2017年2月17日 (金)

Cool Struttinが蘇って

朝ドラを概ね毎日見ている。時々気になるシーンが出てくることがある。
少し前にもそんなことがあった。忘れないうちに書き留めておく。

Coolctrutin 朝ドラの「べっぴん」さんのジャズ喫茶生演奏シーンでいつも出てくる有名な曲の名前がどうにも思い出せなくて、ネットでちょっとあたってみたらすぐに分かった、一時期一世を風靡した感のあったソニークラークのアルバム「Cool Struttin'」の中のBlue Minor だ。Youtubeにあったので早速聞いてみると懐かしい。ジャッキーマクレーンのアルトがちょっと良かった思い出が蘇ってくる。アートファーマーのしゃれたアドリブもすぐに思い出す。
LPかCDかはたまたその複製かをどこかに持っていた気もする。探してみよう。
それにしてもテレビのシーンはほとんどコピーサウンドの響きで、どこか情けない。昔聴いていたジャズ喫茶の生演奏の雰囲気はもっと独自性があったような気がしていた。それにしてもこの時代に神戸にこんな生演奏のジャズ喫茶なんかあったかな?と思う。
ドラマのようには神戸ではジャズ喫茶で生演奏を聴くなどしたことがなかったが大学で東京に出て渋谷や新宿やあちこち聞いて回った。コーヒー一杯でよく聞かしてくれたと思う、シャープアンドフラッツなんかもリキパレスで聞いた覚えがある、慈善事業のようなコンサートだ。
改めてソニークラークをネットで調べてみると、Cool Struttinが流行ったのは日本が特別で、米国ではこのアルバムは大して注目されなかったようだ。不思議な気がする。ジャズ喫茶という穴倉のようなところで流すのにぴったりだったのだろう。

朝ドラを見ている人は近頃は僕らの世代が多いのかな、そう思う。そこへ受けそうな昔のいい話を懐かしい曲とともに繰り出しているのだろうか。乗せられてもしょうがない。でも今はどんな時代なんだろうか、時々そうも思う。

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2016年11月17日 (木)

ネットでJazzを学ぶ

隈研吾の現代日本建築家の系譜についてのネットの講義がなかなかよかったので、ほかにも出来そうなものをedXのサイトで探してみた。
たまたま目に入った「Introduction To Music Theory」というバークレー音楽院が提供しているコースがよさそうなのでこれをとることにした。バークレーといえば一昔前渡辺貞夫が留学してモダンジャズの理論を学びそれを日本で拡散したと記憶にある、そんなところが提供するネット講座なら多分有益に違いない。
9月終わり頃申し込んで暫くほかのことにかまけてほっておいたら、講座は進んでますよというレスポンスの催促メールが数回来る。そろそろできるかと思って10月中ころに着手した。英語だがもちろん無料だ。
講座は6回からなり、コードの組み立てと進行形、improvisation(いわゆるアドリブ演奏)のEdx 手ほどき等からなる。
講義の動画には英語字幕とそのテキスト版がつくので聞き漏らした単語は映像を止めて落ち着いて調べることができる。英語の勉強にもなる。
動画で講師が説明した後簡単なテストがあって先へ進む。講師は意のままに音を操る雰囲気のあるミュージシャンのようだ、信頼感がある。
メイジャーコード、ドミナントコード、などの説明に続いてマイナーペンタトニックスケールの説明がある。
ブルースコード進行の基本がドミナントセブンであるとはきっちりは認識していなかった、とかマイナーペンタトニックスケールなるものがインプロビゼーションの基本であると初めて知ったとか、今までぼんやりとしていたジャズのアドリブ奏法の基本をここへきてやっと教わった気がする。確かに有益だ。Jazzを聞く分にもこれ位はきちんと学んでおくべきだったと思う、しかし国内でこんなことを教えてくれる講座などありはしなかったように思う、時代は進んでいる。
この講座の最後が面白い、提供されたバックミュージックに乗せてブルースのアドリブを受講習生が演奏しYoutube等を利用してアップして講習を受けている任意の他の5人がこれを採点するという仕掛けだ。
こんなやり方をよく思いついたと思うが実際にやってみると、まず提供されたバックに合わせて演奏することそのものがちょっと難しい。ipadでバックの演奏を流しながら電子ピアノでこれに合わせて弾いてみて,これ全体を野鳥の録音に使っているデジタルレコーダーで録音するというやり方でやってみた。

