地下鉄サリンから30年
3月20日で 地下鉄サリンから30年たったことになる。思い立ってまだ読んでいなかった村上春樹の被害者及びオウム信者へのインタビュー作品「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」を読んでみる。文章の大半がインタビューを受ける人の語りなのでいつもの小説とはずいぶん違う。でも報道されたこととは違う景色が見えてくる、知らなかったことが随分あるなあと思ってしまい読みだすと対象者一人分は一気に読んでしまう。まだ完全に読み終えたわけではないが今のところ印象に残る一つがインタビューを受けたオウム信者は全員がオウムに入った時のことをポジティブに語って いることだ、現世の息詰まり感は 出家により 洗われた 、良い時間を過ごせていたと事件の全容を知った今でも感じていることだ 。何も洗脳されているという次元でないことは読めば響いてくる。彼らがオウム信者となるに至った息の詰まるような社会構造は解消されたとはと
ても言えない。またか、という事件が起こることになるような気がする、もちろんオウム信者がということではなく同じように行き場を失ったと思い詰める人々がまた何かをやりだすことになるだろうとどうしても思えてくる。闇バイト事件や特殊詐欺集団も部分的には同じところがあるような気もする。どうすればいいのか未だ解決の方法は見つけ出されていないようだ。
地下鉄サリン で被害を受けた人の側の視点もはっとさせられるものがある。 地下鉄で事件に遭遇しやっとの思いで 地上に出るとあたりは多くの人がたおれ込み、苦しむ 地獄だった 、さらに驚くべきはサリンにやられて人が苦しみ横たわり吐いたりしている 、そのすぐ先を 日常が何もないかのように流れ続けていく、誰も立ち止まって手を差し伸べたりしない、すぐ近くの官庁の守衛も何も反応しないという異様な光景 .こんな有様はどのマスコミからも報じられなかった。
そこに何かの真実があるようだ。平日午前8時過ぎの地下鉄霞ヶ関駅、機械のような官僚社会が図らずも現出したように思えてしまう。
我々は何か歪んだ社会を作り続けている、その思いは多くの人で共有されるべきものだと思わずはいられない。我々は一体どこへ向かっているのだろうか。