2017年8月26日 (土)

バンと日食と

近くの溜池でまたバンが子育てを始めた。
朝散歩しているとヒナが4羽睡蓮の葉の下から出てきた。今年3回目となる。前回も4羽

Ban3kaime

だったが生き延びたのは2羽位だ。位というのは最近は若鳥は1羽しか出てこないようで、もしかしたら1羽はカラスにでもやられたのかもしれない。それでもこの溜池では確実に命がつながっている。
時々思うのだが、地球上に今生き残っている生物全てが40億年前の生命誕生まで何らかの糸で切れずにつながっているという事実が奇跡の様だ。あの数度に及ぶ地球生命大絶滅時代全てを辛くも生き残った生物の末裔が結局はここにいると思えば今ある命の計り知れない重さを感じる。宇宙には未だに地球のほかには生物の痕跡が発見できないことから宇宙的重さをも感じてしまう。とにかく命をつなぐことには重い意義があるとしか言いようがない。

2017eclipse

北米で8月22日に皆既日食が走るという話が盛んに報道されインスタにもその映像が溢れたが(写真は今回米国オレゴンで観測された皆既日食(wikipediaによる)。) そういえば確か北関東にも皆既日食が走る年があったと思い出して少し調べなおしてみた
日食の予報は国立天文台のページから調べることができて、18年後に北関東を皆既日食線が走ると解る。壬生あたりでは皆既時間は2.6分位、日光市街で2.2分位と推定されている、それなりだ。2035年9月2日10時7分位に始まるという。
あと18年後ということになる、それくらいなら生きているかもしれない、

Nissyoku

しかし福岡から栃木まで車で走っていくにはちょっと無理だろう、どうやってその場所に行くのだろうか、やはり結局は無理だろうか、生涯一度の最後のチャンスのような気がする。無論栃木には知り合いがいなくもないがその頃にはもうかなりの高齢になっていることになる、押しかけて行ってお世話になるのはいくら何でも無理だ。
以前奄美に皆既日食がかかるという時は行く気になっていたものの飛行機が全く取れずあきらめた記憶がある。奄美は結局嵐だったがそれでもあたりが暗くなり日食らしさは体感できたという話を行けた人から聞いた。たとえ曇って写真は取れなくても現場に居合わせることが大事だろうと思っている。
日食のような場面では地球が確かに宇宙に浮かぶ小さな島であることを体感できるだろう。
宇宙の過酷な空間をめぐる地球という惑星に住み着いたカビの様な人類の位置を思い知るだろう。わずか10kmの空気層の外では人は生きられない。

18年後の皆既、こんなタイムスケジュールを見るともう知るべきこと学ぶべきことに対して時間が残っていないことを悟る。

永遠の生は命をつなぐことでしか実現しない、伝えていくDNAの中に残るだけだ、それだけでもよしとしなければならないのだろう。未来につながるDNAはこれからどんな景色を見ていくことだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月25日 (金)

暑い夏はオペラと星で

暑いのであまり出かける気にもならない。海にさえ行く気がしない。

こんな時はブルーレイに録画して貯めておいたオペラを見るにはちょうどいい気がする。オペラは長いのが多くて放映時その時に合わせて根を詰めて見るのはかなりきつい。
2日ほど前は今年のバイロイト音楽祭の幕開けの出し物、ニュルンベルクのマイスタージンガー がNHKBSでほぼ5時間にわたって深夜に放映されていたものを録画で見ていた。ワーグナーだ。ワーグナーはジークフリートの出てくる神話ものがどうにも肌に合わなくて敬遠気味だった。このニュルンベルクのマイスタージンガー も神話ものかという思い込みがあって1-2年前METの公演がWOWOWで放送されていたのも見ずじまいになっていた。とにかく長い。
あらためて見てみると話は神話でなく中世のニュルンベルグが舞台となっている。今度の祭りでマイスターの歌比べをやる、優勝者には金物細工のマイスターが全財産を与え一人娘と結婚させると言い出して、話が回り始める。結局この娘と恋仲になった騎士が祭りで素晴らしい歌を披露してマイスターとして認められて優勝、ハッピーエンドになる、というのが物語の超あらあらだが、5時間もの舞台だ、色々枝葉が付く。ともかくワーグナーにしては随分柔らかなオペラだ。そうはいっても、これまでの世俗的権威(マイスター)の持つ堅苦しいしきたりの無意味さ、それにしがみつこうとする人の愚かさに対する批判が全編を通じて流れている。さすがワーグナーだ。初演は1868年だから明治元年ということになる、世界が激しく動いていたころだ。その時代

