2026年4月 4日 (土)

2026年3月の俳句・短歌・579句

ほぼ毎日1句づつ書いている俳句・短歌・579の句の2026年3月分です。読み返すと飛び去った日々がよみがえる思いがします。

俳句

雨なれば花見散歩の心地よさ

ダイサギの青き目先に春の風

いつならば今年の花見かなうかな

北帰行池に寂しさ残しおり

ボケの花雲の流れが速すぎる

春来たり今年の花見はどこででも

桜咲くミネストローネ鮭切身

藪ツグミウグイス真似のぐぜり鳴き

ダイサギも名残惜しそう緩やかに

ハナモモの盛りとなりぬ花曇り

寂しげに飛び回る春シジュウカラ

カワラヒワ渡り鳥去りて我が天下

レンギョウのしぶとく咲きて春ひたる

花開く几帳面なりヒヤシンス

モクレンの空を覆いて咲きにけり

鳥春にカイツブリにも夏の羽根

ふとみれば柊南天そっと咲き

梅散りて鳥は北へと子作りに

ヒヨドリの静かになりて来る春

ムスカリの青き花咲き新たな春が

シジュウカラ集まれ鳴きで春めきぬ

眠い春寝不足ばかりひもすがら

ストックは夏以外花というべき

鳥かえりヒマラヤの花庭に咲く

カモたちはそれぞれに構ゆ北帰行

花紛れ密かに開くオキザリス


短歌

ウイークデイ雨の花見の人まばら規制がどこか空しく見えて

テレビよりNet配信見てしまうさて新しき時代になりぬ

花すくなスケジュール花見やはり無理そこが花見のいいところかな

残るのはあと10年と少しかな何もできずに過ぎていくかも

ぼけてくる自分の座標調べだす もう時間ない何もわからず

満開のさくら眺めつ追いつけず季節あまりに足が速くて

春の雨天から落ちるやわらかさ命のもとを与えるように

桃の香は漂いもせず多賀神社数は多けど小ぶりモモノキ

おだやかな海を漂うように生くこれで悔いないそういいきかせ

ひもすがら料理つくりで過ごしけり生きてることの素晴らしきかな

庭の木に命のきずな見えてくるそろそろ命も消えつつあるな

ひさしぶりLoveSupreme浸ったりつかの間の解放感それがよくて

一日は介護の話ですぐ終わるあしたもこれがつづくばかり

負けたれどWBCそれもよしあのベネズエラつぶしたくない

桃の木を探し求めてさまよえりもう花桃は過ぎたと冷たき

いそがしく動き回りて春らしいカイツブリも夏羽になる

何だか物足りない時が逃げていく追いかけもせず眺め続くか

大宰府のうめもみごろは過ぎ行きて梅が枝餅の季節なりけり 

春が来た寒さ残れど春が来たコガモは帰る準備ばかりに

胃が重く食べすぎ続き逃げ場なしもっと気楽に生きなければな

読んでみた芥川賞今度のは新しいけど面白くない

春の雨しみわたるよう降りてくる水鳥の毛にはじかれつつも

新しきipadと今格闘中セキュリティから面倒増える

鳥たちの居なくなった森寂しくてヒヨドリさえも懐かしく思う

面倒をみきれなくなる自分あり悩みながらこのままいくのか

AIと議論やり取り時間取る簡単には折伏されない


579の句

人混みの無きもわびしき花見の雨散歩

春の雨しみる雨音柔らかく伝わり

鳥もこず花の話題ですぎゆく3月

マガモ雄2羽で旅立つうらやましさもあり

叫びという芥川賞読んでわかるものでもないな

身をゆだね忙しき春に流されていきけり

雨落ちる何もできずに春は気ぜわしくて

ホーホケキョかすかな声とツグミ茂みの中

かの地では夏のようなりサンフランシスコ

ダイサギもまだ残りけり小さきため池に

アメリカのはなをあかせしベネズエラよくやった

こんな日はこれこれと言ってビーフストロガノフ

頭上よりピーひょろろトビ来る春らし

通販で次々に買うそんな気の日もあり

ブラームス素晴らしきかなピアノ曲奥深し

このところ話すは家内社会と切れてるな

レンジャクの姿みられず季節は足早に

食べきれぬ食事の連鎖残り物処分な

見てしまうWBC勝つ姿ネトフリ

ipad新たにしたがまだ慣れぬ春の日

春夕べまた作りたりビーフストロガノフ

どこでみる介護認定わかりづらいのがね

眠れない夜はひたひた覆いつくすように

春が来る波打つように春また押し寄せる

3月がそれらしく明け今日から春本番

 

