« 2025年7月 | トップページ | 2025年9月 »

2025年8月28日 (木)

日本遺産から「西の都」が指定解除されたと知って調べる、日本遺産とは何なのか

九州北部の牛頸須恵器窯跡やウトグチ瓦窯跡のことを見たり調べたりしていて、2025年2月「西の都」日本遺産から指定解除される、の文字に行き当たった。牛頸須恵器窯跡は日本遺産「西の都」の一部となっている。日本遺産というのは言葉としてはどこかで聞いていたように思うが世界遺産の日本版なのだろうくらいに思っていた、それが指定解除とはいったいどういう間違いがあったのか、と思ってしまった、普通ではあまりおこらないような印象を受ける。少し調べると、やや分かったがまだなんとNihonisanna なく腑に落ちない。とにかく調べる。
日本遺産の選定は世界遺産や国宝・重要文化財などとは全く違って、地域活性化言い換えれば集客にその目的がある、というのが調べてわかった最初の小さな驚きだった。あれこれやりとりしながらAIにまとめさせると:
日本遺産は「文化を守る制度」というより、実際には地域の魅力を観光資源として発信し、観光客を呼び込むための仕組みです。
文化庁は「地域に点在する文化財を物語でつなぐ」と説明していますが、狙いはそれを観光ブランド化し、集客を通じて地域を元気にすることにあります。
つまり日本遺産の本当の役割は、歴史や文化を「見せ方」に変えて、地域活性化につなげることだと言えるでしょう。
となる。そうだったのか。
日本遺産の指定を外されるということは、今のやり方ではこのエリア全体にはうまく集客できない、ほかの地域の提案のほうがずっといいので、一旦ここはやり方を全面的に見直して、指定をほかの提案者に譲ってください、指定総数は100程度という縛りがありますので。ということになる。それならわからなくもない。
そういう目で見ると、「西の都」の構成要素に挙げられている場所はいったいどうやって行けばいいのだろう、というところが結構ある、また、例えば牛頸須恵器窯跡のように構成要素そのものが散らばっていてここを見れば面白いというところがどこかはっきりしない、とか、集客の目でみるとこれ何?というところが目立ってしまう。最初からどこか考え違いがあったようにも見受けられてしまうし、なんとなく福岡人らしい早とちりかな、とも思ってしまう。
調べると今年になって突然指定解除言い渡しがあったわけではなく認定後6年目の評価として、平成27年度認定された「西の都」を含む(最初の)18件の評価を令和3年に行ったところ、「西の都」を含め4件が問題ありの指摘で再審査となり、令和6年から再審査は点数評価プロセスで新規提案と競争することになって、点数が明瞭に低かった「西の都」が陥落の憂き目となった、ということのようだ。再審査の他の地域はいずれも高得点で日本遺産のお手本となるという重点支援地域の認定をうけることになって「西の都」との差が際立ったということのようだ。細かい採点は明らかではないがそれなりに合理的な手順を踏んでいるようにも見える。
日本遺産の選定が今後どうなっていくか、毎年指定を外すものが出ないと新たな提案は採用されないとなると、次に外されるのはどこか、奇妙な点取り主義競争が蔓延しないか、いささか先行き不安なものも覚えてしまう。日本遺産はどうあるべきなのかもう一度議論すべき時期に差し掛かっているようにも思えている。

| | コメント (0)

2025年8月27日 (水)

ウトグチ瓦窯跡を見る、古代の瓦の作り方が興味深い

近くの文化財を時々見に行っている。今月は福岡市の南隣の春日市にあるウトグチ瓦窯跡というのを見に行った。大宰府の周辺には古代に須恵器製造の窯が大規模に展開していたようで、あちこちで窯跡が見つかっているようだ、以前野鳥を観に牛頸ダムに何度か行っていたがダム湖のヘリに窯跡そのものは見れないものの須恵器の窯跡の説明看板を見た記憶

Utoguchi1 がある。これもその一つか、くらいの気持ちで、ネットで見つけた翌日の日曜日にとりあえず出かけてみた。日曜でないと施錠してあって簡単には見れないらしい。
古墳や史跡は大概主要道路から少し入ったところにあるがここは交通量の多い市道(春日西通り)に直接面していてかえって見つけられなくて探してしまった。1台しかない駐車場が運よく空いていて止められる。窯跡は建物で覆われていて、入場無料だが日曜だけは管理する人がいるようだ。登り窯の形式で斜面に掘った溝のような窯の跡が保存されているUtogcd_20250827163301

