2018年6月 3日 (日)

印象派の美術展が

印象派の美術展が九州国立博物館で開かれているとテレビコマーシャルも打たれて、結構いい絵があるようなので終わらないうちにと出かけた。ビューレルコレクションとある、看板になっているルノワールの絵はどこかで一度見た覚えがあって気になっていたが日本初公開のものが色々あるような宣伝文句だったしそれはそれでと思っていた。

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入場料は普通に入れば1600円と安くもないが放送大学で学んでいると学生証を見せればこの半額以下となって随分気楽に見れることができる。
女性の観客が8割くらいの感じだ、平日ということもあるがとにかく女性が多い、印象派の絵というと女性の好みという雰囲気を感じる。結構混んでいてイヤホンで解説を聴きながらの人が多く歩みが遅い。2列目から見ていてこれはという所で隙間を見て前に出て見る、これを繰り返しながらとにかく見ていく。
それにしても既視感のある絵ばかりが並ぶ。有名な絵だから印刷物で目にすることが多かったということだろ

Monet

うかとも思ってしまう。明らかに見たことのない絵ももちろんたくさんあって、アングルのアングル夫人を描いた絵などは、売り物ではないからだろうかアングルのいつもの過度とも思える隅々までの装飾性などは全く無く絵そのものの良さが染み出てきてこの後の潮流の先駆けとなっている雰囲気を感じる、なかなかいい絵だ。最後のモネの壁画のように壁いっぱいとなった睡蓮も初めて見る。端の方までは手が回りきってない様子も見えて、いかにもモネらしい。
力作ばかりを見ていると少々疲れていつもは続けて見る常設展も見ずにまっすぐ帰る。
帰って気になった既視感を調べてみようとこれまでに見た美術展の図録で印象派のものを引っ張り出しては見てみる。そのうちアッという図録に行き当たる。1990年に横浜美術館で開かれたビューレ―コレクションによる印象派展だ。横浜みなとみらい博の一環として開館した横浜美術館の開館1周年記念展示会とある。見た記憶がよみがえる。調べると今回展示の64作品中31作品がこの横浜の美術展で展示されていた。ほぼ半数だ、既視感が濃いのも当然だ。それにしても27年前の美術展の記憶がこうも頭に残っているとはとそちらのほうに軽い驚きを禁じ得なかった。いい絵とはとにかく心に残る絵ということになるのだろうか。
27年前とは大した昔でもない、しかし考えてみれば27年前ではまだインターネット時代には全く入っていない、この後失われた20年もあったりして明らかに一時代前のアナログ基調の昔という感じがする、
テレビもアナログだった、色んなことがこの年の後あった。節目の年だったかもしれない。この一年前に平成が始まり今一年後に平成が終わろうとしている。昔のことを考えているといくらでも時間が過ぎてしまって何も後には残らないような空虚感があるからだろうか振り返ることはあまり好きではない。でもこの27年の移り変わりはどこかすさまじいものがある、思い出し始めるとついつい順に追っていってしまう、流れ出てくる。個人的にも世の中の移り変わりでも特別な凝縮された27年だったように思う。
今から未来に27年を伸ばすともうそこは朦朧とした時代しか見えない、そんな年回りになってしまったことも感じる。

なかなかの展示会だった。
事前に半数が見ていた展示と知っていたら見に行かなかったかもしれない、しかし見てしまうと様々なことを考えさせてくれて素直によかったと思う。

流れに任せて事前に詳しく調べ過ぎない方が良いこともある、その方がむしろ新しい切り口を見出すことができる、そうだったそんなことを思いながら過ごしてきたことをもつらつらと思い出していた。思い出し始めるときりがない、流れていった時間はやはり面白くもある。

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2018年5月18日 (金)

福翁自伝から話が広がって

ひと月位前に福翁自伝というのを読んだ。面白い本だ。福沢諭吉が64歳の時に書いた自伝という、口述筆記させて後から随分手直ししたらしい、講談本のようだ。明

Fukuoojiden

治30年の作ということになる。日清戦争と日露戦争の間という維新が結実して強国になっていく時代だ、威勢のいい空気が背景にある。
読むと幕末から明治へ移行する時期のリアルな活写となっているところがとりわけ興味を引く。福沢諭吉は幕府召し抱えではあるが勤皇でも佐幕でもなく超然とした翻訳者の立場に立っていたようだ。諭吉は積極的開国論者であったが、幕府の言う開国も結局は攘夷をしたいが止む無く開国というようで諭吉には気に入らなかったともある。幕末から明治にかけては何より暗殺が最も恐れていた事態だったという。夜は出歩かないと心していたとある。そうだろう。

