神戸国際会館のコルトレーンの演奏が
このところコルトレーンの演奏を手持ちのCDで聴くことが多くなった、Jazzらしいというか居間がたちまちJazz喫茶の雰囲気を帯びてくる、というか そんなところがよくてそうなっているのかな、と思っている。記憶をたどるとコルトレーンは昔1度だけ死の前年に来日していて、その演奏を神戸国際会館まで聴きに行った覚えがある。まだ坊主頭の高校生で住んでいた西宮市の山手から夜にそんなところに一人で出かけるのはちょっと世間的にはどうなんだろうという思いを引きずっていたのも覚えている。でもアヴァンギャルドに変身したコルトレーンの生き方が謎のようでどうしても聞いてあるいは見ておかねばときつく思っていた。演奏は全く伝わってくるものがなかった、ステージで5人のプレイヤーが死にものぐるいのように演奏しているが聴衆の心に全く届いてこない、その隔絶感ばかりが心に強く残った。こんなコンサートもあるのだ、不思議な感じすらした記憶がある。最近になってネットを漂っていると、この神戸国際会館のコ
ルトレーンの演奏を客席で個人録音したものがCDとして売られているのに行き当たった、まさか、と思ったが著作権期間が50年であった頃著作権が一旦切れておりその後法改正で70年に延長されてももう切れたままの状態となってこんなことが可能になったように思える。とにかくネットで発注すると数日で送られてきた。音は良くない、ふつうのCDに慣れた耳にはこれ何、と思えるくらいだ。ともかく聴くとあの時感じた隔絶感は少し和らいでいる、当時よりアヴァンギャルドを色々聴かされた結果こんなものだよなと思えるように頭がなっているようだ。でもコルトレーンとファラオサンダースの2本のテナーサックスの聞き分けができない、それを手掛かりを求めてしつこく聞く気にはなれない、音の塊を感じる記念碑で十分ではないか、そんな気がしている。
神戸国際会館で聴いた翌年東京で大学生活をはじめたばかりのある日 巨星墜つ の垂れ幕が渋谷道玄坂のビルから下がった、コルトレーンが死んだのだ、Jazz喫茶はどこもコルトレーンばかりをかけていた。
Jazzという思い出に浸り続ける日々が過ぎていく。
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