2017年9月30日 (土)

移ろいゆく時・変わりゆく景観


1週間ほど前、思い立って干潟の野鳥を見に有明海の大授搦に出かけた。

これには前段があった。その前の日久しぶりにヨット遊びで小戸のヨットハーバーを訪れた折、終わった後つ

Tounen

いでだからと隣の小戸公園のほうへ鳥見でもと見に行った。浜の水際にチドリのような小さなシギが20羽位来ているのが目に入る。家族連れが多くて小さい子供がシギを追っかけるものだからなかなか落ち着いてみたり写真に撮ったりできないが後で調べるとトウネンのようだ。もしやヘラシギでも混じってはいまいかとつぶさに見ていくがいない。最近博多湾でヘラシギが出たとテレビで流していたような記憶があってもしやここのことかと思ったりしていたがそうではなかった。しかしこんなところにこんなシギがまとまってくるとは、そんな渡りの時期になったとの感慨があった。
それにしてもトウネンを見ても即座にトウネンの名が浮かんでこなかったのが気になった。これはいけない、時々シギチドリはちゃんと見てないとすぐに忘れそうだとの一種の強迫観念があって、翌日有明海の大授搦に出向いたという次第だ。

大潮から中潮に移るあたりで11時20分頃満潮というのも行きやすくて背中を押される思いで出かけた。

20170924daizen4a

8時半頃普通に自宅を出て満潮の1時間半くらい前に到着した、鳥のいるラインは若干離れているが、これから潮が満ちるにつれ寄ってくると思うと丁度いい距離感だ。
ダイゼンが多いが夏羽が変わりつつあって模様はいろいろだ。面白い。トウネンもまばらにいる。ヘラシギはと探すが見当たらない。シロチドリやダイシャクシギ他色々いるが識別はいまだにすらすらとはいかず、進歩がないとまた思ってしまう。
でものんびり移ろい行く秋の日を干潟で過ごすのは悪くない。気持ちが緩む思いだ。
9月はおやと思うことが毎日のように起きてきた、季節ばかりでなく、色々な事象の変わり目でもあるようだ。



干潟へ行った翌々日、福岡・六本松の九大教養学部跡地の再開発で新しいビル(六本松421)がオープンしたとあって出かけた。小さいころから何度も見ていた場所が大きく変容したことに
なる、見たくなるし、初日なら何か配られているかもしれないという期待もある、まったくの野次馬だ。

Ropponmatu421

福岡市科学館が入るビルの中にあるTSUTAYAとスーパーが先に開店した、科学館本体は10月1日開館ということらしい。
駐車場がどうなっているのかネットでもよくわからなかったが、どうにかなるだろうと正面なら右折で入ることになる西のほうからアプローチした。近づくと敷地の中央にPのマークが見えて右折でも曲がりこめるようになっている。満車ではないようだ。上り下りがすれ違うようになっている駐車場でやや狭い感じがするが上がってとにかく空いたところへクルマを押し込む。とめた階は丁度TSUTAYAのフロアーと同じでそのまま店内に入る。
武雄図書館のTSUTAYAのように軽食が売られており飲食しながら本を手に取れるようになっているが混んでいてあまり落ち着かない。手

Tutaya

に取れるところに色々本が置いてあるが、こんな本があったのか、という感じは武雄のほうが数倍優れている、普通では目にしないいい本がある、という印象があまりない。マスに合わせようとすると結局こうなるかと思ってしまう。それでも探していると、おや、という本もあってせっかくだからと買い込む。「シンメトリーの地図帳」という文庫本だ。かねがね自然の織り成すシンメトリーが気になっていた、自然科学の公式でも何故かシンメトリーが現れるようなところも引っかかっていた。こんな時に買う本としてちょうどいい。

1階のスーパーも覗いてみる、ちょっとおもしろそうなところはあるが驚くようなほどでもない、適当に引き上げる。

干潟の野鳥のように毎年繰り返される変化も、昔からなじんでいた都市景観の新たな変化も、変化はなんでも面白い。生きるということは結局は変化の中に身を置き続けることかもしれない、ふとそんなことも思った。変化の日々が過ぎていく。

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2017年7月26日 (水)

治水は人類の進歩とともにあり続ける

建築中の五ケ山ダムを見に行った。背振山の東にあって博多湾にそそぐ那珂川の上流部の水系に建設されているダムだ。福岡平野から山越えで吉野ケ里に行く時に通る場所にある。栄西が宋から持ち帰った茶の木を初めて植えたと伝えられるあたりということにもなる。古くからの歴史を抱えている場所だ。建設も終盤で貯水を始めているらしい。

