2017年7月28日 (金)

ラスコーの世界巡回展示が

もう10年以上前の話だが宇都宮にいた頃 西武パルコで洋書の特価市があった折 洞窟壁画の写真が豊富にあるのが気に入ってラスコー洞窟の本を買っておいた、割

Lascaux0

安だったので何気なくというのがより正確だがとにかく”LASCAUX en Perigord Noir”というしっかりした本が手元にある。ぺリゴー ル・ノワール地区にあるラスコー というのがタイトルの意味だが、フランス語の本だ。但し解説文は英語とドイツ語、スペイン語が並べて書いてあって、各言語の表現が簡単に比較できる点でも面白い本だ。勿論図版は豊富にある、図版そのものについている説明はフランス語だけで少々残念だが全体としてそれなりに書いてあることはわかる面白い本だ。

暫くこんな本のことは忘れていたのだが、九州国立博物館でラスコー展が開かれているというので思い出して眺めてみた、なかなかいい、勿論展示はレプリカが主体だ

Lascaux1

が立体的な姿が見れるようだ、とにかく展示を見てみようと出かけた。後で調べて解ったが、この展示会は2012年10月から始まった「ラスコー3」と称する世界巡回展示会であり、これまでに、ボルドー、シカゴ、ヒューストン、モントリオール、ブラッセル、パリ、ジュネーブ、韓国光明市、東京、仙台、そして福岡 とめぐってきた。2020年まではフランスに戻らないとされているが福岡の後は公表されていない。巡回に従って内容は充実してきているようで、ラスコーで発見された壁画の制作道具の展示は東京から加えられたとされているようだ。福岡だけの展示というのも結構あったりもする。

Lascaux2

ともかく数年前の大英博物館の展示といい、全世界を巡回する世界的な展示会というのが目に付くようになってきた気がする。これもグローバリズムの一端だろうか。

展示の焦点は実物大の洞窟レプリカで、4か所分くらいあって、照明も工夫されていて洞窟の雰囲気がよく出ている。牛や馬の姿がリアルで、例えば竹原古墳の壁画などより遥かに生き生きしている。一朝一夕にはこうはかけない、描くこと専門の人がいた感じがする。同時に展示されている精巧な石器も国内で見るものより遥かに美しい。

Lascaux3

2万年くらい前の時代に美的感覚を持って絵が描かれ道具が作られていた、それがあからさまに解る。すごい。
この展示を世界巡回させたいという主催者側の気持ちには西洋文明の根源がここにあることを世界に誇りたいとの気持ちがあるのだろう、どうしてもそれを感じてしまう。

でもたかが2万年だ、せいぜい1000世代位前の先祖がなせる技だ、このままいけば人類はあと2万年位は軽く生存し続けるだろう、いやその何倍もの先の未来へ続いていくだろう、4次元の時空に生きる座標をまた感じてしまう。

歳をとったのかもしれない、そう思いながら
暑苦しくも楽しくもある現実世界へと会場を後にした。

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2016年10月19日 (水)

感動を失いつつある日々と

福岡マラソンというのが11月13日にあってこれに5.2kmのファンランで参加することにした。5kmならこれは走れるだろう、街中を走るのは面白いかもしれない、そもそも市民マラソンの雰囲気とはどんなものだろうか等々が興味の焦点だが、とにかくやれるうちにやれることはやってみよう、くらいの感じだ。
次第に日が近づいてくると本当に走れるだろうかと気になりだしてトレーニングとして近くの公園を周回して5kmを走っている。基本的に心拍数をモニターしながら走るのが自分のやり方なので当面心拍数130となるように走っている。
Running 走ってみると大体分速100m位となって50分くらいで走れる。ゲートが閉まるギリギリのスピードだがとにかく走れるので一安心だ。ラップを見ると自分では気が付かないがラップを重ねるごとにゆっくり速度が落ちてくる。運動不足なのだろう、まったく体が鍛えられてない感じがする。

当日はどんな感じになるだろうか。気象庁の1か月数値予報では高気圧が張り出し始めて一応晴れそうだが、どうなるか。雨なら棄権かとも。弱気なところはなかなか去ってくれない。


