2025年1月30日 (木)

確定申告も終わって久しぶりにMDを聴こうとしてトラブる

年が明けてもやることは多い。いつもは放送大学の下期の試験が1月にあっていろいろ気ぜわしいのだが、今年度下期はオンラインの講座を選択したため試験がレポート提出となり昨年中にすべて提出し終わって、この部分の忙しさはない。一番重荷を感じるのが確定申告だ。株配当金にかかる税金は確定申告するとほぼ戻る、やらぬ手はない、毎年パソコンでやっているが、やり方が少しずつ変わってきてるようで毎年これどうすのかなという所に1度や2度は行き当たる。今年も国税局に電話をかけてわかりにくいところをクリヤしたが、官僚的な表記は何とかならないものかといつも思う。とにかく終わった。

一段落となったこともありしばらくほっていたMDでも聴いてみるかとの気になった。
MDのコレクションがだいぶ手元に残っていて、マイルスデイビスの演奏の録音が多いのだが、久しぶりに聞いてみるかと動かそうとしたが動かない。MZ-NH1というMDウオークマンの出力をアンプにつないでスピーカーから音を出していたのだが、MDを聞く手段は手元にはこれしかない、困った、といろいろ調べてみるとどうやらMDウオークマンをセットしているスタンドの電源供給部分のどこかが断線したようだと察しが付く。スタンドの電源線を切っていけばたどり着けるかもしれないが内部の方だと厄介だ、ここは新たな電源を購入しようと、代替品をネットで探す純正部品はとうに販売終了だ。3.5mm6V端子のアダプターにセットできるpowseed12Wマルチ電圧ACアダプターというのが1400円弱でAmazonに出ていたのですぐに発注する。4-5日で手元に届き、つないでみると問題なく動き出した。MDプレーヤーそのものは供給が止まっているせいだろう、ネットで探してもSony0130ab エッという高い値段で売られているばかりで今持っているものをとにかく使い続けねばMDの音源はまともに聞くことができないようだ。規格が使用途中でなくなるというのも厄介だ、ソニーはエルカセットというオープンリールテープのカセット規格を一時推進していたが3年持たずに撤退した歴史があり、MDはまだ持った方なのだろう。今年になってブルーレイディスクからの撤退も発表しており、そもそも音響ビデオ規格の寿命は長くないということのように思えてくる。録り溜めするより今その場で楽しむということが大事なようだ。クルマのオーディオも少し前まで乗っていたクルマはMDで今のクルマはSDカードとCDの組み合わせになっている、クルマを替えたときは随分不便な思いだった、あらゆるものは変わり続ける、これはどうしようもないことだ。
人類はその知恵を記録して後続に伝えることにより前へ進んできた、これから未来に残す記録媒体はどうすべきなのだろう。不安になってしまう。
どこかでアナログバックアップが脚光を浴びるかもしれないが、ないかもしれない。

結局人類は衰退していく運命を刻み込まれているのかな、そんな気もしだしている。

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2022年9月16日 (金)

公民館でJazz

近くの公民館でジャズのコンサートがあるというので遅ればせながらコンサートの前々日に申し込みをしたが満席、キャンセルがあったかもしれないと一応調べてくれて数時間たってOKが来た、やってみるものだ。9月は博多の街では中州ジャズが恒例となっている、その流れでということかもしれない、無料だという。もちろんプロの演奏家だ。
当日夜7時から公民館の講堂で開催だがそれほど広いところでもない、ジャズの演奏にはこれくらいがちょうどいいという気もする、40名くらいの観客が集まった。ヴォーカル:Mayumi, エレピアノ:ミランダマサコ、ベース:松下一弘、ドラムス:川鍋由紀子 というボーカル+ピアノトリオの編成だ。 Night and day から始まる。

