2025年10月20日 (月)

「ボーイング強欲の代償」という本を読んでみる

2018年から2019年に起きた、どうみてもボーイングに責任のある737MAXの連続墜落事故のその後の成り行きがなんとなく気になっていた。去年の年末に出された「ボーイング強欲の代償ー連続墜落事故の闇を追う」という本が目に留まって図書館へ借り出し予約を入れたが人気のようでやっと今月初めに貸し出し順が回ってきて読んでみた。
要するに一世を風靡した感のあったジャックウBoeinggouyoku ェルチの経営手法を体得したGE出身の経営者達がボーイングに持ち込んだ株主資本主義の考え方が諸悪の根源にあるというのだ。
確かにGE流の経営はいびつなところがあるのだろう、でもそれが資本主義だ、資本主義社会では受け入れられる経営だ。事故をそれが原因だと非難することはそのような資本主義体制が悪いのだ社会体制を変えろというにほぼ等しい、政治的な視点だ。航空機が落ちるのはもっと技術的な理由が先にある、そこを深堀りできないこの筆者の議論はどうしても上滑りではないかと思ってしまう。
似たような経緯の事故として1960年代にTtail形態の旅客機(BAC111)の試験機が失速時にリアエンジンの後流に水平尾翼が入り安定操縦性が失われてディープストールで墜落した件が思い起こされる。その後も長年航空界はTtailを使ってきた。どうにかすれば危険は回避される、そのどうにかに知恵を絞ってきた、それが航空機の世界のように思う。手だての一つが失速に入りそうになると強制的に頭下げ操作を行うスティックプッシャーだった。今回の737MAXの墜落の原因となったMACSの失速防止でやっていることがスティックプッシャーがやっていることとほぼ同等だ。スティックプッシャーで失速を免れるそのこと自体はそれほどおかしいことではない。問題は一個の迎角センサーしか使わず単一故障でカタストロフィックな結果をもたらされないという冗長系設計の原則がこの場合なされていなかった、それが見過ごされていたというところにある。設計管理システムに過誤があった、ということになる,それがなぜチェックにかからなかったか、という点にある。もしそれが意図的にチェックにかからないようにされていたとするならこれは明らかに犯罪行為だ。それが最初に議論すべき点のように思える。そのような行為をどう防止できるかが必要な考察なのだろう。犯罪者が悪いというより株主資本主義が悪いのだとはなから言い張るようなロジックをこの本の書きっぷりに感じてしまう。読後感がどうにもよくない。こんな本もある。

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2025年8月 1日 (金)

昭和100年、戦後80年、プラザ合意40年

今年は昭和100年だ、戦後80年の声が大きいようだが切りのいい年だけに何々から何10年というと色々並ぶ気がする、個人的にもだ。昭和よりもう少し戻るところからいくと、日露戦争終結120年、昭和100年、太平洋戦争敗戦後80年、個人的には結婚50年、つくば博40年、日航機123便墜落から40年、プラザ合意から40年、地下鉄サリン30年、ウインドウズ95供給開始から30年、福知山線脱線事故から20年、とくる。60年はすぐには思い浮かばない、余りメリハリないが国産旅客機YS11就航から60年、くらいか、
並べてみると何やら見えてくるものがあったりする、戦争や事故の切れ目が目立つ、そんな意味ではベトナム戦争本格化(北爆開始、米軍投入)から60年、また ベトナム戦争終結から50年というのも日本の社会に少なからぬ影響を与えた点ではここに入れたほうがということにもなるかもしれない。
戦争以外ではプラザ合意と御巣鷹山事故から40年というのがちょっと気になる。御巣鷹山事故後、事故は米ボーイングの修理ミスで起こったと明言する米側の余りの潔さに当時少々違和感を覚えていたのを思い出す。今になって振り返ると40日後にプラザ合意で円高誘導という煮え湯を日本側に飲ませ円高不況となるのを覚悟させるという厳しいスケジュールが組まれていた時だっただけに米側が低姿勢に出て不利なことでも正直に語る信頼できる米国との印象を日本国民に与え日本側に飲ませやすくしたのではないか、と疑ってしまう。森永卓郎の陰謀論にはとても同意できないが、御巣鷹山事故とプラザ合意には何か関連がありそうなにおいを感じる。プラザ合意の後、予想を超える急激な円高に見舞われその結果日本には失われた30年がもたらされるに至るというのは歴史的事実でもある。米側にしてみればしてやったりの一幕なのではないか。