10日ほど前、新福岡古典音楽祭の催しの一つストラディヴァリア・ナント・バロック・アConcert2 ンサンブル のコンサートを聴きに行った。
福岡で毎年開かれている音楽祭だが、ヨーロッパの古典音楽は端正でちょっと面白い気がしている。
今年はフランスバロックがテーマのようだ。
ストラディヴァリアの名前からストラディヴァリウスを並べるのかとも思ったが楽器の説明など一切ない、いい音色だがストラディヴァリウスかどうかはよくわからない。ネットで調べても判然としない。想像にお任せしますといった風情がフランスらしいといえばそうでもある。
いかにも宮廷音楽の響きがある、眠くなる。ジャン=フェリ・ルベルのバレエ音楽「四大元素」が演目にあり、不協和音で始まることで知られているようだがこれも心地よく聞けてしまう、こういう雰囲気だったのだフランス革命前のフランスはと思う。モーツアルトがフィガロの結婚を書くほんの10年位前の曲だ、こんな世界は長くはもたない、そんな気もする、虚飾に満ちたとまではいかないまでもどこか空々しいきらめきがある。音楽は正直だ。

なんとはなしに感動がない。

Cyoujyuu 先週、鳥獣戯画展が国立博物館で開かれているというので見に行った。
平日だが人が多い。
列が長くじりじりと進んでいく有様なのですいているところから飛ばしてみて、列が動かないところは2列目からとやや離れてみる。
国宝だが有名なウサギのところはふーんというくらいで全く感動がない。確かに漫画的に生き生きしているがこれ位なら絵師なら描いて当然くらいに思ってしまう。絵の内容そのものに大した興味がわかないということもあるのだろう。
坊主が修行しているさまを茶化したように書いているあたりは人間的で面白い。新聞に使われる政治漫画そのもののような気がする、人のやることは大して進化していない、そういう意味ではすごいというべきなのだろう。

それにしても近頃は感動するということが少なくなったように思う。先月の現代俳句の選句では1000句くらいある投句に1句も感じるものはなく選句できなかったということがあった、なんだか感じなくなってきている。


以前のように知らず
らずのうちにまた時間追われている生活なってきたからではないか、手で物を作ることをしなくなったためではないか、やはり歳のせいだろうか、いろいろ考える。暫く中断していた梅の絵を仕上げることから始めてみよう、そんなことを思っているが、どうなるか。

福岡マラソンですこしでも感動があればよいのだが。そんな風にも期待して時々走っている。

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2016年10月11日 (火)

今右衛門・柿右衛門展

13代今右衛門・14代柿右衛門の展覧会が福岡三越で開かれているというので見に行った。
,有田で磁器を作り始めて今年で400年ということの記念イベントの一環らしい。自分Tenjikai の中で名前だけが上滑りしている有田焼の今の姿を見定めたいという気持ちがある。この展は今年の正月に日本橋三越で開かれた後7月には広島三越で開かれていたものが福岡までやっとやってきたということのようだ、大阪はとばしているが大阪には三越が無くてこうなったのだろう、所詮百貨店の催しだといえばそうかもしれない、でもとにかく見たいという衝動があった。

結構人が多い。確かに素人目にも、これは、という作品が並んでいる。

13代今右衛門は襲名前には有田とは思えない全く現代的な焼き物も作っていたのImaemon1
が展示されていて目を引く。1975年に襲名後は伝統を引き継ぎながら、吹墨、薄墨 という技法を開発するなど新しい現代的な境地を開いていてこれまでの有田とは異なる新鮮な感じを見るものに与える。
14代柿右衛門のほうは追い求めたリアルな草花のスケッチをもとに濃淡を入れた草花模様を構築している。こちらも濁手と呼ばれる乳白色の白地の伝統の上に現代に響く有田の姿を求め
続けたようだ。それぞれにさすがと思わせる。
400年も続く伝統となればそれぞれに伝統の重圧はあろう、素直に事物と向き合い詳細なス
Kakiemon1ケッチを繰り返し、自分なりの境地を開いていく、大変な仕事だとうかがい知る、それが心に響く。

13代今右衛門は2001年75歳で心不全で亡くなり14代柿右衛門は2013年78歳で癌で亡くなっている。天寿を全うとまでは長生きしなかったようだ、背負った重荷というものがあったのかもしれない。

