2022年11月11日 (金)

事物の連鎖による理解

このところぼんやりと時の流れるままに過ごしているが、一つ一つの事象がつながって見えたりする時があって面白い。今は平野啓一郎だ。

図書館から何かの拍子で借り出していた平野啓一郎の芥川賞作品「日蝕」の返却期限が迫り急いで読む、ということが最近あった。読み始めると、15世紀末のヨーロッパが舞台となっていてそれをルビ付きの旧漢字がちNissyoku1 りばめられている見たことのない文体で書かれている。よく書かれていて学生が書いたものとはとても思えない。結構面白い。確かに才能がある。読み始めて直ぐは、文体のこれみよがしのようなひけらかしは気に入らない、と思うが読み進むとすぐに慣れて、中世の終わりルネサンスの始まりの時代の雰囲気が感じられるようにもなってくる。結構すらすらと読める。それにしても何故こんな作品を書くに至ったのかが伝わっては来ない。錬金術への興味からか。両性具有者を登場させる背景?。解らないまま読み終える。

数日後三島由紀夫vs全共闘のドキュメント映画をWowowで流しているので見ていると平野啓一郎が解説のような立場で出てくる、もちろん現代の、過去を振りかえっMisima1 て解説する立場だ。三島由紀夫の再来というキャッチフレーズがまだ有効なのだろうか。認識論の討論のようになっている場面で、こんな議論に強いということだろうか、そんなものかと見ているが今一つしっくりこない。今や遠くに過ぎ去った過去だが、今現在の時代の有り様に違う次元から関わってきている事件ととらえるべきなのかもしれない。

更に通日後、九州国立博物館で開かれているポンペイPonpei1 展を見る。数多くの発掘品の中に裸体の彫像もいくつかある、両性具有者ではないが男性器の誇示を感じる。現代とは何か感じ方が違うようだ。そしてその晩にはリアルな世界で皆既月食が出現する。 何だか「日蝕」の扱っていたキリスト教以前の世界とつながる錬金術のあやしい世界の雰囲気を感じてしまう。
ポンペイには今から見ても現代的とみえる生活の痕跡がリアルに残されている、中世の時代の人がこれを見たらどう思っただろうか。ポンペイ遺跡の発見は18世紀とされるが痕跡の一部は中世からルネサンス期にもみつけられていたのではなかろうか。それらが錬金術のようなキリスト教世界とGessyoku1 は違う認識体系を支えたのではなかろうか。

幾つかの疑問は解けないままだが、偶然につながって表れてきた時空が、感覚としてそうかもしれないという雰囲気を伝えてくれるような気がしている。事物の理解は連鎖の中にあるのだろう。

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2021年5月24日 (月)

幾種ものアジサイやイヌビワハマキモドキや

コロナのせいか歳のせいか、近頃は庭の樹や草花に費やす時間が増えている。

ツバキにつくチャドクガや、発見したコガタスズメバチの巣の騒ぎも終息して、今はアジサイがちょっと気になっている。この家の庭木は越してくる前は両親が面倒を見ていたものだが種類が結構多くて、もしかしたら両親が50年前位に地上げの代替住宅として取得した時点で元の持ち主によって大多数の庭木は植えられていたのかもしれない。
アジサイについては生命力が強いのでどんどん刈り込まないと裏庭Shichidnka0523a をたちまち占領しそうに思えて厄介な植物だとすら思えていた。
Yamaajsai0523a 鉢植えのアジサイが1つあってちょっといい花を咲かせるので何だろうと調べたら、シチダンカと判明した(写真右)。シーボルトが幕末に見出して以来ずっと確認されず、60数年前に六甲山で再発見されたといわれている、それなりの花だ。地植えのアジサイはガクアジサイと普通のアジサイばかりと思っていたが、インスタに写真を上げるに当たって一応調べて見ると、単純ではない、と判明。綺麗なガクアジサイと思っていたものは、葉の形や花から判断してヤマアジサイのようだ(写真左)、またよく見たらそれ程綺麗でもないガクアジサイもあって、どうやらこれが原種といわれるガクアジサイのようだ。今花が開いているアジサイは少し品があるのでもしかしたらホンアジサイかと思っていたが、ホンアジサイは葉に光沢があると図鑑やネットにあり、この葉には光沢がないところをみると所謂西洋アジサイのようだ。庭には光沢のある葉の株も別に見つかって、未だ咲いていないが葉が他と少々違うことから、どうやらこれがホンアジサイのようだと目星が付く。ただ、アジサイには園芸種が幾つも開発されているようで花が咲いてみないと、結局は解らないようだ。
アジサイで少しばかり勉強した。

