2017年5月10日 (水)

オオヨシキリ

夏鳥が次々に飛来して面白くなってきた。連休の始めは久しぶりのコルリの声を南公園と油山の二か所で聴けた。コルリが日本に多く飛来するようになったのだろうか、喜ばしいことだ。鳴いているコルリは殆ど見えるところに出てきてくれない。写真110507koruri1a はあきらめて録音に集中する。録音は後で聞きなおすと写真よりはるかに臨場感があって記録としても優れているように思う。(添付は以前軽井沢で撮った静かなコルリ)。
南公園の録音は丁度動物園入り口部の改装工事が急ピッチで進められている時でガランガランと大きな音がかぶってしまったが、後で聞きなおすと録音処理で少しは軽減できそうだし、何しろコルリが力強く鳴いてくれているのがいい。

連休の終わりころ今津にオオヨシキリが入っていると人づてにあり早速聞きに行く。ギョギョシギョギョシという鳴き声は宇都宮にいたころはこの季節に宇都宮市内や近 郊の葦の茂みからうるさいばかりに聞こえていて、いかにも北関東の河原に似つかわしい気がしていたが、しばらく聞かないとここ福岡に現れているときけばやはりそれっと出かけて行きたくなる。

新しいクルマにもだいぶ慣れて自動追従で走れば市街地もずいぶん楽なのもあって気楽に出かけられる。30分くらいで今津についてどこのヨシ原だろうと少し探すと玄洋高校に近いヨシの茂みから元気な声が聞こえてきた。懐かしさがある。近寄ってもそうは逃げないようなので姿を探すと時々茂みから上に出てくる。思った
20170508ooyosikiri2よりもずいぶん大きい感じがする。宇都宮にいる時は結構離れてみていたからだろうか、もっと小ぶりの印象を持っていた。いつも思うのだが福岡の鳥見は距離が近い。人家近くを旅することを鳥は心得ているような気もする。何しろ人類よりとんでもなくはるかな昔から地球上を飛び回っていた生き物だ、色んなことはすぐに心得てしまうのだろう。新参者の人類なんて適当にいなされているのだろう。

いずれにせよよく鳴く鳥は姿をしかととらえるのは難しい。考えてみれば当然だ。あの派手なアカショウビンでも鳴いている時は巧みに人から姿を木陰に隠す。写真を写すことに気を取られると鳥の楽しみから離れていくような気がしている。
録音のみする人にむしろ鳥は寄っていきもする。以前の蒲谷さんの講演を聞き直しているとどうして蒲谷さんには鳥が寄るのかとよく質問されると語っておられた所が心に残る。

20170508imazuhachikm 人でも有無を言わさずパシャパシャ撮られればいい気持ちはしない。鳥ならなおさらだろう。

今津で帰り際に仰ぎ見るとハチクマが2羽舞っている。そんな時期になった。こうやって流れていく時間を眺めていると、他に何のなすべきことが残されているだろうか、そんなことも思ってしまう。いい季節だ。

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2013年8月24日 (土)

久住を歩く

暑さがまだやまない、高層の天気図を見ていると、暑さの指標となる850hp高度(高度約1500mで大気境界層上端にあたる)での相当温位の高い部分が中国から九州にかぶってくる予測となってきてこれは何処かに逃げ出さねばと急遽久住の宿を取って久住高原Kujyuu を訪れた。3日前のことだ。久住高原コテージというところが手軽に泊まれると出ていたのでここにした。

せっかくだから何処か湿原でもと久住の長者原から坊がつる湿原を往復する計画としたが少々長いし湿原歩きにしては上りが結構ある。途中で引き返しても充分いいところのようなので、峠の雨ヶ池あたりで引き返すことも想定してここを歩いてみることにした。

福岡の自宅を午前6時頃出て長者原の駐車場に8時に着いた、予定通りとはいえキッチリ2時間で着くとは近い。高速も通勤時間割引の時間帯で平日だがほぼ50%引きとなって安い。天気Cyouja0 の見通しは午後は下り坂で降り始め予測は13時過だが雷雨の恐れがある、雷雨予測 はなかなかピンポイントには当たらないものの出会いたくない、様子を見ながら進むことにする。

