2024年12月16日 (月)

英彦山大権現で今年の紅葉を楽しむ

年毎に紅葉から遠ざかってきているのを感じる。年齢のせいというのが頭にある、振り払うようにしているがどうしようもないところも感じる。今年の紅葉は天気が悪い日が多くて紅葉見物をずるずる遅らせていたが、11月25日になって毎朝6時頃からみている気象庁のGSM気象予測計算結果が今日が好天の最後の日と示していてここしかないと急遽英彦山の紅葉を見に行くことにして出かけた。追いつめられるような感覚にならないと動けなくなってしまったように感じるがまだ動けるだけいいかと思ってしまう。
英彦山は1200m弱の山だがこれでも福岡県第3位の高峰だ、この時期になると紅葉は下の方まで下りてきているはずと麓の英彦山大権現のあたりの紅葉を目指した。
Hikosanmomijib 大権現でもわずかに低い不動明王あたりが丁度見ごろで、第3駐車場から彦山川に下って秋の日に映える紅葉を楽しむ。木は殆どがイロハカエデで、造られた景観ではあるようだ。
少し高い御社の方はもう枯れかけた紅葉や葉を落とした木等が目に付き紅葉も終わりの雰囲気だ。そうではあるが移ろっていく秋がそのまま見えるHikosanmomijia ようでもありこれもまた趣がある。


Hikosanmomijic やはり秋は紅葉に限る。

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2024年8月11日 (日)

邪馬台国がリアルに感じられて

野方遺跡というのを最近見に行って、また邪馬台国が気になり始めた。またというのはこれまでにも何度もということだが、今回はそのリアリティゆえだ。
野方遺跡というのは福岡市西区にある弥生後期・古墳時代の住居跡遺跡だ。
これまで邪馬台国というと胡散臭い架空の世界との感じがどこか漂っていた。これが邪馬台国の遺跡ですというものにお目にかかったことはなかった。ところがここへ来ると、これNogataiseki は紛れもなく邪馬台国の遺跡といっていいと感じる。というのは例の魏志倭人伝だ。正確には西晋の時代に陳寿により編纂された古代中国の正史「三国志」巻30の東夷伝の中の倭人伝を指し日本を記述した最初の歴史書とされる。後の南朝宋の時代にまとめられた後漢書も魏志倭人伝の記述の多くをたどっているようだ。魏志倭人伝では女王のいる邪馬台国への道筋を書いているが対馬・壱岐・松浦・伊都・奴 と距離方角を示しながら来るがその先は南に邪馬台国水行10日陸行1月と書かれているばかりで、はっきり書かれていない、のちの邪馬台国論争のもとがここにあるのだが、逆に言えば奴までは女王国に属すると明記されているのでここまでの国が邪馬台国の一部であることは確かということになる。この野方遺跡の集落は伊都国の東の入り口に位置し伊都国の一部と考えられている、出土品から1800年から1700年前の時代の住居跡とされており丁度卑弥呼時代の遺跡ということになる。どうみてもリアルに邪馬台国遺跡の一部だ、議論の余地はない。
この機にと魏志倭人伝や後漢書を読んでみるとなんとなく感じがつかめてくる。魏志倭人伝/後漢書では中国側の役所のある楽浪郡から女王のいる邪馬台国までは1万2千里、楽浪郡から朝鮮半島の端の狗邪韓国 までは7000里、魏志倭人伝では松浦までの3回の渡海で3000里、松浦から奴までは600里とあり単純計算では残りは1400里ということになる。対馬と松浦の間の距離より大分近い距離だ、邪馬台国が近畿にあるというのは相当無理な解釈のように思えてしまう。水行10日陸行1月という記述は楽浪郡からの日数を書いたものという説があってまさかと思っていたがこれが本当らしく思えてくる。とにかく当時中国と行き来していたのは九州の邪馬台国で東の倭種の国ではなかったと解釈するのが素直な読み方のように思えて仕方がない。

九州へ来ると古代史が身近にある、どうしようもないことなのだろう、それに浸っている感触が面白い。

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2024年7月 1日 (月)

