2024年9月 5日 (木)

オードリー・タンのことを書いた「オードリー・タンの思考 IQよりも大切なこと」を読んでいたら

台湾のトランスジェンダーの元デジタル大臣オードリー・タンのことを記した「オードリー・タンの思考 IQよりも大切なこと」を図書館から借りてきて暫く読んでいた。類まれな人のようで日本では堀江貴文が少し近いのかなと思ったりもした。読んでいて少し気になったのはしきりに出てくる「ハッカー」という言葉だ。この本の中ではプラス側、積極的に改革を行う側の「善い人」との表し方で書かれていて、台湾では「ハッカー」というとITプロPhoto_20240905162301 グラム能力にたけたIT時代をけん引する能力を発揮している人のような扱いであるらしいと読み取れる。著者は台湾に在住する日本人だ。日本で普通に使うときはそんな風には扱わないと思う、ハッキングというとITを使った情報の窃盗だしハッキングを平気で行う犯罪者がハッカーと扱われているように思う。キーワードのハッカーという言葉の定義をこの本の初めの方でしてくれないととても読み続けられない気がしてくる。言葉が気になりだすと伝わるべきことも伝わらなくなるような気もしている。
最近の言葉、表現の気になる話はそういえばそのほかにもあって、気象関連でもいくつかある。一つが線状降水帯という言葉だ。最近よく気象庁が使うが、これが線状降水帯であるという定義が伝えられていないというかまともに伝える気がない上から目線というか、その辺りもかなり気になる。文字通り線状の降水帯というだけならいくらでもある、前線は基本的に線状の降水帯を伴う、線状降水帯という淡々とした表現ではその危機感がにじまない、仲間内の符牒のような言葉という印象がある。こんな時は世界ではどう言い表しているかをみると手っ取り早い。英語の表現では、trainingという言葉が使われる、訓練のトレーニングと混同されそうだがちょっと違う。こちらは列車が雨雲を運んでくるような有様を表現しているようで列をなした雨雲が次々に襲ってくる有様が言葉から感じられる。日本語の線状降水帯からはこの列をなして次々に襲ってくる動きが伝わってこない、もっと言えば危機感がにじまない。この言葉を公に使い始める時にその辺りの考えが欠落したのかな、そういう組織なんだ気象庁はとも思えてくる、どこか独りよがりな信頼のなさを感じてしまう。列状降水帯とでもすればまだましだったような気がする、理学の鈍感ということかもしれない。
こんな風に行政府のやり方に言いたいことをいう、これがもっとオープンに議論できる場が用意されればな、と思ったりもする、それがオードリータンの世界なのだろうと思っている。

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2024年8月16日 (金)

台風7号の報道やウクライナのロシア侵攻報道の仕方が何か変で

このころの報道を見ていると報道されるべきなのにされないことばかりが気になる。たとえば今日の台風7号関連の報道だが、父島を昨日の夜通過していて昨日の21時の父島か上げられたゾンデではとんでもない水蒸気FLUXが観測されている、地上の瞬間最大風速は31mを記録していて相当に荒れた状況だったはずだが、NHKニュースを見る限り全く報道されていない、父島も東京都だというのに。 風は強かったがそれほどのことはなかったということなのか、得られた映像が報道のシナリオに合わなかったということなのか、分からない。限られたシナリオにあった事実だけが報道されていることだけが真実のようだ。
ウクライナのロシア侵攻の報道でも引っかかるところがある。プーチンはかねてからロシアの国土が侵略されることがあれば躊躇なく核兵器を使うと言っていた。今回のウクライナによるロシア侵攻で最も気になるそこをついた報道が全くなされないのは何故か、ウクライナ支援というスタンスに沿わなくなるからなのだろうか。欧州の核に対する備えはどうなろうとしているのか、そのことくらい報じてもよさそうに思える。報道が操られている、これは本当の脅威かもしれない。

