今年も1年ぶりの東京へ行ってみる



もうずいぶん長く参加していた日光の野鳥観察の会が解散することになって、ともかく最後の観察会や懇親会に出ようと福岡から出かけた。取りやめた海外旅行のために買っておいた福岡―成田のピーチ航空のチケットが宙に浮いていたこともある、ピーチはキャンセルしても現金は返ってこない、こんな使い方がうるわしい。台風6号が気になる位置にいたが関東への直接の影響はない見込みと、成田から乗り継いで日光まで行く方法や日光の宿の手配などを固めて出かけた。成田から日光への移動は思いのほか複雑で東武に問い合わせしたりしてやっと京成本線から押上で半蔵門線に乗り換え北千住まで行きそこで東武特急に乗るというルートにたどり着きこれを選択した。これなら駅内の移動が比較的シンプルで行けそうだ。ピーチが手際よい運航を見せ成田到着が予定よりやや早く荷物もすぐ出てきて時間が余り、前倒しスケジュールしようとした、しかしそのためには成田-押上の特急・快速便が少なく、ここも駅員に相談して成田―青砥を特急電車として青砥ー押上と移動し北千住へ行くことにした、青砥では向かい合わせのホームの電車に接続していて乗り換えは容易という。めでたくやや早めに北千住の駅に到着しエスカレータを上がったところのエキナカで昼食を済ませる、当初のスケジュールでは昼食が難しく遅い駅弁を何とか見つけ東武特急で食べることになるか最悪は昼なしと覚悟していたが、うまくいった。ともかく成田―日光のあまりの移動のしづらさに日光は海外からの観光客にもう来てほしくないのか、と思うほどだ。日光へ着いてタクシーの運転手なんかに聞くと外国人だらけだというし確かに目につく、やはりそうかとも思ってしまう。
久 し振りの顔に会ったり、会食をしたりして次の日の最後の観察会と懇親会を迎える。古い顔が25名位集まる。物見遊山の旅行よりこんな旅がしっくりくる、場所も時間も自在に動く、四次元の空間を旅している感覚に陥る。山中の民宿に一泊して昼まで山奥で過ごしまた日光駅まで送ってもらって東武特急に乗る。電車の北千住到着が予定より10分も遅れたが予定電車便の組み換えは今度はてきぱきできて7分遅れ位で成田に到着する。成田空港で夕食の予定が思ったよりレストランが遠く空港の中を右往左往してしまう、もっと簡単に食べるところなど見つかっていたという記憶が怪しげだったことに気づく。ボーディングが始まって暫くしたころやっとボーディングゲートにたどり着き無事搭乗、ほぼ満席でやっぱり混んでいる。台風が九州の西に近づきつつあって天気は荒れ模様だ、窓から太い柱の様な積乱雲の中で雷光が暗い空に美しく輝くのを何度も見ながらナイトフライトが過ぎて行く。立体的でどこかこの旅全体を象徴しているようだ。福岡空港にも若干早く到着し10時頃には
自宅に帰り着く。終わってみると経験したことのないような貴重な旅だったように思えてくる、生きていて過ごしていく時間の価値の測り方が今までとは違っていた、こんな旅はもうできないかもしれない、そう思い始めている。
夏至も過ぎて暑い日が続く。先日大学の同期会が2つあって東京を訪れた、一年振りだ。往復マイルを使い飛行機代はかからないがこんなことができるのも今回が最後かもしれない。JALの運賃体系が今年の4月に変わって、マイル利用が以前のように気軽にはできなくなった、必要マイル数も増えて一度予約すると変更ができない、使いづらい。おともでマイルも廃止になった、これもコロナとウクライナ戦の余波なのだろう。しようがない。
行きはA350-900だが、ほぼ満席、コロナ明けの旅行ラッシュがあるのだろう。時間が少しあったので汐留エリアの新橋旧停車場やパナソニック美術館を見る。いつもの人の多い東京があ る。マスクもほぼ全員、去年とあまり変わらない。ルオー展というのがパナの美術館で開かれていて、これを何ともなしに見ていく。ジョルジュ・ルオーは1900年少し前から活動を始めていて、これもアールヌーボーの時ということになるかと思いきや、あの彼独特のステンドグラス風の太い線を用いるスタイルは1910年代頃から
