2026年4月 8日 (水)

今年の桜は過ぎていき

今年の桜もここ福岡の地では過ぎていきつつある。庭のジンダイアケボノは花は満開をまだ保っているが葉も出てき始めて次の季節へ進もうとしている。ここらで最も早い中公園の南西角の桜はもう完全に散って葉桜になってしまってさえいる。今年は花見というと3月31日に西公園(7分咲き位)、4月2日に春日公園(満開)と一応見たりしたが、少しでもと4月6日にまた出かけてみた。近くでは博多湾にそそぐ樋井川支流の一本松川緑道の桜がちょっと良かった印象がある。支流というより水路というべき水の流れの両側からかぶさるような桜が続くのだが散り始めでは水路に花びらが落ちかかりこれもなかなかだ。城南図書館によってすぐ横の西の堤の桜も見る、まだ十分に見れる姿だ。他はと近い南公園付近、福岡市植物園の北側斜面の桜を見に行く、昔の浄水場の桜で小学校の頃はよく来ていた。見るともう1本を残して他は葉桜だ、ついでに福岡市霊園も回る、ここはまだ結構いい。様々だ。

場所と時を移ろって桜の時空を漂うように眺める、こんな花見が面白い。

Jitakusakura0406aNisikouensakura0331a Kasugasakura0402a  Ipponnmatukawasakura0406a Nisinotutumisakura0407 Miinamikoensakura0407a Hiraoreiennsakurax 写真は順に 自宅ジンダイアケボノ-4.6 、西公園の桜-3.31、春日公園の桜-4.2
、一本松川緑道の桜-4.7、西の堤の桜-4.7、福岡市植物園の北側斜面の桜-4.7、福岡市霊園の桜-4.7

| | コメント (0)

2026年2月28日 (土)

時々海を見たくなる

北関東にいた時は海を見るというと水戸近くの太平洋沿岸まで70㎞くらい走らねばならず思うだけの事柄の一つだったが、この地福岡ではほんの20分も走れば海がみられる、見ようという意志さえあれば叶うことの一つだ。ただし博多湾内の海は内海で太平洋や日本海にじかに接するのとは訳が違う、博多湾で水平線が見れるのはほんのわずかだ。それでも矢張り海が見たいと出かける。幻想の海なのかもしれない。数日前室見川河口に出て海を見た。河口にはスズガモが80羽くらい集まって採餌している、それくらいだ。別に。。という海が能古島や糸島の半島、志賀島と海の中道に囲まれてのっぺりと広がる。

Hakatawan0224a1sgn

歴史を思えばここらは元寇で蒙古が攻め寄せてきた時の上陸地点付近だ、そうまで緊迫しなくとも、大陸から色々のがものがこの地を経由して日本国内に広まっていった。仏教も唐から戻った空海は博多に上陸して真言宗を開いた、うどんもうどん製造機とともにこの地に伝えられここから広まった。単なる窓口ということかもしれない、でもそれでも十分だ、流れ込む、あるいは流れ出す、それを運ぶ海がある、それをじかに見ることができ

Suzugm0224aa1sgn るすがすがしさがある。
時々そんな海を見に行ける、そのことだけでもこの地の素晴らしさがあるように思っている

| | コメント (0)

2025年11月20日 (木)

