2026年1月24日 (土)

579の句を作ってみる

寝る前に俳句をひとつと和歌をひとつまねごとのように書いているが、575にとらわれるのもなんだか古臭いにおいがしてきて、ここは新しい形はないものかとの気がしている。今思いついているのは俳句の575ではなく579の句というのがあるのではないかというあたりだ。575はまとまりがよすぎて広がっていく感じに少し乏しくなるようにも感じている。577というより579まで下を広げると新しい世界ができてくるかなとも思って試しに作ってみる。

突き刺さる寒風を受くなにくそこれくらい

白梅は密かに開き春の一番乗り2026012712utc250mwind

寒波来る極渦こぼれ北極今ここに

俳句のしまりのある感じがなくなって少しばかりとらわれなくなっているところが面白いと言えばそうだ。好きずきだ。

もしかして他でもこんな試みをする人がもういてるのかもしれないとNetで探したりAIに調べさせたりしてみるが今のところ見つからない、

もう少しこの579の57句で遊んでみようかと思っている。

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2026年1月20日 (火)

2026年の1月が過ぎていくー白梅と確定申告と放送大学

庭の白梅が1輪開花しているのを今日見つけた。見つけにくい位置だったので昨日開花していたのかもしれない。いつも思うのだがこの庭の白梅の開花は大宰府の飛梅の開花(今年は昨日開花)とほとんどUme0120aa1 同じだ、何か不思議だ。飛梅は古くからひこばえを植え継いできたと言われており始まりは恐ろしく古いようだ。庭の梅は何時からこの家にやってきたのかわからない梅だが、もしかして飛梅と遺伝子がつながっているのかもしれない、そう考えるとなんだか有難みがわいてくる。
今年もよいことがありますように。

放送大学の、うけている講座科目の単位認定試験を2日前にNet受験して、引き続きやっとの思いで今日所得税の確定申告をNet提出した。このところ1月はこの日程で忙しい。放送大学は受講料を納めて学生として受講するのは試験を受けられるからといってもいい、試験を受けない通信講座は直ぐにまじめに学ばなくなってしまう、試験を受けるとなるときっちり見直して過去問も公表されている分は解いてみたりする、頭に入り方が全然違う。確定申告のほうは所有している株式の配当の天引きされている税金を取り戻すのが主目的だ。毎年数万円は戻ってくるのでやらない手はない。資料がそろうのが今頃なのでどうしてもこの時期は忙しくなってしまう。どちらも頭を結構回転させねばならないのでボケ防止には十分役立つが、そろそろしんどくなってきた。手順もうろ覚えになってきてやっとの思いというのが実感だ。いつまで続けられるだろうか。

こんな風にして今年の1月も過ぎていく。とにかく時はきっちり進んでいく、そればかりが頼もしく思えてくる今日この頃だ。

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2026年1月15日 (木)

放送大学で「新興アジアの政治と経済」というのを学んでみた

2025年度下期に放送大学でとっていた講座「新興アジアの政治と経済」は講義の放送も終わり最後の試験に備えてまとめ中だが、見直していくと今の世界の情勢を理解するのに重要な知識がぽろぽろ出てきて確かにためになる。ラジオ放送での講座だがテレビ電波でのラジオ放送になり録画機器では録音することができず結局インターネット配信を録音アプリで録音するということになる、今回はMoo0 音声録音機 というアプリを使ってみた、配信放送を聴きながら問題なくSajia2 録音できる。しかしともかくラジオ講座もテレビ講座も受講料は同じ料金なので何だか損した気分になる。毎回45分の講義だがテキストに沿った講義は前半の30分くらいで後は共同講師となっている方のテキストにはない説明が続く。この部分は特に録音しておかないと後で何だったんだっけとなってしまう、結構重要な内容もある。例えば顕在化する格差の講義では、このテキストのない部分で、工業化は格差を減じデジタル化は格差を拡大する、という説明がなされる。高いスキルの教育を受けていない人は高い賃金が得られずデジタル化の進行でこの傾向が強まるというのが論点だが、本当にそうだろうか、米国でそうだからどこでもそうだと言っているだけではないのだろうか、米国はそんな傾向を昔から感じるが日本の社会はまた別の力学があるような気がする、そこのところをきちんとデータで示して議論が展開するのではないようで、こんな議論で世の中がわかった気になっていることそのものがいびつな社会になっていっている現れだとも感じてしまう。社会経済学的な学問分野は解明が十分になされていないことで満ちているようにも感じてしまう。
こんな疑問というかテーマというかそんなものに満ちた講座であって本当に勉強になるとはこのことなのだろう、試験の評価などどうでもいいことのように思えてくる。やはり学ぶことはすこぶる楽しい。