Gokayamadm2

2004年頃取り付け道路の工事が始まり2012年にダム本体工事が始まった。自宅から佐賀に抜けるには便利なルートでしばしば使っていたがダム工事の進展に伴ってみるみる道がよくなっていくのが印象的でどんなダムができるのだろうと気になっていた。

 

今回は野鳥の繋がりで見学会があるというのででかけた。ビオトープも新たに作られているというあたりが野鳥とかかわりがあるということだろうか。
福岡平野は年間降水量は平均的には少なくはない

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が、年間降水量に占める梅雨時期の降水量の割合がほかの地域より大きい傾向があって空梅雨ではその影響を受けやすい、そのためだろう、やたらと溜池があるし大きな水不足に何回も襲われている。今は筑後川から水を送っていたり博多湾の海水から水道水を作ったりもして水には随分と苦労している。こんな状態を少しでも解消しようという多目的水利用のためのダムとして五ケ山ダムは作られているようだ、発電もあるがはダム自体が使う電気を賄う程度の極めて小規模のものだという。エネルギーをダムに求める時代は終わっているようだ。
勿論大雨が降った時はそれをある程度吸収できるように通常の水位には余裕を持たせ洪水防止にも機能するようになっているという。

今回のような北部九州豪雨でも筑後川水系のダムは例えば寺内ダムのようにギリギリまで大雨を溜め込んで水位調整に役立っておりその状況を見ると一時期叫ばれていたダム不要論は行き過ぎていたのかと思わせる。民主党政権下で見直された小石原ダムが間に合っておれば、という声もあるようだ。治水のかなめは矢張りダムが強力だ。中小河川を地道に抑え込む治水が大事の様だ。考えてみるまでもなく治水は人類の進歩とともにあり続けた。

それにしても巨大な工事による大規模自然改変であることは間違いない。生態系の維持を考えたビオトープの設置が最近のダムでは常識の様で、環境アセスメントの結果でそうなっているというような説明が見学時の質問に答えてあった。生物多様性基本法が実効的に動き出し、少しでもそんな多元的な思考が行われるようになったというのは時代の進歩といえるだろう。政治の世界も失敗もあるがいいこともしている、そう感じさせる。色々学び考えさせられる、こんな見学は面白い。

行き過ぎては戻す、この繰り返しで少しづつ前に進む、それが人類の当たり前の姿なのだろう。どこまで行けるだろうか、一億年後はどうなっているだろうか、見られないのが悔しい、また思ってしまった。

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2017年6月 6日 (火)

タイ特別展を見る

心に引っかかって気になっていた展示会がついに最終日になったというのでとにかく見に行った。近頃はPoster日程をコントロールする力が弱まっていて、きっちり予定をくんでおかないと何もできなくなるような恐ろしさが自分の周りに漂っている。ここで終わりという日には何をさておいても動くしかない。
観に行ったのは 日タイ修好130周年記念 特別展 「タイ-- 仏の国の輝き--」という九州国立博物館の出し物だ。東南アジアには訪れたことがなく知らなすぎるという引け目とどのくらいの文化だったのだろうかという純粋な好奇心のないまぜがたわいもなく心に引っ掛かりを作っていた。
 九州国立博物館は放送大学で学んでいると半額で入場できるということもある、行かねば損との気にもさせていた。

午前の早めに入場したが最終日の日曜日ということもあり混んでいる。駐車場も既に大分埋まっている。いつもは平日に訪れているせいか子供の姿が多く思える。
見始める。時代順に日本では法隆寺の時代に当たる頃の仏像から始まる。不思議P03 な形の仏像が並ぶ、ともかく顔の形が日本でみる仏像と全く違う、唇が随分厚いし口 が大きい。人種的には近いはずだが文化が違うとこうなるかとの印象を受ける。最初にどう作られたかで違ってきたのだろうか。勿論ここにも特有の美しさがある、力がある。
タイ語の文字も並んでいる。漢字文化とは全く違う。戻って調べると、インドの文化圏のようで、タイ文字はアショカ王時代にも使われたインドのブラーフミー文字というのがその源流にあるようだ。梵字などとも近しい文字らしい。タイに仏教が根強く生きているのもそんなことが関係してもいるのだろう。
文字がしっかりしていると文化も古くからしっかりと開花していく、メナム川(チャオプラヤー川)下流に栄えたドヴァーラヴァティー王国の7-8世紀の仏像や工芸品も並べられているがいずれも素晴らしい美術品だし精巧な細工だ。インド文化圏とも称せられる文化圏と中国を中心とする漢字文化圏の2つの有力な文化圏が厳然とアジアに存在し続けていたことを改めて知らされる。ちなみにベトナムは中国漢字文化圏の南端、タイはインド文化圏のヘリで 挟まるカンボジアは微妙な位置に昔からあったということになる、現代史が透けて見えるようでもある。学ぶことが多い。