で時代的にはアールデコだ、しかしそれとはまったく違う世界をつくり上げている。もうこの辺りから何時代というのは無理の様だ。びびっと来る絵がないまま歩いていく。展示の最後のセクションの9作品だけが撮影可だ、何でここだけと思うが他のセクションは出品者が撮影不可で出しているものが含まれているということなのだろう、しょうがない。それにしても60数点に及ぶ出展された作品のほぼ半分がここパナソニック美術館の所蔵というのにも驚く、思い入れがあるのだろう、それは何なのだろう、たどり着けない。
新橋旧停車場の遺構をみてもフーンと感じるだけだ、こんな日もある、これが年を取るということなのだろう。
一つ目の同期会で久 し振りの顔にであってリッチな昼食を食べながら緩い時間が流れていく。するすると時間は過ぎて解散後、宿をとった赤坂に移動する。ぶらぶら散策するが外国からの観光客も目に付く、街全体がおもちゃ箱のようで、ああこれが東京だったと思い直す。表現できないざ
わざわ感、時々この感覚を呼び覚ますのも悪くはない気もしている。
暫く泊の旅行に行っていないのでそろそろ阿蘇あたりにでも出かけるかと、南阿蘇の休暇村を電話予約してみた。阿蘇山が見えない部屋で良ければ空きがある、それにまだ全国旅行支援が使えるという、大盤振る舞いだ。一度始めるとなかなかやめられないものの様だ、それほど効果があったということでもあるのだろう。
福岡から南阿蘇に行くだけなら3時間も走れば着く、この時期は草千里から阿蘇山上と呼ばれるエリアのミヤマキリシマが見ごろのはずだ、ここらをゆっくり見るかと出かけた。高速はクルマが多目かなというくらいで阿蘇エリアに入るとクルマも少なく、こんなものかと草千里まで来ると、ちょっと驚く。駐車場はほぼ満車で空いているスペースをやっと見つけて一安心という有様だ、ここまで来て初めてずいぶんの混みようだ。昼食をとりながら見まわすとアジア系外国人が多いようだ、ツアーバスも次々に到着する。コロナ解禁円安バブルというのを目の当たりに見る思いがする。草千里を少し歩いてみた後阿蘇山上駐車場へ向かう、ミヤマキリシマは山上駐車場からが見やすかった記憶がある。以前よく利用していたロープウエー駅下の山上駐車場に着くと無料開放されていて何となくさびれている、とにかく車を置いてミヤマキリシマの群落に入ってみる、綺麗に咲いているが火山ガスのせいか花付きがよくない株が結構あって以前に見た圧倒的な光景でもない。それにしても上から下りてくる車が次々に来るのはどういうことだろうとみると、火口に向かって道が開かれていてさらに登っていく車ばかりだ、どうやら更に上に駐車場ができているようでせっかくだからと行ってみることにした。ゲートがあって料金の支払いかと思えば火山ガスが出ていて疾患のある人 はこれ以上登らないようにと注意があり引き返す道が用意してある。大丈夫ですとさらに登ると料金所があり800円払って火口部の駐車場まで上がる。火口からは盛んにガスが出ているが風向きが良くてこちら側には来ない。歩くとす
ぐに火口のへりに出る。ここまで上がったのは前回は60年位前のことだったように思う、それ以来何度か訪れたがロープウエーが動いていなかったり立ち入り禁止になっていたりでここまでこれなかった。ロープウエーは完全に撤去されていてその代わりにこの駐車場が
整備されたように見える。とにかく行きやすくなっているのは事実だ。でもちょっとした驚きだ、簡単に火口の縁まで行け過ぎる。
久し振りに見る火口は昔 より横長に広がっている印象がある、活発にガスを出している様は昔よりやや危なくなってい る印象もある。爆発したらトーチカに逃げ込めばいいというものでもないだろう。
こんな活火山の火口をまじかで見れるスポットは世界的にも珍しい所の様な気がする、こんな活況は当分続きそうだ。そういえば魏志倭人伝にも阿蘇の記述があったような記憶がよみがえる、少なくも2000年前から東アジアの有名な火山であり続けたようだ。この日は山を下りた後白川水源を巡ったりして、それでも早目に宿に入った。何度も訪れたところへののんびりした旅と思っていたが来てみる と以前とは違った光景に次々に出くわす。旅はだから面白いのだろう。
コロナの旅行支援があるのでせっかくだからと、1泊2日の旅行社ツアーで姫路城/鳥取砂丘/足立美術館/出雲大社を巡る旅に参加してみた。山陰は自分で旅程を組むにはちょっと面倒なところがあって、丁度いいかという感じがあった。ルートを調べるとこの3月に姫路から中国道までの高速道が開通し姫路城を見た後鳥取砂丘に回 るコースが1日で回れるようになっ て実現したツアーのように思える。
