2018年7月11日 (水)

久しぶりの東京


このところ毎年のようにこの時期東京を訪れている、大学時代の同期会だ。
ともかく九州から東京を眺めていると、国内観光にに出かけるなら東京が面白いかもと思えてしまう。重要文化財は豊富で国宝もアレヤコレヤ色々ある。

それに東京でしか体験できないことが限りなくある。
 年一度の同窓会だけにわざわさ九州から出向くというと少しギョッとされるところを感じるが、こんなことでもなければ東京見物などしない。

今年は国立競技場の出来具合、絵画館、迎賓館、旧岩崎邸などをまわることにしていたが、まずは参議院の見学か傍聴が出来ればとそちらの方をと期待の一番にしていた。初日の同期会その1の午前中は空いている、早めに行けば間に合う。関東にいた時も国会採決など見たこともないし今回は丁度話題の重要法案の採決でもある。本会議がもめて開かれなさそうでも見学はできるはずだ。どちらもダメなら森美術館にまわるかとプランCまで心に決めて出かけた。

当日地下鉄永田町から地上に出て辺りにたくさんいる警官の一人に傍聴受付の参議院別館への行き方を聞くがどうにも要領を得ない、傍聴希望に訪れる人はめった

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にいない雰囲気だ。やっとの思いでたどり着くと本会議は予定通り開会されたばかりのところで傍聴はできると言って整理券を渡される。整理券?とやや怪訝な思いで隣の窓口にこれを出すとすぐに傍聴券が発行される。こういう手順らしい、他に傍聴希望者の姿はなく係の職員だけが大勢いいてがらんとしている。
傍聴席までに筆記用具以外の荷物は全てロッカーに入れ議事堂内を色々歩いてやっと到達する、道順にそれぞれ人が立っていて迷うことは全くないがそれにしても職員が多い。傍聴要領が法律と規則で細かく定められているのだろう、不思議な世界だ。
やっと本会議場の重い扉を開け中に入ると傍聴者はまばらにしかいない。働き方改革法案の議決という重要な局面なのにも関わらずだ。本会議はまずTPP関連法案の採決があり働き方法案の採決となる。賛成、反対の演説が一渉りあったあと採決に

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移る。演説はそれなりに面白くアバウトな感じの与党演説に盛んにヤジが飛ぶ、野党もややアバウトだが共産党の演説だけはキッチリ理詰めの雰囲気がある、未だに自分の党の中の民主化はさておき論駁には強い政党なんだと思ってしまう、ちょっと危険な感じがして面白い。

採決はボタン式だからあっという間に結果がでる、味気ないばかりだ。賛成164反対71。野党の対案もすぐに採決される、こちらは賛成78反対157。両案でキッチリ反対賛成が逆転でもないのは希望の党のように両方賛成という変な行動をとる政党があるからだと後で調べて分かる。

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しかし与党と野党の票がこのくらい離れていると採決の緊張感はまるでない。国会は形式だけの単なる手続き機関に堕しているのが素直に見えてくる。大勢の暇な職員に取り囲まれた形式だけの機関、何かおかしい。民主主義の機能のさせかたを元に戻ってよく見つめ直すべき時代に入ってきているように感じてしまう。ナチスが第一党になったのは民主的な選挙に基づいたものだった。民主主義の形を守れば必ずいい結果が出るという保証はない。もっと良い判断が導かれる方法があるはずだと広く考え直さねばならない、そんなことばかりを思ってしまう。

東京にいては却って感じ取りにくいことを外から見つめ直す、こんな機会を図らずも与えてくれる同期会はうまく表せない何かを持っている、そこが面白いところだとまた思ってしまった。

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2018年6月24日 (日)

忘れられた巨人

また予約していたカズオイシグロの本の順番が回ってきたと図書館から連絡があっ

Wasurerareta

て、急ぎ借り出してきて読んだ、今回は随分とすらすら読める。”忘れられた巨人”(原題The Buried Giant)だ。2015年3月に英語版が出版され4月にはもう日本語版がハヤカワから翻訳出版されている。今のところカズオイシグロの長編としては最新作ということになる。カズオイシグロも近しい感じのする作家に思えてきている。ナイトの称号をつい2週間ほど前に授与されていまやサー・カズオイシグロと呼ぶべきなのだろう。