高島野十郎没後50年展をみる

13年前に宇都宮から福岡に越してきた頃 福岡の美術は?と県立美術館を訪れて高島野十郎の何枚かの絵と出会った。これはと思った、ここまで描き切っている写実性に強い印象を受けた、それ以来その名が少し気になっていた。2日前のことになるが、その没後50年展がやはり福岡県立美術館であっているというのでこれは行かねばと出かけてみた。巡回展で千葉が終わってここへ2番目の会場として移ってきたようだ。駐車場は満車だったがちょうど1台出てきて際どく入れた、平日なのに結構入っている。4階から回り始める。県立美術館所蔵のものが多く既視感があるが改めて見入ってしまう。風景画では木の葉一枚小枝1本までそのままのようにSelf1 描き切っている。どのくらいの集中を要するのだろうか、ひずみの無い視点が恐ろしいばかりだ、写真をはるかに越えるリアル感に溢れている。
量の多さも驚くばかりだ。4階から3階へと移っていくがこれでもかとばかり次々に作品が並ぶ。多すぎかもしれない。終わりのほうは見方もラフになってしまっているのを感じてしまう。
戻って少し調べると、今回の巡回は福岡の後 豊田市、大阪、東京、宇都宮 とまわるとある、宇都宮?と思ってしまう。ちなみに10年前に没後40年展も開かれていたようだがこの時は福岡県立美術館Springrain から始まって東京目黒、足利、筑後市(九州芸文館)と巡っていた、ここでも栃木県が顔を出す。何か関係者でもいるのかと調べるがそんなようでもない、ChatGPTに聞いてみても同じ答えだ、細やかに描かれた透明感のある風景画に北関東の自然と通じるものがあるということからかもしれない。そう思うと少し腑に落ちる。

また絵をかいてみたくなる、日々のどこかにそんな時間を作らねばと思い始めている、もう余り時間がない。

| | コメント (0)

2025年11月18日 (火)

だいじゅがらみで遠い鳥を観る、思いのほかAIが使える

もう1週間前のことになるが、暫く行ってなかった有明海のだいじゅがらみに鳥見にいってきた。潮位が5mを超えないと喫水線が遠く鳥見には適さないとされるが個人的な事情もあり、前日ならばまだましだったのに失念してしまっていたというのもあり、とにかくここを逃すと暫くはいい時期がないと思い返して出かけることにした。潮位は満潮の13時半ころで4.5mとなっていてこれでは水際は柵から300mくらい先になるというネット書き込みもあったりで、どうみても期待できないが、ゼロよりはましだろうと出かけた。気力がいまいちなのもあって高速を選択する。距離が長くなってそれほど早くつけるわけでもないのだが、気分の問題の気がしていた。
途中で買ったコンビニおにぎりやサンドイッチを食べながら走る。余り気合が入ってないのもあってとにかく満潮とされる13時31分には浜に出て鳥を眺められるタイミングで到着するがぎりぎりだ。シチメンソウ見Zugurokamome1110aa1_20251118000601 物の人ばかりのようだ。水際は確かに300m位かなたの感じで鳥 は遠いがズグロカモメはそんなに遠くなく眺められる、時折遠くの水際で群れが立ち上がる、迫力はないが、見た、という感じはする。カメラ(P900)は最大望遠(83倍)でデジタルズームも使ってその1.8倍から2倍にまでしてみる、ここまではダイナミックファインズームとして劣化が抑えられるとマニュアルにある。3脚なしで杭の上において使っていているがそちらのほうがきつい感じがする。頭を出さない眠っている姿勢の鳥も多くとにかく観にくい撮りにくい。30分くらい眺めていてもういいかという気分になる。遠い鳥の姿は判定困難だ。戻って超望遠のショットを眺めてもウーンという感じが大分ある。ここはAIに頼るかとGoogle レンズとChatGPTに判定させてみると結構いい判定をする、これは使える。(下の写真左から順に)ダイシャクシギ、シロチドリ、ミユビシギ、 チュウシャクシギ、他にもアオアシシギまたはイソシギ、とこれだけでは決められない時は候補を上げてくる。こういう作業がAIは得意というように思えてくる。
しまった、潮位が低くなってもうだめかとあきらめずに思い切って一歩踏み出してみる、これがまた新しい世界を見せてくれる、まだまだ面白いことは尽きないようだ。 Daisyakusigi1111a Sirochidori1111a Miyubisigi1111ba Cyuusyaku1111aSigixx1111b  

| | コメント (0)

2025年10月18日 (土)