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2025年12月29日 (月)

クルマのドアを開けようとするが開かない,メカニカルキーでも開かない

2日ほど前、午後図書館と買い物に出かけようとクルマのドアを開けようとするが開かない、電子キーの電池切れかと電子キーからメカニカルキーを取り出して鍵を開けようとするがやはり開かない。こんなことは初めてだ。スバル長丘に電話すると定休日とのアナウンスだ、テープで紹介されるスバルサービス(安心ホットライン)に電話する。人が出てやり取りするが開かないのはどうにも解決できない。保険会社のロードサービスにつなげるというのでソニー損保だというとそのままつないでくれる。状況を話してロードサービスに来てもらうように手配、1時間くらいして現れる、女性1人だ。それまでにキーの電池も近くのセブンに歩いて行って調達して替えておく。替えても状況は変わらずだ。ロードサービスが到着して早速ピッキングにかかる。言われてみて気づいたが室内灯がついている、ナンバープレートのランプもついている、調べると最後に車を使ったのは4日前の午後のようでそれからつきっぱなしということのようだ。ロードサービスはしつこくピックの針のような器具でメカニカルキーの差込口から中をつついている、こんなんでできるのかなと思っていたが、開きました、とくる、見事ドアが開いた。バッテリーあがりが疑わしいのでランプ類はすべて消灯を確かめてロードサービス持参の電源につないでエンジンスタートする。問題なくかかる。クルマのバッテリー系に戻しエンジンアイドルで充電をはじめる。1時間半くらいで充電します、と言い残してロードサービスは去る、立派な仕事ぶりだ。クルマのドアはメカニカルキーでロックしてエンジンを回し続ける。クルマのバッテリーが生きてればメカニカルキーも正常に解施錠できるようだ。どうもキーのバッテリーが上がっていたため施錠が完全にはなされずにシャットダウンしたつもりがクルマの電源は切れておらずバッテリーが上がり解錠ができなくなったということのようだ。これは怖い。
ひとまず解決したがまだ充電中なので買い物は止めてあるもので夕食つくり。冷凍品や買い置きでなんとかなる。食後、1時間半は過ぎたので、エンジンを切って再スタートさせてみる、問題なくかかる、解決だ。クリスマスイブなので食後セブンにケーキ買いに歩いて行く。
しんどいクリスマスイブだったが何とか乗り切れた、何かの加護があったのかもしれない、こんなこともある。

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2025年8月16日 (土)