6世紀ころの、アーサー王が統治した直後のイギリスが舞台の小説だ。ブリトン人の老夫婦が息子のところへ旅する、それに雌竜退治のサクソン人の騎士と少年が合流して物語は繰り広げられる。どこかドラゴンクエストの世界に似ている。おとぎ話のような舞台設定だが、シリアスな主張を次第に感じてくる。雌竜が発するガスのために人々の過去の記憶がほとんど失われた世界になっていて、部族どうしが戦った時代の記憶が人々の頭から遮られ憎しみが忘れられている。それなりに平和な時代を過ごしているが悪さをする雌竜を退治してしまうと人々の憎しみの記憶が戻り、また争いの時代に入っていく。そんな組み立てが骨になっている物語だ。

現代的というのはコソボの戦争であり日本においては戦争加害の記憶が社会的に忘却されている事実であったりする。(著者本人へのインタビューでそのように解説している)。コソボの戦争ではチトー時代には争いもなく平和に各民族が交流していたがチトーが亡くなって一旦昔の争いの記憶がよみがえるととめどのない泥沼の戦争にはまり込んでしまった、忘れられた巨人 とはかりそめに忘却されたように見せかける過去の争い・憎しみの記憶ということになるようだ。巨人を思い起こせばまた争いの世界が返ってくる。世界のあちこちに巨人が眠っている。

忘れている巨人に気づくべきだ、それに備えるべきだ、といった はっきりした社会的メッセージのようなものを感じる、カズオイシグロの小説では初めてだ。純粋な小説を求めていた読み手の立場からは、なんとなく感慨というものが薄くなる、読後感は今一つの感じがしてしまう。

そうはいっても現代に生きる生身の小説家の声が聞こえるところを感じて、これはこれでやはり面白い。カズオイシグロはこの先どんなものを書いてくれるだろうか。


あと残っている予約本は”浮世の画家”と”私を離さないで”の2冊となった、まだ楽しみは続く。


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2018年6月17日 (日)

コロンビア戦とセネガル戦の天気

ワールドカップが始まって夜遅くの試合にひきずられる生活となって何とはなしに寝

Saransk

不足となる。ともかく次の日本戦は6月19日日本時間21時キックオフ(現地時間15時、世界標準時12時)のコロンビア戦@サランスクだ、まずは天気か気になる。GMS全球モデルの予測値を見るとロシア・サランスクのこの日の天気は晴れ、キックオフ時の気温は25℃程度、湿度は40-45%位で風もなくからりとしていい天気となっている。いい季節なのだろう。(添付図は6月19日日本時間21時の上空約1500m(850hp高度)の気温分布予測。サランスクはドイツあたりと似たような気温のようだ)
サランスクはどこかというと東経45.2度北緯54.2度でカスピ海と黒海の中間を北に伸ばしてロンドンより少し北くらいの緯度となる。モスクワからは東南東に600kmあまりで何となく位置が頭に入りにくい。モルドヴァ共和国の首都とあるがウクライナとルーマニアの間に挟まれたモルドバ共和国とは全く別の国だから更にこんがらかる。RとLの発音の差だけでカタカナ表記は苦し紛れの区別になっている(ヴァとバは発音も綴りも原表記では同じ)。ヴォルガ盆地の中の地方の一つということになるがこのヴォルガ河も源流がたった標高225mの丘に発しているという水たまりの様な川なので日本の感覚では随分とわかりにくい、本当に緩やかな起伏なのだろう。色々解りにくいところだ。ロシアは広い。
その次のセネガル戦はエカテリンブルクで日本時間25日深夜0時キックオフ(現地時間24日20時、世界標準時24日15時)だ。エカテリンブルクは東経60.6度北

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緯56.8度と更にサランスクの東北になる。アジアとヨーロッパの境目辺りということらしい。当日の天気は雲が多く気温は20度前後所によっては小雨かという感じが今の予測だ(添付図は当日の地上気圧配置と雨域予測図、エカテリンブルクは西の高気圧と東の細く縦に延びる高気圧の間に入る、はっきりした雨はない見込み)。今朝の気温は8℃位でまだ朝は寒いようだ。実測データは http://www.weathercast.co.uk/world-weather/weather-stations/obsid/28440.html。エカテリンブルクとはよく知らない名前だったがロシアで4番目に大きな街というからロシアのことはまるで解っていないとまた感じる。初めて知ることだらけだ。

