2026年6月15日 (月)

公民館でJazz

ひと月ほど前、見落としていた地域の公民館のお知らせで「ワインの夕べ」と称する生演奏のJazzコンサートが公民館で開かれると知って、慌てて予約したが既に満杯でキャンセル待ちとなってしまった。しょうがないかなとあきらめかけていたころキャンセルが出た予約受けるとの連絡が入って、当日聴きに行Winenoyuube0613a った。歩いて十分行ける距離で気安い。会議室がJazzクラブ風にアレンジされていてテーブルが10個くらい島のように配置されて、オードブルとスパークリングワインが提供される。適当なテーブルに座ってワインを飲みながらJazzを楽しむという趣向だ。演奏は福岡で活躍しているJazzボーカリストのMayumi+ピアノトリオの形でなじみやすい。50年以上前に学生の頃新宿や渋谷のJazz喫茶・クラブの生演奏をかすかに思い出していた、あの頃はもっとすいていた、あまりに空いていて帰るに席を立ちにくいということもあったがとにかく気楽だった。更には60数年前にこの福岡でJazzにはまり始めたころのことを思ってもいた、中学生になったばかりの頃でまだ渡辺通3丁目にRKBのテレビ塔があった時代だ、ModernJazzの新譜を中心にしたレコードコンサートがRKBホールで無料で毎月のように開かれていて自転車で通っていた。コルトレーンのマイフェバリットシングスのソプラノサックスがホールに響き渡った時の驚きと新鮮な感じは今でも蘇ってくる。他にもアートブレイキーの公演が福岡であってそれを聴きにいった記憶もある。この街でJazzに出会った、Jazzに浸りはじめた。高校は関西、大学・仕事は関東、随分時は流れた。

Mayumiのボーカルはのめり込むような濃密なものではないが、この場にあったJazzだ、心地いい。

歳を経てまた福岡に戻って、歩いてJazz生演奏を聴きに行く、こんなめぐりあわせが仕組まれた人生だったのか、そう思ってしまう。なかなか悪くない。

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2026年6月14日 (日)

スターンの指揮する九響を聴く、いつになく端正な美しさが

このところ九州交響楽団の定期演奏会にはとにかく聴きに行くことにしている、生で聴くオーケストラのダイナミズムがどんな形であれ聴いてみたくなるもとになっているようだ。
6月12日の定期演奏会ではユーベルQkyo0612 ・スターンを指揮者に迎え、ワーグナー、リスト、ドビッシーの19世紀半ばから20世紀初頭にかけての作品が演奏された。ワーグナーのタンホイザー序曲とヴェーヌスベルクの音楽から始まる。あれという感じでオケの響きがいつもとちょっと違う、端正できれいな響きだ、これがスターンの追及しているものなのだろう、もっと荒々しところが時折あったほうがいいかな と感じてしまう。この感じはこの日のプログラムを通して感じたのだがドビッシーの「海」に至ると、抑制された美しさが際立つようでもあり、ドビッシー向きかもなとも思ってしまった。
2番目のリストのピアノ協奏曲第2番では中川優芽花がピアノを演奏した、不勉強で全く知らない名前だったが個性的なピアノを奏でる、音が円い、あの尖ったリストをリストとは思えない丸っこい感じで演奏する、ちょっといい感じだ。これはいい。終わって休憩に入ったところで、売っていた中川優芽花のCDをつい買ってしまった。
プログラム3番目はドビッシーの「海」だ。若い頃から聞きなれたアンセルメとスイスロマンドの名演とどうしても較べてしまう、弦の厚みは録音技巧を凝らしたと思われるスイスロマンドには及ばないが華となるトランペットは素晴らしい。トランペットは客演3名を入れて5名体制だが誰が華の部分を吹いているかと見ると若い女性だ、東川理恩だ、前の首席 松居洋輔が去った後は彼女が見事に埋めているようだ、ちょっと驚く。時代は変わった。
なかなかのコンサートだった、オーケストラのアンコールが2曲もあるとはサービス満点でもある。こんな日々の過ごし方は楽しい。

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九州交響楽団 第440回定期演奏会
2026年6月12日19時開演
会場 アクロス福岡シンフォニーホール
曲目
1.リヒャルト・ワーグナー/歌劇『タンホイザー』より 序曲とヴェーヌスベルクの音楽