こんな風に時をさかのぼって思いを巡らすと、時はいくらあっても足りない気がしてくる。あと10年くらいかな、できて、もうあまり時間が残されていないという思いがつのる。

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2025年6月21日 (土)

エア・インディア171便の墜落

6月12日、インドで離陸直後のボーイング787-8が墜落した。またボーイングとの感もあるが787は就航以来14年、初めての墜落事故で事故後1週間たった現在でも事故原因のおよそのところも明らかになってこない。
墜落事故の概要は以下の通り
2025年6月12日(木)現地時間12日13時38分 (世界標準時UTCで12日8時8分) (IST India Standard Time =UTC/GMT +5:30 hours)インド西部のアーメダバAirindia171 ード国際空港滑走路23を英国ガトウイック空港に向けて出発したエアインディアのAI171便(ボーイング787-8)が離陸後約30秒で墜落炎上し搭乗していた242名(乗客230名、乗員12名)のうち241名が死亡した。乗客1名は奇跡的に大きなけがもなく生存。地上では巻き添えとなった死者が33名出ている模様。ボイスレコーダとフライトレコーダは現場から回収され解析中。(写真はwikipediaより)
現地気象条件はUTC12日8時のMETAR(本空港)で 120800Z 25007KT 6000 NSC 37/16 Q1001 NOSIG と風はほぼ正面から7kt(3.5m/s)、視程6km 、雲なし,気温37℃露点16℃、気圧1001hp で飛行には問題ない状態だったが気温は結構高い。
滑走路は1本で05/23,長さ3,505 m (11,499 ft)、標高58m。
機体はボーイング787-8、座席数256(C18、Y238)で90%の搭乗とほぼ満席の状態。
製造のラインナンバーは26で比較的初めの頃の機体(機体重量がまだ下げ切っていない頃の機体と思われる)2013年末製造で11年くらい運航に供されている模様。
離陸時のビデオ映像が公開されていてそれをみると滑走路端一杯で離陸、浮上したものの脚は上げないで無理に高度を上げ失速したようにマッシュ状に降下している。
アーメダバード国際空港からガトウイック空港までは直線距離で3704nm(6859km)で西行きの飛行であり向かい風になりがちな飛行で燃料は多めとなっていたと思われる。ほぼ満席で気温の高い状態のでの離陸では3500mの滑走路長はそれほどの余裕はなく、ましてやLN26というやや重めの機体故厳しさはなおさらだったと想像される。当日の離陸ビデオでも滑走に路端付近でやっと離陸している状況が見て取れる。
ビデオで見る限り離陸後の飛行は両エンジンの同時不調が事故原因として最も考えられるように見える、エンジン不調で自動展開するラムエアタービンも展開していたようだとの情報も流れている。こんなことを引き起こしえるのはエンジンを制御するソフトに何か落とし穴があったか燃料及び燃料供給系に何らかの異常があった位しか思いつかない。鳥衝突は鳥の残骸が発見されておらずまたぴったり同時に両エンジンを止めるほどの衝突があったとは考えにくくこれではないように思える。
ともかく回収されたフライトレコーダとボイスレコーダには重要なデータが残されているはずであり事故原因の究明が待たれる
これとは別に、エアインディアの機体の整備はトルコの会社が担当しているところがあり印パの戦争状態の現状から事故原因にイスラムの影を疑うNet情報が流れ、急遽トルコからこの機体の整備にはかかわっていないという声明が出されたり、エアインディアがタタグループ傘下に入りエアバス・ボーイングに大量発注を行っており事業の急拡大に進んでいたことが事故の背景にあるのではないかとの憶測が出てきたりと、ネット上の話題は尽きない。翌日のイスラエルによるイラン空爆のニュースに放送のニュースは圧倒されてしまったがnetの情報は出続けており、報道の流すニュースの選択権力のような力がむなしくなりつつある現実も面白い気がして眺めている。
さてどうなるか。