Img_4925

の沸き立つような雰囲気が背景にあるようにも思える。
 演出も趣向が凝らしてあって、舞台奥にニュルンベルク裁判の連合国の国旗が掲げられていたりして、ニュルンベルクという街の歴史的位置づけに思いが至るような雰囲気を与えている。連合国の権威が米英の政治の混乱で揺らいでいる今日世界を暗に揶揄っているようにも見える。
なかなかのオペラだった。

オペラを見るにせよ暑い昼間は大人しくしている他ないということもあって、最近、夜、星空の写真を撮っている。

手持ちの一眼レフ ペンタックスK-5に適合する簡易赤道儀機能の機器が大分前から売られていたのをふとしたことで知り早速入手して試している、O-GPS1という。カメラにもともとついている手ぶれ防止機能を星追随用に利用する。カメラの向き・位置

Yozora

はGPSナビゲーションの機能を持つO-GPS1が正確に把握してユーザーはカメラを3脚に固定して望む方向に向けてシャッターを切りさえすれば2-3分なら光学系が星の動きに追随して静止したように見える星の写真が撮れるというしかけだ。なかなか優れている。
自宅は福岡市の中心部・天神から直線で約4㎞のところにあり星などとても見えない気がしていたが、晴れた夜にO-GPS1を付けて2分くらい露光してみると、随分な星が写る。薄っすらと天の川も姿を現す。これは面白い。夏の大三角(デネブ、ベガ、アルタイル)をきっちり写すこともできて夏らしい(添付)。
300mmの望遠を使えば星雲が撮れたという例もネットで散見される。今度はアンドロメダ星雲にでも挑戦したいが何しろファインダーを覗いても見える星は限られている。これは狙いをつけるのが難しそうだ。

大げさな高価な機器を組み合わせなくとも手軽に天文写真が撮れるところは画期的だ、時代は進んでいる。

暑い夏も、どこへ出かけるというわけでなくともオペラを楽しんだり自宅庭から星を写したり それなりに楽しみ方があって、このくらいで済めば温暖化する地球も悪くもないか、そんなことを思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月15日 (水)

闇に入り込む月

闇に入り込む月

月はボールのようなその真の姿を
中空の朧な闇の中に
疑いようもなく晒してくる

宇宙を旅する地球という宇宙船を
その時我らは明瞭に感じることになる

薄い空気層の外の
永遠に向けてただただ広がる宇宙の只中に
確かに我らは浮かんでいるのだ

三千世界に本当に仏がいればどんなにか楽しかろう
50億のほか見渡す限りの宇宙には孤独が満ちている

それを見せてくれる
闇に入り込む月が美しい

Gessyoku

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月25日 (金)

日食との相性が悪くなっている

日食の日は法事があって熊本に居た、金環食は見たかったが見ることが出来なかった。かなり欠けた部分食なら見えるはずだったのだけれども、雲が厚くて太陽は姿を見せない。それでもピークの時間帯に差し掛かるとさらに厚い雲でもかぶったように空の明るさが20120521sora 一段と減じてうす暗くなり太陽の力が弱まっているのがはっきりと感じられた、見えようが見えまいがそんなことにはお構いなくきっちりと宇宙を動く天体の定めが伝わってくる。雲があっても日食の発するえもいわれない雰囲気をともかく受け止めることは出来た。日食は格別だ。