福岡の菊池神社が気になるー時代の変わり目に菊池の亡霊が姿を現すようで

近くに菊池神社というのがあって少し気になって調べている。気になったのはTSMCの半導体工場が熊本・菊池のあたりにくることになったいうあたりからだ。正確には菊池市の南隣の菊陽町にくるのだが、まあ昔の豪族菊池氏が本拠にしていた菊池エリアの一部といってもいい。
今やTSMCの半導体工場の熊本・菊陽町エリアへの進出は本格的に九州の経済に効いてきたようで 、Kikuchijinjya1a ともかく最近は熊本市内は道が混んでばかりのようだ。この地に来たのは幾つかあるが特に熊本の水がいいからだと説明されている、北隣の菊池市の菊池渓谷は確かに気持ちのいい景観だ、しかし大工場に水を供給し続けるほどかとも思っていた。
菊陽町はもと菊池郡の津田村、原水村および上益城郡白水村が合併してできてた菊池エリアの南部にあたる、川の流水域としては白川の流水域となっていて、菊池渓谷を形成する菊池川水域ではないようだ。TSMCの半導体工場に供給される地下水はもとは白川の水ということになり確かにこれはいかにも水量がありそうに思える。菊池氏の本拠があったのは菊池川沿いのあたりで、どうやら今回のTSMCとはつながってこないようにも見える、でも気になる。
とにかく福岡の自宅近くにある菊池神社は現在の場所とどういうつながりかなと調べ始める、結構深い感じがしてきてそういうことかということにいくつも遭遇する。
この神社に祭られているのは菊池武時となっていて、菊池氏一族公式ウエブサイトでは菊池氏第12代当主とある。現地説明版やWikipedia記述をみると、菊池氏は元は大宰府勤めになった藤原氏の末裔ということのようで菊池地域に住むようになったので菊池氏と称していて、今の菊池市の中心部あたりに本拠があったようだ。
これとは別に、7世紀には白村江の敗戦で北部九州にも侵略が伸びるかもしれないというので急遽防御用の山城が大和朝廷によりあちこちに建設されたがそのうちの一つ、鞠智(きくち)城というのが山鹿あたりに建設されていてその名が菊池のもとになったような気がしている。
読み方はもとは きくち ではなく くくち であったという説が有力のようで、長い年月が菊池の地名を作り菊池氏を生んだということのようにも解釈できる気がしている。
菊池武時がこの地に祭られることになった経緯は、鎌倉時代末期の1333年、隠岐を脱出した後醍醐天皇が発した綸旨に呼応して菊池武時は倒幕の兵をあげ鎮西探題に攻めよせた、この時大友や少弐が寝返って鎌倉側についたため菊池は敗れ武時は討ち死にした。この時遺体を埋めたのがこの菊池神社の地であったとされ江戸時代に墓碑がたてられ明治になって社殿が建てられた。ここは胴体が埋められた首は北の六本松あたりに埋められたとのい伝えがあり首を埋めたとされるところには首塚(菊池霊社)が造られている。武時の敗れた2か月後、尊氏が京都六波羅探題を落としたとの報に接した大友・少弐は今度は自らが鎮西探題を攻めこれを落としている。どうやら倒幕には賛成だが菊池の手柄にさせたくないとの思いがあったのではないかと想像される。3年後都を追われた尊氏軍は大友の助けで九州まで船で落ち延びここで少弐の支援を受けて博多・多々良浜で宮側(南朝)についた菊池軍と戦う(多々良浜の戦い)、これに勝利した尊氏は再び京に攻め上り室町幕府を開く。その20年後九州の南朝勢力、懐良親王=菊池氏 と北朝側の少弐氏・大友氏 を中心とする2つの勢力が筑後川で激突(筑後川の決戦)、今回は南朝側が勝利して以降しばらくは九州では南朝中心の時代となる。その後菊池氏は戦国時代大友との争いに敗れていき16世紀半ばで滅亡する。ただ、一族にはのちに西郷隆盛を出した西郷氏も属しており、この後も連綿と人材を出し続けたと思われる。西郷をはじめとする明治新政府を支えたメンバーには南朝を正統とみる立場のものが多くいたようで、この福岡の菊池神社が神社として体裁を整えたのも明治政府が立ち上がった直後のことであり(明治2年)、またその後も明治政府は、南朝を正統とするとの政府見解をわざわざ公表するという挙にも出ている。こんなのを見ていると、どこか時代を変えようとするとき九州では菊池の亡霊が姿を現すような気がしてくる。TSMCの件にもこんな影を見てしまうのは考えすぎなのだろうか。

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2025年7月 6日 (日)

東京都美術館のミロ展を見る、どこか印象が薄いのはなぜだろう

京に一年ぶりに訪れた合間に上野公園の東京都美術館で開催中のミロ展に行った。この日は昼に根津駅近くで2つ目の同期会があり行きがけによればちょうどよさそうだと事前にネットで予約しておいた、例によって放送大学の学割だ。9時半開館でその5分くらい前に到着したがもう入場を始めていて一切並ぶことなく入場できた、これは助かった、この炎天下屋外の行列は恐怖だ。バルセロナのモンジュイックの丘にあるミロ美術館には17年前のスペイン旅行で訪れてみたが休館だったという淡い思い出がある。今度はすんなり入Miroten れて見始める。フームという感じ。23才でパリに出るその前から線と面にこだわっているように見える、色数にも当然こだわっている。ミロの特徴的な線画+囲い面では面の色は3-4色に限定されているように見える。
普通の絵はスケッチによる線があってその囲んだところを塗る塗り絵という意識がどうしても感じられてこれを破る絵を求めていたような気がしてくる、線のためだけに線を引いている面のためだけに面を塗る感じだ。こんな見方は所詮勝手に思っているだけだが絵と対話しているような気になって面白い。でもどこか印象が薄いのはなぜだろうとも思ってしまう。
これは図録を買うべきかと思ったが重いので戻って通販で買うことにする、送料はしょうがない。このあとのスケジュールの根津駅近くのレストランまでは途中コミュニティバス「めぐりん」を利用する、ネットの経路検索に出てきてちょうどいい。ぴったり座れるくらいの人が利用していて、便利な世の中だと感じる。酷暑の時期に東京を動き回るのはもう限界かなと思っていたが何とかなるように世の中ができているようだ。
また新しいことを感じ新しい体験をした、東京でコロナをもらったがこれすら新しい体験に今では思えている。こんな旅をいつまで続けられるだろうか。

