2026年3月 8日 (日)

芥川賞 鳥山まことの「時の家」を読む

令和7年下半期の芥川賞が1月半ばに発表になり直ぐに掲載誌を図書館に予約したが待ち行列はたちまちできており10日ほど前にやっと「時の家」の掲載されている群像8月号のほうの番が回ってきて読んでいた。読み終えたが読後感は微妙な感じだ、確かに新しい書き方ではあるが、とっつきにくいし読みにくい、読んでいて引き込まれる感があまりしてこない、こんな芥川賞もあるのかなあというものだった。著者は建築の大学院を出た1級建築士で建築設計の仕事が本業ということになる、人生に建築以外の軸が欲しかったTokinoie それで小説を書き始めたとインタビューで語っている。確かに建築する側の視点を濃く感じる小説だ。家が主人公であり設計者自身のために建てられたこの家で以降その家を使っていくことになった人に起ることが書きつづられるという形で話は進む。読みにくいのは例えば家を使うことになった3代目にあたる圭さんの話が突然始まる、この人だれ、と思ってしまう、読んでいても話がどう進んでいこうとしているのかが解らなくなる。理系の目でものに接して書いているというのが節々に感じられて、そこは惹かれるところを感じるのだが、何かもう少し何とか、と思う気持ちが抑えられない。全体が詩のような、と思えばいいのかもしれない、今はそう思っている。

読了感は今一つすっきりしないが、それにしても今後どういう風に作者自身の人生が展開するのか、そこのところの興味は尽きない思いがしてくる。どうなるか。

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2025年11月30日 (日)

トリニティ**3

小林エリカの「最後の挨拶」を読んで少し感じるところがあってこれは「トリニティトリニティトリニティ」もやはり読んだほうがいいかなと図書館から借り出して読んでいた。予感通り何だかきつそうな話だった。トリニティという言葉が動き回る、アメリカの原爆開発(トリニティテスト)、放射能の石を握る老人達(トリニティと呼ばれる)、更には(父と子と精霊というより)母と子と血の三位一体(つまりトリニティ)、が出てきてトリニティの3乗ということのようだ、よくわからない。でも興味深い本だ。例えば中で出てくる戦前

Trinithy3 の日本の原爆計画がそれなりに進められていたあたりなどは、そんな話も聞いたようなとの気がしてくる。改めてネットで調べてみると当時かかわった中根元理化学研究所副理事長のインタビュー記事に行き当たったりする、仁科博士を中心に二号研究と呼ばれた原爆研究が行われていた、確かにそのようで、ウラン濃縮まで着手していたようだ。また、これも出てくるナチスのUボート:U234潜水艦で日本に向かってウラン化合物を運んでいたというのも、ほぼ事実のようだ。日本に向かって大西洋を航行中ドイツ敗戦の報が入り、そのままアメリカに投降して日本には届かなかった、この時艦内にはウラン化合物550㎏位があったとされる、箱にU235と書かれていたようでウラン235の化合物として運んでいたようだ、U235の臨界質量は23㎏ということを考えると十分原爆の材料になる位の量だったと思われる。米国へ投降してこのウランが米国に渡っているのでこれが日本に投下された原爆の材料になったということはありうることのように思えてしまう。当時ドイツには遠心分離濃縮の技術はなかったと言われるがドイツで遠心分離濃縮を研究していた研究者をソ連軍が捕獲しこれにより2年後にソ連が原爆実験を行ったことを思えばなにがしかの濃縮技術はドイツにいた時にすでに保持していたと考えてもおかしくないように思う。米国もソ連もこと原爆の開発については本当のことはしゃべらないと決めているふしを感じる。ソ連は最初の原爆は遠心分離で濃縮したウランではないガス拡散によったと当時説明していたが後にそうではなかった遠心分離だったと訂正している、何か本当のことは言いにくい事情があったようだ。それは今も続いているのかもしれない。奪い取ったナチスの科学技術がその後の米ソの宇宙レースと核開発レースの基盤を与えていたというのは考えてみればとんでもない話のように思えてくる。

面白い本だ。こんな本は、興味に従って本を離れて考えというか思いを宙にめぐらせていく、そんな読み方が好きだ。

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2025年11月15日 (土)

