2026年3月31日 (火)

WBCのnet配信が

3月中にやることは、と考えていて、Netflixをキャンセルするのもあったな、と思い出して、忘れないうちに契約解除した、一応1か月は有効ということで4月7日までは見れると言ってきて、思いのほか良心的な感じがしてしまう。Netflixを契約したのはWBCを見るためだった、そうかWBCが終わってまだ1月もたっていないと気づく。時のたつのが速すぎる。
3月15日に日本がWbc ベネズエラに負けた後も、WBCの成り行きが気になって、3月18日のベネズエラ対米国の決勝戦も見た記憶がよみがえってくる。ベネズエラは同点に追いつかれた9回表、1死後だったと思うがフォアボールで1塁に出るとすかさず足の速い選手を代走として送り込み畳みかけるようにすぐさま2盗の手を打つ。これに呼応するように打者はきっちり安打を放って決勝の走者をホームに迎え入れる、見事というかそつがない、米国にはこんな野球はできないかなと思ってしまう。ベネズエラの優勝が当然のように感じられたのを思い出した。WBCをNet配信のNetflixが独占中継することになったと聞いた時にはちょっと情けない気がしていたが、振り返ってみると、テレビ局の独占中継というほうがなんだか狭い世界のことだったと気づく、中継放送の質も問題ない、単なるお金の問題になるが額としてもどうというほどのことでもなく、当然のように日本戦以外の中継も見逃しても追っかけで1週間以位内のことであれば見ることができる、見る側に自由が大きい。なんだこれでいいんじゃないかと気づいてしまう。スポーツ中継はNet配信が主力になっていくのも当然だと感じさせる。
時代の進み方が速くなってきている、もう追いつけなくなってきたなあ、これは終わりが近づいたということか、そんなことを感じる日々が過ぎていく。

| | コメント (0)

2026年1月15日 (木)

放送大学で「新興アジアの政治と経済」というのを学んでみた

2025年度下期に放送大学でとっていた講座「新興アジアの政治と経済」は講義の放送も終わり最後の試験に備えてまとめ中だが、見直していくと今の世界の情勢を理解するのに重要な知識がぽろぽろ出てきて確かにためになる。ラジオ放送での講座だがテレビ電波でのラジオ放送になり録画機器では録音することができず結局インターネット配信を録音アプリで録音するということになる、今回はMoo0 音声録音機 というアプリを使ってみた、配信放送を聴きながら問題なくSajia2 録音できる。しかしともかくラジオ講座もテレビ講座も受講料は同じ料金なので何だか損した気分になる。毎回45分の講義だがテキストに沿った講義は前半の30分くらいで後は共同講師となっている方のテキストにはない説明が続く。この部分は特に録音しておかないと後で何だったんだっけとなってしまう、結構重要な内容もある。例えば顕在化する格差の講義では、このテキストのない部分で、工業化は格差を減じデジタル化は格差を拡大する、という説明がなされる。高いスキルの教育を受けていない人は高い賃金が得られずデジタル化の進行でこの傾向が強まるというのが論点だが、本当にそうだろうか、米国でそうだからどこでもそうだと言っているだけではないのだろうか、米国はそんな傾向を昔から感じるが日本の社会はまた別の力学があるような気がする、そこのところをきちんとデータで示して議論が展開するのではないようで、こんな議論で世の中がわかった気になっていることそのものがいびつな社会になっていっている現れだとも感じてしまう。社会経済学的な学問分野は解明が十分になされていないことで満ちているようにも感じてしまう。
こんな疑問というかテーマというかそんなものに満ちた講座であって本当に勉強になるとはこのことなのだろう、試験の評価などどうでもいいことのように思えてくる。やはり学ぶことはすこぶる楽しい。

| | コメント (0)

2025年12月18日 (木)

