2026年2月28日 (土)

時々海を見たくなる

北関東にいた時は海を見るというと水戸近くの太平洋沿岸まで70㎞くらい走らねばならず思うだけの事柄の一つだったが、この地福岡ではほんの20分も走れば海がみられる、見ようという意志さえあれば叶うことの一つだ。ただし博多湾内の海は内海で太平洋や日本海にじかに接するのとは訳が違う、博多湾で水平線が見れるのはほんのわずかだ。それでも矢張り海が見たいと出かける。幻想の海なのかもしれない。数日前室見川河口に出て海を見た。河口にはスズガモが80羽くらい集まって採餌している、それくらいだ。別に。。という海が能古島や糸島の半島、志賀島と海の中道に囲まれてのっぺりと広がる。

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歴史を思えばここらは元寇で蒙古が攻め寄せてきた時の上陸地点付近だ、そうまで緊迫しなくとも、大陸から色々のがものがこの地を経由して日本国内に広まっていった。仏教も唐から戻った空海は博多に上陸して真言宗を開いた、うどんもうどん製造機とともにこの地に伝えられここから広まった。単なる窓口ということかもしれない、でもそれでも十分だ、流れ込む、あるいは流れ出す、それを運ぶ海がある、それをじかに見ることができ

Suzugm0224aa1sgn るすがすがしさがある。
時々そんな海を見に行ける、そのことだけでもこの地の素晴らしさがあるように思っている

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2025年8月16日 (土)

福岡の菊池神社が気になるー時代の変わり目に菊池の亡霊が姿を現すようで

近くに菊池神社というのがあって少し気になって調べている。気になったのはTSMCの半導体工場が熊本・菊池のあたりにくることになったいうあたりからだ。正確には菊池市の南隣の菊陽町にくるのだが、まあ昔の豪族菊池氏が本拠にしていた菊池エリアの一部といってもいい。
今やTSMCの半導体工場の熊本・菊陽町エリアへの進出は本格的に九州の経済に効いてきたようで 、Kikuchijinjya1a ともかく最近は熊本市内は道が混んでばかりのようだ。この地に来たのは幾つかあるが特に熊本の水がいいからだと説明されている、北隣の菊池市の菊池渓谷は確かに気持ちのいい景観だ、しかし大工場に水を供給し続けるほどかとも思っていた。
菊陽町はもと菊池郡の津田村、原水村および上益城郡白水村が合併してできてた菊池エリアの南部にあたる、川の流水域としては白川の流水域となっていて、菊池渓谷を形成する菊池川水域ではないようだ。TSMCの半導体工場に供給される地下水はもとは白川の水ということになり確かにこれはいかにも水量がありそうに思える。菊池氏の本拠があったのは菊池川沿いのあたりで、どうやら今回のTSMCとはつながってこないようにも見える、でも気になる。
とにかく福岡の自宅近くにある菊池神社は現在の場所とどういうつながりかなと調べ始める、結構深い感じがしてきてそういうことかということにいくつも遭遇する。
この神社に祭られているのは菊池武時となっていて、菊池氏一族公式ウエブサイトでは菊池氏第12代当主とある。現地説明版やWikipedia記述をみると、菊池氏は元は大宰府勤めになった藤原氏の末裔ということのようで菊池地域に住むようになったので菊池氏と称していて、今の菊池市の中心部あたりに本拠があったようだ。
これとは別に、7世紀には白村江の敗戦で北部九州にも侵略が伸びるかもしれないというので急遽防御用の山城が大和朝廷によりあちこちに建設されたがそのうちの一つ、鞠智(きくち)城というのが山鹿あたりに建設されていてその名が菊池のもとになったような気がしている。
読み方はもとは きくち ではなく くくち であったという説が有力のようで、長い年月が菊池の地名を作り菊池氏を生んだということのようにも解釈できる気がしている。
菊池武時がこの地に祭られることになった経緯は、鎌倉時代末期の1333年、隠岐を脱出した後醍醐天皇が発した綸旨に呼応して菊池武時は倒幕の兵をあげ鎮西探題に攻めよせた、この時大友や少弐が寝返って鎌倉側についたため菊池は敗れ武時は討ち死にした。この時遺体を埋めたのがこの菊池神社の地であったとされ江戸時代に墓碑がたてられ明治になって社殿が建てられた。ここは胴体が埋められた首は北の六本松あたりに埋められたとのい伝えがあり首を埋めたとされるところには首塚(菊池霊社)が造られている。武時の敗れた2か月後、尊氏が京都六波羅探題を落としたとの報に接した大友・少弐は今度は自らが鎮西探題を攻めこれを落としている。どうやら倒幕には賛成だが菊池の手柄にさせたくないとの思いがあったのではないかと想像される。3年後都を追われた尊氏軍は大友の助けで九州まで船で落ち延びここで少弐の支援を受けて博多・多々良浜で宮側(南朝)についた菊池軍と戦う(多々良浜の戦い)、これに勝利した尊氏は再び京に攻め上り室町幕府を開く。その20年後九州の南朝勢力、懐良親王=菊池氏 と北朝側の少弐氏・大友氏 を中心とする2つの勢力が筑後川で激突(筑後川の決戦)、今回は南朝側が勝利して以降しばらくは九州では南朝中心の時代となる。その後菊池氏は戦国時代大友との争いに敗れていき16世紀半ばで滅亡する。ただ、一族にはのちに西郷隆盛を出した西郷氏も属しており、この後も連綿と人材を出し続けたと思われる。西郷をはじめとする明治新政府を支えたメンバーには南朝を正統とみる立場のものが多くいたようで、この福岡の菊池神社が神社として体裁を整えたのも明治政府が立ち上がった直後のことであり(明治2年)、またその後も明治政府は、南朝を正統とするとの政府見解をわざわざ公表するという挙にも出ている。こんなのを見ていると、どこか時代を変えようとするとき九州では菊池の亡霊が姿を現すような気がしてくる。TSMCの件にもこんな影を見てしまうのは考えすぎなのだろうか。