8時10分の集合時刻に合わせて博多駅に行くと40人くらいいる、結構多い、女性が多い感じもする。集合場所で新幹線の切符が渡されるかと思いきや指定座席のシート番号が書かれたメモ紙が渡され入場は改札口の横の仕切りを開けてもらって団体で一斉に入る形となる 、普通の改札はな い。切符もないこんなんで大丈夫かと思うがいつもこうのようだ。2時間半くらいで姫路到着だから遠いというほどではない。観光バスで11時30分ころ姫路城につく、懸念した通り昼食が問題だった。昼食は付いておらず2時間の城内観光の時間内で各々昼食をとる必要があるが城内は食事禁止でひとまわりした後お堀の外に並ぶ土産物兼食事の店まで戻って食べるほかない、結構混んでいて、バス出発時間が際どい。しょうがないので店の前で売っているおでんを買って近くのベンチを探してここで昼食を済ませる。バスの中もコロナ対策で食事は禁止となっている。コロナ時代の旅はやはり少々面倒だ。
2時間半ほどバスに揺られて鳥取砂丘に4時前に着く。日没は4時55分ころだ。砂山の肩のところまで歩いて登って海を眺める。風は弱く砂が靴に入ることもない。 このくらいの砂丘なら日本の各所にありそうな気もしてくる、大抵は松を植えたりして砂をコントロールしているがここはそれをあきらめたに過ぎないような気がする。福岡の海の中道も剥ぎとれば大砂丘なのだろう。でも夕日の景色はいい、夕日の頃にここにつくように設定されたプランはさすがと思わせる。ここにきたら砂の美術館も行くべきところのように思えてくるが時間がきついお仕着せのツアー故今回は行けない、そこまでは無理だ、しょうがない。
大山のふもとの宿に一泊する。大きな建物でツアー客が多い。コロナ真っ盛りの時はどうしのいだのだろう、やっと一息つけた雰囲気がひしひし伝わる。もらった一人3000円のクーポン券は鳥取県内でしか使えない、このホテルで半分と次の日の朝一番で行く土産物屋で残り半分を使う。とにかくこの地の経済を回すことにお役に立てた心地がして悪くない。 続いて安来の足立美術館に寄る。足立といっても足立区とは何の関係もない。足立全康という名の安来出身の事業家・蒐集家が1970年に創設した大きなスケールの美術館で横山大観の豊富なコレクションと広い日本庭園が(国際的にも)立派として知られる。団体客を多く受け入れるだけのキャパシティーがあり、この日も平日ながら結構な混みようだ。すこぶる個人的な印象としてはフーンという感じで、感動というほどのものは感じない、でもこういう施設は個人が作ったものにせよ島根にとってはかけがえのないものとなっていることをどうしても感じる。こんな美術館はここにしかない、よくぞ創った。
出雲大社に行く。このツアーの訪問地としてはここが最後だ。本殿に向かって参ったが本殿はよく見えない、見るということにはあまり向いていない建造物のようだ。また昼にかかるがオプションの昼膳を頼んで いたのでランチは何とかなった。食べ終わって歴史博物館へ急ぐ。圧巻は荒神谷から出土した銅剣365本だった、全てをこれでもかと展示してある。加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸もすぐそばに展示してある。何故これほどの量がここにとどうしても思ってしまう。古代史における出雲の位置づけがまだまだ不十分なのを感じる。
あわただしく駆け抜けてバスは広島に向かう。途中の休憩は三次ワイナリー だったがインターのそばのトイレ休憩に向く施設として存在しているのも面白い、次々に観光バスがやってくる。勿論ワインも大サービスの試飲が効いて次々に売れていく、巧みなビジネスだ。
余裕で広島駅に到着、やや持て余した時間をスタバで過ごす。夕食は予約していた駅弁となるが勿論新幹線内は食事可能でのんびりとくつろぐ。
あわただしい旅ではあったが、この時代の旅行を取り巻くビジネスの有様があちこちで面白くも見られたのが印象的だった。コロナが8波でやってきてもこれは何としても凌がねばならない、そんなことを思っていた。
