2023年12月21日 (木)

荒れ模様の天気が続く

北の寒気が張り出してきて雪になった。このところ荒れ模様の天気が続く気がしている。特に今年は北海道付近を次々に低気圧が発達しながら東へ抜けていくパターンが多い、東へ向かって勢いを増していくようだ。暖流の上に到達すると対流が一層活発となって発達するのだろう。
この先この低気圧というか前線はどうなっていくかというと、おおよそそのまま東へ進んでアメリカ大陸の東岸に到達するようだ。実際に米東岸のシアトルでは冬は32日雨が降るとさえ言われてそんなせりふをプリントしたTシャツが売られているのを現地で見たことがあった。南のカルフォルニアまで来ると少しは弱まるようで雨が続くことはないようだが時々冬のまとまった雨が降ることがある。最近ではつい昨日の12月20日に時間27mmのまとまった雨がサンフランシスコで降っている。元をたどれば12月12日頃関東東北に雨を降らせた低気圧だ。こんなのを見ると地球はつながった運命共同体だとつくづく感じる。戦争を止められない、陣取り合戦の様な殺し合いを止めることのできない人類というものもつくづく情けなくなる。こんな地球の自然というか有様と調和できない様では、地球の時間軸でそう遠くない未来に滅びるべき運命が人類を待っているのかもしれない。
2023122009utc 図は2023.12.20 09:00utcの降雨レーダー衛星観測結果ーJAXA GSMaPサイトより

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2023年7月19日 (水)

「西洋哲学の根源」を放送大学で学んでみる

要するにギリシア哲学のことだが、大学の頃はギリシア哲学の研究会というのがあってちょっと小うるさそうな思い込みの強い人達が集まっているようでどこかうさん臭さを感じていたことをGirisyatetugaku 思い出していた。放送大学の講義選択は前回は量子物理、その前は人体の構造機能と理学系が続いたのでここらで文系をという感じもあった、そのくらいが学び始める時の気持ちではあった。
15回の講義も終わり試験も終わって一体これは何なんだろうと振り返ってみている。そもそも何故紀元前6世紀頃からこんな形で哲学が始まったのか、というところから気になる。そこは結局はっきりしない。タレスが万物の始原は水だと言ったあたりから哲学らしい主張が現れだしたようではあるが、基本はこの世界はどうなっているのか、我々は何者なのか、どこへ向かっているのか、を何としても明らかにしたいという心なのだろう。
何故古代日本ではそんなことを考えてそれが系譜になるということがなかったのだろうか。書き残す文字がなかったということだけなのだろうか。そうかもしれない、どこでもそんなことを考える人はいそうではある。
地球については紀元前6世紀前半のアナクシマンドロスは円筒形としたことは講義で示されるが、球体と言い出したのはどのあたりからなのかの話はない。調べると少なくも前5世紀にはパルメデスやピュタゴラス派は球体であると明らかに主張しているようではある。学び終わってギリシャ哲学では地動説までにはたどり着けず地球が宇宙の中心にあるという認識だったように思っていたがこれも調べると前3世紀頃イオニアのアリスタルコスが惑星の見かけの運動を説明するには地球と惑星が太陽の周りをまわっているとすると可成り精度よく(数学的に)説明できる、としたようで、のちにガリレオが地動説を唱えた時にもアリスタルコスの説を知っていたともいわれているようだ。一体暗黒の中世は人類に何をしてくれたのだろうと思ってしまう。また、原子論は紀元前5世紀にデモクリトスらにより唱えられ確固たる唯物的な主張として当時認められていたようでもある。無神論ではなく神も原子でできているとしていたのにはちょっと驚くが、徹底しているというべきなのだろう。現代の世界観のあらかたはギリシア哲学に源があるといって間違いはないようだ、確かに驚くべきことだ。
確かにこれは知っておくべき歴史的知識の様だ、前にも書いたがチャットGPTが答える回答はこの紀元前のギリシア哲学の時代ドクサと呼ばれたいわゆる通説、通念というもので(これはチャットGPTに聞いてもその通りという答えが返ってくるのだが)、このドクサの評価もプラトンとイソクラテスなどのソフィストでは評価が分かれていた。プラトンはドクサではなく真の知識エピステーメーを探求すべしといったがイソクラテスは知者はドクサで大抵は最善のものを狙いあてる、とドクサの有用性を主張していた。同じ議論が今また繰り返されそうに思えている。
講義も試験も終わったが、何だか入り口にやっとたどり着いた気がしている。深めていくには時間が足りない、そればかりが気になる今日この頃だ。

