子ブックの有難さを初めて感じたところもあり、様々な意味で刺激を世界中に与えるところがノーベル賞の素晴らしさ面白さなのだろう。それにしても文学賞はどういう基準でどうやって選ばれているのだろうか、やはり知りたくなる、調べてみなくては。

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2017年8月16日 (水)

「騎士団長殺し」

松本清張の「球形の荒野」を読んでいるときに村上春樹の「騎士団長殺し」の貸し出し順番が(ついに)回ってきたとのメールがあり急ぎ図書館から借りだした。発売と同時に申し

Kisidancyou

込んでやっと今だ。読んでみると、どこか2つの小説の筋立てに通じるものを感じている。勿論小説の質は全く違うが、いずれも事象の原点は戦争に関わった時代のスイス・オーストリアでありそこから脱出できたあるいは死んだという人の話が物語の湧き出し源になっている。

とにかく「騎士団長殺し」を読み終えた。村上春樹らしさに満ちた小説だ。
タイトルの騎士団長はオペラ ドンジョバンニの冒頭でドンジョバンニに殺される騎士団長とされる、騎士団長殺しの現場は画家雨田具彦によって日本画として描かれているがこれは
雨田がウイーンに留学中ナチス高官暗殺未遂事件に巻き込まれた記憶をメタファーとして絵にしたものらしい。騎士団長が飛鳥時代の衣装で描かれているという。ウイーンの事件そのものはこの小説の中での扱いはそれほど重要ではなくて、その騎士団長の姿で現れたイデアが重要な役割を担うという組み立てとなっている。
イデアとは何か。要するに観念のことだ、と主人公の「私」は少女まりえに説明している。愛そのものはイデアではない、愛を成立させているものがイデアだ、そう語っている。この言い方でいけば雲そのものはイデアではない雲を作り出している大気の構造がイデアである、ということになる、そうなのだろうか。ちょっと違うような気もする。
ともかくペラペラ喋るイデアの騎士団長という概念にどこか無理がある様に感じてしまう、本来は抑圧する側の観念を現すイデアなのだろうが小説の中の振る舞いにはそんなところは一つもない。メタファーに過ぎないのではないかと思ってしまう。
「私」は騎士団長の姿をしたイデアを雨田具彦の目前で殺害して地下の道を潜っていく。そこでは自分の観念が道を物理的に作る、広げる、それは何なのか、相変わらず説明がない。観念には実は実体がある、作者はそう思っているような表現をあちこちにちりばめている、そうかもしれないという気もする。勿論説明はない。
説明的でないようにしているところは俳句的ということもできる。くだくだ説明しているとリズムを失う空気感を失う。

「私」が絵を描くところ、肖像画を描くところ、そこはずいぶんリアルだ。概念を形にする、騎士団長の形にする、その人の真実を絵という形にするという登場人物の作業があって、一方で小説を作るという作業をしている作者が感じられる、それも同じ作業かもしれない。そこら辺が村上春樹なのだろう、どこか概念的な雰囲気にリアリティを与え、読者を楽しませる小説とすることに徹している。

結局は 形を借りる、それがキーワードかもしれない。妹コミがまりえの形を借りて現れる、まりえの母と妻ユズに雰囲気の共通性を与える、騎士団長殺しの形を借りてウイーン事件を描く、白いフォレスターの男の形を借りて「私」の邪念を描く。免色のような人、それは読者の心に投げかけているのかもしれない、どこかで見かけた人、読んでいる自分としては放送大学の「感性」の担当講師と無意識に重ねている、そういうことかもしれない。
騎士団長殺しというタイトルもしばらくは師団長殺しというワードで自分に入ってきていた、あの終戦の日の反乱ー日本で一番長い日ーで師団長が殺されたシーンと2重写しになっていた。形を持たせなければ概念は入ってこない。


最近 社説欄に 「「騎士団長殺し」(全2巻)は、歴史の暗部と向き合うことを読者に求める作品である。登場人物の学生は20歳で徴兵されて1937年の南京攻略戦に加わり、復学した後に自殺する。遺書には、上官に命令され、軍刀で捕虜の首を切らされた経験などがつづられていた。」
なる主張が載せられている新聞(西日本新聞)を見て少々唖然とした。局所的にはそのような記述はあるが 「歴史の暗部と向き合うことを読者に求める」 全篇を読んでそんなことを求められていると感じる読者は殆ど無いだろう。そんな小説ではない、こんな社説を堂々と発表する新聞の報道の偏りを、何でも自己の主張に利用してやろうというえげつなさをどうしても感じてしまう。有名な小説の有名税かもしれない、というかえば考えてみればこんなことは形を借りられてしまう、というところを本質的に持っているこの小説からなのかもしれない。

