2018年6月15日 (金)

パソコンのスピーカーアイコンやインスタグラムフォロワー解析や

パソコンをいじっているといまだにおやと思うことが時々起こる。
最近ではタスクトレイに置いたスピーカー(音量調整)マークをクリックしても応答しな

Aikon

くなった事態がある、いまだに完治していない気がする。結構起こっているらしくグーグルで検索すると こうして対処しました というのが幾つか出てくる、しかし何故か今回はあまり役に立たない。High Definition Audioデバイスというのがドライバーということになっていてこの動作をデバイスマネジャー(タスクトレイのウインドウマークを右クリックして出てくる)からチェックしておかしければ再インストールせよとなるが、どうも違うようだ。結局音量ミキサーのソフトsndvolを起動させれば音量調節がとにかくできると解り、sndvolを「ファイル名を指定して実行」より起動してタスクトレイにピン止めして、音量調節で困ったときはこれをクリックすればいいようにする。機能としては解決だが、なんでこんなことが起こるのかの回答は見つからない。もしかしたらOS(win10)のウイルス対策でHigh Definition Audioデバイスがウイルスに狙われやすくてこれを防衛するため過剰に機能停止にしがちにしているのかもしれない。解らないがそんな気がする。

これとは別にインスタグラムでも困ったことが起こった。インスタグラムは主にパソコンのブラウザ(クローム)上で見ているがある日突然フォロワーをクリックしてもフォロワーリストが出なくなった、フォロー中のリストも出ない、つい最近のことだ、これは困ったと先ずは事態を確認する。firefox,IEでも症状は同じで特定のブラウザに起こっているわけではない、ipadやスマホ(アンドロイド)では問題なく出てくる、パソコンからのアクセス機能をinstagram側で制限にかかったように見える。
これまではフォロワーのチェックはパソコンで表示されるフォロワーリストをテキストコピーしてエクセルに貼り付けて使っていたのでこれは困る。ipadやスマホではうまくテキストコピーができない。困ったがパソコン上でフォロワーリストをともかく見たいというのもあってパソコン
(win10)上にinstagramのアプリをダウンロードしてこれを使ってみる。動かしてみるとipadやスマホと同じように作動しフォロワーリストは表示するもののテキストコピーはできない。パソコン上で見れるだけまだましという感じだ、ここでふと思い直してブラウザからもう一度インスタグラムを開いてフォロワーをクリックしてみる。今度はうまく開いた、何のことはない元に戻った。どうもアプリのインストールで何かのdllか何かが加わってこれで動き出したような感じがする、しかしよく解らない。
少し前にipadに入れていたインスタグラムのフォロワー解析アプリがinstagram側の仕様の変更でまともに動かなくなったことがあったがどうもinstagram側が細かく解析されることを嫌っているような節があり今回もその一環かという気もする。

段々パソコンをいじっているのがつらくなる、集中して考えられなくなる。ぼんやりと絵でもかきながら多くの時を過ごすべきかな、そう思い始めてもいる、もっとも絵を描くのも楽ではないが。

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2018年5月18日 (金)

福翁自伝から話が広がって

ひと月位前に福翁自伝というのを読んだ。面白い本だ。福沢諭吉が64歳の時に書いた自伝という、口述筆記させて後から随分手直ししたらしい、講談本のようだ。明

Fukuoojiden

治30年の作ということになる。日清戦争と日露戦争の間という維新が結実して強国になっていく時代だ、威勢のいい空気が背景にある。
読むと幕末から明治へ移行する時期のリアルな活写となっているところがとりわけ興味を引く。福沢諭吉は幕府召し抱えではあるが勤皇でも佐幕でもなく超然とした翻訳者の立場に立っていたようだ。諭吉は積極的開国論者であったが、幕府の言う開国も結局は攘夷をしたいが止む無く開国というようで諭吉には気に入らなかったともある。幕末から明治にかけては何より暗殺が最も恐れていた事態だったという。夜は出歩かないと心していたとある。そうだろう。

幕末ドキュメンタリとも読めてなかなか面白いと思っていたところ思いがけず先月の法事の席で福翁自伝に話が及んだ。
親戚繋がりの方から出てきた話だ。福翁自伝の緒方洪庵・適塾時代のくだりに松下元芳という久留米出身の医者と諭吉が夜店に入って暴れた話が出てくるがこの松下元芳とその方は5代くらい前で系図がつながっているという。ということは系図の線をたどっていけば自分と松下元芳をつなぐ線が現れるということになる。何だか人類皆兄弟と思えてくる。


自分の両親の家系はどちらもずっと九州のはずだ、一度できる範囲で辿ってみるのも面白いかもしれない。そう思い始める。

単純計算では5代辿れれば100年、50代辿れれば1000年前まで行ける。勿論役所の書類では3-4代前くらいしかわかるまい。その先はお寺や神社やどこかの記録に残っているかということになる。

できはしないが500代で10000年と縄文初期までトレースを追えれば遡れるはずで、もっと前にも勿論つながっているのは間違いない。突然生命は生まれるはずもなく今ある命のもとは数十億年前の生命の誕生まで必ずつながっていなければならない。考えてみれば途方もないことだ。今生き残っている全ての命は46億年の地球の歴史の中でおこった数回に及ぶ地球生命大絶滅の大波をかろうじて潜り抜けてきた奇跡のような生き残りばかりだ。恐ろしいばかりに貴重な命だ。