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2025年5月18日 (日)

「正多面体と素数」

放送大学の講座は今期は「正多面体と素数」という謎めいたタイトルにひかれたのもあってこれを取ってみた。なんとなく数学らしい数学との印象があった。少し前に量子物理を学んでいたときに、自然の中に隠されている数字の秩序というものが気になっていたのもある、数字そのものがこの世界を形作る重要なピースになっているようだとの感触もあった。このころ数学はあこがれてはいるもののどこか自分との相性が良くないように感じてはいた、年を取ってくるとその感が強くなってきている、そうはいっても、何とかなるだろうと思っていた。始まってみるとすぐに何ともならないなと感Housoudgk2501 じてしまう。テレビで放映される講義そのものも、教科書とだいぶ違うのもあって、正面から向き合ったことのなかった群論に話の重点がうつると、ついていけない感が強まってしまう。目の前で語られていることのどこが正多角形の議論につながるのかが見えなくなる、何のためにここを学んでいるのか見えなくなる。今の時期は通信指導の時期で、投げかけられた問いに自分なりに考えて回答をWeb経由で提出する必要がある。今回出された問いは証明を含む記述が求められていた、教科書や参考書やWebを漁りながらやっとの思いで回答案を作る。とても試験のように自力のみでは回答は作れない。通信指導でこれほど引っかかるのは初めてだ。新しい世界へ入っていくわくわく感はとうになく、これは選択を誤ったかなという当惑のような感触がつきまとう。
やはり歳には勝てないな、そうも思いたくなる。
ともかく走れるだけは走ってみよう。

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2025年5月12日 (月)

アセモグルの「自由の命運」を読んでトランプの行く末を思う

アセモグルが昨年秋ノーベル賞経済学賞を受賞したと聞いて、何か読むべきかと、図書館から「自由の命運」という上下2冊の厚い本を借り出して読んでいたが、長いだけに集中が続かず、やっとの思いで先週読み終えた。2019年11月に書き上げられた本で、最新というわけではないが、はやりものでもないのでこれくらいは最近の著作といっても誤差の内だろう。今我々が良いと思っている自由な社会国家の状況はどうやってここまでたどり着いたのだろうか、どうなっていくのだろうか、を歴史的に又は社会学的に考察した本だ。キーワードは国家と社会、赤の女王効果、回廊、足枷のリヴァAsemoguru イアサン、といった言葉になる。国家と社会が互いに競争するように高めあい続ける、すなわち赤の女王効果(その場にとどまるには思いっきり走り続けねばならないという「鏡の国のアリス」の赤の女王の言葉による)で、走り続けて均衡を保ちつつ「足枷のリヴァイアサン」(権力者の権力を制限した状態)に向かって、社会の力と国家の力がバランスの取れた状態の「回廊」の内側を進むことができる、と説明している。この中で具体的な例をいくつも上げているが、興味深い分析の一つが当時の先進的な民主制であるワイマール体制からナチスの一党独裁が現れてくる過程だ。ここでは国家と社会が競争しあうのではなく互いにつぶしあう赤の女王のゼロサム化が起こり、ナチ党のような偏った勢力の拡大を半ば助けた形になっていったというのだ。この結果「足枷のリヴァイアサン」ではなく「専横のリヴァイアサン」へ向かって回廊から出てしまったということになる。複雑な社会現象を見切るシンプルな目を与えてくれる意味でこういう見方は確かに貴重に思える、さすがだ。
このところのトランプ政権の極端な関税政策などの動きもこんな見方からすると赤の女王のゼロサム化に向かっているように感じる、結局は誰も得をしないことを政権は力で押している、どこに向かっているのだろうか。アセモグルの言う回廊の真ん中ではないことは確かなようだ。回廊から逸れてしまうであろう4年間の任期のあとがどうなるかそこが本当の問題ということになるのかもしれない。