何回かやっているうちに何とか録音できたものをYoutubeにアップロードするが録音だけのアップロードはできないのでYoutubeのガイドに従って適当な写真を演奏時間だけビデオ化してこれに演奏をくっつけるという操作をして出来上がる。可成りつたない演奏だがしょうがない。
とにかくYoutubeにアップしたそのurlを記入してedXに送ると数日の間に5人の評価が送られてくる。何とexcellent評価が3人で、総合評価はexcellentとなった。甘々の感じだが中に的確に不満足なところを指摘する書き込みもあってなかなかだ。勿論自分も評価側に回って別の知らない5人の演奏を評価して送る。国を超えて年齢を超えてこんなことができるのが面白い。

 

無料の講座としては素晴らしいと思ってしまう。確かに時代は進んでいる。人類の知恵もこんなことができるのならまだまだ拡大していくことがありそうだ。どこまで行ってしまうのだろうか、1000年位先が見たくなる。

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2016年1月13日 (水)

コルトレーンも生誕90周年になる

やっと寒くなってきた、北極の寒気が樺太付近まで移動してきていて現在世界で最も寒い地帯が北海道の直ぐ西北にまで迫っている。冬型になると福岡の地は低い雲に次々に覆われて薄暗く寒い日々となる。本を読んだり音楽を聴いたりするのにちょうどいい。


Lovesupremebook1 「コルトレーン:至上の愛の真実」という本を読んでいる。2002年にアシュリーカーンによって書かれたジャズの歴史ドキュメンタリといえる本だ。思えば今年はコルトレーン生誕90周年の年になる。死の前の年に来日した演奏を神戸で目の当たりにした時の隔絶感というか手の届かない所に行ってしまったという切ない感じを今も時おり思い返す。何が起こっていたのだろうか、気になっていた。

驚くことにこの本の資料を著者アシュリーカーンに豊富に提供したのはコルトレーン研究家として世界一だと訳者もいう藤岡靖洋氏だったとあとがきの部分にある、勿論氏は和訳にも多大に協力しているようだ、大阪の呉服店店主というこの藤岡氏にも興味をそそられた。少し調べると1953年生まれの方でコルトレーンの来日コンサート時は中1だから直接本人の演奏を聴いてはいないかもしれない。翌年コルトレーンの亡くなった時のショックをどのくらい味わったのだろうか。同時代の研究家というより死んだ後の研究家ということなのだろう。少しクールに向き合えた分、研究家として色々よく見、調べることができたということかも知れない。でもそんな仕事ができた人が米国人ではなく日本の呉服店主だというところが愉快だ。

とにかく読み進むと知らなかった話に次々に出会う。1957年に止めるまでコルトレーンは麻薬の常習者でそれが故に最初の
マイルスデイビスのグループをクビになったこと、1957年に麻薬を止めてから堰を切ったようにジャズを先へ先へと追求し続けて10年で亡くなってしまったこと、時間があれば常に練習し続けていたこと、これまでに作られた曲を全部覚えている4人の凄いジャズミュージシャンのうちの一人とされる程にあらゆる曲を構造的に理解した上で新しい道を追いかけていたこと、プレスティッジのジャムセッションのようなレコーディングの仕方、インパルスレコードの誕生の経緯、等々等々、いちいちそうだったのかと思いつつ、何とはなしにその頃の時代の雰囲気が蘇ってくる。
手持ちのコルトレーンのレコード(Ole coltrane,Coltrane(1962),他)やCD(Giant steps,My favorite things
,Love Supreme,他)を聞きながら読んで行く。
Love Supremeの演奏では第4楽章にあたるPsalm(賛美)ではコルトレーンが自作の神を讃える詩の朗読をテナーサックスで吹いているのだが、ドラムのエルビンジョーンズはこの時演奏していてまさかサキソフォンで詩を朗読しているとは思わなかったと述べていて、そんなものかと思ってしまう。聴き直してみるとエルビンジョーンズはこの時ティンパニーを叩いているのだが、いかにも神への讃歌の伴奏のように荘厳さを醸し出していると聞こえるから不思議だ。ライナーノートの詩を目で追いながらコルトレーンのサキソフォン朗読を聴いてみるが言葉ではないのでどこを朗読しているのかぴったりは解らない、でも面白い。神の讃美そのものにはちょっと。。。と思ってしまうのだが。