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2026年3月 1日 (日)

2026年2月の俳句・短歌・579句

毎日1つづつ気の向くままになぐり書いている 俳句、短歌のようなもの、それに最近始めた57句(579の句)2月分。時々字余りになる、それも面白い。読み返すと2月がそのまま蘇ってくる。


俳句 (ルリビタキ空)

もう春がハシビロガモの迷い浮く

片隅にぽつりと咲いて沈丁花

カモ消えてさやかに気づく春が来た

ホクシアの花熱帯の気を込める

レンジャクは未だ見えずにイカル等と

ふと見れば笑うようにてユキヤナギ

風荒れて鳥忙しく春近し

小春日ともーう呼べないうららかさKizuisen0220aa1

バタ臭いような気もするキズイセン

ツバキ咲く遅れた春はどっときそう

ダイサギの振り向きざまの飾り羽

梅の香もしたようなほど天満宮

のんびりとハクセキレイも春散歩

満開の梅誇らしげ庭照らす

雲低しコサギの一羽春予感

寒暖の波に遊ばれ春近し

冬なれど平気で水浴びヒドリガモ

オオバンや川面のさざめき春の予兆

ジョウビタキ長旅控えのんびりと

晴れわたる雲なき空はうら寒し

風邪をひき布団かぶるも選挙荒れ

カササギの居ついたようで冬嵐

天めざし何を思うか冬のバラ

冬らしくない派手さありカンアヤメ

髪を切る他に客ない春床屋

松原にカワラヒワひらひら浮いて

めくるよう梅開きゆき春見えて

やっと咲く白きスイセン春ちかし


短歌

響かない会社の続きのような本 昔の日々は飛び去りており

めぐみ雨散歩できずにうちばかり本は読めるしブログもかける

冬鳥は消えゆきておりため池は河津桜の満開包み

一日が雨で流れつ過ぎていく緩やかに来る終わりが見えて

室見川河口に群れるスズガモのどこか寂しい冬の終わりが

緩い時流れて行きぬこれこそが望んでいたもの望む生き方

広縁でひなたぼっこして鳥を見る本を読んだり気ままな時間

冬鳥の静かに去りつ街の池季節はよどみなく進みおり

老いること素直になれない人ばかりちょっと臭いぜ慎太郎さん

なにもない何もしない日幸せが溢れるようにあたりを覆う

あせりあり残り時間をなくしつつ何のために生きているのだろうか

中国語ばかりが聞こえ天満宮何かを無くしてしまったような

春めけば雑事あれこれ片づきて体の動き良くなってきたよう

春が来るいいことないな春が来る生きてる意味の無意味さばかり

森静か嵐の予兆沁みわたる空騒ぎだけのヒヨドリ空し

つかれくる介護保険の更新が本質何か見えにくいよう

高齢の免許更新一苦労認知試験に高額講習

マーラーの人生を語るような第9番こうだよなあと慨嘆するくらいリアル

来てみれば城址の梅の品の良さこれは価値あり郷土の宝

寒ければ鳥も姿を隠し気味庭はスズメのお宿になりても

過ぎていく時のさざめき心地よく無為にまどろむ贅沢次元

ジャズだった昔の記憶湧いてくるどんな人生だったのか

投票日大寒波予想これは無理事前投票の列に並びぬ

パソコンを間違え続く気象処理今まで何をやってきたのか

久しぶりすき焼きつくる夕まぐれ糸コンあればなんとかなるな

海見たし赴くままに松原へ何だか広くない海がある

一月の野鳥記録を整理する何事もなく時が流れる

ひたひたとビデオはたまりゆくばかりいつ見れるだろうか気が重い


57句(579の句)

