2022年5月26日 (木)

短歌や俳句を時々書いている

短歌や俳句を時々書いている、和歌はNHK和歌に、俳句はNHK俳句および現代俳句協会、に投稿するのが目的のように書いている。NHKのはお題があってそれに合わせて作っているが現代俳句の方は特にはなく自由だ。並べてみるとお題に合わせたのはそれに引きずられて脈絡がない、何だろうと思ってしまう。マンネリにはならなくていいが、自分としてはやり方を考え直した方がいいような気がしてくる。
俳句の方は野鳥を詠みたいと思っていたが野鳥の季語にそうかなあというところがあって山谷春潮の野鳥歳時記をみたりもしたものの、矢張り納得できないところもあり結局思うが儘に詠むしかないという気が今はしている。リアルな野生を読み込むのは芸事の様な俳句にはなじまないのかもしれない。

最近3か月くらいの作品は短歌(NHK投稿)が

暖かき雨見つめ合うスズメ2羽電線揺れて恋の始まり

空がくさ宇宙たい でどげんしたと 何もなかたい見とるだけでよか

戻りたい「いいね」のなかった生活に春風がただただ気持ちいい

名物くさなんだちゃ食ぶるもんなんや うまかものなしちゃなかろうもん

ああ乾いた空気飛び去っていく木々かって住み生きし時沁みるこの地

正月は胃もたれ残して過ぎにけり行きつく果ては閻魔の餌食さ

池を廻っていつものアオサギに会う 僕らは今やいいチームかもね

天井の木目の襞を眺めおりここらが永久の寝室ならん

どこから来どこへ行くのか人駅を大河のように流れ続ける

俳句の方はNHK投稿が

万緑に赤を加えて阿蘇の山
うす味がいいとは限らぬ夏料理

薄闇に紛れるように蛍浮く
静けさや雨を匂わせ南風(みなみ)吹く 

かみなりの怖さ一番夏ヨット
雷の田んぼをこがし去りにけり

春風にまあるい雲がのったりと
恋スズメぴちゃぴちゃびちゃと騒騒し

もう日の出朝から忙しシジュウカラ
羅(うすもの)を貫き通す温暖化

さりげなく小物ファッション夕涼み
この団子どこの摘草だったっけ

卒業して友達何人できたかな
嬰児や回して回ってかざぐるま

風柔くのびのびしたり涅槃像

現代俳句のほうは
ハチクマのもう現るる立夏かな
自然なら桜の後ぞシクラメン

しなやかに松にもたれる花海棠

ピューヒラリ懐かしき舞初ツバメ
歳重ねいつまで会える初ツバメ

その他
青葉木菟ホッホ響かせ闇に舞う
カワラヒワ キュルルキュルルと初夏の風

 

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2022年5月13日 (金)