庭の花の写真を写していると、花壇エリアの草の葉に小さいがちょっといい蛾がとまっているのに気づき、写真に撮ってネットで調べる。写真Hamaki0523aa で検索すると変な候補が出てくるのが常なので、大抵は見た目を少し細かく言い表して言葉で画像検索し、出てきた画像を目で探すやり方を取っている。この蛾は「小さくて三角の綺麗な蛾」としてみたら程なく当たりが出た。
イヌビワハマキモドキという蛾だ。「みんなでつくる日本産蛾類図鑑」というサイトで見つかった。国内で確認記録のあるのは神奈川,千葉,福岡,長崎とあり、ここ福岡にいてもおかしくない。この蛾について日本語のwikipediaには記載が無いが英語版には学名のChoreutis japonicaで項目ページがある。japonicaとつく日本にしかいない蛾なのに、という気がする一方で、シーボルト以来の海外から日本を見る目というものを感じてしまう。
イヌビワが食草とある、そういえば小さいイチジクの様な実のなる雑木が庭のどこかに生えていたような気がする、あのことかと思う。

こんなことに毎日のように遭遇している。我々は生物に囲まれて生活している、その生物の種類は果てしなく多様だ、そのことを毎日思い知らされている。ずーと生きていると段々自分の生物界での立ち位置が何やら分かってくるような気がする、そのためにも自分は生かされ続けているのではないか、そういうことすら思ってしまう。


この先何が起こっていくのでろうか、見続けていくだけでも十分面白そうだ

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2021年5月21日 (金)

温暖化とスズメバチとコロナと宇宙で生きていく

このところの天気の動きはどこか変だ。久しぶりの寒い冬が終わると、一気に湿った生暖かい大気が南から上ってきて5月中旬の梅雨入りだ。覚えている限りでは最も早い。
鳥の動きも慌ただしくて、いつもの年よりハチクマの春の渡りが早く、おまけに一度にどっと現れるピーキーな渡来になった。朝鮮半島で雨でHachikuma0514bab1 暫く足止め状態になっていたのだろう、雨が上がった翌々日、朝早くから次々に上空を流れていった、1日で軽く1000羽を越え、こんな数は春の渡りではこの地福岡では聴いたことがない、とにかく異例だ。ツバメも早かったし虫も花も早い。

梅雨に入ったと思ったらすぐに前線は日本海北部にまで上がり西日本は梅雨末期のような激しい降り様だ。この先の予測計算を見ると梅雨明けがすぐ来るというわけでもないようだ、梅雨が長いということになりそうで気が重い。太平洋高気圧がそれほど強くない、ただ湿気が多いということのようだ。何故こんなことになるのか、すぐには説明が難しい、北極の温暖化が進み南の暖湿な大気を吸い寄せている形かもしれない。

確かに昆虫の活動も早くて活発だ。1週間くらい前に自宅のツバキにつくチャドクガの幼虫をせっせと駆除していたら、大きなスズメバチのようなハチがブーンと出てきて奥には徳利を逆さにしたような奇妙なものが見えた。何だろうと思うが葉が茂っていて目線を外すともう見つからない。一体あれは何だったのか、引っかかっていた。2日ほど前になってチャドクガ対策でツバキを少し切っていたら再び「逆さ徳利」が現れた。今度はしっかりスマホで映す。部屋に戻ってネットで探ってみると解ってきた。コガタスズメバチの初期の巣の写真とそっくりだ、出てきた大きなハチはコガタスズメバチの女王バチということになる。この時期冬を越Suumebc0519d えた女王バチが一匹でせっせとこのような形の巣を作り中で今年最初の働きバチとなるハチを育てるらしい。次々にハチの数は増えていき巣も拡大し遂には大型のスズメバチの巣に変身するというから怖い。今ならハチの巣の駆除も簡単そうだが自分でやるにはちょっと怖いところもある、ここは業者に頼む方が安全かと思いネットで探すと幾つも見つかる、いい商売の様だ。
4000円よりという字が見えたのでそんなものならいいかと電話すると2時間くらいで現れた、現場を見ながら見積もりというので頼むと16000円+税だという。随分高いがと聞くと4000円というのはミツバチだ、これはスズメバチなので危険度が全然違う、いわば命懸けでこれが相場だという。
少々不愉快だが押問答するのも面倒で、これで頼むことにする。それではと業者は直ぐに防護服に着かえてあっという間に除去して終わりとなった、10分もかからない、本当にいい商売だ。

除去した巣の中には育ちかけた幼虫とこれからの卵が計10位あって、ちょっと可哀そうだがしょうがなSuumebc0519a い、それにしても綺麗な造作で作ってある。女王バチには申し訳ない気持ちになる。世の中は単純ではない。

気候が変化していき、生き物は皆それに応じて生き方を変えていく、コロナももとを辿ればそこに行きつくのかもしれない、地球に生きるということは、というか、この宇宙で生きていくということは、こういうことなんだろう。そう思う外ない日々が過ぎていく。