小林エリカの「最後の挨拶」を読む

前にも書いたような気がするがNewsweek日本版の「世界が尊敬する日本の小説36」というのがなかなかの特集だったとの印象があって、眺めていてその中の小林エリカの「トリニティトリニティトリニティ」が気になった。タイトルが、ということではある、世界最初の原爆がニューメキシコで爆発したあの実験の名前がトリニティだったと思っている。何だか読むにはきつそうな話のイメージがしたが、ともかく小林エリカの名前は全く知らない、どんな小説を書いている人だろうと市立図書館の蔵書で調べて、「最後の挨拶」に行き当たった。直感ではトリニティよりは読みやすくてちょっとよさそうな気がして借り出して読んでみた。こんな風にして知らない小説家の知らない作品に行き当たるのは面白い。
中身は作者の父にまつわる記憶の集積のような作品だった、もちろんコナンドイルの小説「最後の挨拶」も引用している、父が生きてきたあかしのようなものを残したい、でもそれは重い、一人の人間の生きて引っ張ってSaigonoisatu きたすべては大変な量になる、ともかくそれが最後の挨拶になる。ここでは東日本大震災も父親のなくなった挨拶のようにも見えてしまう。読み終えると自分も最後の挨拶を残すことを考えねばならないような気がしてきた。少なくとも自分の子供たちにはどんな人生を送った父親だったかを解るようにしておかねばと思ってしまう。今はそんなものは何もないしちゃんと話もしたことがないような気がしている。できるところからできる方法で残していくか、そんなことを思い始めている。

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芥川賞候補だったトラジェクトリーを読む

令和7年上半期の芥川賞は該当者なしだった、というのが報じられてずいぶん経ったような気がする、受賞作が掲載されるはずだった文芸春秋9月号を図書館から順番待ちをして借り出し暫く読んでいたが、返却期限が来たのでまた見直していた。芥川賞は該当者なしだが候補作「トラジェクトリー」が掲載されている、多分受賞に一番近かった作品ということなのだろうととにかく読んでみた。作者のグレゴリー・ケズナジャットという名前は全く聞いたことがない、外国人のようだが日本語で書いたのだろうかとそのほうが気になってしまう。ネットで調べると、米国サウスカロライナ州出身、1984年生まれ、父親はイラン出身、サウスカロライナTrajectry1 州立大を2007年に卒業後来日、第2言語としての日本語で小説を書くようになり 2021年、「鴨川ランナー」で第2回京都文学賞を受賞、2022年の群像11月号掲載の「開墾地」が2022年下期芥川賞の候補作となる。今回で2度目の候補ということのようだ、現在法政大学准教授、驚くような経歴だ。ふとNewsweek日本版のこの9月に「世界が尊敬する日本の小説36」という特集が組まれていたのを思い出した、日本語で書かれた小説に世界の目が向けられている現実があるようだ、日本語という言葉と小説の響きあいに何か人を惹きつけるものが生み出されているのかもしれない。「トラジェクトリー」は今一つ分からない感を残して読み終える、おそらく作者が来日後経験したであろう2つの言語が行き交う世界が細かく書き込まれている、それが最後まで続いて突然終わる。ここで終わり?というのが素直な読後感だ。これは芥川賞には無理かな、そうも感じる。しかし、何かを持っている、前回候補の「開墾地」はどうだったのだろう、ともかく図書館に予約することにした。3回目というのがまたあるかもしれない、そんなことも感じてしまう。日本語の持つグローバルな価値、それは考えていかねばならない時代なのかもしれない。

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2025年2月18日 (火)

もう一つの芥川賞、「DTOPIA」も読んでみる、ちょっといい

「ゲーテはすべてを言った」の読後感が今一つよくなかったのもあり、待った末に図書館の貸し出し順が回ってきた文藝 2024年秋号掲載の安堂ホセの「DTOPIA」を読み始めた。こちらも頭からエッというようなシチュエーション設定で、トンデモ小説がはやりなのかこれは、としばらくは読む気がしなくなったが、そうはいってもと気を取り直しDtopia て読み進んでいくと小説らしい心理的な駆け引きが連なる、こちらの方がよほどまともな小説らしい、場面設定はどうでも内面的なリアリティがある。こういう小説の形もありだな、確かに新しい、芥川賞に値する、やっと納得できた気がした。

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2025年1月27日 (月)