ワールドカップは世界を広げる、世界が一つになれることがあるとリアルに感じる、そこがいい。

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2018年6月 3日 (日)

印象派の美術展が

印象派の美術展が九州国立博物館で開かれているとテレビコマーシャルも打たれて、結構いい絵があるようなので終わらないうちにと出かけた。ビューレルコレクションとある、看板になっているルノワールの絵はどこかで一度見た覚えがあって気になっていたが日本初公開のものが色々あるような宣伝文句だったしそれはそれでと思っていた。

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入場料は普通に入れば1600円と安くもないが放送大学で学んでいると学生証を見せればこの半額以下となって随分気楽に見れることができる。
女性の観客が8割くらいの感じだ、平日ということもあるがとにかく女性が多い、印象派の絵というと女性の好みという雰囲気を感じる。結構混んでいてイヤホンで解説を聴きながらの人が多く歩みが遅い。2列目から見ていてこれはという所で隙間を見て前に出て見る、これを繰り返しながらとにかく見ていく。
それにしても既視感のある絵ばかりが並ぶ。有名な絵だから印刷物で目にすることが多かったということだろ

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うかとも思ってしまう。明らかに見たことのない絵ももちろんたくさんあって、アングルのアングル夫人を描いた絵などは、売り物ではないからだろうかアングルのいつもの過度とも思える隅々までの装飾性などは全く無く絵そのものの良さが染み出てきてこの後の潮流の先駆けとなっている雰囲気を感じる、なかなかいい絵だ。最後のモネの壁画のように壁いっぱいとなった睡蓮も初めて見る。端の方までは手が回りきってない様子も見えて、いかにもモネらしい。
力作ばかりを見ていると少々疲れていつもは続けて見る常設展も見ずにまっすぐ帰る。
帰って気になった既視感を調べてみようとこれまでに見た美術展の図録で印象派のものを引っ張り出しては見てみる。そのうちアッという図録に行き当たる。1990年に横浜美術館で開かれたビューレ―コレクションによる印象派展だ。横浜みなとみらい博の一環として開館した横浜美術館の開館1周年記念展示会とある。見た記憶がよみがえる。調べると今回展示の64作品中31作品がこの横浜の美術展で展示されていた。ほぼ半数だ、既視感が濃いのも当然だ。それにしても27年前の美術展の記憶がこうも頭に残っているとはとそちらのほうに軽い驚きを禁じ得なかった。いい絵とはとにかく心に残る絵ということになるのだろうか。
27年前とは大した昔でもない、しかし考えてみれば27年前ではまだインターネット時代には全く入っていない、この後失われた20年もあったりして明らかに一時代前のアナログ基調の昔という感じがする、
テレビもアナログだった、色んなことがこの年の後あった。節目の年だったかもしれない。この一年前に平成が始まり今一年後に平成が終わろうとしている。昔のことを考えているといくらでも時間が過ぎてしまって何も後には残らないような空虚感があるからだろうか振り返ることはあまり好きではない。でもこの27年の移り変わりはどこかすさまじいものがある、思い出し始めるとついつい順に追っていってしまう、流れ出てくる。個人的にも世の中の移り変わりでも特別な凝縮された27年だったように思う。
今から未来に27年を伸ばすともうそこは朦朧とした時代しか見えない、そんな年回りになってしまったことも感じる。

なかなかの展示会だった。
事前に半数が見ていた展示と知っていたら見に行かなかったかもしれない、しかし見てしまうと様々なことを考えさせてくれて素直によかったと思う。

流れに任せて事前に詳しく調べ過ぎない方が良いこともある、その方がむしろ新しい切り口を見出すことができる、そうだったそんなことを思いながら過ごしてきたことをもつらつらと思い出していた。思い出し始めるときりがない、流れていった時間はやはり面白くもある。

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2018年5月18日 (金)

福翁自伝から話が広がって

ひと月位前に福翁自伝というのを読んだ。面白い本だ。福沢諭吉が64歳の時に書いた自伝という、口述筆記させて後から随分手直ししたらしい、講談本のようだ。明

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治30年の作ということになる。日清戦争と日露戦争の間という維新が結実して強国になっていく時代だ、威勢のいい空気が背景にある。
読むと幕末から明治へ移行する時期のリアルな活写となっているところがとりわけ興味を引く。福沢諭吉は幕府召し抱えではあるが勤皇でも佐幕でもなく超然とした翻訳者の立場に立っていたようだ。諭吉は積極的開国論者であったが、幕府の言う開国も結局は攘夷をしたいが止む無く開国というようで諭吉には気に入らなかったともある。幕末から明治にかけては何より暗殺が最も恐れていた事態だったという。夜は出歩かないと心していたとある。そうだろう。