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2023年6月30日 (金)

このところ雨の降り方がきついが

昨日今日と大雨に警戒とマスコミで流される。このところの東アジアの天気の動きはいつもと少し違っているような気もしている。夏至の頃になるとシベリアは白夜に近くなって夜気温が下がるということが無くなり気温が上がる。太平洋も気温が上がり挟まれた日本列島は気温の谷のようになってベーリング海につながる、この谷が梅雨前線の正体なのだが、雨そのものは太平洋の高気圧の周りをまわる時計回りの風が温暖で水分の多い空気を南から運び込み続けてこれが谷の冷たい空気にぶつかって雨がもたらされることになる。今日降っている雨をグローバルにGPM衛星群202306301213jstamekumo_b で観測した結果で(添付左、2023.6.30 12-13JST)見ると、中国大陸奥地から伸びる明瞭な雨の帯が九州・本州に伸びている。ぶつかり合いが激しくて巨大な線状降水帯を形成しているといってもいい。これでは警戒しろとおふれが出ておかしくない。
いつもと違うように感じるのはこの雨の帯が北から下がってきているあたりだ、いつもなら黒潮の流れに沿うように梅雨の雨域帯は北上してくるように思える(添付右下、2022.7.04 21-22JST) 。今年はシベリア奥地の気温が高くてベーリング海の寒気との境目に南北にできる雨域帯が明瞭でそれが東に進むとやや横向けになり南からの前線と合体してこれを引っ張り上げより活発になるようだ(添付左、2023.6.30 12-13JST) 。
宇宙的に見れば地球という星のこれくらいの気象の揺らぎは通常のことという他ないが、大雨を受け止める身になると、大丈夫かなと202207042122jstamekumo_a いうことになってしまう。人類の生存はそれくらいもろいものとしか言いようがないのだろう。だからなのだろうか、いまだに人類のような存在につながりうる生命体が宇宙で確認されたことはないというのは。いくら探してもそんな生命体はいないのか、いたとしてもわずかな期間しか生き延びられないのかもしれない。
先のことは心配してもしょうがない、色々考えると人類がこの宇宙で遥か未来まで生き延びられるとはとても思えない、大雨が降るのもしょうがないことだと構えのんびりと今を楽しむのが一番なのだろう。

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2022年11月11日 (金)

事物の連鎖による理解

このところぼんやりと時の流れるままに過ごしているが、一つ一つの事象がつながって見えたりする時があって面白い。今は平野啓一郎だ。

図書館から何かの拍子で借り出していた平野啓一郎の芥川賞作品「日蝕」の返却期限が迫り急いで読む、ということが最近あった。読み始めると、15世紀末のヨーロッパが舞台となっていてそれをルビ付きの旧漢字がちNissyoku1 りばめられている見たことのない文体で書かれている。よく書かれていて学生が書いたものとはとても思えない。結構面白い。確かに才能がある。読み始めて直ぐは、文体のこれみよがしのようなひけらかしは気に入らない、と思うが読み進むとすぐに慣れて、中世の終わりルネサンスの始まりの時代の雰囲気が感じられるようにもなってくる。結構すらすらと読める。それにしても何故こんな作品を書くに至ったのかが伝わっては来ない。錬金術への興味からか。両性具有者を登場させる背景?。解らないまま読み終える。

数日後三島由紀夫vs全共闘のドキュメント映画をWowowで流しているので見ていると平野啓一郎が解説のような立場で出てくる、もちろん現代の、過去を振りかえっMisima1 て解説する立場だ。三島由紀夫の再来というキャッチフレーズがまだ有効なのだろうか。認識論の討論のようになっている場面で、こんな議論に強いということだろうか、そんなものかと見ているが今一つしっくりこない。今や遠くに過ぎ去った過去だが、今現在の時代の有り様に違う次元から関わってきている事件ととらえるべきなのかもしれない。