15-6世紀の日本の戦国時代には多くの日本人がシャム(タイ)に進出していた。当然それなりの航海術が発達していて、立派な海図が残されている。これもここで見ることができる。むろん世界地図もあるが、特にロシア北岸の海岸線が良く描かれていることに改めて驚く。当時既に北極近くまでの地理的知識が世界的には蓄積されていたようだ。世界は広がっていた、鎖国がなければ全く違うアジアでの日本の広がりというものがあったに違いない、鎖国で安全は保てたが失ったものも相当に大きかったように思える。

予想していた通り気になっていた通りタイには日本と明らかに異なる優れた文明があった、リスペクトする心、それは知ることから始まるのだろうな、当たり前のことをまた教えられた気がする

まだまだ学ばねばならないことは果てしない。

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2017年5月19日 (金)

東西合同同窓会

高校の東西合同同窓会があるというので神戸まで出かけた。今振り返ると何かが詰まった旅だった気がする、昔暮らした街だが旅全体がそれらしい小さな驚きに満ちていた。忘れないうちに書き留めておこうと思う。

神戸を訪れるのは半世紀ぶりのような気がしている。宇都宮にいたころは宇都宮と福岡を何度もクルマで往復したが神戸は通り過ぎるだけだった。クルマで神戸まで行く、もうそんな元気はない。
同窓会翌日はゴルフをやろうというプランも用意されていたがゴルフはついに人に付き合えるほどにもならなかったなあと、やらずに帰ることにして、夜行バスで帰りを予約しておく。セパレート3列の座席のバスというから眠れそうな気がする。泊まるのは何か大げさで夜行バスで帰るくらいが安くてどこか感じがあっている。
行きは新幹線だがこれも安い買い方を調べてJR西日本のe5489という予約システムでお得とされる切符を事前購入した、10270円(普通に買うと14990円)で随分安い。ちなみに5489とは「ごよやく」の語呂合わせの電話番号でこの番号で予約を受けていたものをネット予約にしたのがe5489ということらしい。初めて見るとやや不気味な暗号のように見えてしまう、こんな言い方を使い続けていることへの疑問が湧いてこないところが旧国鉄らしいともいえる。でも旅らしい始まりだ。
切符の引き取りは 乗車当日JR西日本の券売機で「予約切符受け取り」を押して予約の時に登録していたクレジットカードを差し込み予約時登録電話番号下4桁を入力すればすぐに発券される。1度やってみると難しくなくて便利だ。とにかくみどりの窓口で並んで買うことからは解放されていていい。

新神戸の駅に着く、本来の神戸・三ノ宮駅からは結構離れていて歩いてはいけない。神戸市内の最終目的地までJRを使うなら途中下車となる計らいがあって、それ用の改札機が出口の左の方にある。切符を通すとハンコを押されて出てきて先でまた使えるという仕掛けだ、こういうところでケチりたくなる、それが出来るというのがいかにもJRの旅という感じがする。

新神戸駅のにぎやかなのには少々驚かされるがそのまま地下鉄で三ノ宮に向かう、一駅だ。高校にいたころはまだ新神戸などという駅はできておらず当然こんな地下鉄もなかった、新しい世界に来たような感じがする、半世紀という時の流れは偉大だ。

三ノ宮の地下鉄駅から阪急、JRと地下を抜けてサンチカに入る、やたら人が多いしDscn3171 なんだか店も多い。半世紀前はサンチカが出来たばかりでここまでの賑わいではなかった、歩いているとどこにいるかわからなくなって地上に出る、ほっとする、弱い雨が時折降りかかる。

センター街はどうなったのだろうと覗いてみる。勿論店は入れ替わっているようだが商店街としての姿は昔とあまり変わらない感じがする。震災でもアーケードは壊滅しなかったようだ。元町の途中まで行ったところでそろそろ今日の行事の一番目の母校見学の時間かな、と切り上げてせめてもの神戸土産にと たまたま目についたにしむら珈琲店で粗挽きの珈琲缶を買っていく。土産として手頃感と神戸らしさがある。

JRまで戻ってくだんの切符を改札機に入れると問題なく受け付けてくれる、これで幾ばくかは助かった。
住吉で降りて国道2号沿いを歩く。昔は国道電車と称する路面電車が走っていたがむろん今はその姿はない、昔の通学路だが風景はまるで変っている。住吉川まで来るとポートライナーの線が頭上を走り川底の昔ダンプの走っていた道は立派な遊歩道となってランニングしている人の姿が見える。六甲山はここから見た風景は変わらないがポートアイランドのために削られた小山が裏の方にあるのだろう、僅かに山を動かして街を広げる、そんなことを神戸市は半世紀も前からやってきた。
歩いていると 震災があったからだろう、新しい建物ばかりのように見える。