今年も1年ぶりの東京へ行ってみる

梅雨末期の豪雨のような雨の日 1年ぶりに1泊2日で東京を訪れた、6月28日のことだ。卒業50数年後の同期会が2つあってそれに出るためだが、そのほかにも福岡からでかけるのもあって、せっかくだから見ておきたい、というのが幾つかあった、都知事選の様子とデ・キリコ展、それに勿論東京の変わSinjyuku っていく様も知りたい。
羽田に到着後一つ目の同期会の会場目指して京急経由山手線新宿駅に向かった。渋谷の変貌も気になったが電車から眺める限りではパッと見た目工事中という雰囲気は感じられず変貌も一段落のような感じが感じられる。新宿に着いて地下通路を西口のほうに来ると工事中の白い板張りばかりが目立ち地下通路も迷路化している印象がある。地上出口を探して地上に出るがひどい雨で出口からほのかに眺めるほかない、西口広場全体が工事中で姿を変えようとしているしスバルビルが消えて見慣れないビルの姿が見えたりで昔の西口の印象から随分変わってきている気がする。そうか新宿も変貌中なのか、とまた地下に戻って小田急で会場へ向かう。建物のような入れ物は変わり続けるようだが、大勢の人が東へ西へ南へと縦横 に動き回るさまは何だか変わりない。
Senkyo 都知事選の方は翌日上野あたりでポスター掲示板を探したが見つからずやっと東大正門前まできてお目にかかった。第一印象はひどい選挙だ、というものだ、真面目に都知事を目指しているのは3-4人位しかいないのではないか、掲示板の必要がどこにあるのだろうか。民主主義の制度・やり方をすべからく見直すべきフェーズに入ったとこの掲示板が示してくれるように感じてしまう、そうなのだろう。掲示板以外に選挙の雰囲気はどこにもない、これは現職有利かな、とりあえずそんな風に感じる、期待したほどの見ものではなかった。
宿は銀座から築地エリアに寄ったところにあるロボットホテルを予約していた。気楽で朝食が付いたりするのがいいのだが、それがいいのか中国人の客が多い、だからといってどうということもない、同じようなものだ。円が安めに安定してもっとたくさんの中国人がこんな風に訪れてくれば国民間の変な誤解が薄らぎ安全な世界に近づけるのではないか、そんな期待が頭をかすめた。
東京都美術館のデ・キリコ展は事前に予約で切符を買っておいたのもあってスムーズに入れたが、量が多くてちょっと疲れた。いわゆる形而上的(Metaphysical)絵画が中心となる、事前に思っていたほどには現物に接すると違和感がない。面Chirico 白いというより人間の本質にはこんなところがあるということを感じたそれをそのまま素直に絵にしただけかな、と思ってしまう。個人的には最初の自画像、Metaphysical Muses あたりが気に入っているが、とにかくこれくらいまとめて見ると堪能したと言いたくなる。
同期会の方はいずれもそろそろ年限に近づいている感がにじんでいて、もうほとんど参加することに意味がある状態に達しているように思える、いつまでもはもう出れない。
 
今年も感じることが多々あった東京行だった、眺め続けることは、面白いことだとつくずく感じる、それがいい、また来年も。

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2024年6月27日 (木)

ホタルは非日常に満ちていて

ホタルを見に、毎年のように行っていた那珂川の中ノ島公園を6月19日に訪れた。関東で那珂川というと栃木北部から茨城を抜けて太平洋にそそぐちょっと大きな川のことだがここ福岡では背振り山を発して博多湾にそそぐ川のことを言う。古代の 儺県(なのあがた)(魏志倭人伝に登場する奴国につながっているとされる地域)を流れる川 の意の、儺が川 が語源のようだ。呼び名からも長い歴史を感じてしまう。中流域にある川の緩やかな蛇行を利用した公園が今回の帆とる見物の中ノ島公園だ。夏至のころだから午後8時くらいになってやっと暗くなる。夕食を終えて一息入れてこれるので来やすい。駐車場もわずかに離れたヘッドライトが気にならないあたりに準備されている、那珂川市の市域で福岡市のようにクルマに冷たい行政ではないように感じられるところもいい。
去年はコロナの余波がまだ感じられて訪問に抵抗感があったが今年はそんなことはない。
いつも見る橋を渡った北側の奥で見る、それほど混んではいない。ホタルはいつものようにしっかり飛んでいて見飽きない。
飛んでるところを撮影しようと一眼レフと三脚を持ってきたのだが、シャッター開放のセッティングが暗闇で思うようにできず、ISOを上げて普通に暗めに写す羽目になった、準備はしてきたはずなのにいざとなるとうまくいかない、こんなことが少しずつ増えてきた気がする、年を取っていくということはこういうこHotaru0619ba1 となのだろうと思っている。撮れた写真を後で見てみると眼で見た感じと割と近い。飛行軌跡を後びかせる写真が一般的だが見てる時は動きはあるがそんな後引きは見えない。こんな写真もまた味がある。
2-30分くらい眺めて引き上げる。駐車場は無料だが一応駐車券が発行されて帰りにこれでゲートを開けて出るようになっている。出ようとするとポケットにしまい込んでいた駐車券がよれてしまって機械が認識しない、困った、いったん後ろの車に下がってもらって列を離れて駐車券を手でしごく、これしかやれることがない。やれるだけやって機械に入れると今度は何とか認識してゲートが開いた、何とかなったがこれは怖い。
 