自分はどこからきたのか。多細胞生物が始まる10億年位前までに至るDNAの分岐を遡ってルーツを追っていく、これをだれもが行える技術として いつかは人類の手に入るのだろうか。このまま人類が絶滅することなく永らえれば1億年位は人類の時代が続くだろう、きっとその内にそのくらいのことはできそうな気がする。そんな技術があってこそ人類は助け合わねばならないことをリアルに感じることができるのではなかろうか。たかが数千年をたどれる位の約束の地などは殆ど意味のない約束だと知るだろう。

とんでもないところで線が交差し枝分かれして延々と続いていく、それが個人という生き物で構成される世界の成り立ちであり行く末なのだろう。

考えていくと僅か100年足らずの寿命であるのが残念になる、しかし1億年先までの未来を連綿とつながる自分のDNAは見続けていってくれるだろう、それがあってこその寿命と思い切ることもできる。
命の連鎖は面白い。福沢諭吉から一気に考えが拡がるのもまた面白い。世界は面白いことで満ちている。




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2018年5月17日 (木)

傘を治す

あまり傘は使わないのだけれど、雨が降りそうで散歩に出る時等にはポケットに入るくらいの軽い安い折り畳み傘を持ち歩くことがある。
つい半月ほど前 何かの拍子にこの傘の骨がぽっきり折れてしまった、安い傘で買い直せばいいのだが、ごみが増えるだけなので治してみる。物を「なおす」というと直すという字を使うべきだろうが骨が折れたとなると治すと書きたくて書いてしまう。

Kasanaos

アルミの骨格ということもありいじりやすい。折れた部分の継ぎ手となる釘を適当に探してきて骨の両側の溝に押し込み周りのアルミをペンチでかしめる。これだけで一応使えそうな感じになった。ビニールテーを巻いて継ぎ手の脱落を抑えて完成とした。曲がりが残るがちゃんと機能してほのかな達成感がある。これで使っていてまた壊れればその時は買い直せばいい。
壊れたものは直せばいい、また壊れれば買い直せばいい、買うのが金銭的にためらわれるようになれば何かをあきらめればいい、単純な生活を送っている。単純な透明な生活、望んでいたものに違いない。
しかしまだまだ捨て去ることのできるものを数多く抱えている。

Yotto

この春からヨットをやめた。未練があるが体力的というか体調的というかよほど安定してないともはや一日続けてはできないなと思うに至ったことによる。
フルートもばったり吹くのをやめている、やはり体調上、肺がきつくなるような気がしているためだ。
山歩きも体に負担を感じるほどにやれば内臓がてきめん不調になる、ほんの散歩+アルファくらいしか体が許してくれない。
ランニングは5kmのスロージョギングがいいところだ、少しピッチを上げて負荷をかけると心臓がリアルにおかしくなる。以前軽くできたと思っていたレベルの運動は次々に捨てざるを得なくなっている。しかし捨てても捨ててもやることはなくなりはしない。


Skii

スキーはまだ捨てた気がしないが九州に引っ越してからこのかた全く滑れていない。この地でスローペースでのんびりしたスキーをやるなどは到底できそうにない。北関東にいた時のように自宅を出て1時間半でちゃんとしたスキー場で滑り始められて3時間も滑れば満喫して引き上げる、そんなことはもうできない。この地ではまともなスキーといえば遠くまで出かけて行って泊りがけでマイペースで一日滑って戻る、こうなる、一人ではできそうにないし付き合ってくれる人もいそうにない。スキーも捨てたも同然だ。

こんなに捨てたのに何故か日々が気ぜわしい。まだ見ていないもの、訪れていないところ、なんでも見たり訪れたりしたくなる。寿命というものを見つめ始めている、そう感じる。ちょっと嫌だがそうなのだろう。何にでも正面から向き合うようにしていかねば、そればかりを思っている。

それにしても、傘を治す、単純なことだが、捨てるべきといつも迫られている心地がしている時に一つでもささやかに押し戻せたという感触があって、どこかいい。

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2018年5月15日 (火)

離島に行けない

連休に新潟の粟島に春の渡りの野鳥を見に行こうと計画して 福岡‐新潟の航空便を何とか安く予約するとか、瀬波温泉の宿を渡る前に泊まるために1泊分予約するとか村上付近を渡る前に見て回ろうとレンタカーを予約するとか、色々準備した。関東にいたころの鳥の仲間に現地で合流させてもらう手はずでもあり楽しみにしていた。気になるのは天気だった。
15日前から北半球の高層500hp高度分布予想は米国colaのサイトに出てくる、これが普通にネットで手に入る情報として一番早いと思っている。15日前にこれを見ると予定の日程のあたりでトラフ(気圧の谷)が日本海を西から東に走りそうだ。これは荒れるかもしれない、しかし変わりやすい5月の気象では早まったり遅くなったりそれほど厳しくもなくなったり、その通りにならない可能性も十分ある、でも注視しなければならない。そう思ってそれから気象庁の11日予測GSMモデル結果やwindyの欧州気象庁(ECMWF)の予測を追い続けた。特に気になるのは嵐による波だ。