10月9日の九響コンサート、ベートーヴェンの8番がとにかく眠い

九響の定期演奏会というとこのころは機械的に聴きに行くような気がしている、あまり良いことでもない気もする。今回は小泉が指揮するベートーヴェンとチャイコフスキーだ、何だかどうだと名前で押してくる感じだ。19時開演でコミュニティバスと電車を使って天神に出るが電車の接続がよくて18時過ぎには天神についてしまう、30分かからない。少し余裕があるのでよく見たことのないワンビルを4階まで上がってみる。蔦屋が出店していて見るが、書店はやはり魅Qkyo434koizm 力的刺激的で、書店がなくなる世の中は寂しい。ともかく出来て間もないワンビルは都会的で面白い。アクロスのホールに入っても開始まで余裕があったので12月の第九の切符も会場で発注する。郵送で届くという。もう年末が迫っている。
今日は席は1階左前2席目、近くて生々しい。ベートーヴェン8番から始まる、こんな曲だったっけ、ふかふかしたメロディーでとにかく眠い。情けないが殆どそれしか記憶にない。これはいかんと休憩で500円コーヒーを飲むがうまくない、飲み切れない、体調がいまいちなのかもしれない。自宅のキリマンジャロは贅沢すぎるのだろうか、しみついてしまったようだ。次はチャイコフスキーの4番、これは新しい感じがして眠くならない。しかし作られたのは日本でいえば西南戦争の時代で、とても新しいということはできない、クラッシックの世界の時間の進み方ががどこかいびいつのような気さえしてくる。でもいい演奏だ。
バスで帰る、随分と混んでいる、ウイークデイの21時頃の世の中に久しぶりに触れたようでこれも何だかいい。

| | コメント (0)

2025年8月16日 (土)

福岡の菊池神社が気になるー時代の変わり目に菊池の亡霊が姿を現すようで

近くに菊池神社というのがあって少し気になって調べている。気になったのはTSMCの半導体工場が熊本・菊池のあたりにくることになったいうあたりからだ。正確には菊池市の南隣の菊陽町にくるのだが、まあ昔の豪族菊池氏が本拠にしていた菊池エリアの一部といってもいい。
今やTSMCの半導体工場の熊本・菊陽町エリアへの進出は本格的に九州の経済に効いてきたようで 、Kikuchijinjya1a ともかく最近は熊本市内は道が混んでばかりのようだ。この地に来たのは幾つかあるが特に熊本の水がいいからだと説明されている、北隣の菊池市の菊池渓谷は確かに気持ちのいい景観だ、しかし大工場に水を供給し続けるほどかとも思っていた。
菊陽町はもと菊池郡の津田村、原水村および上益城郡白水村が合併してできてた菊池エリアの南部にあたる、川の流水域としては白川の流水域となっていて、菊池渓谷を形成する菊池川水域ではないようだ。TSMCの半導体工場に供給される地下水はもとは白川の水ということになり確かにこれはいかにも水量がありそうに思える。菊池氏の本拠があったのは菊池川沿いのあたりで、どうやら今回のTSMCとはつながってこないようにも見える、でも気になる。
とにかく福岡の自宅近くにある菊池神社は現在の場所とどういうつながりかなと調べ始める、結構深い感じがしてきてそういうことかということにいくつも遭遇する。
この神社に祭られているのは菊池武時となっていて、菊池氏一族公式ウエブサイトでは菊池氏第12代当主とある。現地説明版やWikipedia記述をみると、菊池氏は元は大宰府勤めになった藤原氏の末裔ということのようで菊池地域に住むようになったので菊池氏と称していて、今の菊池市の中心部あたりに本拠があったようだ。
これとは別に、7世紀には白村江の敗戦で北部九州にも侵略が伸びるかもしれないというので急遽防御用の山城が大和朝廷によりあちこちに建設されたがそのうちの一つ、鞠智(きくち)城というのが山鹿あたりに建設されていてその名が菊池のもとになったような気がしている。
読み方はもとは きくち ではなく くくち であったという説が有力のようで、長い年月が菊池の地名を作り菊池氏を生んだということのようにも解釈できる気がしている。
菊池武時がこの地に祭られることになった経緯は、鎌倉時代末期の1333年、隠岐を脱出した後醍醐天皇が発した綸旨に呼応して菊池武時は倒幕の兵をあげ鎮西探題に攻めよせた、この時大友や少弐が寝返って鎌倉側についたため菊池は敗れ武時は討ち死にした。この時遺体を埋めたのがこの菊池神社の地であったとされ江戸時代に墓碑がたてられ明治になって社殿が建てられた。ここは胴体が埋められた首は北の六本松あたりに埋められたとのい伝えがあり首を埋めたとされるところには首塚(菊池霊社)が造られている。武時の敗れた2か月後、尊氏が京都六波羅探題を落としたとの報に接した大友・少弐は今度は自らが鎮西探題を攻めこれを落としている。どうやら倒幕には賛成だが菊池の手柄にさせたくないとの思いがあったのではないかと想像される。3年後都を追われた尊氏軍は大友の助けで九州まで船で落ち延びここで少弐の支援を受けて博多・多々良浜で宮側(南朝)についた菊池軍と戦う(多々良浜の戦い)、これに勝利した尊氏は再び京に攻め上り室町幕府を開く。その20年後九州の南朝勢力、懐良親王=菊池氏 と北朝側の少弐氏・大友氏 を中心とする2つの勢力が筑後川で激突(筑後川の決戦)、今回は南朝側が勝利して以降しばらくは九州では南朝中心の時代となる。その後菊池氏は戦国時代大友との争いに敗れていき16世紀半ばで滅亡する。ただ、一族にはのちに西郷隆盛を出した西郷氏も属しており、この後も連綿と人材を出し続けたと思われる。西郷をはじめとする明治新政府を支えたメンバーには南朝を正統とみる立場のものが多くいたようで、この福岡の菊池神社が神社として体裁を整えたのも明治政府が立ち上がった直後のことであり(明治2年)、またその後も明治政府は、南朝を正統とするとの政府見解をわざわざ公表するという挙にも出ている。こんなのを見ていると、どこか時代を変えようとするとき九州では菊池の亡霊が姿を現すような気がしてくる。TSMCの件にもこんな影を見てしまうのは考えすぎなのだろうか。