過ぎ行きて今日で終わりか短き日々2月

春めいてやること多しもう寝なくちゃ遅い

記帳にて解らぬ数字記憶のはかなさよ

老いゆくは遅くなることそう思えてくる日々

水仙も終わりかけつつその角まで春が

寝付かれず春がそこまで文が書けなくなって

ついに来た春一番のなま暖かき風

汗ばみて春がここまでもう来てしまったな

来期からはじめることは2月から動いて

松を切る暴れるような松をばねじふせる

春めいて何やかにやで夜更かししてしまう

近寄れば梅の香りが満開というよう

シジュウカラしゃべるというより掛け声の連鎖が

庭梅のはなびら土に帰りたがってるよう

雨近しスズメのこもる植え込み騒がしく

小春日に鯉と遊ぶはのんきなヒドリガモ

うんざりの介護保険に絡まる人と人

思い出す昔の街を徘徊した時代

やどりぎにレンジャク見えず難しいか今年

人生は雑事ばかりの重なり合わせかな

梅開く満開まではまだまだ長い空

混んでいる選挙のせいか明日はどうなるだろう

列長し寒波におびえ期日前投票

安売り日カート出払い右往左往のスーパー

うとうととこの眠いのは近づく春のせい

海がいいどうであっても海に向かいたくて

寒い風普通の冬を何時ものように連れ

図書館のルール変わりて本に振り回される

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2026年2月 2日 (月)

2026年1月の俳句・短歌・579句

ほぼ毎日書きなぐっている俳句・短歌のようなもの および月の途中から新しく始めてみた579句の1月分。その時感じたことが焼きついていて、読み返すと、そうだった と感じ直すところが面白い。

俳句 (ルリビタキ空)