壱岐へのツアー2日目、天気は結局大丈夫そうだ。石田町の宿から起き掛けに浜まで散歩する。ウグイスがこれでもかというくらい鳴いている、姿を見せたままのも結構いて、中には換羽前なのかボロボロの羽で鳴い ているのもいる。浜ではミサゴがゆったり飛んだり鴨が忙しく行き来したりもしている、マガモではなさそうだが種類はよくわからない。いい浜だ。
今日は原の辻遺跡から回る。NPO法人のガイドが非常によく知っていて、テキパキと次々に説明していく。ツアーならではだ。遺跡は一支国博物館の下に広がる平野にあり弥生時代の遺物が多く出土している。発掘調査後遺跡は埋め戻されてその上に復元建造物が色々建てられている。階段や木組みの一部も当 時のものが出土していて復元は現在得られる情報を最大限に利用しているようだ、根拠のある復元ということができる。まだ発掘は20%くらいという。魏志倭人伝時代の2000年前頃に王都が拡がっていたこの平野(長崎県で2番目に大きい平野という)の多くの地点が発掘対象となっているようだ。入江が多く漁業に適した島だが水田も広く農業も盛んで豊かな国のイメージが湧く。一方で後世の2度の元寇の時には島の大半が殺戮破壊されてしまったようで、
国境の島の厳しさも感じる。
次は松永安左エ門記念館だ。何?という感じがなくもないが壱岐出身の電力界の大物で福岡市立博物館にも氏が寄贈したコレクションの展示ルームが設けられている。館長が詳しく説明してくれる。松永は思っていたよりずっと広範に電力及び電気輸送事業分野の中枢で活躍しており、福岡市の路面電車事業を皮切りに、雨後の竹の子状態だった九州の電力事業をまとめていき、戦後には全国の電力を主導する立場にもなっている。西鉄が天神をターミナルとして大牟田まで伸びたのも松永の執念だったようだ。松永に付けられた電力の鬼という呼び名は、戦後国内の電力インフラが貧弱な状態にあった際設備投資資金を得るため全国電力料金の70%値上げを敢行して付けられた鬼のように値上げするという形容詞だったというがいつの間にか鬼神のようなイメージに変わっていった気もする。こ んなに大 きな役割を果たした人とは知らなかった。
次はお土産屋を経て月読神社にいく。全国の月読神社の本宮(もとみや)という。日本書紀にも関連した記述のある非常に古くからある神社のようだが現在の社殿は少々貧相なものだ。漂う歴史だけを感じる。
壱岐には古墳も多く、その一つ掛木古墳(西暦600年前後のものと推定されている)を見に行く。円墳で石室周りには大きくて立派な石が使われている、恐らく島に豊富な玄武岩を使ったのだろう、石棺も残されている。豊かな豪族が支配していた時代が偲ばれる。
国民宿舎で昼食、終わるころまた次の団体が昼食に到着してくる、補助金が出るようになったこともあり壱岐旅行は人気のようだがこんな調子ではまたコロナがぶり返すかもしれない。
西の半島部の先端にある黒崎砲台跡と猿岩を見に行く。砲台は対馬海峡の守りに戦前建設されたもので現在は円形の穴があるだけだった。それでも歴史の一部となってきている戦史遺跡としてちょっと見応えがある、またいつか別の形でこんな用途ものを作らねばならなくなる時代が来るかもしれない、感じるものがある。
砲台近くに、壱岐では最も有名な景観となっている猿岩があ る。写真では大したインパクトを感じなかったが現物を見ると違う、その立体感が素晴らしく猿に似ている、眉のあたりなど自然にできたとは思えないほどだ。しかしバスで少し進んだ地点から眺めると猿はどこにも見えない、岩の重なりで丁度そのように見えるポイントがあ るだけということのようだ。誰かがそのポイントを発見したのだろうがその人がエライ。
少し南側の半島部に移動して鬼の足跡といわれる景観を見る。海食崖の一種ということになるが、それを含む広々とした海の眺めがいい。やはり壱岐は海がいいようだ。最後に壱岐最高峰(213m)の岳の辻の展望台を訪れる。 テレビアンテナや電波塔が林立しているが、島全体を見渡せる、田んぼも多く改めて自給自足で暮らしていける丁度いい大きさの島というものを感じる。
帰りはジェットフォイル「ヴィーナス2」で1時間10分で博多港へ帰りつく。フェリーの半分の時間だ。このジェットフォイルはボーイング製で、もうボーイングとしてはこの事業から手を引いているが未だに堅実に運用されている。KHIがボーイングからライセンス製造の権利を得て15隻くらい製造したようだが(壱岐航路のもう一つのジェットフォイル「ヴィーナス」はKHI製)現在は主に維持整備支援を行っているのだろう。走航中はシートベルト着用で動けないのはちょっとつらい。外の景色は窓側の席の人しか見えない、航空機でもシートベルト着用サインは巡行中は消えるがこちらはそんなことはない、ずっとだ。まあ早いから我慢するのだろう。