母校の正門のところに来る、見た感じ昔と同じようだ。きれいにはなっている。案内に従って集合場所に至り見学が始まる。集まった顔を見渡すとかろうじてそうかなと思う名前が2人くらい浮かんであとは誰が誰やらわからない。半世紀ぶりではこんなものだろう。
建物は震災でも持ちこたえてそのまま残ったが老朽化とやや人数が増えたことで改修増築されて中身は昔とだいぶ変わっている。プールからは高飛び込みの飛び込み台も消えて、代わりにというべきか校舎の屋上には天体観測ドームが設置されている。剛からスマートへのシフトがそこここにある。普通のことだろうし思ったほどには変わっていない気もする。

Dscn3225 母校見学会の後は同窓会となる、会場はトアロードの突き当りの洋館の一つという触れ込みだったが、行ってみると新しい建物のように見える。しかし格式がある、雰囲気がある、神戸らしい。
知らない顔が少しずつ解けてくる、様々な人生が交錯する。まだ働いている人もいる。

それぞれの顔からはどこかもう脂ぎったところが消えて全体がセピア色に変わりつつある、平和な眺めだ。
穏やかな談笑の続く2次会を適当に切り上げて夜行バスの集合所へ向かう、PMPTビルという三ノ宮の飲み屋街のただなかにある建物だ。入口の飲食店の客寄せかと見まごうばかりの係員にバスの出発予定時間を告げて待合室に入る。年代層が随分若い。若者の世界に足を踏み入れた感がある。出発10分前にバスのところまで誘導されて列をなして飲み屋街を歩く。
眠れるだろうかと悩む間もなく眠りに落ちる。歩きまわって疲れたのと酒が回ったのとある。丁度いい。山口県まで走ったところで休憩があり目を覚ましてバスの外に出てみる。夜行バスが何台も止まっている。どよーんとした感じが旅らしい。
やっぱり少々窮屈なところがある。ゆっくり眠れたとの感触はない。

でもコンパクトな旅だった、目的と交通手段がマッチした旅のように思えた。時を旅する。時が流れる。人が流れる。世代が流れる。

自分の座標がまた一つ確認できたような気がする。
今年は同窓会が続く、次は小学校の同窓会だ、振り返るばかりではもう先がないことへのあきらめと認めているようで、同窓会も変わるべきなのだろうけれども。

五月の緑がまぶしい。

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2017年5月 6日 (土)

インスタグラムと著作権侵害

インスタグラムに写真を投稿していると時々不愉快な事態に遭遇する。自分の出したInstag 写真とタグをほぼそのままコピーして別の人がその人のハンドル名でインスタグラムにアップしているというちょっと信じられないような事態だ。

発見はふとしたことからだった。
アップした時に殆どの人が使っていないハッシュタグを書き込んでしまって、しばらくした後少し後悔しながらタグのページを開くと自分のと同じ写真が2枚アップされている。あれっと自分のミスかと思ったりもしたが写真をクリックすると知らない人のページに行く。こちらにも いいね を打っている人もいる。
何なんだこれはと思うがロシア語であったりヘブライ文字が出てくるぺージであったりしてこんなことをしている本人に注意するのも厄介そうだ、どうしたものかと暫くほっておいた。ほぼ忘れかけていたが、つい4-5日前にSNSの著作権侵害に関するニュースが流れているのをテレビで見て思い出した。
せっかくだから著作権侵害の申し立てをインスタグラムに送る方法はないかと探してみると すぐに見つかった。やはり問題のところなのだろう。

Instagramヘルプセンター - プライバシーと安全 - 報告する と辿ると報告する手順が始められる。にっくきコピーページのurlをメモし、自分の対応ページもメモして手順を進めると最後まで行きつく。最後のところに電子署名の要求があり、電子署名?といぶかるがそのまま自分の名前を書き込む。これでOKのようだ。
送信して2-3日もしないうちに 削除しました との英文のメールがinstagram team から送られてきた。確認すると問題のページは削除されている、めでたしだ。まだあったと思い出してその後も申し立てを何回かやっているが慣れるとすぐにできるようになる。ネットで手続きが面倒だとの書き込みをいくつか見かけるがやってみるとそんなことはない。勿論日本語でOKだ。

ネットに出した写真は無断コピーは避けられない、ある程度の著作権侵害は防ぐのが難しいというのが実情と思うが、防ぐ手立てはとにかく講じてみるのが大事のようだ。すこしづつルールを固めていけばこれはひどいという事態は抑制されてくるだろう、ネットを便利に使っている現在の様な生活は少なくとも維持したい、これは知恵が出せればできるだろう、拡大しても行けるだろう。