荒れ模様時代を映す初詣

冬深しまたヒヨドリの騒ぎおり

ホトトギス密かに開く冬の庭 
  
毒のあるシロヤマブキの作戦が

ウグイスの地鳴きの声も懐かしき

買ってきた七草がゆの塩辛さ

正月にカササギペアがおめでとう

満席のニューイヤーコンあけまして

ロウバイもピカピカになり寒まさる

つぼみには春を潜めて庭の梅

サボテンの春の予感がまぶしくて

小春日やカワウ羽根開け風和む

小春日の池賑やかに鳥動く

つわぶきのわたげも少し疲れぎみ

春近し青子の池にコガモ浮く

寒菊の咲き誇りたり侘びた庭

白梅の密かに開く寒さかな

メジロきて一月らしい空の色

突き刺さる寒気弱まる体撃ち

アオサギも葦を頼りに寒波耐ゆ

ダイサギはうれしそうなり冬の池

アオジ来るマガモは去って冬嵐

重い雲スズメのなる木冬景色

この梅はどこから飛びし梅かいな

キンクロは相手ができて冬の池

サザンカもこれが最後か春じわり

日差し良し布団干してや夜おでん


短歌

寝坊して初日の出には遅れしが昇る朝日は自信ありげに

正月もあに休まらずがたぴしと暇なし老人それもまたよし

暇なのに時間が足りないそればかり残り時間がとにかく足りず

3が日過ぎても雑煮抜けられず餅はあるだけ使うほかなくて

つながりがぽろぽろと切れていく賀状減るもメール年賀いい

デイサービスこれも行けなくなってきてスパイラルのよう落ちていくさま

風邪のようなぼんやりした雰囲気がこのまま続くようで怖くもある

こんなでは最後の挨拶できはせぬいったい何をしてきたのだろうか

ニューイヤーコンサートには定番のワルツポルカよりガーシュインがいい

ブログ書く投稿できる反応もこうしていればボケもくるまい

思うには任せられずに介護日々どうなっていくも大差ないよう

風邪をひく命関わる思いして 最後のおじぎ浮かんでは消え

なにやかややること次々押し寄せて何時になったら静かな余生

うつららと景色は過ぎて時は過ぎ何だか文章へたになったなあ

試験あり試験で進む勉学がやはりこれが学びの基本か

とにかくもひとつ試験を乗り越えて前に進めた感触よくて

この季節確定申告パソコンで去年の手順忘却彼方

一月は忙しくあれたんたんと過ぎていくのが毎年の形

過ぎていく一月の時これっきり掛け替えのない風流れ去る

ペチュニアのけなげに咲いて冬盛り手加減しない冬将軍に

寒波来る北米寒波連動す国境のない地球がリアルに

雲低し寒いばかりの日が続く春は彼方に遠ざかったな

車検くる動く車に問題なし濃厚検査仕事つくりか

デジカメのレンズにゴミが紛れ込むどうにも取れないゴミと共存

松浦の家宝並んで熱きもの心伝わるこれぞ宝よ

税金の重みがじわり効いてくるまだまだ持ちこたえねばと念ず

起きてこずそのうちほんとに永眠か限りある日々終末のリアル

庭に来るスズメらの数増えてきて鳥と話せぬもどかしさつのり


5-7-9の句

一月に連れてこられたメジロの寒さかな

突き刺さる寒風を受くなにくそこれくらい

寒波来る極渦こぼれ北極がここまで 

野鳥池ハシビロガモにホシハジロキンクロ

木枯らしに小鳥にぎわうシジュウカラアオジ等

重い雲スズメのなる木真冬の風物詩

飛梅のほのかに咲きて二つ三つそっくりに

いくつものやることやってしのぎ行く初春

忙しい春がまた来る休むは今のうち

極東と北米寒波地球の意思表示

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2026年1月 5日 (月)

2025年12月の俳句・短歌

毎日 一つづつ書いている書きなぐりの俳句・短歌のようなものです。 2025年12月作成分。

ここに出すことがためらわれるそのまんまの句や歌も書いた雰囲気が蘇って読み返すと面白い。

俳句  (ルリビタキそら)

青きアメリカの花咲けり冬はじめ

庭紅葉懐かしいのは山紅葉

寒風や北関東を思い出し

寒まさる風邪の神こそ恐ろしき

寒まさり籠りて数ゆ残りがね

まだ青いところもあって庭紅葉  

引きこもり何やってるのか冬うらら 

丸っこく地面をつつく冬スズメ

師走かあ時間が流るひたすらに

年賀状もう終わりかなやや未練

センリョウの庭暗がりを照らしおり

寒波来て池賑やかにコサギ見る

街歩きもうできないぜ冬の夜

初めての冬に構えるカイツブリ

なにくれにこれで区切りか冬の雨

歳暮れてモーターショーに行にけり

秋過ぎて読みたき本は積まれおり

キンクロは雌2羽従えたくましく

明日冬至あとには春がくるだけさ

冷凍のカボチャ融かして冬至皿

ラーメンを囲んで師走呼び戻す

小さくもクリスマスケーキ 暮行けり

この池が気に入ってくれたかホシハジロ

渡りくる野鳥世界のなごやかさ

寒くても眺めたくなりシジュウカラ

年の瀬ややっと届いたカレンダー

寒菊の何事もなく咲きにけり


短歌

巧妙な偽メール届くだまされそう守り切れるかネットの危うさ

忙しい自由を得らる火曜日は体いつまで持ちこたえるか

冷えてきた冬本番が刺さってくる厚手上着出番来たると

寒ければあるものだけで食事する冷凍さばに冷凍餃子

早起きで伸びた時間が次々の気になるこ等をクリヤ続けて

使わねば記憶のざるからぼろぼろとあれはどうしたどうやってたのか

暮れ迫り頭が痛い年賀状もうやめようかいややもすこし

日本語の響き少ない美術館これは中国これはどこかな

年末は手順思い出しだし過ぎていく思い出せなくてイライラも

年末は雑事ばかりが過ぎていくそれが生きるということなのか

もたもたと時はころがり繰り返すあと十数年すべてが消える

暮つまりもはや重荷の年賀状これくらいはといつまで続くか

遅い手に時間足りない終わりすぐこんな風には思わなかった

エジプトの宝が並ぶ美術館嘆かわしくも存在重く

ペチュニアの咲き続けおり冬まぐれありがたくもとカメラに収む

モーターショーかすれるように時は過ぐぬるい時代にいると悟りし

はるばるとシベリヤからのお客さん都会の池に浮かぶ鳥たち

風邪のよう眠りが浅くこわれそういつまでもつか残りの命

第9にて今年も終わりいい師走過ぎ行くものはすべて美し

物消える認知症の仕業かな手がかかる日々寂しい日々が

睡眠のとりかた難ありひさしぶり腹具合ぐずぐずりごろごろぐずりごろごろ

予想外のクルマトラブル突然にこれは何かの啓示のようだ

一日が変わらぬルートを巡るだけこうやって時は消費されいく

元気さは墓場の草の独壇場手に負えなくて途方に暮れる

寒波かも冬は寒くて当たり前そんな地球がこいとーしくて

押しつまり正月準備も新鮮に繰り返す時新しい時

孫たちののびやかな姿まぶしくて先の世界のうらやましかり

 

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2025年12月 1日 (月)

2025年11月の俳句・短歌


毎日1句だけ書いている書きなぐりの俳句・短歌、2025年11月作成分です。

俳句 (ルリビタキ空)