ジャパンモビリティショー福岡2025に行ってみる

関東にいた時からモーターショーはなるべく行くことにしていた。福岡に転居した後も東京のモーターショーの小型版が巡ってきていたので毎回見に行っている。今回は12月18日ー21日の間に開かれるというので初日に見に行ってみた。前回は国産車では殆どEVの出品は福岡ではなかったが今回はEVがコンセプトカーの前面に出ている感じがして、様変わりだ。というよりEVだハイブリッドだとの仕組みの話はもう前面に出ておらず、しゃれたクルマが出来ました、くらいのノ

Mobishowffloormap リで展示されているように感じる。福岡のショーは前からそんな雰囲気があったのだがそれが強まったような感じだ。ともかく一巡りしての印象は、ギラギラした華やかさがなくなったなあというものだった。ちょっと面白くなくなった、そういう時代なんだろう。も一つ気になったのはスバルと三菱自動車の不参加だ。スバルはトランプ関税の影響で北米販売が苦しく営業利益が半減する見通しだと報じられており三菱自動車に至っては赤字転落だという、経営環境が厳しくなってきている2社は東京のショーには力を入れても地方のショーは削減の対象とせざるを得ないということなのだろう。モAstonmartinv ーターショーはその時の世相が映し出されるという歴史がこんな形でも示されているようで興味深い。次回はどんなことが待ち受けているだろうか。

| | コメント (0)

古代エジプト展を観てみる  ちょっと情けなくなる

今年から来年にかけて東京、静岡、愛知、広島、福岡、大阪、長野 と巡回するブルックリン博物館所蔵品による古代エジプト展が福岡市美術館に回ってきたので早速見に行ってきた。純粋にこんなものまで紀元前20世紀の世界で存在していたのかという驚きと、エジプト政府公認でないこんな展示会は本来あるべきではない、エAncientegypt1216a ジプトの文化財を誇りにするニューヨークの博物館というのもまったくなさけない、という思いが抑えきれなくなる。多くが個人収集家の蒐集品の買い上げ・寄贈という形ではあるが、そもそもの収集家がもとの農民に払ったお金などおそらく今の価値観からはタダ同然で、イギリスの植民地だったからなしえたことではないのか、あるいはそんな買い上げが盗掘を促していたのではないのか、本来の場所に返還されるべきあるいは許可を得て貸与さるべき物のように思えて仕方がAncientegypt1216b ない。大英博物館の収蔵品と同じだ、植民地にしてしまえばこんなことも造作ないとの植民地主義の成果を見せつけられているだけのような気がしてならない、情けない。
人類はこういうことをしてしまう、と実感する意味でも興味深い展示会であるようだ。

| | コメント (0)

2025年10月20日 (月)

「ボーイング強欲の代償」という本を読んでみる

2018年から2019年に起きた、どうみてもボーイングに責任のある737MAXの連続墜落事故のその後の成り行きがなんとなく気になっていた。去年の年末に出された「ボーイング強欲の代償ー連続墜落事故の闇を追う」という本が目に留まって図書館へ借り出し予約を入れたが人気のようでやっと今月初めに貸し出し順が回ってきて読んでみた。
要するに一世を風靡した感のあったジャックウBoeinggouyoku ェルチの経営手法を体得したGE出身の経営者達がボーイングに持ち込んだ株主資本主義の考え方が諸悪の根源にあるというのだ。
確かにGE流の経営はいびつなところがあるのだろう、でもそれが資本主義だ、資本主義社会では受け入れられる経営だ。事故をそれが原因だと非難することはそのような資本主義体制が悪いのだ社会体制を変えろというにほぼ等しい、政治的な視点だ。航空機が落ちるのはもっと技術的な理由が先にある、そこを深堀りできないこの筆者の議論はどうしても上滑りではないかと思ってしまう。
似たような経緯の事故として1960年代にTtail形態の旅客機(BAC111)の試験機が失速時にリアエンジンの後流に水平尾翼が入り安定操縦性が失われてディープストールで墜落した件が思い起こされる。その後も長年航空界はTtailを使ってきた。どうにかすれば危険は回避される、そのどうにかに知恵を絞ってきた、それが航空機の世界のように思う。手だての一つが失速に入りそうになると強制的に頭下げ操作を行うスティックプッシャーだった。今回の737MAXの墜落の原因となったMACSの失速防止でやっていることがスティックプッシャーがやっていることとほぼ同等だ。スティックプッシャーで失速を免れるそのこと自体はそれほどおかしいことではない。問題は一個の迎角センサーしか使わず単一故障でカタストロフィックな結果をもたらされないという冗長系設計の原則がこの場合なされていなかった、それが見過ごされていたというところにある。設計管理システムに過誤があった、ということになる,それがなぜチェックにかからなかったか、という点にある。もしそれが意図的にチェックにかからないようにされていたとするならこれは明らかに犯罪行為だ。それが最初に議論すべき点のように思える。そのような行為をどう防止できるかが必要な考察なのだろう。犯罪者が悪いというより株主資本主義が悪いのだとはなから言い張るようなロジックをこの本の書きっぷりに感じてしまう。読後感がどうにもよくない。こんな本もある。