更に通日後、九州国立博物館で開かれているポンペイPonpei1 展を見る。数多くの発掘品の中に裸体の彫像もいくつかある、両性具有者ではないが男性器の誇示を感じる。現代とは何か感じ方が違うようだ。そしてその晩にはリアルな世界で皆既月食が出現する。 何だか「日蝕」の扱っていたキリスト教以前の世界とつながる錬金術のあやしい世界の雰囲気を感じてしまう。
ポンペイには今から見ても現代的とみえる生活の痕跡がリアルに残されている、中世の時代の人がこれを見たらどう思っただろうか。ポンペイ遺跡の発見は18世紀とされるが痕跡の一部は中世からルネサンス期にもみつけられていたのではなかろうか。それらが錬金術のようなキリスト教世界とGessyoku1 は違う認識体系を支えたのではなかろうか。

幾つかの疑問は解けないままだが、偶然につながって表れてきた時空が、感覚としてそうかもしれないという雰囲気を伝えてくれるような気がしている。事物の理解は連鎖の中にあるのだろう。

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2021年5月24日 (月)

幾種ものアジサイやイヌビワハマキモドキや

コロナのせいか歳のせいか、近頃は庭の樹や草花に費やす時間が増えている。

ツバキにつくチャドクガや、発見したコガタスズメバチの巣の騒ぎも終息して、今はアジサイがちょっと気になっている。この家の庭木は越してくる前は両親が面倒を見ていたものだが種類が結構多くて、もしかしたら両親が50年前位に地上げの代替住宅として取得した時点で元の持ち主によって大多数の庭木は植えられていたのかもしれない。
アジサイについては生命力が強いのでどんどん刈り込まないと裏庭Shichidnka0523a をたちまち占領しそうに思えて厄介な植物だとすら思えていた。
Yamaajsai0523a 鉢植えのアジサイが1つあってちょっといい花を咲かせるので何だろうと調べたら、シチダンカと判明した(写真右)。シーボルトが幕末に見出して以来ずっと確認されず、60数年前に六甲山で再発見されたといわれている、それなりの花だ。地植えのアジサイはガクアジサイと普通のアジサイばかりと思っていたが、インスタに写真を上げるに当たって一応調べて見ると、単純ではない、と判明。綺麗なガクアジサイと思っていたものは、葉の形や花から判断してヤマアジサイのようだ(写真左)、またよく見たらそれ程綺麗でもないガクアジサイもあって、どうやらこれが原種といわれるガクアジサイのようだ。今花が開いているアジサイは少し品があるのでもしかしたらホンアジサイかと思っていたが、ホンアジサイは葉に光沢があると図鑑やネットにあり、この葉には光沢がないところをみると所謂西洋アジサイのようだ。庭には光沢のある葉の株も別に見つかって、未だ咲いていないが葉が他と少々違うことから、どうやらこれがホンアジサイのようだと目星が付く。ただ、アジサイには園芸種が幾つも開発されているようで花が咲いてみないと、結局は解らないようだ。
アジサイで少しばかり勉強した。

庭の花の写真を写していると、花壇エリアの草の葉に小さいがちょっといい蛾がとまっているのに気づき、写真に撮ってネットで調べる。写真Hamaki0523aa で検索すると変な候補が出てくるのが常なので、大抵は見た目を少し細かく言い表して言葉で画像検索し、出てきた画像を目で探すやり方を取っている。この蛾は「小さくて三角の綺麗な蛾」としてみたら程なく当たりが出た。
イヌビワハマキモドキという蛾だ。「みんなでつくる日本産蛾類図鑑」というサイトで見つかった。国内で確認記録のあるのは神奈川,千葉,福岡,長崎とあり、ここ福岡にいてもおかしくない。この蛾について日本語のwikipediaには記載が無いが英語版には学名のChoreutis japonicaで項目ページがある。japonicaとつく日本にしかいない蛾なのに、という気がする一方で、シーボルト以来の海外から日本を見る目というものを感じてしまう。
イヌビワが食草とある、そういえば小さいイチジクの様な実のなる雑木が庭のどこかに生えていたような気がする、あのことかと思う。

こんなことに毎日のように遭遇している。我々は生物に囲まれて生活している、その生物の種類は果てしなく多様だ、そのことを毎日思い知らされている。ずーと生きていると段々自分の生物界での立ち位置が何やら分かってくるような気がする、そのためにも自分は生かされ続けているのではないか、そういうことすら思ってしまう。