Kominkanjazz0914

学生時代の頃の渋谷や新宿でのジャズ喫茶での演奏の雰囲気をちょっと思い出すが、ホテルのレストランフロアで出てくる演奏というのがより近い。カルロスジョビンのWaveのあと,Cheak to cheak,Hush-a-bye,Love is many splended things ・・・と続いていく、有名な曲ばかりなのもあって乗って聞ける。ポーンと音程をそのまま出さず少し引きずるような歌いかたでちょっと気になるが雰囲気は勿論いい。フランクシナトラのレコードで昔聴きなじんでいた曲が多い、スタンダードだ。My favorite things が出てくると随分前福岡にいた時RKBのホールで毎月あっていたジャズのレコードコンサートを自転車で聴きに行っていたことを思い出していた、RKBのテレビ塔がまだ街中にあった頃だ。ある時コルトレーンのソプラノサックスで演じるこの曲が新曲としてホールに響き渡った、その時の何とも言えない驚きは忘れられない。するするすると時は流れてしまった。そのするする感も悪くない、目いっぱい自分の時間を使ってた気分はないがそんなきつい生き方でなくて良かった、そんな風にも思い返している。贅沢なのかもしれない。

休憩をはさんでまたこの夜のジャズコンサートは続いていった。いい夜だ。中州ジャズも今年は聞きに行くかと思っていたら台風直撃のようだ。これは無理かな、そんなものかなと転がっていく時間を眺めている。


この夜の演奏曲目メモ

Night and Day
Wave
Cheek to cheek
Hush-a-bye
慕情 Love is many splended things
My favorite things

Tea for two
You'd be so nice to come home to
Over the rainbow
Sentimental journey
Star dust
見上げてごらん夜の星を
Fly me to the moon
On the sunnyside of the street

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2022年5月15日 (日)

山下洋輔の元気なピアノでラプソディーインブルーを聴く

5月の連休が今日で終わるという日にサンパレスに山下洋輔-九響のコンサートを聴きに行った。毎日が日曜日の生活でも連休は混むといって何もしなくなるとどこか虚しい気がしていた、時にはという感じだ。
サンパレスで聴く時はいつも利用している波葉で昼食をとり、クルマはそのまま置いて博多港沿いを少し歩いてコンサートホールに入る。港の散歩は好きだ。
14時開演の40分くらい前に着く、定期演奏会ではないががよく入っている。今日の出し物は2曲目の山下洋輔がピアノを弾くラプソディーインブルーが目玉だ。指揮する茂木大輔という人はよく知らなかったが、もともとN響の首席オーボエ奏者で25年前くらいから指揮もやるようになったようだ、山下洋輔とはオーボエで共演もしており曲も捧げられてもいる、趣味Yamashita9kyou0508a がジャズピアノともあってジャズをやる人でもあるようだ、この演奏にうってつけの指揮者のように思えてくる。
まずはビゼーのアルルの女#1始まる、オーケストラはよく音が出ていて弦の音色もいい。編成も数えると70人くらいのようで大がかりだが、次の目玉のラプソディーインブルーでは更にサキソフォン群やバスクラなどが加わって80人を超えるように見える。とにかく迫力がある。ピアノパートは原曲からいじっているかもしれないがよくわからないなあと思って聞いている、ジャズらしいリズム感があるわけではないなと思うが、そもそも山下のフリージャズはリズムを含めて壊してしまったようなジャズだったと思い出してくる、とにかくリズム感がないソロだ、クラッシック的といえばそうかもしれない。そのうちオーケストラとの掛け合いが始まる、こんなところは原曲にあったとはとても思えない、オーケストラが突然運命を奏でてくる、山下がそれに打ち返す、更にヴィヴァルディがくる、これも打ち返す、更にさらに新世界が来る、これも打ち返してフリージャズの雰囲気が強まってくるとオーケストラの管楽器もそのような雰囲気で打ち返す、これはなかなかだ。そうはいっても終盤は別にしてオーケストラの打ち出すメロディは交響曲の切り取りで、Jazz的というにはちときつい、でもこんなやり方しかないだろうオーケストラとJazzをやろうとすれば。
数か月前に小曽根真と九響の組み合わせのコンサートを聴いたがこの時は演目では小曽根はクラシックの小曽根に徹してアンコールでファゴット奏者とのデュオで掛け合いのJazzを披露した、これも一つの行き方だ、しかし今回の山下のようにオーケストラ全部と演目で掛け合いのJazzをやってみるというほうが確かに面白くはある、新しい形態に突っ込んでいる。アンコールはなかった。元気だけれども山下の方は今や78歳で馬力がそこまでは続かないのかもしれない。
次のドヴォルザークの8番は弦の音の良さが光っていた。演奏そのものがいいのに加え真ん中の席で聞けたのがよかったのだろうか。サンパレスのスピーカを使う歌謡ショウの様な音響が改まったようでそれも効いている気もする。とにかくいい。
駐車場まで戻り博多タワーのトイレを借りて、帰る。いいコンサートだった、それに尽きる。