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2025年2月28日 (金)

平尾八幡宮という所に行ってみて時空のつながりを思う

平尾八幡宮に行ってみる。ずいぶん昔、戦後10年という時代にこの近くの平尾小学校という所に通っていて、今でもこのあたりの雰囲気はうっすら覚えているのだが、ここにこんなお宮があったのは記憶していない。当時は動物園側に高射砲陣地跡というのがあったり教会があったりしたのだが平尾山荘通りの東の方にこんな神社あったっけ、という感じだ。昔の地図をネットで探してみてみると、確かに神社マークがある、知らないだけだったようだ。当時は山荘通り南側の小笹地区一帯が大開発中でいったい何ができるのだろうという感じが印象の中心にあったような気がする。記憶は曖昧なところが懐かしさの元にあるような気もしている。改めて平尾八幡宮に行ってみると平尾天神というのも横にあって、菅原道真が流されて博多に上陸したところにできた容見天神が移転してきたものだという。天神の水鏡天満宮の起源とは別の容見天神があったということのようだ。住吉神社に残されている鎌倉時代の博多古図からは平尾村のところに容見天神 が書かれており 位置関係からはこちらの方がそれらしい気もしなくはない。ともかくこの地の言い伝えはすぐに1000年前の時代に軽く飛ぶ。高宮駅に寄ったところには高宮八幡宮というのがあるがここは天智天皇が中大兄皇子 と言っていたころ博多に来て(結局は白村江の敗戦に至る)百済救援の陣をひいていた辺りらしい。随分昔に起源があるようだが平尾八幡宮の方もそもそもの起源はそれより古い神功皇后の三韓征伐までさかのぼることになっているようではある。むろん本当のところはわからないが博多の地は古くから朝鮮半島/大陸に向かう玄関口だったことから、様々な本当らしい言い伝えに満ちているような気がしている。金印の出土など証拠となる遺物遺跡もいくつもあって古代から連続する歴史の時空が今に繋がっている様が否応なく現実に感じられてしまう。

この話とは全く別だが時空はつながっている話で最近感じていることがある。

この冬は波状的に日本列島は寒波に襲われて北の地方では近年にない豪雪になっているようだ。この天気は西高東低の冬型の強まりが直接の原因とされる。大陸の冷たい高気圧である西高というのに対し東低という形はは東の海上に向かって急速に低気圧が発達してこれが寒気を呼び込む形を作ってしまうということのようだ。多分相対的に暖かい海洋上に冷たい空気が吹き込んでくると上昇気流ができやすくこれが低気圧を発達させるの2025022607utc だろうが、この発達した低気圧はその後どうなってしまうのだろう。地球規模の雨雲の動きを追跡してみると、日本の東の海上で発達した低気圧は東進を続け大体は北米の西海岸北部に到達する。当然のように北米の西海岸北部は次々に現れる低気圧で冬の間中雨だらけとなる(暖かい海流のせいで雪にはならない)。シアトルに昔仕事で時々行っていたが、Seattle: 32 Days of Rain と書かれた帽子がお土産品として売られていたほどだった。Seattle’s gray skies というフレーズもあるようだ。日本の豪雪はシアトルの冬のgray skiesに直接つながる、さらには全く同じようなパターンで北米への寒波は大西洋の東に位置する英国にはGrey skies over London、といった表現が用いられるように冬のロンドンにシアトルに似た冬の気象をもたらすようだ。波状的に気象は世界をめぐっている、思っている以上に地球を包む時空はつながっている、と感じてしまう。