それにしてもコルトレーンをかけると昔のジャズ喫茶の雰囲気がたちどころに居間に出現する、1960年代から現在に至る時間が一つになっているようでまるで時間がプールされているように感じるのが面白い。



天気がすぐれない日はこんな時間の過ごし方がいいようだ。

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2014年10月 3日 (金)

エラ・フィッツジェラルドのAt The Opera Houseを聴いていたら

最近足を痛めて出かけることもままならず、音楽を聴いたりギターをつまびいたりして過ごしている。
聴くといってもCDを買うことは殆どなくてもっぱら図書館から借りてきたのを聞いていて、JAZZとクラッシックを1枚ずつそれにオペラのDVDを借りてきて2週間楽しむというのがルーチンになっている。

昔Jazzを聴き始めた頃渡辺通り3丁目にあったRKBの公開スタジオで無料のレコードコンサートが月1回位開かれていてた、近いこともあってそれをしばしば聴きに行っていた。もっとも衝撃的だったのはコルトレーンのマイフェバリットシングスがホールに響いた時だった。 ソプラノサックスの音色が新鮮で音の組み合わせの全てが新しく感じた。もはや50数年前の話だ。随分時が流れた。
この1週間ほどエラ・フィッツジェラルドのAt The Opera House を借りてきて聴いている、いわゆる名盤だがCDの解説を読んでみて少々驚いた。

At The Opera House はノーマングランツがプロデュースしたJATPツアーの一つなのはいいのだがAt The Opera  Houseと銘打って最初に出されたモノラル盤はChicago Opera Houseではなく Los AngelesのShrine Auditoriumで録音されたものでその後に出されたstereo盤がChicago Opera EllaHouseの録音とある。幾つかのサイトで調べてみてもこれは今や疑いようのない事実のようだ。

ところがCDに付いていたノーマングランツが最初のモノラル盤につけたライナーノートのコピーにはChicago Opera Houseの録音と書かれているからなんだかおかしい。CDには両方が収められている。殆ど同じ曲を歌っていて聴き比べるとモノラルで最初に出した曲の方が勢いがあって歯切れがよくていい。レコードのリリースはいずれも1958年でstereoがまだ珍しい頃ではあった、monoでまず出したあとstereoのほうが市場にインパクトがあるのでstereo録音したほうを慌てて出したのだろうか。音楽的にいい録音をまず出すのは当然のことでそうしたのだろうか、ノーマングランツは思い違いで最初のライナートーツを書いたのだろうか、その時に錯誤したのだろうか、それとも知りながらだったのだろうか。今となっては解らない、雨月物語ではないが事実とはこんなものなのだろう。それにしてもアバウト な時代を感じる。
Coltrane1 この演奏が行われたのは1957年秋でこの丁度3年後にはコルトレーンのマイフェバリットシングスが録音された、そんなに畳み込むように時代が進んでいたのかと驚く。JATPという響きには占領米軍のJAZZとの印象が重なっている。一時期の廃盤セールで駐留米軍から放出されたと思われる傷だらけの10インチのJATPレコードが大量に安値で売られていた記憶が強い。チャーリーパーカーの演奏している1枚だけをお小遣いで買ったのが手元に残っている。あのいかにも”戦後”の泥臭さのあるJATPのジャムセッションから瞬く間にモダーンなモード進行のジャズに移ってしまった。振り返ってみると不思議な気さえする。このあたりから時代が大きく変わってきた、そんな感じがしてくる。

コルトレーンはその後前へ前へと突き進み 聞くものとの距離を感じさせるアヴァンギャルドな演奏にのめり込み そしてそのまま亡くなって一つの時代が終わった。亡くなる前年に日本公演を行ったが、神戸でその演奏に直に接した時の距離感というか隔絶感を今も明瞭に覚えている。(写真はwikipediaより)。

JAZZを聴いていると取り留めもなく昔のことが湧いてくるように思い出される。自分の生きた時の流れにJAZZが深く絡んでいたようにも感じる。聴けば心が楽になる。

痛めた足はにわかには回復しないようだ。こんな風に時が過ごせるのもそれはそれで悪くもない。

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2014年9月15日 (月)