時はやし過ぎ行く秋に置いてかれ

若鳥は秋になっても落ち着かず

うつくしき2羽のマガモを見とれたり

茶の花はすねているらし朝の冷え

やれること少なくなりき秋の暮

渡り来し鳥にぎわいて秋の池

ストックのほのかに咲いて暮れる秋

雲厚し冷たき雨にひきこもり

寒風に戻りうれしやカワラヒワ

黒くないズグロカモメの平常が

渡り来る鳥らは休め紅葉空

庭そうじ晴れない秋に月も出ず

悩ましいチュウダイサギの冬姿

ヒドリガモ渦巻き模様の水面つれ

冬鳥と旅行者たちと昼下がり

雲低しこの地の冬のかくありき

冬鳥の揃いし姿様々に

アオサギの秋は清冽水鏡

山茶花の一輪咲きて焚火かな

雨やみぬハシブトガラス夕餉時

エサ撒いてやっと撮れたぜシジュウカラ

マガモには春のようなる池紅葉

ダイサギも堂々とする冬が来た

紅葉より稚児ばかりなり八幡宮


短歌  (ruribi)

11月!合わせて鳥も冬らしく渡り来るにハシビロガモかあ

時こぼれどうすればいいのだろうか社会と切れて無為に漂う

百均の棚を巡りてこんなもの!こんなもの!とは見つけけり

ばたばたとやらねばならぬことばかり老いることはせわしなきかな 

楽しくもないコンサート疲れありバルトークはやっぱり苦手

ボケ妻の血を巡らせたいとばかり買い物に出る虚しき戦い

ついてけず世との剥がれいやましにこうやって人はバラバラになるか

じたばたと何やってるかわからない暗闇の中に風に吹かれて

鳥遠も久しぶりにてありがたしあと何度見れるかこの景色

遅くまでブログ書いては空しくて書くべきことは山のようにあり

風邪ひきか頭が痛む夜が来る本の中にはなーにもないから

自らの最後の挨拶作らねば書くべきことがありすぎてさて

連日の図書館通いも違和なくてどこか安易なかおりにも慣れぬ

つれあいの勝手さ加減にいやけさしとにかく外へこちらも勝手

庭木刈るスズメすかさず現れてすいた枝間の居心地試す

テレビ見るネットフリックス面白し秋の夜長はいくらでも過ぐ

もう寝なくちゃなあと思っていても午前1時はするすると去り

晴れ渡り山茶花咲いて冬近しいつものようには冬は来ないか

嵐にて連休あとの火曜日は行くところなく時過ぎにけり

尽きつつも時間足りないそればかり時間足りない時間足りない

面倒な年末がすぐやってくる生きてることは面倒ばかり

寝つかれぬ夜ばかり過ぎて風邪ひきか もはや体は耐えれないよう

気がせいて紅葉につられ八幡に季節どうにも駆り立て上手

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2025年10月 1日 (水)

9月の短歌

毎日日記とともに俳句と短歌をひとつづつ作ることにしている、無論書きなぐりだ、心の記録にはなるだろう。
愚痴やら人前には出せない歌やら多くて、9月の短歌からこれくらいなら、というのを書き連ねてみた:

久しぶり鷹柱伸ぶ秋の空荒れた天気も休みたいのか
歯が欠けて砕け行くさま見る思いこうやって地球に帰っていくのだろう
パソコンもぱっぱといかぬ歳になるこの後いかに生き延びようか
完売だ角野が連れてくるショパン乗り移ってホールを支配す
いにしえの遺跡はどこに消えたのか大事にしないのがこの街の特技
落ちる時さらさらとでなく見えもせず時は落ち行くつかめない時
ボランティアそれもできない歳回り頭の中は言い訳ばかり
ベトナムの解らなさ出ずコアはどこそのままを受け取るだけだよな
夏過ぎて図書館かよう日々虚し探し物は何かわからぬまま
ぐうたらな息をしながら日を過ごす旅に出たくも障害幾多
なんとなく世界陸上眺めてる見やめるふんぎりなきぞ悲しき
火曜日は日常切れる魔法の日忙しけれどなにやら楽し
死期迫るなすべきことのあるものか流れる時間構える心
みてしまう世界陸上ねむいだけザハ競技場まぼろしのごと
エクセルの仕様微妙にうつろいて処理がエラーになったりの秋
家事出来ぬボケはゆるくに締め付けるいたわしくもあるやその姿
ここまでに何をしてきたのだろうか去った時間のむなしきこと
AIとはてなき会話空しくてこんな未来は来てほしくない
寝坊して一日遅れの日記書くすくってもこぼる時のいとおしき
寝過ごして見れずにすぎた月食を次は来春残り少なし
家事ばかり毎日が直ぐおわる日々生きていくとはこんなことかも
忙しくせかすように雑事ありもとは土より生まれし物を
朝昼夜食事つくりもいたにつくいつまでつづくこんな生活
雑事にて埋められてしまう貴重な時こうやって人は社会と切れていくのだろう
音楽の歳を超えたる持続性米寿のピアノタッチきっちり

