2017年9月20日 (水)

小笠原への旅ーその3

小笠原への旅、続き。

5日目 南島・ドルフィンスイム・出航
この日は15時半に東京に向けて出港する予定だ。
出港までの間の過ごし方とをどうしようかと思ったが、小笠原の海で兎に角遊びたかった。父島自然遺産の核心部とみられる南島への上陸ツアーとシュノーケル・ドルフィンスイムがパックになった半日ツアーがあったのでこれこれと事前に申し込んでおいた。
小笠原観光が主催するツアーだ。事前申し込みで一人4800円と割安感があったのもある。結果的にこのツアーが費用対感動比が最もよかったツアーだったと思う。小笠原では恐らく一押しのツアーと言っていいように思われる。

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水着を付けて8時15分に事務所に集合、20名弱いる。泳がないという人も数名いる。やり方のざっとしたところの説明を受ける。ドルフィンスイムはライフジャケット無でシュノーケルと足ひれでイルカと泳ぐというのが標準だが、勿論外洋だ、足がつったりすると厄介だからライフジャケットはつけることにする。速くは泳げないがイルカと一緒に泳げなくても見物はできるだろう。
青灯台のところから小型の船に乗って出発する。まずは南島を目指すがその前にもうイルカ発見!準備してくださいの声がかかる。やや不安があって要領や注意をよく聞きたい組はインストラクターから船上で細かく要領を聴くことに時間を費やし1回目はパスする、もちろんこの組だ。直ぐに2回目の準備してくださいの声で共にシュノーケルや足ひれを付けて合図とともに船尾から次々に海に入りイルカのいる方向へ向かう。先の方にイルカが水面近くで泳いでいるのが見えて追いかけようとするがとても追いつけない。程なく海上で集合となり

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船に上がる。大体感じは解った。イルカを見るシュノーケリングと思えばそんなに間違いはない。


南島に近づいて今度は南島上陸となる。船はかなり岩が迫っている水路を抜けて鮫池とよばれる入江に入り船のへさきから南島に上陸する。あたりにはモンバノキやクサトベラと呼ばれる柔らかい低木の木々が一面にはびこっている。他では見れない景観だ。

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まずは東側のラピエと呼ばれる鋭い石灰岩でできた尾根にちょっとした登りを上って見晴らしの良いところに出る。

 

 

 

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なかなかの絶景だ。石灰岩とサンゴが作り成す景観が他では無い切れ味のいい眺めをつくっている。

 

 


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来た道を下って今度は扇池の方へ向かう。途中ミズナギドリの巣が低木の間にあり雛が動いているのが見える。こんなそばでミズナギドリの雛を見たのは初めてだ。これは貴重だ。

 

 

 

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サンゴでできた砂の扇浜でマイマイ(ヒロベソカタマイマイ)の化石群を見る。

 

1000-3000年前の化石で今は絶滅しているという。この島は変わり続け走り続けているような気がしてくる、地球そのものに接しているような気分だ。

 

 

 

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また砂の中に生まれてすぐのウミガメの赤ちゃんが海までたどり着けなくて死んだばかりの様も見る。厳しい自然だ。

 

 

 

 

 

 

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水際まで行くと、うまく水の中に入れたウミガメの赤ちゃんが必死に泳いでいるのが目に入る。初めて見た。こんなひ弱な姿で生き延びられるのだろうか、もう親はそばにはいない。

自然の不思議を見る。

 

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扇池が海とつながるあたりの自然のアーチは小笠原紹介の写真でよく見る光景だ。絶景ポイントだ。

本来はこの海で遊べればと思うが自然保護の意識がとてもそんな大それたことはできないと思わさしめる。ずいぶん昔の写真で尾瀬ヶ原にクルマが入っていた光景を見た記憶がよみがえる、とんでもないとしか今は思わない。時代とともに変わる価値観が体に染みわたっているのだろう。

この場所では長い時間を過ごしたいそんな誘惑にかられる。しかし南島の上陸は最大でも2時間と厳しく制限されている、そうでもしないと簡単に壊れてしまう環境のようにも思える。その脆い自然に心を惹かれるのかもしれない。

 

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Minamijima5メジロやカツオドリの姿も見る、場違い感のあるチュウダイサギが飛び回ってもいる。これからオーストラリア方面に抜けるのだろうか。ともかく鳥達にはいい休憩地の様だ。

 

 

南島を離れ今度は兄島周辺水域に移動する。イルカの群れ発見準備してくださいの声に従って海に入るとやや下を10頭以上の群れが泳いでいる、すぐ近くを追い抜かれたりもする、見ていると女性の素潜り2人が素早く急降下しイルカを追っていく、かなり慣れているし絵になる、息が良く持つと驚くばかりだ。水中用カメラも一応用意したがバッテリー部分に水が入って使い物にならなかった。次はもっとしっかりしたものを準備しよう、次の機会が作りたくなる。