Nami

およそ35km離れた粟島と本土側岩船港の間にはこの時期大型のフェリーが毎日1往復、小型の高速船が毎日3往復している。高速船は1.5mの波高の波で欠航となる、フェリーは3m位までなら運航されるがそれ以上では欠航となる。飛行機便の都合もあり旅行の計画としてはフェリーだけを使うというわけにいかず往きフェリー帰り高速船としていた。予定の日が近くなってきても天気

Hakou0505

の見通しは一向に好転しない。少なくとも往きのフェリーは出そうだが帰りの高速船はかなり怪しい予測となってきた。帰りは低気圧通過後の南風で海面を風が吹き渡る吹送距離は短めにはなるが10mを越える風となり1.5mの波高はオーバーしそうだ。windyのECMWF予測では2m位の波になると出る。予定の高速船に乗れなければせっかく抑えた航空便に乗れなくなる、安い切符でも不可抗力では変更はしてもらえるが次の便は満席で連休が明けるまで新潟に2泊くらいしないと戻れない可能性が高い。これはもう旅行として成り立たない。合流するメンバーとも相談してキャンセルすることにした。航空機の切符が旅割75という安い切符であることもあり日が迫ってのキャンセルは6割くらいキャンセル料をとられる。しょうがない。片道一人分だけマイルを使ったフライトにしていたが取り消し手数料として3000マイルとられた。これもしょうがない。宿やレンタカーもキャンセル料が発生する時期になってのキャンセルだ、いくばくかとられてもしょうがない。新潟で途方に暮れるよりましだ。

暫く落ち込んでいたが、それでも連休は日帰り旅行やどんたく見物などでそれなりに楽しんでいた。
連休も最終日に福岡の北40kmほどのところにある小呂島に鳥を見に行こうという話が前からあって粟島行きとぶつかって不参加としていたが粟島行きがなくなったのでこちらに参加してみようと話に乗って行く気でまた気象と波を調べていた。こちらは高速船が日に2往復で日帰りでは朝行って3時間くらい歩き回った後同じ船で引き返すという計画になり、やはり波高1.5mで欠航となる。天気の見通しは予定の日の夕刻に低気圧接近で荒れてはくるが昼過ぎの帰り便あたりならば何とかなりそうな雰囲気だった。前日になって気象予測データを見ると荒天がやや早めに訪れそうとなってきて際どい。もし帰りが欠航となると島には宿泊施設や食堂はなく かなり厄介なことになる、予想では当日帰れなければ翌日も荒れが続き翌々日になってやっと帰れるということになりそうだ。これはかなりなハイリスクとなって直前で中止と決まった。予約はないのでキャンセル料ということはないが、またかと落ち込んでしまう。

風の吹送距離と波高の関係を示した経験式、Wilsonの公式では40kmの吹送距離では13m/sの風で波高は1.5mを越える。低気圧が通り抜ければ海上で風速13m以上の風はありうる風だ、低気圧が近づくと離島は遊びに行けない。勿論北西風など海側から吹いてくる吹送距離の長い風では8-9mの風でも1.5mの波高となりもっとしばしば欠航は起こりうる。一昨年の沖縄慶良間諸島に波が高くて行けなかった教訓が1年もすれば頭の中から抜けてしまっていたようだ。

離島にはなかなかキッチリ決めては行けない。しかし厳しい自然があってもそれに勝る価値があるから人は住み着く。
魅力的な島ほどリスクがある。思い知るべきだ。

遊び心で離島に行くには思いついたように直前に天気を見て決める、なるだけ日帰りにする、これしかないのかもしれない。また狙ってみよう。

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2018年5月13日 (日)

カズオイシグロの「わたしたちが孤児だったころ」を読む


Watasitachigakoa

このところカズオイシグロの作品を読むことが多くなった。
この「わたしたちが孤児だったころ」(原題:When We were Orphans)は「充たされざる者」の次に発表された長編で丁度うまく図書館から「充たされざる者」の次に順番が回ってきた。こういう風に読むと違和感があまりないが、「日の名残り」の次に読むと、何だこれは、という印象が出てくるのではとも思う。素直に読むべき小説ではない。

探偵が主人公の私小説という設定自体が奇妙だ、リアリティが希薄だ。歪んだ眼鏡を通して物語を追っていく気分になる。戦前の上海という舞台設定もこの世ではない世界のようにも思ってしまう。上海で現れる日本軍人はぎこちないし再会した幼い頃の親友だった日本人の像も揺らいでいるように思える。
実体験のない世界を奇妙にひずませることによってそれを見ている読者を巧みに構成されたイシグロの世界にリアルに引き込んでいるような気がする。面白いつくりの小説だ、スピード感がある。異様な展開も時空を超えて予想されたような結末となって普通に話は終わる。変な読後感は残らない。「充たされざる者」に比べればはるかに読みやすい。


それにしても上海の租界というところはは随分と異様な世界だったようだ。今も残る建物群が1か月ほど前訪れた北京とは相当に違う雰囲気を現在でも与えているようだ。また格安プランででも行ってみようか、それもいいか、との気がしてきている。