| | コメント (0)

2025年7月17日 (木)

博多山笠その2集団山笠みせ

追い山も終わり博多の町は静かになった。振り返ると、このところ山笠はあまり見ていなかったのもあって今年は少しは見てみることにしていた。これまで見ていなかった山笠の行事に集団山笠(やま)みせというのがちょっと気になっていたので今年はこれも見に行った。寿命ということが頭の隅に入り込みだすと、来年でもという文字を消してすぐにと動き出すことがしばしばとなってきている。7月13日の15時半から舁き山が次々に福岡エリアに舁き出して市役所に表敬するという行事だ。前の12日は追い山ならしで追い山のコースの途中まで走る予行演習があったばかりでやってる人には連日はきついかな、とは思うもののとにかく行き慣れたアクロス福岡のあたりで舁き山が次々に見られるというので見に行った。天神のあちこちが進入禁止になりそうでクルマは止めて西鉄電車で福岡駅まで行った。今年は日曜ということもある。まだ入ったことのなかった新築のワンビルを抜けて市役所のほうへ向かう。ワンビル1Fは広いロビー風になってゆったり座れる椅子がそれなりに配置されている、一休みするにちょうどよさそうだ。舁き山が走る道に水まきが繰り返されているのを見たり、天神一丁目の飾り山を見たりして開始時間まで過ごす、思ったほどの見物人ではない。15時半になって予定Yamakasa2c していたアクロス前の歩道で到着を待つと35分頃になってさきがけの子供たちが法被姿で走ってくる、女の子もいる、女は禁止の山笠のはずだが子供は例外のようだ。ややあって1番山の東流が現れる、台上りは地元の名士がこの集団山笠みせでは務めるとあるが見てもよくわからない。市役所裏手で祝いめでたをうたって一回りして折り返すとすぐに2番の中州流、3番の西流4番の恵比寿流と続く、見てるともういいかの気分になる。これは参加する側、走る側の行事だ、眺めるだけではこんなものかの印象が残るだけのような気がしてくる。もはや参加することはまるっきしかなわない我が身では、なんだかなあという感触が残る。でもこんな風に日常を捨てて 都会中心部を祭りが占拠するという風景がいい。