| | コメント (0)

2025年9月30日 (火)

老司瓦窯遺跡に行ってみる

先月大野城市や春日市のエリアにある7-8世紀のウトグチ瓦窯跡などをみてそういえばもっと近くに老司瓦窯遺跡というのがあって一度行ったがよくわからなかったとの記憶があってあれは今どういう形の保存になっているのだろうと思い立って先週訪れてみた。観世音寺の瓦はここから出ていったと聞いたような気がする。Roujikawara
以前は老司公園に表示があったような気がしていたが今は少年院の入り口近くに看板が設置してあり片側をアスファルトで固められた斜面の上がそのあとのように見える。これがそうなんだろうがなんだかよくわからない遺跡だ。発掘調査報告書を探して読んでみなければならないだろう。
それにしても不思議な気がするのは東に続く老司老松神社の周辺に焼き物片のようなものが散乱しているのが見えたりするあたりだ、パッと見た目古い焼き物のようにも見えてしまう。神社の裏の丘が5基の古墳になっているようでここらは遺物だらけなのかもしれない。60年くらい前に奈多海岸に散乱していた土器片の様を思い起こしていた。これとは別に、遺跡の説明看板に書かれた地図に地蔵のマークがあったのでそこへ行ってみたが何もない、住宅になっているようだ。おそらく私有地で売却のあげく現在のような姿になったのだろう。福岡にもどると今も残るバブリイな空気感とともに古いものの痕跡は軽んじられているような空気を感じてしまう。開発優先にしないとどこも掘れないなにも作れないということなのだろう。古代の交易の中心となっていた鴻臚館跡は福岡城の一部になり旧陸軍の連隊本部がつくられ戦後は平和台球場が作られて西鉄ライオンズの本拠地として使われたりしていた、あんまりだというのか新球場に引っ越した後、やっと遺跡として保存されている。でも、現実にはこんな歴史への向き合い方の歴史はしょうがないのかもしれない。
もう少し福岡の古い時代の痕跡を探訪してみようか、そんなことを思っている。

| | コメント (0)

2025年9月 4日 (木)

田中美江を取り巻くランチタイムコンサートが心に残る

3日ほど前アクロス福岡での「古典派Xロマン派 稀代の名作作曲家による室内楽」と銘打ったランチタイムコンサートを聴きに行った。久しぶりのランチタイムコンサートだがなんだか豪華なコンサートを見せてもらった気Tanakayosiekoki1 がした。わかりにくいタイトルだが開始後司会役の形で舞台に登場したヴィオラの山下典道の解説によると、古典派の「古」と稀代のの「稀」が大事で、これは本日の主役の福岡在住ピアニスト田中美江の古希を記念してこれまで田中美江が関りをもった音楽家たちが集まって催されるスペシャルなコンサートだということのようだ。なんだそうだったのか、いかにも福岡ローカルの雰囲気が漂って好ましい、福岡ならではのコンサートだ。暖かい。
田中美江の名は福岡に転居してきて時々目にする名前だったが今回初めて眺め聴く、こんな人だったんだという感じがしてしまう、古希とは。驚いたのは田中美江の師であり20歳くらい年上の徳丸との連弾も用意されていたというあたりだ、徳丸は88歳というがそのタッチからはポンコツではない現役音楽家としてのクリアーな響きが伝わってくる。驚きだ。音楽演奏は一生ものだと思い知る、幼い頃ピアノを少し習い始めたものの、なんだか習わされるようなのが嫌で止めてしまったことを思い出していた、もう少し長くやるべきだった、こんなプロには及びもつかないまでも生涯音楽を奏で得るということそのものがまぶしく思えてしまう。
田中美江本人は3日前に回覧板を持っていく途中で転んで右足指を骨折してしまったがそれを押しての演奏だった、見てる限り演奏に影響しているようには思えない、さすがプロというほかの言葉がない。
いろんな意味で心に残るコンサートだったという気がしている。