こんな風につらつら思いを時空に解き放ち漂っているともう2月も終わりに来てしまった、3月は何が待っているのだろうか

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2024年11月30日 (土)

作曲家藤井凡大さんのことを思い出して

先日の九州交響楽団の定期演奏会で和楽器との共演を聴いた後そういえば幼いころ住んでた家の隣に作曲家・指揮者となった藤井凡大さん(1931-1994)が住んでいたことを思い出した。幼かったのもありその姿の記憶は残っていないが九大で造船工学を学んでいた凡大さんが造った船の模型をもらい受Bondai2 けて風呂に浮かべて遊んでいた記憶はある、しっかり作られた模型だった。隣の家のご両親は家で三味線・琴・お謡いを教えていて、和楽の音が漂っているそんな地域だった。もう随分前の話だ、現在は、数年前訪れてみるとまとめて地上げされたあとに通信制の高校が建っている、流れつづける時の流れには身を任せるほかない。
凡大さんの曲をまともに聞いたことがないような気がしてネットで探してみると代表作の一つ「東洋の楽器による交響曲・西遊記」のCDが売られてるのをみつけて早速発注してみた。藤井凡大指揮でレコードとして発売され昭和42年度のレコード部門の芸Bondai1 術祭賞を受賞している。
聴いてみると、音楽というより音そのものが面白い。シルクロードの楽器多数から構成される演奏でそれを組み上げて40分を超える大曲にしている、大河の流れのようでもありス トーリーのある構成だがエンドレスに聴いていられる気がしてくる。アジアに対する何かが込められているような気もして楽器を揃られるかが大変だろうがこの先も演奏し続けられるべき曲のように思えてしまう。生で聞いてみたい。
もう一度これを今演奏するとすれば、九響の太田弦ならできるかもしれない、そんなことをつらつら思ってしまう、期待してしまう。

所詮平均余命がも   はや11年しか残っていない身には生で聞くことはもう無理かもしれないけれど。

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2024年8月26日 (月)

暑い日が続く、なんでこうも暑いのかたらたらと考える

暑い日が続く。なんでこうも暑いのか気にはなっていた、なんとなくやり過ごしていたものの、地球温暖化だ人為的CO2増加だといういわば短絡的な思考にはどうにも何かそぐわないものを感じていた。数日前の朝ぼんやり衛星画像を見ていたら沿海州から北海道に大きな雲の渦運動が近づいている、右回りだ、高気圧の渦ということになるがそんなところに高気圧などなかったが、と天気図を見る、高気圧は見当たらない。いくつか解析図を追って行ってついにこの渦運動が250hp高度の大気の流れの計算値とよく対応しているのに行き当たる、ジェット気流の激しい波うちの予測Xx2024082212zyy
計算結果が可視化されていてこのあたりで右回りの渦のようになっている。250hpは高度11000mくらいにあたる。下層の高度の計算値とはだいぶ違う。衛星写真は高度の高い雲はやや強調されてあらわされる傾向にありそれで目に付いたのだろうか。