幕末ドキュメンタリとも読めてなかなか面白いと思っていたところ思いがけず先月の法事の席で福翁自伝に話が及んだ。
親戚繋がりの方から出てきた話だ。福翁自伝の緒方洪庵・適塾時代のくだりに松下元芳という久留米出身の医者と諭吉が夜店に入って暴れた話が出てくるがこの松下元芳とその方は5代くらい前で系図がつながっているという。ということは系図の線をたどっていけば自分と松下元芳をつなぐ線が現れるということになる。何だか人類皆兄弟と思えてくる。


自分の両親の家系はどちらもずっと九州のはずだ、一度できる範囲で辿ってみるのも面白いかもしれない。そう思い始める。

単純計算では5代辿れれば100年、50代辿れれば1000年前まで行ける。勿論役所の書類では3-4代前くらいしかわかるまい。その先はお寺や神社やどこかの記録に残っているかということになる。

できはしないが500代で10000年と縄文初期までトレースを追えれば遡れるはずで、もっと前にも勿論つながっているのは間違いない。突然生命は生まれるはずもなく今ある命のもとは数十億年前の生命の誕生まで必ずつながっていなければならない。考えてみれば途方もないことだ。今生き残っている全ての命は46億年の地球の歴史の中でおこった数回に及ぶ地球生命大絶滅の大波をかろうじて潜り抜けてきた奇跡のような生き残りばかりだ。恐ろしいばかりに貴重な命だ。

自分はどこからきたのか。多細胞生物が始まる10億年位前までに至るDNAの分岐を遡ってルーツを追っていく、これをだれもが行える技術として いつかは人類の手に入るのだろうか。このまま人類が絶滅することなく永らえれば1億年位は人類の時代が続くだろう、きっとその内にそのくらいのことはできそうな気がする。そんな技術があってこそ人類は助け合わねばならないことをリアルに感じることができるのではなかろうか。たかが数千年をたどれる位の約束の地などは殆ど意味のない約束だと知るだろう。

とんでもないところで線が交差し枝分かれして延々と続いていく、それが個人という生き物で構成される世界の成り立ちであり行く末なのだろう。

考えていくと僅か100年足らずの寿命であるのが残念になる、しかし1億年先までの未来を連綿とつながる自分のDNAは見続けていってくれるだろう、それがあってこその寿命と思い切ることもできる。
命の連鎖は面白い。福沢諭吉から一気に考えが拡がるのもまた面白い。世界は面白いことで満ちている。




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2018年3月21日 (水)

カズオ・イシグロの「女たちの遠い夏」

カズオ・イシグロがノーベル賞を受賞したと聞いてすぐさま市の図書館の著書数冊に予約を入れていたのがやっと貸し出しの順番が回ってき始めた。まずは「女たちの遠い夏」だ。1982年著者が28歳の時に刊行された作品で事実上のデビュー作といえる。

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欧米各紙の高い評価が得られて作家人生の良いスタートとなったようだ。
日本では1984年暮れに小野寺健(今年1月1日に86歳で亡くなった)の訳により筑摩書房から出版されている。貸し出しを受けたのはこの初版本だ。もう紙が日焼けしてきており30年以上の年月を物理的に感じてしまう。
私小説の形ではある。わたしというのは大きな二人の娘のいる母親で長崎からイギリスへ渡ってきてイギリスで暮らしている、長女が自殺した後の日常の中で長崎にいた頃の様々な出来事を回想しているという舞台立てだ。ほとんどが戦後期の朝鮮戦争が起こっているころの日本の話でイギリス文学というより日本文学のように思えてしまう。登場人物名は漢字表記となっているが勿論原文に漢字はない。訳者の小野寺健ははじめ総てカタカナがきにしようかと思っていたがイシグロから出版社に登場人物の名前表記で避けるべき漢字をわざわざ指定してきたことを知り著者は当然漢字表記されること思っていると解り名前に訳者の思う漢字を当てていったという。悦子であり二郎であり佐知子であり万里子という漢字の人物が訳本でイメージを現したことにもなる。こんなこともあり日本の小説としてどうしても読んでしまう、もとがenglishだとの感じはとんとしてこない。