幕末ドキュメンタリとも読めてなかなか面白いと思っていたところ思いがけず先月の法事の席で福翁自伝に話が及んだ。
親戚繋がりの方から出てきた話だ。福翁自伝の緒方洪庵・適塾時代のくだりに松下元芳という久留米出身の医者と諭吉が夜店に入って暴れた話が出てくるがこの松下元芳とその方は5代くらい前で系図がつながっているという。ということは系図の線をたどっていけば自分と松下元芳をつなぐ線が現れるということになる。何だか人類皆兄弟と思えてくる。


自分の両親の家系はどちらもずっと九州のはずだ、一度できる範囲で辿ってみるのも面白いかもしれない。そう思い始める。

単純計算では5代辿れれば100年、50代辿れれば1000年前まで行ける。勿論役所の書類では3-4代前くらいしかわかるまい。その先はお寺や神社やどこかの記録に残っているかということになる。

できはしないが500代で10000年と縄文初期までトレースを追えれば遡れるはずで、もっと前にも勿論つながっているのは間違いない。突然生命は生まれるはずもなく今ある命のもとは数十億年前の生命の誕生まで必ずつながっていなければならない。考えてみれば途方もないことだ。今生き残っている全ての命は46億年の地球の歴史の中でおこった数回に及ぶ地球生命大絶滅の大波をかろうじて潜り抜けてきた奇跡のような生き残りばかりだ。恐ろしいばかりに貴重な命だ。

自分はどこからきたのか。多細胞生物が始まる10億年位前までに至るDNAの分岐を遡ってルーツを追っていく、これをだれもが行える技術として いつかは人類の手に入るのだろうか。このまま人類が絶滅することなく永らえれば1億年位は人類の時代が続くだろう、きっとその内にそのくらいのことはできそうな気がする。そんな技術があってこそ人類は助け合わねばならないことをリアルに感じることができるのではなかろうか。たかが数千年をたどれる位の約束の地などは殆ど意味のない約束だと知るだろう。

とんでもないところで線が交差し枝分かれして延々と続いていく、それが個人という生き物で構成される世界の成り立ちであり行く末なのだろう。

考えていくと僅か100年足らずの寿命であるのが残念になる、しかし1億年先までの未来を連綿とつながる自分のDNAは見続けていってくれるだろう、それがあってこその寿命と思い切ることもできる。
命の連鎖は面白い。福沢諭吉から一気に考えが拡がるのもまた面白い。世界は面白いことで満ちている。




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2018年5月 8日 (火)

昔住んでいたところを歩く

昔住んでいたところを歩いてみよう、ずっとそう思っていた。自宅から歩いて5分程のバス停から出る路線に乗れば乗り換えなしで行ける。又は最寄駅から西鉄電車で行ってもいい、簡単に行ける。それなのに福岡に引っ越してきて実際に訪れるまで5年かかった。いつでも行けるという気持ちがここまでずるずると引き延ばしてきたような気がする。
結局3週間ほど前のとある日思い立って全く唐突にふらりと出かけた。すぐ近くのバス停から駅行きが来ればそれに乗ればいいし間があれば少し離れたバス停からバスに乗ればいい、そんな風に思ってまずはすぐ近くのバス停の時刻表を見ると数分後に駅行が来るようだ。ラッキー!とこれを待って乗り込む。ミニバスだ。久しぶりに乗る、駅東口が終点となっていて、前に乗った西口で降りるのと行き方が少し変わっている。なんでも変わっていく。短い間にも世の中は動いていく。
次の
まで西鉄電車に乗る。
そういえばこの駅で降りた記憶が昔にもない、というか蘇ってこない,その先で降りるのが常だった。駅の階段を降りて出たところでも地理がピッと頭に来ない。暫く眺めまわしてああこっちだとわかる。
街角の記憶は薄っすらとしかない、写真があればいいがそんな写真は昔撮ってはいない。

Jinjyax

北へバス通り沿いに下っていくと右手の路地のずっと向こうに鳥居が見える。西鉄電車の高架線を越えた向こうに神社があるようだ。こんな神社は全く記憶にない。昔は西鉄電車が高架になっておらず土手のように盛り土した上を走っていた、そんなせいで土手の向こうの記憶が乏しいのかもしれない。とにかく人の記憶などあいまいなものだ。
川を渡る橋の少し手前を右に折れる。道の向こう側には駄菓子屋があったはずだが勿論今はもうない。近くの外車ディーラー大手のショーウインドーは健在だ。生き残る