次の金環食は来年5月10日のオーストラリア北部だが殆ど同じ地域でそれより前の今年の11月14日に皆既食が見られる。カネとやる気があれば日食を見るチャンスは次々にやってくるようだ。しかし3年前の皆既食にしろ今度の金環食にしろ結局見れないのはどうにも相性が良くないように思えている。多分熱意が不足しているのだろう。子供の頃に初めて体験した日食は 起こると決まっていることが起こっただけでなーんだというほどの印象しか与えなかった そんなことがずっと尾を引いているのかもしれない。

調べてみるといつ日食が起こるかは古代メソポタミアから何がしかの予測がされており紀元前2世紀頃のギリシアでは現代の予測に近いほどまでの予測法が完成していたといわれている。簡便にはサロス周期と呼ばれる18年10日の周期で地球上でほぼ同じ食が経度120度ずれて発生する周期を使えば厄介な計算をしなくとも凡その推測はできる。今回の金環食は2030年6月1日にギリシアから北海道までの広い範囲の金環食となってふたたび現れる。赤子が大人になるサイクルだ、およそ世代に相当するサイクルが何か人間に影響を与えているようにも思える。更には54年と1ヶ月でまたもとの地域で起こることになり、普通に生きていればおよそ生涯で1回は皆既にしろ金環にしろ遭遇できることになる。こんなことを調べたり考えたりしていると、人の力を超えたサイクルの存在が人にとっての20120521skytree 日食の重さの真髄かもしれないと思えてくる。
それにしても自分とって次はいつだろうか、権利を使い果たしてもう見られないかもしれない、羽田から栃木へ向かうバスの窓から開業を翌日に控えたスカイツリーを見ながらそんなことを考えていた。日食などもう過去に飛び去らせたかのように目まぐるしくも人の作る時は動いていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月11日 (日)

皆既月蝕

月蝕は平和だ、始まっている月蝕を眺めながらふとそう思った。夜側の地球であればどこからでも見える。皆既日蝕はそうは行かない、地球上の狭い幅でしか見るかとができない、あたGessyoku3a

りまえのことが妙にしみじみ思われる、平等な機会というものが次第に得がたくなってきている世の中のためだろうか。

欠け初めの頃の月蝕は地球の影が何だかぼさぼしているようなところが面白い。陰になった月面が赤く色づくあたりもなかなかいい。地球による太陽光の反射である「地球照」と思っていたが月蝕では月から見れば地球は真っ暗な新地球の位置にある、何だか変だと調べると地球大気で太陽光が屈折されて特に波長の長い赤が影側に入り込みそれがGessyoku2a ほのかに赤く月を照らすということのようだ、反射ではなく屈折だから地球照という言い方はマズい。ゆっくり進む月蝕は眺めながら色々考える時間があっていい。やっぱり月蝕は平 和だ。Gessyoku1a

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月 7日 (木)

宇宙の雲が

寒い日が続いている。関東平野には昼間は積雲がぽかぽか浮いて空を見ただけでは厳しさも感じられないが日本海側は雪雲がびっしりだ。そうはいっても地球の雲はのんびりしている、しかし宇宙の雲はそうでもないようだ。
32年前にNASAが打ち上げたボイジャー2号が冥王星の外側を太陽系から高速で離れつつあり、今太陽系が突入している局所恒星間雲(Local Interstellar Cloud)にいよいよ近づいてきた、既にこの雲のデータが送られBow 始めてきている。雲には大分強い磁場が銀河の面とは30度くらい傾いてあるらしい、予想とは随分違っているという。太陽系が銀河系を公転していく間に次々に恒星間雲に突っ込むことになるのだが、どうやら単純な雲では無さそうだ。勿論高温で太陽系は太陽風でこの雲から守られているのだが、 この先(といっても今の雲に滞在するのは1-2万年、その後数十または数百万年かで次の雲に当たることになろうが)どんな雲に当たるかで太陽系の運命が変わってくるようにも思えてくる。まだ誰にもわからない。
果てしなき宇宙は思いのほか荒々しい自然が息づいている、ぬくぬくとして温暖化問題を議論したりしているのは幸せな生き物のちゃらちゃらした遊びのように思えてくる。人間はそのくらいのものなのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月15日 (火)