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2024年5月26日 (日)

シンガポール航空SQ321便の乱気流事故

数日前ぼんやりテレビを見ていたらシンガポール航空の機体が乱気流に巻き込まれ乗客1名が死亡したというニュースが飛び込んできて驚いた。乱気流で旅客機乗客が死亡したという事故は聞いたことがなかった。事故の詳細を調べにかかったが、シンガポール航空側が細かい説明を公表していないようでなかなか起こったことにたどり着くのに時間がかかった。本日現在分かったことは以下の通り。
2024年5月20日21時38分46秒UTCにロンドン・ヒースロー空港をシンガポールに向けて離陸したシンガポール航空SQ321便(乗員18名乗客211名)ボーイング777-312ER(登録番号9V-SWM)はミャンマー上空を37000ftで通過飛行中はげしい乱気流に巻き込まれ多数のけが人と一人の死亡者を出しバンコク国際空港に緊急着陸した、というもの。亡くなった一名は心臓系の持病があったようだとも報じられている。事故当時は食事が出されていてシートベルト着用サインが出た直ぐ後だったといわれる。発生時刻は21日7時49分UTC(14時49分バンコク時間)で地上では場所によっては雨が降っていた模様。飛行時の高度速度上昇率データはリアルタイムで機上から送信されるADS-Bデータに基づきSq321flt1a  FlightAware またはFlightradar24のサイトで30秒ごとのデータとして誰でも見ることができる。今回の事象はおよそ1分間の間の激しい上下運動で30秒毎ではつかみきれないがこの間のより細かいデータ(3.75秒事毎のデータと思われる)がFlightradar24のサイトにグラフで公表されている。これによれば短い時間の間に1600Ft/min(8m/s)の上昇から逆に1600ft/min(-8m/s)の急降下が波状的に起こっておりこれではシートベルトをしていなかった乗員乗客は相当の被害を受けたのも当然と納得される。この時の気象条件は必ずしもまだ明らかにはされていないが、37000ft上空での前線というものは考えにくく午後の時間帯の強い日射で地上付近で立ち上がった積乱雲のTopが成Sq321flt01  層圏に入り込んだのではないかと想像される。赤道付近は定常的に雨雲が発達しやすくこの日のこの時刻頃もミャンマーの事故発生場所付近には南北に雨域が伸びている。そういう意味ではこのような事故は特に赤道付近では今後も起こりSq321fltame0a1  Sq321fltamea うるとも思われる。「何はなくともシートベル」につきるのだろう

2024.6.12追記:事故発生時刻頃(2024.5.21 7:30UTC)の広域雲解析情報図(TSAS1)では50000ftまで伸びる積乱雲が事故地点付近R240521071x に観測されていた。

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2023年9月19日 (火)

今年1月のネパールの墜落事故原因があんまりで

9月にアマゾンで釣り客を乗せたエアタクシー機が悪天候で着陸に失敗し乗員乗客14名全員が死亡した事故があったが、このところエアラインとしての墜落事故は年1回程度で、今年は1月にネパールで72人が無くなるYite航空の墜落事故があったっきりだ。その後の事故調査はどうなったのだろうと調べてみると事故の翌月2月にデータレコーダ/ボイスレコーダを解析した速報がネパールの事故調から出たっきりで最終報告書はまだ出ていない。しかし、2月の報告でおおよその事 故の推移は解る。結論から言えば事故発生時操縦していたのは副操縦士でこれを助ける立場の機長が操縦士のコールに従ってフラップレバーを操作してフラップ30度下げとする所を隣のコンディションレバーを操作してプロペラをプロペラフェザー(無推力状態)にしてしまってエンジンは推力を失い回復手順が間に合わないまま最終旋回中に失速墜落した、ということのようだ。信じられない誤操作だ。レバーは近い位置にあるとはいえ、経験Yeti651accident 豊富な機長が間違えるとはと思ってしまう。誤操作の原因を明らかにするところで最終報告に時間がかかっているのかもしれない。ともかく完全なヒューマンエラーだ。
ひとつ前のエアライン墜落事故である2022年3月の中国東方航空MU5735便墜落事故も正式な事故報告書は出されていないがウオールストリートジャーナルが報じる(データレコーダ、ボイスレコーダ解析に接しえたと思われる)米国当局筋の情報では、乗員の一人が故意に墜落させたということのようで、人間の問題をどう安全に導くか、これが航空機安全の最後の壁のように感じられてしまう。
航空機事故で死亡する確率はクルマより遥かに低いものになっているとはいえ、人の関わることには絶対はない、それが人間というものなのだろう、この宇宙で生きていくということなのだろう。