Dagasiyaato

のは大手だけなのだろうか。右に曲がって進んでいくと昔ここらのどこか広い場所でラジオ体操を行ったと思い出すがそれらしい場所はない。変わってしまった。進駐軍の将校が接収して住んでいた角の家のところまで来る。今や背の高い建物ばかりで面影はない。昔住んでいた区画の中では自宅の裏にあったやや大きな木造の家がそのまま残っている、50年以上前そのままの姿に少々驚く、但し空き家のようだ。その他の家は全く面影がない。もと自分が住んでいたところはと見ると今は通信制の高校のビルになっている、初めて知った。通信制でありながら全日制

Uraroji

のユニークな高校で芸能人も輩出しているようだ。
昔の風情を感じるどころか驚きだけだ。昔歩いた道を行きつ戻りつジグザグに歩いて先の電車の駅に向かう。途中でおやという張り紙に出くわす。昔行きつけだった床屋だ、寄る年波には勝てず3月末で店を閉めました、とある。惜しかった、あとひと月早くここを散策しておれば床屋の主人か女主人と言葉を交わすことができたものを。喧嘩床屋と「うち」ではあだ名していた、いつも床屋夫婦が言い合いをしながら髪を切ってくれた。昔の思い出のままとなってしまった。80才は過ぎているだろうから店を閉めるのもむべなるかなだ。
駅に抜ける抜け道だった細い路地が拡幅されて立派な歩道になっている。変わり続ける。
高架になった駅を左に見て1丁目に向かう。途中で右へ折れて昔 通学のバス停までの経路として使っていた道を探してみる。すっかり様子が変わっていて道を見つけるのさえ苦労する。
しかしどんどん昔の記憶が蘇ってくる。路地の太さの感じが昔の記憶より細い。周りの建物の高さが高くなったためだろうか。
一丁目で終わりにしようかと歩いてきたのだが着くとまだ元気だしずんずん歩けて面白

Rakusui

い、もう少しと柳橋の市場に向かう。手前で少し休憩したくなったのと喉の渇きを覚えたのとでコンビニでアイスコーヒーを飲む。座れるところのあるコンビニは有り難い。
長くいるのも気が引けて飲みながら歩く。柳橋市場に来たのは小学校以来のような気がする。古い記憶だがあまり変わっていない感じがする。見るだけで通り過ぎる。昼下がりの時間帯では活気も少ない。
思いの外短くて市場を抜ける。ここまで来ると出発前に何気に見ていた楽水園の紹介が思い起こされて楽水園まで行って終わりにしようと想い始める。手に持ったアイスコーヒーの飲み残しカップが邪魔だが捨てるところがない。
住吉神社のところまで歩いてくる、通りは人は多くないが旅行者風の姿がちらほら見える。
住吉神社境内に入る、池にはマガモがいてつつじがきれいだ。広い境内を歩いて本殿のところに出る。5年前の正月に初詣に来て以来だ。

Suikinkt

5年前の混雑とは様変わりして落ち着いた雰囲気がある。中国からの旅行者の一行が過ぎていく。
昔 海に向いていたといわれる正面入り口から出て右回りに縁を巡って樂水園に至る。この地にあった明治時代の豪商の別邸庭園を再現したような庭園で建造は戦後だ。茶室で抹茶を飲む。ちょっと気が休まる、雰囲気はいい。そういえば水琴窟がここにはあって音が聞けると思い出して尋ねると、庭の石に水をかけて耳をすませば聞こえるという。早速試す。周辺の都市雑音がやや気になるが石に柄杓で水をかけて耳を澄ますとゴアンゴワンというかすかな音が聞こえる。フーン優雅な響きだ。博多塀などもじっくり見て近くのバス停から帰路に就く。何だか満喫した思いだ。

昔の記憶を思い起こしながら気ままに街を歩く、これは案外面白い。計画しないところがいい、そんなことが気ままにできる街だし、歳だ。
また新しい遊びを見つけたような気がした、果てしない時の流れは泳ぐように過ごしていくだけで楽しい。

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2017年5月19日 (金)

東西合同同窓会

高校の東西合同同窓会があるというので神戸まで出かけた。今振り返ると何かが詰まった旅だった気がする、昔暮らした街だが旅全体がそれらしい小さな驚きに満ちていた。忘れないうちに書き留めておこうと思う。

