2021年4月26日 (月)

冬鳥が去り夏鳥が

春がしっかりやって来た、乾いた風が晴れ渡った空の下吹き抜けていく。街中にある公園の林の中を歩いても高原のようにすら感じてしまう。
毎日のように近くの3つの公園をつないで散歩している。冬鳥もツグミは早々に引き上げ残っていたシロハラも滅多に聞けないさえずりを残してふっと姿を消した。帰りそびれているのは今や僅かばかりのマガモShirohara0426b だけとなっている。そう思っていたら今日また帰りそびれているシロハラが1羽ひっそり現れた。たらたらと冬鳥は去っていく。

去年は散歩コースにある近くの公園でオオルリも見れたし、クルマですぐの植物園周りではコマドリも姿を見せた。今年はどうだろう。
オオルリを見たいと去年最初に見た植物園の周りをこの春もう3回位訪れてみたが、一向に出会わない。帰っていくルリビタキのメスが姿を見せたりはするが渡ってきた夏鳥が見れない。コマドリもついに見れずじまいになってしまっている。
クルマで2-30分の油山からは夏鳥が出現し始めたとの知らせがその内届くようになる、やはり油山かとこちらに出向いてみる。これも2度ほどこの4月に出かけ、2回目でやっとキビタキ、オオルリに出会えた。写真はあまりうまく撮れなかったが目でしっかり見、囀りもしっかり録音できたので、春を心の底から感じれるほどに堪能できた。クロツグミもさえずったかと思ったがよくよく聞くとソウシチョウだった、紛らわしい。春らしい。Kibitaki0420a1aa

いつものようにやってくるが決して同じでない春、体験できるのは限られた回数だが軽く1000年後までもこんな感じで繰り返されていく春、今はそんな春をあきらめにも似た気持ちで受け入れている。

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2020年6月28日 (日)

志賀島の鳥が

 

コロナ騒ぎで、集まって野鳥を見るという機会がこのところなかったが、そろそろ自粛も抑えめになってきたこともあり、先週、鳥仲間の呼びかけに応じて海の中道から志賀島エリアの鳥見を楽しんだ。
博多湾に飛来するコアジサシを見たり、ミサゴの営巣を見たりした後、志賀島北にある沖津島でウチヤマセンニュウ(Locustella pleskei)を観察した。ウチヤマセンニュウはスズメ目ウグイス科のウグイス位の鳥で 環境省のレッドリスト2020では絶滅危惧IB類(EN)(近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの)となっている。IUCNではVULNERABLEでこれより1段低いが絶滅危惧種であることには変わりない。福岡県の希少野生生物のページでは県内では生息箇所が3カ所と限られており,福岡市西区大机島,福岡市東区志賀島属島沖津島,宗像市沖ノ島の3カ所に夏鳥として渡来する、いずれの生息地でも確実な生息数の推定は行われていないが,大机島,沖ノ島は50~100つがい,沖津島は数つがいと考えられる、との記述がある。朝鮮半島,沿海州,九州,および紀伊半島の沿岸,伊豆七島の島嶼で繁殖し、冬は中国南部からインドシナ半島で越冬してるという(Bird Research News Vol.5 No.5 )。
2007年に三宅島で一度見たことがあるがそれ以来だ。今回は写真はうまく撮れなかった、添付は2007年三宅島で撮った写真だ。声は今回やっとなんとか録音できた(下)。Uchiyama20070526aa

 


沖津島は志賀島の北にある小さな島で普段は浅瀬で隔てられているが干潮では歩いて渡ることが可能なことがある。今回は干潮ピークのやや前に長靴で渡って観察した。4羽位が姿や鳴き声で確認でき、もう少しは居る感じだったが10羽以下ではある様だ、数は少ない。ウグイスに似た姿で見て感動するというほどではないがその希少価値に頑張れ!と何か心に響くものがある。センニュウの名は江戸時代の百科事典である和漢三才圖會に仙遊鳥(せんゆうどり)とあったのがなまってセンニュウになったものと考えられている。見ているとすぐに茂みに潜入してしまうので相応しい名前のようにも思えてくる。