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船に上がって今見たイルカの群れを船上からイルカウォッチングする。ミナミハンドウイルカだ。海面の動きも面白いがやはり海中で見るほうがはるかに感動的だ。
最後に兄島南側のポイントではシュノーケリングで海に入る。美しい所謂熱帯魚が沢山いるが海底

 

にはところどころにナマコがゴロンとしたりしている。透明度が高い海だ、よく見える。港に戻る際には兄島の上を飛ぶオガサワラノスリまで見てしまう。随分色々なものを見た。

 

昼過ぎに青灯台に戻って解散となる。海と自然を満喫した気分だ。

この日のツアーの有様は 小笠原観光のページにも掲載がある、自分では撮り損ねたイルカの水中写真がいい。

宿のキャベツビーチはこの日の朝チェックアウトしているが、荷物も置け、シャワーも使え、出港時間に合わせて港に送迎もして

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くれる。帰る日はどうなるのだろうと気にしていたが、そういうやり方でどこも動いているようだ。小笠原では悩ましいことは何も起こらない、そういう所に思える。

 

最終日が最も感動的な日となっていい印象で15時半の出航を迎える。船はもう慣れた雰囲気だ、のんびり夕日を楽しんでこの日を終わる。それにしてもレストランの中の喋り声のトーンが往きの船より数倍上がっていてうるさいくらいだ、刺激的な旅をそれぞれに胸にしているようで面白い。

 

 

6日目 帰りの航路

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ひたすら東京竹芝桟橋を目指しておがさわら丸は進む。鳥島は真夜中通過で朝日の後は八丈島、三宅島と進んでいく。コアホウドリでも出てくれないかと海を見ているがミズナギドリが出てくるばかりだ。のんびり眺めているので気が付かないのかもしれない。面白いといえば時折イルカの群れが出てくるくらいだ。
予定より若干早く竹

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芝桟橋について往きと逆コースでテキパキと羽田に到着する、早い。カウンターで予約

 

より2つ前の便に変えてもらって夕食は空弁にしてすぐに乗り込む。いい旅だった。出発前の心配は綺麗に吹き飛んだ、やはり時々こんな旅が必要なようだ。

戻って改めて買い込んでいたガイドブックを次々に読み直してみるとウソのようにすらすらと頭に入る。そうだったのか、と思うところがいくつもあるがとにかく書いてあることに親しみが持てる。また行きたくなる、そういう所の様だ、小笠原は。

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2017年8月25日 (金)

暑い夏はオペラと星で

暑いのであまり出かける気にもならない。海にさえ行く気がしない。

こんな時はブルーレイに録画して貯めておいたオペラを見るにはちょうどいい気がする。オペラは長いのが多くて放映時その時に合わせて根を詰めて見るのはかなりきつい。
2日ほど前は今年のバイロイト音楽祭の幕開けの出し物、ニュルンベルクのマイスタージンガー がNHKBSでほぼ5時間にわたって深夜に放映されていたものを録画で見ていた。ワーグナーだ。ワーグナーはジークフリートの出てくる神話ものがどうにも肌に合わなくて敬遠気味だった。このニュルンベルクのマイスタージンガー も神話ものかという思い込みがあって1-2年前METの公演がWOWOWで放送されていたのも見ずじまいになっていた。とにかく長い。
あらためて見てみると話は神話でなく中世のニュルンベルグが舞台となっている。今度の祭りでマイスターの歌比べをやる、優勝者には金物細工のマイスターが全財産を与え一人娘と結婚させると言い出して、話が回り始める。結局この娘と恋仲になった騎士が祭りで素晴らしい歌を披露してマイスターとして認められて優勝、ハッピーエンドになる、というのが物語の超あらあらだが、5時間もの舞台だ、色々枝葉が付く。ともかくワーグナーにしては随分柔らかなオペラだ。そうはいっても、これまでの世俗的権威(マイスター)の持つ堅苦しいしきたりの無意味さ、それにしがみつこうとする人の愚かさに対する批判が全編を通じて流れている。さすがワーグナーだ。初演は1868年だから明治元年ということになる、世界が激しく動いていたころだ。その時代

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の沸き立つような雰囲気が背景にあるようにも思える。
 演出も趣向が凝らしてあって、舞台奥にニュルンベルク裁判の連合国の国旗が掲げられていたりして、ニュルンベルクという街の歴史的位置づけに思いが至るような雰囲気を与えている。連合国の権威が米英の政治の混乱で揺らいでいる今日世界を暗に揶揄っているようにも見える。
なかなかのオペラだった。