クイーンビートルでサンセットクルーズ

コロナはちょっと落ち着いてきた感があって、博多どんたくも今年は再開された、3年振りだ。しかし、やっぱり人ごみになりそうでどんたくを見るのは止めにすることにした。そのかわりにと図ったわけでもないが、JR九州のクイーンビートルを用いた博多湾サンセットクルーズに乗ってみた。そもそもは、このクルーズに300人が当たる無料招待募集が市政だよりにあったのでそれに応募してみていたが、外れました、しかし外れでも半額で乗れるというはがきが帰ってきて、これに乗ってみることにQb0504a したという次第だ。クイーンビートルという船はJR九州が釜山との連絡船として2020年に導入した新鋭の高速船だったがコロナで当座の活躍の場を失ってこんな使い方で凌いでいるということのようだ。知床事故の遊覧船とは比べ物にならない立派な船だ。港まではバスが楽なので家の近くから博多港国際ターミナルに向かう直行のバスに乗って出かけた。福岡市中心街を通っていくがどんたくで矢張り人出が多いのが車窓から見える。
16時15分乗船開始17時出航でバスを降りて手続きをしすぐ乗船する。サQb0504c ンセットディナークルーズと称していたように記憶していて食事が出るものと思っていたら、カウンターで無料ビールが一杯あるだけで食べ物はおつまみの様な軽食を買うようになっているだけだった。しょうがない。とにかく混んでないので適当に座る。揚げ物やサンドイッチでそれなりに腹ごしらえしながら窓から海の景色を見るが甲板へ出れないような雰囲気だ。試しに近くにいた船の人に聞いてみると後部甲板には出られる、という。聞いてみるものだ。教えられた後部のスロープを上がり階段で1階分上がるとそれらしいところに出る。椅子が並んだ小ぶりの船室の先が甲板に出る出入り口になっている。風が強いところでは後部甲板だけだが緩くなると横の甲板にも出れる。晴れていて基本的に風は弱く、気持ちがよくてここばかりにいることにする。船は博多湾を出て糸島沖をOomzngdr0504a通って芥屋の大門で折り返す。玄海島、机島のあたりにはカンムリウミスズメが生息しているはずで見れるかもしれないとほのかに期待して目を凝らしKeyaooto0504a ていたがそんなものはどこにも見えない。難しい。糸島の二見ヶ浦を海側から眺めたりしていると海鳥が群れている、少し遠いがどうやらオオミズナギドリのようだ。なんとなくオオミズナギドリは東の方の鳥のように思っていたが、飛翔力もありここらにいても何の不思議もない。出航後1時間くらいで芥屋の大門海域にくる、以前遊覧船で見たように記憶していたが、この少し沖のルートで見ると印象が違う、奇妙な岩礁のように思えてしまう。それ程の感動もなくてUターンして同じコースを戻っていく。またオオミズナギドリの群れを見たり島々の様を見たりしていると時はするすると過ぎて行く。日没はこの日は19時3分でほぼ着岸時だが、戻るにつれ沈みつつある夕日が博多湾の先に見えてなかなか綺麗だ。家族連れだったり女性二人組だったり、壮年や熟年夫婦だったりYuuhi0504a 色々な人が密にもならずぼんやり眺めている光景がいい。
予定通り19時頃着岸してまたバスで戻るがせっかくだからと福岡市ではここだけに走っている2連バスに乗って天神まで行く。ちょっと食べ足りない分を地下街のラーメンで補ってまたバスでのんびり家路に向かう。


こんな過ごし方がこの年になると5月の連休としては一番いいような気がしている。いつまでこんなふうな時間が使えるだろうか、先のことは考えずに今の瞬間を楽しむほかないのだろう,そうまた思ってしまう。

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2021年11月30日 (火)

今年作った短歌を振り返る

久しぶりの雨になって11月も終わろうとしている。もう20日もすれば冬至が来てまた日差しが次第に強まるサイクルへと戻って行く。過ぎて行くこの年を振り返り今年作った短歌を新しい順に幾つか並べてみる。見ていくとコロナがらみがどうしても多くなってしまった、そういう年だ。

 