それにしても彼が経験したはずのない戦争直後の敗戦を越えて生きる日本の日常の有様がリアルに描かれている、それも女性の主人公の目で微妙な心情がそれらしく語られている、非凡な文才としか言いようがない。

世の中にはすごい人がいる、自分は何をしてきたのだろうか、そんなことをつらつら思ってしまう。今更取り戻すことはできない、ともかく過ぎていく世をしっかり見つめたい、それでも十分ではなかろうか、そんな風にも思っている


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2018年2月26日 (月)

イランでATR72が墜落

また旅客機の墜落事故だ。今度はイランでATR72が山岳地帯に墜落し搭乗者全員が死亡した。世界でここ1年以上旅客機の墜落事故がなかったことの「つけ」がここへき

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て周ってきたような気持になる。ついこの前のロシアの事故の前の事故は2016年11月28日南米で起こった、ブラジル代表のサッカーチーム・シャペコエンセを乗せたチャーター機の墜落だった。もう随分前になる。
今回の事故は高山地帯への墜落だけにまだわかっていないことが多くあるが今手元で得られる資料を整理すると以下のような状況だ。
2018年2月18日イラン・テヘランのマハラバード空港を現地時間8:05頃に離陸し、南部の都市ヤスジュに向かって飛行中のイラン・アセマン航空3704便の旅客機ATR72-212が現地時間9:30頃、ヤスジュ空港の北東約15kmの山岳部に墜落した。乗員6名乗客59名計65名全員が死亡したとみられている(当初66名と報じられていたが乗客1名は乗っていなかったことが確認されている)。Irantuiraku_2

 

墜落場所は標高約4000mの山地で事故機の破片が散乱しているのが確認された。天候が悪く事故4日目の21日に救助隊がやっと徒歩で現地に到達し捜索と遺体の引き下ろし作業を行っている。フライトレコーダ・ボイスレコーダはまだ発見されていない。
この付近はアラビアプレートとイランプレートがぶつかるあたりで4000m級の山脈が形成されており地震も多い。
Flightradar24が入手した飛行中の機体から送られてきたADS-Bの飛行データからは標準時で5時55分59秒(現地時間9時25分59秒)の高度16975ft(5174m)が最後のデータとなっている。21000ftの巡航高度から降下をしていたところだったように見える。最後の管制との通信は現地時間9時30分にQNH1021のコールバックをしたところだという。9時34分のタワーの呼びかけには応じていない。

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9時27分頃の降下は約1400ft/minと読め墜落地点の標高は約13000ftであることから最後の通信の直後に墜落(山腹激突)したと想像される。最後の3分間のADS-Bの通信が切れている理由は解らない。
機長のHojjatallah Fouladは経験豊かなパイロットと伝えられ2013年には同型機で片エンジン停止でヤスジュ空港に緊急着陸も行っている。
アセマン航空はイラン3位の規模の航空会社で主に国内線を運航している。29機を所有しておりそのうち6機がATRとなっている。事故を起こした機体は機齢24年とやや古く更には昨年まで7年間フライトせずに保管された状態にあったがこれをリハービッシュして昨年11月から飛行への供用を再開している。事故機は数週間前に技術的問題を起こしていたという報道もあり、機体に何らかのハード的トラブルが生じていた可能性もある。
イラン核合意までは禁輸措置が取られていて部品の供給も困難だったが現在は禁輸も解け2016年にはボーイングから新型の737MAXを30機購入する契約を結んでもいる。それなりのエアラインと思われる。
事故当時の気象条件はやや厳しい。西から大きな雨雲が近づいており、ヤスジュ空港の現地時間9時30分(標準時間6時)のMETARは
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で9000ft以上は一面の雲に覆われている、一部に積乱雲もある。雲中飛行だ。GSM気象モデルによる推算からは16000ftでは事故当時-5℃程度風速20m南西風と推測され着氷の恐れも考えられる。墜落が突然起こっている模様であることから雲中飛行で位置を誤り山腹に衝突したとするのがありそうではあるが、管制との交信では21000ftから17000ftへの降下を許可され降下が終わったあたりでADS-Bのデータが途切れておりそこらで何かが起こり更に降下せざるを得なくなり降下したところで山にぶつかったとも考えられる。何が起こったのだろうか。
フライトレコーダが見つかればより明確な原因追及が可能となろう。