オペラを見るにせよ暑い昼間は大人しくしている他ないということもあって、最近、夜、星空の写真を撮っている。

手持ちの一眼レフ ペンタックスK-5に適合する簡易赤道儀機能の機器が大分前から売られていたのをふとしたことで知り早速入手して試している、O-GPS1という。カメラにもともとついている手ぶれ防止機能を星追随用に利用する。カメラの向き・位置

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はGPSナビゲーションの機能を持つO-GPS1が正確に把握してユーザーはカメラを3脚に固定して望む方向に向けてシャッターを切りさえすれば2-3分なら光学系が星の動きに追随して静止したように見える星の写真が撮れるというしかけだ。なかなか優れている。
自宅は福岡市の中心部・天神から直線で約4㎞のところにあり星などとても見えない気がしていたが、晴れた夜にO-GPS1を付けて2分くらい露光してみると、随分な星が写る。薄っすらと天の川も姿を現す。これは面白い。夏の大三角(デネブ、ベガ、アルタイル)をきっちり写すこともできて夏らしい(添付)。
300mmの望遠を使えば星雲が撮れたという例もネットで散見される。今度はアンドロメダ星雲にでも挑戦したいが何しろファインダーを覗いても見える星は限られている。これは狙いをつけるのが難しそうだ。

大げさな高価な機器を組み合わせなくとも手軽に天文写真が撮れるところは画期的だ、時代は進んでいる。

暑い夏も、どこへ出かけるというわけでなくともオペラを楽しんだり自宅庭から星を写したり それなりに楽しみ方があって、このくらいで済めば温暖化する地球も悪くもないか、そんなことを思っている。

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2017年7月30日 (日)

観音の滝を見る

毎日のように熱中症の警報がメールで送られてくる。WBGT(Wet Bulb Globe Temperature)という暑さ指数が31を超えると危険と判定され外出は避け涼しい室内で過ごすことが適当とされる

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高度を上げて少しは涼しい山歩きをするにも雷が危ない、ここは瀧見に出かけるのがよかろう、滝なら少しは涼しかろうと、自宅から1時間少しで行ける唐津市七山の観音の滝にランチも兼ねて出かけた。日本の滝百選に選ばれている滝だ。

無料の西九州道を使って思いの外簡単に到達する。ランチは駐車場所にあるそばの店で「冷やしわさび茶そば」というのを食べる、この辺りではもともとワサビが自生していたようだ、とにかくこれがうまい。味100選店の看板もあって、一定の水準以上ということになっているようだが味 わってみても少し凝ったところがあって むべなるかなとの気がする。

滝はここから川底へ下っていくのだが、アマチュアカメラマングループと思しき一団がすぐ前を行く。
こちらは三脚もなく手持ちでスローシャッターを切ったりしているが向こうはケース入りの立派な三脚を立てて時間をかけてフレーミングしたりもしている。

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身なりもきっちり長袖長ズボンとそれなりだ。趣味は何でものめりこまなくては面白くないのかもしれないが、自分としては とんとそんな気にならない、のめりこまない趣味ばかりだ。その方が自由でいいような気がして遊んでばかりいる。

川底におり始めようとすると駐車場所に水遊び姿の親子連れが続々到着する。どこで遊んでいるのかと帰りに気をつけて見ていると滝の上の淵にある自然のスライダーで遊んでいる。滝の落ち口まではややあって安全そうには見えるが何かの拍子で流されれば助かるとは思えない。よくこんな所で遊ぶと思う。しかし涼しそうで手軽で一度やってみるとまた、ということになるのだろう。大人でやる人はいないようだが、いつか大人でもはやってきそうな気もする。この暑さだ。
毎年のような猛暑には耐えるのにも限りがある。

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岩肌もきれいだ。地質を見るとこの辺りは1億年前の白亜紀に凝固した花崗閃緑岩という深成岩でできている。マグマが深いところで冷えて固まった所謂花崗岩の一種というわけだ。目に見える滑々の岩からは水で浸食はされるものの適当に硬くていい石ということかなと思えてくる。耶馬渓では竜門の滝の滝滑りが有名だがあちらは安山岩に苔がついて滑りやすくなっているようだ。安山岩よりこちらの方が石は良さそうだ。

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すぐ南には黒雲母花崗岩の地層があって高級墓石材とされる天山石が産出しているという。大谷石ではないが掘れば売れるものが出てくるというのはいいところなのだろう。
立派な滝があるところは地層が面白い。