目まぐるしい壱岐の旅を終え博多港の駐車場からクルマを出して夕食に向かう。壱岐は思いのほか多相な歴史を抱えているようでもあった、学ぶことだらけだ。こんな旅もたまにはいい、しかしちょっと疲れた。
写真は順に、朝の大浜、原の辻遺跡、松永安左エ門記念館の自筆掛け軸、月読神社、掛木古墳、黒崎砲台跡、猿岩、鬼の足跡、岳の辻の展望台
久し振りに東京へ出かけた。同期会に出席するためだが、昼食会で十分帰れそうなので日帰りとした。一泊して東京の街を興味に任せてブラブラするのは疲れ切るのが見えている。航空機で日帰りというのも贅沢だが、コロナでマイルの期限延長があったようで大分マイルが残っていてこれが消えないうちに使ってしまおうとマイルで行くことにしたため金銭的な負担は考えなくてよくなってこうしてしまった、というのが正しい言い方なのだろう。
それでもせっかくだからと少し早めに行って見れるところを見てみようと、始発の次の便(7時35分福岡発)で東京へ向かった。3年ぶりということもあって空港の勝手にも思わぬことがあるかもしれないと余裕を見て6時にタクシーを予約しておいた。思ったよりも早く30分位で空港に着いてしまい少々時間を持て余し気味だったが遅れるよりは何倍もいい。機体はエアバスA350-900だ、初めて乗る。主翼から少し離れた後部の窓際の席としていたが可成りうるさい。エンジンの後流がこの辺りの胴体にかすっているのだろうか。イヤホンをしても音声が聞き取りにくい、こんな経験は初めてだ。そうはいっても新しい機体だ、モニター画面には尾翼につけられた機体カメラの映像が見れたりして面白い、音楽はまともに聴けないのでこればかり見ていた。
予定通り9時10分ごろ羽田に着く。予定はしていなかったが昭和島の水処理センター屋上のコアジサシがもう来ているころだろうとモノレールの昭和島の駅で降りてみる。東口の通路を出て見上げるがツバメが飛んでいるくらいでコアジサシはさっぱりだ、昭和橋のところまで行ってみるが同じでむなしく引き上げる。ここにはもう来なくなったのだろうか。時期が僅かにずれているのかもしれない。
浜松町のそばにある芝離宮公園もまだ見たことがなくて訪れてみたいが時間が少ない、眺めるだけでもと思う。展望所があるはずと駅の案内の人に聞くがよくわからず北口から出て直ぐ右の建物の3階から眺めてみる。どうということもない。無駄な時間をいくつも使ってしまったようだが如何にも旅らしい。当初の予定に従って京橋にあるアーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)に向かう。
東京駅地下から八重洲の地下街を通るが随分久しぶりでこんなに店が多かったのか、ととまどう。以前東京駅で感じていた洪水のような人の流れではないが矢張り人は多い。人に尋ねたりしながら思っていたよりも大分歩いてやっとたどり着く。ここで写真と絵画の響きあう展示が開催されているというのをネットで見つけて見てみたいと思ったのがそもそもの訪問動機だ。久留米の石橋文化センターから移された収蔵品もどうなっているのだろうと気になったのもある。
事前予約で放送大学の学生として予約しておいた、学生は無料だ、予約コードと学生証を見せて問題なく入館する。6階までまず上がるという順路になっていて、「写真と絵画ーセザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」という見たかった展示の部屋に入る。それ程人は多くはない、丁度見 やすいくらいだ。絵画的つくりの写真だ。静物画の様な写真でなく水の流れや森の奥行や、それが絵画のように示される。撮れそうで撮れない写真のように感じる。絵を描くために撮った写真というものとは明らかに違う、そのものがある。作品の撮影は基本的に自由なので気に入ったものを持ってきたコンデジで撮っていく。こんな美術館も日本では珍しい。思った通り見るべき展示だった。