2.フランツ・リスト/ピアノ協奏曲 第2番

    ピアノアンコール リスト/即興円舞曲変イ長調S.213

3.クロード・ドビュッシー/『海』 管弦楽のための3つの交響的素描

    アンコール ドビュッシー(カプレ編)/『ベルガマスク組曲』より 月の光
           ワーグナー/『ヴェーゼンドンク歌曲集』より 夢

演奏 九州交響楽団  指揮 ユベール・スダーン
    ピアノ 中川優芽花

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2026年6月 4日 (木)

九州国立博物館で琳派と若冲の展覧会を見る、若冲がいい

大宰府の九州国立博物館で江戸期の琳派と若冲の展覧会があっているのがちょっと気になっていて、そろそろ終わりも近づいたかと見に行ってみた。平日だが駐車場はJyakucyu79b2a 結構埋まっていて思いのほか人気があるようだ。展示は「若冲、琳派、京の美術 ―きらめきの細見コレクション―」と題し細見コレクションと呼ばれる細見家3代かけて蒐集した古美術品を中心としたコレクションから選ばれたもので初めて見るものばかりだ。見ていくと、やはり若冲だ。日本画というとどうしても絵の要素には伝承したパターン化したものが目につくが若冲のにはそれが感じられない、見て自分で感じたものから引き出して描いている。何というか迫力がある。出かけてよかった。(添付図は若冲の群鶏図 展覧会公式Xより)


各地のゾンデデータから高層気象図を毎日のように描いて眺めているが昨日今日は今まで日本上空に流れていたジェット気流が急速にぼやけてきて梅雨の形に入ってきているようだ。雨がちなこの季節はゆっくり古いものを眺めてみるのもなかなかいいような気がしている。

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2026年5月24日 (日)

小磯良平展を見る

小磯良平展がそろそろ終わるはずだ、と大濠公園にある福岡市の美術館に出かけた。美術館の駐車場にクルマを入れる、居丈高な駐車場の誘導員が感じ悪い。とにかく2階の会場に入る、そんなに混んではいない。写真のようにKoisoryohei 正確な描写ではあるが写真の平板さを打ち破っているボリューム感がすごい、裸婦が圧倒的だ。
思った以上によかった、1階のショップで図録を買おうと探すが見当たらない、作ってないのか、変だなと思いながら帰って調べるとあることはあるようだ、ネット販売は売り切れで美術館でのみ販売とある、それも終わってしまっていたということかしょうがないと思ったが、もしかしてと翌日電話してみるとまだ売っているとあり、また買いに行く、売り場には並べておらずレジで申し出ないと買えないようだ、残り部数が少ないのだろう。
戻って買った図録を眺めるが裸婦のボリューム感はまるで出てこない、現物ならではということのようだ、やはり絵は実物でないと伝わり方が違う、改めて思ってしまう。その場で感じることが全てのようだ。

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2026年5月14日 (木)