肝心の滝は落差45m、途中で少し段になっているようなところがありなかなか姿がいい。いかにも絵になりそうな滝だ。しかし期待していたほどには涼しくない。滝の冷気をまともに浴びる場所で見れるようになっていないからだろう。

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贅沢は言えない。
色々滝を撮ったりしてこの地を後にする。しかし暑い。

逃れようもない暑い夏は、滝見くらいでは許してくれない、観念して、こんなものかと受け止めて味わうほかないようだ。

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2017年7月19日 (水)

夢のような街かもしれない

もう10日くらい前のことになるが、アオバズクを見に遠来の孫子を連れて30分ほどの神社まで出かけた。
到着して見回すと枝を見上げている風情の人がいる、近づいて様子を聞く。そろそろ巣から子供のアオバズクが出てくるころだが未だ出てきておらずお父さんアオバズクがあたり

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を見張っているだけだという。確かに言われた方向を見ると一羽それらしいアオバズクが枝にとまってこちらを見ている。早い年にはもう子供が出ている頃だから間もなくだと思うとも話してくれ、おまけに巣の木の穴に近いところに落ちている産毛のような羽を拾って、これがヒナの羽毛と思う 盛んに飛ばしてる、と渡してくれた。
刺激しないようにそっと小さいカメラで写真を映して静かに立ち去る。雨覆いと風切り羽根の拾ったものも渡してくれた。きれいな羽根だ。アオバズク特有のまだらのような模

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様はないので他の鳥の羽ということもあるが、巣の近くに落ちていたという雰囲気からしてアオバズクかなと思う。でも正確には解らない、解らないくらいがいつも気になって調べて丁度いいとも思う。
以前いくつか拾ったり貰ったりして集めていた羽根は引っ越しの時にどこかに紛れて出てこなくなってしまっていた、捨てたはずはないのでどこかに潜っているのだろう、結局出てこないこともありうる、集めなおせばいいかとも思っている。この街ではまたそれができるようだ。

宇都宮にいたころはこんな風に身近な神社の森にアオバズクが毎年来るということはなかった。福岡ではこの時期になるとあちこちからアオバズク飛来との情報が流れる、南に寄っている分渡り鳥が居つきやすいのかもしれない。
アオバズクの渡りのルートは衛星追跡発信機を装着できるほど大きくない鳥なので明快なデータがあるわけではないが対馬の出現があまり早くないようなので朝鮮半島経由ではなさそうで、

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石垣・沖縄から続く島伝いに北上しているのではないかと想像される。ここから朝鮮半島に渡るのもいるのかもしれない。

それにしてもちょこちょこと鳥を見に行くのにいい街だ。蝶やトンボも面白い。
今日も近くの図書館を訪れた後 横の池を散歩しているとチョウトンボが4頭位現れた。夢のような暮らしかもしれない、歩きながらふとそう思った。

梅雨もそろそろ開けそうだ。

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2017年7月17日 (月)

感性工学の講義が

放送大学で感性工学というオンライン講座を取ってみた。感性というキーワードが引っかかっていた。自分の関心がある部分と重なるところが多々ありそうに思えていた。オンライン講座はテレビ・ラジオ

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講座のようには公開されていないので内容を知るにはきちんと学生になってサイトにアクセスするしかない。オンラインである分時間に制約がないので毎回講義のほかに1時間に及ぶインタビューが主任講師によって行われているあたりが特色でもある。インタビュー対象は感性工学に関わる有力な方々で感性工学のそもそもの提唱者である長町三生広島大名誉教授も含まれる。インタビューが中核の講座のようにも思える。

講師から最初にある通り感性は何かというところで定まっていない、定まっていないままで教えようとしているところが面白いといえば面白い。インタビューでは感性とは何だと思うかという問いが毎回投げかけられる。

 心の働きにおいて、理屈で理解する部分が理性、感覚で感じる部分が感性という至極普通の分け方、カントの著書純正理性批判でもそのような記述になっている様に思うが、これで何がまずいのだろうか、それが解らない。カントの使っている感性で別に構わないのではないか、どこが不満で新たな定義を持ち込む羽目になったのか、その説明はどのインタビューからも感じ取れない。

感性とは何かという言葉の定義がそれほど気になるのは結局は感性の商業利用の方向を強く考え始めたところからではないのかと思ってしまう。長町の感性工学はマツダのクルマの開発に長町が関わったところから始まっているという、そういうことなのだろう。