この先何が起こっていくのでろうか、見続けていくだけでも十分面白そうだ

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2021年5月21日 (金)

温暖化とスズメバチとコロナと宇宙で生きていく

このところの天気の動きはどこか変だ。久しぶりの寒い冬が終わると、一気に湿った生暖かい大気が南から上ってきて5月中旬の梅雨入りだ。覚えている限りでは最も早い。
鳥の動きも慌ただしくて、いつもの年よりハチクマの春の渡りが早く、おまけに一度にどっと現れるピーキーな渡来になった。朝鮮半島で雨でHachikuma0514bab1 暫く足止め状態になっていたのだろう、雨が上がった翌々日、朝早くから次々に上空を流れていった、1日で軽く1000羽を越え、こんな数は春の渡りではこの地福岡では聴いたことがない、とにかく異例だ。ツバメも早かったし虫も花も早い。

梅雨に入ったと思ったらすぐに前線は日本海北部にまで上がり西日本は梅雨末期のような激しい降り様だ。この先の予測計算を見ると梅雨明けがすぐ来るというわけでもないようだ、梅雨が長いということになりそうで気が重い。太平洋高気圧がそれほど強くない、ただ湿気が多いということのようだ。何故こんなことになるのか、すぐには説明が難しい、北極の温暖化が進み南の暖湿な大気を吸い寄せている形かもしれない。

確かに昆虫の活動も早くて活発だ。1週間くらい前に自宅のツバキにつくチャドクガの幼虫をせっせと駆除していたら、大きなスズメバチのようなハチがブーンと出てきて奥には徳利を逆さにしたような奇妙なものが見えた。何だろうと思うが葉が茂っていて目線を外すともう見つからない。一体あれは何だったのか、引っかかっていた。2日ほど前になってチャドクガ対策でツバキを少し切っていたら再び「逆さ徳利」が現れた。今度はしっかりスマホで映す。部屋に戻ってネットで探ってみると解ってきた。コガタスズメバチの初期の巣の写真とそっくりだ、出てきた大きなハチはコガタスズメバチの女王バチということになる。この時期冬を越Suumebc0519d えた女王バチが一匹でせっせとこのような形の巣を作り中で今年最初の働きバチとなるハチを育てるらしい。次々にハチの数は増えていき巣も拡大し遂には大型のスズメバチの巣に変身するというから怖い。今ならハチの巣の駆除も簡単そうだが自分でやるにはちょっと怖いところもある、ここは業者に頼む方が安全かと思いネットで探すと幾つも見つかる、いい商売の様だ。
4000円よりという字が見えたのでそんなものならいいかと電話すると2時間くらいで現れた、現場を見ながら見積もりというので頼むと16000円+税だという。随分高いがと聞くと4000円というのはミツバチだ、これはスズメバチなので危険度が全然違う、いわば命懸けでこれが相場だという。
少々不愉快だが押問答するのも面倒で、これで頼むことにする。それではと業者は直ぐに防護服に着かえてあっという間に除去して終わりとなった、10分もかからない、本当にいい商売だ。

除去した巣の中には育ちかけた幼虫とこれからの卵が計10位あって、ちょっと可哀そうだがしょうがなSuumebc0519a い、それにしても綺麗な造作で作ってある。女王バチには申し訳ない気持ちになる。世の中は単純ではない。

気候が変化していき、生き物は皆それに応じて生き方を変えていく、コロナももとを辿ればそこに行きつくのかもしれない、地球に生きるということは、というか、この宇宙で生きていくということは、こういうことなんだろう。そう思う外ない日々が過ぎていく。

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2020年11月24日 (火)

クルーズドラゴンが宇宙ステーションに

11月17日宇宙ステーションに日本の野口宇宙飛行士がスペースXのクルードラゴンで到達した。前日から打ち上げ、ドッキング、乗り移りの一部始終をネット中継で見ていたが、リアルタイムでず―と見ていられるとは、いい時代になったと思う。通常のテレビ放送ではこんな長尺の中継なぞとてもできない。

見ていてアレと思った所も幾つかある。例えばステーション側のハッチの準備をしている宇宙飛行士は有線のマイクで連絡しているところが映し出されていた。当然無線かと思っていたが大事な通信なのでということなのだCruisedragon ろう。