心象風景を現実に見る、ゆらぎながらこれを行う、こんな遊びが面白いように思えている。カズオイシグロに影響されはじめたのかもしれない。

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2018年5月 8日 (火)

昔住んでいたところを歩く

昔住んでいたところを歩いてみよう、ずっとそう思っていた。自宅から歩いて5分程のバス停から出る路線に乗れば乗り換えなしで行ける。又は最寄駅から西鉄電車で行ってもいい、簡単に行ける。それなのに福岡に引っ越してきて実際に訪れるまで5年かかった。いつでも行けるという気持ちがここまでずるずると引き延ばしてきたような気がする。
結局3週間ほど前のとある日思い立って全く唐突にふらりと出かけた。すぐ近くのバス停から駅行きが来ればそれに乗ればいいし間があれば少し離れたバス停からバスに乗ればいい、そんな風に思ってまずはすぐ近くのバス停の時刻表を見ると数分後に駅行が来るようだ。ラッキー!とこれを待って乗り込む。ミニバスだ。久しぶりに乗る、駅東口が終点となっていて、前に乗った西口で降りるのと行き方が少し変わっている。なんでも変わっていく。短い間にも世の中は動いていく。
次の
まで西鉄電車に乗る。
そういえばこの駅で降りた記憶が昔にもない、というか蘇ってこない,その先で降りるのが常だった。駅の階段を降りて出たところでも地理がピッと頭に来ない。暫く眺めまわしてああこっちだとわかる。
街角の記憶は薄っすらとしかない、写真があればいいがそんな写真は昔撮ってはいない。

Jinjyax

北へバス通り沿いに下っていくと右手の路地のずっと向こうに鳥居が見える。西鉄電車の高架線を越えた向こうに神社があるようだ。こんな神社は全く記憶にない。昔は西鉄電車が高架になっておらず土手のように盛り土した上を走っていた、そんなせいで土手の向こうの記憶が乏しいのかもしれない。とにかく人の記憶などあいまいなものだ。
川を渡る橋の少し手前を右に折れる。道の向こう側には駄菓子屋があったはずだが勿論今はもうない。近くの外車ディーラー大手のショーウインドーは健在だ。生き残る

Dagasiyaato

のは大手だけなのだろうか。右に曲がって進んでいくと昔ここらのどこか広い場所でラジオ体操を行ったと思い出すがそれらしい場所はない。変わってしまった。進駐軍の将校が接収して住んでいた角の家のところまで来る。今や背の高い建物ばかりで面影はない。昔住んでいた区画の中では自宅の裏にあったやや大きな木造の家がそのまま残っている、50年以上前そのままの姿に少々驚く、但し空き家のようだ。その他の家は全く面影がない。もと自分が住んでいたところはと見ると今は通信制の高校のビルになっている、初めて知った。通信制でありながら全日制

Uraroji

のユニークな高校で芸能人も輩出しているようだ。
昔の風情を感じるどころか驚きだけだ。昔歩いた道を行きつ戻りつジグザグに歩いて先の電車の駅に向かう。途中でおやという張り紙に出くわす。昔行きつけだった床屋だ、寄る年波には勝てず3月末で店を閉めました、とある。惜しかった、あとひと月早くここを散策しておれば床屋の主人か女主人と言葉を交わすことができたものを。喧嘩床屋と「うち」ではあだ名していた、いつも床屋夫婦が言い合いをしながら髪を切ってくれた。昔の思い出のままとなってしまった。80才は過ぎているだろうから店を閉めるのもむべなるかなだ。
駅に抜ける抜け道だった細い路地が拡幅されて立派な歩道になっている。変わり続ける。
高架になった駅を左に見て1丁目に向かう。途中で右へ折れて昔 通学のバス停までの経路として使っていた道を探してみる。すっかり様子が変わっていて道を見つけるのさえ苦労する。
しかしどんどん昔の記憶が蘇ってくる。路地の太さの感じが昔の記憶より細い。周りの建物の高さが高くなったためだろうか。
一丁目で終わりにしようかと歩いてきたのだが着くとまだ元気だしずんずん歩けて面白

Rakusui

い、もう少しと柳橋の市場に向かう。手前で少し休憩したくなったのと喉の渇きを覚えたのとでコンビニでアイスコーヒーを飲む。座れるところのあるコンビニは有り難い。
長くいるのも気が引けて飲みながら歩く。柳橋市場に来たのは小学校以来のような気がする。古い記憶だがあまり変わっていない感じがする。見るだけで通り過ぎる。昼下がりの時間帯では活気も少ない。
思いの外短くて市場を抜ける。ここまで来ると出発前に何気に見ていた楽水園の紹介が思い起こされて楽水園まで行って終わりにしようと想い始める。手に持ったアイスコーヒーの飲み残しカップが邪魔だが捨てるところがない。
住吉神社のところまで歩いてくる、通りは人は多くないが旅行者風の姿がちらほら見える。
住吉神社境内に入る、池にはマガモがいてつつじがきれいだ。広い境内を歩いて本殿のところに出る。5年前の正月に初詣に来て以来だ。