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2023年1月29日 (日)

ネパールの旅客機墜落事故が気になっていて

2023年1月15日ネパールのポカラで旅客機墜落事故が発生してもう2週間経つが依然事故原因については明らかになってこず気になっている。ここらで現在得られる情報を整理してみる。
事故機はネパールの国内線でイエティ航空691便、機体はフランス/イタリア共同のATR社製72人乗りコミューター旅客機ATR72-500(エンジンはP&WカナダのPW127Fターボプロップ双発)、事故時の搭乗は乗員4名乗客68名で全員死亡。機齢は15年6か月で普通の感じだ。事故機は現地時間1月15日10時33分(4:48UTC、現地時間はグリニッチ時であるUTCに+5:45))カトマンズ国際空港を離陸し、ポカラ空港に向かっていたところポカラ空港北西の滑走路延長上の川の土手に墜落した。事故発生は11時過ぎとみられる。管制への異常連絡は無かった。ポカラ空港の滑走路は12-30(進入が120度又は300度の方向の滑走路)で、ポカラの管制は東南(30)からの進入を伝えていたがパイロットが直前に北西側(12)からの進入Map1_20230129224101 に変更した。多くの機体は30側から進入しておりILS機器も30側に設置してある。当日の気象はポカラの6:00utcのsynopデータでは180°(南)の風5ktだから、若干の背風となる30側の進入を嫌ったとも思える。客室からの映像がFacebookのストリーミングに残されているが墜落寸前までは普通の飛行にみえる。地上から撮られた墜落寸前のビデオからはファイナルターンをしているところでバンクが増えてそのまま地上に突っ込んだように見える。
フライトレコーダとボイスレコーダは回収され間もなくシンガポールで解析されると伝えられている。当初はフランスに送られると伝えられていたがシンガポールで解析と決着したようだ。機体製造国の解析では中立性に疑問を抱いたのかもしれない。
機器の不具合については明らかではないが機上の飛行データを地上にリアルタイムで送るADS-Bの飛行高度速度データが異常で、送信も飛行途中で終わっており、少なくもこのシスTuirakumae テムには不具合があったことは明らかなようだ。このため事故があるとすぐに公表されるFlightdata24によるデータが今回は得られていない。フライトレコーダの読み取り結果公表まではこれ以上のことは解らないというのが現状だ。
機器の故障としてファイナルターン中の事故ということで、例えばファイナルターン中にフラップを下ろそうとしたが片側がうまく下りず片フラップになって操縦輪では負けてしまった、とかが考えられるがそこまでの故障がありうるのか、分からない。地上からのビデオ映像では失速-スピンというのでもないように見える。
副操縦士はこのフライトがうまくいけばこの後機長に昇格となることになっていたと伝えられており、事故機の機長はその最終判定役として振舞っていて操縦の修正が遅れたとも考えられなくもないが、安全優先は機長も勿論熟知しておりその線は薄いように思える。

どんな教訓をこの事故はもたらしてくれるだろうか、フライトレコーダとボイスレコーダ情報で多くの疑問が解かれると期待され、解析が待たれる。

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2023年1月 5日 (木)