ビジターセンターは9時開館で待つわけにもいかず花や鳥の情報は得られないままとにかく出発する。すぐにタデ原湿原に入る。久し振りの木道歩きだ、サワギキョウやコバギボウシ、コオニユリ、のほか、ヒゴダイという紫色の葱坊主のような花も現れる。鳥も時々現れるがすぐに草に入ってよく解らない。まずまずの湿原だ。ここを抜けると沢沿いに次第に上りがきつくなってくる。鳥の声も多い。ここでもソウシチョウが多いがクロツグミやセンダイムシクイ、Cyoujya2 ヒガラ他の声もしてにぎやかだ。ブナの木も目に付く。アサギマダラも飛んでいる落葉樹の林を進む、秋もよさそうだ。
鳥の録音をしながら上っていくと雨ヶ池に至る。雨が降れば池になるというところで特に今 水がある訳でもない。マツムシソウが沢山咲いているのは驚いた、長野の花とばかり思っていたが誤解だった。ミヤママツムシソウは長野県中心の狭い範囲に生息しているがマツムシソウの方はそうでもないらしい。
Cyouja4 峠を越えて坊がつる湿原の見えるところまで下っていく、思ったよりも急な下りで下まで下りきると上り直すのは大分きつそうだ。雲行きも気になる。やはり坊がつる湿原に遊ぶにはこの先の法華院温泉の山小屋泊とすべきようだ。次の機会にとここでこの日は引き返すことにする。
少しづつ九州の自然歩きも解ってくる。生き物の様相は北関東や長野・群馬とは多少違っていても雰囲気は通じるものがある。2時間も走ればたどり着けるのなら悪くない。Cyouja6

宿につく頃には予定通りの雷雨となった。1時間ほどで嵐が去ったあと広大な阿蘇外輪 山の起伏から水蒸気が緩やかに立ち上る、ゆったりとした景観が窓の外に広がる。高い山は無いが九州の自然も素直にいいと思えるようになってきた。秋はどう過ごすべきなのだろうか。

すべてを受け入れて流れるように生きていく、それで十分でないだろうか、そんなことをぼんやり思っていた。

Koteji

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2013年8月19日 (月)

背振山にブナを見る

背振山に行ってみた。6月にたどり着けなかったので仕切りなおしということになる。道の情Sefuri_2 報がはっきりしている西の三瀬トンネル側からまわって行った。ところどころでセンターラインがなくなるが、対馬の周回道より相当に立派な道を上り詰めると山頂直下の自衛隊駐屯地に行き当たる。自衛隊の駐屯地入口の右横にやや細い道があってそこ進むと先が開けて山上駐車場についた。思いのほか広い。トイレもあるし自販機もある。舗装は無いが普通の観光地の駐車場だ。端っこの空いたスペースにクルマを止めて外に出ると涼しい。標高990mでは下界より6度は気温が低い計算だがそれ以上に涼しく感じる。これはいい。
木陰に入ってぼんやりしていると後から来て車を降りた2人連れがいそいそと椅子と敷物を持って直ぐ近くの木の下の良さげな場所をさっさと占領してしまう。遠慮が無い。こんな雰囲気は地方風の都会の世知辛さが出ていて栃木とも東京風とも違う。
暑そうな山頂はよして ブナの林があるという蛤岳に向かう尾根道を下っていく。木陰になっていて気持ちがいい。鳥の声が聞こえてなんだろうと久し振りに録音する。イカルに少し似ているが違う、姿も葉陰にちらちらするが結構小さな鳥のようで忙しく動いている。自宅に帰って調べるとソソウシチョウだった。数年前の冬 栃木の井頭公園で群を見たことがあるが声を聞くのは初めてだった。ソウシチョウの声 声がいいので中国で飼育されて広がったものらしいが、そこまでのいい声でもない。
道の両側にブナが見えてくる。木肌の美しさは日光や尾瀬近辺のブナほどでないがとにかくブナだ。なんだかほっとする。晩秋には黄葉をみせてくれるだろうか。ここらは冬は雪も深いBina_2 ようだ。蛤岳というのもよさそうだ、水が豊富らしい、そのうち行ってみるかと適当に引き返す。