キンボーイシイの指揮する九響でドンファン/ドンキホーテを聴く

このところ九響の定期演奏会はプログラムによらず聴くことになってきた。こんな聴き方も選択の労が無いだけ楽でいいし新しい出会いがあっていいような気がしている。
5月はキンボーイシイの指揮でRシュトラウスのドンファン、テレマンのドンキホーテ、またRシュトラウスでドンキホーテとドンづくしのプログラムとなった、曲としてはいずれも初めて聴く曲だ。
16時32分のバスで高宮駅まで行って西鉄電車で天神へいく、夕食を取るQkyo439kinbo にしてもやや早く水鏡天満宮をぶらぶらしてみたり那珂川沿いに天神中央公園まで行って鳥がいないか見るが水鳥はバンの姿もなく全くのゼロ、鳥はといえばスズメの数羽の群れ位だ、そういう季節になってしまった。地下に降りてひらおのてんぷらを食べる、いつもの「あじわいこめし」、また上がっている、1100円を超えた、しかし、まあしょうがない。今日はそう混んでない、7-8人待ちで番が回ってくる。
アクロス入場するがまだまだで次回の切符など買って暇をつぶす。キンボーイシイのトークが暫くある、キンボーイシイはドイツにいたころテレマンゆかりの地の近くで過ごしていたという、テレマンにはちょっとした思い入れがあるようだ。演奏者が舞台を埋めて曲が始まる。まずはRシュトラウスのドンファンだ、なんというかけばけばしいというべきか深みが感じられない、Rシュトラウスが世に出した最初の曲といってもいいい初期の曲だという、そうですか、というくらいで感慨がない。次はテレマンのドン・キホーテ。20人くらいとぐっと小ぶりの編成になるが楽器が面白い。いかにもバロックの実直なテレマンのドンキだが突然風音がはいってきてびっくり、黄色いドラムのようなもの(風音器)を回して出しているようだ何だこれはと思ってしまう、不思議な鐘を使った響きも出てきて、これがドンキの世界かと思ってしまう。休憩後次のRシュトラウスのドンキにいく。テレマンに輪をかけて派Fuuonki 手になる感じがしてしまう、もちろん風音器による風の音もある、独奏チェロがドンキ、独奏ビオラが従者サンチョと説明にあるがその2つが際立つというよりオケのうねりに埋もれてしまうような感じがして音場全体でドン・キホーテの世界を表現しているように思えてくる、そこはテレマンと同じかもしれない。もちろん曲想は随分違うが。万雷の拍手で独奏チェロのタマーシュ・ヴァルガが カザルスの演奏/編曲で知られるカタルーニア民謡”鳥の歌”をアンコール演奏して終了となった。なかなか面白い試みのコンサートだった。でもなんとなく正面から音楽を聴いたというには少し違うかなという感じが残った。音楽の存在全体、そういうものかもしれない。Qkyo0513

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2026年4月19日 (日)

九響の英国セレクションのコンサートを聴く

昨日は15時からのアクロスでの九響のコンサートを聴きに行った。いつものようにクルマで行くが途中で工事通行止めあり迂回、でも遅くはならず2時やや過ぎ位で天神中央公園下駐車場に到着した、土曜の午後ということもあり駐車は満表示だったがそのまま行くと入れそれなりに空きがあってとめられる。なんとかなるものだ。
会場のアクロスコンサートホールに入ると事前の指揮者他による対談のようなのを舞台でやっている、話し方のせいかよくは聞き取れない。でもこういう企画は主催者側の意図が少しでも伝わるようで有益な気がしている。
今回はイギリス作曲家特集だ、全く知らない曲を聴く。1つ目はブリQkyou0418 テンのヴァイオリン協奏曲、岡本誠司のヴァイオリンの響きが美しい、しかし曲全体としては深みが感じられずそうですか、の感じがしてちょっと眠い。自分が歳をとったということかとも思ってしまう。アンコールにバッハ無伴奏パルティータよりサラバンドが演奏される、こっちのほうが矢張りなじむ、聞きやすい。
休憩後のウオルトンの交響曲1番、前のよりは聞きやすい。しかし映画音楽のような感じで切り取ればすぐに映画の場面に貼り付けられそうに思えてしまう、イギリスの作品は概してそう感じることが多い気がする。何故だろう。いい演奏なのだが今回も感動というものはなく、曲のせいもあるかもしれないがやはり歳かなとここでも思ってしまう。心が鈍くなるのはどうしようもないことのようだ。
演奏会後、自宅に戻った夜、最初のブリテンのヴァイオリン協奏曲が思い出せないのでYoutubeに曲くらいあるだろうと探して聞いてみた、ちょっと驚いた、随分なヴァイオリンの技巧を要する曲のようだ、コンサートではそんな感じは全くしなかった、何でもないかのように滑らかに演奏していた岡本誠司というヴァイオリニストの凄さを却って思ってしまった。先にYoutubeを見ておくべきだったようだ。

自分なりの勝手な思いで音楽に向き合いこれを聴く、これがいい。月に一度くらいコンサートに行くペースだが、なかなかやめられそうにないなと思っている。

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2026年3月24日 (火)