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2021年11月13日 (土)

福岡・サンパレスでファゴットのジャズを聴く

久し振りの嵐が接近する。ちょうどサンパレスでの九響コンサートの日に荒れた天気となってしまった。演奏は夕食後の時間帯だが、嵐ではベイサイドエリアで食事して歩いてサンパレスまでとは行きにくい。
ともかく早めの食事をベイサイドエリアでとって外に出ると恐れていたような風雨だ、煽られて傘が修理箇所で折れる、これではとても歩いてはいけない、短い距離をクルマで移動してサンパレスの駐車場に入れることにした、駐車代がだいぶ高くなるがしょうがない。
この日の出し物は小曽根 真のピアノによKyuukyo399 るガーシュインのピアノ協奏曲が目玉のようだがそのほかも現代のアメリカ音楽が並べられていて、ちょっと面白そうだと聴きに行くことにしていた。会場はコロナ明けの雰囲気があるためか人が多い。
バーンスタインの「 キャンディード 」 序曲が最初に演じられる。今振り返ると如何にもバーンスタインとの響きがあった記憶だけが残っていてもう忘れてしまった。
次が小曽根のガーシュインだ、ピアノが中央に引き出されると、開いたフタで後方の演奏者は見えない。そういうものなんだ、改めて感じる。
曲そのものは大して面白い印象がなかった、あーパリのアメリカ人のメロディが出てきそうだというところででない状況が幾度も現れ、それがガーシュインらしいといえばそういうことになる。ジャズの小曽根がもっと出てくるかと思えばそういうわけでもない、クラッシックの小曽根で通している、そこが少々不満な気がしてしまう。そうはいってもしっかりした演奏で拍手万雷となりアンコールということになる。

ここでサプライズがとの小曽根の言葉が出てやにわにファゴット奏者(埜口浩之という人だったと思う)が奥からかき分けて現れてきて、ピアノとファゴットのデュオでガーシュインの「サマータイム」が始まる。完全なジャズだ、ファゴットが素晴らしく乗っていて自由自在にアドリブを吹きまくる、こんな演奏は聞いたことも見たこともない。考えてみればファゴットはサキソフォンに近しい響きのあるリード楽器だ、ジャズに用いられても何らおかしくない、でもこれまで誰かがファゴットでジャズのアドリブ演奏をしたなど聞いたこともないのは、恐らくその楽器の入手性なのだろう、高そうだ。ファゴットは気楽にジャズプレーヤーが手を伸ばせそうな楽器という気がしない、このようにクラシックのファゴット奏者がジャズに手を出すということしか考えられないように思える、そんな風変わりなファゴット奏者はいなかったということなのだろう。そんなことを考えていると演奏はますますボルテージが上がり短いフレーズのピアノとの掛け合いになっていつしか「アイガットリズム」に転じて行くところまで行って終わりとなる。すごいものを見た。
休憩後には、コープランドの「市民のためのファンファーレ」、サミュエルハーバーの「弦楽のためのアダージョ」、が演じられそして聴きなれたガーシュインの「パリのアメリカ人」で締めくくられる、さすがにこれはいい曲だ。印象に残ったのはファンファーレだ、管楽器11名だけが前面に出て半円形に立って演奏される、濁りのないクリアーな響きが立体的な音の空間を生み出していて、とにかくいい。こんな演奏も聞いたことがなかった。