神戸を訪れるのは半世紀ぶりのような気がしている。宇都宮にいたころは宇都宮と福岡を何度もクルマで往復したが神戸は通り過ぎるだけだった。クルマで神戸まで行く、もうそんな元気はない。
同窓会翌日はゴルフをやろうというプランも用意されていたがゴルフはついに人に付き合えるほどにもならなかったなあと、やらずに帰ることにして、夜行バスで帰りを予約しておく。セパレート3列の座席のバスというから眠れそうな気がする。泊まるのは何か大げさで夜行バスで帰るくらいが安くてどこか感じがあっている。
行きは新幹線だがこれも安い買い方を調べてJR西日本のe5489という予約システムでお得とされる切符を事前購入した、10270円(普通に買うと14990円)で随分安い。ちなみに5489とは「ごよやく」の語呂合わせの電話番号でこの番号で予約を受けていたものをネット予約にしたのがe5489ということらしい。初めて見るとやや不気味な暗号のように見えてしまう、こんな言い方を使い続けていることへの疑問が湧いてこないところが旧国鉄らしいともいえる。でも旅らしい始まりだ。
切符の引き取りは 乗車当日JR西日本の券売機で「予約切符受け取り」を押して予約の時に登録していたクレジットカードを差し込み予約時登録電話番号下4桁を入力すればすぐに発券される。1度やってみると難しくなくて便利だ。とにかくみどりの窓口で並んで買うことからは解放されていていい。

新神戸の駅に着く、本来の神戸・三ノ宮駅からは結構離れていて歩いてはいけない。神戸市内の最終目的地までJRを使うなら途中下車となる計らいがあって、それ用の改札機が出口の左の方にある。切符を通すとハンコを押されて出てきて先でまた使えるという仕掛けだ、こういうところでケチりたくなる、それが出来るというのがいかにもJRの旅という感じがする。

新神戸駅のにぎやかなのには少々驚かされるがそのまま地下鉄で三ノ宮に向かう、一駅だ。高校にいたころはまだ新神戸などという駅はできておらず当然こんな地下鉄もなかった、新しい世界に来たような感じがする、半世紀という時の流れは偉大だ。

三ノ宮の地下鉄駅から阪急、JRと地下を抜けてサンチカに入る、やたら人が多いしDscn3171 なんだか店も多い。半世紀前はサンチカが出来たばかりでここまでの賑わいではなかった、歩いているとどこにいるかわからなくなって地上に出る、ほっとする、弱い雨が時折降りかかる。

センター街はどうなったのだろうと覗いてみる。勿論店は入れ替わっているようだが商店街としての姿は昔とあまり変わらない感じがする。震災でもアーケードは壊滅しなかったようだ。元町の途中まで行ったところでそろそろ今日の行事の一番目の母校見学の時間かな、と切り上げてせめてもの神戸土産にと たまたま目についたにしむら珈琲店で粗挽きの珈琲缶を買っていく。土産として手頃感と神戸らしさがある。

JRまで戻ってくだんの切符を改札機に入れると問題なく受け付けてくれる、これで幾ばくかは助かった。
住吉で降りて国道2号沿いを歩く。昔は国道電車と称する路面電車が走っていたがむろん今はその姿はない、昔の通学路だが風景はまるで変っている。住吉川まで来るとポートライナーの線が頭上を走り川底の昔ダンプの走っていた道は立派な遊歩道となってランニングしている人の姿が見える。六甲山はここから見た風景は変わらないがポートアイランドのために削られた小山が裏の方にあるのだろう、僅かに山を動かして街を広げる、そんなことを神戸市は半世紀も前からやってきた。
歩いていると 震災があったからだろう、新しい建物ばかりのように見える。

母校の正門のところに来る、見た感じ昔と同じようだ。きれいにはなっている。案内に従って集合場所に至り見学が始まる。集まった顔を見渡すとかろうじてそうかなと思う名前が2人くらい浮かんであとは誰が誰やらわからない。半世紀ぶりではこんなものだろう。
建物は震災でも持ちこたえてそのまま残ったが老朽化とやや人数が増えたことで改修増築されて中身は昔とだいぶ変わっている。プールからは高飛び込みの飛び込み台も消えて、代わりにというべきか校舎の屋上には天体観測ドームが設置されている。剛からスマートへのシフトがそこここにある。普通のことだろうし思ったほどには変わっていない気もする。

Dscn3225 母校見学会の後は同窓会となる、会場はトアロードの突き当りの洋館の一つという触れ込みだったが、行ってみると新しい建物のように見える。しかし格式がある、雰囲気がある、神戸らしい。
知らない顔が少しずつ解けてくる、様々な人生が交錯する。まだ働いている人もいる。

それぞれの顔からはどこかもう脂ぎったところが消えて全体がセピア色に変わりつつある、平和な眺めだ。
穏やかな談笑の続く2次会を適当に切り上げて夜行バスの集合所へ向かう、PMPTビルという三ノ宮の飲み屋街のただなかにある建物だ。入口の飲食店の客寄せかと見まごうばかりの係員にバスの出発予定時間を告げて待合室に入る。年代層が随分若い。若者の世界に足を踏み入れた感がある。出発10分前にバスのところまで誘導されて列をなして飲み屋街を歩く。
眠れるだろうかと悩む間もなく眠りに落ちる。歩きまわって疲れたのと酒が回ったのとある。丁度いい。山口県まで走ったところで休憩があり目を覚ましてバスの外に出てみる。夜行バスが何台も止まっている。どよーんとした感じが旅らしい。
やっぱり少々窮屈なところがある。ゆっくり眠れたとの感触はない。