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2024年7月16日 (火)

放送大学で家族と法を学んでみる

放送大学の今期は「人生100年時代の家族と法」というやや長い名前の講座をとってみた。要するに家族と法だ。家族の関わる法律ということから民法が中心となるが、どちらKazokuhou かというと家庭裁判所が取り扱う案件と思った方がいいようだ。その意味では今の朝ドラ「虎に翼」とラップするような気がしてタイムリーな感じがしている。一昨日試験も無事終わって、一段落だがなんとなく暫くはこの課題との付き合いが続いて行くような気がしている、朝ドラというのではなく、そろそろ終活か、と思い始めているからなのだろう。
それにしてもちょうど改正されつつある民法を対象としているだけに2023年上期から始まったこの講座でもまだ2022年12月改正が国会を通過しきれない時期に講義資料がつくられ講義の放送がビデオ撮りされていて、たぶん成立するはずという見込みで説明されている部分もある、本当はどうなったのだろうと最新のポケット六法を通販で取り寄せたりもした(改正は予定通りだった)。女性の再婚禁止期間の廃止や嫡出推定の見直し・認知制度の見直し等がこれにかかる、個人的にはそんなことが身近で起こる時期は過ぎてしまっていてそうかいという感じだが社会に与えるインパクトはそれなりにありそうだ。講義は社会保障制度、介護、高齢者・障碍者、住居・施設、相続、事業継承、ワークライフバランス、などこれは切実に知っておくべき知識と思われたり日々のニュースでの話題に直結した問題等々で満ちており、泥臭いようではあるが、これまで放送大学の講義で学んできたものとは異質な生活そのものに直結している点がかえって新鮮な気がしてくる。誰しも学ぶべき内容のように思えてもくる。相続などは両親の死亡時に大分実地に学んだがそれももう少し変わってきている、民法の動きというものを感じる。スタティックな学びでなく動いているフローの勉強だ、100年後は随分と変わることだろう、学んでいく中で社会の変わりゆく速さも感じてしまうのが面白い。いろいろ面白くて、学び続けること、これは止められそうにない。

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2024年6月18日 (火)

Yahooの地図が表示されなくなって独占は壊されなければならないと感じる

近頃パソコンをいじっていてああもう来年夏にはWin10も終わりか、セキュリティー強化やアプリの高度化に対処するとこうなっていくのかと思いつつ、どうしようかと悩んでいたところへ突然Yahooマップが表示されなくなった。じわじわきてるな、と思ってしまう。EdgeとChrome どちらもだ。これとは別にスマホのpaypayがAndroid7.0のバージョンはサポートしない、Android8.0にアップデートするよう警告が表示されるようになった、このスマホ機種ではこれはできない、買い替えろと言っているようなものだ、ちょっと嫌になってpaypayを使うのをやめてこのところD払いを使うようにしている、やはり国産品愛用に傾く。ともかくソフトの曲がり角に来たような気にしてくれる、しのぐだけしのぎたい。
Yahooマップの方は色々試していくとFirefoxならとりあえず表示できること分かり、これでやってみるかと落ち着いたが、どうにもFirefoxは慣れない、何とかEdge やChromeで表示できる方法はないかとネットで調べていくと、できる方法が見つかった。グラフィックス アクセラレータの使用を不可とする設定に変えればマップが表示できるようになるというのだ。具体的にはEdgeでは 設定->システムとパフォーマンス と進んで「使用可能な場合はグラフィックス アクセラレータを使用する」がONになっているのをOFFに変える、Chromeでは 設定->システムと進んで「グラフィックアクセラレーションが使用可能な場合は使用する」がONになっているのをOFFに変える その後各ブラウザを再起動する という手順だ。グラフィッHasibutogrs クス アクセラレータはONになってると動画が滑らかになるというのだがOFFにしてWowowやNHK+の動画を見る限りでは特段変わった感じもしない、大した影響はないということのようだ。Yahooのマップは確かに表示されるようになる。めでたしだが、なんだかなあ、という感じがぬぐえない、もっと親切にYahooから対処法が示されてもいいのにそれは全くなくてユーザーの情報交換でやっとやり方が明らかになる、というのではユーザーを小馬鹿にしているような雰囲気を感じてしまう、もうPaypayやらYahooやら使わないで済む生き方を探していくほかないのだろう。独占は壊されなければならないところに行きつくのだろう。