のんびりと時間を過ごすが久しぶりの長い日なた歩きで少々疲れて早めに帰宅した。
この日は部分日食でもある、帰りながら車のサンバイザー越しに見える太陽が心なしか欠けていくのが面白い。自宅に帰りつくころ丁度欠け方が最大となった、壁に写る木漏Komorebi0621a れ日がそれぞれに三日月になっているのもまた面白い(添付写真)。

コロナコロナで何かと制約されるが、ウイルスとは違う自然の営みに触れることでやっと心が休まる日々が続くような気がしている。

 

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2019年6月14日 (金)

英彦山深倉峡でアカショウビン

 

奄美旅行の記録を整理してまだ終わった気がしないものの、録音データはCD化してやっとクルマで聴き始めるところまできた。録音を編集しているとリュウキュウアカショウビンの声が耳についてくる、そういえば福岡県でアカショウビンといえば以前英彦山深倉峡で聴いたことがあると思い出した。
また行ってみるかと気楽に往き道を調べていると、どうも2017年7月の九州北部豪雨で道があちこち壊れたようで今年の2月でも深倉峡園地までの道は開通していないとの書き込みがブログ等のネット情報として引っかかってくる。管理者である添田町のホームページの道路不通リストには入っていないので今は行けるのかもしれないとは思うがかなり怪しそうだ。細い道までいちいちリストに挙げていないのかもしれない、行ってみなければ解らないととにかく出かけた。
福岡市から行くにはいくつかの道順があるが使ったことの無い秋月周りのルートとしてみた、距離は最短ではある。
行きがけに給油したりおにぎりを買ったりと手間取って、走り始めたのは朝の9時半くらいになってしまった。まあしょうがない。渋滞というほどの混み方でもなく走れたが秋月から小石原に向かう道では道路補修のための片側通行や不通によるう回路指示が所々で現れる。まだ豪雨被害から回復できていな現状が伝わってくる。小石原で小休止して英彦山に向かう。深倉峡園地を示す道標のところを右に折れて深倉峡に向かうFukakura0Fukakura01 が、この先不通との表示はない。行けるかもしれないと思いつつ進む、その内 この先工事で4トンダンプ通行あり注意と警告する看板が出てく る。普通車での離合も気を遣う細い道で前から4トンダンプが来るとかなりやっかいそうだ、ともかく進む。

沢沿いの道が沢を渡って上がってい くところで突然通行止めとなった。ナビに入れておいた深倉峡園地は結構近いがもう少し先だ。右につけられた河原に降りる道から4トンダンプが上がってくるようだ、どういう工事なのだろうか。

ともかくUターンして車外に出てみる。土砂を取っているような音がうるさいがそれを縫ってアカショウビンの声が聞こえる、それも複数鳴いているようだ。雑音が多いがともかく録音する。程なく突然ダンプが河原の道から上がってきて慌ててクルマを路肩に寄せる、なんとか通れて事なきを得た。少し戻ったところにクルマを止められるくらいの場所を見つけそこに停めておにぎりを食べる、ちょうど昼だ。自宅から正味2時間で辿り着いたことになる、およそ予想通りだ。昼休みで工事の音は静かになった、これに合わせるようにアカショウビンの声は小さくなったと思えばミソサザイが大きな声で鳴いてくれる。野鳥を楽しむにはいい場Fukakuramapx 所だ。姿を見るのは木々が深くて難しいが声を聴いたり録音したりするにはいいところだ。また近くでアカショウビンが鳴き始める。しばらく聴いているがきりがないようでもあり適当なところで引き上げる。なんとなく奥胎内のアカショウビンを思い出した。こんな環境があれば日本はどこでも野鳥の楽園が現れるのだろう。

帰りは北上して「道の駅いとだ」の付近に出て八木山バイパス経由で戻った。山道がない分速くて1時間半位で自宅まで走れた、どうもこちらの道がいいようだ。自宅からは大授搦と英彦山が大体同じ時間距離だとやっと実感した。

このところクルマをあまり走らせていない。億劫になってきたのかもしれない、好奇心が弱くなってきたのかもしれない、色々考えてしまう。それも全てが自分の人生なのだろう、すべてを受け入れて思うままに水のように生きていく、それが出来れば十分な気がしている。