でもコンパクトな旅だった、目的と交通手段がマッチした旅のように思えた。時を旅する。時が流れる。人が流れる。世代が流れる。

自分の座標がまた一つ確認できたような気がする。
今年は同窓会が続く、次は小学校の同窓会だ、振り返るばかりではもう先がないことへのあきらめと認めているようで、同窓会も変わるべきなのだろうけれども。

五月の緑がまぶしい。

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2016年7月11日 (月)

地球史を学ぶ

仕事を離れたら時間を持て余すと聞いたことがあったが、実際にそのような状態なると全くそのようなことはなくやりたいことが増えるばかりだ。


学ぶことも遊びの一つで、この春からは放送大学大学院の学生証を手にして学んでいる。

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といってもそれほど多くの時間を割くことはできないので放送大学では「地球史を読み解く」という講座のみを正式に履修している。
平たく言えば我々はどこからきてどこへ向かっているのかを科学的に宇宙スケールで明らかにしていこうということになる。

始めるとなかなか興味深い。
東工大特命教授の丸山茂徳という人の講義だが姿やしゃべりはあまりテレビ向きでない。しかし話の内容はすこぶる面白い。
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話は本来どうやってこのような研究が進んできたか具体的にどのように研究なされているかという研究手法が結構重要そうだが、そこらはあまり深入りしない。岩石の年代決定手法や同位元素の分析法など実証の具体的手法の知識が骨格を成すような気がする、そこはない、その意味ではどこか消化不良の講義であることは免れない。



太陽系の誕生と地球の誕生がはじまりだが、宇宙150億年の歴史を俯瞰すると太陽系が誕生した46億年前は銀河系で星の形成率が高まるスターバーストの時期にあたっていたという。

スターバーストは銀河同士の衝突で引き起こされるとされており、46億年前は銀河系と矮小銀河との衝突で起こったと最近は考えられているようだ。

太陽の周りにスターバーストで生じた物質が円盤状に集まり 重い岩石は太陽に引き寄せられて内惑星を作り、飛ばされた軽いガスは離れた軌道に外惑星を形成、内惑星は衝突を繰り返し成長、地球、火星などが形成された、と考えられている。
地球のもとになった惑星は隕石の落下で次第に大きく成長していき最後に火星位の惑星との巨大衝突を45.6-45.3億年前に起こしたとされる。こ衝突はジャイアントインパクトと呼ばれこの時月がとびだしたともされているようだ。


ここからが地球の歴史の始まりとなり、まずは冥王代とよばれる原初の時代が始まる。
地球の水はどこから来たか。地球の水の同位体比--重水素/水素比の値を調べると太陽水素の値や彗星の値とは大きく異なり炭素質隕石の値に近いと解ってきた。

一方地球(および月の)岩石は構成する元素の同位体比率からはエンスタタイトコンドライト(Mg系輝石であるエンスタタイトを主要鉱物とする石質隕石)と呼ばれる隕石物質と一致し炭素質コンドライトとは一致しなかった。
即ち岩石をもたらした隕石と水をもたらした隕石は別々のところからきていることになる。
まずエンスタタイトコンドライトが集まって地球の本体部分が出来上がってきた、そこへ水と大気を持った炭素質隕石が降ってきたことになる。
そんな調子のいいことが何で起こるの、と思わざるを得ないが内惑星が生成後木星の引力の影響で外惑星に近い側の小惑星帯の炭素質の多い隕石が落ちてきたという説明があるだけで今一つ合点がいかない。まだまだ諸説が飛び交っている状況のように思える。

地球に残る最古のかけらは44億年前のジルコン結晶でこの中に含まれるウラン元素の崩壊から年代が推定できており、更に、40億年前前後のジルコンに含まれるセリウム元素の価数分析から40億年以前は酸素の少ない還元的な環境(即ちエンスタタイトコンドライトがもたらす環境)でありその後は酸化的な環境(即ち炭素質コンドライトがもたらす環境)に変わっていったことが物的証拠として示されているようだ。

46億年前という太陽系誕生の歴史は隕石の年代測定から得られたもので太陽系全体がほぼ同時期にできた、それが46億年前であったということのようだ。僅かに残された試料から重要な結論が導かれるところは感心するがどうしても半信半疑のところがある。