今年の芥川賞「ゲーテはすべてを言った」を読んで、これが芥川賞?と感じる

今年も芥川賞が発表される季節となり、1月15日に芥川賞及び直木賞の受賞作が発表された。何とか読んでみたいと受賞作の掲載誌や出版された本の予約を図書館に入れてみるが、入れたのが少し遅かったからか、もうびっしりと予約が入っている。安堂ホセの「DTOPIA」の載っている文藝 2024年秋号 は数人待ちでTripperx21 ひと月くらい待てば読めそうだが鈴木結生の「ゲーテはすべてを言った」掲載の小説トリッパー2024年秋季号は数か月は優に待ちそうで、直木賞の「藍を継ぐ海 」に至っては数年単位の待ち行列だ。これは買うしかないかと後の2つについてはネットで発注した。まあしょうがない。それにしても小説トリッパーなる雑誌は聞いたことがないなと思 っていたら朝日新聞の小説誌で週刊朝日別冊として1995年創刊とある、知らなかっただけのようだ。認知度が低いせいか福岡市の図書館には本館分館すべてを合わせても1冊しかなく待ち行列も長くなるわけだと思ってしまう。
先に来た小説トリッパー2024年秋季号「ゲーテはすべてを言った」から見始める。80数ページでこれはすぐにも読めそうだと読み始めるが、少々手ごわい。まずは登場人物の名前がよみづらい。博把(ひろば)だの、芸亭(うんてい)だの、然(しかり)といった名字や綴喜(つづき)、徳歌(のりか),義子(あきこ)といった名前はルビなしではとても読めない。統一(とういち)という主人公の名前もなじみにくい、統一教会かGoethex2 ?などとも思ってしまう。読みだしてすぐにファウストの一節の引用で乾杯する場面があるがここではドイツ語のまま表記されていて訳文はない、(Trauben trägt Weinstock!/Hörner der Ziegenbock/......といった塩梅)エッと思ってしまう。紅茶のタグに書かれたミルトンの言葉も英文のまま翻訳なしで挿入される、英文ならば分からなくはないがあってるだろうかと思ってしまう。なんという小説なのだろうか、これくらいは俺の読者ならわかるはずだ、と浴びせかけられているような気になっていい気持がしない。一方では、ゲーテという現実の文豪のゲーテ全集の「西東詩集」の巻は全編登場人物の芸亭學が訳したことになっている、現実にももちろんゲーテ全集の翻訳版は出版されていて「西東詩集」の巻を担当した翻訳者が現実にいるわけだがそれを超越してこの小説を進めている。こんなことしていいのだろうか、と疑問になってしまう。小説としての筋立ては比較的単純でそこには特に感動もないのだがそれを取り巻く小宇宙のような記述の海がこの作品の特徴のようだ、そこの出来栄えが新しい時代を開く小説として受賞したのだろうが、その小宇宙は作者の知識のひけらかしのようでなんだかなあという感じもする、読後感が良くない。ほかにいい作品が候補になかったのだろうか、文学の不作の時代に入りつつあるのだろうか、いろいろ考えてしまう。「DTOPIA」の方はどうなんだろうか。

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2024年10月 1日 (火)

もう一つの芥川賞作品「バリ山行」も読んでみた、六甲山という山を思い出してきた

「サンショウウオの四十九日」があまりといえばあまりの設定だったこともあり、もう一つの受賞作「バリ山行」も読んでみた。紹介文では六甲山の山行が軸になってBarisannkou いるような作品というのも気になった、というのも50年以上前阪神間で高校生活を送っていた時登山部の一員として六甲山はしばしば登っていた記憶が今でも体の一部に染み付いたままの気がしているからだろう。当時甲陽園のあたりに住んでいたが、この作品にも甲陽園の駅で降りて山にとりつく場面が描かれているところにぶつかると遠い昔の日々を思い出したりもした。東おたふく山、油こぶし、西谷谷、水晶谷、、どこか頭に残っている名前が次々に文字として出てくる、もはやどこだったのかわからずネットの地図で確認していく、少なくともここに描かれたバリエーションルートの山行はやった記憶がないが、六甲山という山の山としての豊かさが記憶にある。山に登らない人からは六甲山登山と聞いてケーブルで行けばすぐ着くのに、こんなの登山というの、という反応が返ってくることが結構あった、足で登らない人には解らないかな、という感じが今でもしている。読むと作者の六甲山に対する強い思い入れがこの小説のベースにあるような気がしているが、確かにそんな山だ。
小説自体は「サンショウウオ。。」のような不可思議なところはない、普通の小説だ。濃密な描写の連続が新しさを選者に印象づけたのだろうか、読んでみて新しいタイプの小説との印象は強くはない。こんな芥川賞もあるということなのだろう。
小説を読むと頭の動いていない部分が久しぶりに動いたようでいい、夜も長くなってきたし溜まっている読みかけの本をそろそろ読了していこうか、そんなことも考えている。

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2024年9月12日 (木)