舁き山はいつまでこの形態が続くだろうか、参加型の祭りに緩やかに舵を切っていくことにならざるを得ないかもしれない、少し心配になってそんなことを考えていた。100年後はどうなっているだろうか。

| | コメント (0)

2025年7月12日 (土)

博多祇園山笠

今年の夏は博多山笠が気になっている、地元福岡の夏の見慣れた景色としてもはや心が動くこともなくなっていたが、考えてみれば飾り山も肝心の博多エリアのものは今までもあまり見ていない、舁き山も有名な櫛田入りは切符の入手がとんでもなく難しいことだけは知っていて、はなから無理だとあきらめていた、要するに見ていない。福岡市に住みながらこのままでは情けないと思いたち、まずは博多エリアの飾り山をいくつか見てみた。呉服町の東流の飾り山と舁き山から回り始める。調べると呉服町ビジネスセンターのロビーに飾り山はあるという。幼いころは呉服町には大丸があって福岡市で初めてエスカレータというものを設置したというのがその頃は話題になっていた。戦後15-6年の時代だ。大丸は天神にきてその跡が転変して今は呉服町ビジネスセンターに01-imgp1681x なっているということのようだ。駐車場は裏にあるようで入り口をネットで調べてクルマのナビに入れる、走っていくと大博通りの一つ東側の聖福寺や東長寺に面した小道を走ることになる、これは追い山のコースの一部だ、そう思うと東流の山が近くにあるのはそういうことかとも思い至る。
あとはリバレインの地下駐車場に移動して博多リバレイン、川端中央、上川端通、中須流、と飾り山を4つ見る。当然のようにつけられた人形は表情豊かでよくできている。
舁き山の櫛田入りは11日の他流舁きの日に中州流他3つの流が櫛田入りの練習をやる見るのは自由との情報がNetに出ていてこれは見るべきかとまた出かけた。櫛田神社参拝者用駐車場に止めるつもりで現地に行くとすぐ前の道をふさぐ形で西流の舁き小屋が設置されている、予定の駐車場にはとても入れない。困ったと見渡すとすぐ手前の冷泉3区駐車場というコインパークに空きがある、とにかく無事とめられた。何とかなるものだ。神社の楼門と「ぎなん」の間から入る清道が設置されその先に「清道」と書かれた赤い旗が高く掲げられている、この旗の周りをまわるのが櫛田入りの見どころのようだ。清道の周りには桟敷席が組まれている、聞くと今日はどこでも自由に座っていいとのことなので旗の近くの少し高い席あたりで待ち受ける、席は十分に空いている。15時に中州流は櫛田神社に向かうとあって15時10分頃には前の道に舁き山が到着して清道に入る体制になった。ややあって15時15分スタートとする秒読みが本番と同様にアナウンスされる。掛け声とともに突っ込んでくるのだが報道などKakiyama0711a31 で見る本番の櫛田入りに比べてどうにも寂しい。戻って本番の写真を見直してみると満席の桟敷席の盛り上がりが祭りを作っているとわかる、がらがらの観客席ではそれなりの風景でしかないようだ。しかたがない。
前の道まで出てみると舁き山はもう一度メンバーを変えて櫛田入りの練習を始める。もちろん交通は遮断したままだから駐車場を出ることはできない。それにしても交通の遮断におまわりさんの姿はない、それが習わしなのだろう、祭りが街に染みついている。
ややあって舁き山が承天寺のほうへ去って行ったのを見て、クルマをするすると出して帰路に就いた。ちょっと疲れた。ちょっと物足りなさを感じた、本番を見るべきだな、でもそれはきつい、もやもやした感じが祭りに引き込まれていくようで、それも悪くない、リアルだ。

| | コメント (0)

2025年5月31日 (土)

