老司瓦窯遺跡に行ってみる
先月大野城市や春日市のエリアにある7-8世紀のウトグチ瓦窯跡などをみてそういえばもっと近くに老司瓦窯遺跡というのがあって一度行ったがよくわからなかったとの記憶があってあれは今どういう形の保存になっているのだろうと思い立って先週訪れてみた。観世音寺の瓦はここから出ていったと聞いたような気がする。
以前は老司公園に表示があったような気がしていたが今は少年院の入り口近くに看板が設置してあり片側をアスファルトで固められた斜面の上がそのあとのように見える。これがそうなんだろうがなんだかよくわからない遺跡だ。発掘調査報告書を探して読んでみなければならないだろう。
それにしても不思議な気がするのは東に続く老司老松神社の周辺に焼き物片のようなものが散乱しているのが見えたりするあたりだ、パッと見た目古い焼き物のようにも見えてしまう。神社の裏の丘が5基の古墳になっているようでここらは遺物だらけなのかもしれない。60年くらい前に奈多海岸に散乱していた土器片の様を思い起こしていた。これとは別に、遺跡の説明看板に書かれた地図に地蔵のマークがあったのでそこへ行ってみたが何もない、住宅になっているようだ。おそらく私有地で売却のあげく現在のような姿になったのだろう。福岡にもどると今も残るバブリイな空気感とともに古いものの痕跡は軽んじられているような空気を感じてしまう。開発優先にしないとどこも掘れないなにも作れないということなのだろう。古代の交易の中心となっていた鴻臚館跡は福岡城の一部になり旧陸軍の連隊本部がつくられ戦後は平和台球場が作られて西鉄ライオンズの本拠地として使われたりしていた、あんまりだというのか新球場に引っ越した後、やっと遺跡として保存されている。でも、現実にはこんな歴史への向き合い方の歴史はしょうがないのかもしれない。
もう少し福岡の古い時代の痕跡を探訪してみようか、そんなことを思っている。
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