とにかくこれから続いていく未来は言葉通り広く果てしないのだから。

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2017年2月11日 (土)

確定申告とマイナンバーカード

久し振りに雪らしい雪が降った。外に出にくくなる。しょうがない、クルマでも歩きでも、雪に慣れていない車の走る道は怖い。
Yuki2 しかし、2月の雪は冬らしくて眺めるにはいい景色だ。

2月といえば確定申告だが、今年は少々てこずった。

昨年まで住基カードを使ったパソコンによる確定申告でいつもそれなりの払い戻しを受けていた。いちいち出かけなくとも済むところがいい。
今年からは住基カードではなくマイナンバーカードを使わねばならないようになった、これが思いのほか手ごわいものとなっていた。
マイナンバーカードなど新たに作らずとも住基カードベースで不足する機能がもしあれば徐々に機能を広げていくことが適切だったのではなかろうか、いまだにそう思う。

まずはICカードリーダーだ。住基カードと同じリーダーで当然いけるものと思っていたら、マイナンバーカードを読んでくれない。ネットで調べると手持ちのリーダー(adr-rw5100)はマイナンバーカード不適合と判明した。何たることか。
こんなことがマイナンバーカード切り替えの時に起こることは当然予見できたはずで、リーダー共用性のあるカード仕様とするか、充分前からこのリーダーでは使えなくなりますとのお知らせを行き渡らせるべきで、そうと知れば別のを買ったのにとも思う、でも今更しょうがない、とりあえず新たにマイナンバーカード適合品(ACR39-NTTCom)を発注する。前のは捨てるしかないのだろうか、ごみを作ることに官僚は何の罪悪感もないのだろうか、謝罪もお詫びもどこからもない、いやな世の中だ。

ともかく新しいICリーダーは発注翌日には届いてすぐに確定申告を再開する。
カードにアクセスするところまで来ると、「ICカードを認識できませんでした。」とくる。
変だ。e-taxのガイドに従ってドライバーやカードリーダの接続やカードの抜き差しなどい Card1_2 ろいろやってみるが改善しない。
数時間悩んだ末もしやカードが裏表逆ではと、裏返しにして差し込むとこれが当たりだった。
住基カードと同じように写真のある方を上にして差し込んでいたのがよくなかったのだが、どうみてもこちらが表で特記されない限り普通はこちらを上にする。リーダーの取説にはどこにもそんな記載はない。ネットで少し調べるとこの機種で同じような経験をした人の書き込みがいくつか見つかる、勿論皆怒っている。随分なメーカーだ、情けなくなる。これが日本のメーカーの実力なのだろう、しょうがない。
いよいよデータを税務署に送る段になって、また先へ進めなくなった。
どうやらJAVAが最新版ではないのが原因ではないかと更新するとそのようで、少し進む。
と、また引っかかって今度はインターネット・エクスプローラ(IE)に管理者権限で入っていないとくる。
いまさらと思いながらもいったん閉じてIEの立ち上げのところで管理者として開くを選択する。最初からそう言えよと言いたくなる。
少し進むと今度はe-taxへの電子証明書登録が違うとくる。
マイナンバーカード作成の時に一度登録しなおすよう求められてそうしたのがe-taxには知らされてないということらしい、何の連結もなされていない。
少々怒りを覚えながらe-taxに新たな証明書データを更新登録する。
やっとのことで数々の障害をクリアして税務署への送付が果たせた。
今年は払った所得税すべてが戻ることになったが、そもそも納めていた額が少ないので大して戻らない。
当たり前だが払った税額以上のものは戻っては来ない、今年は保険の控除も全く役に立たない、しょうがない。

しょうがないしょうがないと言い続ける、そういう生き方になってしまったかとの感慨もある。いらいらせずにのんびり生きるほかないのだろう。

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2017年1月31日 (火)

トランプ旋風と文化遺産と

トランプ旋風が吹き止まない。これまでのアメリカが持っていた、善意を押し付けるようにして力を振りまくその姿を捨て去ろうとしているようだ。

メキシコ、カナダを従えた北米の王者がメキシコ、カナダに怯えて壁を作り自由貿易をやめるという、縮こまろうとしている。そんなに情けない国になることをアメリカ国民が選択したのだからしょうがないといえばそうだ。これまでの姿が保てなくなったら捨て去るほかないということだろう。そうするにふさわしい田舎者を選んだのだろう。