クルーズドラゴンでは日本語で挨拶していた野口さんだったが、送られてきた船内の多くのシーンは野口さんから最も遠いカメラの映像でほとんど顔が写らなかったり、4人の飛行士がステーション内に到着するところでは最後にステーションに入ってきた野口さんの映像が控えめで歓待の輪から距離があってちょっと影が薄いように見えたり、やはりアメリカの仕掛けにおまけのように加わらせてもらっているというところが一目瞭然のように思えた。トランプではないがAmerica firstなのはどうしようもない。

5日後にNASAのサイトでこの時のビデオを見ていたら、野口さん側から撮ったクルーズドラゴン船内のビデオや野口さんが到着時にも歓待されているシーンそれに野口さんが前面に出た写真などが用いられていて、修正が入っている。NASAも野口さんの影の薄い当日の中継映像が気になったのだろう。でも中継映像の方が本音に見える。

こんなのを見るとトランプの岩盤の支持が崩れないのは誰もが語りたがらない本音を語っている人だから、と、アメリカという国の複雑さを思い起してしまう。

インスタグラムを毎日投稿しているせいで海外のフォロワーの投稿を見ることが多いが、中には写真にしっかり文を付ける人がいてそれを読むのも面白い。この間は米国女性の投稿文に”Legends of the Fallの一節の様な景色”といった表現があって、Legends of the Fallとは一体なんだろうと調べてみると、ジム・ハリソンの書いた大河ドラマの様な小説で映画化もされていた。好奇心からとにかく図書館から本を借り出してきて読んでみる。中編くらいの小説で読むのにそう時間はかからないが描写よりもストーリーで押す書き方で登場人物が次々に移ろっていくところがある、どこか落ち着かない。日本の小説と大分雰囲気が違う。勿論米国の小説にも色々あるがそういえばこんな雰囲気の小説が多いような気がしてくる。
こんなこともあって、日本スタイルの物事に対するアプローチと米国のそれはどうにも異なる、と改めて思い返している。いいかどうかは別にして、この違いはそうすらすらとは解消しないようにも思える。

コロナに日本人が何故強いかという謎の原因”ファクターX”にもそんなことが関係しているのかもしれない。

それにしても、コロナで家に居る時間が長くなると、見過ごしていたことが色々見えてくるような気がしている、それも悪くない。

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2020年7月31日 (金)

ネオワイズ彗星とトイレの修理と

 

ネオワイズ彗星がまだ見えるかもしれないとやっと夜空が晴れた7月25日の20時過ぎから夜空を探してみた。国立Neowisecometmark2 天文台暦計算室の今日のはしぞらのページに今日の位置が出ている、おおいぬ座の足のあたりだ。自宅玄関先から双眼鏡でそこらを探していくと普通の星とは全く違うぼやけた天体が見えてきた。これだ。彗星は前に何度か見たことがあって、そのぼやけた感じが同じだ。暗い。3等星あるかないかという感じだ。野鳥用のフィールドスコープでも見てみる、こちらのほうが見やすい。気のせいか上の方に向かって尾があるようにも思える。鳥用の望遠で写真を撮ろうとしてみるが、ファインダーにはっき り見れず大体の方向を定めて何枚かシャッターを押してみる。後で見てみると写っているようにも見えるが違うようにも思えて自信がない。
4日後の29日もまた夜晴れたので探してみるが更に暗くてなかなか見つからない。暫く探しているとかみのけ座の右にやっとそれらしいぼやけたNeowisew10729a 点がスコープで見つかる。これが見納めだろう。次は0.5億年後らしい。(添付図は星図へのプロット、青が25日白丸が29日、スコープでの見え方を記憶で書いたのがその次の図)
46億年前にはこんな彗星のような星の材料が次々に集まって地球が出来大気や水がもたらされたといわれる。地球もいずれ最期を迎えた後は一部が彗星となってまた別の星の誕生に貢献し宇宙は続いていくのかもしれない。

そんなことより、地球ではコロナでどこへも行きにくい毎日がまだ続いている。日々のこまごました日常が生き続けるあかしとなっているような気さえする。


数日前のことだ。40年物の水洗トイレがちょろちょろ水をタンク内に漏れ続けて水を供給している井戸ポンプが一定間隔で作動を繰り返すので、ちょっとイヤで調整に取りかかった。タンク内でバルブで水のラインを開閉するボールタップの調整が悪いようだ。止まりが悪ければボールをつけているアームを下向きに曲げれば止まるはずなのでやっていると、誤ってボールの付いているあたりでアームを折ってしまった。継手になりうる丁度いいアルミパイプを探しては見るがそんなものは無く止む無くボールタップを交換することにした。これくらいの交換はものさえ入手できれば自分でできるだろう。