2025年9月1日(月) アクロス福岡
出 演
ピアノ:田中美江、徳丸聰子(桐朋学園大学名誉教授)、Piano Duo Sakamoto(坂本彩・坂本リサ)
ヴァイオリン:篠崎史紀(九州交響楽団ミュージック・アドバイザー)、塩貝みつる(元ハンブルクフィルハーモニー管弦楽団首席アソシエイト・コンサートミストレス)
ヴィオラ:山下典道(元 九州交響楽団 ヴィオラ奏者/アルトクレフ大濠 代表)
チェロ:秋津智承(元 大阪フィルハーモニー交響楽団 首席チェロ奏者)
コントラバス:時津りか(九州管楽合奏団 コントラバス奏者)

曲 目
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 K.304(300c)
シューマン:ロマンス第2番 イ長調 op.94-2
モーツァルト=グリーグ:ピアノ・ソナタ ハ長調 K.545
シューベルト:幻想曲 へ短調 D.940 op.103
モーツァルト:コンサート・ロンド ニ長調 K.382

アンコール
1.カサド:親愛なる言葉
2.モーツアルト:ピアノ協奏曲第21番より第2楽章
1は初めて聞くがチェロとの掛け合いが印象的だった、いい曲だ。

| | コメント (0)

2025年8月28日 (木)

日本遺産から「西の都」が指定解除されたと知って調べる、日本遺産とは何なのか

九州北部の牛頸須恵器窯跡やウトグチ瓦窯跡のことを見たり調べたりしていて、2025年2月「西の都」日本遺産から指定解除される、の文字に行き当たった。牛頸須恵器窯跡は日本遺産「西の都」の一部となっている。日本遺産というのは言葉としてはどこかで聞いていたように思うが世界遺産の日本版なのだろうくらいに思っていた、それが指定解除とはいったいどういう間違いがあったのか、と思ってしまった、普通ではあまりおこらないような印象を受ける。少し調べると、やや分かったがまだなんとNihonisanna なく腑に落ちない。とにかく調べる。
日本遺産の選定は世界遺産や国宝・重要文化財などとは全く違って、地域活性化言い換えれば集客にその目的がある、というのが調べてわかった最初の小さな驚きだった。あれこれやりとりしながらAIにまとめさせると:
日本遺産は「文化を守る制度」というより、実際には地域の魅力を観光資源として発信し、観光客を呼び込むための仕組みです。
文化庁は「地域に点在する文化財を物語でつなぐ」と説明していますが、狙いはそれを観光ブランド化し、集客を通じて地域を元気にすることにあります。
つまり日本遺産の本当の役割は、歴史や文化を「見せ方」に変えて、地域活性化につなげることだと言えるでしょう。
となる。そうだったのか。
日本遺産の指定を外されるということは、今のやり方ではこのエリア全体にはうまく集客できない、ほかの地域の提案のほうがずっといいので、一旦ここはやり方を全面的に見直して、指定をほかの提案者に譲ってください、指定総数は100程度という縛りがありますので。ということになる。それならわからなくもない。
そういう目で見ると、「西の都」の構成要素に挙げられている場所はいったいどうやって行けばいいのだろう、というところが結構ある、また、例えば牛頸須恵器窯跡のように構成要素そのものが散らばっていてここを見れば面白いというところがどこかはっきりしない、とか、集客の目でみるとこれ何?というところが目立ってしまう。最初からどこか考え違いがあったようにも見受けられてしまうし、なんとなく福岡人らしい早とちりかな、とも思ってしまう。
調べると今年になって突然指定解除言い渡しがあったわけではなく認定後6年目の評価として、平成27年度認定された「西の都」を含む(最初の)18件の評価を令和3年に行ったところ、「西の都」を含め4件が問題ありの指摘で再審査となり、令和6年から再審査は点数評価プロセスで新規提案と競争することになって、点数が明瞭に低かった「西の都」が陥落の憂き目となった、ということのようだ。再審査の他の地域はいずれも高得点で日本遺産のお手本となるという重点支援地域の認定をうけることになって「西の都」との差が際立ったということのようだ。細かい採点は明らかではないがそれなりに合理的な手順を踏んでいるようにも見える。
日本遺産の選定が今後どうなっていくか、毎年指定を外すものが出ないと新たな提案は採用されないとなると、次に外されるのはどこか、奇妙な点取り主義競争が蔓延しないか、いささか先行き不安なものも覚えてしまう。日本遺産はどうあるべきなのかもう一度議論すべき時期に差し掛かっているようにも思えている。