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2020年11月24日 (火)

クルーズドラゴンが宇宙ステーションに

11月17日宇宙ステーションに日本の野口宇宙飛行士がスペースXのクルードラゴンで到達した。前日から打ち上げ、ドッキング、乗り移りの一部始終をネット中継で見ていたが、リアルタイムでず―と見ていられるとは、いい時代になったと思う。通常のテレビ放送ではこんな長尺の中継なぞとてもできない。

見ていてアレと思った所も幾つかある。例えばステーション側のハッチの準備をしている宇宙飛行士は有線のマイクで連絡しているところが映し出されていた。当然無線かと思っていたが大事な通信なのでということなのだCruisedragon ろう。

クルーズドラゴンでは日本語で挨拶していた野口さんだったが、送られてきた船内の多くのシーンは野口さんから最も遠いカメラの映像でほとんど顔が写らなかったり、4人の飛行士がステーション内に到着するところでは最後にステーションに入ってきた野口さんの映像が控えめで歓待の輪から距離があってちょっと影が薄いように見えたり、やはりアメリカの仕掛けにおまけのように加わらせてもらっているというところが一目瞭然のように思えた。トランプではないがAmerica firstなのはどうしようもない。

5日後にNASAのサイトでこの時のビデオを見ていたら、野口さん側から撮ったクルーズドラゴン船内のビデオや野口さんが到着時にも歓待されているシーンそれに野口さんが前面に出た写真などが用いられていて、修正が入っている。NASAも野口さんの影の薄い当日の中継映像が気になったのだろう。でも中継映像の方が本音に見える。

こんなのを見るとトランプの岩盤の支持が崩れないのは誰もが語りたがらない本音を語っている人だから、と、アメリカという国の複雑さを思い起してしまう。

インスタグラムを毎日投稿しているせいで海外のフォロワーの投稿を見ることが多いが、中には写真にしっかり文を付ける人がいてそれを読むのも面白い。この間は米国女性の投稿文に”Legends of the Fallの一節の様な景色”といった表現があって、Legends of the Fallとは一体なんだろうと調べてみると、ジム・ハリソンの書いた大河ドラマの様な小説で映画化もされていた。好奇心からとにかく図書館から本を借り出してきて読んでみる。中編くらいの小説で読むのにそう時間はかからないが描写よりもストーリーで押す書き方で登場人物が次々に移ろっていくところがある、どこか落ち着かない。日本の小説と大分雰囲気が違う。勿論米国の小説にも色々あるがそういえばこんな雰囲気の小説が多いような気がしてくる。
こんなこともあって、日本スタイルの物事に対するアプローチと米国のそれはどうにも異なる、と改めて思い返している。いいかどうかは別にして、この違いはそうすらすらとは解消しないようにも思える。

コロナに日本人が何故強いかという謎の原因”ファクターX”にもそんなことが関係しているのかもしれない。

それにしても、コロナで家に居る時間が長くなると、見過ごしていたことが色々見えてくるような気がしている、それも悪くない。

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2020年7月31日 (金)

ネオワイズ彗星とトイレの修理と

 

ネオワイズ彗星がまだ見えるかもしれないとやっと夜空が晴れた7月25日の20時過ぎから夜空を探してみた。国立Neowisecometmark2 天文台暦計算室の今日のはしぞらのページに今日の位置が出ている、おおいぬ座の足のあたりだ。自宅玄関先から双眼鏡でそこらを探していくと普通の星とは全く違うぼやけた天体が見えてきた。これだ。彗星は前に何度か見たことがあって、そのぼやけた感じが同じだ。暗い。3等星あるかないかという感じだ。野鳥用のフィールドスコープでも見てみる、こちらのほうが見やすい。気のせいか上の方に向かって尾があるようにも思える。鳥用の望遠で写真を撮ろうとしてみるが、ファインダーにはっき り見れず大体の方向を定めて何枚かシャッターを押してみる。後で見てみると写っているようにも見えるが違うようにも思えて自信がない。
4日後の29日もまた夜晴れたので探してみるが更に暗くてなかなか見つからない。暫く探しているとかみのけ座の右にやっとそれらしいぼやけたNeowisew10729a 点がスコープで見つかる。これが見納めだろう。次は0.5億年後らしい。(添付図は星図へのプロット、青が25日白丸が29日、スコープでの見え方を記憶で書いたのがその次の図)
46億年前にはこんな彗星のような星の材料が次々に集まって地球が出来大気や水がもたらされたといわれる。地球もいずれ最期を迎えた後は一部が彗星となってまた別の星の誕生に貢献し宇宙は続いていくのかもしれない。