Suikinkt

5年前の混雑とは様変わりして落ち着いた雰囲気がある。中国からの旅行者の一行が過ぎていく。
昔 海に向いていたといわれる正面入り口から出て右回りに縁を巡って樂水園に至る。この地にあった明治時代の豪商の別邸庭園を再現したような庭園で建造は戦後だ。茶室で抹茶を飲む。ちょっと気が休まる、雰囲気はいい。そういえば水琴窟がここにはあって音が聞けると思い出して尋ねると、庭の石に水をかけて耳をすませば聞こえるという。早速試す。周辺の都市雑音がやや気になるが石に柄杓で水をかけて耳を澄ますとゴアンゴワンというかすかな音が聞こえる。フーン優雅な響きだ。博多塀などもじっくり見て近くのバス停から帰路に就く。何だか満喫した思いだ。

昔の記憶を思い起こしながら気ままに街を歩く、これは案外面白い。計画しないところがいい、そんなことが気ままにできる街だし、歳だ。
また新しい遊びを見つけたような気がした、果てしない時の流れは泳ぐように過ごしていくだけで楽しい。

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2018年4月 8日 (日)

北京ツアーその1

2月頃、3泊4日食事つき3万5千円という格安の北京ツアーが阪急旅行から出ているのを見つけてこれは安いとつい申し込んでしまった。中国には行ったことがないのがかねてから気になっていた。

申し込んだ後で色々調べたがホテルも普通のデラックスホテルのようだし、往復は中国東方航空だがJALとのコードシェア便となってもいるようでLCC便というわけでもない、普通のツアーのようだ。ちょと中国を覗いてみるには手頃なツアーに見える。

20180406kisyou

出発の日が近づいてくると天気がかなり怪しい。気象庁の全球モデル計算では、帯状高気圧の晴天が長い間続いたののお返しのように北から寒気が急速に下りてくるという予測となっている。4月5日6日が観光の行動日なのだが丁度ここに合わせたように気温は下がるし風も強いと1週間くらい前の予測で出てくる。
近づいてくれば予測も変わるだろうと毎日のように北京や万里の長城の予測データを更新していくが、たいして良くならない。5日は朝のうち北京は雪で1℃くらい、夕方に向かって寒さは少しは緩むが5-7℃くらい、次の日の万里の長城は標高800m位の現地でやはり0度付近、晴れるものの風が10m位吹くという予測だ。4月2日までは北京も初夏の様な暑い日となっていたので本当かいなとは思っていたが出発の4日になると北京の気温は急降下しているのが実測データで解る。どうしようもない、本当のようだ。欧州気象局(ECMWF)の予測もほぼ同じで、着るものをしっかり冬装備にして出かける。
昼過ぎに福岡空港の集合場所に行くと30人位ツアー参加者が集まってくる、思っていたよりずいぶん多い。どうやら人気のツアーらしい。

Flight

中国東方航空の福岡北京便は青島空港で一旦降りるため青島で入国審査を受ける。少し時間がかかるがまあそれも旅らしくていいだろうと乗り込む。福岡から同行の添乗員は居ないので青島が少し不安だがなんとかなるだろう。

機体はエアバス321で座席も普通だ、特に狭いわけでもない。スチワーデスに一人日本語を話す人はいるがあとは日本語は通じない中国人ばかりだ、しかし海外便としては普通だ。青島までの2時間少しの間に軽食も出る、東方航空は食事が良くないとネットにあったがサンドイッチなどと軽食としては普通の感じで飲み物も青島ビールなども無料で飲める、十分だ。機体が青島空港に進入してくると中国の地上の景観が見えてくるが日本では見られない光景だ、規格のきっちりそろったアパート群がずらりと並ぶし空港直近のエリアは矩形に区切った工場群が延々とつづく。統制されている力と平地の多さと人口を感じてしまう。

青島では全員機体を降りて北京まで行く乗客にはGate11Bと書かれた乗り継ぎカー

Noritugi1

ドが渡される(写真右のオレンジのカード)。暫く進むと北京(ぺきん)と声を出している係員がいてその方にわかれて進む。ネットの書き込みでは係員がプラカードを持って誘導とあったがそんなものはない。係員に笑顔もないし恐ろしくぶっきらぼうだ。ここに並べともいわないので勝手に先に歩いていくとどうやら様子が変なので係員のいるあたりに戻り形成されていた列に並ぶ。ここで入国審査となるようだ。丁寧な誘導などは期待しても無理ということのようだ。
入国審査を終わり道なりに2階へ上がり左手のドアを開けると国内線の出発ゲートが見える、道案内はないが思ったより迷いそうでもない。ゲート11Bに至るとどうやら出発が遅れるようだ、北京空港悪天候のため出発が遅れるとボードに手書きの英語で表記してある。