コロナにて同窓会も消し飛びぬ こうして人はバラバラになる

重々しい 宇宙の力我を縛る 何時もなりたや タイムトラベラー

倒れゆく書店アマゾン恨めしや 時の流れとカネの流れと

高き声イソヒヨドリを追いかけて壁壁壁の団地を過ぎぬ

暮れゆける空気かきわけひとり行く声も出せない人波の中

たてがみを頭に張り付け飛ぶように走りしタローという犬ありき

コロナあり古きソファーに沈み込む薄暗き日々静かに過ぎいく

宇宙飛行士にならずとも目の前にあり伸び縮みする時間

ここまでやればもういつ死んでもいい そうは言っても痛いのは嫌

力なく見上げる空に彩雲がこのままでいい雲が友達

幾つまでクルマを走らせるだろうか脚をもがれる不安ぐるぐる

やりたくば金を払って仕事するそんな時代が遠くに見える

笑わるも挑め常温核融合 憧れし二十一世紀の夢

こんな人だったっけzoomの向こうの表情を眺める自粛の部屋

ファミレスからも足が遠のくどこへ 寂しい時代を生きる我ら

国道だから大丈夫とドライブ ここから階段これも国道

思い出す負ける勝負はするなよな そんな教えで世は渡れるか

まだまだとのんびりしてはいられない爆発のよう波間の日の出は 

インスタのつながり過ぎて疲れあり 地球の裏から今日もいいねが

うつららと春の日過ごす母の家 もう15年も経ってしまった

何となく山のトイレが気になって 山登りから足遠のけり

一声の不思議な歌を響かせてハクチョウは今日北へ戻れり

大島を色鮮やかに歩きけり記憶の中の職場旅行

コンサート一つおきにて静まりぬ咳払えずに唾を飲みこむ

ゴルフにて握るといえばチョコレート遥かな昔錆びれた記憶

心はかぜ オオダイサギの軽やかに天上へ 陽が昇る宇宙へ

歳重ね流れ流れて彷徨いけり教室を出て教室に入る

山ではからすもいのししも威張っている生き物は対等なのだ

マスクよし三密よくて手洗いよし コロナ奉行のメガネが光る

コロナとは比べたくないあの頃の 燦めく語らいさざめく雑踏

美食やめ買い物抑えあらま痩せ 悪くもないかコロナダイエット

 

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2021年3月24日 (水)

サクラの開花日予想がはずれ

自分でやっている桜の開花予想は今年は大外れとなってしまった(予想3/18 結果3/12 @福岡)。原因ははっきりしている。標準的な積算法の利用を疑って今年の開花日予想に去年の開花日の積算値を用いたからだ。

数年前のブログにも書いておいたが、桜開花予想にSakurakekka2021kekkaついては、気象庁の資料を参考に、温度変換日数法という方法を用いている。各日が標準とする気温(ここでは15℃)の日に換算してどのくらいの長さの日相当となるかを各日の平均気温から適当な換算式(=EXP(9500*(日平均気温+273.15-288.15)/((日平均気温+273.15)*288.15)))を用いて計算しこれを 決めた起算日(ここでは2月1日とした)から足していき、一定値に達した時(福岡では24.6以上)を開花日とする手法で自分なりに予測していた。積分的手法だ。
今年も以前通りの値(24.6)を用いて開花日としておけば3/11開花予想となり、ほぼ当たりだった。

一昨年の秋は気温が高くこの影響で去年の開花は標準的な予測よりも大分遅かった(予測3/14 結果3/21)、この前年秋の高温による開花遅れの予測も手法があるのだが(チルユニット補正)ちょっと厄介で、やってみても精度が少し上がるくらいの感じだったと記憶していて、このところやっていなかった。標準木の感度が変わってきているのではないかとひそかに疑っていて、昨年秋の気温が平年並みであった限りこれまで通りの積算値(24.6)で開花とすべきところを、3/21開花だった昨年の実績値(29.0)をそのまま用いていたのがよくなかった。

素直さが失われてきている。深慮が失われてきている。年を取っていくとはこういうことなのだろうか。

もっとも、こんなことをやっていると自分の経年変化が客観的に分かるようで、そのことそのものは貴重な気がしている。

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2020年12月30日 (水)

卓上カレンダーの季節

その年撮った写真をアレンジした年賀状を出し終わると、もう一つ作る作業が残る。卓上カレンダー作りだ。

今年一年の各月に撮った写真から一枚ずつ選び次の年のカレンダーを作る、景色中心と野鳥の2種類を毎年年末に作って友人や子供たちに送っている。選んだ写真をネット経由で送るとカレンダーに仕上げて指定のところに送ってくれるサイト(TOLOT)があってそれを利用しているからそれほど難しくはないし、費用も売っているカレンダーよりやや安い位で済む。以前知り合いからそのようなカレンダーが送られてきたことがあってこれはちょっといいと思った、それがきっかけだ。もう4-5年作っている、最初は自分用に作ってみたが、人にあげてもいいような気がして、使ってくれるという友人や家族に送っている。写真を選んで既定の形にするだけの単純な作業だが、写真の下部に鳥の名前や場所といった説明をを簡単につKarenda けたいのでひと工夫してこれを写真に書き込んでいる、それがちょっと厄介ではある。
今年は旅行らしい旅行をしなかったせいで近場の写真ばかりになった、でもそれなりで悪くもない、今年という年がにじみ出ている。


これを手配し終えるともう押し詰まっている。今年は第九も軒並み中止で紅白の後にテレビで見る位しかないようだ。どうにかおせちも買い集めたし明日は久しぶりに蕎麦でも打って今年を締めるか。


