11月17日宇宙ステーションに日本の野口宇宙飛行士がスペースXのクルードラゴンで到達した。前日から打ち上げ、ドッキング、乗り移りの一部始終をネット中継で見ていたが、リアルタイムでず―と見ていられるとは、いい時代になったと思う。通常のテレビ放送ではこんな長尺の中継なぞとてもできない。
見ていてアレと思った所も幾つかある。例えばステーション側のハッチの準備をしている宇宙飛行士は有線のマイクで連絡しているところが映し出されていた。当然無線かと思っていたが大事な通信なのでということなのだ
ろう。
クルーズドラゴンでは日本語で挨拶していた野口さんだったが、送られてきた船内の多くのシーンは野口さんから最も遠いカメラの映像でほとんど顔が写らなかったり、4人の飛行士がステーション内に到着するところでは最後にステーションに入ってきた野口さんの映像が控えめで歓待の輪から距離があってちょっと影が薄いように見えたり、やはりアメリカの仕掛けにおまけのように加わらせてもらっているというところが一目瞭然のように思えた。トランプではないがAmerica firstなのはどうしようもない。
5日後にNASAのサイトでこの時のビデオを見ていたら、野口さん側から撮ったクルーズドラゴン船内のビデオや野口さんが到着時にも歓待されているシーンそれに野口さんが前面に出た写真などが用いられていて、修正が入っている。NASAも野口さんの影の薄い当日の中継映像が気になったのだろう。でも中継映像の方が本音に見える。
こんなのを見るとトランプの岩盤の支持が崩れないのは誰もが語りたがらない本音を語っている人だから、と、アメリカという国の複雑さを思い起してしまう。
インスタグラムを毎日投稿しているせいで海外のフォロワーの投稿を見ることが多いが、中には写真にしっかり文を付ける人がいてそれを読むのも面白い。この間は米国女性の投稿文に”Legends of the Fallの一節の様な景色”といった表現があって、Legends of the Fallとは一体なんだろうと調べてみると、ジム・ハリソンの書いた大河ドラマの様な小説で映画化もされていた。好奇心からとにかく図書館から本を借り出してきて読んでみる。中編くらいの小説で読むのにそう時間はかからないが描写よりもストーリーで押す書き方で登場人物が次々に移ろっていくところがある、どこか落ち着かない。日本の小説と大分雰囲気が違う。勿論米国の小説にも色々あるがそういえばこんな雰囲気の小説が多いような気がしてくる。
こんなこともあって、日本スタイルの物事に対するアプローチと米国のそれはどうにも異なる、と改めて思い返している。いいかどうかは別にして、この違いはそうすらすらとは解消しないようにも思える。
コロナに日本人が何故強いかという謎の原因”ファクターX”にもそんなことが関係しているのかもしれない。
それにしても、コロナで家に居る時間が長くなると、見過ごしていたことが色々見えてくるような気がしている、それも悪くない。