なかなかのコンサートだった、こんな日が続けばコロナだろうが嵐だろうが何でもないな、混んでいる駐車場をやっと抜け出し嵐も収まりつつある夜の博多の街を走らせながらそんなことを思っていた。

 

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2021年3月18日 (木)

マイルスディビスを止めどなく聞き直して

公民館のジャズコンサートに行き損なったのもあって、また少しJAZZを聴き始めた。心になじむ。昔聴き馴染んだ音からは一生離れられないのかもしれない、時々そう思う。前へ前へとばかり進むことにはとうに飽きてしまったからかもしれない。

聴いていくとマイルスディビスが何となく浮かんでくる。手持ちのレコードやCD、MDに何があるかと考えてみると、結構もってはいるが当然ながら色々抜けている、特にエレキ時代の多くは抜けている、何うかなア、という感じが当時あったような記憶があるが、しかしエレキに入る寸前のネフェルティティも無いようなのはちょっと気Neferthity になる。
真面目に聞き入った記憶がないが、頭の方を少し聞いて 聞きなれぬ音になってしまったなあと思ってしまったのかもしれない、もう50年以上前の話だ。改まって評判を今更ながらとnetで探ってみるとこれがベストアルバムだという人もいるくらいで、やっぱり手元に置いて落ち着いて聞いてみたい。Amazonでみると600円台で新品の輸入盤がある、輸入盤がどうしてこうも安いのだろうと怪訝に思えるが、ここは迷わず購入をクリックする。 元値はずっと安いはずだから今となっては一昔前の盤は値段はあってないようなものだということらしい。届いたのを聞き直してみると聞きやすい昔のマイルスが現れた。今の自分にはいいアルバムだ。


丁度オペラ ポギーとベスのMETのライブビューイング放映があったところでもあり、この録画も見てみる。マイルスディビスには1958年録音のポキーとベスのアルバムがあり、以前MDに落としていたのを見つけて聞き直す。曲順は話の順に近くはあるがぴったり合っている訳でもない、今まで気にしたこともなかった。MJQの1963年録音のレコードも聴いてみる、たまたまだがこれも持っている。そういう場面だったのかと一々納得する。もっと前に映画版でもいいから見ておくべきだった。オペラは暗い話だが演奏している曲だけ聞くとどちらにせよ明るく感じてしまう。曲が独り歩きしている、それも面白い。
止めどなく音楽を聴くことに移ろっていく、心地いい。

それにしてもマイルスの公演は直には見ずじまいになってしまった。コルトレーンやオーネットコールマン、アートブレイキーは来日公演を聴いた、多分ソニーロリンズも聴いたと思うが何故か記憶が怪しい、いずれにしろ10台のころだ。

生きている時間は人間そう長いものではない、生の演奏は聴けるときには逃さず聞かないと後悔する。演奏に限ったことではないが。

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2020年5月27日 (水)

穐吉敏子の自伝を読んでいる

 