近頃はものに心を動かされることが減ってきたと感じている。生涯をかけた作品を見る、こんなことでもしないと心が響いてくれない、思い返せば、見たいという衝動はこれだったのかもしれない、そんな風に思っている。

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2016年5月17日 (火)

ケガも治りかけて博物館でも見る

転倒した傷も次第に癒えて少しは出かけれるようになってきたところで手始めに九州国立博物館で開催中の「秦始皇帝と大兵馬俑」と題する展示を見に行った。
東京国立博物館から巡回してきた展示だ。薄暗くしてある博物館なら顔の真ん中に絆創膏を張った状態でもあまり気にする人もなかろうと思ってのことでもある。テレビの天気予報で終Heibayo2 日雨と言っているが実は大して降りそうでもない日を見計らって出かける。とにかく混雑は避けたい。

入ってみると人はいるが狙い通り混雑というほどでもない。
秦より前の周の頃の青銅器などから始まり前3世紀の秦の時代が展示の中心になる。
縄文や弥生土器と古代中国の青銅器が並べてあるような展示を見た時には中国がアジアで圧倒的に進んでいて紀元前の世界では中国には全くかなわないとしばしば思うが、この間ギリシャに行って散々古代ギリシャ文明の遺物を見た目からは紀元前5世紀だとあのアクロポリスの時代かこれ位のものがあっても、と、そうも驚かない。紀元前3世紀なら結構新しいとさえ思ってしまう。
見ていると古代ギリシャと古代中国の文明ははからずも同じくらいのペースで繁栄したようでその原動力は文字の力のように思えてくる。
ギリシャでは現代のギリシャ文字とそう変わらない文字が古代神殿のあちこちに刻んであったがこの展示でも発掘された竹に書かれた現代でも使われそうな文字の書きつけが沢山みられる。文明を先へ進めうる要は何といっても情報伝達・情報処理・知識蓄積を可能にする文字というツールだったということなのだろう。 コンピュータも結局は文字を用いている。更に発展する未来があるものなら文字を超えるツールが出現することになるのではなかろうか。

前5世紀の漆塗りの陶器も展示してある。漆は2500年の歳月に耐えて美しい色合いを伝えている。ここらあたりが東洋の進んだ技術ということになるのだろう。

秦という統一国家はたった15年しかもたなかった。始皇帝が旅先で客死した後はみるみる乱れ項羽・劉邦の漢に滅ばされてしまう。壮大な陵を残し 法律による支配、度量衡の統一されたインフラの整備された巨大国家があっという間についえてしまったのは不可解な気もする。しかし、中央集権のカリスマが突然消えると体制が持たないという好例を与えているようにも思える。凡庸な指導者に率いられても繁栄できる国家が真の強い国なのだろう。

Heibayo1 兵馬俑の立像は以前一度見たことがあるような気もするが、写実的で2300年前のものとは思えないレベルの高さを感じる。中空の陶製だがどこで嵌め合いになっているのか解らない程で、技術的にも芸術的にも優れている。
よくできた模造品も多数展示されているが本物のほうが遥かに優れていると感じるのはなぜなのだろうか。本物が持つ作り手の熱意というか心意気をどうしても感じてしまうからなのだろう、細かいところを感じているようだ。感銘を与えるとはどういうことなのだろうか、やはり美はディテールに宿るということか、と再認識させられもする。

これだけのものが破壊されずに現代まで残ったというところにも驚きがある。当然盗掘があることを予想して巧みに埋められていたとしか思えない。秦そのものは全国統一を果たすはるか以前より十分大国であったため15年でも綿密に準備された壮大な陵を残すことができたということでもあるのだろう。

思ったよりもあっさりとした展示だった。何故か中国人の一団が見物に訪れていた。恐らく大宰府とパッケージでの観光ツアーなのだろう。中国人でも始皇帝陵の出土品現物はそんなには見る機会がないのかもしれない。
こんな風景を見ているとこの博物館の”アジア視点の博物館”という設立当初のうたい文句が真実味を帯びてきたと思えてくる。福岡というところは大昔よりアジアとの接点で生きているのだろう。

見終わっても色々考えが広がっていく、ケガで行けるところが限られるというのも存外に悪くない気がしている。

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2016年4月27日 (水)