本当に来年はどんな年になるのだろう。機械的に時が流れていくのに何か救われるような感じさえする、とにかく前へ。

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2020年11月28日 (土)

P900に照準器を着ける

このところ写真を撮るのはNikonP900ばかりを使っている。コンデジながら鳥を撮るには欠かせない大望遠の能力を持っているからだが、(高価な)大口径レンズの望遠をつけた一眼レフカメラに比べてどうしても力不足のところを感じるのはどうしようもない。特に飛んでいる鳥を撮るのが難しいと感じている。望遠で動いているものを追い続けて撮るには、少しでも広い視野と素速いピント合わせ能力が必要になる。その両方に弱いところがある。ピント合わせ能力の方は置きピンにするといったやり方で対応できなくもない気もするか、飛んでいる鳥を追いかけるにはファインダーの視野が狭すぎる、解決には照準器をつけるしかないかとは思っていたがどうやればいいのかわからず手が出せないでいた。最近コロナもあって時間も沢山あるので落ち着いてネットで探していたら、エアガン用の照準器をいろいろ工夫してp900に取り付けている例がいくつか見つかった。年金生活ではあまり費用は出したくないと調べていくと3000円くらいでも手作りで取り付けられそうな事が分かりやってみることにした。
照準器は2400円位のものがあったので(Sutekusマルチドット照準器)これをアマゾンで発注すると翌日には届いた。取り付け用の穴あきバンド金具や蝶ネジセット、小木片、折り曲げに使う格安ラジオペンチ等を翌日にホームセンターで調達するが、訪れたホームセンターはたまたまソフトバンク優勝セールで全品10%引きとなって、その上支払いはマイナポイント紐付けのpaypayとしたので随分に出費が抑えられた形となっSyojyun11128c た。
準備した工具は、ラジオペンチ2本、電動ドリル、ドライバー、金ノコ、ノコギリ、小刀、ヤスリ 、シャコ万、で2本目のラジオペンチ以外は自宅にあったものだ。とにかく取り掛かる。
まずは照準器の台座となる木片の加工から始める。照準器の台座には通常レールが用いられるがそれに代わるものを木片で作る。木片の両側にV字の溝を掘る必要があり小さいだけにちょっと厄介だが木片をシャコ万で掴んで加工すると何とかやれた。木片にドリルで穴を開け小刀で皿をとって蝶ネジを取り付ける。この蝶ネジをレンズ筒の先に巻き付けた穴あき金具につけるのだが、ここで手違いあり、穴あきバンドの穴径が蝶ネジのボルト径よりわずかに小さいとわかり、止むなくドリルで穴を拡げる。金属穴加工だからちょっと厄介なことSyojyun11128b となったがここでも抑えにシャコ万が活躍し、時間が少々かかったが何とか乗り切った。兎に角組み立てられる状態となり取り付けてみる。何とか形になりそうだ。穴あきバンド金具の余分な長さを金ノコで切り落としヤスリで最低限丸めて出来上がりとなる。金属加工は何にせよ手がかかりちょっと疲れた。
3脚を使って遠くに狙いをつけ照準器のレチクルとカメラのファインダーの中心が合うように調整する。金具の剛性もあり完全一致とはなかなか行かないが大体は合わせられた。
試しに鳥を撮ってみる。レチクルだけを見てシャッターを下ろすとピントが合わない写真ばかりが撮れたりする。右目ファインダー、左目レチクルと両方を見る形で、左目で鳥を追いかけ、撮る瞬間は右目も開けてピントや構図を確かめつつシャッターを押す、これでいくしかないようだ。でもまだなかなか慣れない。カワセミの飛び込みはとても追いきれない。
しかし飛んでいるものを追っかけてみようという気になるのは確かだ、とにかく追える。
半日のやっつけ仕事にしてはしばらく遊べそうだ。
(下添付は鳥写真の試し撮り、飛び込んだカワセミが水から上がるところーーピントがとても間に合わない、ヒヨドリの飛翔ーー何とか撮れる)Kawasemi1127b Hiyodr1127a

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2020年11月 1日 (日)