やはりホタルは非日常に満ちている、そこがいいような気がしてきている。来年は何が起こるだろうか。

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2024年6月24日 (月)

香春の採銅所に古代の先端技術を感じて

筑豊にあるKawaradka 香春岳は全山石灰岩の山で戦前からセメントの原料として削られてきた。そびえていた主峰一の岳は映画「青春の門」に撮られたころまでは未だ一応山の形があったがもはや見る影もない。香春は先祖代々の地でもありこの山については調べなくてはと常々思っていたが思うに任せず、手始めに引っかかっていた香春岳の採銅所を少し調べてみた、奈良の大仏の銅はここからきているという言い伝えをどこかで聞いていた。郷土史誌「かわら」の採銅所特集号など読んでみたが、奈良の大仏の銅に香春の銅が使われたことは当時の状況からそうとしか考えられないがきっぱりした書き物があるというわけでもないようだ。しかし東大寺の記録である「東大寺要録」には大仏の銅には西海の銅を使ったとあり、当時の西海は九州のことを指すと考えるのが順当と思われる(当時の行政区分である西海道は筑前豊前他九州島内の九国及び壱岐対馬のことであった)。香春は豊前国に属しており、当時有力な銅山であった香春の銅が使われたと解するのが普通の読み方なのだと思われる。いずれにせよ大仏には500トンもの銅が使われており、当時の国内の有力な銅山はすべからく銅を大仏に提供したと考えるべきで、香春の銅と同じ香春岳/平尾台/秋吉台とつながる石灰岩層に熱水が貫入してできたスカルン鉱床である長登銅山を含めた多くの銅山からの銅が使われたと思うのが順当なのだろう。
平家によって大仏殿は破壊され大仏も一部を残して溶けてしまったようだがそれを2度までも復元した先人の熱意には驚くべきものがある。それにしても8世紀によくもこれだけのものを国内で製造しえたのだと思う。55年位前に大学で工学を学んだ時にこれを取り上げて講義で語っていた教授がいたのを薄っすらと思い出す、当時の最先端技術の結集だったようだ。
まだまだ調べてみなくてはな、そんなことを思っている。

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2024年4月26日 (金)

今年の花見は佐賀の小城公園に行ってみた

`今年の桜は予想をはるかに超えた遅咲きで、桜開花予測に用いられる温度変換日数法ではもはや対処できないほどに異様な開花の遅れだった。冬の低温の蓄積が不足していたために休眠打破が遅れたとするとほぼ半月休眠打破が遅れたとしないと計算に合わないことになるようだがそれほどの暖冬だったといえるのだろうか。計算法自体の修正が必要のように感じてしまう。なぜこんなことが起こっているのだろうか、不気味といえば不気味だ。とにかくOhikouen1 花見だ。
今年の花見はまともには佐賀の小城公園に行っただけといってもいい。小城羊羹の小城にある公園だ。江戸時代から有名な桜の名所という説明がテレビから流れてきてそれではと出かけた。駐車場から1周してみて回る。綺麗だが、庭園の桜で、自然の持つ凄みのようなものは感じられない。なんとなく、もう花見には感動を感じなくなってきているようだ。花見とはそれくらいのものだというのが正しいのかもしれない。

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2024年3月21日 (木)