そんなことより、地球ではコロナでどこへも行きにくい毎日がまだ続いている。日々のこまごました日常が生き続けるあかしとなっているような気さえする。


数日前のことだ。40年物の水洗トイレがちょろちょろ水をタンク内に漏れ続けて水を供給している井戸ポンプが一定間隔で作動を繰り返すので、ちょっとイヤで調整に取りかかった。タンク内でバルブで水のラインを開閉するボールタップの調整が悪いようだ。止まりが悪ければボールをつけているアームを下向きに曲げれば止まるはずなのでやっていると、誤ってボールの付いているあたりでアームを折ってしまった。継手になりうる丁度いいアルミパイプを探しては見るがそんなものは無く止む無くボールタップを交換することにした。これくらいの交換はものさえ入手できれば自分でできるだろう。

まずはメーカのTOTOをあたる。タンクの型番はS720Bの文字が消えかかってはいるがタンク表面に読めるのでTOTOのホームページで調べるとS721BはあれどS720Bの記述はない。コールセンターに電話で問い合わせるとやはりS720Bというのはないという。古くて抹消されたのだろうか。取り敢えずS721B用のボールタップの型番を教わってネット検索すると5000円台で売られているのがいくつか見つかる。適合性にいまひとつ自信が持てずそれならとどのタイプにも合うという万能型の物も探して見ると送料込み2500円くらいから見つかる。半値以下だ。少し調べてみると使えそうなのでひとまずこれでいいかと2500円のを発注する(カクダイ662-312)。翌日届くというからすごい。浮きボールをカンチレバーで作動させる今までのものと違い浮きが垂直のガイドレールに従って上下し定まった水位で水を止めるようになっている、調整も解りやすそうだ。

翌日の午後に届いて夕食後取り付けにかかる。TOTOのはネジがPJ1/2でこちらはB1/2となっていて少し気になっていたが問題なく取り付いた。僅かに違うところがあるらしいが基本的にネジは互換の様だ。それほど時間はかからず交換出来て試運転してみると問題なく機能する。めでたしだ。どのくらい長持ちするかが気になるがその時はその時だ、トイレは2か所あるのでまた壊れても大したことは起こらない。

そんなかんだでやっと7月も終わる、コロナ騒ぎの他、チャドクガに悩まされ続けたり、何故かアオバズクにも今年は出会えず、彗星を見てトイレを治せたくらいが明るい印象の月だった。

8月はどんなことになるのだろう

 

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2020年6月29日 (月)

チャドクガから無へ

 

今年は梅雨らしい雨と晴天が交互に来る陽性の梅雨の様だ。陽性という言葉は書いてみると今日的には響きが悪い、ウイルス検査の陽性のように体のどこかが反応してしまう。
ともかく梅雨らしい梅雨だ。生き物は一斉に忙しくなって、やけにはしゃぐスズメやカラスが飛び交い、虫Kosuzumega0624a の世界も忙しい。モンシロチョウやアゲハチョウが、育てている植物に次々に卵を産み付けていく、これを見つけてはポッドに入れて育てたりもするが蛾となると育てる気がしない。駆除だ駆除だとやっつけにまわる。

今年も不気味に巨大な蛾の幼虫(今回はコスズメガの幼虫)が現れたと思ったら、それ以上に厄介なチャドクガが目に付くようになってきた。最初は黄土色の蛾が多いが何だろうくらいに思っていたが写真に撮ってネットで調べるとこれがチャドクガと判明、毒針をまき散らす故特に幼虫は危ない、成虫や卵にも毒針がついていて注意が必要、幼虫は密集して葉を食い荒らし悪くすれば植物が枯れてしまうとネットにある。これは大変と本腰を入Cyadokuga0619a れた駆除にかかる。
昨年まではこんなにたくさんの黄土色の蛾は見たことが無かった、どこからか飛んできて庭木のツバキで繁殖を始めたようだ。まずは卵を産ませないように成虫をやっつけることから始める。見つけ次第網で捕まえて殺していく。補注網は生憎手元になくて魚用と思しき網があったのでこれでもやれるだろうと振り回しては捕まえている。朝からやると結構いい運動になる。毎日やっているとさすがに数が減ってきた、しかし卵は巧みに葉の裏に産んでいて卵も片っ端から見つけては葉ごとちぎって袋に入れて処分する。
卵は毎日5箇所以上見つかりゼロの日がない、毎日必死で卵を産んでいるようだ。その内恐れていた幼虫も目に付くようになる。ともかく殺虫剤で殺していくが毒針が飛びそうであまり近づけず死骸はそのままにしている、まずいのだ ろう、そのうち処理せねばと思っているが今は兎に角退治だ。Cyadokugatmg0624a
幼虫が食べたと思われる跡も幾つかの葉に見つかるが、木を枯らすほどでは全く ない。コロナではないが何とか抑え込みに成功しつつあるようで、次第に平穏な日々に戻ってきている。
木の根元にはオルトランという消毒用の農薬を埋めたりもした、そういえば昔両親が住んでいた頃に来ていた植Cyadokugmusi0628a 木屋が消毒もしておきましたというのを何度も聞いた覚えがある。植木屋は頼まなくなって自分で切るのも面白いと思っていたが消毒というのも大事なようだ。
ウイルスも巧みな戦術で生きながらえているし虫も子孫を残すために幼虫が食べられない様に毒を仕掛けているのだろう、命の循環からは当然の努力がはらわれているだけなのだろう。なのに、有害害虫だったり病原ウイルスだったりと嫌われ者にされている。すべての生き物が調和して生きていくというお釈迦様の世界は土台無理なことなのだろう。