ついに荒れた天気がやってきて、雪になったのだろう、着陸コントロールが混乱しているのだろう。ゲートは暫く開きそうにない。しょうがないとぶらぶらしているがコーヒーでもとコーヒーと看板の出ている店に入ってコーヒーを頼む。持ってきたメニューを見ると一杯60元というから1000円位することになる、これは高いがメニューで見せられるまで価格は解らない、綺麗な店でもなくコーヒーもうまくない、こんなぼったくりコーヒー屋が空港の制限エリアの中に店を出せているというところが中国という国なのだろう。フーンと思ってしまう。怪しい国だ。
予定よりかれこれ1時間くらい遅れてようやく北京に向けて出発した。こんな時には添乗員がいないのはちょっと不安ではある。機内ではまた軽食(チキンハンバーガー)が出て、夕食を食べなくても持ちこたえられるかなという気もする。ツアーのパッケージには初日の夕食だけはついていなかった、ホテルに入ってももう遅いのでレストランは閉まっているだろう。
1時間半くらいで北京空港に着陸する。雪だ。水っぽくてみぞれのようで滑走路には積もってはいない、が、寒い。ボーディングブリッジは無くてタラップの上で慌てて傘を開いてバスに向かう。暫くバスで走ってやっとターミナルビルに着く。広い空港だ。荷物をピックアップすれば審査済みなのでそのまま出れる、出たところで現地ガイドが2人待ち構えていた、とりあえずは安心する。バスに乗り間違えて離れた所へ行ってしまった人がいて全員集合まで暫く待つがこの間に近くのスタバでパンを少し仕入れる、今晩はこれ

Yuki

だけあれば乗り切れるだろう。荒れ模様の北京ツアーはこんな風に始まった。旅らしい不安があるスタートだ。
空港からホテル(フォー ポイント バイ シェラトン 北京 海淀)まではバスで40分くらいかかる、チェックインして部屋に入ると予想以上にいいホテルだ。歯ブラシや髭剃りなどのアメニティもそろっているしスマホのwifiもつながる。しかし検索はgooやbingのサイトがつながるだけで見れるサイトも限られている、中国政府の金盾ファイヤーウオールは強力だ。ともかくこれなら3晩は楽に過ごせそうだ。

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2017年12月26日 (火)

インスタグラムの写真が

昨年春、インスタグラムに写真を上げ始めてもう暫くたつが、色々発見がある。
この間に心に思うことは、たいしたことでもないが、写真は何らかの加工をしないと自分の感じたものが出ない、というあたりだ。

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1hakubutua_2

まずは遠近法の補正だ。斜めから見た写真を正面からの視点に変え物の押し出してくる感じを拡大したりする。
意外感が出せる。投影ではないものそのものを見る感じがする。

ぼけた写真がかえって面白みが出ることがある。例えばこの写真だ。明らかなピンボケで、普通なら消してしまいたくなる写真だ。これを色彩でいじっていくとボケたところに新たな線が現れ写真の表情が変わ

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2karasuuriba_2

る。新しい質感やフォルムが生まれる。更にはこの手順を後で再現しようとしてもうまく再現しないことがある。アプリケーションソフトのちょっとした調整でぼけた画像ほど面白い変化が多層に出てくるのを感じる。
ボケた写真でないとこれが出てこないのが普通では信じられない。
ピンボケの写真にも存在理由があるというか、ピントのきっちりあった写真より価値があるという感じさえしてくる、人の世の縮図でもあるようだ。
色もトーンカーブをいじっていくと隠れていた色調が表に出てくる。元の写真を改めて良くみるとそこにほのかにそんな色合いが隠されているのが解る。世界は思いもよらない色で出来上がっている。

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3takasagomozua_2

画像の部分カラー化も面白い。野鳥や昆虫のように本来バックグラウンドに埋もれてしまうような保護色の色彩をそれだけをカラー化して背景をモノトーンや単色化してしまうと対象の存在が際立つ。フィールドで鳥を見る時人は意識の中でそのような感じで鳥を追っているように思う、その感じがよく出てくる。きっちりと写された写真が実は自分の感じている自然でないことが解ってきて面白い。音の世界でいうカクテルパーティー効果(騒がしいパーティーでは周りの雑音からその人だけの声を脳が聴き分けて会話ができる、録音したのでは雑音に消されてしまいわからない)というのが視覚の世界でも存在する様だ。

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風景を眺めた時にも、意識の中では見ていないが写真に写ってしまう電線や看板のような人工物も暇をかければ消し去った画像にできる、そうすると、良く取れた写真だ確かにこの風景を見たとの記憶になるから面白い。

次第に絵を描いているような気持になってくる。本当に見たものを感じたように表現したい、そう思うとただの写しっぱなしの写真ではダメなようだ。

こんなことはもしかしたら写真学校では当然の様に教えられている内容なのかもしれない、ともかく生きて動いていると何をやっても学ぶことが多い。


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2017年9月20日 (水)

小笠原への旅ーその3

小笠原への旅、続き。

5日目 南島・ドルフィンスイム・出航
この日は15時半に東京に向けて出港する予定だ。
出港までの間の過ごし方とをどうしようかと思ったが、小笠原の海で兎に角遊びたかった。父島自然遺産の核心部とみられる南島への上陸ツアーとシュノーケル・ドルフィンスイムがパックになった半日ツアーがあったのでこれこれと事前に申し込んでおいた。
小笠原観光が主催するツアーだ。事前申し込みで一人4800円と割安感があったのもある。結果的にこのツアーが費用対感動比が最もよかったツアーだったと思う。小笠原では恐らく一押しのツアーと言っていいように思われる。