こんなこともあるのかと、公表されるゾンデ計測データからいつも描いている高度9500mの等圧線図(下図左気圧青線)と高度250mの気温・等圧線図(下図右、気温を暖色彩色)も眺め直していると、確かに9500mでの等圧線の波うちは顕著だが、これに合わせるように地面付近の気温が分布している。高高度の高気圧と地上の高温がきわめてよく対応している。何だこんなことかと思ってしまう。高層の昇温が高層の高気圧によってもたらされこれが地上まで下りてきて地上の高温となっているのかと思うがどうも変だ、上層大気の垂直方向温度変化を眺めていると、基本的に気温は上か25095002024082112za ら下までおなじような傾向で上層の温度が高い時は下層も高 い、平行移動するように高温側にずれる、 どの地点でもほぼ同じだ。気温と気圧の関係 は気温が高いと空気分子の運動が激しくなり当然気圧は高くなる、高層ほどこの関係はシンプルになる、考えてみれば当然だ。どこにも驚きはない。ジェット気流の挙動と地上気温が深くつながっているというのも当たり前といえばそうだ、物理現象は当たり前だらけた。大気の加熱は基本的に地球表面で行われる、こうも暑いのはなぜという疑問は地球表面温度は熱収支で決まるだけだという当たり前のところに戻って来る。やはり温暖化ガスの影響は大きいということになる。co2が増えていけば温暖な地球が現出するが46億年の地球の歴史を俯瞰すると歴史的には現在の数倍のco2だった温暖な時代では地球は生命で満ち溢れていてとても地球の危機がすぐ来るとは思えない、地球にとっての害虫のような人間が生きにくいといって地球の危機では全くないのだろう。
co2の騒ぎは利害が絡んでいる、そんな気がしている。そうやすやすと乗せられてたまるか、そう思っている日々が過ぎて行く。

たらたらととりとめもなく考えを走らせる、それが生きている証のようで面白い。

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2024年7月30日 (火)

サンフランシスコの夏が涼しいのが少し気になって

暑い日が続くが、そうでもないところもある、サンフランシスコだ。サンフランシスコの夏が涼しいのは沿岸を流れる海流の水温が低いからだが、Kionxx1 そのメカニズムが気になって少し調べてみた。
北米西海岸に沿って北から南に流れるカルフォルニア海流はアラスカで冷やされた海水も流れ下るため低温になりがちだがそのほか湧昇流のためにも低温になるようだ。南下する海流はエクマン効果(要するにコリオリの効果)で右へとねじられるがこれを補うため深海から湧昇してくる海水の温度が低く海流の水温がさらに低くなるというのだ。確かにN OAAの計測値でも明らかに低い。しかし今年は平年に比べてさらに下がっている。
なんで今年はそうなのか、よく解らない、そのくらいの変動はあるということかもしれない 。
それにしても、日本の今年の夏の気温が高い、地球温暖化のせいといってしまうのは短絡的という気もする。地球規模の気温の変動をローカルな場所の気温と直結して考えるのは少々無理があるというものだろう、例年になく暑いところがあれば

Sst例年になく涼しいところもある、それが地球の現実なのだろう。決められたシナリオで報道したがるのがマスコミだ、マスコミに煽られないクールな生き方が肝要なような気がしている。

 
添付図1:福岡市とサンフランシスコに近いオークランド空港の気温垂直分布図 低高度でオークランド空港は急に気温が下がっている。

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添付図2:海水温分布図 米西海岸沖に低温の海流
添付図3:海水温平年差分布図 今年は米西海岸沖がいつもより低温

 

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2023年8月14日 (月)

日光への旅が四次元の時間と場所を旅しているようで

もうずいぶん長く参加していた日光の野鳥観察の会が解散することになって、ともかく最後の観察会や懇親会に出ようと福岡から出かけた。取りやめた海外旅行のために買っておいた福岡―成田のピーチ航空のチケットが宙に浮いていたこともある、ピーチはキャンセルしても現金は返ってこない、こんな使い方がうるわしい。台風6号が気になる位置にいたが関東への直接の影響はない見込みと、成田から乗り継いで日光まで行く方法や日光の宿の手配などを固めて出かけた。成田から日光への移動は思いのほか複雑で東武に問い合わせしたりしてやっと京成本線から押上で半蔵門線に乗り換え北千住まで行きそこで東武特急に乗るというルートにたどり着きこれを選択した。これなら駅内の移動が比較的シンプルで行けそうだ。ピーチが手際よい運航を見せ成田到着が予定よりやや早く荷物もすぐ出てきて時間が余り、前倒しスケジュールしようとした、しかしそのためには成田-押上の特急・快速便が少なく、ここも駅員に相談して成田―青砥を特急電車として青砥ー押上と移動し北千住へ行くことにした、青砥では向かい合わせのホームの電車に接続していて乗り換えは容易という。めでたくやや早めに北千住の駅に到着しエスカレータを上がったところのエキナカで昼食を済ませる、当初のスケジュールでは昼食が難しく遅い駅弁を何とか見つけ東武特急で食べることになるか最悪は昼なしと覚悟していたが、うまくいった。ともかく成田―日光のあまりの移動のしづらさに日光は海外からの観光客にもう来てほしくないのか、と思うほどだ。日光へ着いてタクシーの運転手なんかに聞くと外国人だらけだというし確かに目につく、やはりそうかとも思ってしまう。
Kouhone し振りの顔に会ったり、会食をしたりして次の日の最後の観察会と懇親会を迎える。古い顔が25名位集まる。物見遊山の旅行よりこんな旅がしっくりくる、場所も時間も自在に動く、四次元の空間を旅している感覚に陥る。山中の民宿に一泊して昼まで山奥で過ごしまた日光駅まで送ってもらって東武特急に乗る。電車の北千住到着が予定より10分も遅れたが予定電車便の組み換えは今度はてきぱきできて7分遅れ位で成田に到着する。成田空港で夕食の予定が思ったよりレストランが遠く空港の中を右往左往してしまう、もっと簡単に食べるところなど見つかっていたという記憶が怪しげだったことに気づく。ボーディングが始まって暫くしたころやっとボーディングゲートにたどり着き無事搭乗、ほぼ満席でやっぱり混んでいる。台風が九州の西に近づきつつあって天気は荒れ模様だ、窓から太い柱の様な積乱雲の中で雷光が暗い空に美しく輝くのを何度も見ながらナイトフライトが過ぎて行く。立体的でどこかこの旅全体を象徴しているようだ。福岡空港にも若干早く到着し10時頃にはAirport 自宅に帰り着く。終わってみると経験したことのないような貴重な旅だったように思えてくる、生きていて過ごしていく時間の価値の測り方が今までとは違っていた、こんな旅はもうできないかもしれない、そう思い始めている。