見上げれば正月の空港に米海軍の737が飛来

年が明けた。初詣には近くの御子神社に歩いて行ったが参拝の列が長く横参りで済ませた、一応誓いの言葉も浮かんで久し振りに初詣らしい。近くの大学の和太鼓サークルによる演奏があっていてなかなかの迫力だ,途中の挨拶ではコロナ下で発表の場が少なく貴重な機会という、いつもの年よりずいぶんと沢山演奏している。終わりまで待たずに引き上げた。
神社に到着前にそばの河原でカワラヒワが数羽姿を見せる、今年の初鳥見はカワラヒワということになる、これもまずまずだ。
1月3日になって少しは出かけるかと車で20分ほどの池に出向くことにした。老司池、野多目池とめぐる。キンクロハジロの300羽以上の集団がとどまっていてちょっとした見ものだ。ハジロカイツブリも少しの群れでいたりもする。
上空を福岡空港へ着陸する機体が次々に通過していくがC40aa1 そのうち少し雰囲気の違う737がやってくる。何だろうと思いつつ写真に撮って戻って調べる。福岡空港の発着スケジュール表はネット上で見ることが出きるがそれらしい機体は出てこない。しょうがないので写真検索をすると似た写真がヒットした、米海軍仕様の737でC-40Aという機体とわかる。過密な正月の民間空港に割り込んで飛来してきているようだ。米軍は相変わらず傍若無人に治外法権の日本を飛び回っているようで何だか植民地の様な気がしてくる。何時になったら本当の意味で独立できるのだろうか。あるいはそこまでして独立しなくてもいいというのがもしかしたらマジョリティなのかもしれない、何しろ民主主義の国だ、多数がそう思えばどうにでもなれる。

何かにつけ色々考えさせられる年となりそうだ、そんな予感を与えてくれる正月という期間は貴重でもあるように思えてくる。

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2022年6月13日 (月)