Minamijima0

水着を付けて8時15分に事務所に集合、20名弱いる。泳がないという人も数名いる。やり方のざっとしたところの説明を受ける。ドルフィンスイムはライフジャケット無でシュノーケルと足ひれでイルカと泳ぐというのが標準だが、勿論外洋だ、足がつったりすると厄介だからライフジャケットはつけることにする。速くは泳げないがイルカと一緒に泳げなくても見物はできるだろう。
青灯台のところから小型の船に乗って出発する。まずは南島を目指すがその前にもうイルカ発見!準備してくださいの声がかかる。やや不安があって要領や注意をよく聞きたい組はインストラクターから船上で細かく要領を聴くことに時間を費やし1回目はパスする、もちろんこの組だ。直ぐに2回目の準備してくださいの声で共にシュノーケルや足ひれを付けて合図とともに船尾から次々に海に入りイルカのいる方向へ向かう。先の方にイルカが水面近くで泳いでいるのが見えて追いかけようとするがとても追いつけない。程なく海上で集合となり

Minamijima1

船に上がる。大体感じは解った。イルカを見るシュノーケリングと思えばそんなに間違いはない。


南島に近づいて今度は南島上陸となる。船はかなり岩が迫っている水路を抜けて鮫池とよばれる入江に入り船のへさきから南島に上陸する。あたりにはモンバノキやクサトベラと呼ばれる柔らかい低木の木々が一面にはびこっている。他では見れない景観だ。

Minamijima2

まずは東側のラピエと呼ばれる鋭い石灰岩でできた尾根にちょっとした登りを上って見晴らしの良いところに出る。

 

 

 

Minamijima3

なかなかの絶景だ。石灰岩とサンゴが作り成す景観が他では無い切れ味のいい眺めをつくっている。

 

 


Minamijima4

来た道を下って今度は扇池の方へ向かう。途中ミズナギドリの巣が低木の間にあり雛が動いているのが見える。こんなそばでミズナギドリの雛を見たのは初めてだ。これは貴重だ。

 

 

 

Minamijima7

 

サンゴでできた砂の扇浜でマイマイ(ヒロベソカタマイマイ)の化石群を見る。

 

1000-3000年前の化石で今は絶滅しているという。この島は変わり続け走り続けているような気がしてくる、地球そのものに接しているような気分だ。

 

 

 

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また砂の中に生まれてすぐのウミガメの赤ちゃんが海までたどり着けなくて死んだばかりの様も見る。厳しい自然だ。

 

 

 

 

 

 

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水際まで行くと、うまく水の中に入れたウミガメの赤ちゃんが必死に泳いでいるのが目に入る。初めて見た。こんなひ弱な姿で生き延びられるのだろうか、もう親はそばにはいない。

自然の不思議を見る。

 

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扇池が海とつながるあたりの自然のアーチは小笠原紹介の写真でよく見る光景だ。絶景ポイントだ。

本来はこの海で遊べればと思うが自然保護の意識がとてもそんな大それたことはできないと思わさしめる。ずいぶん昔の写真で尾瀬ヶ原にクルマが入っていた光景を見た記憶がよみがえる、とんでもないとしか今は思わない。時代とともに変わる価値観が体に染みわたっているのだろう。

この場所では長い時間を過ごしたいそんな誘惑にかられる。しかし南島の上陸は最大でも2時間と厳しく制限されている、そうでもしないと簡単に壊れてしまう環境のようにも思える。その脆い自然に心を惹かれるのかもしれない。

 

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Minamijima5メジロやカツオドリの姿も見る、場違い感のあるチュウダイサギが飛び回ってもいる。これからオーストラリア方面に抜けるのだろうか。ともかく鳥達にはいい休憩地の様だ。

 

 

南島を離れ今度は兄島周辺水域に移動する。イルカの群れ発見準備してくださいの声に従って海に入るとやや下を10頭以上の群れが泳いでいる、すぐ近くを追い抜かれたりもする、見ていると女性の素潜り2人が素早く急降下しイルカを追っていく、かなり慣れているし絵になる、息が良く持つと驚くばかりだ。水中用カメラも一応用意したがバッテリー部分に水が入って使い物にならなかった。次はもっとしっかりしたものを準備しよう、次の機会が作りたくなる。

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船に上がって今見たイルカの群れを船上からイルカウォッチングする。ミナミハンドウイルカだ。海面の動きも面白いがやはり海中で見るほうがはるかに感動的だ。
最後に兄島南側のポイントではシュノーケリングで海に入る。美しい所謂熱帯魚が沢山いるが海底

 

にはところどころにナマコがゴロンとしたりしている。透明度が高い海だ、よく見える。港に戻る際には兄島の上を飛ぶオガサワラノスリまで見てしまう。随分色々なものを見た。

 

昼過ぎに青灯台に戻って解散となる。海と自然を満喫した気分だ。

この日のツアーの有様は 小笠原観光のページにも掲載がある、自分では撮り損ねたイルカの水中写真がいい。

宿のキャベツビーチはこの日の朝チェックアウトしているが、荷物も置け、シャワーも使え、出港時間に合わせて港に送迎もして

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くれる。帰る日はどうなるのだろうと気にしていたが、そういうやり方でどこも動いているようだ。小笠原では悩ましいことは何も起こらない、そういう所に思える。