”ふるさと”が響く

中学の同窓会の後の2次会も9時過ぎには辞して中州から天神に向かってぶらりと歩いた。中Hinoteru 州ジャズフェステバルの2日目であちこちに野外ステージが立ちいい雰囲気だ。
人が多い。橋を一つ渡った公会堂のところが特ににぎわっているので舞台を見ると日野皓正だ、始まったばかりのようで何か喋っている。
隙間を見つけて立ち止まって見る。生で見るのは随分久し振りだ、学生の頃新宿のジャズ喫茶で見て以来だろうか、本当に長く頑張っている。NeverForget311という曲を始める。吹きっぷりは昔と大体同じだが無論昔の若さの輝きは無い。その代わりヴォーカルもやるし太鼓も叩くし勿論ラッパも吹く、楽しんでいる。だんだん乗ってきているのがわかる、いつ終わるとも知れず延々と続く、ゲストに呼ばれて舞台に立った女性プロボクサー世界チャンピオン(福岡の人です)もそれなりにマラカスを鳴らしたり手を打ったりして参加している。アンサンブルに戻ってやっと曲が終わる。もっと聞いていたいがあまり遅くなるのも明日が困る、また歩き始める。
そこへ日野皓正の”ふるさと”が響く、ビルの壁に反射しながら歩いても歩いてもすぐそこで演奏しているようによく響く、心にも響く、確かにここはふるさとだ、心安らぐふるさとだ。戻ってこれて良かった、いい街だ。

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2013年6月 6日 (木)

アニタオデイがよくて

アニタオデイのMOSTを最近聞いている。引っ越して整理したこともあって、以前よりMost CDやレコードを聴く時間が増えた。あらかた手持ちのCDも聴きつくして図書館からCDを借りてきては複製するパターンに入っている。福岡の総合図書館はCDは決して多くは無いが何故かCDの総数ではまさる宇都宮の図書館よりJAZZの名盤といわれるアルバムがきちんと揃っているように思える。アニタオデイのMOSTをちゃんと聴くのは情けなくも初めてのような気がしているが、昔色々聴きあさっていていた時にどこかで聴いていたような気もする、しかし向き合って聴いた記憶が明瞭でない。ピーターソントリオとの共演の速度感がいい、This is ANITAよりこちらの方が聞いていて気持ちがいい。
昔は白人女性ボーカルはクリスコナーが一番と思っていた時があった、クリアーな英語が本物の貫禄を醸し出していたように感じていた、いかにも洗練された白人のJazzという雰囲気だった。近頃はアニタがいい、人種を感じないのがいいのかもしれない、何か自由で楽だ、年のせいだろうか。今の自分の雰囲気に通じているような気がしている。
ヨットを始めた。海から離れた土地で長く暮していた反動かもしれない。全く初めてYacht だ。福岡市は市でヨットハーバーを運営していてどんな感じかと様子を見に行ってみるとちょっといい。シンプルでクリアーな感じがする、都会風だ。ビギナーのヨット教室があるというので予約して参加してみることにした。始めるにしては遅すぎるかと不安もあったが当日準備して出かける、教室に入ると年配者が多くてややホッとする、似たようなことを考えている人はそれなりにいるようだ。講義は市の職員だったが、実際に教えてくれるのは地元のヨットクラブのメンバーだった。ジブ付きのディンギーに乗る。空模様は懸念したとおりの小雨だ、雨は雨具をつけるとさして気にならないのだが風が無いのには困った。漂うように湾内に浮かんで、以前ハワイのカイルアでポポイア島に向けてカヤックで漕いでいったときの強風を思い起こしていた。あの時はあまりの強風に途中で横波をくらって沈してしまった、風は強すぎるのは困る。ヨット教室の天気は勿論事前に予測していて 風は弱い方が最初はいいのだろうくらいに思っていた、ほぼ予測どおりだったのだが、ヨットではあまりに弱いのも困る、時折吹く僅かな風を利用して練習するが今から振り返ると風待の時間ばかりが思い出される、強すぎるのも困るが無いのも本当に困る。
ヨットの練習としては散々な天気だったが、自然そのものを相手にすればこんなのは普通だとも思う。OSSCという世話をしてくれたヨットクラブに一応入れてもらうことにして暫くやってみようと思っている。新しいことを始める時の期待というより不安の種が次々に頭に浮かんでくるのをなんとかなるさと片っ端から振り払っている。この感触もなかなか悪くない。
なんとはなしに手を広げすぎているような気がしてきて時間が足りなくなる雰囲気がある。
昨夜はホタルを見に那珂川中流の中之島公園というところに出かけた、那珂川といっHotaru1 ても那須から流れ出る川ではなくて福岡市の真ん中を流れて博多湾に注ぐ川だ、九州で那珂川といえばこの川のことになる。人も多かったがそれにも増してホタルがよかった。数百はいてゆったりと飛び交い或いは同期してネオンのように点滅し 見たこともない状景を展開してくれる。栃木ではついぞこんな光景には出くわさなかった。中之島公園のほたるがいいとの話はアカショウビンを求めて油山を歩き回った帰り油山の自然観察センターで話しているときに教えてもらった、アカショウビンのほうも次の日に声が聞こえたとのメールが入ってどうやら来てはいるらしい。
動いていると色んな話に引っかかる。ヨットも始めてみるとどういう風に拡散していくだろうか、広げられる手がある限り広げてみればいいじゃないか、アニタオデイを聞きながらそんな風にも思っている。