これはすごいの一言に尽きる。
チャーリーマリアーノの演奏がCSのミュージック・エアで放送されているのを見つけて暫く見てしまう、もうだいぶの年のはずだがと思ったがバリバリだ、でも1988年の録画ではこんなものかもしれないと思う、何しろ32年前だ。
秋吉敏子の方はどうしているのだろうとネットを手繰ってみる。90才になっているがまだ元気の様だ。半生を描いた自伝が何度か出版されているようで、市立図書館にある「ジャズと生きる」Akiyoshi2 という最初に出した岩波新書版のものを予約して借りだしてみた。市立図書館もコロナの影響を受けているが予約受け取りと返却のみ可という形態で今のところ開館している。
著者名は秋吉ではなくて直ぐには読めない穐吉という表記なっている、気が付かなかったがもうずいぶん前から穐吉と表記している様だ。穐吉は大分に昔からある苗字で簡略の秋吉という表記を戸籍上の由緒正しき表記に直したのだろう。大分出身の名横綱双葉山の本名も穐吉だ。
話は満州・遼陽の最初の記憶から始まるが生きている周りの状況が畳みこむように次々と大きく変わっていくのに驚く、これはすごいと引き込まれていく。小学校1年の時から担任の先生に好きなピアノのレッスンを放課後個人的に受けていたそしてピアノは大連の女学校時代まで続く、それがプロとして立つ前にピアノを習ったすべての様だ。戦争が始まり、やがて敗戦となってソ連に占領され更にその後中国共産軍、蒋介石軍と支配者は変わるが一家は何とか生き延びて終戦の翌年の夏にに引き上げ船で宇品港に到着する。そのまま両親の故郷である大分に戻って生活が始まるが生活は厳しい。移り住んで間もない頃、16才だった敏子がダンスホールのピアニストの職をビラを見てみつけてこれが一家にとって貴重な収入源となる。ピアノが困難を救っている。ここでジャズに出会い程なく福岡に単身で転身して米軍将校相手のバンドのピアニストとなる。ジャズ奏法はレコードや先輩のコピーを丹念に行い吸収し、ひたすら練習を続けて技を磨いている。
1年位福岡で過ごした後48年夏にやはり単身で東京に進出する、18才の時だ。ここでも米軍相手のバンドに属するが52年の夏には独自のカルテットを結成、若き渡辺貞夫を迎えたりもする。53年の11月にJATPとして来日していたオスカーピーターソンに見いだされノーマングランツによって彼のレーベルでレコードを出すべく東京でレコーディングを行っている。レコードは翌年米国で出されダウンビート誌で一定の評価も受けているようだ。こんなことがあって米国でも少しづつ名が知られるようになり、知り合いとなった米人の勧めでバークリー音楽院に入学の願書を書き送ったところ55年の夏ごろ奨学金付きでOKが来る。渡航手続きに奔走した後、56年の1月に羽田をたってプロペラ機で単身アメリカに向かう。引き上げてきて10年しないうちにジャズも知らなかった少女がここまで走り詰めている、驚くばかりだ。努力と熱意で人の出会いと繋がりと幸運とを引き寄せている生き方だ。
ボストンでは到着した空港にバークリー音楽院校長他計3名が出迎えに来てその後の面倒もみている。3か月後からユニオンのカードを得てプロとしても米国で演奏できるようになり昼は学校夜はジャズクラブに出演という生活となる。その後チャーリーマリアーノとの結婚・出産・離婚、そしてルータバキンとの結婚、ビッグバンド結成へと走り続けていく。その勢いに圧倒される。
個人的には秋吉敏子のピアノ演奏はどうにものめりこめない印象がある。バドパウエルのコピーという印象を初めに持ってしまったのが後びいているのかもしれない。ビッグバンドを作編曲を含めて取りまとめて鳴らす力の方が素晴らしく思える。
しかしこの懸命に生きている生き方そのものには感動的なところを感じる。悔しい思いも随分したようだがやり切っている。そして激しく動く時代というか歴史というかそれを見事に背負っている、こんな生き方をできる人はもう出まいとも思う。歴史的な存在のような気がしてくる。なかなかの本だ。

コロナでゴロゴロしているとこんな本にも出会える、悪いことばかりでもない。

 

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2017年2月17日 (金)