地球はなぜ存在するのだろうか、ウイルスはなぜ存在するのだろうか、害虫はなぜ存在するのだろうか、そこには大仰な理由はどこにもないに違いない、ただ無があるだけなのだろう。無目的な存在に囲まれてすり抜けるように生きていく、生き続けるにはそう思いきる他ないような気がしている。無が本質だ。

こんな風に考えていくと虫退治から思いが時空に広がっていくこと自体が言いようもなく面白い。世界は面白いことで満ちている、改めてそう思う。

 

 

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2020年6月28日 (日)

志賀島の鳥が

 

コロナ騒ぎで、集まって野鳥を見るという機会がこのところなかったが、そろそろ自粛も抑えめになってきたこともあり、先週、鳥仲間の呼びかけに応じて海の中道から志賀島エリアの鳥見を楽しんだ。
博多湾に飛来するコアジサシを見たり、ミサゴの営巣を見たりした後、志賀島北にある沖津島でウチヤマセンニュウ(Locustella pleskei)を観察した。ウチヤマセンニュウはスズメ目ウグイス科のウグイス位の鳥で 環境省のレッドリスト2020では絶滅危惧IB類(EN)(近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの)となっている。IUCNではVULNERABLEでこれより1段低いが絶滅危惧種であることには変わりない。福岡県の希少野生生物のページでは県内では生息箇所が3カ所と限られており,福岡市西区大机島,福岡市東区志賀島属島沖津島,宗像市沖ノ島の3カ所に夏鳥として渡来する、いずれの生息地でも確実な生息数の推定は行われていないが,大机島,沖ノ島は50~100つがい,沖津島は数つがいと考えられる、との記述がある。朝鮮半島,沿海州,九州,および紀伊半島の沿岸,伊豆七島の島嶼で繁殖し、冬は中国南部からインドシナ半島で越冬してるという(Bird Research News Vol.5 No.5 )。
2007年に三宅島で一度見たことがあるがそれ以来だ。今回は写真はうまく撮れなかった、添付は2007年三宅島で撮った写真だ。声は今回やっとなんとか録音できた(下)。Uchiyama20070526aa

 


沖津島は志賀島の北にある小さな島で普段は浅瀬で隔てられているが干潮では歩いて渡ることが可能なことがある。今回は干潮ピークのやや前に長靴で渡って観察した。4羽位が姿や鳴き声で確認でき、もう少しは居る感じだったが10羽以下ではある様だ、数は少ない。ウグイスに似た姿で見て感動するというほどではないがその希少価値に頑張れ!と何か心に響くものがある。センニュウの名は江戸時代の百科事典である和漢三才圖會に仙遊鳥(せんゆうどり)とあったのがなまってセンニュウになったものと考えられている。見ているとすぐに茂みに潜入してしまうので相応しい名前のようにも思えてくる。

のんびりと時間を過ごすが久しぶりの長い日なた歩きで少々疲れて早めに帰宅した。
この日は部分日食でもある、帰りながら車のサンバイザー越しに見える太陽が心なしか欠けていくのが面白い。自宅に帰りつくころ丁度欠け方が最大となった、壁に写る木漏Komorebi0621a れ日がそれぞれに三日月になっているのもまた面白い(添付写真)。

コロナコロナで何かと制約されるが、ウイルスとは違う自然の営みに触れることでやっと心が休まる日々が続くような気がしている。

 

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2017年8月26日 (土)

バンと日食と

近くの溜池でまたバンが子育てを始めた。
朝散歩しているとヒナが4羽睡蓮の葉の下から出てきた。今年3回目となる。前回も4羽

Ban3kaime

だったが生き延びたのは2羽位だ。位というのは最近は若鳥は1羽しか出てこないようで、もしかしたら1羽はカラスにでもやられたのかもしれない。それでもこの溜池では確実に命がつながっている。
時々思うのだが、地球上に今生き残っている生物全てが40億年前の生命誕生まで何らかの糸で切れずにつながっているという事実が奇跡の様だ。あの数度に及ぶ地球生命大絶滅時代全てを辛くも生き残った生物の末裔が結局はここにいると思えば今ある命の計り知れない重さを感じる。宇宙には未だに地球のほかには生物の痕跡が発見できないことから宇宙的重さをも感じてしまう。とにかく命をつなぐことには重い意義があるとしか言いようがない。