 

最終日が最も感動的な日となっていい印象で15時半の出航を迎える。船はもう慣れた雰囲気だ、のんびり夕日を楽しんでこの日を終わる。それにしてもレストランの中の喋り声のトーンが往きの船より数倍上がっていてうるさいくらいだ、刺激的な旅をそれぞれに胸にしているようで面白い。

 

 

6日目 帰りの航路

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ひたすら東京竹芝桟橋を目指しておがさわら丸は進む。鳥島は真夜中通過で朝日の後は八丈島、三宅島と進んでいく。コアホウドリでも出てくれないかと海を見ているがミズナギドリが出てくるばかりだ。のんびり眺めているので気が付かないのかもしれない。面白いといえば時折イルカの群れが出てくるくらいだ。
予定より若干早く竹

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芝桟橋について往きと逆コースでテキパキと羽田に到着する、早い。カウンターで予約

 

より2つ前の便に変えてもらって夕食は空弁にしてすぐに乗り込む。いい旅だった。出発前の心配は綺麗に吹き飛んだ、やはり時々こんな旅が必要なようだ。

戻って改めて買い込んでいたガイドブックを次々に読み直してみるとウソのようにすらすらと頭に入る。そうだったのか、と思うところがいくつもあるがとにかく書いてあることに親しみが持てる。また行きたくなる、そういう所の様だ、小笠原は。

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2017年8月25日 (金)

暑い夏はオペラと星で

暑いのであまり出かける気にもならない。海にさえ行く気がしない。

こんな時はブルーレイに録画して貯めておいたオペラを見るにはちょうどいい気がする。オペラは長いのが多くて放映時その時に合わせて根を詰めて見るのはかなりきつい。
2日ほど前は今年のバイロイト音楽祭の幕開けの出し物、ニュルンベルクのマイスタージンガー がNHKBSでほぼ5時間にわたって深夜に放映されていたものを録画で見ていた。ワーグナーだ。ワーグナーはジークフリートの出てくる神話ものがどうにも肌に合わなくて敬遠気味だった。このニュルンベルクのマイスタージンガー も神話ものかという思い込みがあって1-2年前METの公演がWOWOWで放送されていたのも見ずじまいになっていた。とにかく長い。
あらためて見てみると話は神話でなく中世のニュルンベルグが舞台となっている。今度の祭りでマイスターの歌比べをやる、優勝者には金物細工のマイスターが全財産を与え一人娘と結婚させると言い出して、話が回り始める。結局この娘と恋仲になった騎士が祭りで素晴らしい歌を披露してマイスターとして認められて優勝、ハッピーエンドになる、というのが物語の超あらあらだが、5時間もの舞台だ、色々枝葉が付く。ともかくワーグナーにしては随分柔らかなオペラだ。そうはいっても、これまでの世俗的権威(マイスター)の持つ堅苦しいしきたりの無意味さ、それにしがみつこうとする人の愚かさに対する批判が全編を通じて流れている。さすがワーグナーだ。初演は1868年だから明治元年ということになる、世界が激しく動いていたころだ。その時代

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の沸き立つような雰囲気が背景にあるようにも思える。
 演出も趣向が凝らしてあって、舞台奥にニュルンベルク裁判の連合国の国旗が掲げられていたりして、ニュルンベルクという街の歴史的位置づけに思いが至るような雰囲気を与えている。連合国の権威が米英の政治の混乱で揺らいでいる今日世界を暗に揶揄っているようにも見える。
なかなかのオペラだった。

オペラを見るにせよ暑い昼間は大人しくしている他ないということもあって、最近、夜、星空の写真を撮っている。

手持ちの一眼レフ ペンタックスK-5に適合する簡易赤道儀機能の機器が大分前から売られていたのをふとしたことで知り早速入手して試している、O-GPS1という。カメラにもともとついている手ぶれ防止機能を星追随用に利用する。カメラの向き・位置

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はGPSナビゲーションの機能を持つO-GPS1が正確に把握してユーザーはカメラを3脚に固定して望む方向に向けてシャッターを切りさえすれば2-3分なら光学系が星の動きに追随して静止したように見える星の写真が撮れるというしかけだ。なかなか優れている。
自宅は福岡市の中心部・天神から直線で約4㎞のところにあり星などとても見えない気がしていたが、晴れた夜にO-GPS1を付けて2分くらい露光してみると、随分な星が写る。薄っすらと天の川も姿を現す。これは面白い。夏の大三角(デネブ、ベガ、アルタイル)をきっちり写すこともできて夏らしい(添付)。
300mmの望遠を使えば星雲が撮れたという例もネットで散見される。今度はアンドロメダ星雲にでも挑戦したいが何しろファインダーを覗いても見える星は限られている。これは狙いをつけるのが難しそうだ。

大げさな高価な機器を組み合わせなくとも手軽に天文写真が撮れるところは画期的だ、時代は進んでいる。

暑い夏も、どこへ出かけるというわけでなくともオペラを楽しんだり自宅庭から星を写したり それなりに楽しみ方があって、このくらいで済めば温暖化する地球も悪くもないか、そんなことを思っている。

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