Cool Struttinが蘇って

朝ドラを概ね毎日見ている。時々気になるシーンが出てくることがある。
少し前にもそんなことがあった。忘れないうちに書き留めておく。

Coolctrutin 朝ドラの「べっぴん」さんのジャズ喫茶生演奏シーンでいつも出てくる有名な曲の名前がどうにも思い出せなくて、ネットでちょっとあたってみたらすぐに分かった、一時期一世を風靡した感のあったソニークラークのアルバム「Cool Struttin'」の中のBlue Minor だ。Youtubeにあったので早速聞いてみると懐かしい。ジャッキーマクレーンのアルトがちょっと良かった思い出が蘇ってくる。アートファーマーのしゃれたアドリブもすぐに思い出す。
LPかCDかはたまたその複製かをどこかに持っていた気もする。探してみよう。
それにしてもテレビのシーンはほとんどコピーサウンドの響きで、どこか情けない。昔聴いていたジャズ喫茶の生演奏の雰囲気はもっと独自性があったような気がしていた。それにしてもこの時代に神戸にこんな生演奏のジャズ喫茶なんかあったかな?と思う。
ドラマのようには神戸ではジャズ喫茶で生演奏を聴くなどしたことがなかったが大学で東京に出て渋谷や新宿やあちこち聞いて回った。コーヒー一杯でよく聞かしてくれたと思う、シャープアンドフラッツなんかもリキパレスで聞いた覚えがある、慈善事業のようなコンサートだ。
改めてソニークラークをネットで調べてみると、Cool Struttinが流行ったのは日本が特別で、米国ではこのアルバムは大して注目されなかったようだ。不思議な気がする。ジャズ喫茶という穴倉のようなところで流すのにぴったりだったのだろう。

朝ドラを見ている人は近頃は僕らの世代が多いのかな、そう思う。そこへ受けそうな昔のいい話を懐かしい曲とともに繰り出しているのだろうか。乗せられてもしょうがない。でも今はどんな時代なんだろうか、時々そうも思う。

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2016年11月17日 (木)

ネットでJazzを学ぶ

隈研吾の現代日本建築家の系譜についてのネットの講義がなかなかよかったので、ほかにも出来そうなものをedXのサイトで探してみた。
たまたま目に入った「Introduction To Music Theory」というバークレー音楽院が提供しているコースがよさそうなのでこれをとることにした。バークレーといえば一昔前渡辺貞夫が留学してモダンジャズの理論を学びそれを日本で拡散したと記憶にある、そんなところが提供するネット講座なら多分有益に違いない。
9月終わり頃申し込んで暫くほかのことにかまけてほっておいたら、講座は進んでますよというレスポンスの催促メールが数回来る。そろそろできるかと思って10月中ころに着手した。英語だがもちろん無料だ。
講座は6回からなり、コードの組み立てと進行形、improvisation(いわゆるアドリブ演奏)のEdx 手ほどき等からなる。
講義の動画には英語字幕とそのテキスト版がつくので聞き漏らした単語は映像を止めて落ち着いて調べることができる。英語の勉強にもなる。
動画で講師が説明した後簡単なテストがあって先へ進む。講師は意のままに音を操る雰囲気のあるミュージシャンのようだ、信頼感がある。
メイジャーコード、ドミナントコード、などの説明に続いてマイナーペンタトニックスケールの説明がある。
ブルースコード進行の基本がドミナントセブンであるとはきっちりは認識していなかった、とかマイナーペンタトニックスケールなるものがインプロビゼーションの基本であると初めて知ったとか、今までぼんやりとしていたジャズのアドリブ奏法の基本をここへきてやっと教わった気がする。確かに有益だ。Jazzを聞く分にもこれ位はきちんと学んでおくべきだったと思う、しかし国内でこんなことを教えてくれる講座などありはしなかったように思う、時代は進んでいる。
この講座の最後が面白い、提供されたバックミュージックに乗せてブルースのアドリブを受講習生が演奏しYoutube等を利用してアップして講習を受けている任意の他の5人がこれを採点するという仕掛けだ。
こんなやり方をよく思いついたと思うが実際にやってみると、まず提供されたバックに合わせて演奏することそのものがちょっと難しい。ipadでバックの演奏を流しながら電子ピアノでこれに合わせて弾いてみて,これ全体を野鳥の録音に使っているデジタルレコーダーで録音するというやり方でやってみた。

何回かやっているうちに何とか録音できたものをYoutubeにアップロードするが録音だけのアップロードはできないのでYoutubeのガイドに従って適当な写真を演奏時間だけビデオ化してこれに演奏をくっつけるという操作をして出来上がる。可成りつたない演奏だがしょうがない。
とにかくYoutubeにアップしたそのurlを記入してedXに送ると数日の間に5人の評価が送られてくる。何とexcellent評価が3人で、総合評価はexcellentとなった。甘々の感じだが中に的確に不満足なところを指摘する書き込みもあってなかなかだ。勿論自分も評価側に回って別の知らない5人の演奏を評価して送る。国を超えて年齢を超えてこんなことができるのが面白い。