ともかく色々考えさせる小説だ、浸れる小説だ、ノーベル賞は取れないかもしれないが、何といっても村上春樹は面白い。

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2017年2月 2日 (木)

ゾルゲ事件とトランプと

トランプの騒ぎで丁度読んでいた本が面白くも読めるようになった、こんなこともある。

Zoruge たまたま図書館で見つけた「ゾルゲ追跡」というドキュメンタリーが面白くてつい読み入ってしまった。ついでにゾルゲの骨を探し当ててこれを手厚く埋葬した愛人石井(三宅)華子の自伝も読んでいる。
ゾルゲは戦前の日本で活躍した筋金入りのソ連スパイだ。表はドイツ人ジャーナリストとして駐日ドイツ大使の信頼も極めて厚かったというスパイの中のスパイのような人だったようだ。昭和16年ソ連に 日本は南進する、ソ連とはことは構えないことを知らせ任務を完了した直ぐ後に日本の警察にとらえられ昭和19年に刑死している。
このドキュメントの印象的なのは、当時取り調べに当たった検察官に戦後インタビューするなど戦争を潜り抜けた関係者の証言を丹念に集めて事実を組み立てなおしているところにある。可成りの労作だ。

読んでいって心に残るのは色々あるが、やはりソ連のスパイ組織の巧みな偽装の様に驚かされる。潜入した社会の人々に厚く信頼され非常にしっかりとそのNzorge 社会に根付きつつ活動している。この伝統はプーチンにも伝わり現代社会の片隅に今も息づいているに違いないと思わさしめる。

ゾルゲは手法としては情報を得るための不正な手段は一切行わなかったと述解している。信用を得て有力な人へのコネクションを作りまたそのようなコネクションのある人物を引き込んで情報を集め、これを組み立てて事態の真実を見極め本国へ知らせていったようだ。
始めは十分な資金がソ連から送られてきていたが次第に細りそれぞれの稼いだお金をスパイ活動に注ぐことが求められるようにさえなったという。偽装のためスパイそれぞれはきちんとした仕事を持っており、それからの収入で生活そのものは安定していたようだ。ゾルゲは日本を理解するために日本書紀や源氏物語さえも読んでいた。驚くべき読書家で、スパイなどやらずも十分に人から尊敬を受ける人物だったようだ。

ソ連への情報伝達は小型無線機と中国など外へ出ての小包などの手渡しによっていた。無線機はグループの中で技術のあるスパイ クラウゼンが日本で部品を集め組み立て、暗号を用いて通信している。
日本人の主要協力者はアメリカ共産党に所属し帰国した画家・宮城、朝日新聞記者で近衛首相の信頼を得て内閣の嘱託にまでなった尾崎、などで、政府トップの情報を得られるコネクションを築いていた。近衛内閣のソ連とは戦わず南進するという方針に影響を与えたのではないかとも疑われている。
ソ連はこれを受けて極東に配置していた精鋭をドイツ戦に急遽回しこれでドイツを撃破できたといわれる。ナチス敗北の引き金を引いたのがゾルゲだったということすらできるのかもしれない。
1941年9月に宮城に協力していた協力者から組織が露見し一斉逮捕された。終戦まで生き残り進駐軍によって解放された主要メンバーはクラウゼン位であとは刑死または獄死した。クラウゼンはその後ソ連に逃れ最後はベルリンで没している。

ゾルゲ事件から離れてスパイについて少し調べると日本人で外国のスパイまたはその協力者として活動した人は名の通った人にも見受けられ、驚く。
戦後のスパイ活動に関与したものとして正力松太郎がCIAからポダムというコードネームを与えられていた協力者だった、野坂参三が長くソ連のスパイとして働いた(ソ連崩壊後に露見、日本共産党から除名処分)ことなどが知られている。

中国とは尖閣問題を機に日中が離反しているのも韓国の慰安婦問題に火がつけられて日韓がうまくいっていないのも考えてみれば急に立ち上がってきていて、それぞれどこかの国(米国?中国?ロシア?北朝鮮?)が意図的にそのように動いているのではないかと疑いたくなってくる。そんなことがあってもおかしくない。


社会は単純ではない。最も信頼できるとした人が実はそうではなかったということも十分ありうる。トランプ政権とロシアの接近、そこにはどのような活動が隠されているのだろうか。

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