ハイキング中の人に何人か出会う、山ガールではないおじさんおばさんばかりだ、そういう山なのだろう。
駐車場の隅の木陰でのんびりスケッチをして時間を過ごす。アキアカネがまっているし、大柄の見たことも無い黒いチョウが現れたりもしてぼんやり過ごしていても気持ちがいい。
林立する中継アンテナやレーダーアンテナそれにミサイルの模型は無粋だがそれを気にしなければいいところだ。
下まで下りてくると猛暑の夏が満ち満ちている。
すこしずつ夏の九州の過ごし方にも慣れてきた、暑くても家から出て動き回るのがいいようだ。夏の暑さもそろそろ終盤のはずだ、秋はどのようにやってくるだろうか。

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2013年5月 4日 (土)

立花山のクスノキと野鳥の録音と

あちこち出かけているが野鳥の声が北関東のようにはまだ録れない、福岡周辺のポイントが見つけ出せていない気がしているが色々探すのも面白い。久末ダムというところで野鳥の会の観察会に参加してみるとクロツグミやオオルリ、キビタキを近くで録音しているという人に出会った、つい最近の録音を聞かせてもらうと良く録れている、20分くらい先にいったホタル公園というところだと教えてくれる、近くには鹿もかなりいるようだ、日光と似ている雰囲気なのかもしれない。ついでに行って見るかとも思ったが久末ダムも自宅からは1時間以上離れており更に先へ早朝録音に行くのはおっくうな気がしてそのまま帰ってきてしまった、しかしとにかく場所を選べばうまく録れるのは解った。鳥や植物も福岡は福岡なりの面白さがあるようだ。
立花山という福岡市の東北にある山に登った。標高367mの低山だから登山というほどのものではないが山は山だ。この山にしたのは近頃山に登っていないので九州へ来て登りはじめるには手頃ということもある、 それよりここにはクスノキの原始林があり特別天然記念物に指定されていて、これは見ておかねばと思ってしまったのが主な登る動機といえるだろう。東斜面に600本くらいのクスノキ原生林を形成しているという、3月頃ネットで調べていて新緑の季節まで少し待っていたことにもなる。広々とした無料の駐車場にクルマを置いて上り始めるが、最初はコンクリートの急坂で感じがよくない。程なくキビタキのようなオオルリのような声が聞こえる、遠いのもあって今ひとつはっきりしない、鳥も結構良さそうだ。クスノキは直ぐ現れる、常緑樹が密な森だ、「ちしゃのき」との看板が木にかけてあったりする、聞いたことのない名前だ、うっそうとしてよく知らない木が濃密に辺りを覆う、南に来たという感じがしてくる。屏風岩というそれほど大きくもない岩の前を左に折れて急なくだりを下っていくとクスノキ原生林でも最大の大クスノキが現れる。樹齢300年以上、幹の周長は約8mと説明Kusunoki 板にある、枝も入り組んでいて木としての量が大きく重そうだ、これは迫力がある。勿論あたりはクスノキだらけだ。急な斜面で切りだすのが難しくて残ったのだろうか或いはこの山にあった立花城の保護があったのだろうか、とにかく日本に残る唯一のクスノキ原生林らしい。自生の北限でもあるとされる、貴重だ。また上り返して屏風岩から山頂に至る。人で賑わっていて眺めがよい。眼下のわじろから福岡市の中心部へかけて一望できる、油山もそうだが福岡市の山は眺望Kusunoki2 がいいように思える、そのせいか山城が多い様でもある。くだりは道を変えて 縄をつたって急斜面を下り立花城の石垣跡を見ながら元の道に合流した、低山だから初めてでも気楽に色々道を試してみることができて面白い。低山には低山のよさがある。
野鳥の声はここでもあまり録れず数日後早朝の油山にいって歩き回ってみる、しかしいまだに日光の五葉平や霧降のようなところには行き当たらない。そうはいっても、まだまだあちこち出かける理由になってこういうのも満更でもない。5月も忙しくなりそうだ。

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2012年8月25日 (土)