| | コメント (0)

2025年8月16日 (土)

福岡の菊池神社が気になるー時代の変わり目に菊池の亡霊が姿を現すようで

近くに菊池神社というのがあって少し気になって調べている。気になったのはTSMCの半導体工場が熊本・菊池のあたりにくることになったいうあたりからだ。正確には菊池市の南隣の菊陽町にくるのだが、まあ昔の豪族菊池氏が本拠にしていた菊池エリアの一部といってもいい。
今やTSMCの半導体工場の熊本・菊陽町エリアへの進出は本格的に九州の経済に効いてきたようで 、Kikuchijinjya1a ともかく最近は熊本市内は道が混んでばかりのようだ。この地に来たのは幾つかあるが特に熊本の水がいいからだと説明されている、北隣の菊池市の菊池渓谷は確かに気持ちのいい景観だ、しかし大工場に水を供給し続けるほどかとも思っていた。
菊陽町はもと菊池郡の津田村、原水村および上益城郡白水村が合併してできてた菊池エリアの南部にあたる、川の流水域としては白川の流水域となっていて、菊池渓谷を形成する菊池川水域ではないようだ。TSMCの半導体工場に供給される地下水はもとは白川の水ということになり確かにこれはいかにも水量がありそうに思える。菊池氏の本拠があったのは菊池川沿いのあたりで、どうやら今回のTSMCとはつながってこないようにも見える、でも気になる。
とにかく福岡の自宅近くにある菊池神社は現在の場所とどういうつながりかなと調べ始める、結構深い感じがしてきてそういうことかということにいくつも遭遇する。
この神社に祭られているのは菊池武時となっていて、菊池氏一族公式ウエブサイトでは菊池氏第12代当主とある。現地説明版やWikipedia記述をみると、菊池氏は元は大宰府勤めになった藤原氏の末裔ということのようで菊池地域に住むようになったので菊池氏と称していて、今の菊池市の中心部あたりに本拠があったようだ。
これとは別に、7世紀には白村江の敗戦で北部九州にも侵略が伸びるかもしれないというので急遽防御用の山城が大和朝廷によりあちこちに建設されたがそのうちの一つ、鞠智(きくち)城というのが山鹿あたりに建設されていてその名が菊池のもとになったような気がしている。
読み方はもとは きくち ではなく くくち であったという説が有力のようで、長い年月が菊池の地名を作り菊池氏を生んだということのようにも解釈できる気がしている。
菊池武時がこの地に祭られることになった経緯は、鎌倉時代末期の1333年、隠岐を脱出した後醍醐天皇が発した綸旨に呼応して菊池武時は倒幕の兵をあげ鎮西探題に攻めよせた、この時大友や少弐が寝返って鎌倉側についたため菊池は敗れ武時は討ち死にした。この時遺体を埋めたのがこの菊池神社の地であったとされ江戸時代に墓碑がたてられ明治になって社殿が建てられた。ここは胴体が埋められた首は北の六本松あたりに埋められたとのい伝えがあり首を埋めたとされるところには首塚(菊池霊社)が造られている。武時の敗れた2か月後、尊氏が京都六波羅探題を落としたとの報に接した大友・少弐は今度は自らが鎮西探題を攻めこれを落としている。どうやら倒幕には賛成だが菊池の手柄にさせたくないとの思いがあったのではないかと想像される。3年後都を追われた尊氏軍は大友の助けで九州まで船で落ち延びここで少弐の支援を受けて博多・多々良浜で宮側(南朝)についた菊池軍と戦う(多々良浜の戦い)、これに勝利した尊氏は再び京に攻め上り室町幕府を開く。その20年後九州の南朝勢力、懐良親王=菊池氏 と北朝側の少弐氏・大友氏 を中心とする2つの勢力が筑後川で激突(筑後川の決戦)、今回は南朝側が勝利して以降しばらくは九州では南朝中心の時代となる。その後菊池氏は戦国時代大友との争いに敗れていき16世紀半ばで滅亡する。ただ、一族にはのちに西郷隆盛を出した西郷氏も属しており、この後も連綿と人材を出し続けたと思われる。西郷をはじめとする明治新政府を支えたメンバーには南朝を正統とみる立場のものが多くいたようで、この福岡の菊池神社が神社として体裁を整えたのも明治政府が立ち上がった直後のことであり(明治2年)、またその後も明治政府は、南朝を正統とするとの政府見解をわざわざ公表するという挙にも出ている。こんなのを見ていると、どこか時代を変えようとするとき九州では菊池の亡霊が姿を現すような気がしてくる。TSMCの件にもこんな影を見てしまうのは考えすぎなのだろうか。