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北米で8月22日に皆既日食が走るという話が盛んに報道されインスタにもその映像が溢れたが(写真は今回米国オレゴンで観測された皆既日食(wikipediaによる)。) そういえば確か北関東にも皆既日食が走る年があったと思い出して少し調べなおしてみた
日食の予報は国立天文台のページから調べることができて、18年後に北関東を皆既日食線が走ると解る。壬生あたりでは皆既時間は2.6分位、日光市街で2.2分位と推定されている、それなりだ。2035年9月2日10時7分位に始まるという。
あと18年後ということになる、それくらいなら生きているかもしれない、

Nissyoku

しかし福岡から栃木まで車で走っていくにはちょっと無理だろう、どうやってその場所に行くのだろうか、やはり結局は無理だろうか、生涯一度の最後のチャンスのような気がする。無論栃木には知り合いがいなくもないがその頃にはもうかなりの高齢になっていることになる、押しかけて行ってお世話になるのはいくら何でも無理だ。
以前奄美に皆既日食がかかるという時は行く気になっていたものの飛行機が全く取れずあきらめた記憶がある。奄美は結局嵐だったがそれでもあたりが暗くなり日食らしさは体感できたという話を行けた人から聞いた。たとえ曇って写真は取れなくても現場に居合わせることが大事だろうと思っている。
日食のような場面では地球が確かに宇宙に浮かぶ小さな島であることを体感できるだろう。
宇宙の過酷な空間をめぐる地球という惑星に住み着いたカビの様な人類の位置を思い知るだろう。わずか10kmの空気層の外では人は生きられない。

18年後の皆既、こんなタイムスケジュールを見るともう知るべきこと学ぶべきことに対して時間が残っていないことを悟る。

永遠の生は命をつなぐことでしか実現しない、伝えていくDNAの中に残るだけだ、それだけでもよしとしなければならないのだろう。未来につながるDNAはこれからどんな景色を見ていくことだろうか。

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2016年7月14日 (木)

地球史その2


放送大学「地球史を読み解く」のテレビ講義は続く。
40億年前頃に生命が誕生した後の地球はどうなったか。他の情報も合わせ話をまとめるとこんな感じになる。

地球上に最初に出現した大陸は活発なプレート運動にて沈み込み帯部分で次々に破壊されマントル底部に引き込まれていき、40億年前頃以降地表は幾つかの火山島を残して殆どが海に覆われた。
その後僅かに残った火山島周りの水際にシアノバクテリア(藍藻)が生まれCO2をO2にかえていった。シアノバクテリアの発生は27億年前とも35億年前ともいわれる。プレート運動は続き海水も地中に次第に引き込まれ海水面は徐々に下がり陸地は広がっていった。

シアノバクテリアがどのようにして生まれえたかその説明はないが、シアノバクテリアはサンゴ虫がサンゴを作るようにストロマトライトという石を作ってこの石を成長させながら命を伝えたという。ストロマトライトは地球上のいくつかのポイントで発見されている。この他幾つかのこの時代の痕跡が世界の各所で確認されている。

シアノバクテリアの作り出した酸素で海中に溶け込んでいた2価の鉄が酸化され3価鉄となり3価鉄は水に溶けず鉄鉱床として沈殿した、この鉱床が現在鉄の鉱床として採掘されている。
しかし、38億年前の岩石が出土しているグリーンランドのイスア地域では38億年前の縞状鉄鉱床も見つかっておりシアノバクテリアによる酸化がなくとも鉄は沈殿したともみられるがそのプロセスは必ずしも明らかではない。

25-26億年前の大古代末期にはプレート運動の沈み込みで地下にたまった冷たいマントルが660kmの上部マントルと下部マントルの境界を突き抜けてコア付近まで落下、これを補う形で下部マントルが上昇地表に洪水のように洪水玄武岩を噴き出すに至った。マントルオーバーターンと呼ばれる。噴出した玄武岩により陸地面積が拡大していったとみられる。この洪水玄武岩も世界の各所で見出されている。
同時に、地球中心部のコア内の対流も活発化し地球磁場の強化がもたらされたと推定される。
この結果宇宙からの高エネルギー粒子が地球磁場によるバリヤーに守られて侵入しずらくなって生物の生息に好適な環境がますま揃えられていったとみられている。