小説 海峡

ネットで探し物をしていると時々そうだったのかということに行き当たる。この間も何かを調べようとネットを漂っていたら、それが何だったかはもはや忘れてしまったのだが、蒲Kaikyo2谷さんをモデルにした海峡という小説を井上靖が書いている、との一文に突き当たった。井上靖と蒲谷鶴彦、20歳ほど年が違う、どこで出会ったのだろうか。海峡は井上靖が昭和32年頃週刊読売に連載していた、その最後の部分の取材を 雪の下北半島紀行  という一文にしたためている、井上靖と蒲谷さん、雑誌記者、それに挿絵画家の4人の旅だ、これはネットで読むことができる。小説の舞台となった雑誌編集の世界に井上靖の見慣れた風景があるのだろう、そこから切り離された別世界の野鳥を取り巻くミクロコスモスに井上靖の憧憬のようなものを感じてしまう。

海峡を早速図書館へ予約して借り出してくる。昭和33年9月20日の再版本だが9月10日が初版とある、恐ろしく売れたようだ。蒲谷さんをモデルにした庄司という人物がすぐに登場する、やたらと鳥の名前が出てきて、井上靖は結構鳥が好きだったのではないかと思えてくる。あとがきに 小説を書くのは苦しいのだがこの連載は楽しかったと記している。野鳥を求めてフィールドを歩きその声に耳を澄ますことそのものが刺激的でもあり癒されもしたのだろう。小説の庄司と言う人物は現実の蒲谷さんよりもう少しばかり人間世界に寄っている気がする、しかし当時30歳位にあたるのでこれ位かもしれないとも思う。流れてきた時を感じてしまう。

小説の最後の部分が下北半島の突端から北へ渡るアカエリヒレアシシギの録音シーンとなるのだが、この部分を 雪の下北半島紀行 という現実の紀行記と読み合わせてみると面白い。描写が重なっていて、台詞もそのまま現実の蒲谷さんが語った言葉が小説の庄司が語った言葉になっている。細かくメモを取りながら旅を続けたのだろうし現地の旅館でも書き続けていたのだろう、何しろ週刊誌への連載だ。現実に体験する世界を小説という別の世界に落とし込んでいく或いは貼り付けていく、小説家とはこんな手法で書いているのかと少しばかり驚かされる、 そうなのか と感じさせるものがある。これは大変な仕事だ。

正直に言えば個人的には井上靖の文体はあまり好きでない、しかし細かなことは置いておいてストーリで押してくるところが読みやすい。勿論自分では書けはしないのに人の文体をどうのこうのとはとても言えないのだが。

海峡という本は読むべき本だった。どうしてこんな本があることを知らなかったのだろうか。点と点を線で結ぶ生き方にネットがある面を用意してくれる、有難い世の中になったがこの面のどこか深みのなさもいつか破らなければならないのだろう、そうでなければ人は更に新しい地点に到達できなくなるのではないか、そんな気がしている。

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2012年8月 4日 (土)

逃れようのない暑さの夏がいとおしくて

眠い
夏の昼間はエアコンのある部屋で過ごしてしまうとどうにも体の調子が悪くなる。
暑くて週末は雨でもなければ奥日光や霧降に出かけている。とにかく涼しければいいのでいい加減に歩いたりする。先日も奥日光へ上がってみたがふと思いついて金精峠の西側をと歩くことにした。菅沼の茶屋までクルマで来ると駐車場が有料になっている、それも1000円もする。話には聞いていたが白根山に登らない人からも一律に1000円というのはどうかと思えてしまう。スキー場の駐車料金の感覚なのだろう、アバウトだ。
Konseiw 歩き始めるとすぐコマドリの声がする、思いつきで来たのもあって録音機を置いてきてしまっている、なんとかならないかと思ってカメラに録音機能が何処かにあるはずと探してみるが分からない、それでは携帯に録音機能があるはずとみるとこちらは何となく分かってサウンドレコーダを選択すると確かに録音できるようだ。しかしボイス用で音は期待できない。マイクの向きも勝手が違ってあらぬ方向に向けてしまう。この頃は知恵があまり働かなくなってしまってと嘆きながら少しずつ録ってみる。道は荒れている、倒木が目に付くし道をさえぎられる、最近奥日光で大雨があって一時いろは坂が通行止めとなった、そんなことを思い出す、自然の循環の結果がこの荒れ方なのだろう、人間が入っていない分荒々しい。コマドリはそんなことにはお構いなしに涼しげなさえずりを繰り返す。ルルルルといい音色だ。前に来た時と同じところでよく聞こえる、住みやすい場所は長い間変わらないのかもしれない。ともかくコマドリは去年の利尻以来だ。姿は例によって見えない、今まで1回しかその様を見たことがないが 声を聞くだけで十分いい。
録音はどうだったのだろうと戻ってパソコンで確かめてみると4000hzまでしか録音されていな い、(「MMF0007a.mp3」) やはりボイス用だ、しかし一応音が録れてるだけでも記憶を蘇らせる役目は果たせる。
夕方に下へ降りてくるがまだ暑い。逃れようがない。同じように夏は毎年やってくるが同じ夏はない。同じコマドリの声もない。たまたま時空で交差する多層の時の流れが少しばかり空虚な心地を与える。コマドリも荒れた森も有料になった駐車場もボイスレコーダの能力も何の関係もない事物でしかありえない。目の前の今しかない、気を張っていないとばらばらになっていく今、逃れようのない暑さの今がいとおしくなる。