禁輸制裁が続いたためイランの航空会社は部品調達がままならず苦しい運航を続けていたようでもある。未だに向上しない生活に現政権に対する不満が形を現し始め政府批判の動きが表面化してきたタイミングでこの事故ということもある。それみたことか、との批判も出かねない。今後どのように事故原因が追及されていくか、事実を見つめて素直に解明されるだろうか、イランがどうなっていくだろうか、注意深く見守っていくほかないそんな気にする事故だ。現代史の危ういところを突いた事故ともいえるような気もしている。

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2018年2月21日 (水)

今年の冬は

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今年の冬は雪が多くて寒かったがようやく梅も咲き始めて寒さも先が見えてきた。日射が長くなり北米とシベリアに分かれて南下していた寒気も次第に縮んできた。しかし今年の雪は幾つかの教訓をもたらしたようでもある。

2月12日のことだった。前の日の晩から雷鳴がして朝起きると雪が積もっていた。世の中はどうなっているのかと道路情報を調べると九州道が福岡県を中心に広く通行止めになっている。雪用タイヤ規制位かと思えば通行止めだ。しかし不思議に思えるのは大分県部分の高速道は雪用タイ

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ヤ規制で走行は可能となっている。また中国道も下関までは雪用タイヤ規制で通行は可能だ。どうにも福岡県の基準だけが徒に厳しいように思える。常識的に考えれば九重付近を走る大分道や中国山地を走る中国道の方が積雪しやすいはずだ。高速道路の閉鎖は即物流の遮断であり経済に与える影響が極めて大きい。中国道を走ってきたトラックは勿論雪への備えはしっかりしているはずだ、それが九州への立ち入りを拒絶される、何を考えているのだろうか、道路管理者もしくはそれを指導する警察は。

幾つかネットをさまよっていると2014年の全国の雪で閉鎖された高速道路のワースト10が出ていてトップは大分道だった。東北でも北陸でも山陰でもない大分が最も閉鎖が頻発したというのだ。明らかにやり過ぎだとの反省から常識的な規制に改めた結果が今回の奇妙な九州の道路規制を際立てたのだろう。
どうして大分道並みの規制を福岡を走る九州道ではできないのか、道はつながっている以上長距離を運航する利用者に違和感のない規制とできないのか。昔天気予報は県単位で出されていて書き並べるとつじつまの合わない予報地図になっていた時期があった。今は全国横断の予報が出されておりまともになっているがそれと同じようなことを今の気象による規制に感じざるを得ない。県境が気象の境目であるはずがなく、気象のための規制がバラバラでいいはずもない。変な縄張り意識が国民の生活をゆがめているとしか思えない。こんな自治組織は早晩AIにその役割を譲らなけてばならないのではなかろうか。

福井豪雪の実態がいろいろ伝わってくる。豪雪地帯ではあるが例年を大きく上回る積雪だったため輸送が止まりガソリンの枯渇や物資の不足などあらゆるインフラがダメージを受けたようだ。特に国道8号線の長時間の立往生が問題とされたが、発端は高速道の通行止めだったらしい。物輸を担うトラックはやむなく下道に降り普通でも冬は積雪や凍結で車両事故の多い場所とされる県境の牛ノ谷峠付近を通らざるを得なくなり立往生に至ったということのようだ。高速道は最早物流の生命線になっている、何とかして止めずに流すことを考えるのが道路管理者の仕事と思える。他の道を適当に走ってくれという姿勢は根本的に間違っているように感じる。

温暖化のせいだ何とか温暖化を止めねばという議論ばかりが先行するが事実上温暖化などの気候変動は常識的な人の力ではとても止めることのできない代物だ。起こることを予測して適切に対応さえできれば生き延びることができるのだろうしそれしかないのだろう、ちょうど動きの鈍い恐竜がすべて滅んだものの環境にあった場所を選べる鳥が生き残ったように。

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2018年1月13日 (土)

神功皇后の存在感が

今年の初詣は元旦に近くの御子神社を訪れた、ここ数年同じで引っ越してからの生活パターンも定まって来た感じがする。3が日はのんびり過ごした後この地の習慣に従ってあと2社を回った。3社参りは明治になって商業的動機で人為的に広められた習わしと言われ、従う理由も無いのだが正月は何か時間がゆったりしていて3社くらい回るのがやはりちょうどいい、1社ではやや物足りない。