25億年前から6億年前までを原生代と呼ぶがこの時代を大きく特徴づけるのが23億年前と7億年前付近で起こったスターバースト(銀河の衝突によるとみられる爆発的星の生成)に起因する全球凍結とされる。
1回目の全球凍結は、ここでは、スターバーストによる大幅なヘリオスフェア(太陽圏)の縮退で地球に降り注ぐようになった大量の宇宙線により雲核形成が促進され、地球が厚い雲に覆われて入射太陽エネルギーが減り全球凍結が起こったという説が提示されている。
Helios_2 にわかには信じがたい説だ。最近の研究を見るとヘリオスフェアのサイズは通常で少なくも100AUはあるようで、それが地球の内側(1AU)まで押し込まれる(即ち殆どなくなる)とは本当か、と思わせるし、その結果雲が大量発生して日射を遮ってこれによって極端な寒冷化がもたらされるというのも、気象の知識からすればありそうにないように思える。
高エネルギー宇宙線が雲の形成を促進させるというのは実験的に再現されているのだろうか、どんな実験をやったのだろうか、単なる紙の上の話なのだろうか、疑問点だらけだ。
ここまで言い切らず”スターバーストが全球凍結に関係している可能性がある”くらいが主張の限界のように思える。
この講義のままでは根拠が必ずしも強くない仮説をそうとはいわず教えられているようで、このあたりが生ぬるい質問箱を介したやり取り以外に直接議論ができない放送大学の限界なのかと思わせる。


7億年前付近で起こった2度目の全球凍結をも生き延びた生物はエディアカラ紀(6.35億年前-5.4億年前)の大型生物発生を経て生存環境がさらに好転しカンブリア紀(5.4億年前-4.85億年前)の種の大爆発を起こす。
カンブリア紀の種の大爆発の要因には浅い海が広がったこと、酸素濃度が適切になったこと、プレート運動での海水の地下への侵入が続き陸地の面積が増えたこと、などがあげられているが、同時にHiRマグマという放射能を含んだマグマが陸地内部の裂け目から地表に現れこれがDNAに損傷を与えて進化を加速させたという説が説かれるのも面白い。放射能を浴びたことで進化が加速されるということは早晩原子力のエネルギーを使わざるを得なくなっている現在の状況を地球の歴史が是認しているようにもみえて何か暗示的でもある。


プレート運動の結果大陸は裂けて移動しそれぞれの地域で独自の生物を進化させ更に裂けた大陸がまた衝突して生物が混じり合い現在に至る様々な種を生むに至ったという、このあたりはなるほどと思わせる。

カンブリア紀以降に多くの種が生まれたものの、2.5億年前前後に何と1000万年間隔で2度の大量絶滅が発生(この原因はまだ定かではない)、この後恐竜や哺乳類が分化・進化するが、更にまたしても起こった6500万年前の大量絶滅で頂点に立っていた恐竜が分派した鳥類を残して絶滅したのを見ると、この地球で種が生き延び続けることの難しさを感じざるをえない。
少なくとももう1億年くらいは地球の大変動は無いようでうまくやれば人類は生き延びられそうだが、1億年という時間の長さを感じてしまう。

46億年という地球の歴史を俯瞰すると1億年先の未来はすぐそこの未来のように感じてしまう、が、そうではない。100万年が100回くる未来だ。1000年続く文明があったとしてそれが1000回繰り返されてやっと100万年だ。
1億年先であればまだ新しい超大陸が見えてくるほどに大陸移動は進まず、プレートに引き込まれて減っていくとされるCO2もまだ十分残っていて、破局的なスターバーストを引き起こす銀河の衝突もまだ起こらない見通しらしい。自滅しない限り人類は生き延びることが出来るだろう、10万個の文明を次々に作り続けながら。どこまで行ってしまうだろうか。

少々科学オタク向けの講座かとの感じもしていたが、宗教が昔から果たしてきた我々はどこからきてどこへ行こうとしているのかの解説をとにかく科学的にやってくれるところが、この宗教臭くなっている現代にむしろ必要な学問になってきていると感じさせてくれて、十分に面白い。

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2016年7月11日 (月)

地球史を学ぶ

仕事を離れたら時間を持て余すと聞いたことがあったが、実際にそのような状態なると全くそのようなことはなくやりたいことが増えるばかりだ。


学ぶことも遊びの一つで、この春からは放送大学大学院の学生証を手にして学んでいる。

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といってもそれほど多くの時間を割くことはできないので放送大学では「地球史を読み解く」という講座のみを正式に履修している。
平たく言えば我々はどこからきてどこへ向かっているのかを科学的に宇宙スケールで明らかにしていこうということになる。

始めるとなかなか興味深い。
東工大特命教授の丸山茂徳という人の講義だが姿やしゃべりはあまりテレビ向きでない。しかし話の内容はすこぶる面白い。
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話は本来どうやってこのような研究が進んできたか具体的にどのように研究なされているかという研究手法が結構重要そうだが、そこらはあまり深入りしない。岩石の年代決定手法や同位元素の分析法など実証の具体的手法の知識が骨格を成すような気がする、そこはない、その意味ではどこか消化不良の講義であることは免れない。