感性という言葉の受け取り方そのものの変化がすこぶる興味深い奥行きを持っているようにも思える。
恐らく感性というものと感性工学というものは全く違うものなのだろう。長町のインタビューからも感じられることだが感性工学はユーザー目線でプロダクトをつくるという至極当たり前のことを追求しているに過ぎない。ユーザーの感じている求めていることをユーザーアンケート等に基づいて設計パラメータにどうやって落としていくか、そのプロセスがキーのような学問に思える。具体的にはユーザーアンケートの因子分析を行う、その結果に基づきユーザーの求めるプロダクトの設計パラメータ(アイテム・カテゴリー)を数量化理論1類を使って求める、というのが骨子の様だ。
講義では手法の詳細が細かく説明されるかと思えばそうでもない。具体的解析は、それぞれのソフトを使って求めればいいということだろうか。確かに検索すれば因子分析のフリーソフトは探せるし数量化理論1類の具体的な手法も出てくる。

勿論手法さえ身に付ければ直ぐに展開できるものではない。ユーザーの求めるいい感じのもの、という感じを理解するにはカワイイも
び寂びもきちんと受け止められなくてはならない、広範な美術的音楽的なバックグラウンドも必要となるだろう、感性工学が泳いでいる世界はそんな世界なんだということがなんとなくわかってくる。
しかし「アートと設計の接点は殆ど無いといっていいでしょう」 という耳を疑うような説明を公言するような講義だ、未だに中途半端な技術と中途半端な考え方しか頭にない人達の学問なのだろう、そんな風にも思ってしまう。講義を振り返ってみると、ここに未来はない、ブレークスルーは無い、そういう確信が湧いてくるようでもあった。なかなか整理のつけられない講義だ。

グルグルととりとめもなく考えが巡る。こんなことを改めて考えさせてくれただけで十分すぎるほどの価値がこの講座にはあったようにも思う。放送大学はやはり面白い。

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2017年5月10日 (水)

オオヨシキリ

夏鳥が次々に飛来して面白くなってきた。連休の始めは久しぶりのコルリの声を南公園と油山の二か所で聴けた。コルリが日本に多く飛来するようになったのだろうか、喜ばしいことだ。鳴いているコルリは殆ど見えるところに出てきてくれない。写真110507koruri1a はあきらめて録音に集中する。録音は後で聞きなおすと写真よりはるかに臨場感があって記録としても優れているように思う。(添付は以前軽井沢で撮った静かなコルリ)。
南公園の録音は丁度動物園入り口部の改装工事が急ピッチで進められている時でガランガランと大きな音がかぶってしまったが、後で聞きなおすと録音処理で少しは軽減できそうだし、何しろコルリが力強く鳴いてくれているのがいい。

連休の終わりころ今津にオオヨシキリが入っていると人づてにあり早速聞きに行く。ギョギョシギョギョシという鳴き声は宇都宮にいたころはこの季節に宇都宮市内や近 郊の葦の茂みからうるさいばかりに聞こえていて、いかにも北関東の河原に似つかわしい気がしていたが、しばらく聞かないとここ福岡に現れているときけばやはりそれっと出かけて行きたくなる。

新しいクルマにもだいぶ慣れて自動追従で走れば市街地もずいぶん楽なのもあって気楽に出かけられる。30分くらいで今津についてどこのヨシ原だろうと少し探すと玄洋高校に近いヨシの茂みから元気な声が聞こえてきた。懐かしさがある。近寄ってもそうは逃げないようなので姿を探すと時々茂みから上に出てくる。思った
20170508ooyosikiri2よりもずいぶん大きい感じがする。宇都宮にいる時は結構離れてみていたからだろうか、もっと小ぶりの印象を持っていた。いつも思うのだが福岡の鳥見は距離が近い。人家近くを旅することを鳥は心得ているような気もする。何しろ人類よりとんでもなくはるかな昔から地球上を飛び回っていた生き物だ、色んなことはすぐに心得てしまうのだろう。新参者の人類なんて適当にいなされているのだろう。

いずれにせよよく鳴く鳥は姿をしかととらえるのは難しい。考えてみれば当然だ。あの派手なアカショウビンでも鳴いている時は巧みに人から姿を木陰に隠す。写真を写すことに気を取られると鳥の楽しみから離れていくような気がしている。
録音のみする人にむしろ鳥は寄っていきもする。以前の蒲谷さんの講演を聞き直しているとどうして蒲谷さんには鳥が寄るのかとよく質問されると語っておられた所が心に残る。

20170508imazuhachikm 人でも有無を言わさずパシャパシャ撮られればいい気持ちはしない。鳥ならなおさらだろう。

今津で帰り際に仰ぎ見るとハチクマが2羽舞っている。そんな時期になった。こうやって流れていく時間を眺めていると、他に何のなすべきことが残されているだろうか、そんなことも思ってしまう。いい季節だ。