眠くなりながら考えを遊ばせていると何だかいい夏のような気がしてきた。まだ夏は続く。

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2010年6月14日 (月)

なんにでも終わりは来る

毎年今の時期の早朝 野鳥の録音に出かけることにしている霧降にこの土曜の朝でかけた、年を経ると例年行っている、ということが増えてくる、当たり前のことだが はじめたものはどこかKirifr10 で止めなければならない、止めれなくなると身にふりつもってくる、新しいことが始めにくくなってくる。ともかく朝4時半頃自宅を出るがどうも例年より遅い。4時前には出ていたような気がしたがもう体が動かなくなったのだろうか。霧降の道を5時頃駆け上って第2リフト乗り場の先の橋のあたりに着くがもう陽が大分上がっている。それでも車を出るとオオルリの声が流れてくる、カッコウやホトトギスも声を響かせて、いい感じだ。20分ほど録音しているといやな音が次第に耳につくようになってくる、バイクとエゾハルゼミだ、やっぱり出るのが遅すぎた。時が過Ooruri10 ぎるにつれどちらの音もあたりを制圧してきてもう録音は止めろといっているようだ、いい加減であきらめて六方沢橋あたりに行ってみるがエゾハルゼミの声はいや増しだ、そばに寄って来てとまったりもして、途方も無い響きを響かせる、音の壁に覆われてしまったような気持ちになる。あちこち場所を変えてもエゾハルゼミからは逃れられない、エゾハルゼミは雨が降りそうなくらいにならないとなきやまないのだがこの朝はよく晴れているのが恨めしい、晴れればいい天気とはとてもいえない。バイクのほうがエゾハルゼミよりはかわいいと思っていると、先へ行ってUターンしてまたそばを走り抜けて走りを楽しんでいる、その繰り返しで台数が増えてくるとハルゼミが少しおとなしくなっても録音にならない。早朝から豊かな自然の中でバイク騒音に悩まされるのもうんざりして山を降りる。不満が残るがどこにもぶつけようが無い、とにかくこの時期は4時には録音開始でないと旨く録れないようだ、なんとなく無理っぽく感じてきた。楽しみでやっている自分にとっての年中行事だがそろそろ変え時かもしれない。
時々やっていることを整理しなくては と思う、自分だけでやっていることは決めれば終わりだが、何かの拍子で引き受けたことも次第に圧迫を感じるようになれば身を引かねばならない、かといって他の人を圧迫してもいけない、難しい、しかししょうがない、それが世の中だ、生きているということだ。
やっと梅雨に入ったようだ、こちらも季節という年中行事だが簡単には終わりにならない、しかし地球の一生という時間のスケールに思い至ると やはりつかのまの習慣なのだろう、なんにでも終わりは来るのか、とまた思ってしまう、ともかく梅雨だ。

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2010年5月15日 (土)

今年の粟島は

2日ほど前の昼下がりぱらぱらと降った雨がどーんという雷を響かせる、突然の雷鳴はいかにも五月らしい、不順な天気が続くと変な天気にうんざりしてくるが、この雷はいつもの五月の天気だ、冷たい上層の寒冷渦に暖かい南の空気が差し込んでいきなりの雷雲となる、春もそろそろ終わりだ。
連休に旅した粟島の録音や写真を整理している、特に録音の整理はやっかいだ、島の録音は風が強くて雑音除去が大変だし取りきれない、いいかげんなところでCDに焼いてクルマで流す、不満が相当に残るがその時の世界が繰り返し再現されて、それがいい。