 

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2017年5月10日 (水)

オオヨシキリ

夏鳥が次々に飛来して面白くなってきた。連休の始めは久しぶりのコルリの声を南公園と油山の二か所で聴けた。コルリが日本に多く飛来するようになったのだろうか、喜ばしいことだ。鳴いているコルリは殆ど見えるところに出てきてくれない。写真110507koruri1a はあきらめて録音に集中する。録音は後で聞きなおすと写真よりはるかに臨場感があって記録としても優れているように思う。(添付は以前軽井沢で撮った静かなコルリ)。
南公園の録音は丁度動物園入り口部の改装工事が急ピッチで進められている時でガランガランと大きな音がかぶってしまったが、後で聞きなおすと録音処理で少しは軽減できそうだし、何しろコルリが力強く鳴いてくれているのがいい。

連休の終わりころ今津にオオヨシキリが入っていると人づてにあり早速聞きに行く。ギョギョシギョギョシという鳴き声は宇都宮にいたころはこの季節に宇都宮市内や近 郊の葦の茂みからうるさいばかりに聞こえていて、いかにも北関東の河原に似つかわしい気がしていたが、しばらく聞かないとここ福岡に現れているときけばやはりそれっと出かけて行きたくなる。

新しいクルマにもだいぶ慣れて自動追従で走れば市街地もずいぶん楽なのもあって気楽に出かけられる。30分くらいで今津についてどこのヨシ原だろうと少し探すと玄洋高校に近いヨシの茂みから元気な声が聞こえてきた。懐かしさがある。近寄ってもそうは逃げないようなので姿を探すと時々茂みから上に出てくる。思った
20170508ooyosikiri2よりもずいぶん大きい感じがする。宇都宮にいる時は結構離れてみていたからだろうか、もっと小ぶりの印象を持っていた。いつも思うのだが福岡の鳥見は距離が近い。人家近くを旅することを鳥は心得ているような気もする。何しろ人類よりとんでもなくはるかな昔から地球上を飛び回っていた生き物だ、色んなことはすぐに心得てしまうのだろう。新参者の人類なんて適当にいなされているのだろう。

いずれにせよよく鳴く鳥は姿をしかととらえるのは難しい。考えてみれば当然だ。あの派手なアカショウビンでも鳴いている時は巧みに人から姿を木陰に隠す。写真を写すことに気を取られると鳥の楽しみから離れていくような気がしている。
録音のみする人にむしろ鳥は寄っていきもする。以前の蒲谷さんの講演を聞き直しているとどうして蒲谷さんには鳥が寄るのかとよく質問されると語っておられた所が心に残る。

20170508imazuhachikm 人でも有無を言わさずパシャパシャ撮られればいい気持ちはしない。鳥ならなおさらだろう。

今津で帰り際に仰ぎ見るとハチクマが2羽舞っている。そんな時期になった。こうやって流れていく時間を眺めていると、他に何のなすべきことが残されているだろうか、そんなことも思ってしまう。いい季節だ。

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2013年8月24日 (土)

久住を歩く

暑さがまだやまない、高層の天気図を見ていると、暑さの指標となる850hp高度(高度約1500mで大気境界層上端にあたる)での相当温位の高い部分が中国から九州にかぶってくる予測となってきてこれは何処かに逃げ出さねばと急遽久住の宿を取って久住高原Kujyuu を訪れた。3日前のことだ。久住高原コテージというところが手軽に泊まれると出ていたのでここにした。

せっかくだから何処か湿原でもと久住の長者原から坊がつる湿原を往復する計画としたが少々長いし湿原歩きにしては上りが結構ある。途中で引き返しても充分いいところのようなので、峠の雨ヶ池あたりで引き返すことも想定してここを歩いてみることにした。

福岡の自宅を午前6時頃出て長者原の駐車場に8時に着いた、予定通りとはいえキッチリ2時間で着くとは近い。高速も通勤時間割引の時間帯で平日だがほぼ50%引きとなって安い。天気Cyouja0 の見通しは午後は下り坂で降り始め予測は13時過だが雷雨の恐れがある、雷雨予測 はなかなかピンポイントには当たらないものの出会いたくない、様子を見ながら進むことにする。