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博多どんたくに出る

5月の連休の催しで人が集まる筆頭は博多どんたくとされて久しい。今年も主催者発表で200万人を超える人出があったことになるがいつもほんとうかい、と思ってしまう。各所のステージの観客、ドンタクパレード観客・出場者の総計ではそういうことになるらしい。延べだからパレードの分は1日当たりの倍だしステージは前夜祭も入れれば2.5倍くらいになるのだろう。それにしても多いカウントだ。
見て回るといってもステージではどこで何をやるか直前までわからない、適当に見るしかない。パレードも立ち尽くして見続けるのは少々つらくなる。どう楽しむのがいいのだろうか、毎年何かずれを感じていた。

そもそもどんたくの始まりは平安末期の平家の時代とされているようだが現存する記録として残っているのは小早川秀秋が名島城城主となった1695年、博多の町人が松Kobayakawa 囃子を仕立て年賀挨拶として行ったことがもっとも古いものとされている。小早川秀秋といえば秀吉の親戚でありながらこの5年後関が原で家康側に寝返って勝敗の行方を決めたその人ということになる、どこか軽さがあったのだろう、町人も気楽に挨拶に行けたのだろう。歴史はこんなところが面白い。

江戸時代になって黒田の殿様に年賀挨拶する行事として定着し、松囃子の後ろに趣向を凝らした出し物が続いた、これが現在のどんたくパレードの原型とされる。博多側から福岡側にパレードが繰り出すというのはその時の形が残ったのだろう。今も残るお祝いの掛け声「いをーたー」というのが古いどんたくの雰囲気を一番よく伝えているような気がする、要するに無礼講のお祝い行列が主体ということだろう。

確かに面白い歴史があるが、パレードに参加するというのが元来の楽しみ方というものだろう。そう思って、今年は公募の博多町屋ふるさと館隊に応募してパレード参加した。
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パレード参加すると見物人としてパレードを眺めるわけにはいかない、楽しみ方が随分変わる。とにかく「ぼんちかわいや」ともう一曲、振りを直前に教わってパレードを踊りながら進む。すぐに慣れてそれらしく形ができて、群衆の視線を浴びるのが心地よい。
曲の切れ目で「いをーたー」の掛け声を掛けたりするとつい愉快になる。
呉服町から天神の市役所前まで1kmほどのパレードだが、ゆっくりと景観が流れていき十分に楽しめる。
確かに参加するとこんな祭りが盛大に数百年もの間毎年続くのもなんとなく解る。

前日の突然の雷雨はこの日は免れた。予期せぬことが起こる非日常の祭りというところが本物の祭りらしくていい。

解散後、まだ祭りのざわめきが満ちている街中をゆっくりそぞろ歩いた。春もそろそろ終わりなのだろうか。

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2017年4月25日 (火)

芭蕉の句碑が

俳句が流行ってきているらしい。現代俳句のネット投稿でも毎月の投稿数が5句から3句に減らされた、毎月の投句総数が1200句をこえるようになってきて選句の負荷が高すぎるためらしい。それだけ参加する人が増えたことになる。

今やサクラも終わってつつじの季節となった。

2週間ほど前 豊かな桜の風景を求めて うきはの流川桜並木を堪能した後、史跡でも、と直ぐ近くの日岡古墳・月岡古墳に寄った。前もって調べていたわけでなくたまたま目について何だろうというくらいの好奇心だ。
朝倉・うきは地区は日本書紀にいくつかその名が出てくる場所で、邪馬台国・朝倉甘木説の現場でもあり、古墳それぞれに大和朝廷以前の古代史への興味が掻き立てられる。
若宮神社の境内にある2つの前方後円墳で、古墳時代中頃6世紀ころのものらしい。Hinookakfn 説明看板を読むと日岡古墳は幾何学模様の描かれた装飾古墳として、そういえばそんな写真をどこかで見たことがある、という類の有名古墳だった。後円部の上部の天井板が落ちていてその上に小屋が立っており、上から覗き込むようにして装飾画を見ることができるらしいが、第3土曜日にそれも5日前事前申し込みでしかみることができないようだ。とにかくこの日は観れない。
まあこんなものかと月岡古墳に回る、こちらは装飾古墳ではないようで内部を見ることもでず、上に上がって歩き回って戻ろうとすると芭蕉句碑が目に入った。
Basyoukuhi 花本大明神
  百年乃けしきを庭乃落葉かな
と刻んである。
芭蕉が九州で詠んだ句はないはずだがと句碑の裏に回ると嘉永2年建立の字が見える、1849年造ということになる、幕末だ。
どういうことだろうと戻ってネットで調べる。
花本大明神とは芭蕉が150回忌の天保14年(1843年)に二条家から与えられた神号とある。これを記念してこの時期に全国に句碑が建てられているようで福岡県内にも句碑が75もあるという。句は彦根の明照寺に門弟の季由を訪れた時に詠まれたものらしい。(潺々 - 芭蕉・五老井の流れ - 石川柊著 による)。
そもそも芭蕉が亡くなったのは 九州長崎を目指して旅立った途中の大阪ということだったようで、九州へ行きたいとの思いが臨終の床で詠まれた 「旅に病んで 夢はBasyoukuhi2 枯野を かけめぐる」 の背景にあったということらしい。
九州には芭蕉を慕う俳人が多かったというのは芭蕉の時代からで句碑も芭蕉の気持ちに応えたかったとみるべきなのだろう。句碑が多いのもうなづける。ここの句碑の句を選んだことからは百年といわず百五十年後の九州の庭にも
芭蕉の気持ちが伝わったことを示したかったそんな想いが響いてくる。