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2024年5月30日 (木)

またアクロスに行って平和を想う

今月は連休が月始めにあるせいか、普通の行事が月後半に集まっているような気がする。そんなわけか、月後半にまたアクロスのコンサートに出かけた。今回はランチタイムコンサートで12時から始まって休憩なしで1時間か1時間半くらいだ。例によってクルマで出かける。天気は雨模様で福岡では降るか降Acros0528 らないかという位だが東へ行くほどこれから荒れ方が激しくなる予想だ、台風と前線の相互作用という梅雨期の豪雨のパターンのようにも見える、南からの強い湿気が太平洋側ほどはいりやすい。ともかく出かける、今日は二胡と弦楽四重奏団、ピアノとの共演というスタイルでちょっと珍しい。客席は結構埋まっていて2階席となった。二胡は楽器として音が小さいのかアンプを通した増幅した音が会場に流れる、クラシックのコンサートというよりポップコンサートに近い感じがする。奏者のウェイウェイ・ウーは上海生まれの中国人で33年位前に来日、以後日本と上海を拠点に演奏活動をしているようだ、妹のaminも1年遅れて来日し同様に日中でシンガーソングライターとして活動していたが3年前病気て死亡する。今回は数曲aminの残された音源を使った時空を超えた共演を果たしている。aminの歌声がいい。aminは8年前にここアクロスのランチタイムコンサートに出演していた、残念ながら聴いてはいなかったが。そんな思い出話を織り込みながらコンサートは進む。二胡の演奏は自分にはそれほど心を揺さぶるというほどのものではなかったが、姉妹による日中の懸け橋となろうとする思いがaminとユーミンとの共演による活動や中国コンサートなど民レベルで数々の足跡となりそのものとして心に残る、冷たい風を感じる今の日中の時代にはこれが要る、そう思ってしまった。国は違えど人々が互いに尊敬しあい認め合って平和な暮らしを保つ、それが今世界のどこにでも必要とされる時代になってきている、ウクライナであろうとガザであろうと台湾であろうと日中であろうと。単純なことなのだけれど。

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2024年5月11日 (土)

放送大学で「家族と法」を学び始める,知らなかった世界に入っていく感じが面白い

半年に一つだけ放送大学の講義をとるということを始めてもう十年くらいたつような気がする、まだ続けている。いくつになっても学ぶことが楽しいからだろう。2024年上期は「人生100年時代の家族と法」という講座をとっている。終活という文字が少し気になり始めたこともある、民法も大幅改Kazokuhoou 正されたようなこともある、ここらで一度学んでおくべきか、という現実的な部分がその動機の大半だ。
退職してからは遊びで法を学んで試験を受けたりもしていたが、この講座を学び始めてそうだったのか、ということにいくつも出くわす。まずは裁判に関する統計資料だ。全国の裁判所に申し立てられた事件数を民事・行政、刑事、少年、家事の4つに分類すると、2000年から2020年で家事が倍増し他はいずれも急減、いまや家事裁判数は刑事、少年をしのぎ民事・行政に迫る件数で、総件数の1/3になっている、という現実を見せられる。離婚や相続などの家庭を舞台にした裁判が急増しているということになる、マスコミではこんなことが報じられたことは一度もない、マスコミは要するにセンセーショナリズムだということをまた思い知らされる。講義はまだ全体の半分までは進んでいないが他にもアレということがいくつもある。例えば前回講義の国際的な婚姻にまつわる法律だ。婚姻できる年齢は日本では男女とも18歳以上で、これも改正民法でこうなり以前は男18歳女16歳だった。もし中国人と日本人が日本で結婚する場合、中国法では結婚年齢は男22歳女20歳となっているため中国国籍の人がこの年齢未満であれば日本でも婚姻は受理されない、という。中国の法が日本国内の法的手続きに効力を及ぼしている、こういうものらしい。アレっと思うのは結婚年齢が中国では高いところだ。中国での一人っ子政策の名残りかな、と思ってしまうが今では中国も急速な出生数の低下に直面しており、すぐにはパッパッと法を変えられないのかもしれないとも思ってしまう。
もっとも、結婚可能な年齢と出生数の関係よりも実結婚年齢の高齢化晩婚化が世界の出生数低下の主要な要因であるようで、調べていくと、ことはそう単純ではないようだが。
 