ビジターセンターは9時開館で待つわけにもいかず花や鳥の情報は得られないままとにかく出発する。すぐにタデ原湿原に入る。久し振りの木道歩きだ、サワギキョウやコバギボウシ、コオニユリ、のほか、ヒゴダイという紫色の葱坊主のような花も現れる。鳥も時々現れるがすぐに草に入ってよく解らない。まずまずの湿原だ。ここを抜けると沢沿いに次第に上りがきつくなってくる。鳥の声も多い。ここでもソウシチョウが多いがクロツグミやセンダイムシクイ、Cyoujya2 ヒガラ他の声もしてにぎやかだ。ブナの木も目に付く。アサギマダラも飛んでいる落葉樹の林を進む、秋もよさそうだ。
鳥の録音をしながら上っていくと雨ヶ池に至る。雨が降れば池になるというところで特に今 水がある訳でもない。マツムシソウが沢山咲いているのは驚いた、長野の花とばかり思っていたが誤解だった。ミヤママツムシソウは長野県中心の狭い範囲に生息しているがマツムシソウの方はそうでもないらしい。
Cyouja4 峠を越えて坊がつる湿原の見えるところまで下っていく、思ったよりも急な下りで下まで下りきると上り直すのは大分きつそうだ。雲行きも気になる。やはり坊がつる湿原に遊ぶにはこの先の法華院温泉の山小屋泊とすべきようだ。次の機会にとここでこの日は引き返すことにする。
少しづつ九州の自然歩きも解ってくる。生き物の様相は北関東や長野・群馬とは多少違っていても雰囲気は通じるものがある。2時間も走ればたどり着けるのなら悪くない。Cyouja6

宿につく頃には予定通りの雷雨となった。1時間ほどで嵐が去ったあと広大な阿蘇外輪 山の起伏から水蒸気が緩やかに立ち上る、ゆったりとした景観が窓の外に広がる。高い山は無いが九州の自然も素直にいいと思えるようになってきた。秋はどう過ごすべきなのだろうか。

すべてを受け入れて流れるように生きていく、それで十分でないだろうか、そんなことをぼんやり思っていた。

Koteji

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2013年8月19日 (月)

背振山にブナを見る

背振山に行ってみた。6月にたどり着けなかったので仕切りなおしということになる。道の情Sefuri_2 報がはっきりしている西の三瀬トンネル側からまわって行った。ところどころでセンターラインがなくなるが、対馬の周回道より相当に立派な道を上り詰めると山頂直下の自衛隊駐屯地に行き当たる。自衛隊の駐屯地入口の右横にやや細い道があってそこ進むと先が開けて山上駐車場についた。思いのほか広い。トイレもあるし自販機もある。舗装は無いが普通の観光地の駐車場だ。端っこの空いたスペースにクルマを止めて外に出ると涼しい。標高990mでは下界より6度は気温が低い計算だがそれ以上に涼しく感じる。これはいい。
木陰に入ってぼんやりしていると後から来て車を降りた2人連れがいそいそと椅子と敷物を持って直ぐ近くの木の下の良さげな場所をさっさと占領してしまう。遠慮が無い。こんな雰囲気は地方風の都会の世知辛さが出ていて栃木とも東京風とも違う。
暑そうな山頂はよして ブナの林があるという蛤岳に向かう尾根道を下っていく。木陰になっていて気持ちがいい。鳥の声が聞こえてなんだろうと久し振りに録音する。イカルに少し似ているが違う、姿も葉陰にちらちらするが結構小さな鳥のようで忙しく動いている。自宅に帰って調べるとソソウシチョウだった。数年前の冬 栃木の井頭公園で群を見たことがあるが声を聞くのは初めてだった。ソウシチョウの声 声がいいので中国で飼育されて広がったものらしいが、そこまでのいい声でもない。
道の両側にブナが見えてくる。木肌の美しさは日光や尾瀬近辺のブナほどでないがとにかくブナだ。なんだかほっとする。晩秋には黄葉をみせてくれるだろうか。ここらは冬は雪も深いBina_2 ようだ。蛤岳というのもよさそうだ、水が豊富らしい、そのうち行ってみるかと適当に引き返す。