東京はもう体がもたない

久し振りに東京へ出かけた。同期会に出席するためだが、昼食会で十分帰れそうなので日帰りとした。一泊して東京の街を興味に任せてブラブラするのは疲れ切るのが見えている。航空機で日帰りというのも贅沢だが、コロナでマイルの期限延長があったようで大分マイルが残っていてこれが消えないうちに使ってしまおうとマイルで行くことにしたため金銭的な負担は考えなくてよくなってこうしてしまった、というのが正しい言い方なのだろう。
それでもせっかくだからと少し早めに行って見れるところを見てみようと、始発の次の便(7時35分福岡発)で東京へ向かった。3年ぶりということもあって空港の勝手にも思わぬことがあるかもしれないと余裕を見て6時にタクシーを予約しておいた。思ったよりも早く30分位で空港に着いてしまい少々時間を持て余し気味だったが遅れるよりは何倍もいい。機体はエアバスA350-900だ、初めて乗る。主翼から少し離れた後部の窓際の席としていたが可成りうるさい。エンジンの後流がこの辺りの胴体にかすっているのだろうか。イヤホンをしても音声が聞き取りにくい、こんな経験は初めてだ。そうはいっても新しい機体だ、モニター画面には尾翼につけられた機体カメラの映像が見れたりして面白い、音楽はまともに聴けないのでこればかり見ていた。A3509000610a
予定通り9時10分ごろ羽田に着く。予定はしていなかったが昭和島の水処理センター屋上のコアジサシがもう来ているころだろうとモノレールの昭和島の駅で降りてみる。東口の通路を出て見上げるがツバメが飛んでいるくらいでコアジサシはさっぱりだ、昭和橋のところまで行ってみるが同じでむなしく引き上げる。ここにはもう来なくなったのだろうか。時期が僅かにずれているのかもしれない。
浜松町のそばにある芝離宮公園もまだ見たことがなくて訪れてみたいが時間が少ない、眺めるだけでもと思う。展望所があるはずと駅の案内の人に聞くがよくわからず北口から出て直ぐ右の建物の3階から眺めてみる。どうということもない。無駄な時間をいくつも使ってしまったようだが如何にも旅らしい。当初の予定に従って京橋にあるアーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)に向かう。
東京駅地下から八重洲の地下街を通るが随分久しぶりでこんなに店が多かったのか、ととまどう。以前東京駅で感じていた洪水のような人の流れではないが矢張り人は多い。人に尋ねたりしながら思っていたよりも大分歩いてやっとたどり着く。ここで写真と絵画の響きあう展示が開催されているというのをネットで見つけて見てみたいと思ったのがそもそもの訪問動機だ。久留米の石橋文化センターから移された収蔵品もどうなっているのだろうと気になったのもある。
事前予約で放送大学の学生として予約しておいた、学生は無料だ、予約コードと学生証を見せて問題なく入館する。6階までまず上がるという順路になっていて、「写真と絵画ーセザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」という見たかった展示の部屋に入る。それ程人は多くはない、丁度見Artizon0610a やすいくらいだ。絵画的つくりの写真だ。静物画の様な写真でなく水の流れや森の奥行や、それが絵画のように示される。撮れそうで撮れない写真のように感じる。絵を描くために撮った写真というものとは明らかに違う、そのものがある。作品の撮影は基本的に自由なので気に入ったものを持ってきたコンデジで撮っていく。こんな美術館も日本では珍しい。思った通り見るべき展示だった。
5階ではTransformation 越境から生まれるアートという絵画中心の展示ですらすらと見ていくがザオ・ウーキーの現代アートがいい。ザオ・ウーキーの名は知らなかった、1920年中國北京生まれ、9年前に93歳でスイスで亡くなっている。フランスに移住して活動していたが米国のジャクソンポロックなどの抽象画家の影響も大きいようだ。この美術館は彼の作品を数多く所蔵しているらしい。確かにいい絵を描く画家だ。
その他所蔵絵画の展示が4階に展開していてこれも見るがさすがに疲れてきて適当になる。
東京をめぐるのは今や体力勝負になってしまったようだ、たった3時間でもう足に異変を感じるほどだ。ともかく新橋の同期会会場に向かう。久しぶりの雑談をしこたま交わして4時ころまた羽田へ向かう、計算よりやや早めについて予約の便よりひと便前のに変えてもらって乗り込む。またA350-900だ。結構乗っている。機内で空弁を食べた後トイレに行くと、あまり居心地の良いトイレでもない、とにかく狭いし787のようなウオッシュレットでもない。少しでもたくさんの客を乗せエアラインの利益の上がる機体にすることに徹しているような造りだ。こうなっていくのがこの時代なのかもしれない。

久しぶりの東京は、ともかく疲れた。今現在の自分と世の中の関係を見せられたような気がしてしまう、体力的にもうついていけないかな、そう思ってしまう。たまにはこんな旅も必要なのだろう。

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2022年4月17日 (日)

中国東方航空MU5735の墜落が

先月中国で巡航中突然墜落した737の事故の原因がまだ明らかにされなくて気になっている。
2022年3月21日、中国・雲南省昆明市の昆明長水国際空港を広東省広州市の広州白雲国際空港に向けて05:15 UTC に離陸した中国東方航空のBoeing737-800、MU5735便は06:20UTC頃通常通り29100ftの巡航高度から降下を始めたが06:22 UTC頃広西チワン族自治区藤県付近の山中に墜落した。正確な墜落地点の情報はないが、比較的低い山の連なる山地で標高500-1000m程度とグーグルマップからは推測される。乗員9名乗客123名は全員死亡。墜落現場は大きな穴が開き部品の散乱範囲は狭い。翼端のウイングレットだけは10km位離れた地点で発見されている、高速の降下で最初にここがちぎれたのかもしれない。近くの鉱山の監視カメラが撮ったとされる映像や目撃者談ではかなりの急角度で高速で墜落激突したように思える。フライトレコーダ、ボイスレコーダは回収され米国に送られ解析中らしい。米国の事故調であるNTSBが依頼により協力している。1か月以内に調査結果のあらましが中国側から発表されるという。
現在公表されているデータはリアルタイムで送られてきていたADS-Mu5735final150secondsaltitudespeedverticBデータだけではある。
これを見ると、高度約30000ftで巡航飛行後着陸に備えエンジンを絞って降下しているようだが降下開始タイミングそのものは通常通りのようだ、しかしその後は急な降下となって急加速しており明らかに操縦がおかしい、部分的に上昇したりもしている。運動エネルギーと位置エネルギーの和を計算してみると平均のグライドパスは滑空比5-6程度で降下しておりエネルギー的には落ち着いていて、エンジンを絞ったままの状態でEnergyhight エレベータ操舵で減速上昇・加速降下を行っているように見える。データは高度およそ3000ft(1500m)で終わっていてグラフから読み取って計算するとこの時の降下角は36度位で異常に急な降下には違いないが垂直降下ではない。監視カメラといわれる映像が垂直降下に見えるのは見ているカメラの向きが関係しているのかもしれない。
これだけでは原因は分からない、エレベータ操舵系統の故障・破損かもしれないし、パイロットの意図的操舵ということも考えられないわけではない。エンジンパワーの操作はどうだったのか、色々考えてしまう。フライトレコーダのデータが読めていれば原因は相当のところまで絞られているとみられるが発表がまだないのはどういうことだろうか、政治的な考慮があるのかもしれない。
ともかく発表が待たれる。