先日、筑後川中流の原鶴温泉を訪れたついでに浮羽付近の文化財は、と少し回ってUkihachizu みた。古い街だ。

浮羽の地名の由来は日本書紀に記されていて、この地への第12代景行天皇巡幸の折の逸話に基づくとされている。恐ろしく古い。少なくとも日本書紀がまとめられた8世紀以前に街が形成されていたのは明らかなようだ。
江戸時代、天領日田と久留米を結ぶ街道が筑後街道と称され筑後吉井や浮羽を通っていた。日田から更に東へは中津に抜ける日田往還で瀬戸内に出ている。

日本書紀にうきはの名が出てくることから考えてYosii1 も、ずっと昔から有明海沿岸地方と近畿を結ぶにはこのルートが用いられていたと考えることができそうだ。

筑後吉井には街道沿いの塗家造の街並みが残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

塗家造とは蔵屋敷ほど壁は厚くないが外壁を土塗りの白漆喰仕上げとして木部を覆い耐火的といわれる町屋建築で近世初頭から用いられた様式という。
訪れると、想像した以上に白壁の建物が続く。関東では栃木の街の白壁の景観が知られているが、ここはそれよりはるかに白壁の家の数が多い。
明治初期の大火で街が焼けそのあと塗家造りの丈夫な家立てられるようになって白壁の街が形成されることになったとの説明がある。通りはいまだに主要な道になっているのYosii2 でクルマの交通量が多く、立派な街並みだがゆっくり散策という風情でもない。ちょっとおしい。
公開されている2つの屋敷の内部も見て回る。鏡田屋敷といわれる江戸末期から明治にかけてつくられた屋敷では、よく見る旧家の形だが2階から見える入り組んだ屋根瓦の景観が重層的でいい。

確かに木造の並ぶ日本の街道の風景は、150年くらいもてば立派でそれ以上は火事で焼けたり朽ち果てたりで、石造りのヨーロッパの古い町並み景観のようにはどうしてもいかない。しかし今残せるようにしておけば100年後200年後には重々しく歴史を伝える景観となるのだろう。そう思えば進行形の歴史保存を眺めるというのも意味があるような気がする。

もう一つ近くに国指定重要伝統的建造物群保存地区とし新川田篭(たごもり)が指定Tagomori1 されているのでこちらにも足を延ばす。こちらは筑後街道から南にそれた筑後川支流隈上川沿いに展開している。

クルマで走っていくと途中に説明板があってそれとわかるが普通の山村・農村風景のように見える。棚田が石造りなのは立派だが、どこが国指定の建造物群かと思ってしまう。更に走ると三連の茅葺農家が現れこれがこの建物群の中で重文指定となっている平川家住宅のようだ。立派な造りでこれは確かに重要文化財という気がする。室内照明が落とされていて引き戸を閉めると暗くHiyabayashi1 てよく見えないが、そもそもがこんな明かりの家だったのだろう、かえって雰囲気が出る。古代より人は長く薄暗がりの中で生き延びてきたという歴史を感じる。
それにしても平川住宅よりほかは印象に薄い建物群だ。白壁通りとは好対照だ。
棚田のつづく山間の普通の集落が貴重な文化遺産として保護される、そんな時代になったのだ、そう思う。普通のように見える景色が次々と時の流れで消されていHiyabayashi2 く、そんな時代への危機感がこの集落の文化財指定を生んだのだろう。


何を残して何を捨て去るか、どこへ行ってもいつになっても、その決断から人は逃れられないのかもしれない。そんなことばかりを心に刻む日々が過ぎる。

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2016年12月26日 (月)

ボブディランが

まだ安定した冬型にはまらずに周期的に暖かくなったり冬の嵐が来たりが繰り返される。やっぱり暖冬なのだろうか。


ボブディランがノーベル賞の文学賞をもらって、そういえば昔少しはのめりこんだ時があったがと手持ちのレコードやCDを聞き直したり、カセットテープを探したりしている。カセットBob テープはいくつかあったはずだが見つからない、引っ越しの時にカセットはだいぶ捨てたがこれに混じっていたのだろうか、確かに引っ越すときはもう過去の人だからという思いがあって引っ越して直ぐに福岡公演がたまたまあったのだが聴かずじまいとなってしまった記憶がある。

ノーベル文学賞とはまさかと思った、まさか、ということがよく起こる年だ。確かにターニングポイントの年かもしれない。

立て続けに放送されるボブディラン特集番組を見たり、こんな本があったのかと自伝を図書館から借りてきて読んでみたりもしている。
昔の印象は、ぶち壊れそうな言い回しと肺の奥のほうから出てくるような歌声、歌に意味なんかない、意味がないところがいいというものだった様に覚えている。
ノーベル賞だから選考委員会は大きな意味を認めたのだろうがそこのところが今一つ誤解があるのではないかとも感じている。時代に影響を与えた詩であり詩を響かせた歌であったことには違いないので確かに村上春樹がもらうよりは意義深い判断かなとも思うが、文学賞か、とはどうしても思ってしまう。。