ハイキング中の人に何人か出会う、山ガールではないおじさんおばさんばかりだ、そういう山なのだろう。
駐車場の隅の木陰でのんびりスケッチをして時間を過ごす。アキアカネがまっているし、大柄の見たことも無い黒いチョウが現れたりもしてぼんやり過ごしていても気持ちがいい。
林立する中継アンテナやレーダーアンテナそれにミサイルの模型は無粋だがそれを気にしなければいいところだ。
下まで下りてくると猛暑の夏が満ち満ちている。
すこしずつ夏の九州の過ごし方にも慣れてきた、暑くても家から出て動き回るのがいいようだ。夏の暑さもそろそろ終盤のはずだ、秋はどのようにやってくるだろうか。

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2013年5月 4日 (土)

立花山のクスノキと野鳥の録音と

あちこち出かけているが野鳥の声が北関東のようにはまだ録れない、福岡周辺のポイントが見つけ出せていない気がしているが色々探すのも面白い。久末ダムというところで野鳥の会の観察会に参加してみるとクロツグミやオオルリ、キビタキを近くで録音しているという人に出会った、つい最近の録音を聞かせてもらうと良く録れている、20分くらい先にいったホタル公園というところだと教えてくれる、近くには鹿もかなりいるようだ、日光と似ている雰囲気なのかもしれない。ついでに行って見るかとも思ったが久末ダムも自宅からは1時間以上離れており更に先へ早朝録音に行くのはおっくうな気がしてそのまま帰ってきてしまった、しかしとにかく場所を選べばうまく録れるのは解った。鳥や植物も福岡は福岡なりの面白さがあるようだ。
立花山という福岡市の東北にある山に登った。標高367mの低山だから登山というほどのものではないが山は山だ。この山にしたのは近頃山に登っていないので九州へ来て登りはじめるには手頃ということもある、 それよりここにはクスノキの原始林があり特別天然記念物に指定されていて、これは見ておかねばと思ってしまったのが主な登る動機といえるだろう。東斜面に600本くらいのクスノキ原生林を形成しているという、3月頃ネットで調べていて新緑の季節まで少し待っていたことにもなる。広々とした無料の駐車場にクルマを置いて上り始めるが、最初はコンクリートの急坂で感じがよくない。程なくキビタキのようなオオルリのような声が聞こえる、遠いのもあって今ひとつはっきりしない、鳥も結構良さそうだ。クスノキは直ぐ現れる、常緑樹が密な森だ、「ちしゃのき」との看板が木にかけてあったりする、聞いたことのない名前だ、うっそうとしてよく知らない木が濃密に辺りを覆う、南に来たという感じがしてくる。屏風岩というそれほど大きくもない岩の前を左に折れて急なくだりを下っていくとクスノキ原生林でも最大の大クスノキが現れる。樹齢300年以上、幹の周長は約8mと説明Kusunoki 板にある、枝も入り組んでいて木としての量が大きく重そうだ、これは迫力がある。勿論あたりはクスノキだらけだ。急な斜面で切りだすのが難しくて残ったのだろうか或いはこの山にあった立花城の保護があったのだろうか、とにかく日本に残る唯一のクスノキ原生林らしい。自生の北限でもあるとされる、貴重だ。また上り返して屏風岩から山頂に至る。人で賑わっていて眺めがよい。眼下のわじろから福岡市の中心部へかけて一望できる、油山もそうだが福岡市の山は眺望Kusunoki2 がいいように思える、そのせいか山城が多い様でもある。くだりは道を変えて 縄をつたって急斜面を下り立花城の石垣跡を見ながら元の道に合流した、低山だから初めてでも気楽に色々道を試してみることができて面白い。低山には低山のよさがある。
野鳥の声はここでもあまり録れず数日後早朝の油山にいって歩き回ってみる、しかしいまだに日光の五葉平や霧降のようなところには行き当たらない。そうはいっても、まだまだあちこち出かける理由になってこういうのも満更でもない。5月も忙しくなりそうだ。

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2012年8月25日 (土)