ワン・バトル・アフター・アナザーを観る

今年のアカデミー賞受賞の作品賞はワン・バトル・アフター・アナザーという映画だという、全くその名を知らなかった、どんなのだろう、見てみたいと思ってしまう。去年の秋に公開されたものらしいが今福岡で見れる方法はU-NEXTで48時間レンタルするくらいしか思いつかなくてとにかくそれで見てみた。こんなやり方は初めてだがAmazonのFirestick経由でU-NEXTに入って洋画タイトルを探しレンタルとしてクリックするとテレビ画面で見れるようObaa になる。無論有料だ。手探り状態でたどり着いてとにかく見れるようになったので見始めてみた。わかりにくい映画だ、一旦見た後また初めから端折りながらでも見てしまう、見直しするとここの場面はそういうことだったのかと少しわかった気になる、1度目では理解が届かない。白人主義秘密結社に入会審査中のロックジョーが黒人女性との子かもしれないウイラを探し出し親子と出たわけではない検査結果を、親子と出たと誤解してウイラを始末せねばならないと別の男たちに引き渡す、これを結果的にウイラの(少なくも社会的な)父のボブが助け出す。DNAはどうあれどうみてもボブが父親だと思える。説明的な部分の乏しい映像ばかりだが、何かリアルなものが伝わってくる。これが今年のアカデミー作品賞なのか、時代は進んでいる、と感じてしまう、確かにめったに見ない人間的なリアルさの表現がここにはあるようだし、映画としても引き込まれるものを持っていて面白い。 

それにしても映画館で封切り映画を見ていたころが懐かしく思い出される、映画館というと何だか風邪がうつりそうで 今は余程のことでもない限り見に行く気になれない、勇気を奮ってまた出かけてみようか、そんなことを思っている。

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2026年3月13日 (金)

牛田智大のオール・ブラームス・コンサートを聴く

毎月1回はアクロスでのコンサートに行くのが半ば習慣のようになっている、3月は九響の定期演奏会はお休みで何かほかにとアクロスのプログラムを見ていて3月12日の牛田智大のピアノコンサートというのが引っかかった。ブラームスばかりの曲目というのがちょっと。。。とは思ったがこれで行くかと切符を買って出かけた。切符を買ったのは先月だったがその時点で売り切れ寸前で残席は1階最後列に数席あるばかりだった、最後列でも真ん中あたりはそんなに悪い席でもないと直ぐにこれを抑えた。アクロスは床が後ろUsida 向かって2次曲線のようにゆるくカーブして上がっているようで一番後ろでも舞台が良く直視できるしそう遠くもない。
ブラームスといえば重苦しい交響曲を思い浮かべていて、あのピアノ版ではちょっとという感じを抱いていて聴き始めたが、全く違っていた、勉強不足だった。最初の7つの幻想曲(Op116)のはじめから、これは。。。と思うほどに奥行きがありバランスの良い上下運動もあっていい曲だ、曲ごとに速さが語り掛けるように変わり短調長調も織り交ぜてあらわれてくる、深い、組曲のようにも感じられる。そんな調子で休憩をはさんで合計20曲が演奏された。牛田の演奏というより人生も晩期に入っていたブラームスの声を聴く思いだ。牛田がこの曲を抱えて全国ツアーをやるという気持ちというか意気込みというかそんなところがなんとなく伝わってもくる、これを弾きたかったんだ。
最後にショパンの2曲をアンコールで演奏したがショパンが何とはなしに浅薄なような気がするほどにブラームスの深さが印象に残った。
いいコンサートだった。そればかりだ。このツアーのどこかの演奏がCD化されるのを期待するばかりでもある。

牛田智大 オールブラームスプログラム     2026.3.12 アクロス福岡
ピアノ:牛田智大
曲目
ブラームス:
7つの幻想曲 Op.116
  第1曲 奇想曲 ニ短調
  第2曲 間奏曲 イ短調
  第3曲 奇想曲 ト短調
  第4曲 間奏曲 ホ長調
  第5曲 間奏曲 ホ短調
  第6曲 間奏曲 ホ長調
  第7曲 奇想曲 ニ短調
3つの間奏曲 Op.117
  第1曲 間奏曲 変ホ長調
  第2曲 間奏曲 変ロ短調
  第3曲 間奏曲 変ハ短調
6つの小品 Op.118
  第1曲 間奏曲 イ短調
  第2曲 間奏曲 イ長調
  第3曲 バラード ト短調
  第4曲 間奏曲 ヘ短調
  第5曲 ロマンス ヘ長調
  第6曲 間奏曲 変ホ短調
4つの小品 Op.119
  第1曲 間奏曲 ロ短調
  第2曲 間奏曲 ホ短調
  第3曲 間奏曲 ハ長調
  第4曲 ラプソディ 変ホ長調