 

無料の講座としては素晴らしいと思ってしまう。確かに時代は進んでいる。人類の知恵もこんなことができるのならまだまだ拡大していくことがありそうだ。どこまで行ってしまうのだろうか、1000年位先が見たくなる。

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2016年1月13日 (水)

コルトレーンも生誕90周年になる

やっと寒くなってきた、北極の寒気が樺太付近まで移動してきていて現在世界で最も寒い地帯が北海道の直ぐ西北にまで迫っている。冬型になると福岡の地は低い雲に次々に覆われて薄暗く寒い日々となる。本を読んだり音楽を聴いたりするのにちょうどいい。


Lovesupremebook1 「コルトレーン:至上の愛の真実」という本を読んでいる。2002年にアシュリーカーンによって書かれたジャズの歴史ドキュメンタリといえる本だ。思えば今年はコルトレーン生誕90周年の年になる。死の前の年に来日した演奏を神戸で目の当たりにした時の隔絶感というか手の届かない所に行ってしまったという切ない感じを今も時おり思い返す。何が起こっていたのだろうか、気になっていた。

驚くことにこの本の資料を著者アシュリーカーンに豊富に提供したのはコルトレーン研究家として世界一だと訳者もいう藤岡靖洋氏だったとあとがきの部分にある、勿論氏は和訳にも多大に協力しているようだ、大阪の呉服店店主というこの藤岡氏にも興味をそそられた。少し調べると1953年生まれの方でコルトレーンの来日コンサート時は中1だから直接本人の演奏を聴いてはいないかもしれない。翌年コルトレーンの亡くなった時のショックをどのくらい味わったのだろうか。同時代の研究家というより死んだ後の研究家ということなのだろう。少しクールに向き合えた分、研究家として色々よく見、調べることができたということかも知れない。でもそんな仕事ができた人が米国人ではなく日本の呉服店主だというところが愉快だ。

とにかく読み進むと知らなかった話に次々に出会う。1957年に止めるまでコルトレーンは麻薬の常習者でそれが故に最初の
マイルスデイビスのグループをクビになったこと、1957年に麻薬を止めてから堰を切ったようにジャズを先へ先へと追求し続けて10年で亡くなってしまったこと、時間があれば常に練習し続けていたこと、これまでに作られた曲を全部覚えている4人の凄いジャズミュージシャンのうちの一人とされる程にあらゆる曲を構造的に理解した上で新しい道を追いかけていたこと、プレスティッジのジャムセッションのようなレコーディングの仕方、インパルスレコードの誕生の経緯、等々等々、いちいちそうだったのかと思いつつ、何とはなしにその頃の時代の雰囲気が蘇ってくる。
手持ちのコルトレーンのレコード(Ole coltrane,Coltrane(1962),他)やCD(Giant steps,My favorite things
,Love Supreme,他)を聞きながら読んで行く。
Love Supremeの演奏では第4楽章にあたるPsalm(賛美)ではコルトレーンが自作の神を讃える詩の朗読をテナーサックスで吹いているのだが、ドラムのエルビンジョーンズはこの時演奏していてまさかサキソフォンで詩を朗読しているとは思わなかったと述べていて、そんなものかと思ってしまう。聴き直してみるとエルビンジョーンズはこの時ティンパニーを叩いているのだが、いかにも神への讃歌の伴奏のように荘厳さを醸し出していると聞こえるから不思議だ。ライナーノートの詩を目で追いながらコルトレーンのサキソフォン朗読を聴いてみるが言葉ではないのでどこを朗読しているのかぴったりは解らない、でも面白い。神の讃美そのものにはちょっと。。。と思ってしまうのだが。