桜図を智積院で見る

 6年位前に東京で長谷川等伯展を見た折に夭逝した息子の久蔵の桜図のことを知ったが残念ながらその時は展示されておらず見ることはできなかった。
今回の京都旅行では修学院離宮と桂離宮の見学予約はあったが他の予定はこれというものがなくて、丁度いい機会だ、これを見てみようという気になった。桜図は智積院に等伯の楓図とともに展示されているという。
別に大徳寺聚光院の狩野永徳の国宝襖絵の特別公開もありこれも見ることで予約して、国宝障壁画を見る京都の旅の様相も出てきた。京都は見るべきものが多い。

昼過ぎに新幹線で京都について荷物をホテルにおいてその足で智積院に回る。駅からはバスで10数分だ、近い。
国宝となっている長谷川等伯・久蔵親子の障壁画は秀吉の愛児鶴松の供養のため建立Chisyakuin2 された祥雲寺の客殿に飾られていたものだった。一方、智積院は元々紀州・根来山の真言宗の寺だったが秀吉と対立、焼き討ちにあって高野山に避難していたところ関ケ原の戦い後に勝利した家康から秀吉ゆかりの寺院の土地建物を譲られ現在の場所に再建された。その中に秀吉が鶴松の供養に建てた祥雲寺が含まれていたことから、これらの障壁画が智積院に伝わったという経緯がある。いかにも戦国の世を生き抜いてきた絵ということになる。昭和27年に国宝に指定されている。
智積院ではこれらの障壁画は智積院の大書院を飾っていたが現在は堅牢な収蔵庫に保管してあってこれを見る形となる。1682年と1947年の2度の火災を辛くも逃げ切った絵をもう焼くような恐れのあるところには置けないということだろう。大書院の配置と同じく等伯の楓図と久蔵の桜図が並べて展示してある。

等伯の松に草花図などをぐるリと見て、桜図に至る。柔らかい。花は八重桜でつぼみをSakurazu 持つ花の形がちょっとパターン化した感じのあるところがまだ若い気もする、桜の幹がいい、人間的で柔らかい。左に置かれた等伯の楓図の鋭さ突き刺さるような容赦のない勢いとはあまりの対照を見せる。久蔵が生き延びていればどんな絵が残されていっただろうか。(桜図は
「京都で遊ぼうART」より転載)。
智積院でもらった説明書きでは久蔵が亡くなったあと等伯はその死を悼む気持ちを込めて楓図を描いたとなっているが秀吉の命で桜図と楓図は同時期に描かれたはずで、やや合点が行かない。しかし楓図を見ているとその鋭さにどうしてもそう思いたくなるのは間違いない。もしかしたら
Chisyakuin事実はそうかもしれないとも思う。
桜図は思っていたよりずっと柔らかかった、優しい親子関係を見るようなこの一対の絵は思いを400年前の時空に走らせてくれるところがあって、それもこの絵の価値を高めているような気がしている。

  やっとひとつ宿題を果たしたように思いながら収蔵庫を後にして智積院の大書院を見て回る。利休好みの庭もいい感じでさすが京都の名刹だ。

1日おいて大徳寺聚光院で特別公開の狩野永徳の襖絵を見に行く。等伯・久蔵よりは僅Jyukoin かに前の時代を走って織田信長・秀吉の命で多くの仕事をなした。明らかに時代を代表する絵師だったが、等伯・久蔵の絵を見たあとではどうにも迫力に欠ける思いがする。生き生きしているが写実が今ひとつ不徹底の感がある、そうであってもよく描けた襖絵であることには違いない。(図は「京都春秋」のページより転載)。

Yaezakura それにしても京都には立派な障壁画が方々にある。乱世が終わり城郭や寺社の建築ラッシュの時期となって、襖絵の需要が一気に高まりあちこちの襖を高名な絵師が埋め続けた、そんな時代が切り取られて残されているようだ。絵師にはいい時代だったのではあるまいか。

今という時代はどうなのだろうか、何が切り取られ残されていっているのだろうか。

(修学院離宮近くの民家の八重桜、久蔵の絵に似ている)

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2016年4月25日 (月)