夢は芭蕉を駆け巡ってしまう。その一瞬の雰囲気がおもしろい。俳句が流行るのもそんなところだろうか。

古墳巡りてさくらちる微睡みと

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2017年3月18日 (土)

ヤツガシラとコスズガモと

鳥を見ていると、どうしても珍しい鳥が出たというと見て見たくなる。とりわけウイークデーに気楽に動けるようになってからは情報が流れてくるとそれっと出かけてしまう、あまりいい鳥見でないのは解ってはいるのだが。

栃木にいた頃は野鳥観察というと大自然の中で鳥を見るのイメージが強かったが、福岡周辺の鳥見はどうみても都会の鳥見だ、気楽に見に行ける代わりに何か感動が今ひとつだ。贅沢は言えない、それぞれに受け入れるほかない。

今年もレンジャクは見ずじまいになりそうだが、と少々元気がなかったところへヤツガシラが自宅から10kmほどの公園に出現しているとの情報が飛び込んで急ぎ見に行った。新潟の粟島でも見ることができず、国内では縁がないかなとも思い始めていた鳥だ。
 出現したというポイントに行くと数人のカメラを抱えたそれらしい人が待ち構えている、話を聞くとこの日はまだ出ていないようだ。しばらくあたりを散策してまたポイントに戻ると、チラッと姿は見せたがどこかへ飛び去ったという。
淡い気持ちで暫く待ってみるが出そうにないので引き上げる。兎に角まだ移動してはいないらしいということだけがいい情報だ。
週末は人が多くなるし別件もあったので週明けの月曜日にまた行ってみた。午後4時頃が時間帯としてはいいらしいとの情報から、夕方見ることにした。暖気が引いて少々気温が低い日となっていたのでヤツガシラの様な暖かいところから来た鳥を見るにはいまいちだがしょうがない。
行くとやはり数人が待っている。土日は出ていたが今日は出てないという、矢張り気温が低いのが効いているのだろうか。とにかくまだ移動はしていないようだ。今度はあちこち行かずにポイントでひたすら待つ。
次第に日も陰ってきて待つ人も他には一人だけになってしまったところまで待って、あきらめて引き上げる。落ち込んでしまう。
翌日、ヤツガシラのポイントで待っているときに教えてもらったコスズガモを見に行く、これは更に近く自宅から3km位の溜池だ。コスズガモとは聞いたことがなかったが背中が灰色のキンクロという感じの鳥らしい、いずれにせよめったに見ない鳥であることは間違いない。
溜池近くのコインパークにクルマを置いて人だかりのしているところに向かう。これはKosuzugamo 分かりやすい、70羽くらいのキンクロハジロが道際に寄ってきていてその中に背中の灰色のコスズガモが1羽混じっている。あっけないばかりで有難味が薄い。スズガモのような模様のあるキンクロという表現が合っているようだ。兎に角今日は目指した鳥が見れた。

少し気をよくして午後からまたヤツガシラのポイントに回る。
昨日の今日だが気温も上がって出そうな感じがしていた。現地に着くと予想通り出ているという、いつもの場所より少し離れたところに人だかりがして一点を注視している。近づくと確かに
ヤツガシラの姿が見える。暗いので写真に撮るのが難しい、どうしてもぶれてしまう。そのうちにいつものポイントに戻っYatugasira1 て、ちょっと見やすくなった。写真に撮ったり観察したりしていると、この場所が好きな理由がなんとなくわかる。植物系の餌と土の中の虫を取るに都合のいい位置形になっているようで、落ち葉の中から木の実をついばんだり土手のように盛り上がったところを楽な姿勢でつついたりしている。リラックスしているようでトサカが立ち上がる姿は見れなYatugasira3いが、ここが気に入っている雰囲気が伝わってきてその方がいい。
十分堪能して家路につく。昨日までの落胆が晴れて心が軽い。