Umikoboku

福岡周辺の大きなお宮はこれまで順に詣でていたがそういえば宇美八幡にはまだ行っていない。今年はここからかと訪れてみた。
福岡空港の向こう側で、九州高速のすぐ東にあるようだ。ナビで目的地を入れて向かうと難なく到着し駐車場も特には並ばなくて呆気ない。1月も4日ではだいぶ空いてくるようだ。
立派なお宮だ。そもそもは神功皇后が三韓征伐から戻って 後の応神天皇となる御子を産み落としたのがこの地であったことから宇美の名があるという、古事記にはっきりそう記されている。福岡周辺では神功皇后の言い伝えがあちこちで顔を出すような気がするが、ここではこの地域の成立そのものが神功皇后だ。進んで行くと社殿の両側に巨大なクスの巨木が見えてくる。樹齢2000年とされる。確かに縄文杉に漂う異様さがここにも感じる。これはかなり古い。神功皇后も見たに違いないと思えてくる。その時代とつながっている現代をどうしても感じてしまう。すごい。

2日後、神功皇后の残した石がご神体になっている糸島の鎮懐石八幡宮を訪れた。こち

Chinkiq

らは神功皇后が新羅征伐に出発するとき懐妊しており出産を遅らせるために二つの石を持参した、そのうちの一つの石のある八幡宮ということになっている。単なる言い伝えでなく万葉集巻五に山上憶良がこの地を訪れた時(西暦730年頃)にこの神功皇后の残した石を見て説明を記し歌を詠んでいる。この時すでにここに石があったことは疑いようがない。(写真は展示されている相当の石、本物は御神体となっていて見れない)
このほかにも福岡市周辺には神功皇后の残したとされる遺跡が幾つかあり、那珂川町にある神功皇后が新羅征伐勝利祈願の神田に水を引くため掘らせたとされる農業用水路「裂田の溝(うなで) 」は現在でも水路として使われていたりもする。神功皇后は福岡周辺では存在感の強い名前となっている。
Shichitou九州以外でも、石上神社に伝わる七支刀(国宝)は百済から神功皇后に贈られたと日本書紀にある七支刀そのものではないかとみられているようでもあり、物的証拠があちこちにあるのも神功皇后の不思議でもある。

それにしても、神功皇后とは何者なのか。古事記・日本書紀では第十四代仲哀天皇の奥方で、九州に熊襲退治に天皇とともに訪れた時に天皇が亡くなり神の啓示を受けて新羅征伐にたった、とされる。首尾よく新羅征伐に成功しこの地に戻った、というのが武功の大筋ということになる。本当だろうかと思うが倭国が新羅を攻めてこれを破り新羅から朝貢を受けるようになったという事実は朝鮮半島側の4世紀後半頃の記録にも残されているようで史実と考えてよさそうだ。それが本当に神功皇后の武功であったかは解らない。神功皇后の話が記載されている古事記は8世紀初めの書物だから古事記が書かれた段階で既に三百数十年経っていたことになり、相当に話が脚色されてしまうのはいかにもありそうな気がする。しかし古事記万葉集の時代までに言い伝えられる程の事跡を残した人物がいたのはほぼ間違いないような気もする。

古事記では神功皇后の母方の生家は出石氏であったとされているようだ。出石氏は新羅王子であった天之日矛(アメノヒコボ)が帰化した所謂渡来人を祖先とする一族とされており元を辿れば朝鮮半島につながることになる。当時の倭と朝鮮半島の三韓は血族的にも強く結びついていたようにも思える。倭と三韓は今の日本と朝鮮半島の様な切れた関係ではなかったようで神功皇后にまつわる話は少なくともそんな雰囲気の中で形作られたと思うとある種のリアリティを感じて来たりもする。

半分本当で半分作り話、そんな世界が九州で見る古代史には立ち込めているようだ。その痕跡がすぐ間近にあるという所が面白い。
それにしても、核ミサイルであれ慰安婦問題であれ北朝鮮が韓国がという話が未だに日々の話題の中で重きをなすのは、歴史的に見れば当然ということかもしれない、これからもずっとこういう立場でお互いを見つめていくのだろう。理解しあうよう努めるほかないのだろう。