それにしても現在落ちてくる隕石の多くが普通コンドライトでありエンスタタイトコンドライトや炭素型コンドライトは少ないとされる、ハヤブサが探査したイトカワも普通コンドライトであると解っている、46億年から40億年前頃に今は少ないコンドライトが惑星を作るほどに落ち続けたのはどういうことだろうか。
少しかじっただけでも疑問は尽きない。



生命の発生に至る過程は更に面倒で、原初の、隕石でもたらされた大量の水は地球の殆どを4kmの深さで覆っていたがこれがプレート運動で次第に地中に引き込まれてそのかさを減らし、現れた陸地の岩石粒子が海水と反応して強酸性だった海水を中和していった、濃密だったCO2もマントルに固着してプレート運動で地中に運ばれて薄くなり太陽の光が地面まで届くようになった、水際では各種複雑な環境が現出し多くの元素が出そろい、間欠泉のような場所で有機化合物が次第に合成され最後に生命の誕生に至った、ということのようだ。

まだ実験室内では生命の誕生までは実現されておらず、本当にこうなのかは解らないが、かなり生命の発生はハードルが高いようだ。最近相次いで発見されている太陽系外のハビタブルと思わせる環境の惑星でもめったなことでは生命は生まれないのではないかと思わせる。

地球の冥王代には多くの生命の形態が有りえたが、大量死を繰り返し結局動物の祖先となる古細菌と植物の祖先となる真正細菌のみが生き残りこれが30数億年生き延びてカンブリア紀に理想的ともいえる環境が出揃ったことにより爆発的種の拡大に至ったということらしい。
ここらあたりまでくると化石が残されていたりでそういうことかと思わせる。


勿論この先も展開は続くのだがここまでの過程でも,人類のような知的生命体が存在しうる天体が地球以外に本当にあるのだろうか、と思ってしまう。地球しかないといわれてもそれはそれで真実かもしれない。
命の宇宙的重さというものを感じてしまう。

確かに学ぶということは面白い遊びだ。

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2015年11月 5日 (木)

日本シリーズの切符とノゴマと

ソフトバンクの優勝があっさり決まりなんとなく静かな日々に立ち戻った。
日本シリーズはヤクルトも結構強そうで もつれると踏んでいた、優勝決定に立ち会いたくて第7戦の内野ペアシートを買っていたのだがむなしくも払い戻しとなった。初めての体験だ。ネットのカード決済で買ってローソンで受け取った切符だったが払い戻しはローソンから現金が出てくる、決められた手続きだが何だかコンビニの人に申し訳ない気持ちがしてしまう。
後はサッカーのアビスパがJ1昇格を果たすかが興味の焦点だ。これは14日の最終戦或いはプレーオフまで持ち越されるかもしれない。ともかくもうすぐ結末に至る。
一方で、自宅近くには例年通り陸奥(みちのく)部屋のけいこ場もいつの間にか動き始めて散歩中に力士の姿を見かけるようになる、九州場所ももうすぐだ。ここまで過ぎると本当に静かになって後は正月を待つばかりとなる。

歳をとるとあっという間に時間が過ぎていくというが確かにそうだ、去年のことなど遥か昔のことのように思えてしまう。目の前の時間が次々と背後へ押しやられ猛スピードで去っていく、引き伸ばされながら速足で去っていく過去、不思議な感覚だ。

昨日は久しぶりに春日公園まで散歩に出かけた。いかにも秋晴れという日は外を歩きたくなる。
駐車場に車を置いて池のほうへ向かう、何かいるみたいと家人の声がして指し示す方向を見ると鳥を追っている風情のカメラをかかえた十人ほどが茂みに視線を集めている。
Nogoma 近づいて中の一人にそっと尋ねるとノゴマだという。あの夏の北海道でしか見たことのないノゴマがと一瞬まさかと思うが、南に渡っていくからには今頃九州を通過していても確かにおかしくはない。
今は見えなくなったが茂みに出たり入ったりしているのでじきにまた出てきますよ、との言葉に従って暫く眺めていると、植え込みの暗がりから姿を現した。確かにノゴマだ。さえずりは一切しない。シャッターのバシバシ落ちる音がして右手に去っていくが驚いた風でもなく何かのんびりしている。渡りの途中で一休みというところだろうか。
植え込みで薄暗いこともあってぶれやピンボケで写真は出来が悪い、しかししっかり見た。九州でノゴマは初めてだ。東南アジアで冬を過ごすと言われているのでこの小さいノゴマも宮古島も通って更に南に行くことになろうが、見ていて何か信じられない思いがする。どこにその元気があるのだろうか。

