記憶の容量が
つい先日みずほ銀行から書類が送られてきて何だろうとみると通帳記帳時に一括合算記載となっていた部分の明細だった、たしかにこれは半月くらい前に請求していた記憶がある。パラパラ見ていくとよくわからないUCへの770円の出金が毎月記載されているのが気になった、去年の6月までは275円だったものが7月から急に3倍近くになっている、年にすると1万円近い、会費にしてはちょっとしたものだ、とにかく調べようとする。UCとはなんのことだろう、銀行カードがUCのカードを兼ねている形であり自分自身からの請求とは銀行の何かのオプション契約を勘違いでしたのかと思いめぐらすがよくわからない、お客様サービスに電話しようとしてもオペレーター受付には長い順番待ちができていて待てども一向につながらない。ネットで何かわかるかとUCカードとしての請求明細がわかるかと調べてみる、改めて登録をして明細が見れるようにしようとしてみると、これができてアットニフティからの請求とわかる、Niftyだ。Niftyはメールサービスだけにしていて低い料金だったはずだがと料金表を見るとココログのオプションパックでは770円というのが現れる、ここまできてやっと去年の5月頃ココログの容量が3GBの上限に近づいて5GB契約に変えたことを思い出した、忘れていただけだった。ともかく1日くらいあれこれ思いめぐらしていたのが氷解したがちょっと情けない。それにしても本日現在生きていることは記憶の連鎖だということに思いが至った、パソコンの中に文書で残しても文書があることを忘れていてはないも同然だということになる、多くのことがパソコンやスマホに記憶されて色々楽になっているがすべては頭のどこかに連鎖のかけらでも残っていることが前提の社会の仕組みになっているような気がしている。どこかでついていけなくなるかもしれない。
記憶についてはこれとは少し別のことを今思っている。つい先ほど図書館から長く借
りていたグレゴリー・ケズナジャットの小説「開墾地」を読んだ(著者は日本語で小説を書く外国人作家として知られ芥川賞候補にも2度ノミネートされている)。借り出した当初に読んだ記憶があって、返す前に見直すか、とパラパラ読みはじめたが驚くことに読んだという記憶がほとんど蘇らない。初めての文章に出会った思いがする、90ページくらいの本なので1時間+くらいで読み終えたがその思いに変わりがない、かすかに覚えている前回の読後感は本人の経験そのものを小説にしているな、というものだった、そこは同じだが内容についてはあらすじレベルでも記憶が戻らない。脳がもう容量の上限に達しているかのようだ、ここには無論オプション契約はない。そのうち脳そのもののオプション契約のような容量アップの方法を考え出す人が現れるかもしれない、そうなればいいな、と思ってしまう、人類はこれができればさらなる発展を成し遂げることになるのだろう。とてもその姿は見れないだろうが。