小説 海峡

ネットで探し物をしていると時々そうだったのかということに行き当たる。この間も何かを調べようとネットを漂っていたら、それが何だったかはもはや忘れてしまったのだが、蒲Kaikyo2谷さんをモデルにした海峡という小説を井上靖が書いている、との一文に突き当たった。井上靖と蒲谷鶴彦、20歳ほど年が違う、どこで出会ったのだろうか。海峡は井上靖が昭和32年頃週刊読売に連載していた、その最後の部分の取材を 雪の下北半島紀行  という一文にしたためている、井上靖と蒲谷さん、雑誌記者、それに挿絵画家の4人の旅だ、これはネットで読むことができる。小説の舞台となった雑誌編集の世界に井上靖の見慣れた風景があるのだろう、そこから切り離された別世界の野鳥を取り巻くミクロコスモスに井上靖の憧憬のようなものを感じてしまう。

海峡を早速図書館へ予約して借り出してくる。昭和33年9月20日の再版本だが9月10日が初版とある、恐ろしく売れたようだ。蒲谷さんをモデルにした庄司という人物がすぐに登場する、やたらと鳥の名前が出てきて、井上靖は結構鳥が好きだったのではないかと思えてくる。あとがきに 小説を書くのは苦しいのだがこの連載は楽しかったと記している。野鳥を求めてフィールドを歩きその声に耳を澄ますことそのものが刺激的でもあり癒されもしたのだろう。小説の庄司と言う人物は現実の蒲谷さんよりもう少しばかり人間世界に寄っている気がする、しかし当時30歳位にあたるのでこれ位かもしれないとも思う。流れてきた時を感じてしまう。

小説の最後の部分が下北半島の突端から北へ渡るアカエリヒレアシシギの録音シーンとなるのだが、この部分を 雪の下北半島紀行 という現実の紀行記と読み合わせてみると面白い。描写が重なっていて、台詞もそのまま現実の蒲谷さんが語った言葉が小説の庄司が語った言葉になっている。細かくメモを取りながら旅を続けたのだろうし現地の旅館でも書き続けていたのだろう、何しろ週刊誌への連載だ。現実に体験する世界を小説という別の世界に落とし込んでいく或いは貼り付けていく、小説家とはこんな手法で書いているのかと少しばかり驚かされる、 そうなのか と感じさせるものがある。これは大変な仕事だ。

正直に言えば個人的には井上靖の文体はあまり好きでない、しかし細かなことは置いておいてストーリで押してくるところが読みやすい。勿論自分では書けはしないのに人の文体をどうのこうのとはとても言えないのだが。

海峡という本は読むべき本だった。どうしてこんな本があることを知らなかったのだろうか。点と点を線で結ぶ生き方にネットがある面を用意してくれる、有難い世の中になったがこの面のどこか深みのなさもいつか破らなければならないのだろう、そうでなければ人は更に新しい地点に到達できなくなるのではないか、そんな気がしている。

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2012年8月 4日 (土)