コロナとアクロスのコンサートやサッカーの観戦や

コロナも日々の感染者が福岡県で10名内外と随分と落ち着いてきて、コンサートやスポーツ観戦などの催し物も徐々に動き出してきた。

アクロス福岡でのコンサートはやっと再開の状態になったが、海外からの演奏者の来日が未だに思うようにならず、演奏者や演目の差し替えあるいは中止といった状態が続いている。10月は福岡では例年古楽器による演奏会がいくつか開かれていたが今年は欧州からの演奏者の参加が不可能になり、国内演奏者だけとなった開かれるだけでも十分という感じがする。

ランチタイムコンサートとして開かれた10月16日の古楽器演奏会に久しぶりに行ってみた。観客は結構多いが座席はコロナ対策で一つ置きになっていてゆったりしている。ドリンクコーナーでの飲み物の提供販売はなく水分補給は各自持参したペットボトルを飲むほかない。クロークも停止、切符は各自もぎるとコロナ対策が色々ある。

プログラムはバッハのヴァイオリン協奏曲 第1番、第2番、および 管弦楽組曲 第1番だ。

聞いていた時は古楽器特有の響きがいい心地だったのだが少し経つとすっかり忘れてしまう。言葉と同じように楽器の響きも演じられたその音はたちまち大気の中に消えていき後には何も残らない、瞬間のアートだ。それでも管弦楽組曲 第1番の方はバロックオーボエの金属的な音色が印象に残っている。バロック期ではナチュラル・トランペット以外の管楽器は大抵木管でバロック時代の演奏は古楽器を用いて初めて当時の音色が再現できるという。定期的に古楽器の演奏会が開かれるのは貴重な感じがする。

つい昨日(10月30日)は九響(指揮:小林研一郎)と福岡出身のピアニスト藤井佑子によるピアノ協奏曲のコンサートがありリストの1番やベ-トーヴェンの5番「皇帝」などが演奏された。何時ものように九響はいい演奏だったしピアノはどこかのキーが少し調律がずれたような響きがあったものの座った場所が良くて激しい手の動きが良く見えこんな風に弾いてるんだと感心して見ることができて、なかなかの演奏会だった。

コロナもやや収まってきたのを反映してか席は一つ置きという縛りはなくなっていた。
また月に一回くらいのペースで演奏会が聴けるようになってくれそうでちょっと安心する。

スポーツ観戦の方は10月25日にアビスパ福岡対ジェフ千葉戦を福岡のスタディアムに観に行った。アビスパはこのところ好調が持続しJ2の首位を走っている。友の会のタダ券がまだ未使用だったというのが観戦の動機でもあるが、どんな観戦スタイルになったのかにも興味があった。友の会の切符は昨年までは紙だったのが今年からQRチケットと称してスマホ上にQRコードが送られてそれがチケットとなる方式になっていた。家内の分はスマホ上でQRチケットを譲渡するという手続きになって結構面倒な操作となる。

前日からQRチケットの取得手順を進め駐車場の予約もスマホで行ったのだが、何故かQRチケットの観戦ゾーンが家内とは一緒にはならない形となってしまった。何とかなるだろうと当日出かけるとゾーン内では席は自由だが、料金が同じところでも違うゾーンには行けないという。集中を避けるコロナ対策の一環のようだ。ゾーンの境界に係員が立って通行を厳しく規制している。しょうがないので境界付近の別々の席で見ていた。試合が始まって1/4位過ぎると規制が緩まって係員の了解のもと席移動ができるようになり、あとは普通に見れたが、席は1-2席空けてしか座れないのはコンサートと同じだ。応援は拍手と配られたハリセンを叩いてのみということだったが目の前で味方がゴールすると誰しも立ち上がって声を上げてしまう、どうしようもない。勿論マスクは必須だが。

各種食べ物屋はコロナ前と同じように開店していて、休憩時間には列をなして観客は買い求め、あたりの座れるところへ座ってマスクを外してしやべりながら食べている。際どいといえば際どい。

試合の方はアビスパは兎に角1点を守り切り、勝ち点3を挙げた。首位キープだ。去年に比べ外人が増え攻め方や守り方が多彩になった気がする。このまま走ってJ-1昇格を勝ち取れるかもしれない。

少しづつもとに戻りつつある、だがまだ先は大分ある感じがしてしまう。

コロナが終わっても又全く別の感染症が現れるかもしれない。一つ一つ乗り越えていくよりほかないのだろう。

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2020年8月29日 (土)