今年の粟島はオオルリがやたら現れた、しかし1羽も なかない、キAwaooriビタキやアカハラは啼いているというのに、おかしい。繁殖地でもない通過するだけの島では啼く必要が無いというのは解るがそれにしてもドライだ、オオルリにもなにか意地があるようで面白い。粟島は普通の畑でやたら野鳥の密度が高いが、去年とまた雰囲気が違う、あんなにいたマヒワが今年はとんと見ない、北の岬ではヒヨドリは少なくはないが去年のように数百羽の群れがトグロを巻くようにはならない、そのかわりアカハラやクロツグミが目に付く。北へ帰るアトリやツグミは凡そ同じようだが南から渡ってくる鳥が多いような気もする。暖かい去年より渡りの時期を少しずつずらしているようだ。この時期長く滞在すると移り行く鳥の姿がきっと面白いだKurojyou ろう、しかし旅人と旅鳥のつかの間の邂逅という間合いが何ともいえない、訪れる人一人一人が違う鳥に出会う、それがいい。渡りの途中の栄養補給だけに餌の得やすい野菜くず捨て場のようなところに美しいオオルリが居たりする、アカハラ類はツル性のキヅタに集まってしきりに実を食べている。普通は山にしか見ない鳥がそこら中に居る。それにしてもよく渡る、クロジョウビタキのようにどうみても1羽だけの迷い鳥もいる、10数センチの小さな鳥が上昇気流も使わずに夜間ひたすら海をはばたき渡る様を思い描く、楽な渡りではない、映画wataridoriとはまた違った世界があるようだ。柔らかな、どこかもろいところも感じる鳥達が目一杯生きている様はいとおしくもある。
島から戻って数日後の早朝、日光の山麓に録音に出かける、うるさいばかりのクロツグミやキビタキや見事なオオルリの声がなつかしい。やっとたどり着いた安住の地でのびのびしているように思えてくる。
もう梅雨の季節が見えてきている、流れるような時の移りが楽しくも忙しい。

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2009年12月 9日 (水)

蕪栗沼・伊豆沼の眺めが

12月の初めの週末、マガンの群れを見に蕪栗沼・伊豆沼に出かけた。これで3回目になるが、高速1000円ならあの空を埋める圧倒的光景を見ないのは損な気がしていた。高速を長者原で降りて化女沼を少しばかり見るが風が弱いと猛禽類は出そうに無い、早々に蕪栗沼に向かう。いつもの北側の駐車場に停めてプレハブで様子を聞くと11月にはマガンが7万羽いたが今は5万羽に減っている、秋田のほうへ行っているようだ、という。5万羽でもすごいと、日暮れ前の沼の様子や、今まで行ってなかった南側の駐車場からのアプローチを試したりして日暮れを待つ。雲が低く 予測では16時前に降り始める雨模様だった、強い南風との予想とは違い風は殆ど無い、土手の上から見ることにする。ほぼ予想通りに16時少し前から小雨が降り始める、こんな時には当たってほしくないが雨のねぐら入りも少しばかり興味がある。マガンは雲が厚くて暗いためか日没の1時間近く前からぱらぱらと戻り始めている、日没は16時16分のはずだが15時50分頃から主に西側の空が無数のマガンで埋められる、東南側からは(去年より更に)少ない、化女沼にでも行っているのだろうか、雨のせいではなさそうだ、雨そのものはあまり影響を与えていないように見える。ガガッガガッという高周波の音を含むマガンの鳴き声が辺りの空気を震わす。なんだか心が落ち着く風景だ。雨ではビデオや写真や録音の電子機器は使えずただカッパを着て佇むだけだが悪くない。体で感じればそれで十分だ。
宿は瀬峰の駅前旅館とした なんだか普通の家に泊めてもらっている雰囲気の宿だ、大正時代からの宿だという、昔からこうなのだろう、部屋は新しく変えているが今の世の中には置いていかれたようなところがあってこれでは苦しいか、と思ってしまう。時間の流れが現実に場所によって違っているようでそれも面白い。
Imgp9432翌朝の飛び立ちは、雨が上がったこともあり、なかなかの壮観だ、確かに 数が多い、何波にも分けて群れが飛び立つ、霧がかかって少しかすんだところもいいし、残月に雁が飛び交う様は絵になる感じだ。何度見ても圧倒的だ。(蕪栗沼、マガンの飛び立ち、YouTube);去年と同じで近くの東北線の電車が通るとこれをきっかけに飛び立っており、日の出が遅くなっているにもかかわらず昨年と同じ時刻に飛び立ってImgp9430 いるようだ、やはり人の生活と結びついた里山だ。
昼間は伊豆沼の周りを鳥を求めて動き回る、それにしても昼間のマガンはもう沼の周りの田には居ない、昨年11月の時に見られた場所には一羽も居ない、サンクチュアリセンタの話では餌を食べつくしてもっと遠くの田に行っているらしいが探せども見つけたのは30羽くらいの群れのみで大群はついに発見できなかった、大量すぎるとまた動きが違ってくるようMagan だ。同じ様にみえる渡りも毎年毎年違った様態を見せる、自在に変化できるところが恐竜時代から生き残れた鳥類の真骨頂なのだろう、人間も国境を挟んで固定化した生き方を続けていくようでは長くは持ちこたえられないかもしれない、国境なんて早く取り払わないと、と思う。地球はそんなに甘くは無いだろう。蕪栗沼・伊豆沼の眺めはいつも色々考えさせてくれる。