5階ではTransformation 越境から生まれるアートという絵画中心の展示ですらすらと見ていくがザオ・ウーキーの現代アートがいい。ザオ・ウーキーの名は知らなかった、1920年中國北京生まれ、9年前に93歳でスイスで亡くなっている。フランスに移住して活動していたが米国のジャクソンポロックなどの抽象画家の影響も大きいようだ。この美術館は彼の作品を数多く所蔵しているらしい。確かにいい絵を描く画家だ。
その他所蔵絵画の展示が4階に展開していてこれも見るがさすがに疲れてきて適当になる。
東京をめぐるのは今や体力勝負になってしまったようだ、たった3時間でもう足に異変を感じるほどだ。ともかく新橋の同期会会場に向かう。久しぶりの雑談をしこたま交わして4時ころまた羽田へ向かう、計算よりやや早めについて予約の便よりひと便前のに変えてもらって乗り込む。またA350-900だ。結構乗っている。機内で空弁を食べた後トイレに行くと、あまり居心地の良いトイレでもない、とにかく狭いし787のようなウオッシュレットでもない。少しでもたくさんの客を乗せエアラインの利益の上がる機体にすることに徹しているような造りだ。こうなっていくのがこの時代なのかもしれない。
久しぶりの東京は、ともかく疲れた。今現在の自分と世の中の関係を見せられたような気がしてしまう、体力的にもうついていけないかな、そう思ってしまう。たまにはこんな旅も必要なのだろう。
コロナはちょっと落ち着いてきた感があって、博多どんたくも今年は再開された、3年振りだ。しかし、やっぱり人ごみになりそうでどんたくを見るのは止めにすることにした。そのかわりにと図ったわけでもないが、JR九州のクイーンビートルを用いた博多湾サンセットクルーズに乗ってみた。そもそもは、このクルーズに300人が当たる無料招待募集が市政だよりにあったのでそれに応募してみていたが、外れました、しかし外れでも半額で乗れるというはがきが帰ってきて、これに乗ってみることに したという次第だ。クイーンビートルという船はJR九州が釜山との連絡船として2020年に導入した新鋭の高速船だったがコロナで当座の活躍の場を失ってこんな使い方で凌いでいるということのようだ。知床事故の遊覧船とは比べ物にならない立派な船だ。港まではバスが楽なので家の近くから博多港国際ターミナルに向かう直行のバスに乗って出かけた。福岡市中心街を通っていくがどんたくで矢張り人出が多いのが車窓から見える。
16時15分乗船開始17時出航でバスを降りて手続きをしすぐ乗船する。サ ンセットディナークルーズと称していたように記憶していて食事が出るものと思っていたら、カウンターで無料ビールが一杯あるだけで食べ物はおつまみの様な軽食を買うようになっているだけだった。しょうがない。とにかく混んでないので適当に座る。揚げ物やサンドイッチでそれなりに腹ごしらえしながら窓から海の景色を見るが甲板へ出れないような雰囲気だ。試しに近くにいた船の人に聞いてみると後部甲板には出られる、という。聞いてみるものだ。教えられた後部のスロープを上がり階段で1階分上がるとそれらしいところに出る。椅子が並んだ小ぶりの船室の先が甲板に出る出入り口になっている。風が強いところでは後部甲板だけだが緩くなると横の甲板にも出れる。晴れていて基本的に風は弱く、気持ちがよくてここばかりにいることにする。船は博多湾を出て糸島沖を
通って芥屋の大門で折り返す。玄海島、机島のあたりにはカンムリウミスズメが生息しているはずで見れるかもしれないとほのかに期待して目を凝らし
ていたがそんなものはどこにも見えない。難しい。糸島の二見ヶ浦を海側から眺めたりしていると海鳥が群れている、少し遠いがどうやらオオミズナギドリのようだ。なんとなくオオミズナギドリは東の方の鳥のように思っていたが、飛翔力もありここらにいても何の不思議もない。出航後1時間くらいで芥屋の大門海域にくる、以前遊覧船で見たように記憶していたが、この少し沖のルートで見ると印象が違う、奇妙な岩礁のように思えてしまう。それ程の感動もなくてUターンして同じコースを戻っていく。またオオミズナギドリの群れを見たり島々の様を見たりしていると時はするすると過ぎて行く。日没はこの日は19時3分でほぼ着岸時だが、戻るにつれ沈みつつある夕日が博多湾の先に見えてなかなか綺麗だ。家族連れだったり女性二人組だったり、壮年や熟年夫婦だったり