桂離宮を見る

紅葉の桂離宮見学は抽選で負けて果たせなかったのもあり、空いてくる桜の季節の直後を狙って、修学院離宮と同日に両方を見学できる空きのある日を探して、やっとの思いで見学許可を取得した。色んなことがあって3カ月が過ぎその日がやってきて京都に出かけた。
1日に両方を見るのは効率いいと思っていたもののやはり疲れる。
修学院離宮見学の後、中間の四条の祇園辺りでランチを食べ多少散策して14時30分Katsurarky8 からの桂離宮の見学に向かった。
阪急の桂駅から歩くほかないのかとバス道に沿って歩き始めたところ目の前のバス停にバスがちょうど来て桂離宮口にもいくという。ほっとしてバスを利用する。Yahooの経路検索ではバス利用が出てこなかったので歩くほかないと思い込んでいた。広い無料駐車場があるのでクルマでこれればそれが一番のようだ。
4月から桂離宮の案内となったばかりという宮内庁の案内担当の方から説明を受けながら回る。とにかく忙しい。見るべきものがたくさんある、建物も石組も庭も歩を進めるごとに意匠が移ろっていく。見落とすまいと写真を撮っていると遅れて説明も聞けなくなる。客へKatsurarky3 の庭の見せ方がいちいち凝っている。例えば目隠しとなる生垣が上手く配置され視界を遮る松が植えられたりもして、開けてところに出た時の驚きを印象づけるようにしつらえてある。敷石が美しかったり、ツツジの配置が心地良かったりもする。

松琴亭というところに行く。デザイン的に目を引く襖、開け放てば柱だけのようにもなるスケスケの構造、はかなくも脆い。桂川のたび重なる氾濫にも耐えてよくここまで生き残ったと思う。
日光東照宮が作られたちょうど同じ時期に造られた、というがその粋さというか東照宮とは対局の軽妙さ、遊びがいちいち目を引く。
Katsurarky6 賞花亭という東屋ではすけている下地窓の棧の影が畳に落ちる様も面白い。ここまで仕組んだわけではないのかもしれないが、ほかではこんな様は見られない。
八条宮が細かく指示してこの離宮は造営されたと言われる。相当に思い入れがあったようだ。簡素なようで細部には異様ともいえる手のかけようがみられる。ひ弱な建築物だがいとおしさがある、壊してはならないという空気が取り巻いている。天皇家の雰囲気がある。

Katsurarky9 神社のような直線の美しさ清々しさと工芸の巧みを見事に取り混ぜて頗る頗る日本的な建造物だ。矢張り見るべき造形だった。

忙しい見学時間がたちまち過ぎ去り、駐車場辺りに待機していると教えられた客待ちのタクシーの姿ももうなく、とぼとぼと桂駅まで歩いて戻る。少々疲れた。印象が溢れていて纏まりがつかない、何回か訪れてみねば、とも思いながら歩く。しかしともかく九州からは遠い、それに体力もいる、もう多分来れないだろうな、見れただけでも上出来だな、そんな風にも思って桂駅を後にした。

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2016年2月23日 (火)

モネ展

Monet 少し前にモネ展というのに行った。

マルモッタン・モネ美術館所蔵品の展示と銘打って、東京、福岡、京都。。。とまわっている。また印象派か、とも思う。
人が入る美術展を企画しようとすれば名の知れた印象派をみせるのが常套なのだろう。巡回展というと、福岡、京都、東京。。。というのが多いようにも感じる、ビジネスとして成立性を読みやすいのだろうか。いずれにしろどこかに安易さを感じてしまう。
マルモッタン・モネ美術館所蔵の作品は多くが死後手元に置いていたのが見いだされたものという。売れなかったというか売る気で描いていなかった絵ということになるのだろうか。

みていくと、モネの絵としてはちょうど2年前福岡に回って来た富士美術館30周年記念の印象派展のほうがそれらしい絵が多かったようにも思う。売るつもりではなかった絵が必ずしも貴重ないい絵とは限らないとも思える。

とはいえ、せっかくだからと描き方や筆の進め方を気にして見ていく。
睡蓮の絵は沢山描いているだけに手慣れている、縦の光線の線描きと睡蓮の横の線とを直角に交差させるところがポイントのようだ。モネは光を点ではなく線に分解しているようにも見えてくる。やはり光の描き方にこだわっている。
パレットが展示されていたが自分のと似ていて随分と絵の具に埋め尽くされている、あまり色を混ぜないで細い筆を多く揃えて色々使い分けて描いていたのだろうかとも思う。
晩年の白内障が悪化してきてからの絵は、描きかたがより本質的になってきたようだ。いい絵になるかどうかは別にして対象そのものというより跳びはねる光の散乱をしきりに描いているように感じる。気持ちに正直な絵なのだろう。