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2008年11月18日 (火)

収穫祭にて

Cocofirm 土曜日に今年もまたココファームの収穫祭にでかけてみた。少しずつ感じることが違ってくる。宣伝されているとは思えないのだけれども、とても混んでいる、万の単位の人がいる気がする。ココファームのホームページに行っても収穫祭の案内をなかなか見つけることができない、リピーターとその口コミでこんなに来るものなのだろうか。今年で25回目だが最初のころはほんの内輪の集まりだったという。繰り返すことの力を感じる。来たのは3回目になる、同じ砕石場の駐車場所に停めて同じ道を歩く、山道の同じところに出店が出て同じものを売っている。新鮮な驚きが薄れていっている。エントリーフィーは2000円に上がったが、そんなものだろう。同じように坂田明のバンドが演奏する、こちらはくたびれていない、切り口の鮮やかさをキープしている。出した音がそまま空中に吸い込まれていって元には戻らないのが音楽だ、1回1回がその場限りのものだ、とりわけJAZZはそうだ、それが新鮮さの源なのだろう。坂田には、深まりと衰えを知らない即興がある。ココファームの入所者は平均年齢が上がってきているらしい、新しい入所者が枯れてきているようだ。主催者の園長の挨拶もたどたどしくなって年が容赦なく過ぎていくのを感じさせる。音楽もワインも食べ物も上質でゆったりした時間を感じながら転げ落ちそうな斜面で過ごす感覚は他ではない一流さがある。しかしキープすることは難しい、常に入れ替わる仕組みの学生とは違い関係者の顔ぶれが変わらず毎年1つずつ年を重ねていく集団はキープしようとしてもぼろぼろと枯れてくる、こころみ学園にもそんな雰囲気が出始めているのかもしれない。新しいことへの拡大、グループの代替わり、そんなものを時は常に要求してくる、冷酷でもある。身近にもそんな難しさを何回か経験したことがある。坂田の響きを思い出しながら、プレーヤー自身の深まりと即興性か、そうかもしれない、それができなければ時によって消されていくということかもしれない。

来年はどう感じるだろうか、新しい次元へ転がり始めるだろうか、しかし難しいことはどうあれ来年こそは電車で行かねば。

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2007年1月15日 (月)

40年をどう過ごしてきたのだろうか

アリース・コルトレーンが亡くなったとニュースの隅でみつけて、ジョン・コルトレーンが亡くなった時のことを思い出してしまった。もう40年くらい前になるが、ちょっとしたインパクトがあった。その数年前に、来日コンサートを聞きPhoto_1 に行ったときの印象が強くて、ここまま進んでいくとどこまで行ってしまうのだろうか、聴いている側と演奏している側が切り離されている、伝わってこないのが奇妙に感動的なコンサートだった。

渋谷に垂らされていた、巨星堕つ、の垂れ幕でそれと知った。死ぬしかなかったのか、と妙に納得してしまったことを思い出す、勿論自殺ではなく病に倒れたのだが、アバンギャルドといえる演奏の革新がもう無理なところまで進んでしまっていたように感じていた。ともかく異国の人の死がかなり身近に感じられた。緩やかに渋谷のジャズ喫茶に入ったらどこもコルトレーンばかりかけているよ、と声がした、勿論そこもだったけれども。

アリース・コルトレーンはパラパラとしたピアノだったとしか覚えていない、40年をどう過ごしてきたのだろうか。

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