色々な人が密にもならずぼんやり眺めている光景がいい。
予定通り19時頃着岸してまたバスで戻るがせっかくだからと福岡市ではここだけに走っている2連バスに乗って天神まで行く。ちょっと食べ足りない分を地下街のラーメンで補ってまたバスでのんびり家路に向かう。
こんな過ごし方がこの年になると5月の連休としては一番いいような気がしている。いつまでこんなふうな時間が使えるだろうか、先のことは考えずに今の瞬間を楽しむほかないのだろう,そうまた思ってしまう。
久し振りの阿蘇への一泊旅行の余韻がまだあとびいていて、幾つか書き留めておく。
初日の夜は天気が良ければ星がいいかと思っていたらあいにくの曇り空で、代わりにフロントで貸し出していた家庭用プラネタリウムを借り受けて部屋で投影してみた。凸凹の天井に投影するのでは無理がある、しかしミラーボールと思えば立派ではある。見てるとすぐに眠くなる、タイマーがついているのもうなずける。少しの間面白いが、感動はない、しょうがない。
翌日は朝から晴れている、朝食前にあたりを散歩する。宿の後背は林のある斜面で野鳥観察に向いているようだ。 宿の玄関を出ると前には阿蘇山が間近に見える、右のほうからホオジロの声がしてぶらぶら右のほうへ行くと広場の先の背の高い木の上の方に丸っこい鳥が15羽くらいいる、もしやレンジャク?、と双眼鏡で見るとヒレンジャクだ。やっと今年もレンジャクが見れた。だだし木の枝
に囲まれていて写真はうまくは撮れない、アングルも真下から見上げる感じで証拠写真の域を出ない写真が数枚位だ。でも無いより何倍もいい。
裏手の林に入って暫く進むとキビタキの声が響いてくる、近くを飛び回っているようだ。これも今シーズン初めてだ。姿はチラリと見れたくらいで写真には撮れないが、いい声だ、これも囀りを聞けただけで十分という気がしてくる、そういうものだろう。
朝食後、もらったクーポンでお土産を買ったりしてのんびり出発する、一人2000円分のクーポンが宿泊料の県民割りとは別にもらえる、随分とお得だ。
この日は、熊本地震で損傷を受けた阿蘇神社がどこまで修復されたのだろうかと見てみたい、その後は小国の鍋ヶ滝という滝が評判のようなのでそこを見て戻ろうと思っていた。根子岳の東側を北上する。開けたところで間近に見える阿蘇山の全容がなかなかいい。中腹にパゴダが見えたりする。釈迦の遺物が何かしら入っているというから驚くばかりだ。
程なく阿蘇神社につく、倒壊した楼門(重要文化財)はまだ工事中だ、大きなイラストのある囲いの前でバイク一人旅の様な女性がバイクを入れて自撮りしている。この阿蘇の旅ではバイクがやたら目に付く、宿にも大型バイク3台で乗り付けたおじさん3人組が泊っていたりした。この時期バイク旅はこの広大な景観の中でいかにも心地よさそうだ。
楼門以外はほぼ修理完了しているようで、参拝する。
ここから外輪山をうねうねと登って小国に向かうのだが外輪山の景観の名所、大観峰の近くを通るのでここにも寄る。ここでもバイク旅が目に付く。いつ来ても眺めがいい、随分前まだ九州にいた頃ここでカルデラの朝霧の中に浮かぶ阿蘇を見たことがあった、景観としてはそれが自分の記憶の中ではNo1だ、そんなことも思い出す。
鍋ケ滝へ向かう、ひたすら北上だが暫くは阿蘇外輪山のうねる草地が続く、牛や馬を放牧している近くも通り過ぎる。確かにバイク向きの景観だ。
10年位前に訪れたことのある坂本善三美術館の前を過ぎて狭い道を進むとやっと鍋ケ滝の駐車場に着く。鍋ケ滝を見るには事前のネット予約が必要で予約なしでは入れないと案内のページに書かれていて、本当にそうかと電話で問い合わせもしてみたがそのような説明だ、但し直前に駐車場でスマホでの予約でもいいと教えられてその気で来たのだが着いてみるとネット予約のない人は現金で入場料を払えばいいとなっている、そうだろうな、と思ってしまった。ネット予約必須というのは細い道の渋滞を何とかして回避しようとする行政の苦肉の策のように思える、混んでない時はこんなことでもいいのだろう。 駐車場から滝への道を下っていくと、何とオオルリの声が響いている、今年初めて聞く、どこだろうと探すが木も多く姿は見つからない、でもいい雰囲気だ。肝心の滝は滝の裏に天然の大きくえぐれた道がついていて裏側からシートのように落ちる滝を眺めることができる、きれいな滝だ。それにこんなに近くに寄れる滝もめったにない。もういいかというまで色々写真を撮って引き上げる。帰りもまたオオルリが響く。矢張り野鳥がいい。