福岡市に残る蒙古古戦場にいってみる

福岡というところは調べるほどに古い時代の歴史が刻まれているとわかる、多分大陸との接点に当たる場所であり続けたというのがその大きな理由ではあるのだろう。日本最古の水田跡遺跡があるのもこの地だし、下って白村江の戦いの頃には指揮した中大兄皇子が滞在したのも福岡の地だ。そこまでさかぼらなくとも元による侵略の本土最前線だったのもこの地だ。元寇防塁は有名だがその他にも元寇の古戦場が近くにあると分かり、行ってみた。早良区の祖原山だ。クルマで20分くらいで、公園になっていて付近のコインパークを見繕って駐車する。30数mの低山で上り始めると、いかにも日常的にここを歩いてるんですという風情の人数人とすれ違う、上り下りがあってコンパクトで運動にちょうどいいのかもしれない。すぐに頂上に着く、立派な碑がたっていて説明もある。読むと文永の役(1回目の元寇)で元軍が上陸後陣を張ったのがこの地であるとある。そういうことか、とちょっと納得する。戦は小高い丘Kosenjyo を占領して戦ったほうが有利だこれは洋の東西を問わない、定石通りの戦いを元は行っていたということなのだろう。この周りで激しい戦闘が行われたようだ。上ってみると確かにいい場所だ、海まで見張らせる(現在では海岸線は幾重もの建物の陰になるが)、それほどの高さではないので陣を展開するのも容易だと思える。文永の役では一日ここに陣を張っただけですぐに撤退している。理由はいくつもの推測があるようだが、日本側の抵抗が壱岐対馬とは段違いでこれは簡単には落とせないと感じたのもあったのではないか。台風被害が大きかったのは2回目の元寇(弘安の役)の時のようだ。
歴史的にはこの2度の元の攻撃を撃退できたことが神がかり的な防衛力がこの国にはあるという妙な過信を与え、先の大戦の大敗に至ってしまったようで、何が災いするかわからないと思えてくる。

この地に流れてきた時をリアルに感じていくと、今ここにあるあたりまえのような平和について考えてしまう。いつまでキープできるだろうか。

| | コメント (0)

2025年4月20日 (日)

今年の花見は一本松川緑道を見たり

もう桜も散ってしまって季節は初夏の雰囲気をもたらしている、なんだかせわしない、ここらで今年の桜を振り返ってみたくはなる。
遠くまで出かける気力がこのところ衰えていて今年の花見は福岡市もほぼ南区近辺というもっぱら近くばかりとなった。Minamikoen0331a 子供のころの桜の思い出は南公園だった、そう思って南公園から始めた。昔、市の浄水場があってその斜面に桜が植えられていた、浄水場が植物園となった今も桜の風景は残っている、小さい頃の思い出は木も公園もやたら大 きいが今見るとこんなものかというくらいスケールが縮まっている、思い出はどうしてもそうなるがそれも面白い。南公園近くで小笹北公園の桜がいい、早咲きの桜が立派だとどこかで読んで、これも行かねばと訪れてみた。桜満開の時Ozasakita0401a Ozasakita0401b 期で早咲きはもうほぼ散っているがそれでも少しは残っていてソメイヨシノの白っぽい風景に色を付けている、なかなかいい。なんだか福岡の公園はやたら桜のような気もしてしまう。近くの樋井川の桜は例年見に行っていてなかなかなのだが同じ風景で見慣れるとこんなものかとどうしても思ってしまう。今年は樋井川の支流で団地のヘリを流れる一本松川の桜がいいらしいというので、満開をやや過ぎた時期にこちらも見に行った、車で5-10分くらいの近場だ、適当なコインパークに車を止める。一本松川緑道との名称がついていて緑道というのが何だかしゃれているが公園の種別を示す公的な名称という。小川のような川底の河原と両岸をコンクリートで固めてあって河原が道になっている、両側の土手Ipponnmatugawa0409a Ipponnmatugawa0409b が桜並木で桜に覆われるようにして歩いていくのがかなりいい。こんな花見は初めてだ。
庭のジンダイアケボノももう散ってしまいハナカイドウも散りかけで、今クルメツツジが満開の時期に入ってきている、華やかだ、このサイクルをあと何回眺められるだろうか、そんなことも考えてしまう、どこか儚い。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