ふたご座流星群が

今年の冬はふたご座流星群が良いらしいというので極大の13日の夜に見ようと思ったら一面の雲。14日の夕方からはまた雲が広がりあきらめかけていたが15日の早朝はようやく快晴の夜空となった。それではと防寒対策をしっかりして起き出して星空を眺める。この時刻ふたご座は西に沈みつつあるがベランダからは東南の空しか見えない、要するにチリの大気圏への突入だからまあどこでも見えるだろう、とタカをくくって見始めるがなかなか落ちない。しかし じっと空を見ていると細かく落ちているのか全体がうごめいているようにも感じられてくる、そのうち 向かってくるものか、尾を引かないで輝いて消えるだけの点が見えてきたりもする、なんだか沢山流れているような気配だ。と、大きく天頂付近から東に流れる、これは見ごたえある、ややあって東南の中空から下に流れる、確かに通常よりは多い、しかし防寒具を着ても寒さは入り込んでくるし首も疲れる、もういいかというところでお終いにした。

この流星群は直径5kmくらいの小惑星ファエトンが彗星として元気に回っている頃に撒き散らしたチリの帯が地球軌道と交差してもたらされたものだが、そのうちファエトン本体が降ってくるのではないかと心配になる。調べるといまのところ2093年に月の軌道の7-8倍向こうを通過する位だから直ぐにどうこうということは無い、数百年のうちには危ないこともありそうだが今は冬の流星雨を楽しんでいればそれでいいということのようだ、気楽なものだ。
厳格な自然のルールで支配された宇宙に、漂うような視点で想いをはせてNew2 いると、本当に宇宙に飛び出したくなる。時が経っていけば人が大挙して月に出かけられる時代が来るのだろうか。22世紀だろうが30世紀だろうが40世紀だろうが時間はともかく流れ続けていく、そのうちにはそうなるだろう、月で宇宙に触れればそれは多くの人の考え方を変えるに違いない。今がその時代でないことが悔やまれる、ただそこまで人類という種が生き延びてほしいと願うだけだ、すくなくも自分のDNAのある部分が月にいずれは到達する様を思い浮かべるだけでも今は十分かもしれない。星に願いをかけるまでも無く、深く思うことは必ず実現する、そう信じている。

| | コメント (0)

2009年7月16日 (木)

日食の天気が気になって

梅雨が明けた、しかし雷も鳴らないしせみも鳴かない。かわりに夜になるとツユムシのような8,000-10,000Hzの高い音をビーと続けるムシがうるさく鳴き始めた、耳鳴りがしているようで心地の良いものではない。今年の梅雨明けはいつもと少しばかり勝手が違う、しかし違うのも変化があってまたいい。
7月22日の日食が気になって奄美への航空便にキャンセル待ちを入れていたら奄美への行きは最近OKになって取れたが帰り便がとれない、これではどうしようもない、と殆どあきらめかけている。天気はどうかと192時間予測のGPVデータをこのところチェックしているが、22日あたりは日本は低圧帯に入って厚い雲に覆われ奄美は22日午前は曇り、屋久島・種子島は雨、トカラは曇り時々雨、で南の方がやや良いがいずれにせよまともに見れそうにない。上海も雲が多いようでどうも今回の日食は騒ぎすぎの結果に終わりそうな気配だ。本当に雲が切れるか切れないかまでは間近にならないと予測は難しいのでまだ解らないが今のところは悲観的だ。これで航空機のキャンセルが出始めるかどうかも面白いところだ、どうせ夏休みの遊びと思って最後まで頑張るのだろうか。
次の日本での皆既日食は2035年9月2日の北関東だ、天体現象は気象よりはるかにドライで人のことなどまるで構わず淡々とキッチリ予測どおりに繰り返される。日が昇り、日が沈み、月が欠け、月が満ち、繰り返されて生きているものいないものすべてが遠い未来まで決められた冷徹な物理学に日常的に支配されている、日食は日常のすぐ隣にあるような気がして過度にのめりこむ気にもならないのだが、そこでしか経験できないものにひかれるところがどうしてもある。一度くらいは皆既日食を見てみたい、というだけかもしれない、それがどうしたと、揺れる心持が面白くもある。