まずはメーカのTOTOをあたる。タンクの型番はS720Bの文字が消えかかってはいるがタンク表面に読めるのでTOTOのホームページで調べるとS721BはあれどS720Bの記述はない。コールセンターに電話で問い合わせるとやはりS720Bというのはないという。古くて抹消されたのだろうか。取り敢えずS721B用のボールタップの型番を教わってネット検索すると5000円台で売られているのがいくつか見つかる。適合性にいまひとつ自信が持てずそれならとどのタイプにも合うという万能型の物も探して見ると送料込み2500円くらいから見つかる。半値以下だ。少し調べてみると使えそうなのでひとまずこれでいいかと2500円のを発注する(カクダイ662-312)。翌日届くというからすごい。浮きボールをカンチレバーで作動させる今までのものと違い浮きが垂直のガイドレールに従って上下し定まった水位で水を止めるようになっている、調整も解りやすそうだ。

翌日の午後に届いて夕食後取り付けにかかる。TOTOのはネジがPJ1/2でこちらはB1/2となっていて少し気になっていたが問題なく取り付いた。僅かに違うところがあるらしいが基本的にネジは互換の様だ。それほど時間はかからず交換出来て試運転してみると問題なく機能する。めでたしだ。どのくらい長持ちするかが気になるがその時はその時だ、トイレは2か所あるのでまた壊れても大したことは起こらない。

そんなかんだでやっと7月も終わる、コロナ騒ぎの他、チャドクガに悩まされ続けたり、何故かアオバズクにも今年は出会えず、彗星を見てトイレを治せたくらいが明るい印象の月だった。

8月はどんなことになるのだろう

 

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2020年6月29日 (月)

チャドクガから無へ

 

今年は梅雨らしい雨と晴天が交互に来る陽性の梅雨の様だ。陽性という言葉は書いてみると今日的には響きが悪い、ウイルス検査の陽性のように体のどこかが反応してしまう。
ともかく梅雨らしい梅雨だ。生き物は一斉に忙しくなって、やけにはしゃぐスズメやカラスが飛び交い、虫Kosuzumega0624a の世界も忙しい。モンシロチョウやアゲハチョウが、育てている植物に次々に卵を産み付けていく、これを見つけてはポッドに入れて育てたりもするが蛾となると育てる気がしない。駆除だ駆除だとやっつけにまわる。

今年も不気味に巨大な蛾の幼虫(今回はコスズメガの幼虫)が現れたと思ったら、それ以上に厄介なチャドクガが目に付くようになってきた。最初は黄土色の蛾が多いが何だろうくらいに思っていたが写真に撮ってネットで調べるとこれがチャドクガと判明、毒針をまき散らす故特に幼虫は危ない、成虫や卵にも毒針がついていて注意が必要、幼虫は密集して葉を食い荒らし悪くすれば植物が枯れてしまうとネットにある。これは大変と本腰を入Cyadokuga0619a れた駆除にかかる。
昨年まではこんなにたくさんの黄土色の蛾は見たことが無かった、どこからか飛んできて庭木のツバキで繁殖を始めたようだ。まずは卵を産ませないように成虫をやっつけることから始める。見つけ次第網で捕まえて殺していく。補注網は生憎手元になくて魚用と思しき網があったのでこれでもやれるだろうと振り回しては捕まえている。朝からやると結構いい運動になる。毎日やっているとさすがに数が減ってきた、しかし卵は巧みに葉の裏に産んでいて卵も片っ端から見つけては葉ごとちぎって袋に入れて処分する。
卵は毎日5箇所以上見つかりゼロの日がない、毎日必死で卵を産んでいるようだ。その内恐れていた幼虫も目に付くようになる。ともかく殺虫剤で殺していくが毒針が飛びそうであまり近づけず死骸はそのままにしている、まずいのだ ろう、そのうち処理せねばと思っているが今は兎に角退治だ。Cyadokugatmg0624a
幼虫が食べたと思われる跡も幾つかの葉に見つかるが、木を枯らすほどでは全く ない。コロナではないが何とか抑え込みに成功しつつあるようで、次第に平穏な日々に戻ってきている。
木の根元にはオルトランという消毒用の農薬を埋めたりもした、そういえば昔両親が住んでいた頃に来ていた植Cyadokugmusi0628a 木屋が消毒もしておきましたというのを何度も聞いた覚えがある。植木屋は頼まなくなって自分で切るのも面白いと思っていたが消毒というのも大事なようだ。
ウイルスも巧みな戦術で生きながらえているし虫も子孫を残すために幼虫が食べられない様に毒を仕掛けているのだろう、命の循環からは当然の努力がはらわれているだけなのだろう。なのに、有害害虫だったり病原ウイルスだったりと嫌われ者にされている。すべての生き物が調和して生きていくというお釈迦様の世界は土台無理なことなのだろう。