| | コメント (0)

2025年8月 1日 (金)

昭和100年、戦後80年、プラザ合意40年

今年は昭和100年だ、戦後80年の声が大きいようだが切りのいい年だけに何々から何10年というと色々並ぶ気がする、個人的にもだ。昭和よりもう少し戻るところからいくと、日露戦争終結120年、昭和100年、太平洋戦争敗戦後80年、個人的には結婚50年、つくば博40年、日航機123便墜落から40年、プラザ合意から40年、地下鉄サリン30年、ウインドウズ95供給開始から30年、福知山線脱線事故から20年、とくる。60年はすぐには思い浮かばない、余りメリハリないが国産旅客機YS11就航から60年、くらいか、
並べてみると何やら見えてくるものがあったりする、戦争や事故の切れ目が目立つ、そんな意味ではベトナム戦争本格化(北爆開始、米軍投入)から60年、また ベトナム戦争終結から50年というのも日本の社会に少なからぬ影響を与えた点ではここに入れたほうがということにもなるかもしれない。
戦争以外ではプラザ合意と御巣鷹山事故から40年というのがちょっと気になる。御巣鷹山事故後、事故は米ボーイングの修理ミスで起こったと明言する米側の余りの潔さに当時少々違和感を覚えていたのを思い出す。今になって振り返ると40日後にプラザ合意で円高誘導という煮え湯を日本側に飲ませ円高不況となるのを覚悟させるという厳しいスケジュールが組まれていた時だっただけに米側が低姿勢に出て不利なことでも正直に語る信頼できる米国との印象を日本国民に与え日本側に飲ませやすくしたのではないか、と疑ってしまう。森永卓郎の陰謀論にはとても同意できないが、御巣鷹山事故とプラザ合意には何か関連がありそうなにおいを感じる。プラザ合意の後、予想を超える急激な円高に見舞われその結果日本には失われた30年がもたらされるに至るというのは歴史的事実でもある。米側にしてみればしてやったりの一幕なのではないか。

こんな風に時をさかのぼって思いを巡らすと、時はいくらあっても足りない気がしてくる。あと10年くらいかな、できて、もうあまり時間が残されていないという思いがつのる。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