見終わってもふーんという感じであまり感動がない。画家として生きていくことの難しさばかりを感じてしまう。

美術展の図録を買いそびれたが帰ると矢っ張り欲しくなる。記憶はすぐに薄れて後までに残るのは結局は図録しかない。調べるとネットで送料無料で売っている、この方が気楽でいい、こんな時代になったのだ。

時々今まで見た美術展を振り返る、歳とともに内に響くものが減ってきているようにも思う、感じれる時にとにかく感じていくしかないのだろう、残された時間というものを見てしまうのも情けないが。

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2016年1月14日 (木)

アフガニスタンの黄金を九州国立博物館で見る

アフガニスタンの貴重な歴史的遺物が戦火を逃れて各国を回っている、それが福岡に来たというので見に行った。
Afgan1 九州国立博物館で1月1日から2月14日まで開かれたあと東京国立博物館で4月12日から6月19日まで開かれる。
2006年のフランスのギメ博物館に始まって米国ナショナルギャラリーやニューヨークメトロポリタン博物館、カナダ歴史博物館、ドイツ・ボン博物館、大英博物館、ノルウエーNTNU大博物館、メルボルン博物館、等数多くの世界を代表するような博物館を含めて各国を回り日本にやってきた。やっと来た、と言うべきかもしれない。福岡にいながら世界的行事に参加するという意味でも見たほうがいい展示だ。このあたりの地球的位置づけを主催者は十分には広報で説明しておらず歯がゆい思いがする。


展示物は予想以上だった。
紀元前2000年の金のゴブレットにまず驚かされる。金だからさAfgan2 びていないのは当然とはいえ美しい細工が目を引く。最近作ったと言われてもそうかと思ってしまうだろう。日本は縄文時代でそれなりの文化はあったとはいえとてもここまでのものはない。インダスーメソポタミヤーエジプト をつなぐライン上にあったこの地の文化の高さがすなわち人類の文明の最前線だったのだろう。
1978年に未盗掘状態で発見された墳墓から多くの金製副葬品が出土し、この場に展示されている、いずれも紀元前1-2世紀の時代とある。
その量の多さ、技術の高さ、豪華さに圧倒される。

アフガニAfgan3 スタンの貴金属や希少鉱物の埋蔵量は相当なものと言われており(1兆ドル相当との米国防総省の見積もりもある)、これが古代から繁栄を支えてきたのかもしれない。
それにしてもギリシア文化の影響が濃い出土品の展示が多い。仏教美術遺品は平山郁夫主導の
アグガニスタン流出文化財の委員会が保全している遺物の展示が目立ったくらいだ。やはり西洋各国を巡回するという企画がそうさせたのだろうか。東西の文化が交じり合う状況そのものの全体像を見たくなる。
出口で「めざましテレビ」のインタビューを受けた。東京の展示はフジテレビが主催しているがいまから雰囲気を盛り上げようとしているようだ、平日ということもあるが人の入りは展示物の素晴らしさに比してそれほどでもない。気が気でないのかもしれない。


しかし、戦乱が休みないアフガニスタンでよくこのような財宝を維持し続けられたと、驚くばかりだ。この事そのものが、この地域のまた新しい歴史となると思えている。人類もまだまだ捨てたものではない。

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2015年10月26日 (月)

万田坑へのアートな投影が何か深くて

世界遺産「明治の産業革命遺産」の構成資産の一つである荒尾の万田坑でデジタルアーツの投影があるというので見に行った。
「デジタル掛け軸」と名付けられているが要するに芸術視点のプロジェクションマッピングとDk1 思っていた。作者の長谷川章氏本人の説明もあったりして美しも刺激的な催しだったのだが、呼称が少しばかり気になった。