地球はなぜ存在するのだろうか、ウイルスはなぜ存在するのだろうか、害虫はなぜ存在するのだろうか、そこには大仰な理由はどこにもないに違いない、ただ無があるだけなのだろう。無目的な存在に囲まれてすり抜けるように生きていく、生き続けるにはそう思いきる他ないような気がしている。無が本質だ。

こんな風に考えていくと虫退治から思いが時空に広がっていくこと自体が言いようもなく面白い。世界は面白いことで満ちている、改めてそう思う。

 

 

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2020年6月28日 (日)

志賀島の鳥が

 

コロナ騒ぎで、集まって野鳥を見るという機会がこのところなかったが、そろそろ自粛も抑えめになってきたこともあり、先週、鳥仲間の呼びかけに応じて海の中道から志賀島エリアの鳥見を楽しんだ。
博多湾に飛来するコアジサシを見たり、ミサゴの営巣を見たりした後、志賀島北にある沖津島でウチヤマセンニュウ(Locustella pleskei)を観察した。ウチヤマセンニュウはスズメ目ウグイス科のウグイス位の鳥で 環境省のレッドリスト2020では絶滅危惧IB類(EN)(近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの)となっている。IUCNではVULNERABLEでこれより1段低いが絶滅危惧種であることには変わりない。福岡県の希少野生生物のページでは県内では生息箇所が3カ所と限られており,福岡市西区大机島,福岡市東区志賀島属島沖津島,宗像市沖ノ島の3カ所に夏鳥として渡来する、いずれの生息地でも確実な生息数の推定は行われていないが,大机島,沖ノ島は50~100つがい,沖津島は数つがいと考えられる、との記述がある。朝鮮半島,沿海州,九州,および紀伊半島の沿岸,伊豆七島の島嶼で繁殖し、冬は中国南部からインドシナ半島で越冬してるという(Bird Research News Vol.5 No.5 )。
2007年に三宅島で一度見たことがあるがそれ以来だ。今回は写真はうまく撮れなかった、添付は2007年三宅島で撮った写真だ。声は今回やっとなんとか録音できた(下)。Uchiyama20070526aa

 


沖津島は志賀島の北にある小さな島で普段は浅瀬で隔てられているが干潮では歩いて渡ることが可能なことがある。今回は干潮ピークのやや前に長靴で渡って観察した。4羽位が姿や鳴き声で確認でき、もう少しは居る感じだったが10羽以下ではある様だ、数は少ない。ウグイスに似た姿で見て感動するというほどではないがその希少価値に頑張れ!と何か心に響くものがある。センニュウの名は江戸時代の百科事典である和漢三才圖會に仙遊鳥(せんゆうどり)とあったのがなまってセンニュウになったものと考えられている。見ているとすぐに茂みに潜入してしまうので相応しい名前のようにも思えてくる。

のんびりと時間を過ごすが久しぶりの長い日なた歩きで少々疲れて早めに帰宅した。
この日は部分日食でもある、帰りながら車のサンバイザー越しに見える太陽が心なしか欠けていくのが面白い。自宅に帰りつくころ丁度欠け方が最大となった、壁に写る木漏Komorebi0621a れ日がそれぞれに三日月になっているのもまた面白い(添付写真)。

コロナコロナで何かと制約されるが、ウイルスとは違う自然の営みに触れることでやっと心が休まる日々が続くような気がしている。

 

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