三島由紀夫の書く谷崎・川端、その2、川端

三島由紀夫の書いた川端康成の評論文(「谷崎潤一郎・川端康成」三島由紀夫)が面白くて、まだ読んでいる。

三島はほぼ無名だった学生の頃, 有名になっていた川端のところへ強引に会いに行って交流が始まる。三島にとっては師匠のような位置にあったKawabata0829a1 と思える。交流が続いた挙句に三島は市ヶ谷で割腹自殺を遂げた。事件の直後に川端は市ヶ谷の現場を訪れて大きな衝撃を受けている。この2年後神奈川の別宅で川端はガス自殺する。亡くなる前はしばらく睡眠薬中毒のような状態にあったともいわれている。遺書はない。2つの自殺は、何となく、何かつながっているように思えてくる。

川端の小説作品の中で特異な形式の小説として100にも及ぶ掌の小説群があると三島が書いている。三島は川端との対談でもこの小説群に話を及ばせているが、そこで川端は全て1日で書き上げている、雑誌編集上の要請でこのような短い小説を作っていたのではない、こんな形で書きたいから書いている、ともこたえている。
そんな小説群があったとは知らなかったので早速図書館から借りだしてきて読んでみている。B5版より少し大きい位の川端康成全集で見開き2ページで完結する小説が大半だ。しかしそこには丁寧に構築された小説ならではの世界が確かに書き込まれている。人の心の機微がある。こんな文を1日で書き上げるという技術に純粋な尊敬の念を覚えてしまう。内容は多くが少女との恋愛を扱っているようだ。その内の10編くらいが川端の初恋相手で婚約までした伊藤初代との話とされている、川端が20、伊藤が15の時に恋は破局となっている。伊豆の踊子などの他の川端の作品に流れる恋愛感情の息づきもたどればこの恋から発しているともいわれる。それにしても巧みな文章だ。
この本の解説に梶尾文武という人が書いているところまで読み進んでまた少し驚いた。谷崎・川端・三島のうちいずれかが日本人としての初めてのノーベル賞を受けるだろうと一時言われていて結局川端が受賞したのだが、この3人の名が挙がったのは、米国のクノップフ社が日本文学翻訳シリーズを1955年から刊行を始め、サイデンステッカーや、ドナルドキーン、アイヴァンモリスらの錚々たる翻訳陣によってこの谷崎・川端・三島の作品の英訳書を続々と出版していった、という事実があったというのだ。更に編集局長のシュトラウスはこの翻訳シリーズからノーベル賞が出ることを願っていたとも書いている。ノーベル賞を狙ったビジネスをクノップフという出版社はこのほかにも展開していたようでもある、ノーベル賞もビジネスとして捉えているところが如何にもアメリカらしい。1955年という戦後10年という段階から仕掛けていくということの背景には米軍の日本占領によって日本の文化的背景が様々なレベルの人に理解されるようになっていったということもあるのではないかとも思ってしまう。

何だか流れている歴史を直に見るようだ、こんな本を読みながら文学に遊べるのも自粛自粛の時代のいいところかもしれない。

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2020年2月22日 (土)

また九響の定期演奏会を聴きに行く

 

新型コロナウイルス感染は広がり続けていて人込みには出ない方がいいのだが閉じこもってばかりもいられず気分変えにはと10日ほど前九州交響楽団の2月の定期演奏会を聴きに行った。このところ毎月のように九響を聴いている気がする、面白い曲目や指揮者・演奏者が組まれているか9kyouteiki202002 らだろうか、今月はフランスのトランペット奏者エリック・オービエとブルガリア出身の指揮者ロッセン・ミラノフがスペシャルゲストだ。クラシックのトランペットというところに惹かれて切符をつい買ってしまった。放送大学の学生だと学割がきいて1500円でいいというのが多分にある。
例によってひらおの天婦羅で夕食を済ませ、九響管楽器奏者によるロビーコンサートも楽しんだ後、席に着く。前から2列目で迫力がある。
曲目はプロコフィエフの組曲「キージェ中尉」、トマジの「トランペット協奏曲」、またプロコフィエフの「交響曲第5番」の3曲で、いずれも初めて聞く曲だ。