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2022年11月11日 (金)

事物の連鎖による理解

このところぼんやりと時の流れるままに過ごしているが、一つ一つの事象がつながって見えたりする時があって面白い。今は平野啓一郎だ。

図書館から何かの拍子で借り出していた平野啓一郎の芥川賞作品「日蝕」の返却期限が迫り急いで読む、ということが最近あった。読み始めると、15世紀末のヨーロッパが舞台となっていてそれをルビ付きの旧漢字がちNissyoku1 りばめられている見たことのない文体で書かれている。よく書かれていて学生が書いたものとはとても思えない。結構面白い。確かに才能がある。読み始めて直ぐは、文体のこれみよがしのようなひけらかしは気に入らない、と思うが読み進むとすぐに慣れて、中世の終わりルネサンスの始まりの時代の雰囲気が感じられるようにもなってくる。結構すらすらと読める。それにしても何故こんな作品を書くに至ったのかが伝わっては来ない。錬金術への興味からか。両性具有者を登場させる背景?。解らないまま読み終える。

数日後三島由紀夫vs全共闘のドキュメント映画をWowowで流しているので見ていると平野啓一郎が解説のような立場で出てくる、もちろん現代の、過去を振りかえっMisima1 て解説する立場だ。三島由紀夫の再来というキャッチフレーズがまだ有効なのだろうか。認識論の討論のようになっている場面で、こんな議論に強いということだろうか、そんなものかと見ているが今一つしっくりこない。今や遠くに過ぎ去った過去だが、今現在の時代の有り様に違う次元から関わってきている事件ととらえるべきなのかもしれない。

更に通日後、九州国立博物館で開かれているポンペイPonpei1 展を見る。数多くの発掘品の中に裸体の彫像もいくつかある、両性具有者ではないが男性器の誇示を感じる。現代とは何か感じ方が違うようだ。そしてその晩にはリアルな世界で皆既月食が出現する。 何だか「日蝕」の扱っていたキリスト教以前の世界とつながる錬金術のあやしい世界の雰囲気を感じてしまう。
ポンペイには今から見ても現代的とみえる生活の痕跡がリアルに残されている、中世の時代の人がこれを見たらどう思っただろうか。ポンペイ遺跡の発見は18世紀とされるが痕跡の一部は中世からルネサンス期にもみつけられていたのではなかろうか。それらが錬金術のようなキリスト教世界とGessyoku1 は違う認識体系を支えたのではなかろうか。

幾つかの疑問は解けないままだが、偶然につながって表れてきた時空が、感覚としてそうかもしれないという雰囲気を伝えてくれるような気がしている。事物の理解は連鎖の中にあるのだろう。

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2022年10月27日 (木)