今年の芥川賞、九段理江の「東京都同情塔」を読んでみた

1月17日に第170回芥川賞は九段理江さんの「東京都同情塔」が授賞作に決まりましたと発表があり、その日のうちに掲載誌の「新潮」/2023年12月号を図書館に予約した。すでに数人の予約が入っている、2か月近く待ってやっと順番が回ってきて3月16日に借り出して読み始めた。「新潮」で66ページほどの作品なのですぐにも読めるだろうと読み始めたがなかなか進めない、会話の部分が少なくびっしり字でページが埋まっているせいもあるようだ。ザハ案の新国立競技場がZaha0 キャンセルされずに姿を現している2026-2030年の東京が舞台のパラレルワールド物といってもいい。設定が面白い。ザハさんが2016年3月に亡くなったその8か月前の2015年7月に安倍首相によりザハ案はキャンセルとなっている、今から見てもザハ案(添付図)は未来的で魅力的だ、確かにこれが予定通り作られた世界というものを想像したくなる。東京都同情塔とはザハ案の新国立競技場と対をなすようにオリンピック後に新宿御苑に建てられた未来的ないわゆる刑務所のことだ。ザハ・ハディッド・アーキテクツと対をなすようなサラ・マキナ・アーキテクツを率いる建築家牧名沙羅によって設計される、それにまつわる物語の形だが勿論人物伝では全くない、新しい時空間を描き出しToukyotodojyo ている、確かにこれは未来に向かった小説のようだ、新しい、芥川賞にふさわしい。
いい本を久しぶりに読んだ、そんな気持ちを抱かせる小説だった、勿論きわめて個人的な感想だが。

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2024年3月14日 (木)

「大シルクロード展」を見る

3月中に見ておかねばと思っていた2つ目の展示Posuta は、「大シルクロード展」というシルクロードの文物、資料の展示だ、現在中洲の福岡アジア美術館で開かれている。主催は中国文物交流中心( 中国の国家文物管理局直轄の機関)他各地美術館、各新聞社などで外務省も後援しており本格的なシルクロードの展示ということができるようだ。東京、福岡、宮城、愛媛、岡山、京都 と来年2025年2月まで国内各地を巡回していくという。
例によって放送大学の学割で入場する、放送大学の学費はこんなことで大方取り戻せるような気がしている。出展品リストの配布もないがとにかく見ては写真に撮るFelt1 を繰り返しながら見ていく。平日のためか年配者が多い。初めの方にウイグルから出土した紀元前8-前3世紀のフェルトの背の高い帽子があってちょっと驚く、あまりに保存がいい、砂漠地帯のためだろうか。最初の方に古いものが多く置いてあるようでもあるが展示順の筋がよく理解できないままに進んでいく。パッと見た目 正倉院御物のようなものが目に付く。江西省博物館から出品の和同開珎まであったりする、日本との交流の明確な証拠だ。6世紀ころの経文がいくつか展示されているが、漢字が今と同じというところに妙に感じたりして、アジアのベースになり続けた中国文化の深さに改めて感じWadokaiho 入る。展示物は興味深いものが多々あるが、これがシルクロードに点在して遺跡として現代まで残されているということそのものにインパクトを感じる。
出口手前で動画放映があり、その中に出てくる敦煌 月牙泉の映像に驚く。広い砂漠の中にここだけがげ現実離れした不思議な風景を作っている。シルクロード見てみたくなる、行けるものなら行ってみたくなるKyoumon
もう無理かな、でも、と、そんなことを想いながら会場を後にした。

添付写真は順に ポスター、フェルト帽子、和同開珎、経文断片、敦煌 月牙泉の映像Tonkou1

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2024年1月25日 (木)