それにしても、こんな鳥見の日々が有難く思える、歳
Yatugasira4 を取ってしまったようだ。

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2016年12月14日 (水)

遭難漂流記を読む

風邪をひくが治りが悪い。血痰が出る。感じ悪い。近くの医院から国立病院に回されて、胸輪切りのCTスキャン、レントゲン、血液検査、インフルエンザ、マイコプラズマと検査をいくつもされた、診察や投薬と合わせて2万円近い。結局大した問題はなさそうだがはっきりはわからなくて費用対効果がすこぶる悪い。
こんな医者かかりは仕事を離れた身ではやってはいけないことなのだろう。しかし、もろくなった体にどう付き合うべきか未だに分からない。


病でごろごろしているため本を読む時間も十分とれる。今は

Taka1 ヨットの遭難漂流の手記を2つ読んでいる。一つは佐野三治著「たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い」、もう一つはスティーヴ・キャラハン著「大西洋漂流76日間漂流」だ。


どこか似通っている。キャラハンは1982年2月の遭難、佐野三治は1991年末で10年近く開きがあるが同じような形の救命イカダ(ライフラフト)、同じようなイーパブ (EPIRB-緊急位置指示無線標識)を積んでいる。いずれの場合も結局EPIRBは役に立たなかった(たか号はバッテリーを持たせるために保護されていて電源がすぐに入らず、結局乗員が気が付かないうちにEPIRBを流してしまった)、役に立っていればこんなに苦しい漂流にはならなかったともいえる。
救命いかだはキャラハンは2名の使用を考えて6名
乗りを準備した。一度4名乗りに2名で乗って流されたことがあって非常に窮屈だったので6名用を準備したという。たか号Calahan では8名用ではじめ6名で流された。窮屈この上なかったようだ。キャラハンはチンしてまだ浮いているヨットからできるだけ必要なものをイカダに移すことに成功した。特にモリとなった水中銃は食料調達に有効だった。釣りではうまくいかないようだ。鳥を手づかみで捕まえることには2つのケースとも成功している。

真水の調達にはキャラハンは太陽熱利用の真水製造機を予備も含め2個用意していた、これが極めて有効だった。たか号では結局雨のほかは自分の尿を飲んでしのいだことになる。緊急事態に対する備えではキャラハンのほうがはるかに用意周到だった。キャラハンは外洋ヨットを設計製造していたため遭難・漂流に際してもあらゆるものを使ってそれなりに対処できイカダの修理や真水製造機の修理や水中銃の修理もうまくできたように思われる。たか号の準備はレース参加が間際で決まったこともあって手抜かりがありまた沈没時に救命いかだに備わった食料や水機材の多くを誤って流してしまったということもあった。
こんなこともあってたか号は最初の17日で6人中5人が亡くなった。キャラハンは最初から一人だった。食料も水もたか号は遥かに厳しい状況ににあったといえるだろう。読んでいくとサバイバルには結局水が大問題であるように思える。青い砂漠と表現している。

キャラハンの救命いかだに装備されていた太陽熱利用の真水製造機は現在でも


51c2lvlaeul Aquamate Solar Stillという商品名でamazon(米国)で250$くらいで販売されている。キャラハンの使ったものよりやや改良されているようではあるが基本同じだ。ライフラフトには今や必需品ではないかと思う。
EPIRBも輸入品ならGPS付きで5-6万円くらいで売られている、NOAAに住所氏名をnetから登録しておけば実運用上はいいようだ。キャラハンの時は航空機や船舶に通達する形式だったものが今は衛星で受信される形式で48時間くらい発信続ければほとんど必ず伝わることになっているようだ。これがあればこんな長い漂流は今はないと思っていいのだろう。国産品で国内登録・維持するにはかなりやっかいで数倍以上の金がかかるというから不思議だ、安全で金儲けする仕組みはいかがなものかと思う。TPPではないが厄介な仕組みはすっきりさせて米国等と同等の負担で個人が使えるようにするのがスジだろう。

2つの遭難記を読むとたか号の沈没は悪天候だがキャラハンはクジラに衝突したのではないかとしている、遭難というと荒れた海と思うがそうばかりではない、思いがけないことで死に直面するようだ。外洋に出ると何が起こってもおかしくない、よくヨットでの単独横断などと出かけるものだと思ってしまうがここまで考えが至ると、歳をとったなとも思ってしまう、そうなのだろう。もう心が老けてきたし体ももろくなっている、もはや出来ないことが次々に目の前にあらわになってくる、そんな
になってしまったと思い知らされる日々が過ぎていく。

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