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2022年5月26日 (木)

短歌や俳句を時々書いている

短歌や俳句を時々書いている、和歌はNHK和歌に、俳句はNHK俳句および現代俳句協会、に投稿するのが目的のように書いている。NHKのはお題があってそれに合わせて作っているが現代俳句の方は特にはなく自由だ。並べてみるとお題に合わせたのはそれに引きずられて脈絡がない、何だろうと思ってしまう。マンネリにはならなくていいが、自分としてはやり方を考え直した方がいいような気がしてくる。
俳句の方は野鳥を詠みたいと思っていたが野鳥の季語にそうかなあというところがあって山谷春潮の野鳥歳時記をみたりもしたものの、矢張り納得できないところもあり結局思うが儘に詠むしかないという気が今はしている。リアルな野生を読み込むのは芸事の様な俳句にはなじまないのかもしれない。

最近3か月くらいの作品は短歌(NHK投稿)が

暖かき雨見つめ合うスズメ2羽電線揺れて恋の始まり

空がくさ宇宙たい でどげんしたと 何もなかたい見とるだけでよか

戻りたい「いいね」のなかった生活に春風がただただ気持ちいい

名物くさなんだちゃ食ぶるもんなんや うまかものなしちゃなかろうもん

ああ乾いた空気飛び去っていく木々かって住み生きし時沁みるこの地

正月は胃もたれ残して過ぎにけり行きつく果ては閻魔の餌食さ

池を廻っていつものアオサギに会う 僕らは今やいいチームかもね

天井の木目の襞を眺めおりここらが永久の寝室ならん

どこから来どこへ行くのか人駅を大河のように流れ続ける

俳句の方はNHK投稿が

万緑に赤を加えて阿蘇の山
うす味がいいとは限らぬ夏料理

薄闇に紛れるように蛍浮く
静けさや雨を匂わせ南風(みなみ)吹く 

かみなりの怖さ一番夏ヨット
雷の田んぼをこがし去りにけり

春風にまあるい雲がのったりと
恋スズメぴちゃぴちゃびちゃと騒騒し

もう日の出朝から忙しシジュウカラ
羅(うすもの)を貫き通す温暖化

さりげなく小物ファッション夕涼み
この団子どこの摘草だったっけ

卒業して友達何人できたかな
嬰児や回して回ってかざぐるま

風柔くのびのびしたり涅槃像

現代俳句のほうは
ハチクマのもう現るる立夏かな
自然なら桜の後ぞシクラメン

しなやかに松にもたれる花海棠

ピューヒラリ懐かしき舞初ツバメ
歳重ねいつまで会える初ツバメ

その他
青葉木菟ホッホ響かせ闇に舞う
カワラヒワ キュルルキュルルと初夏の風

 

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2021年11月30日 (火)

今年作った短歌を振り返る

久しぶりの雨になって11月も終わろうとしている。もう20日もすれば冬至が来てまた日差しが次第に強まるサイクルへと戻って行く。過ぎて行くこの年を振り返り今年作った短歌を新しい順に幾つか並べてみる。見ていくとコロナがらみがどうしても多くなってしまった、そういう年だ。

 