寒くて忙しい一月が過ぎていく

能登地震や羽田炎上と驚きの天変地異で始まった1月だが、個人的にも結構忙しい日々だ。こんな時には息抜きのコンサートが有難い。23日にはアクロスのランチタイムコンサートを聴きに出かけた。寒い日だ。クルマで行くしかないと出かけたが走り出すとそう思っている人が多いようで道が結構混んでいる。雪が舞う程度で積もりはしないのだが何やら早く済ませたいと思っている人が多いようなクルマの走りで雪だからと慎重にゆっくり走るとクラクションを鳴らされる、そうDyuoacros0123 いう街だ、福岡は。いつも止める公園下の駐車場は公園での催しの準備があるのか午前中なのに満車の列が長く、アクロス地下の駐車場に入れる。こんなことにも動いている世の中のリズムを感じる。
地下のうどん屋で昼食を早めに済ませて会場に入る、ランチタイムコンサートにしては混んでいる感じだ。
ヴァイオリンとピアノのデュオでサンサーンスの曲が奏でられる。ヴァイオリン奏者永原幸太は知らない名だったがこれはもちろん自分の不勉強で始まると力量はすぐに伝わってくる。繊細であり力強く緩急自在でもある、ピアノの田村響との一体となった演奏はずっと何時までも聴きたくなる。心地よさについ微睡んでしまう。起きているのか寝ているのかその境界で聴き続けるという状態の心地よさを久しぶりに経験した。サンサーンスというのも良かったのかもしれない。
Oobanokayosi0123aa1 終わって隣の那珂川に遊ぶオオバンの群れやオカヨシガモを眺めたりして帰る。寒いがいい日だ。この冬一番の寒い日でもこんな過ごし方ができるこの街が好きだ。

コンサート概要:
アクロス・ランチタイムコンサートvol.103 長原幸太 & 田村響 デュオ・リサイタル (2024.1.23)
ヴァイオリン/長原幸太 ピアノ/田村 響
演奏曲目 サン=サーンス:
序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調
ハバネラ ホ長調
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第1番 ニ短調
アンコール: マスネ:タイスの瞑想曲

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2023年11月30日 (木)

山鹿の康平寺、多数の鎌倉仏にちょっと驚く

8月に山鹿の灯篭踊りを見に行った後情報を整理していて山鹿には康平寺という寺があることを見つけた。名前も気になったが秋のイチョウの黄葉が見事という。フーンという感じで頭にあKoheiji1126b って、紅葉のシーズンになって思い出した。紅葉を見るには木が紅葉していることが一番だが日差しがしっかりあることも重要だ、きらきらする秋の光の中で見る黄葉とどんよりした曇り空の下の黄葉は大違いだ。ネットで黄葉の状況を調べるが今どうなっているかの最も確実な情報はインスタにアップされている最新の写真を見ることだと分かってくる。見ると一応はイチョウの黄葉はいけそうだ、ただこの寺のイチョウ黄葉は葉が落ちて黄色いじゅうたん 状態になったところが特に見事のようではある、そこまでは到達しないかもしれないが天気の見通しもあり11月26日の日曜に出かけた、月曜からしばらくは天気の見通しが良くない、日曜で道が混んでいることも覚悟だ。高速は予想通り混んでいたが渋滞でノロノロというほどでもない、ナビの予測時間よりやや遅れ位で菊水ICを出て下道を走る。鹿央町霜野の集落に入ると離合困難な細い道となり康平寺に至る。こんな道では少し車が増えると身動き取れなくなりそうだ。到着すると20台くらいの駐車場はほぼ満車だが1台分だけ空いてKoheijibutuzo1126a2 いてなんとか置くことができた。途中で休憩買い物して2時間弱程度/91kmということになる。持参したコンビニサンドを車中で食べて散策始める、予想通り食べるところはあたりにはどこもない。黄葉は真っ盛りKoheijisenjyu1126a3 ではらはら落ち始めている、地面を薄っすら覆い始めているが黄色のじゅうたん状態には程遠い。予想された状態ではあるが十分綺麗だ。寺の収蔵庫が拝観できて地蔵菩薩、千手観音、二十八部衆、計30体余り大半が鎌倉時代の仏像を寺の人の解説付きで見ることができた。彩色が一部残っていたりもあって興味深い。こじんまりした寺の割には仏像の数が多いのにも驚かされる。康平寺の名前は康平元年(1058年)に元々の寺が建てられたことに由来するようだ。寺の左にあるKoheiji1126c 山道を少し登ると見下ろすような視点から黄葉に包まれた寺を見ることができる、撮影スポットのようだ、ちょっといい。
山鹿は豊前街道沿いで昔から人の行き来が多い場所となっていたこともあって特徴ある文化が残されているのだろうと思えてくる。またこようか、そんなことを思っている。

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