アンコール
ショパン ノクターン第17番 ロ長調 op62-1
ショパン ピアノソナタ第3番 ロ短調 op58 第4楽章

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2026年3月 8日 (日)

神戸国際会館のコルトレーンの演奏が

このところコルトレーンの演奏を手持ちのCDで聴くことが多くなった、Jazzらしいというか居間がたちまちJazz喫茶の雰囲気を帯びてくる、というか そんなところがよくてそうなっているのかな、と思っている。記憶をたどるとコルトレーンは昔1度だけ死の前年に来日していて、その演奏を神戸国際会館まで聴きに行った覚えがある。まだ坊主頭の高校生で住んでいた西宮市の山手から夜にそんなところに一人で出かけるのはちょっと世間的にはどうなんだろうという思いを引きずっていたのも覚えている。でもアヴァンギャルドに変身したコルトレーンの生き方が謎のようでどうしても聞いてあるいは見ておかねばときつく思っていた。演奏は全く伝わってくるものがなかった、ステージで5人のプレイヤーが死にものぐるいのように演奏しているが聴衆の心に全く届いてこない、その隔絶感ばかりが心に強く残った。こんなコンサートもあるのだ、不思議な感じすらした記憶がある。最近になってネットを漂っていると、この神戸国際会館のコColtranekobe1966b ルトレーンの演奏を客席で個人録音したものがCDとして売られているのに行き当たった、まさか、と思ったが著作権期間が50年であった頃著作権が一旦切れておりその後法改正で70年に延長されてももう切れたままの状態となってこんなことが可能になったように思える。とにかくネットで発注すると数日で送られてきた。音は良くない、ふつうのCDに慣れた耳にはこれ何、と思えるくらいだ。ともかく聴くとあの時感じた隔絶感は少し和らいでいる、当時よりアヴァンギャルドを色々聴かされた結果こんなものだよなと思えるように頭がなっているようだ。でもコルトレーンとファラオサンダースの2本のテナーサックスの聞き分けができない、それを手掛かりを求めてしつこく聞く気にはなれない、音の塊を感じる記念碑で十分ではないか、そんな気がしている。
神戸国際会館で聴いた翌年東京で大学生活をはじめたばかりのある日 巨星墜つ の垂れ幕が渋谷道玄坂のビルから下がった、コルトレーンが死んだのだ、Jazz喫茶はどこもコルトレーンばかりをかけていた。

Jazzという思い出に浸り続ける日々が過ぎていく。

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芥川賞 鳥山まことの「時の家」を読む

令和7年下半期の芥川賞が1月半ばに発表になり直ぐに掲載誌を図書館に予約したが待ち行列はたちまちできており10日ほど前にやっと「時の家」の掲載されている群像8月号のほうの番が回ってきて読んでいた。読み終えたが読後感は微妙な感じだ、確かに新しい書き方ではあるが、とっつきにくいし読みにくい、読んでいて引き込まれる感があまりしてこない、こんな芥川賞もあるのかなあというものだった。著者は建築の大学院を出た1級建築士で建築設計の仕事が本業ということになる、人生に建築以外の軸が欲しかったTokinoie それで小説を書き始めたとインタビューで語っている。確かに建築する側の視点を濃く感じる小説だ。家が主人公であり設計者自身のために建てられたこの家で以降その家を使っていくことになった人に起ることが書きつづられるという形で話は進む。読みにくいのは例えば家を使うことになった3代目にあたる圭さんの話が突然始まる、この人だれ、と思ってしまう、読んでいても話がどう進んでいこうとしているのかが解らなくなる。理系の目でものに接して書いているというのが節々に感じられて、そこは惹かれるところを感じるのだが、何かもう少し何とか、と思う気持ちが抑えられない。全体が詩のような、と思えばいいのかもしれない、今はそう思っている。

読了感は今一つすっきりしないが、それにしても今後どういう風に作者自身の人生が展開するのか、そこのところの興味は尽きない思いがしてくる。どうなるか。

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