。7世紀後半から操業していたらしい、ちょうど白村江で日本の艦隊が新羅唐連合軍に完敗した直ぐ後の頃でここらでは攻め込んでくるかもしれないと巨大土塁である水城(みずき)が急遽作られたり山城があちこちの山に作られたり大騒ぎしていたころになる。一大建築ブームだったのだろう。牛頸須恵器窯跡はここより少し南に展開しており古くはそこでも瓦は造られていたようだが7世紀後半からはここウトグチが瓦製造の中心になっていたと思われている(牛頸須恵器窯跡が史跡認定された時の文書にそのような記述も

Utoguchiimgp1886utoguchiaa 含まれているようだ)。出土品や出土品から推定される瓦の製造プロセスも展示してあって興味深い。テーパ状の筒のようなかごの外側に粘土を張り付けて焼いたようだ、そうやって瓦のカーブが作られていたというのが面白い。

ウトグチの名前は地名由来とみられ、もとは宇土口だったのではないかと個人的には思っている、宇土は凹地や鈍な山並みの意味があるらしいので谷あるいは尾根の入口くらいの意味だったのではないかとも想像してい

Utogchic1

る。こういう風にあれこれ想像をめぐらしながら想いを過去に遊ぶところが遺跡の面白いところかなという気がしている。

| | コメント (0)

2025年8月22日 (金)

2024年ノーベル文学賞のハンガンの詩集を読んでみるーー心に響かなくなっている老化した自分を思う

やっと図書館の貸し出し順の回ってきたハンガンの詩集「引き出しに夕方をしまっておいた」を読む。ぴんとこない。翻訳では言語のリズムがでないのかな、とおもうが作者朗読のユーチューブを聴いてもリズムは感じにくい。どうやってノーベル賞に選考されたのだろう、詩ではないかな。自分の感受性の問題もあるか。Hangan
最後のページから誘導されるネットの特設ページ(https://cuon.jp/info/2330)で作者が日本読者向けに言葉を送っている。1992年から2013年までに書かれた詩の中から選んだ60編だという。発表を念頭にしなくて書いた個人的な詩が殆どとも。ハンガンが世に出たころからおよそ20年にわたる詩だ(22才から43才の間の作品ということになる)。
もう少し若い頃は反応した言葉が並ぶ。青い、と感じてしまう。それをいうと詩は成り立たないな、そうも思う。詩や短歌には文章に書けない心の本質がにじむ、書かれた時の心そのものがここにあるのだろう。もはや反応できないのは自分の老化としか思えない、年を取るということはこんなことだったんだと改めて思う。
ハンガンのノーベル賞は小説家としての作品に負うところが大きいのだろう、小説も一つくらいは読まねばと図書館の待ち行列に並んでいるが長い列で一向に回ってこない。老いゆきながら気長に待つほかはないか。

| | コメント (0)

2025年8月16日 (土)