太陽系の誕生と地球の誕生がはじまりだが、宇宙150億年の歴史を俯瞰すると太陽系が誕生した46億年前は銀河系で星の形成率が高まるスターバーストの時期にあたっていたという。

スターバーストは銀河同士の衝突で引き起こされるとされており、46億年前は銀河系と矮小銀河との衝突で起こったと最近は考えられているようだ。

太陽の周りにスターバーストで生じた物質が円盤状に集まり 重い岩石は太陽に引き寄せられて内惑星を作り、飛ばされた軽いガスは離れた軌道に外惑星を形成、内惑星は衝突を繰り返し成長、地球、火星などが形成された、と考えられている。
地球のもとになった惑星は隕石の落下で次第に大きく成長していき最後に火星位の惑星との巨大衝突を45.6-45.3億年前に起こしたとされる。こ衝突はジャイアントインパクトと呼ばれこの時月がとびだしたともされているようだ。


ここからが地球の歴史の始まりとなり、まずは冥王代とよばれる原初の時代が始まる。
地球の水はどこから来たか。地球の水の同位体比--重水素/水素比の値を調べると太陽水素の値や彗星の値とは大きく異なり炭素質隕石の値に近いと解ってきた。

一方地球(および月の)岩石は構成する元素の同位体比率からはエンスタタイトコンドライト(Mg系輝石であるエンスタタイトを主要鉱物とする石質隕石)と呼ばれる隕石物質と一致し炭素質コンドライトとは一致しなかった。
即ち岩石をもたらした隕石と水をもたらした隕石は別々のところからきていることになる。
まずエンスタタイトコンドライトが集まって地球の本体部分が出来上がってきた、そこへ水と大気を持った炭素質隕石が降ってきたことになる。
そんな調子のいいことが何で起こるの、と思わざるを得ないが内惑星が生成後木星の引力の影響で外惑星に近い側の小惑星帯の炭素質の多い隕石が落ちてきたという説明があるだけで今一つ合点がいかない。まだまだ諸説が飛び交っている状況のように思える。

地球に残る最古のかけらは44億年前のジルコン結晶でこの中に含まれるウラン元素の崩壊から年代が推定できており、更に、40億年前前後のジルコンに含まれるセリウム元素の価数分析から40億年以前は酸素の少ない還元的な環境(即ちエンスタタイトコンドライトがもたらす環境)でありその後は酸化的な環境(即ち炭素質コンドライトがもたらす環境)に変わっていったことが物的証拠として示されているようだ。

46億年前という太陽系誕生の歴史は隕石の年代測定から得られたもので太陽系全体がほぼ同時期にできた、それが46億年前であったということのようだ。僅かに残された試料から重要な結論が導かれるところは感心するがどうしても半信半疑のところがある。


それにしても現在落ちてくる隕石の多くが普通コンドライトでありエンスタタイトコンドライトや炭素型コンドライトは少ないとされる、ハヤブサが探査したイトカワも普通コンドライトであると解っている、46億年から40億年前頃に今は少ないコンドライトが惑星を作るほどに落ち続けたのはどういうことだろうか。
少しかじっただけでも疑問は尽きない。



生命の発生に至る過程は更に面倒で、原初の、隕石でもたらされた大量の水は地球の殆どを4kmの深さで覆っていたがこれがプレート運動で次第に地中に引き込まれてそのかさを減らし、現れた陸地の岩石粒子が海水と反応して強酸性だった海水を中和していった、濃密だったCO2もマントルに固着してプレート運動で地中に運ばれて薄くなり太陽の光が地面まで届くようになった、水際では各種複雑な環境が現出し多くの元素が出そろい、間欠泉のような場所で有機化合物が次第に合成され最後に生命の誕生に至った、ということのようだ。

まだ実験室内では生命の誕生までは実現されておらず、本当にこうなのかは解らないが、かなり生命の発生はハードルが高いようだ。最近相次いで発見されている太陽系外のハビタブルと思わせる環境の惑星でもめったなことでは生命は生まれないのではないかと思わせる。

地球の冥王代には多くの生命の形態が有りえたが、大量死を繰り返し結局動物の祖先となる古細菌と植物の祖先となる真正細菌のみが生き残りこれが30数億年生き延びてカンブリア紀に理想的ともいえる環境が出揃ったことにより爆発的種の拡大に至ったということらしい。
ここらあたりまでくると化石が残されていたりでそういうことかと思わせる。


勿論この先も展開は続くのだがここまでの過程でも,人類のような知的生命体が存在しうる天体が地球以外に本当にあるのだろうか、と思ってしまう。地球しかないといわれてもそれはそれで真実かもしれない。
命の宇宙的重さというものを感じてしまう。

確かに学ぶということは面白い遊びだ。

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