こんな風に今まであまり向き合ったことのない世界に入っていく感じが、世界はどうなっているか、我々はどこへ向かっているのかを学ぶことにつながるような気がして、なかなか面白い。 やはり学ぶことはいくつになっても楽しい。

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2024年4月30日 (火)

円安、これで失われた30年がやっと終わる

円ドルレートが円安に一気に振れておたおたしている雰囲気があるが、30年位の長期スパンで見ると失われた30年の間、レートが円高過ぎていたということかなとも思えている。国内産業が安い輸入品に対抗できない状況が長く続いた、これが失われた30年の大きな原因だったのではないかと今更のように思っている。円 安に振れ国内生産が活性化してくれば望ましい方向に歯車が回っていくというようにここはプラスに考えるべきかと思える。Endoller20240430a   ようやくこれで失われない新たな30年が始まるのだろう。もしかしたらこれは政府日銀による仕組まれた円安かもしれない、そんなことも考えてしまう、しかし円安としても為替はとにかく安定が肝要だ、当局の為替安定に向けた適切な介入にも期待したい。

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2024年4月28日 (日)

買って2年しかたたない冷蔵庫が故障

のんびりと春を過ごしていて心地良い季節なのだが、嫌なことも起こる。最近の嫌なことには買って2年しかたたない冷蔵庫(シャープのSJ-GW35H)のLED庫内灯が突然消えたということがある。たかが庫内灯と思うが冷蔵庫を開けるたびに薄暗くてよく見えず情けない思いを日に何十回とする羽目になると結構重い。こんなことは自分の人生でも初めてだ。販売店に問い合わせると延長保証契約をしていなければメーカーに依頼する有料修理となるということでやむなくWebからメーカーに修理依頼を出す。2日後にサービスが現れて状況を見るが部品が手元にないので入手次第修理するという。連休明けかとあきらめていたらその2日後の午前、部品が入ったので午後うかがうと連絡が来る。とにかくてきぱき対応はしてくれるのはいい。予定時間にKibanomoteやや遅れて再びサービスが現れ10分もかからず交換終了、1万円くらいの修理請求書を追って郵送すると言い残して去っていった。とにかく治ったので一段落だが後味が悪い。使い方が悪くて故障したものでは明らかにない、製品に内在していた欠陥が露呈した故障といっていい、それを有料修理というのは普通ののセンスでは得心できない。ネットで類似例を少し調べると冷蔵庫のLED庫内照明の故障は結構多いようだ、同じメーカーのほとんどそっくりな症状もいくつも引Kibanura っかかる。もう少し調べるとLED照明の故障をもたらしやすい要因としてLED基板の熱設計がうまくいっていない場合があるようで今回の症状もこれのように思えてくる。(例えば日亜化学の「LEDの熱設計について」というノートが理解の助けになる)。冷蔵庫の冷え方は特に問題ないのでメーカーとしても設計が甘くなってしまうところなのかもしれない。(写真は今回不良のLED基板表/裏)。
複雑化が進行する現代社会ではこのくらいのことは避けがたくおこってしまうということのようにも思えてしまう。
 