帰りのキャンセル待ちの便にOKが出たら本当に行くか、今はそれが問題だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月21日 (月)

巡り合わせが

近頃は金星が夜明けの空にキラリと十字の光を放つ。少しかけているような気がするが目のせいか。2月2日ころは木星と重なって見えるはずだ。地球、金星、木星が3次元空間で殆ど完全に一直線に並ぶのだがそれでどうした、といえば、どうでもない、めったにない必然的な巡りあわせなだけだ。

航空関係のニュースをぱらぱら見ていたら、マン島が航空機の機体の登録を独自に始める、というのが目について気になった。日本でいうJAナンバーのことだが、MナンバーでMan2 マン島に登録できるようにするらしい。機体の登録はICAOの規定に則って発行されるものだが、そもそもマン島というのは独立国?と思ってしまう。マン島というとホンダが世界にデビューしたマン島レースくらいしか知らない。イギリスの小島だったような気がして少し調べてみたら、広範な自治権をもつ英国政府の保護領とある、外交・防衛は英国に委託しているものの、政府があり法律や税制が独自に機能しお札も独自のものを発行していて国の形を保っている、ちょっとした驚きを感じてしまう。議会は1000年の歴史を持ち現存する世界最古の民主主義の国というから、むかしの都市国家の生き残りのような気がしてくる。相続税や贈与税は存在せず法人税も一定の条件で免除される、金融機関が多く進出しているらしい。カリブ海の小国のような役割の気もするがはるかに優雅な国にみえる。船舶の登録には200年の歴史があり航空機にもこれを拡大したい、ということのようだ。
 
国という形も色々な形が許される、言葉のあやではない。最近の機能不全に陥りつつある日本の政治の支配を見ていると日本という島国は国の形から全てを見直さなくてはならない時期に巡り合せているのではないか、そんな気がしてくる。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年11月14日 (水)

段々歳を重ねてくると素直になれる

次第に冬をHanmizk感じるようになってきた。
冬晴れのようでホームズ彗星がまた見えるような天気になった。20時頃には真上に近く見やすい。星というより雲だ。直ぐに見つかるのだが本当にこれか、これは雲ではないのか、と疑ってしまう。日を変えても同じ位置に見える、これはやはり彗星だと安心する。

週に2回、近くの健康の森という県の施設で2時間ほどトレーニングや水泳をすることにしている、それなりに考えてはいるが10年くらい自分流にやっていた。最近ちょっと気になって、一度きちんとやり方を相談してやってみようと運動メニューをトレーナーの方に作ってもらい少し真面目にやり始めた。食事指導もある。機械トレーニングをきっちりやってその後30分走ることにしたが、明らかに運動量が増えた。走るのはひざも痛めるし長く続かないような気がしていたが脈拍を抑える走り方を教わってやってみるといくらでも走れそうな感じだ。速く走ろうとしないのがコツと思える。今まで気づかなかった。ベルトコンベアーのようなランニングマシーンの上で走ってみたら走り終えてマシーンから下りるとクラクラする。これはいけないと心拍計をつけて室内の周回コースを走ることにした。どうみてもこちらの方がまだ自然だ。走ることが少し楽しくなった。運動量は増えたがしんどくはない。この後続く水泳もかえって楽に泳げる。やっぱりトレーニングは自己流ではうまくないようだ。段々歳を重ねてくると素直になれる部分もあるような気がして世界がクリアーになってくる。

昨日も気持ちよく運動を終えて外に出ると、星空だ。もう星図盤なしでも彗星を探せる。クルマに常備した双眼鏡で見上げると、確かに雲のような姿がまだいる。そろそろ終わりか、さようならホームズ君。

冷たい夜の風が運動の後には心地よい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