福岡の菊池神社が気になるー時代の変わり目に菊池の亡霊が姿を現すようで

近くに菊池神社というのがあって少し気になって調べている。気になったのはTSMCの半導体工場が熊本・菊池のあたりにくることになったいうあたりからだ。正確には菊池市の南隣の菊陽町にくるのだが、まあ昔の豪族菊池氏が本拠にしていた菊池エリアの一部といってもいい。
今やTSMCの半導体工場の熊本・菊陽町エリアへの進出は本格的に九州の経済に効いてきたようで 、Kikuchijinjya1a ともかく最近は熊本市内は道が混んでばかりのようだ。この地に来たのは幾つかあるが特に熊本の水がいいからだと説明されている、北隣の菊池市の菊池渓谷は確かに気持ちのいい景観だ、しかし大工場に水を供給し続けるほどかとも思っていた。
菊陽町はもと菊池郡の津田村、原水村および上益城郡白水村が合併してできてた菊池エリアの南部にあたる、川の流水域としては白川の流水域となっていて、菊池渓谷を形成する菊池川水域ではないようだ。TSMCの半導体工場に供給される地下水はもとは白川の水ということになり確かにこれはいかにも水量がありそうに思える。菊池氏の本拠があったのは菊池川沿いのあたりで、どうやら今回のTSMCとはつながってこないようにも見える、でも気になる。
とにかく福岡の自宅近くにある菊池神社は現在の場所とどういうつながりかなと調べ始める、結構深い感じがしてきてそういうことかということにいくつも遭遇する。
この神社に祭られているのは菊池武時となっていて、菊池氏一族公式ウエブサイトでは菊池氏第12代当主とある。現地説明版やWikipedia記述をみると、菊池氏は元は大宰府勤めになった藤原氏の末裔ということのようで菊池地域に住むようになったので菊池氏と称していて、今の菊池市の中心部あたりに本拠があったようだ。
これとは別に、7世紀には白村江の敗戦で北部九州にも侵略が伸びるかもしれないというので急遽防御用の山城が大和朝廷によりあちこちに建設されたがそのうちの一つ、鞠智(きくち)城というのが山鹿あたりに建設されていてその名が菊池のもとになったような気がしている。
読み方はもとは きくち ではなく くくち であったという説が有力のようで、長い年月が菊池の地名を作り菊池氏を生んだということのようにも解釈できる気がしている。
菊池武時がこの地に祭られることになった経緯は、鎌倉時代末期の1333年、隠岐を脱出した後醍醐天皇が発した綸旨に呼応して菊池武時は倒幕の兵をあげ鎮西探題に攻めよせた、この時大友や少弐が寝返って鎌倉側についたため菊池は敗れ武時は討ち死にした。この時遺体を埋めたのがこの菊池神社の地であったとされ江戸時代に墓碑がたてられ明治になって社殿が建てられた。ここは胴体が埋められた首は北の六本松あたりに埋められたとのい伝えがあり首を埋めたとされるところには首塚(菊池霊社)が造られている。武時の敗れた2か月後、尊氏が京都六波羅探題を落としたとの報に接した大友・少弐は今度は自らが鎮西探題を攻めこれを落としている。どうやら倒幕には賛成だが菊池の手柄にさせたくないとの思いがあったのではないかと想像される。3年後都を追われた尊氏軍は大友の助けで九州まで船で落ち延びここで少弐の支援を受けて博多・多々良浜で宮側(南朝)についた菊池軍と戦う(多々良浜の戦い)、これに勝利した尊氏は再び京に攻め上り室町幕府を開く。その20年後九州の南朝勢力、懐良親王=菊池氏 と北朝側の少弐氏・大友氏 を中心とする2つの勢力が筑後川で激突(筑後川の決戦)、今回は南朝側が勝利して以降しばらくは九州では南朝中心の時代となる。その後菊池氏は戦国時代大友との争いに敗れていき16世紀半ばで滅亡する。ただ、一族にはのちに西郷隆盛を出した西郷氏も属しており、この後も連綿と人材を出し続けたと思われる。西郷をはじめとする明治新政府を支えたメンバーには南朝を正統とみる立場のものが多くいたようで、この福岡の菊池神社が神社として体裁を整えたのも明治政府が立ち上がった直後のことであり(明治2年)、またその後も明治政府は、南朝を正統とするとの政府見解をわざわざ公表するという挙にも出ている。こんなのを見ていると、どこか時代を変えようとするとき九州では菊池の亡霊が姿を現すような気がしてくる。TSMCの件にもこんな影を見てしまうのは考えすぎなのだろうか。

| | コメント (0)

2025年8月 4日 (月)

2025年7月の福岡市南区周辺及び訪問先の野鳥

暑い季節になった。鳥見にはあまりいいとは言えない暑さだが、子育てが盛んなバンや若鳥が一斉に増えてにぎやかなムクドリなどを見ると、命あふれるいい季節ともいえるようだ。

手元のメモに残された記録は下記の通り:

2025.7.4 16:20 晴れ 風力1-2 2Cu040 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 カワウ1、キンクロハジロ♂1、 ドバト、スズメ、ホシハジロ♀1、アオサギ1、コゲラ1、(チョウトンボ)

2025.7.9 15:40 曇り小雨 風力0-1 8Cu020 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ヒヨドリ声 新市楽池:アオサギ1、バン2、シジュウカラ1

2025.7.12 11:15 曇り 風力0-1 6Cu030 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 バンひな3-4別に7位、コガモ5位、アオサギ1、ホシハジロ♀1、キンクロハジロ♂1、スズメ15位、ドバト.10位、 (チョウトンボ多数)

2025.7.13 11:10 晴れ 風力1-2 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:マガモ♀1、ムクドリ10+、スズメ2+ 新市楽池:バン1

2025.7.14 15:30 曇り 風力2-3 7Cu030 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:スズメ10+、メジロ1-2、マガモ♀1、ハシブトガラス1、ドバト3、 新市楽池:バンひな1+親2、ハシボソガラス1