得心できなくともすべてのことはあるがままに受け入れる、これしか生き延びていくことはできない世の中になってしまっている、そんなことを想っている。

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2024年4月15日 (月)

大谷翔平通訳騒動と笠置シズ子マネージャー事件がどこか似ていて

近頃メディアを賑わしている事件の一つに大谷翔平の通訳賭博騒動があって事実関係の調査の結果通訳による大谷の資産の横領・銀行詐欺ということが明らかになっている。似たような話を最近どこかで出くわしたような気がして思い出していたら笠置シズ子のマネージャーがトランプ賭博にはまって笠置シズ子の資金を使い込んだ事件があったと評伝で読んだのを思い出した。評伝はもう図書館に返してしまっているのでネットで少し調べると昭和25年に350万円の使い込みをしていたことが発覚、マネージャーを解雇された、とある(wikipedia)。当時の350万円は大卒初任給比較からは現在の価値では約30倍の1億円相当と考えることができるようだ、大谷通訳の62億円には及びもつかないが構図は似たところがある。笠置シズ子は当時長者番付で芸能界第2位のポジションにあり、一方大谷には巨額の契約金が動いている、誰からもわかる大金所有者だ。その近辺にこぼれる金を狙った黒いお誘いが飛び交うのは避けようがなく通訳にしろマネージャーにしろごく身近のものが賭博の世界に引き込まれていったという構図が見えてくる。
同じような構造の誰にもわかるお金の集中には将来も同じような事件が起こりそうに思える。
笠置シズ子はほかの理由もあってその後次第に輝きを減じ埋もれていったが大谷はどうだろうか、将来にいいお手本を示すことを期待している。

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2024年4月12日 (金)

マイケルグリーンの「アメリカのアジア戦略史・上」を読んでみたが

マイケル・グリーンのアメリカのアジア戦略史 上 建国期から21世紀まで という本を借りてこのところ読んでいたが2週間の貸し出し制限がきつくやっと読み終えてそのまま返却した。アメリカという国は太平洋を越えた西にあるアジアとどう向き合ってきたかという視点からの書物で、こういう見方から書かれた本Photo_20240412103601 は初めてで新鮮な思いがした。誰がどう政策決定に関わってきたかを人名を中心に細かく書き記している。屈折しながらジグザグと進んできたアメリカの状況がそれなりに分かる気がする。書かれていることは多分本当なのだろうが、読み終えて感じることは幾つか肝心のところが書かれていない、意図的にか逃げているように感じるところがあるのが気になる。狂信的な愛国者からのトラブルを避けるためアメリカにまずいことは書かないようにしているのかもしれないと感じてしまう。一つはハワイ王国滅亡に対するアメリカ政府のかかわりのところだ。植民地化-併合のプロセスでは手を汚していないかのような書き方に終始しているというかきちんと書いていない。第2次大戦後の植民地の民族自決をアメリカがリードしたというところはきっちり書いているのに自らはハワイ王国を簒奪し併合している(住民の7割が反対したといわれる)という歴史的事実に向き合っていない、キレイキレイに書いている、そういうことなら他にもそんなところがあるかもしれないと内容が疑わしく思えてくる。日本との開戦に至るいきさつもたとえばハルノートのような動きはまるで書かれていない、というより開戦直前直後の米政府内部の動きについては一切書かれていない。何かまずいことがあるのかもしれないと思う、真珠湾はだまし討ちだというローズベルトの主張は米国の失態を覆い隠し利用するプロパガンダだったのかもしれないと思ってしまう。

色々あるが米国が建国以来太平洋を西へ西へと押し続けているという歴史・現状は事実に即して素直な目で眺め続けなければならないのだろう。思った以上に米中対立は簡単には終わりそうにもない、そうも感じる。

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