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2017年12月28日 (木)

個の露出への誘惑と警戒

どうもこの頃寝つきが悪く気楽に読める本をとヘミングウエイの「武器よさらば」を読

Bukiyo

んでみた。A farewell to arms というのが原題だから直訳のタイトルということになる、武器よさらば とはてっきり出版社が適当につけた和名と思っていた。
会話文が多くてすらすら読める。第一次大戦イタリアの前線での
著者の戦争体験に基づいて描いた小説といわれるだけに戦争をめぐるディテールがそれらしい。ただ戦場での恋愛の実際の結末は小説とはだいぶ違うようで恋人の死は創作だ、でもリアルな描写が多いので読者はどうしても総てが著者の体験のように思えてしまう、そういう所がうまい著者なのだろう。発表と同時にベストセラーとなったのもうなずける。

「日はまた昇る」を読んだ時にも感じたがヘミングウェイという人は全くの空想では物語を書けなかった人なのではないか、自分の体験をベースに少し事実とは違うことを書き込むくらいでしかいい小説は書けなかったのではなかろうか、そう思ってしまった。それも一つの生き方だ。ヘミングウェイ自身の人生の物語が十分に面白いような気もしている。

自分自身の生きざまを露出させながら書き続ける、それで立って行っている作家の作品はこれまでにも随分ある。檀一雄のリツ子その愛その死 などはその最たるもののように思っている。

しかしそんな作家の生き方は終わりとなりつつあるのではないだろうか。

ネット社会だ。個人のプライバシーが思わぬところから暴露されて異様な人々から攻撃される、そんなことがあちこちで起こるようになってきた。こんな社会に身構える個がある、それを感じる。

思えば今回のノーベル賞作家カズオ・イシグロはヘミングウエイの対極にあるようだ。カズオ・イシグロの作品のように任意の舞台設定で真実と思うことを書き込む、そんな能力が必要であり評価される時代になってきた、そういう流れを感じる。


12月の初めに久しぶりにヨットの遊びでヨットハーバーに行った折、いくつかの雑談の中で、自分の住んでいる近くにイルミネーションがすごい家があるとの話を聞いていた。どうも高層住宅から眺めてそのあたりに見えるということらしい。クリスマスになってこれを思い出して、クリスマスを過ぎるともうやめてしまうかもしれないと、とにかく日が落ちてからどこだろうと探しに出かけた。大体の方角を見定めてジグザグに歩いていくと確かにきらびやかな電飾の住宅に行き当たる。ここらでは個人の住宅

Densyoku

のイルミネーションなど見たことがなくて可成り目立つ。ここのことらしい。
しかし誰も見に来ている人はいない。寂しいイルミネーションだ。周りの家が同調してそれぞれに飾り始めれば面白いことになろうが、そんな雰囲気はとんとない。
自分もやるかと問われればたじろぐところがある。自己主張はしてみたいが安全上自分の住居は守りたい、安全を曲げてまでは目立つことは避けようとする気持ちがある。個の露出が容易になったことへの誘惑と警戒、これが時代の雰囲気になりつつある様に思える。

警官や教師のありえない不祥事が相次ぎ、ホラー映画の様な座間大量殺人事件や、殺人してみたかったから殺したという若い女性が現れたりもして、一定の無視できない割合でこの社会には異様な人間が住み着いていることが明らかになってきたように思う、もしかしたらネットがそれを助長したのかもしれない。そういう世の中だ。異様な人間からは自分を守ることがまず必要だ、ガードを固める、縮こまる、そんな面白くない
連鎖の世の中に突き進んでいっているようで少々暗くなる。

どうやればそんな不安から解放される社会へと向かえるのだろうか。トランプのように壁を作り人の動きを制限して多様性を排除するほかないのだろうか。そうではないのだろう。
テクニカルなことで解決の糸口が見つかるかもしれない、神のごときAIが現れてネットのすべてを仕切る時代が来るのかもしれない、そんな気もするがそれで収まるのかどうか、それ以上は思いつかない。

いずれにせよ人類はこんな状況は乗り切りながら先へ先へと進むだろう。どんな世界がその先にあるのだろうか、考えていくと果てしない。

寒くなると考えをめぐらして未来を思うこんな時間が長く持てるようだ、それはそれで悪くもない。冬はまだまだ続く。

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