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2021年12月20日 (月)

椅子クラフツという放送大学の講座が

放送大学で半期に1つの講座を受講している。今年の下半期は「椅子クラフツ文化の社会経済学」というのが少し気になってとってみることにした。
放送大学には工学系の講座が殆どないところへ作ることを感じさせるタイトルがそんな気を起させたのかもしれない。放送ではなくオンライン授業だ。但し放送と同じようにその場で質問はできず視聴するだけだ。社会経済学の講義の一環で何故椅子を作る手工業(クラフツ)が現代まで生き残っているか、という視点の講座としているが、ほとんどが椅子制作の歴史的変遷や、どんな椅子があるかに終始する。何の授業だろうかと何度も思ってしまう。椅子をどうやってうまく作るかというハウツーものでも全くない。8回の講義を聞いてレポートを出し終えた今でもまだわからない。レポートはいくつか示されたテーマの中で人生で印象に残った椅子をあげて説明する、というのがあってこれを選んだ。椅子としてパイロットシートが印象深い、幾つかパイロットシートの思い出はあるが、800字以内という制限があって大して書けない、興味で行くと戦闘機パイロット用のシートというのが気になっていたので、直接関係したことはないがこれについて書くことにした。シビアな使い方の椅子としてはほぼ頂点にあるように思える。手持ちの資料にも少しはあるだろうと航空宇宙工学便覧を開いてみたがほとんど記述がない。自分としても装備品の資料はあまり集めてはいない。しかたなくネットで手繰っていく。パイロット座席は椅Pilotseat 子としての特徴は幾つかあるが緊急時に射出できることが最も重要な機能に思える。歴史的にはジェット戦闘機の登場とともに考案されており、最初のジェット機が作られた国の一つである英国で戦後すぐにマーチンベイカー社(英)によって形つくられた形態がその後の主流となっている。以来射出座席の分野ではマーチンベイカーが圧倒的シェアを保っていて最近自衛隊が採用したロッキードF35の座席も勿論そうだ。椅子の歴史ではイギリスで各種その後の手本となる椅子(例えばウインザーチェアやサセックスチェア)が創出されており、何故か一般的に言っても椅子の分野ではすべからくイギリスが強いようだ。第二次世界大戦中量産された世界最初の実用ジェット戦闘機はナチスのMe262であったがこれには射出座席は取り付けられてはいなかった、当時射出座席はナチスドイツでは既に開発されていたのだがこれを量産できる段階ではなかったのだろう。随分とノウハウが入り組んで必要な製品のようだ。クラフツ的な側面がやはりあるのだろう。調べて行くと結構面白い。
たらたらと書いてみるがとても椅子クラフツの講義のレポートとして相応しいようにも思えない、しかし椅子という切り口は多相な世界への入口を提供してくれているようでもあり、興味深いアナザーワールドに遭遇したような気分にもなった。学び続けることはやはり楽しい。

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