戻ってネットで色々当たってみるとプロジェクションマッピングとデジタル掛け軸は別物との認識があるようで、デジタル掛け軸の説明にプロジェクションマッピングという言葉は一切使われていないようだ。しかしデジタル掛け軸といわれるといまだに何のことだろうと思ってしまう。あまりDk2 いいネーミングとは思えない。
既存の建造物の上にプロジェクターで大規模な画像を投影する手法そのものをプロジェクションマッピングと呼んで何が悪いのかよく解らない。何か決まりでもあるかのように分類することにはどうしても抵抗感がある。
最近ネーミングで気になる表現にドローンという言い方がある。遠隔操作無人機の総称として昔からドローンという表現は使われてきたが何故か最近になってドローンという呼称が4ローターの回転翼式の小型無人航空機に特Dk3 定されてきているように思える。
昔から無人機と付き合ってきた感覚ではどうにも気持ちが悪い。この呼び方は(理解が十分とも言えない)マスコミにより人為的便宜的に流されたもののようで、それもあって気持ち悪さが倍増しているようだ。無人機の分野ではローカルなマルチコプターといった名称のほうがまだすんなり入ってくるような気がする。
プロジェクションマッピングとデジタル掛け軸の関係とは少し違うような気もするが、事物の呼称の仕方を微妙に変えていくところを感じて何か似ている関係と思ってしまDk4 う。事物の呼称という殻と本質とのずれというかその感覚が、このデジタル掛け軸そのものにもつながっているような気もしている。

呼び方はどうあれ、万田坑のアートなプロジェクションマッピングは思った以上にインパクトが深かった。決められた順番に投影されるのではなく膨大なイメージがランダムに入れ替わっていくその感じがいい。プラトンの洞窟の比喩とイデア、そんなことも思ってしまう。ここでのイデアはコンピュータの中にあるということになる、アートはそのような方向にも向かっていくのだろうか。 ----美そのものがコンピュータで生み出される未来。
今は夜しかできないが昼間もできる工夫が出てくればものの見方、都市の見方が少し変わってくるかもしれない、そういう未来をも感じてしまう。 見え方と実態の果てしない乖離。

寒さを感じるようになったこともあり1時間ほど見て引き上げた。余韻が残っていて福岡の都市高速を走っているとすぐ頭上を飛び去る夜空に投影されたような旅客機の巨大な光も、いまだ続きを見せられているような気にすらなる。

これは何としても長生きしてこの世界がどうなっていくのかしっかり見なければならない、そんなことを考えていた。

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2015年8月22日 (土)

土門拳の古寺巡礼をまじまじと見る

土門拳の没後25年を記念して古寺巡礼の写真展が筑後市の九州芸文館に巡回してきたのでこれは見ておかねばと出かけた。このところ古寺を巡る事が何とはなしに増えてDomonkn いて仏像の写真の撮り方が少しは気になっていた。
とはいっても大抵の寺院では仏像の写真は撮影禁止で撮れない。宗教的な理由があるのだろうが何となくもったいない。偶像崇拝だからこそなのだろう、時代を超えた人類の遺産とは見れないのか、宗教らしい凝り固まった視野がにじみ出ている気がする。

土門拳の仏像写真は他とは確かに違う。絞りに絞った上でフラッシュをいくつも焚いて影の線を消しているらしい、ライティングにはことのほか細かく全て自分でセットしたという。
土門はポートレート写真に惹かれていて著名な人物の肖像を多く撮っているがその人の底まであばく撮り方は執拗で、梅原龍三郎などは撮影が終わると怒って座っていた籐椅子を投げつけたと言われる。そんな撮り方の延長上に仏像写真があるように思える。
仏像の写真一つ一つに言いようの無い迫力がある。
仏像の視線とカメラを通じて見つめる視線がぶつかって火花を散らすその瞬間にシャッターを切る、そんな風に土門は表現している。解ったような解らないような話だが被写体に対する強い思い入れが沸かなければ撮らない、撮れないということだろうか。写そうとする仏像がそもそも何たるかを十分知っておく、それは撮影以前に当然のことだというようなことも述べている。宗教そのものに疑問を抱いている身ではまともな写真を撮れっこないといわれているような気がしてくる。
見ていくと戦時中に撮った仏像の細密な写真も素晴らしく、機材の進歩は写真を撮るという根本のところには殆ど影響を与えていないと感じる。時代は本当に前に進んでいるのだろうか、そんなことも考えさせられる。

やはり見るべき写真展だった。芸文館のカフェでスパゲティを食べながらそう思っていた。暑い夏の雨模様の日はこんな所が似つかわしい。

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