写真展「祈り・藤原新也」を見る

藤原新也という写真家がどうにも気になっていた。東京漂流という本がでたあたりから、自分の活動範囲の中に引っかかってくる写真や文が幾つもあるような気がしていた、少し前まで日本野鳥の会が発行していた『Toriino』にもレギュラーとして写真と文を毎回載せていたのもある、何かがある。
北九州で「祈り・藤原新也」という写真展が開かれていてもうそろそInori1ろ終わりそうだというので思い立って出かけた。小倉には殆ど行ったことがなくとにかく車で走って近くの駐車場に入れればいいのだろうと走り出した。リバーウオークというビルの5階の北九州美術館分館および近くの北九州文学館に分かれて開催されている、ちょっと厄介な気もしていた。道が混んでいて予想した1時間半では着かず2時間弱かかってしまったがとにかく安そうなコインパークを見つけて車を置いて会場に入る。それほど混んではいない。分館の方は写真撮影可で、これはというものをパチリパチリ撮りながら進む。
始めのインドの写真から厳しい写真だ、もちろん手持ちでピンが緩かったりは問題にならない。路上で書も書いている。多才だ。よくこんな生き方の世界に入り込めたと思う。最初のインド行は朝日新聞のプラン募集に応募したのがきっかけだったとどこかで読んだ。それがすべての始まりだったのだろうが、芸大油絵に初めての受験で合格するあたりから何かが起こっていたとも思える。とにかく持っている人だ。北九州という土地が生んだ松本清張や火野葦平とどこか通ずるところがあるような気もしてくる。博多にはないまじめさというか。フワフワしたところがない。深く突っ込む。最初のインド行では自分のカメラを持っておらずお兄さんのペンタックスSPを借りて旅立ったともどこかで読んだ。その写真を当時のアサヒグラフが特集したのはその見方視点の故だろう、テクニックから写真入る人にはないものを持っていたということなのだろう。
帰って東京漂流を図書館から借り出して読んでみる、思っていたより写真がない、ほぼ文字の本だ、読んだことがない文章だとも思ってしまう、東京漂流から転載された写真を見て印象に強く残っていたということだろうか、でも、感じるところの多い本だ。

いい写真展だった。流れるように生きてきた空間は過ぎ去っていく、見たいものを見、感じたいところで感じる、こんな生き方を続けていくだけなのだろう。

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2022年7月27日 (水)

元首相の銃撃が

20日ほど前のことだった、アオバズクを見に午前に那珂川の現人神社に行った後戻って庭に水まきしていると家内が出てきて安倍さんが撃たれたという。兎に角驚く。どういうことだろうかとそれからテレビにくぎ付けとなる。その日の日記メモには「 暗殺なら韓国関係かと邪推するが、どうやらガンマニアのよう。造った手製銃で人を撃ちたかったよう。たまたま自宅近くに来た安倍を襲ったよう。」と記している。

次第に事件のあらましが明らかになってきた。現場で取り押さえられた狙撃犯人は旧統一教会に家庭・人生を破壊された恨みがあった、全人生をかけてもいいと思うほどの恨みがあった、統一教会とつながる政界の頂点が安倍と思っての銃撃だったということのようだ。
その後の政界と統一教会の繋がりが次第に明らかにされつつあるのを見て、大学時代のことを思い出してきた。全共闘が学内封鎖する直前の時代、講義が終わると待っていたかのように原理研究会と称する一団が演壇にあらわれ統一原理なるものを説き始める、しつこい、ほとんどすべての学生はあほらしくて教室を後にしてもっと本質的な宇宙の原理を語ってくれればいいのだが、などとぼやいていたことを思い出す。原理研究会は反共運動である勝共連合の別動隊であり、勝共連合を60年安保で学生運動に手を焼いていた岸元首相が後押しをしていたというのはいかにもありそうな時代だったと今から振り返ると思える。
勝共連合が更に統一教会の別動隊だったとは多くの人が知らなかったように思う。冷戦の終結で反共もしぼみ統一教会が世界的に展開する宗教活動の財源確保に日本での活動の軸足が移ったのだろう。それに政界とのコネクションが利用され続けたのだろう。
ともかく安倍が射殺されるに至った元をたどると60年・70年安保闘争の時代の政治情勢に行きつくようだ。更には朝鮮戦争にまで辿れるのかもしれない。

このあたりで半世紀以上引きずってきた古臭い対立軸を基盤とする動きに終止符を打つべき時代になってきたように思える。ウクライナの戦争もそういうことかもしれない。それができないところでとんでもないことが起こるようだ。

平和な平成が終わり争いの令和に、時代はサイクルで巡っている、次は何が。

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