後は道の駅小国の蕎麦屋で昼食、10割そばは止めとけばよかったと思いつつひたすら日田インターに向かい高速で帰る。
色々あったが矢張り旅は面白い、クルマで回れるのもいつまでだろうか、また出かけたい、そればかりを思っている。
久しぶりに 阿蘇を旅する、1泊2日だが旅らしい旅だった。
パンデミックが未だ息苦しくてどこかへ少しは出かけたいものだと思っていたところへ、熊本県の県民割が福岡県民にも適用という宣伝メールが届いて、これもいいかなと南阿蘇の休暇村まで出かけた。天気がまあ まあよくて用事が重ならない日取りはこの2日しかない、というところがうまく予約できたのもある。この季節は天気が変わりやすく2日続けて晴れそうだというところは僅かしかない。桜の季節は終わっているが、廻るところは6年前の熊本地震の傷跡やまだ見てないところも色々あるだろう、そのくらいの心つもりで出かけた。
熊本インターで高速を降りる、平日ではあるがそれなりに混んでいる。昼飯場所を探しながら阿蘇へ向かうが、クルマのNaviでレストランを探してもいい店は出てこない。大津の手前で目にした資さんうどんにエイッと入る。北部九州のうどんチェーンだが入ったことはない。手ごろでちょうどいい。腹ごしらえもできて、まずは最初の目的地、阿蘇大橋崩落現場あたりの展望所に向かう。立野ダム展望所を入れたつもりが、間違ってその少し先を入れてしまったようで、ナビに従って57号線を走っていくと、数鹿流(すがる)崩之碑 展望所のところまでくる、見るとここがちょうど旧阿蘇大橋が崩落した現場とわかって右側の駐車場にクルマを入れる。見たかった景観だ。ここに立つと、川の上流に向かって左側の斜面が地震で大きく土砂くずれて阿蘇大橋を押し流してしまったという崩落事故の全体がよく理解できる。地震直後阿蘇大橋崩落の第一報がニュースで流れた時の怪訝な気持ちがやっと氷解した思いだ。崩落した阿蘇大橋の一部は震災遺構として崩れ落ちたそのままの形で残 されている。ちょ
っと痛々しい。
暫く眺めていたが、時間もまだ余裕があるので、この辺りを走る豊後街道の石畳が保存されているところも見てみようと移動した。
江戸時代、熊本藩の参勤交代には阿蘇の外輪山をつたう豊後街道で久住を経て大分に出、そこから海路大阪に向かった後東海道を経て江戸に至るというルートが用いられていた。その豊後街道の阿蘇外輪山を越える二重峠(ふたえのとうげ)付近の石畳道が国史跡として保存されているという、見に行ったのはこれだ。
二重峠には駐車場もあって落ち着いて見ることができる。そう広くもない結構な坂道でここを大名行列が通過していたと は、と思ってしまう、参勤交代は地方大名にとって確かに相当の負担だ。豊肥線もこの付近でスイッチバックして外輪山を上っている、昔から交通の要衝だった、隘路だからこそ地崩れも起きやすかったのだろうとも理解する 。
戻って新しい阿蘇大橋を渡って南阿蘇に入る。まだ時間がある、この辺りには阿蘇山の湧き水がいくつかあるのでそれを回ってみようと車を走らせる。白川水源は有名だが前に訪れたことがあり、違う水源を、と廻る。ともかく水源なら野鳥もいるだろうと思ったこともある。まずは池の川水源というところに行ってみる。飲めるようにひしゃくが置いてある、飲むと味がない、ピュアないい水だ。比較的小さな水源だが湧 き出す水は相当ある感じで生活にもいろいろ用いられているようだ。ただ野鳥はいない。続けて道なりにもう一つ明神池名水公園に行ってみる。ここも相当の量が湧き出しているが、流れ出した水がちょっとした池を形成している。見るとまだ北に戻っていないコガモが30羽位いてピッピッと笛のような鳴き声を盛んにたてて泳ぎまわっている。ヒドリガモも2羽位いるようだ。冬鳥がこん
なところにまだ残っているとは、とこういう出会いが面白い。
そろそろいい時間になってきたので今日の宿へと向かう。久しぶりの旅行は、出会うものそれぞれに刺激を感じるし、愉快だ。やはり時々旅をしなくては。
のこぎ りのような根子岳を見ながら宿に入る。
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