電気温水器が動かなくなって自分の寿命を思う
3週間ほど前、朝顔を洗おうとお湯の栓をひねるが一向にお湯が出ない。突然電気温水器が機能しなくなったということのようだ。これは困るが何しろ深夜電力なので時間外となる普通の時間には現状のチェックができない。電源スイッチや冬夏切り替えのスイッチをぱちぱち切り替えてみるが無論何の反応もない。とにかく維持点検を担当している業者を呼ぶが翌日という。
お湯が出ないのは困るものの風呂はガス追い炊きで沸かせるので何とかなる。次の日になるとまた温水器が動き始めてお湯が出ている、スイッチのOnOffをぱちぱちやったのが良かったのだろうか。約束通り午前10時頃に業者がきてもうかなり古いものだから部品もなく修理は無理だエコキュートに換えるべきだと結構な見積もりを提示して帰る。ウーンという感じでここは合い見積もりをと別の業者を呼んでエコキュートでない機器に交換した場合の見積もりを取る、エコキュートだと電線の引き直しや配電盤の変更が必要でこれがないのもあって先ほどの6割くらいになるがそれでも高い。やっぱりウーンという状態で夜ネットで探す。とにかく温水器は普段通り動いているので危機感は薄らいでのんびり見積もりを取っては見比べ考えるのを暫くやっていると、折込チラシに安いエコキュートの広告が入ってきたりしてまたこの業者をよんで見積もらせてみたりする、エコキュートにしてもガスの追い炊きは残したいが、とかだんだん面倒になってきて、冬までになんとかすればいいか、と暫くほっている。
電気温水器が動かなくなって、ボロボロ壊れていく身の回りのインフラがあたかも自分自身のこととのように思えて、なんだかこうやって人の寿命も尽きていくのかな、と思えてくる、そういうことなのだろう、すべてのものには終わりが来る。命も”もの”に戻ってまた宇宙の一部に帰っていく。
でも(ソフトウエアや考えのような)”もの”ではないものはいったいどうなっていくのだろうか、無に帰するのだろうか、よくわからない、そんなことに思いめぐらせる日々が続いていく。
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