初めての経験を次々に残しながら時は前へ前へと進んでいく。流れに浸りながら、目の前の今が大事だ今見たいものを見 したいことを直ぐやらねば との感覚に押される、時間に押される。
押してくる時間、本当はそんなものはどこにもなくてあるのは透明な時間だけなのだが、そんなことは勿論解っているのだが。


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2015年9月 5日 (土)

8月の野鳥はこんなものかと

やっと少し涼しくなって8月の下旬からまた近くを散歩しながら野鳥を見ている。

散歩コースの新市楽池ではマガモが4羽いて全てメスに見える、若鳥のオスも居るのだろうと201508yacyo 嘴をよく見るがどう見てもメス4羽のようだ。中公園や鹿助公園にもマガモがいるがいずれもメスに見える。どうなっているのだろうか、若鳥のオスが混じっていて全く見分けられないだけなのだろうか。暑い時期のマガモは何かと不思議だ。
新市楽池ではバンの一家が4羽いる、内2羽は若鳥だ。ここでは繰り返し子が育っているようだがバンだらけになることはない、縄張りがきちんと機能しているのだろう。鹿助公園にシジュウカラは居るが散歩コースにコゲラは見ない、カワセミも見ない。アオサギが一羽飛来しキジバトやハシボソガラスはいるがハシブトガラスは見ない。
ムクドリやヒヨドリは随分少ない。ツバメは既に居なくなって夏の終わりを感じる。街中ではこんなものなのだろう。

 

8月の下旬にはクルマで1時間くらいの室見川の上流域にヤマセミを見に行った。ダム湖あたりに出没しているらしい。
ダム湖の周辺の道をスコープを抱えながら歩いていく。管理事務所近くでオシドリのメスをしばらく眺めているとやにわにダムの付け根辺りの暗がりからヤマセミが現れ水面すれすれを飛行していく、遠いが白さが目立つ姿ですぐにそれとわかる。えさ取りに行っているようだ。時折魚が跳ねる。跳ねたら捕まえようと思っているとさえ見える。
どこまで行くのだろうかと見ているうちに視界から消えた。木々が邪魔して先が見えない。見えるところまで移動して姿を探すがもはやどこかへ飛び去っている。午前11時半くらいだ。暫く待つが戻っては来ない。
上水用のダム湖で環境が守られているので魚が生きていきやすいようだ、大食漢のヤマセミにはいい環境に思える。結局写真は撮れずじまい、スコープでヤマセミをとらえることもないままに双眼鏡で飛び行く姿を追ったのみだがそれでも久し振りに鳥見をした気分になった。
暑い夏は平地ではあまり鳥見する気になれない。

 

帰りにダム湖の先の蕎波人という蕎麦屋に寄ってみた。あまり黒くない蕎麦だが歯触りが良くてうまい。前の川沿いにカワガラスが出没するらしいので蕎麦屋に入る前に川べりに行ってみる。やにわに死角の足元からカワガラスが飛び上がったと思うと草むらに入ってしまってグチャグチャ鳴いている。一瞬姿を見せただけで写真を撮る間もあらばこそだ。
何だかさびしいが夏の近場の鳥見はこんなものかとあきらめる。

 

少しずつ希薄な生き方に移ってきているように感じている、抵抗するのはやめて流されるままに流れているがその感触がむしろいい。
9月には今年こそアカハラダカの渡りを見てみたいがうまくいきあたるだろうか、また忙しい季節が始まる。

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2015年6月 3日 (水)