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2025年3月19日 (水)

SDカードが壊れて

毎日撮った写真をインスタにアップしている、もう数年こんなことを続けている、ほぼ日記代わりだ。最近ちょっと悩まされていたことの一つに、日々の写真撮影に多用しているコンパクトデジカメに入れたSDカードがある日突然認識されなくなったということがあった。パソコンに入れても認識しない、読みだせなくなってしまった。ほとんどの映像はすでにパソコンに移してあるので実害は大したことではないが、やはり突然こんなことが起こると不愉快だ。落ち着いて件のSDカードをながめていじったりしているとロックのつまみがポロリと取れてしまった、あれっという感じで、つまみの周りをよく見るとつまみのある辺の上のヘリのプラスチックも取れている、どうもつくりの良くない製品だったようだ。名のあるメーカーの製品だけれども、もともとネットで信じられないくらい安い価格(64GBで数百円、送料無料)で売られていたものだけに、そんなこともあるのかもしれないと思ってしまう。何とか回復する方法はないかとネットで探ると、ロックつまみが取れた場合はその部分にセロテープを貼ってやると認識することがあるとある。ロック解除の位置が何かで埋まっていればいいということらしい。分解した写真もあってロック機構はSDカードの電気的部分とは独立しているようだ。すぐにやってみると別のカメラでは認識し始めたがそもそものコンデジカメラやパソコンでは認識しない。テープでだめならエポキシで埋めてしまうという例も紹介されていたのでこれも早速プラモ用エポキシ接着剤をネットで取り寄せて試みる。成形ができるので欠損が見られたロックの上のヘリの部分もそれらしくナイフも使いながら作ってみる。完ぺきではないが細かい作業なのでやれるだけやってみて、コンデジカメラに入れてみるがやはり認識しない、しかしパソコンでは認識し始めた。修理部分のせいでパソコンのSDカード挿入部が詰まってしまうと嫌Sdcard0319a21a3a なので念のためUSB接続のSDカードリーダーも手配しておいた、こちらでもすんなり認識できる。とにかく今までの記録は読み出せ、コンデジには新しいカードを用いれば今後の撮影記録には問題はない、一応めでたしだ。それにしてもSDカードのプラスチックの脆さでデジカメ記録が一瞬で失われかねないというのは怖い、こんなことはそこここにありそうだ、なんというか、そもそもこの世がうまく動いているのはこまごまとした脆い物たちがうまく機能しているためで、そんなものはいつ潰えるかもしれないと思い知るべきだ、と学んだ気がする。年とともにその傾向は強くなっているような気もする、少しは賢くなった。春の嵐の一日が過ぎていく。(添付は補修したSD,左端上半分に欠損ありエポキシ埋めとテープはり、この状態ではパソコンで読める)

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2024年12月30日 (月)

わからないまま終わってしまった放送大学の量子物理学演習

放送大学で今期とっていたオンライン講座の量子力学演習はつい数日前レポートも出し終えすべての講義ごとの小テストも終えて、ひとまずお終いとなったがどうにもわかったという気がしてこない。これは無理だったかなという所へちょうどNHKスペシャル「量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」というのが放送されるとあり見た方がいいような気がして録画してみてみた。最も印象的なのはノーベル賞受賞の量子物理学者がわからないという言葉を次々に発しているところだ。なRyousiんでこうなの、これはなんなの というような意味合いで量子力学は飲み込むしかないことで満ちているというのだ。そもそもこの番組の説明でも量子もつれとはなんなのかがわかるようにはとても作られていない気がする。(説明に使われる、だるまさんがころんだ、という遊びが少なくとも九州では子供のころそういう呼び名では全くなかった、これは関東地方が世界の中心にいるような番組だ、と引っかかって受け入れにくいつくりになっているように感じたのもあるにはあるが)。
放送大学の講義も特に後半の講師の淡々とした、これはこうなります、という形で押される講義がとてもついて行けず、教え方もあるのかなと思っていたらノーベル章学者からも量子物理はわからないと似たような言葉が出てきてあれっと思う反面どちらかというとちょっと安心した気もした。そういう世界全体が量子物理の核となっているのかなとも思ってしまう。量子力学で説明されてきたことがある日突然そうではなかったと言われるような日が来るかもしれない、そんな気さえしてしまう。

まだしばらく余韻を楽しめそうだ、ここらが量子力学の面白いところなのだろう。

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