2025.7.18 14:50 曇り 風力0-1 8Cu020 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 中公園:アオサギ1、キンクロ♂1、ホシハジロ♀1、スズメ3+、 新市楽池:ハシブトガラス3-4

2025.7.19 16:35 曇り 風力1-2 8Cu020 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:マガモ♀1、ムクドリ10+、スズメ3+、(アゲハチョウ1) 新市楽池:バン1、(オオシオカラトンボ1)

2025.7.22 14:00 晴れ 那珂川市現人神社の野鳥 アオバズク1

2025.7.23 15:00 晴れ 風力0-1 6Cu030 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 バン親2+ヒナ5、キンクロハジロ♂1、マガモ3♂2♀1、ホシハジロ♀1、アオサギ1、スズメ2-3、

2025.7.25 15:00 晴れ 風力2-3 3Cu040 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 バン親2+ヒナ4、もう一つのバン親2+ヒナ3、キンクロハジロ♂1、ホシハジロ♀1、ハシブトガラス2、スズメ3+、ドバト3+

2025.7.30 14:30 晴れ 風力1-2 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ムクドリ20位、スズメ2ー3、 新市楽池:バン2(親、若)、(オオシオカラトンボ1)

2025.7.31 16:30 晴れ 風力1-2 2Cu040 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ムクドリ10位、スズメ1-2、 新市楽池:マガモ♂1

01hoshihajr0704aa1 02kawau0704aa 03banhina0714aa1 04ban0716aa1 05aosagi0716a 06magamomesu0719aa 07aobazk0722b0a1 08suzumehkg0723aa1 09mukudr0726aa1 10magamo0731aa1

写真は上左から  羽が異形で帰れないホシハジロ♀(7/4西ノ堤池)、カワウー手前のキンクロも傷ついていて帰れない(7/6西ノ堤池)、バン雛(7/14新市楽池)、バン親子(7/16西ノ堤池)、アオサギ(7/16西ノ堤池)、マガモ♀(7/19中公園)、アオバズク(7/22現人神社)、スズメ(7/23西ノ堤池)、ムクドリ(7/26中公園)、マガモ♂(7/31新市楽池)

| | コメント (0)

2025年8月 1日 (金)

昭和100年、戦後80年、プラザ合意40年

今年は昭和100年だ、戦後80年の声が大きいようだが切りのいい年だけに何々から何10年というと色々並ぶ気がする、個人的にもだ。昭和よりもう少し戻るところからいくと、日露戦争終結120年、昭和100年、太平洋戦争敗戦後80年、個人的には結婚50年、つくば博40年、日航機123便墜落から40年、プラザ合意から40年、地下鉄サリン30年、ウインドウズ95供給開始から30年、福知山線脱線事故から20年、とくる。60年はすぐには思い浮かばない、余りメリハリないが国産旅客機YS11就航から60年、くらいか、
並べてみると何やら見えてくるものがあったりする、戦争や事故の切れ目が目立つ、そんな意味ではベトナム戦争本格化(北爆開始、米軍投入)から60年、また ベトナム戦争終結から50年というのも日本の社会に少なからぬ影響を与えた点ではここに入れたほうがということにもなるかもしれない。
戦争以外ではプラザ合意と御巣鷹山事故から40年というのがちょっと気になる。御巣鷹山事故後、事故は米ボーイングの修理ミスで起こったと明言する米側の余りの潔さに当時少々違和感を覚えていたのを思い出す。今になって振り返ると40日後にプラザ合意で円高誘導という煮え湯を日本側に飲ませ円高不況となるのを覚悟させるという厳しいスケジュールが組まれていた時だっただけに米側が低姿勢に出て不利なことでも正直に語る信頼できる米国との印象を日本国民に与え日本側に飲ませやすくしたのではないか、と疑ってしまう。森永卓郎の陰謀論にはとても同意できないが、御巣鷹山事故とプラザ合意には何か関連がありそうなにおいを感じる。プラザ合意の後、予想を超える急激な円高に見舞われその結果日本には失われた30年がもたらされるに至るというのは歴史的事実でもある。米側にしてみればしてやったりの一幕なのではないか。

こんな風に時をさかのぼって思いを巡らすと、時はいくらあっても足りない気がしてくる。あと10年くらいかな、できて、もうあまり時間が残されていないという思いがつのる。

| | コメント (0)

« 2025年7月 | トップページ | 2025年9月 »