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2009年7月 8日 (水)

焼尻にて

梅雨真っ盛りの6月の終りに鳥を見に天売を訪れた。小さい島だ、2日ほどいて天売島も大分あちこち見たので隣の焼尻島へ日帰りで行くことにした。焼尻の港について土産物屋の女店主と話をしていると、天売のみやげは大方焼尻から出していYagisir る、だの 天売に泊まって焼尻に遊びに来るとはめずらしい、だの一々引っかかることを言う、随分と競争心があるようだ。確かに似たくらいの大きさの隣島だ、何かと比較してしまう。お店や町の形は天売の方がいくらか整っているように見えるが野鳥については天売も焼尻も地元の人は関心が薄い。これはここに限らずどこへ行っても変わらない、とりわけ焼尻は薄いようで、やたらノゴマが啼いているというのに話しても通じない。やっぱりバードウォッチングは都会の住民の遊びだ、土地の人は鳥を見てどうするんだ、という風だ。客寄せに 焼尻にはいると思えないオロロンチョウ(ウミガラス)の大きな像が港に造ってあるのがいかにも上滑りしているようで滑稽でもある。
港の裏手から直ぐに原生林に入れて歩くのに丁度いい、散策路はしっかりしている。ノゴマやカラ類やコムクドリなどが出てくるしアリスイの声もする、しかし鳥の声の録音には向かない、港の船の400hzくらいまで及ぶエンジン音や汽笛やアナウンスのようなものが聞こえてくる、そのうち上空にはヘリが飛んでくる、自衛隊の訓練のようだ、飛行コースがこの辺りにあるのだろう。とにかく録音したが帰ってからが大変だ、色々いじってみたが結局ノイズ除去は無理とあきらめた。ちょっと騒々しい島だ。
Tutud 原生林を暫く歩くと草原に出る。広い牧場になっていて景観の変化は天売より面白い。こんなところにツツドリが2-3羽姿を現したりする、ツツドリは深山で声を聞くだけと思っていたから新鮮だ、北海道の鳥の動きはよくわからない。海風をまともに受けるアメダスポイントを見たり次々に出てくるノゴマを眺めながら海岸沿いを歩いて港に戻る。
北海道の島旅は違った風景を見せてくれる、ただの自然というよりあちこちで人の手を感じる、必死さを感じる。冬の間吹雪に吹きこめられた島でのサバイバルな生き方に思いが至ると人の手が入るのは当然なんだろうと納得する、その辛さを感じてしまうというわけでもないが、やはり道東の湿原や海岸を歩く方がなんだか気楽だ。沖縄の島と違って北海道の島はどこか重いところがある。

しかしともかく梅雨場は北海道に限る。

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