改めて聞き直し
Bob4aaて、詩の意味を追いかけてみても、この想いにそうは変わりはない。幾分わかりやすい歌もあるが Gates of Eden のように語呂はいいが細かく理解しようとしないほうがなんとなく雰囲気が分かるというものが多いような気がしている。ボブディラン研究などとはやめてほしいそんなものじゃない、自分も解っていない、本人も何度もそんな発言をしているようではある。その意味では変な受賞であることは間違いない気がする。
自伝にはプリンストンで名誉博士号を受けるくだりが出てくるがその式典の場違い感、それが今度の受賞の対応にまでつながっているように思えてくる。思い込みの世界に巻き 込まれたくないという気持ちがそこにはあるように思える。
自伝はよく書かれていてとてもポップスターの自伝とは思えない。情景のディテールまで書き込まれていて創作のようにも見えるが内容全体は、関係した人の証言がいろいろ出てくるスコセッシュの作ったドキュメンタリーと較べてみても本当のことをBlonde 描いているように思える、不思議な自伝だ、ここらあたりは文学賞らしいといえばそんな気がしなくもない。
テープに友人のレコードから録音しておいたはずの”追憶のハイウエイ61”は見つからないので、新たにCDを買いなおしたりついでにノーベル賞受賞決定会見でスエーデンアカデミーのSara Danius事務局長が説明してた(薦めていた)Blonde on Blonde のアルバムを買ってみたりしたがいずれもソニーの出している新品で音が良くて解説と訳詞もばっちり付いていて1000円なのには驚いた。随分なデフレだ。確かに時代は変わっている。歌の通りだ。

そういう風にとらえるのがディランにふさわしいように思える。

このところボブディランばかり部屋に流している。1960年代から1980年代の時代が思い出されてくるが振り返ることはあまり好きでもない。訳詞を見ながら でも分からない と思いながらそれでも伝わるものを受け取っている、その感じが何とはなしにいい。

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2016年12月17日 (土)

パキスタン国際航空の墜落事故

鹿島アントラーズがナシオナルを破ってクラブ対抗戦決勝に残ったとの報を見て、墜落事故で突然そのチャンスを奪われたシャペコエンセ相手だったらどうだったのだろうか、とつい思ってしまった。
亡くなった人々は戻らない、大きな空虚がそこにできる。


Pk661atr42500 パキスタンでまた航空機の墜落事故だ。搭乗者47名全員が死亡した。今度はパキスタン国際航空(PIA)のターボプロップ双発 ATR42-500で、12月7日現地時間16時10分頃(GMTで11時10分頃)、北部のチトラルからイスラマバードに向かっていた機体がイスラマバード北の山地にほぼ巡航高度の13,375ftから墜落した。PK661便という。
すぐにエンジンに問題のあるままPIAの運航部長の指示で無理に運航したとの報道が伝えられ、事故寸前の管制官へのパイロットの通報でも左エンジンに問題が起こったとしている。エンジントラブルに一因があったことは明らかなようだ。
現状では飛行経路や速度高度等レーダーで分かっている情報も公開されていないが、12月9日に現地の信頼できる英字紙であるDawn News がパキスタンの航空局(CAA)から入手した速報として、左エンジントラブル後数分間は比較的緩やかに
2000ft降下、その後自由落下のように急速に降下してレーダーから消えたと報じている。例え両方のエンジンが停止したとしても機体は15-25kmは滑空できる能力があることから、例えば左エンジンの爆発等致命的なことが起こって翼構造が大きく損傷し操縦不能となって墜落したのではないかと当局は推察しているようだとも伝えている(CAAは公式には速報の存在を否定しているが内容はそれらしくみえ、Dawnが入手したのはCAA内部の個人的レポートと推察される)。フライトレコーダやボイスレコーダーは回収されているので、じきに真相が判明しよう。ともかく1発のエンジンが止まっただけでは落ちることはないように双発旅客機はできている、エンジントラブルに続く何か致命的なことが引き起こされたのは明らかだ。事故後のPIA内部から出てきた声を見ると整備に十分手をかけていないエアラインのWeather16a ように見え、エンジン以外にも不具合箇所があったのではないかとも想像される。気象条件は問題ない。現状では整備に何か問題があったとみるのが妥当そうだ。

搭乗者はクルーは5名で全員パキスタン人、乗客はパキスタン人39名、オーストリア人1名、中国人1名、韓国人1名となっている。パキスタンのPOPスターも乗っていたり基本的に日常の足となっている国内線という姿が見えてくる。