逃れようのない暑さの夏がいとおしくて

眠い
夏の昼間はエアコンのある部屋で過ごしてしまうとどうにも体の調子が悪くなる。
暑くて週末は雨でもなければ奥日光や霧降に出かけている。とにかく涼しければいいのでいい加減に歩いたりする。先日も奥日光へ上がってみたがふと思いついて金精峠の西側をと歩くことにした。菅沼の茶屋までクルマで来ると駐車場が有料になっている、それも1000円もする。話には聞いていたが白根山に登らない人からも一律に1000円というのはどうかと思えてしまう。スキー場の駐車料金の感覚なのだろう、アバウトだ。
Konseiw 歩き始めるとすぐコマドリの声がする、思いつきで来たのもあって録音機を置いてきてしまっている、なんとかならないかと思ってカメラに録音機能が何処かにあるはずと探してみるが分からない、それでは携帯に録音機能があるはずとみるとこちらは何となく分かってサウンドレコーダを選択すると確かに録音できるようだ。しかしボイス用で音は期待できない。マイクの向きも勝手が違ってあらぬ方向に向けてしまう。この頃は知恵があまり働かなくなってしまってと嘆きながら少しずつ録ってみる。道は荒れている、倒木が目に付くし道をさえぎられる、最近奥日光で大雨があって一時いろは坂が通行止めとなった、そんなことを思い出す、自然の循環の結果がこの荒れ方なのだろう、人間が入っていない分荒々しい。コマドリはそんなことにはお構いなしに涼しげなさえずりを繰り返す。ルルルルといい音色だ。前に来た時と同じところでよく聞こえる、住みやすい場所は長い間変わらないのかもしれない。ともかくコマドリは去年の利尻以来だ。姿は例によって見えない、今まで1回しかその様を見たことがないが 声を聞くだけで十分いい。
録音はどうだったのだろうと戻ってパソコンで確かめてみると4000hzまでしか録音されていな い、(「MMF0007a.mp3」) やはりボイス用だ、しかし一応音が録れてるだけでも記憶を蘇らせる役目は果たせる。
夕方に下へ降りてくるがまだ暑い。逃れようがない。同じように夏は毎年やってくるが同じ夏はない。同じコマドリの声もない。たまたま時空で交差する多層の時の流れが少しばかり空虚な心地を与える。コマドリも荒れた森も有料になった駐車場もボイスレコーダの能力も何の関係もない事物でしかありえない。目の前の今しかない、気を張っていないとばらばらになっていく今、逃れようのない暑さの今がいとおしくなる。

眠くなりながら考えを遊ばせていると何だかいい夏のような気がしてきた。まだ夏は続く。

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2010年6月14日 (月)

なんにでも終わりは来る

毎年今の時期の早朝 野鳥の録音に出かけることにしている霧降にこの土曜の朝でかけた、年を経ると例年行っている、ということが増えてくる、当たり前のことだが はじめたものはどこかKirifr10 で止めなければならない、止めれなくなると身にふりつもってくる、新しいことが始めにくくなってくる。ともかく朝4時半頃自宅を出るがどうも例年より遅い。4時前には出ていたような気がしたがもう体が動かなくなったのだろうか。霧降の道を5時頃駆け上って第2リフト乗り場の先の橋のあたりに着くがもう陽が大分上がっている。それでも車を出るとオオルリの声が流れてくる、カッコウやホトトギスも声を響かせて、いい感じだ。20分ほど録音しているといやな音が次第に耳につくようになってくる、バイクとエゾハルゼミだ、やっぱり出るのが遅すぎた。時が過Ooruri10 ぎるにつれどちらの音もあたりを制圧してきてもう録音は止めろといっているようだ、いい加減であきらめて六方沢橋あたりに行ってみるがエゾハルゼミの声はいや増しだ、そばに寄って来てとまったりもして、途方も無い響きを響かせる、音の壁に覆われてしまったような気持ちになる。あちこち場所を変えてもエゾハルゼミからは逃れられない、エゾハルゼミは雨が降りそうなくらいにならないとなきやまないのだがこの朝はよく晴れているのが恨めしい、晴れればいい天気とはとてもいえない。バイクのほうがエゾハルゼミよりはかわいいと思っていると、先へ行ってUターンしてまたそばを走り抜けて走りを楽しんでいる、その繰り返しで台数が増えてくるとハルゼミが少しおとなしくなっても録音にならない。早朝から豊かな自然の中でバイク騒音に悩まされるのもうんざりして山を降りる。不満が残るがどこにもぶつけようが無い、とにかくこの時期は4時には録音開始でないと旨く録れないようだ、なんとなく無理っぽく感じてきた。楽しみでやっている自分にとっての年中行事だがそろそろ変え時かもしれない。
時々やっていることを整理しなくては と思う、自分だけでやっていることは決めれば終わりだが、何かの拍子で引き受けたことも次第に圧迫を感じるようになれば身を引かねばならない、かといって他の人を圧迫してもいけない、難しい、しかししょうがない、それが世の中だ、生きているということだ。
やっと梅雨に入ったようだ、こちらも季節という年中行事だが簡単には終わりにならない、しかし地球の一生という時間のスケールに思い至ると やはりつかのまの習慣なのだろう、なんにでも終わりは来るのか、とまた思ってしまう、ともかく梅雨だ。

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