コロナにて同窓会も消し飛びぬ こうして人はバラバラになる

重々しい 宇宙の力我を縛る 何時もなりたや タイムトラベラー

倒れゆく書店アマゾン恨めしや 時の流れとカネの流れと

高き声イソヒヨドリを追いかけて壁壁壁の団地を過ぎぬ

暮れゆける空気かきわけひとり行く声も出せない人波の中

たてがみを頭に張り付け飛ぶように走りしタローという犬ありき

コロナあり古きソファーに沈み込む薄暗き日々静かに過ぎいく

宇宙飛行士にならずとも目の前にあり伸び縮みする時間

ここまでやればもういつ死んでもいい そうは言っても痛いのは嫌

力なく見上げる空に彩雲がこのままでいい雲が友達

幾つまでクルマを走らせるだろうか脚をもがれる不安ぐるぐる

やりたくば金を払って仕事するそんな時代が遠くに見える

笑わるも挑め常温核融合 憧れし二十一世紀の夢

こんな人だったっけzoomの向こうの表情を眺める自粛の部屋

ファミレスからも足が遠のくどこへ 寂しい時代を生きる我ら

国道だから大丈夫とドライブ ここから階段これも国道

思い出す負ける勝負はするなよな そんな教えで世は渡れるか

まだまだとのんびりしてはいられない爆発のよう波間の日の出は 

インスタのつながり過ぎて疲れあり 地球の裏から今日もいいねが

うつららと春の日過ごす母の家 もう15年も経ってしまった

何となく山のトイレが気になって 山登りから足遠のけり

一声の不思議な歌を響かせてハクチョウは今日北へ戻れり

大島を色鮮やかに歩きけり記憶の中の職場旅行

コンサート一つおきにて静まりぬ咳払えずに唾を飲みこむ

ゴルフにて握るといえばチョコレート遥かな昔錆びれた記憶

心はかぜ オオダイサギの軽やかに天上へ 陽が昇る宇宙へ

歳重ね流れ流れて彷徨いけり教室を出て教室に入る

山ではからすもいのししも威張っている生き物は対等なのだ

マスクよし三密よくて手洗いよし コロナ奉行のメガネが光る

コロナとは比べたくないあの頃の 燦めく語らいさざめく雑踏

美食やめ買い物抑えあらま痩せ 悪くもないかコロナダイエット

 

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2021年8月28日 (土)

短歌が解らなくなって河野裕子の本を読んでいる

短歌を時々作っているが、解らなくなることがある。
11年前に亡くなった歌人河野裕子の歌が引っかかっていくつか関係する本を読んでいる。
初めに大森静香による河野裕子の本 「この世の息」を少し読んでいたが、どうしても短歌集の解説本のように思えて、自分にはあまりいい本でもないかなと思ってしまう。河野裕子が過剰に評価されてきたのではないかとも思えて短歌の世界の普通でなさをも感じてしまう。自分の言葉で自分の好きな歌を作ればいいだけではないのだろうか。
「家族の歌」という本も読んでいる。永田=河野家族で順繰りに短歌とそれに続くエッセイを書いていく形の新聞連載だが、これは読みやすい、そして感じる本だ。河野の死を挟んで書き続けられていて、河野裕子は死の5日前まで連載の一こまを口述筆記していた。明晰な文だ。このようにして心が覚醒したままこの世を去るというのが望ましいのだがこんなことができる人は何人もいまい。しかしよく残している、死に至るその心情が良く伝わってくる。歌の力なのだろう。最後の歌を詠んだ翌日の、死の当日には「我は忘れず」と下7だけよんで「うんもうこれでいい」と言って亡くなった、と書かれている、これも連載の一コマだ。これでいい というのが最後の言葉というのはうらやましい。身の周りにそんなことを言える状態で亡くなった人を知らない。
家族全員が歌人というのも驚くが、歌を読むことで言葉で語るより深く理解しあっている家族の姿が見えてくる。歌を書くと、単なる文章を書く以上に伝わるものが歌に乗せられる、乗せる技が歌人の技量ということになるのだろう。夫婦共Kawanoyuko_20210829102001 に歌会始の選者である日本で第1級の歌人同士のやりとりがここにはある。死が迫っている河野を見つめる家族の目、それをみる河野の目、そして、亡くなった後に続いていく家族の河野への思い、それがストレートな歌を含めた文でフラットに書き継がれている、河野を含めたそれぞれの思いがよく分かる、すごい本だ。
「あなた」という短歌集も借りてみている、網羅的で河野の歌の全容が読める気がする。
でも正直 歌だけが並ぶ歌集は読むのがきつい。オペラをアリアだけで埋めているような感じだ。
歌ばかり見よと言わるも味気なし レシタチーボの語りあるべし と思ってしまう。

短歌について書こうとするがどうにも話はまとまらない。漠とした空に漂うようなものかもしれない、今はそう思っている。

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