キージェ中尉は何だかポップな軽い曲でフーンという感じがして感動というものはない、トランペットが活躍とパンフのコピーにあったが思い直してもそんな印象でもない。曲が創られた当時は新しい響きだったのだろうがポップな音が溢れる現代ではあまり感じないということかもしれない。

次のトランペット協奏曲は本日のスペシャルゲスト エリック・オービエのトランペット演奏が主役になる。これは難しい曲だ、演奏技術的に難しいところをすらすらと演奏しているのが伝わってくるが、曲そのものの音楽性はいまいちに思える。聴いていてちょっと疲れる。アンコールに演奏した ミシェルルグランの曲の方が遥かに生き生きとして自由に音楽を展開できている様が感じられて、こうでなくちゃと思ってしまった。
それにしても席が近い。随分昔ジャズ喫茶で日野皓正なんかを聴いていた時のことを思い出していた、それくらい近いところでラッパを吹いている。耳が痛くなる。

最後のプロコフィエフの第五番は第2次大戦末期に戦争を意識して創られたといわれるがそれにしては弦の響きが美しい。美しすぎる。戦争のどす黒いところが微塵もない。
 しかしとにかく垂直運動する弦の音がキレイで切れ味があって指揮者の求めているものにこたえているとの感じがしてくる、指揮者がいいというべきか、いい演奏だ。

総じてなかなかのプログラムだった、こうだから九響をついつい毎回聴きに行くのかもしれない。新型コロナウイルスが広がってきてもこんな機会は失いたくない。

 

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2020年1月31日 (金)

雨が続くとカモメの識別のことを考えている

カモメ、特にセグロカモメの近縁種の識別には依然悩んでいて、それがむしろ楽しくもある。
雨が続くのもあって、本やネットで調べて分かりやすいところからとにかく自分なりの識別法を決めていこうとしている。まずはウミネコだ、幾つか識別点はあるがウミネコはとにかく嘴の斑点で見極めるのが一番確実と今は思っている。目つきが鋭いというのもあるがやはりここだ、飛べば尾翼の黒い帯でもわかるがなかなか飛ばない時もある。
次はオオセグロカモメだ。セグロカモメに比べて背中の黒いのが決め手のはずだが光の加減で微妙に感じる時も多々ある、いくつか写真に撮ったりOosegurokamome0103d Oosegurokamome0103e 眺めたりしていると、飛んでいる時の羽の見え方で判断するのが間違いないと解ってくる。表側後縁の白線がくっきりというのと、更に羽の裏側の黒っぽい領域の広さが決定的のようだ(写真)。浮いたりとまったりして羽を折りたたんでいる時は決めつけにくい時もあるというのが正しいように思う。段々わかってくる。
セグロカモメと見られる群れには九州ではその他にモンゴルカモメとタイミルカモメが混じっていることがあるようだ。モンゴルカモメは冬で頭が真っ白なセグロカモメの仲間はその可能性が高いということらしいが翼端の初列風切の外から7枚目(P3)辺りに黒斑があればそれが決め手となるといくつかの記述にある、やはり羽を広げた状態で確認するのが一番のようだ。それにしても初列風切の黒斑とは細かい。
カモメの識別は何でこんなに細かいか、それは欧米で確立された識別技術が元になっているからのようだ。こんなことをゴチャゴチャ言いたがるのはイギリス人ではないかと思ってしまう、余りそのやり口にはまり込まない方が健全かもしれない。セグロカモメの仲間、という位から先はあまり深入りしない方がいいような気が今はしている。
とりあえず技術だけは理解しておくのもいいかと思っているが必携品といわれる「カモメ識別ハンドブック」はどこも品切れだ、仕方がないので図書館から借りだして必要個所をコピーしている。古本は定価の4-5倍のプレミアの値がついていて増刷すれば良さそうだがそうもされず何だか変な世界だ。
ともかく数を見る必要がある。福岡市ではカモメは大濠公園や志賀島で時々見ていたが、少し調べると室見川河口付近が多くていいようにも思える、北へ戻ってしまう前に、天気がいい時に出かけて写真でも撮ってみようかと思っている。それにしても雨が続く。

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