芥川賞の「サンショウウオの四十九日」を読んでみたら

芥川賞が決まってその日のうちに掲載誌を図書館に予約したがもう5か月待ち位の長い行列だ。少し待ってみたが待ち行列の進み具合は遅々としていて、しょうがないと今回は受賞作が掲載される文芸春秋九月号をヨドバシに発注して入手した。とにかく配達してくれてポイント分だけ少しは安く買えるのがいい。程なSansyouo0912a く届いて、のんびりと「サンショウウオの四十九日」から読み始めた。すぐに何だこの小説は、と思ってしまう、何しろ生まれた赤ん坊の中に赤ん坊が宿っていて成長してくるというとんでもない情景が描かれる。1年後に第2の赤ん坊は第1の赤ん坊から取りだされて、立派に成長した後この物語の主人公である一体となった双子姉妹杏と瞬の父となるという設定だ。一体となった双子とは見た目は一人だが概ね二人分の臓器が内側にあって意識は別の二人という設定だ。出生届も2人分提出してもめた末受け付けられるという設定でもある。現実にはとてもありそうにない、共感性が全くと言っていいほど湧いてこない小説だ、そうだよなあ、と思うところがどこにもない。読んでいて結構つらい。こんな小説は確かに書かれたことはない、新しい世界を描いていると言えばそうだ、かといって芥川賞というのはちょっと、と思ってしまう。著者の朝比奈秋は現役の医者という、外科手術を行ったりもしているともある。解剖学的には人の意識は見ることはできない、リアルな臓器と意識は別物だという感覚を抱いて書き始められた小説のように読んでいると思える。でもその部分もそうかなあと思ってしまうところがある。こういう小説が書かれそれが芥川賞を取る、そのことそのものが新しい時代の始まりを示しているのかもしれない、そんな風にも思い始めている。確かに時代は動いている。

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2024年8月22日 (木)

ポールオースターの「幽霊たち」を読む、無駄な時間を過ごした

今年の4月に亡くなったポールオースターのニューヨーク3部作の内未読の「幽霊たち」を図書館から借りて読んでいた。120ページ位の文庫本なのですぐに読めるだろうと気楽に読み始めると、これは何だというくらい何だか読みにくい。物語らしい活動が展開されない。筋を端的に言うとPhoto_20240822002601 見張りの依頼を変装した依頼人から受けた探偵が 指定された相手を46時中見張り続ける、きちんと報酬は払われるが1年以上もこれが続く、探偵にとって大変な努力だ、結局指定された相手は依頼人自身だったとわかる、怒った探偵は相手を死ぬほど殴って話は終わる、これだけだ。多分依頼人は作家で作者自身の投影なのだろう、誰かに見られ続けることを願っている、見られ無くなれば存在しないも同然だそういう存在ということなのだろう、最後まで読んで振り返ればそうかなあと思う位で、読んでる最中はいったいこれは何なのだいつかは物語が展開し始めるのだろう、と我慢して読むことになる。読後感が全く良くない、無駄な時間を過ごしてしまったと感じてしまう。多分共感性に乏しいのだろう。確かにこんな形の小説は読んだことがない、でも、だからといってこれは貴重だとも思えてこない。
ポールオースターは不思議な作家だった、それだけはいえるだろう。思えばそれだけでも作者にとって十分なのかもしれない。

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2024年7月22日 (月)

ポールオースターの「鍵のかかった部屋」を読む、面白い

なぜか小説を読んでいると心身の調子が良いような気がしていて、良さそうなのを読むことにしている。つい最近芥川賞の発表があり、これは読まねばとその日のうちに掲載誌を図書館に2作品それぞれ予約した、しかし福岡市全部の市立図書館で抱える冊数が合計してもそれぞれ2冊1冊と少なく待ち行列が長い、3-6か月待ちの状態となった、とにかく待つしかない。その代わりというわけでもないが、このところポールオースターの小説を読んでいて、「ガラスの街」の印象が良かったのもあって、ニューヨーク3部作と呼ばれる残り2作のうち早く貸し出しができた「鍵のかかった部屋」を暫く読Kaginokakattaxa1 んでいる。書き出しからちょっと引き込まれるような書きぶりでうまい。「ガラスの街」と同じくまた一人の人を追いかける話だ、今度は自分の分身のような親友だから「ガラスの街」とは少し違うが、作者と主人公がかぶっていて、終わりの方で作者本人がこの小説の中でこの小説について僕という主人公として書いてさえいるのだ:”この本の前に出た2冊の本についても同じことがいえる。「ガラスの街」、「幽霊たち」、そしてこの本、三つの物語は究極的にはみな同じ物語なのだ。”。 全体が真実の話だと述解しているように見えてしまう、何なんだこの本は、というところは前の「ガラスの街」と同じだ、読み手に作者が直接話したがっているようだ、そういうことなのだろう。この作品の中で主人公が探しているファンショーという人物は多分主人公の一部なのだろう、なくしてしまった自分自身の分身を探しているのだろう、主人公ということは作者本人でもあるのだろう。そしてそこにあるリアリティーに気づかされてしまう。入れ子になった入りくんだ世界が作り物ではないように感じられ面白く魅力的にすら思えてくる。
これは残りの「幽霊たち」も読まねば。無論図書館に予約してあるが芥川賞掲載誌よりは先に来るだろう、暑い夏もこんな風に過ごせればするすると過ぎていきそうな気がしている。

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