それにしてもコルトレーンをかけると昔のジャズ喫茶の雰囲気がたちどころに居間に出現する、1960年代から現在に至る時間が一つになっているようでまるで時間がプールされているように感じるのが面白い。



天気がすぐれない日はこんな時間の過ごし方がいいようだ。

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2014年10月 3日 (金)

エラ・フィッツジェラルドのAt The Opera Houseを聴いていたら

最近足を痛めて出かけることもままならず、音楽を聴いたりギターをつまびいたりして過ごしている。
聴くといってもCDを買うことは殆どなくてもっぱら図書館から借りてきたのを聞いていて、JAZZとクラッシックを1枚ずつそれにオペラのDVDを借りてきて2週間楽しむというのがルーチンになっている。

昔Jazzを聴き始めた頃渡辺通り3丁目にあったRKBの公開スタジオで無料のレコードコンサートが月1回位開かれていてた、近いこともあってそれをしばしば聴きに行っていた。もっとも衝撃的だったのはコルトレーンのマイフェバリットシングスがホールに響いた時だった。 ソプラノサックスの音色が新鮮で音の組み合わせの全てが新しく感じた。もはや50数年前の話だ。随分時が流れた。
この1週間ほどエラ・フィッツジェラルドのAt The Opera House を借りてきて聴いている、いわゆる名盤だがCDの解説を読んでみて少々驚いた。

At The Opera House はノーマングランツがプロデュースしたJATPツアーの一つなのはいいのだがAt The Opera  Houseと銘打って最初に出されたモノラル盤はChicago Opera Houseではなく Los AngelesのShrine Auditoriumで録音されたものでその後に出されたstereo盤がChicago Opera EllaHouseの録音とある。幾つかのサイトで調べてみてもこれは今や疑いようのない事実のようだ。

ところがCDに付いていたノーマングランツが最初のモノラル盤につけたライナーノートのコピーにはChicago Opera Houseの録音と書かれているからなんだかおかしい。CDには両方が収められている。殆ど同じ曲を歌っていて聴き比べるとモノラルで最初に出した曲の方が勢いがあって歯切れがよくていい。レコードのリリースはいずれも1958年でstereoがまだ珍しい頃ではあった、monoでまず出したあとstereoのほうが市場にインパクトがあるのでstereo録音したほうを慌てて出したのだろうか。音楽的にいい録音をまず出すのは当然のことでそうしたのだろうか、ノーマングランツは思い違いで最初のライナートーツを書いたのだろうか、その時に錯誤したのだろうか、それとも知りながらだったのだろうか。今となっては解らない、雨月物語ではないが事実とはこんなものなのだろう。それにしてもアバウト な時代を感じる。
Coltrane1 この演奏が行われたのは1957年秋でこの丁度3年後にはコルトレーンのマイフェバリットシングスが録音された、そんなに畳み込むように時代が進んでいたのかと驚く。JATPという響きには占領米軍のJAZZとの印象が重なっている。一時期の廃盤セールで駐留米軍から放出されたと思われる傷だらけの10インチのJATPレコードが大量に安値で売られていた記憶が強い。チャーリーパーカーの演奏している1枚だけをお小遣いで買ったのが手元に残っている。あのいかにも”戦後”の泥臭さのあるJATPのジャムセッションから瞬く間にモダーンなモード進行のジャズに移ってしまった。振り返ってみると不思議な気さえする。このあたりから時代が大きく変わってきた、そんな感じがしてくる。

コルトレーンはその後前へ前へと突き進み 聞くものとの距離を感じさせるアヴァンギャルドな演奏にのめり込み そしてそのまま亡くなって一つの時代が終わった。亡くなる前年に日本公演を行ったが、神戸でその演奏に直に接した時の距離感というか隔絶感を今も明瞭に覚えている。(写真はwikipediaより)。

JAZZを聴いていると取り留めもなく昔のことが湧いてくるように思い出される。自分の生きた時の流れにJAZZが深く絡んでいたようにも感じる。聴けば心が楽になる。

痛めた足はにわかには回復しないようだ。こんな風に時が過ごせるのもそれはそれで悪くもない。

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