これまでのところ、パキスタン最大の航空会社、フラッグキャリアのPIAが整備に問題があったと内部からの指摘が噴き出すあたりに今度の事故の特徴があるように思えている。パキスタンはまだこれ位の国なのかとも思えてしまう、そう思われてしまうところが航空機事故の厳しさなのだろう。

さて事故の真相はうまく解明されるだろうか。

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2016年12月 7日 (水)

クルマの複雑化は


最近、乗っているクルマのトラブルが増えてきた。勿論愛車が17万キロ近くを走行しており古くなってきたということが原因のほとんどだが、クルマの面倒を手をかけて見なくなったということもあるような気がする、そこまで気が回らなくなってきたということだろうか、1日にやれることの数が減ってきたということだろうか。クルマが単純でなくなったということもある。

今回のトラブルは全く突然に訪れた。
ヨット遊びから帰ってきて自宅車庫に入れようと手前で止めていったんエンジンを切り車庫の扉を開けてエンジンをかけると変だ。アクセルペダルを緩めるとアイドルにならず一気に回転が0まで下がってエンジンが止まる。少し冷えてからとか何回も試すが現象は同じだ。これではギアも入れられない。クルマが動かせない。思い余ってJAFを呼ぶ。1時間ほどしてレッカーで現れるがスバルの整備に入れるにはもう時間が遅い。とりあえずは車庫に入れてもらうが車に慣れたJAFの担当者でもなかなか思うように動かせなくてエンストを繰り返しながらとりあえず車庫のシャッターから少し頭を出したところまで動かして翌日スバルの整備に運ぶことにする。翌日またJAFを呼んで運んでもらう、4WD車のレッカーは後輪にも台車をかませて全輪を浮かせて運ぶことになる、言われてみれば4WDのレッカーはちょっと厄介だ。
整備は混んでいて一先ずクルマを預けて連絡を待つ。翌日とりあえず直ったとの連絡あり出かけていくとスロットルセンサーにカーボンが詰まっていてこれを掃除したら機能が回復したという。電子制御スロットルの要の部品のはずだ、汚れには敏感で経年劣化も覚悟しなくてはならないところのようだ。電子制御スロットルユニットを新品に変えればいいのだが結構な額になるらしいのでここら辺が怪しくなってきたら新車に乗り換えるべきなのだろう。
電子制御になると昔のように簡単な部品を磨けばいつまでも使えるというわけにはいかない。

このところクルマの暴走事故が多発している。年寄りの操作ミスとして片づけられることが多い気がしていたがつい最近起こった博多の病院にタクシーが突っ込んだ事件では突然ブレーキが効かなくなったとして車両側に何らかの問題が生じたことをドライバーは感じていたようだ。
そう思ってこのところ続く突っ込み事故の車種は何かと調べてみるとプリウスやアクアというハイブリッド車が目に付く。博多の病院突っ込み事故はプリウス、11月の立川暴走事故はアクア、5月の大森駅付近暴走事故はプリウス、2月の大阪梅田暴走事故はプリウス、15年11月の東大阪市暴走事故はプリウスといった塩梅だ。勿論ほかの車種の暴走事故もある(5月の錦糸町暴走事故はカローラ、同じく三ノ宮駅付近暴走事故はマークX 、15年10月の宮崎の暴走事故はダイハツテリオスキッド(軽自動車))、しかしプリウス・アクアが目立つ。。
プリウスやアクアのブレーキ系は回生ブレーキと従来の油圧ブレーキを併用しており、かなり複雑な電子制御システムとなっているようで時折リコール改修がある。どのくらいフェールセーフシステムが組まれているのだろうか、航空機のフライバワイヤの場合は最低でもパラレル3重系統の安全確保がとられている。コンピュータ、電源、電子システムが独立に3系統以上準備される。故障確率の計算では電子部品の故障ゼロというのはあり得ない。確率として事故は必ず発生する。問題は数値だ。特にブレーキ系統の電子制御についてはどこまでの安全性が確保されているのかもっと具体的に公表されてしかるべきのような気がする。
回生ブレーキのモーターが暴走して逆に加速側に働いたそんなことが万に一つでもあるとするなら今回のようなことが起こるような気もする。ドライバーの感じた異常がどうすれば起こりうるのか警察でなく航空機の事故調のような独立した専門機関で調べる必要がありそうだ。

電子制御になってクルマは恐ろしい乗り物になってしまったのかもしれないという懸念がどこかにある。昔のアクセルペダル直結のスロットル、単純なディストリビュータと点火プラグ、油圧ブレーキ、こんな世界にはもう戻れないのだろうか。

多分人類は前に進み続けるだろう、この複雑化の壁を乗り越えた100年先か1000年先の透明な未来に思いをはせている。

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