洗濯機を修理する

洗濯機が突然壊れた。排水をしなくなってしまった。
毛糸くずでも詰まったかとかみさんがフィルターの掃除をしてみるが一向に良くならない。

Tw170vd こんな時はネットで調べるのが一番と機種名(TW-170VD)を入れて”排水しない” で検索すると、似たような症状を乗り切った書き込みが幾つか見つかる。
写真付きの奮闘記に従って洗濯機下部のパネルをはずして見ると、排水バルブを駆動するサーボモータ出力をバルブにつなぐ細い針金が折損していて、記事にあるとおりの壊れ方をしている。切れ端をペンチで引っ張ってみるとバルブが開くようだ。
排水バルブにくっついている細いスプリングの片端をサーボモーターのワイヤの先の輪に掛けて駆動するという仕掛けでこんな屈折した細い針金では暫く使えば折れて当たり前という気がする。ここが壊れれば洗濯制御全体が全くというほど不能になる、何という設計だろうか、保証期間が過ぎれば壊れるように出来ているというべきなのだろうか。
ともかく原因が明らかになったので修理を試みる。
残った針金の端をまた曲げてサーボモータのワイヤーとつなげばとりあえずはいい訳だが作業性が悪くてなかなか曲げることができない、疲れてきてこれは自分には無理かとメーカの修理サービスに依頼すると明日には来れるという、バルブの交換ということになるのだろう。
それもまあいいかと一休みするが矢張り悔しい思いが湧いてくる、ネットでの修理実例を更に幾つか見つけたこともあって気を取り直してトライを続ける。
首尾よく曲げられたとしても少し短くなるのでサーボモータ側のワイヤと結ぶには間につSentakuki なぎを入れねばならない。インシュロック(結束バンド)を使ってうまくいった例がネットに出ていて、これこれと100円ショップに買いに行く。
作業性が悪かったことの一つに丁度いいラジオペンチ見つからなかったこともあり、しつこく探してこれも見つけて、道具立てがそろったところでまた始める。
ラジオペンチが丁度良く、引っ掛かりができるほどに曲げることができてインシュロックを介してサーボのワイヤと何とかつなぐ。
試運転してみるとうまく排水バルブが動き洗濯は問題なく出来るようになった。やっつけ仕事だからすぐにでもだめになりそうだが、駄目になったら今度こそメーカ修理だと気楽に思ってとりあえず修理依頼をキャンセルする。

半日が潰れたがうまくいくと少しばかりの達成感に浸れる、それにしてもネット時代は何でも自分でやれる時代に突き進んでいるように感じるし、見知らぬ人と生き方を助け合える時代を切り拓いているようにも思う。100年後にはどうなっているだろうか、面白い時代がそこには広がっているかもしれない。
人の一生は短くてほんの100年後すら解る事ができない。引き継がれていくDNAが見続けていく時の流れに思いを致しても、覚醒して自らが眺めることのできる時の流れはたかが知れている。当然のような現実が残念に思えて仕方がない。

そんなことより時はひたひたと動き続け、あたりはもう梅雨に入った。

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2014年5月 9日 (金)

現実と夢の境目がゆっくりとぼやけてくるようで

いつも散歩している公園に今月はじめ突然マガモのヒナが出現した。公園のマガモがなかなか渡ろうとしないので訝っていたが成程そうだったのかと思ってしまう。雛をかえすとはマガモもずいぶんとこの地が気に入ったらしい。1週間ほど過ぎた今日また様子を見に行ってみるとなんとヒナを引き連れた別のマガモが現れる。全部で22羽のヒナがこの小さな池で育っていくことになる。見に来ていた人と話Magmhnをしていると すぐ近くの別の公園の葦の茂みで孵してここまで数十メートルを歩いて移動してきたという。こちらの公園ははすの葉は浮いているが土の岸辺がなくて、猫やいたちからヒナを守るにはこちらのほうが安全ということらしい。
福岡でマガモが繁殖しているとは思ってもみなかった。ネットでは北海道でヒナが孵ったとの書き込みは幾つも見つけるが九州でもあるのかと思ってしまう。九州まで来たマガモは遠くシベリヤまで帰るのが億劫になるということだろうか。思いもかけない光景だ。

 

昨日久しぶりにプールに行って300mばかり泳いだ、いつものように100mをゆっくり泳いだ後50mを全速力で泳ぐ、これをクロールと平泳ぎで行う。とにかく全力で泳いで終わるので上がる頃は朦朧とするほど疲れる。昨日はプールに行く前に梅の木の虫退治に殺虫剤をまいていてそれを吸い込んだ為かあるいは洗面所の壁紙を張り替えていて接着剤の出すガスにまかれた為か思いの外疲れていつもより更に朦朧としながら何故か忘れていた夢を次々に思い出した。こんなことは初めてだ。勿論また次々に忘れていくのだがその夢の湧き出してくる奇妙な感触だけは忘れない。

その前の日はずいぶんと久しぶりに小学校の同窓会が開かれた。まったく忘れていた記憶が途切れ途切れによみがえってそれがつながっていく。長い時間の経過が端と端ででつながって時間軸がむしろぼやけてくる感じさえする。

思いがけない体験が毎日のように起こる。現実と夢の間の壁はこのようにして少しづつ壊れていくのかもしれないという気がして、それがむしろ新鮮で、新しい時の流れが始まっているような感触が気持ちよく思えてくる。

年を取るということはこういうことだったのだろうか。

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2014年5月 1日 (木)

5月になって

5月になって

生ぬるい空気が漂って、
どこか違うような気がしている
思わぬ強風に転じたヨットレースの腕のつりが残り、
5月の光はまだ届かない

国道445線
五家荘を走った
歴史の残像は作り物にはなく
山奥の食堂の蕎麦にある
言葉にある
走り回っても過去が見えるだけで
生み出す未来が霞む

明日はどこにいるのだろうか

5月の風がそ知らぬ顔で忍び寄る
Momiki

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